殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

始まりは4年前・19

2024年08月17日 09時24分50秒 | みりこん流

『転院』

母の入院作業が全て終わり、家に帰ると午後3時半。

朝の10時に母を病院へ連れて行ったきり

飲まず食わずだったが、空腹は感じないままだった。

明日から実家へ行かなくていい…この、ありがたき幸せ!

「今まで昼に留守をしてごめんね!明日からは家におるけんね!」

家族に言ったりして、喜びに浸る。

 

しかしその喜びは、わずか3時間の短いものだった。

午後6時半、病院から電話が。

「急なお話で申し訳ないんですが

サチコさんは明日、転院することになりました」

聞き取りをした男性看護師からだ。

あまりにも意外な話である。

 

しばらく入院した後、落ち着いたら転院させるという話は

女医先生から聞いていた。

転院先は隣市の◯◯精神病院か

遠い市外にある大きな総合病院を考えているが

どっちがいいかと聞かれたので

遠くて車の多い都市に通うのは難しいから

比較的近い◯◯精神病院の方がいいと答えた。

しかし、こんなに早いとは夢にも思わなかった。

 

「転院先は、◯◯精神病院です。

明日9時にこちらへ迎えに来て、連れて行ってあげてください」

「あの…母は何か、ご迷惑をおかけしたんでしょうか?」

とたずねると

「いえ、そんなことは…」

と、にごしながらも

「電話をかけさせて欲しいとおっしゃって

何回も詰所に来られています」

とだけ言った。

 

病室から出ないよう、ポータブルトイレも置かれたが

出入り口にセンサーのプレートを置くとも言われていた。

病室のドアに近づくとセンサーが反応して

ナースセンターのブザーが鳴る仕組みだ。

同室の3人は寝たきりで動けないので、これは母専用の措置。

諦めない女、サチコのことだ…

ナースセンターにある電話を目指し

幾度となくセンサーを踏んだと思われる。

電話の用件はただ一つ、私に迎えに来いと言うためだ。

 

この病院には内科や外科の患者も入院していて

母のような精神的症状の患者に対応できるシステムではないため

入院してから6時間余りで早くも母の扱いに困り

持て余したのは明らかだった。

要するに母は病院を一晩で追い出され、精神病院へ転院させられるのだ。

 

「サチコさんは、こちらへ入院されたのと同じく

◯◯精神病院にも医療強制保護入院として

移っていただくことになります。

うちへの入院はみりこんさんの承諾で大丈夫だったんですが

今度は実の娘さんの承諾が必要になります。

急なことなので、電話で承諾してもらって

書類は後から送ることになると思います。

担当医と直接、話してもらうので

娘さんの都合の良い時間を聞いておいてください」

私と母が他人だということは、家族構成の聞き取りの際

病院側に話してあった。

今回のような手続きをスムーズに行うためである。

 

私は取るものも取りあえず、転院の準備を始めた。

まず妹のマーヤに連絡し、電話に出られる時間をたずねる。

それから妹二人の住所と電話番号、携帯番号をメモに書いた。

マーヤに承諾書の書類を送るそうなので、住所を聞かれるのは必至だ。

一つ下の妹の住所は必要ないかもしれないが、万一に備えた。

 

そうそう、母の苗字の印鑑も忘れてはならない。

印鑑のいらない時代になりつつあるが

病院ではまだ重要な書類に使用している。

この日の入院では母の印鑑を持って来てなかったため

入院手続きの書類が一度で終わらなかった。

実家まで印鑑を取りに行くのが面倒だったので

コップや入れ歯洗浄剤を買いに出たついでに

ホームセンターで三文判を買い、書類に押して再び持って行ったのだ。

その三文判を用意する。

今日やったばかりなので、必要な物はよく覚えている私だった。

 

翌朝は小雨。

私の心と同じ、暗くて重々しい空模様である。

転院させるため、母を迎えに家を出たが

鋼鉄のハートを持つはずの私も、この時ばかりは足取りが重い。

だって、私が迎えに行ったら、母は家に帰れると思い込むだろう。

それが家とは違う方向に走り、別の病院に到着したら…

捨てられると思って泣くだろうか。

怒り出して暴れるのだろうか。

 

手こずるようであれば、病院から搬送車を出して

スタッフが同行する旨を前日の電話で言われているが

親一人、自分で連れて行けないなんて情けないような気がする。

その一方、母を騙して姥捨山へ捨てに行くようで

どっちにしても気が重いのは確か。

 

病院は、家から車で5分と近い。

着かなきゃいいのに…と思いながら、病院に続く細い坂道を登り始めたが

いつもは上から次々と対向車が降りて来て離合に手こずるというのに

こういう時に限って1台も来んじゃないか。

だから、すぐ着いた。

 

受付で迎えに来たことを伝えて待っていると

30代半ばぐらいの男性の介護士が、母を車椅子で連れて来た。

「みりこん…」

母は嬉しそうに私の名を呼び、子供のような小さい両手を伸ばす。

うう…つらいぞ。

 

介護士は、母を駐車場の車まで送ってくれると言う。

昨日持って来たばかりの入院の荷物と、転院先に渡す書類を受け取り

車椅子の後を付いて行く私の心は

歩を進めるごとにますます重くなっていった。

 

が、その介護士、病院の玄関を出ると

車椅子でおとなしく運ばれる母に、優しく話しかけるではないか。

「検査に行きましょうね」

 

その言葉は母だけでなく、私にも言っているように聞こえた。

転院先に着くまで、このセリフで行け…

そう教えてくれているみたい。

でなければロビーの喧騒から離れ、自動ドアの開閉音も消え

静かになったタイミングで、唐突に言うはずがない。

さすがプロだ。

 

その温かい配慮と、決めのセリフを入手した安堵に

私の心はたちまち軽くなった。

向こうに着いたら、まず色々な検査があるのだから

嘘をついて連行することにはならない。

それから先のことは転院先のプロにお任せすることにして

今は考えまい…。

《続く》

コメント (2)
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