殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

愛の事情

2013年04月21日 10時42分11秒 | 前向き論
愛というものについて、私は長い年月をかけて考えてきた。

結婚したら、そういうものは給料とセットで

夫からもらえるものだと思い込んでいたら

よそのオネエちゃんに回っていたからだ。


もらえるはずのものがもらえないって、非常に不本意。

だから、ずっと考えていた。

バナナの下で頭をひねる猿のように、どうやったら手に入るかを考えていた。

もらえる方法を考えているうちは、いっこうにもらえなかった。

もらえるどころか、どんどん遠ざかっていたように思う。


夫の相手は、次々と交代していった。

そのたびに私は嘆き悲しみ、泣くのに疲れると、いつも愛について考えた。

髪の毛を失ってから、髪の毛の大切さに気づくように

失ってみなければ、深く考えることは無い。

欲しいから、そのことについて考える。

犬畜生の交尾を恥ずかしげもなく愛と呼ぶ、彼らへの反発もあった。

涙の次に愛がくるのは、お決まりのコースらしい。

簡単に絶望して死を選ばないための、エアバッグ機能ではないかと思う。


相手の不実を数え上げて、恨むのに時間を割くより

同じ考えるなら、愛をテーマにしたほうが断然良い。

まがりなりでも、なだれ込みでも、きっかけは何でもいい…

悲しみをとっかかりに、愛について考えるチャンスを得たとも言えるのだ。

生きているうちに、そのチャンスが巡ってきたのは幸運である。


あれこれ考えるうち、自分に都合の悪いことにも考えが及ぶ。

そもそも浮気が初めて訪れるまで

我ら夫婦の間に愛はあったのか?という疑問は、その一つである。


…無かった。

夫なんて、どうでもよかった。

程度の差はあろうが、旦那さんの浮気で悩む奧さんの多くはそうではないかと思う。

中には「心から夫を愛していました」と言う人がいるかもしれないが

それはショックで記憶がすり替わっているか、嘘つきだと私は思う。


さしたる大不幸も無いけど、これといった幸せも見あたらない…

単調な日々…面倒臭い家事…うるさい身内…

私はここまでの人間なのかしら…このまま年老いていくのかしら…

そこに浮気は入り込み、日常として定着した。


実力100%で夫を愛していたとしたら

「あんた!私の愛する男を返してちょうだい!」と女の所へ怒鳴り込むか

「私には無理でした」と、あっさり夫を渡したと思う。

私にはできなかった。

女の所へ走る情熱も、渡すいさぎよさも無かった。

精一杯愛していなかったからこそ、呆然とたたずみ、運命を呪った。


しかし世間には一応「愛していたのに裏切られました」という格好を

見せておかないといけない。

そのほうが同情してもらえるし、話を聞いてもらえるし

なにかと生活しやすい。

それは決して、冷えた惰性の家に起きた出来事であってはならぬ。

悪い女が現われるまでは、夫婦共に幸せだったことにしておかなければならぬ。


軽々しく動かなかったのは

自分の愛が100%ではなかったことを隠すためだった。

愛を失うもなにも、失うような愛は、初めから無かったのだ。

私の場合、どうもここから間違っていたと思う。


私は若い頃から、何につけ、それなりに納得できる理由を欲しがる性質だった。

納得できる理由を人からもらったり、ある日それらしき出来事が起きたり

自分で考えついたりした上で、行動したい…

口で言えば小ぎれいだが、その実は、納得しなくてすむよう

さまざまな気づきをさまざまな言い訳で却下し続け

納得を先送りしていた横着者にすぎない。

納得待ち…それは、自分はじっとしたまま周囲が変化してくれるのを待つ

他力本願体質だったのだ。


やがて加齢の波が私にも寄せ、納得待ちなんて贅沢はしていられなくなった。

早くどうにかしないと、お婆さんになって死んでしまうじゃないか。


愛さなかったから、愛されなかった…

これは、認めるのがシャクだったので

長らくお蔵入りにしていた気づきであった。

それに再登板してもらって、とにかくそう思うことにした。


“とにかくそう思う”は、私をずいぶん楽にしてくれた。

だから仕方ないじゃんけ…で、思考の展開がストップするようになったからだ。


私が本当に夫を愛していたとしたら、その家族も愛せるはずだった。

私には、できなかった。

夫とは好きで一緒になったんだし、今も嫌いではない…

だけど親さえいなければ…義姉さえ帰ってこなければ…

そんな条件付きのこの感情は、愛と呼べるものではなく、都合というものだった。


浮気のゴタゴタで、見たくない部分をさらけ出したのはお互い様だが

一生セットで付いてくる、あの親きょうだいを今、愛せるか…と考えた時

すみません、無理です…と答えるしかない。

だから仕方ないじゃんけ。


私のは、愛じゃありませんでした…都合でした…

いったん認めて白旗をあげてしまうと、頭じゃわかっていても

心で納得していなかったさまざまなことが

ああ、そうだったのか…と腑に落ち始める。


夫とよそのオネエちゃんの交流は、愛でなく我…

つまり都合であるとわかってしまう。

その間違いを罰し、正してやりたい欲求も消えていく。

都合を愛だと間違っていた自分が、彼らの間違いを指摘するのは

それこそ間違いというものだ。

間違い夫婦なんだから、間違いネエちゃんが寄って来ても

仕方ないじゃんけ。

それ以上は、考えない。


考えても仕方のないことは、考えない訓練をしていると

そのうちに息苦しさが無くなり、なんだか吸っている空気が

柔らかくて濃いものに変化したように感じた。

蛍光灯のルクスを上げたように、回りが明るくなって、よく見え始めた。

これが多分、自分を変えるということなんだと思う。

おこがましいが、多少は素直になったということではなかろうか。


もともと底意地の悪い私のこと、急激に改心して

完全な素直ちゃんになれるはずもなく、以後も右往左往を続けるが

コツみたいなものは掴んだつもり。

愛は、素直に宿る。
コメント (17)
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