殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

崖っぷちウグイス日記・8

2022年11月30日 15時10分35秒 | 選挙うぐいす日記
ナミのカッパを腰に巻き、運転を再開した夫。

ジャンパーとトレーナーを失い、薄い半袖シャツだけになったが

運転席の窓を全開にしているので寒そうだ。

匂いを気にしているらしい。


「半袖じゃあ寒いですよ…気にしないで窓を閉めてください」

候補は何度か言った。

選挙カーの窓は全て、朝から晩まで全開が基本。

運転席の窓だけでも閉めて、暖を取ってほしいという候補の配慮だが

夫は閉めなかった。

それが彼にとって、せめてもの誠意であるらしかった。


やがて選挙カーは山奥村に入った。

「キーが無い…」

ここで夫が気づく。

さっきのゲリラ事件からこっち、ずっとエンジンをかけっぱなしだったし

気が動転していたこともあって、キーの所在は眼中に無かったのだ。


「キーが無いと、走れなくない?」

候補は言うが、やはりキーは無い。

キーが無いまま走るなんて、誰も経験したことが無いので

無ければどうなるか、わからないのだった。


「帰りに、さっきの場所を通ってみましょう」

ということで再び現場を訪れ、ジャンパーを探して拾い上げると

ポケットには選挙カーのキーと夫の車のキーが入っていた。

キーから遠く離れても、エンジンさえ切らなければ走行できるらしい。


その後は候補の考えた隠蔽工作に従い、夫は事務所のごく手前で選挙カーを降りた。

急に気分が悪くなって、先に帰ったことにするのだ。

腰にカッパを巻いた不思議な姿で、事務所の人々に会わないためである。

そして選挙カーの車庫入れは、候補が後援会長に依頼。

車内に残留する異臭については

「◯◯牧場へお願いに行ったんですが、足元が暗くてタイヤと靴が汚れました」

と説明した。


これが他の候補だったら、夫はどうなっていただろう。

その場へ置き去りか、話がすぐに広がり、おもらし君なんてあだ名を付けられるかも。

今回、立候補している人たちを思い浮かべてみるが

うちの候補のような対応のできる人物が何人いるだろうか。

この子のために、いっそう頑張ろう…私は改めて誓うのだった。


悪夢のような一夜が明けた。

後で夫から聞いたが、彼は翌朝、ナイロン袋と水を持って

密かに現場へと向かったそうだ。

ヘンゼルとグレーテルの痕跡を掃除し

脱ぎ捨てたジャンパーとトレーナーを回収して廃棄するためである。

前夜は匂いの問題から、衣類を選挙カーで持ち帰るわけにいかなかったのだ。

自主的に行ったところを見ると、かなり反省している模様。


心配していた彼のメンタルだが、何のことはない、ケロリとしたものだ。

そうそう、こういう人だったよな…と思い出す。

しかしギリギリの滑り込みは無くなり、早めに事務所へ来るようになった


「昨夜はご迷惑をかけて、申し訳ありませんでした」

事務所に出勤して、候補とナミに謝る。

「忘れる約束ですよ。

大丈夫、誰にもバレていません。

皆さんが帰られた後で、こっそりファブリーズはしましたけど

その時も匂いなんて無かったですよ」

候補は小声で言い、ナミも

「迎えに来てくれた妹にも、誰にもしゃべってません」

と言った。


私はといえば、帰宅するなり義母と息子たちに一部始終を話し

皆で腹を抱えて笑いまくった。

夫に気の毒なことをしたと思いつつ、8時前になったので

心配しながら選挙カーに乗り込んだが、本当に何の匂いも無かったのでホッとした。

ナミのカッパは、かなりいい仕事をしたようだ。

カッパの持ち主はあんまり働かないが、迷惑をかけたので大目に見るしかない。



さて今回の選挙で、私の目玉は何と言っても新人のS氏。

11年前の県議選を覚えておいでだろうか。

それまで市議だった候補が県議選に出馬することになり

市議時代にウグイスをしていた私が引き続き雇われた。

この時の敗北により、候補は政界を引退したため

私は現在の候補のウグイスをすることになったいきさつがある。


それはさておき、その11年前の県議選で

“不登校児童の母の会(仮名)という団体が、選挙事務所を牛耳っていたことは記事にした。

選挙を知らないまま、ネットで調べたうわべの知識をひけらかす非常識な集団で

事務所の中は常にゴタゴタしていた。

私はその団体の会長に消耗夫人、取り巻きには消耗軍団とあだ名を付けて

さんざんこきおろしたものだ。


この消耗夫人と婿養子の夫に、いつも金魚のフンみたいにくっついていた50代後半の独身男…

11年後の今は60代後半になっている…

それが今回、新人として立候補するS氏なのである。

悪い人間ではない。

地元の大企業を早期退職したばかりで暇だったらしく、毎日、選挙事務所へ来ては

消耗軍団の小汚い女どもとおしゃべりに興じていた、ただの役立たずだ。

この時、選挙に関わったことで、男の野心が首をもたげたのだろう。


彼の立候補を聞いた時、私はすぐに思った。

「事務所の仕切りは、消耗夫人率いる消耗軍団。

ドライバーは、あの時の事務局長。

ウグイスは消耗軍団のメンバー、ダミ声の美香子。

魔の県議選、アゲイン…まあ、わたしゃ関係ないけん良かった」


蓋を開けてみると、ドライバーは確かに事務局長だった。

しかしウグイスは、美香子かどうか未確認のまま終わった。

このドライバーは山道や裏道ばっかり走るので、選挙カー同士が滅多に出会わない。

そしてこのドライバーはスピード狂。

たまにすれ違ってもアッという間に走り去り、ウグイスの声までは確認できないのだった。


それから私の予想では、消耗夫人が選挙事務所に詰めているはずだった。

が、事務所の前を通ると、中から出てくるのは彼女ではなく知らない派手なオバちゃん。

手を振りながら飛んだり跳ねたりするので、なかなかの見ものだ。

一緒に出て来る何人かの女性たちも、明るいラテンなムード。

どんよりジメッとした消耗軍団とは、着ている物も雰囲気も真逆だ。


一方で消耗夫人は、いつも家に居る。

選挙カーで彼女の自宅近くを通るたびに、家から出て来て手を振るのだ。

朝昼晩、いつ何どき行っても必ず家に居る。

ということは消耗夫人、事務所に詰めてないということになる。


その事情はうちのドライバー、ヨッちゃんが知っていた。

「Sは、スナック◯◯に出ようる和美とデキたんよ。

事務所は、和美が仕切っとるらしい」

その和美さんは東北出身の50代で、最近まで人妻だったそう。

しかし酒場で、S氏との恋が芽生えた。

S氏は今回の立候補にあたって、不倫では人聞きが悪いという結論に達し

夫婦を別れさせたという話だ。

あの地味なS氏が略奪愛…私は身震いを禁じ得なかった。


それから別れた旦那さんのことを聞いて、二度びっくり。

夫の会社の近くにある鉄工所の次男だった。

どこにでも転がっている話だが、父親の鉄工所を兄弟で引き継ぎ

お決まりの兄弟喧嘩で決裂、というクチ。


やがて次男さんは会社を辞めて新興宗教に走り、東京にある本部で修行に励んでいた。

その修行で東北から来ている女性と出会い、お互いに何回目かの結婚をしたそうで

2〜3年前、夫婦でこちらへ帰って来たのも聞いていた。

その奥さんが、話題の和美さんだったようだ。

《続く》
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崖っぷちウグイス日記・7

2022年11月29日 13時42分28秒 | 選挙うぐいす日記
選挙カーのスピーカーが民家の軒先に接触した時のドライバーは、候補の親戚。

皆からトシちゃんと呼ばれている、70代の気のいい大工だ。

彼は昼までの業務を終えたその足で現場を見に行き

我々が昼ごはんを食べている間に修繕して戻ってきた。

幸い、大きなダメージではなかったという。


「大工さんがいてくださると、助かりますねぇ」

食後のお菓子を食べながら、他人事のように言うナミ。

「おまえのせいじゃ」

小言を言う私。

「え〜?私のせいなんですか?」

本気で驚くナミ。

驚きたいのはこっちじゃっちゅうねん。

その夜、このナミが役に立とうとは夢にも思わなかった私である。



夜間のドライバーは夫。

その日も5時半に選挙事務所を訪れ、戻って来た我々と一緒に夕食を済ませると

6時に出発した。


最初は順調だった。

やがて7時を回り、選挙カーはひと気の無い山道にさしかかる。

この先にある山奥村を一巡したら、本日の業務は終了だ。

と…夫は選挙カーを突然停め

「ダメだ、こりゃ」

ドリフのいかりや長介みたいに言い捨てると、車を降りて後方へ走り去った。


候補も我々ウグイスも、いったい何が起こったのかわからない。

何かにぶつかったり、何かを轢いた感触も無かったし…

おしっこかな?この人も前立腺が危ういお年頃よね…

などと思いながら車を降り、夫の走り去った方向へ向かう私。


夫の行方は、すぐにわかった。

煌々と灯る選挙カーのアンドンに照らされた道路…

そこには、おはぎ大の“ブツ”が点々と落下していたからである。

ヘンゼルとグレーテルの話を思い出しながら、その点々の先を見ると

夫は道路の端にある浅い側溝に立ち尽くしていた。


「どしたん?」

一応たずねた。

アンドンの明かりに浮かび上がる夫は、浮気が見つかった時と同じ

当惑した表情でつぶやく。

「出た…」


何が?…私は問いたかった。

“幽霊”とでも言ってくれたら、どんなにいいだろう…

それがダメなら、おしっこでもいい…良くはないが妥協する…

しかし願いも空しく、幽霊やおしっこでない物が出たのは確か。

間に合わなかったらしい。


はなはだ気の毒な状況となった夫だが、これは自業自得である。

彼は毎日、夕方までの仕事を終えると、いつも友だち数人で集まり

6時までおしゃべりをして過ごすのが日課。

選挙戦が始まっても、この習慣を変えることは無かった。

仕事の無い初日の日曜日を除き、月曜日と火曜日は

仕事が終わると相変わらず友だちの所へ行って5時半まで過ごしていた。

それから選挙事務所に駆け込み、大急ぎで弁当を食べるやいなや

6時に選挙カーで出発するという慌ただしい行程を繰り返していたのだ。


選挙カーの運転は、本人が思う以上に負担の大きい仕事である。

こんなことでは心身に無理が来ると感じた私はその朝、夫に苦言を呈した。

「もう若くないんだから、余裕を持って行動した方がいい。

一週間ぐらい、友だちに会えなくてもいいではないか」

しかし頑固な夫が聞き入れるはずもなく、その日もギリギリになって選挙事務所に来た。


これをやると、事務所に居る几帳面な人は心配する。

手伝いの奥様がたも、ただでさえ慣れなくて段取りが悪いのに

急いで弁当やお茶を出さなければならなくなり、バタバタと慌てふためく。

私はそれを眺めるにつけ、いたたまれない気持ちになった。

早めに顔を出して周囲を安心させるのも、選挙カー搭乗員の使命である。

今だから言うが、夫と一緒に選挙活動をしたくなかった理由の一つは

いつもギリギリに滑り込み、結果オーライで乗り切る彼の性分だ。

たかが市議選とナメてかかる夫に、言うなれば天罰が下ったとしか思えない。


とはいえ、この天罰にはさすがに私もうろたえた。

崖っぷちどころか、もう落ちてしまった気分よ。

それでも道路に点々と落ちていたブツが水状でなく、かろうじて形を成していたことや

夫がしゃがみ込んだり倒れたりせず、側溝に立ち尽くす体力を保持していたこと

いっそ出るものが出て、わりあい元気そうなことに安堵を感じてもいた。

食中毒や感染症などの深刻な病状ではないと思われたからである。

明日からドライバーができないなんてことになったら、候補や陣営に申し訳ないではないか。


私は車にとって返し、候補とナミに事情を説明。

「すみません…ゲリラに襲われたみたいなので、少々お時間いただきます」

「大丈夫ですか?」

候補もナミも心配そうだ。

「もう手遅れなので、後始末が終わったら、すぐ稼働しますね」

「姐さん、そんなこと気にしないでください」

「ありがとうございます。

ただ、お二人には匂いを我慢していただくことになりますが…」

「僕は親父の介護で慣れてますから、何ともありません」

「私も全然、大丈夫です」


起きたことは仕方がないとして、問題は夫のズボンじゃ。

着替えなんて持ってないので、再び選挙カーに乗るとなると

座席を汚すのは決定事項。

夫は着ていたジャンパーと薄手のトレーナーを脱いで、半袖シャツ1枚になっていた。

ジャンパーとトレーナーが無事であれば、その2枚を座布団代わりに敷いて

運転させることができるが、ジャンパーの方は汚れた腰回りに巻こうとしたらしく

すでに“ブツ”まみれ。

トレーナーはティッシュ代わりに使用したらしく、側溝に落ちている。


どうしようもないので、私の使っている座布団を犠牲にしようと思った。

が、ただでさえ座高の高い夫が、これ以上高くなったら天井に頭がつかえるかも…

と思案していたら、ナミが言った。

「あの、私、ビニールの雨ガッパを持っているので、よかったら敷いてください。

すごくボロなので、そのまま捨てられますから」

晴れた日にカッパを持って来るのが、ナミ。

しかしそのお陰で、運転席のシートは守られた。


「皆さん、これは夢です。忘れましょう」

候補は前日の宙ぶらりんに引き続いて言った。

「はい、何も覚えていません」

私とナミは答え、夫はナミのカッパを腰に巻いて運転を再開した。


活動を中断して、早々と事務所に帰る選択肢は無い。

イレギュラーなことをしたら事務所で説明が必要になり、夫の不幸が公となる。

夫をこの場に残して息子を迎えに来させ、候補か私が選挙カーを運転するのもダメ。

選挙カーのドライバーは登録制なので、誰でもいいというわけにはいかない。

事務所から登録してあるドライバーを呼んで、交代するしかないのだ。

そうすれば、やっぱり夫に起きた問題が明るみに出てしまう。

候補はこれを回避するために、身体が大丈夫であれば続行を、と望んだ。


私もまた、すでに悲惨な状態のズボンが元に戻るわけじゃなし

夫には任務を遂行させる方が、彼の精神的ダメージを少なくできると思った。

そして夫もやると言うので、続けることになった。

選挙は候補にとっても、我々運動員にとっても命懸けの勝負。

腹を下したぐらいで、へこたれてはいられないのである。

《続く》
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崖っぷちウグイス日記・6

2022年11月28日 08時04分50秒 | 選挙うぐいす日記
宙ぶらりんの選挙カーで、私には即刻やらなければならないことがあった。

後部座席の右側で、窓枠にもたれたまま固まっているナミを窓から引き離し

私の座る左側…つまりタイヤが地面に残っている方へ寄らせること。

少しでもこっちへ移動させて、車体の安定を図るのだ。

ペーパードライバーのナミは自分の置かれた状況がわかってないため

全くあてにならないが、指示はよく聞くので助かる。


そのナミ、私より3才年下なのでじきに還暦だが、この4年間でずいぶん増量した。

年齢不詳の美魔女にも、代謝の低下による肥満が忍び寄った様子である。

ナミの増量が功を奏したのか、彼女が窓から離れて左側に寄ると車体のユラユラは止まった。


続いて私は天に祈る。

「どうかここに、他の選挙カーが来ませんように!」

この祈りは4年前、選挙カーが線路の高架にぶつかった時と同じだ。

あの時は近くの畑に居たおじさんが

外れたスピーカーとアンドンを戻す作業を手伝ってくれて事なきを得たが

よその選挙カーに目撃されなかったのは幸いだった。

笑い者になったり憐れまれたりして、候補に恥をかかせるわけにはいかないではないか。

生命の危機より、断然そっちが気になる…それがウグイスの性分である。


このような万事休すの事態が訪れても、候補は冷静だ。

常に平常心の普段と全く変わらない。

ユラユラがおさまると、彼は助手席からそっと車外に出て

高さ1・7メートルほどの崖下に降りて行った。

そして下から車体を見上げ、何げない日常会話と同じようにサラッと言う。

「左の後輪がわずかに残っているので、ここから支えてみます。

バックしたら、ひょっとして元に戻れるかもしれません」


ドライバーのヨッちゃんも助手席を伝って車を降り、崖下から車を見上げる。

「みりこんちゃん、下から二人で支えるけん、運転席に移動してバックしてみて」

「はい」

とは言ったものの、私が車から降りようとすると、またユラッと揺れる。

無理に降りれば、選挙カーはナミもろとも転落だ。


短い会議の結果、候補が下から車を支え

ヨッちゃんが再び運転席に戻ってバックすることになった。

私とナミは後部座席に残り、二人の体重で車を安定させる。

4人で一致団結、この難局を乗り切るのよ!

といっても体重係の私とナミは、座っているだけなんだけどね。


崖下から戻ったヨッちゃんが、助手席を乗り越えて運転席に移ろうとすると

車は重心が変化して再び揺れた。

これ以上揺れたら危ないので、私はヨッちゃんが移動するペースに合わせ

未だ呆然と固まっているナミを徐々に自分の方へ引っ張ってバランスを調節。

後部座席の真ん中にはマイクの起動スイッチが固定されて横たわっているため

思うように引き寄せられないが、力づくで引っ張る。

私にできる援護は、それしかなかった。


ヨッちゃんは無事に運転席へと辿り着き、バックギアを入れてアクセルを踏んだ。

ギュルルル!ガガガ!

派手な音を立てる選挙カー。

ここが、ひと気の無い場所だったのは救いである。


何度目かのトライで車はグラリと揺れ、元に戻った。

選挙カーに戻った候補は謝ろうとするヨッちゃんを制し、相変わらず日常会話のように言う。

「皆さん、これは夢です。忘れましょう」

「はい!何も覚えていません」

私とナミは返事をし、選挙カーは何事も無かったかのように再び走り出すのだった。


翌朝、ヨッちゃんはドライバーの当番ではなかったが

出発前にわざわざ事務所へ来た。

私とナミに改めて謝ろうとしたのだ。

「みりこんちゃん、ナミちゃん、怖い思いをさせてごめんなさい」

そう言って、ツルツルの頭を下げるヨッちゃん。

こういうことは秘密にしたいだろうに、他の人がいるのも気にせず謝るのは

彼らしいところである。


「ヨッちゃん、何を言うとるの。

4年前の高架を体験したうちらに、怖いものなんかありゃせんわいね」

私は言った。

「雷が10発ぐらい落ちたような音がしたけん

こりゃ死んだわ思うたけど、目ぇ開けたら生きとったわ。

それより、あの状態で車を元に戻したヨッちゃんはすごいよ。

奇跡を呼ぶ男じゃ」

ヨッちゃんは、ホッとしたように笑った。


そこへタイミング良く、誰かが聞きつけたニュースがもたらされる。

昨日、別の候補の選挙カーが、例の高架を通ろうしてスピーカーとアンドンをぶつけ

走行不能になったばかりか、電車が止まったという。

大いに湧く一同。

ほらね、よその陣営に不幸が起きると盛り上がるのよ。

だから、見られるのは嫌なの。


昼になって事務所へ戻ると、引退議員その2…通称古ギツネが来ていた。

「差し入れにコケモモ堂(仮名)のコケ饅頭(仮名)を持って来るつもりじゃったが

休みじゃった」

と皆の前でおっしゃる。

コケモモ堂は、古ギツネの家の近所にある和菓子屋だ。


翌日も、その翌日も、古ギツネは毎日選挙事務所を訪れた。

文字通り、“事務所に詰める”というやつよ。

そして毎日、我々の前でコケ饅頭のことを言っていたが

饅頭は最終日まで差し入れられることは無かった。

彼がうちの候補にくれるという票も、似たようなものだろう。


3日目、狭い道路で右折をする際、選挙カーのスピーカーが家の軒先に接触。

私は後部座席の左側で仕事中、ナミは右側でお手振りという名の休憩中だった。

「右上の確認は、ナミちゃんの仕事よ」

私は厳しく言う。

狭くて入り組んだ場所では、高い位置にあるスピーカーが軒先や看板に接触しないよう

上を確認して誘導するのもウグイスの大切な仕事だ。

その責務はしゃべっていても同じで、ましてや

しゃべってないナミが上の確認を怠るのは言語道断。


「あ、私ペーパーなので、見てもわからないんです〜」

「やかましい!当たりそうかどうかぐらい、わかろうよ!

チョコ食べる暇があったら上を見い!」

ナミの膝かけの上に散らばる無数の包み紙を指差して、どやしつける。

今回は私のセリフを盗むために録音やメモをしなくなったと思ったら

事務所でもらったお菓子ざんまい…これじゃあ太るはずだ。


「チョコ食べたら、元気が出ませんか?」

「話をそらすな!次やらかしたら、チョコ禁止!」

「え〜ん!」

「やめい!還暦の泣き真似は見苦しい!」

「は〜い」

ここまで言っても決して根に持たず、姐さん姐さんと慕ってくるのが

ナミの可愛らしいところである。


後で候補が私にこっそり言った。

「姐さん、ナミさんに注意してくれて、ありがとうございました。

上を確認しないのは前から気になっていたんですけど、今さら言いにくくて」

「誰よりも素晴らしい声と滑舌持ってる子なのに

車両の安全確認が抜けてるから、師匠のウグイスチームでは冷や飯なんだと思います。

チームに戻って活かせるように、今回は叩き込みます」

「ビシビシお願いします」

候補と私は、すっかりナミの保護者気分だ。



選挙中にヨッちゃんがたびたび買ってくれた、タコ焼き。

我々ウグイスのオヤツだが、店員さんの票固めという目的もある。

《続く》
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崖っぷちウグイス日記・5

2022年11月26日 10時00分34秒 | 選挙うぐいす日記
午後5時30分、夕食のために選挙事務所へ帰ったら

引退議員その2が来ていた。

朝の出陣式に来たのが古ダヌキなら、こっちは痩せた古ギツネ。

ただし立候補したのは、うちの候補より一期後なので

議員経験は候補より浅いまま、このたび引退する。

事務所ではふんぞり返っておられるが、さあ、どうだかね。




晩ごはんの弁当。

ここの弁当は、そりゃもう美味いんじゃ。

昼食と夕食は町の小さな食堂が、候補のために選挙の間だけ特別に作ってくれるんじゃ。

どれも最高の味付けで、おむすびの中に入っている梅干しまで香り高くて美味い。

お腹がいっぱいになると業務に差し支えるので、大半を残すことになってしまうのが残念だけど

実のところ、私はこの弁当に魅せられてウグイスをやっているのかもしれない。

高齢の店主が作ってくれなくなったら、ウグイスを辞める自信あり。



夜間の興行に備え、我が夫も事務所に来ていた。

亡くなった某国会議員の専属ドライバーという鳴り物入りで

なんか張り切ってるけど、大丈夫かしらん。


が、心配したほどでもなく、6時から8時までの2時間を無事に務めた。

43年連れ添っているけど、夫の運転する選挙カーに乗ったのは初めて。

普段の運転が荒っぽいので期待してなかったが、確かにうまかった。


キモは、ブレーキの使い方だ。

停車する時やスピードを緩める時は誰でも気を使ってくれるが

方向転換やバックの時は個人差が出る。

慣れない人は前進に神経を使っても、方向転換とバックは営業外という意識が定着しているので

車両のコントロールがおざなりになりやすいのである。


しかしその間もウグイスは仕事をしていて、しゃべりに集中している。

バックする際、エレベーターに乗った時みたいにフッと落ちるような感覚を味わうことがあり

道路に段差や傾斜があると、その感覚はより強まる。

愉快とは言えない感覚の積み重ねは消耗するもので、この繰り返しが疲労を生む。

夫の運転は、それが一度も無かった。


「私、いろんな選挙カーに乗ってきましたけど、パパさんみたいにうまい人は初めてです!」

本心だか、おじょうずだか知らないけどナミは大絶賛。

「これが本当の国政ドライバーです」

候補もなぜか得意げだ。


そして夫が一番心を砕いているのが、選挙カーの雰囲気を明るく保つことらしかった。

候補と仲がいいのもあり、冗談を言いっぱなしの笑いっぱなしで

候補もナミも大満足。

良かった…

二日後に起きる悲劇も知らず、私は心から安堵したものであった。



さて翌日、つまり2日目がやってきた。

この日、午前中のドライバーは昔、私とペアを組んでいたヨッちゃん。

私より一回り上の74才で、気心の知れた間柄だ。

酒好きがたたって十何年か前に脳梗塞を患ったものの、前回、前々回と

ドライバーで参加している。


しかし彼はこの4年の間に2回、やはり脳梗塞になったという。

「大丈夫かな?」

前夜、夫の運転技術への不安が杞憂に終わり

別件を案じる余裕ができた私は密かに思っていた。

初回の脳梗塞以来、彼は言葉がほんの少し不自由になったが

それは古い付き合いでなければ気づかない程度だった。

しかし今回、わずかながら進行したように感じたからだ。

選挙事務所の中にも心配する人がいて、出発前には交代案もささやかれた。


けれども我々遊説隊にとって、ヨッちゃんは大事な仲間だ。

気配りに優れ、車内の明るいムードを保つことにかけては彼の右に出る人はいない。

候補が一番リラックスできるドライバーも、彼である。

やる気になっている彼を交代させたら、どんなに傷つくことか。

何も知らないナミはさておき、候補と私は「何があっても我々がカバーしよう」と誓い合い

交代案を却下してヨッちゃんに生命を預けることに決めた。


選挙カーは走り出す。

ナミにしゃべらせて、近所を一回り。

「おはようございます、◯◯でございます。

選挙戦も二日目となりました。

ご近隣の皆様には、連日ご迷惑をおかけしております…」

彼女は、面倒臭い朝のご挨拶が得意だ。

しかも慌ただしい月曜日、爽やかに響き渡る彼女の声の方が断然ふさわしい…

ということにして、ナミに仕事をさせながら市街地に向かう。


が、交通量が多くなってくるにつれ、何だか危うい感触が…。

何年か前から、歩行者が横断歩道の前に立っている時

車は必ず停車し、歩行者を渡らせる決まりになった。

ヨッちゃんはこれが無理みたいで、渡ろうとする歩行者の前をすり抜けるため

助手席の候補が何度か注意した。

脳梗塞あるあるの一つだと思うが、罹患以降の新しい交通ルールがインプットされてないらしいのだ。


運転の方も、なにげに荒いような気がする。

さきほど話したエレベーターで落ちる感覚、多発。

バックの時だけでなく、ちょっとした下り坂や段差をノーブレーキで進むからだ。

こんな運転をする人じゃなかったよな…

まあ、交通事故さえ起きなければ、昼の交代まで何とか持ちこたえて…

と思いながら、やって来ました隣町。


その町外れには、新しくできた大きな道路がある。

初めて通る道を快適に進んでいると、分かれ道に出た。

あからさまな分かれ方ではなく、最初のうちは同じ方向へ進む形になっていて

じきに左側は上り坂、右側は下り坂の道へと分かれる形だ。


そこへ差し掛かった途端、選挙カーはガタンと大きく傾いた。

ヨッちゃん、上り坂と下り坂に分かれる部分の真ん中を走ったみたい。

車体は左側半分を上り坂に留め、右半分は下り坂の上の空中で宙ぶらりんになったわけよ。

これも脳梗塞あるあるなのか、初めて通行する新しい道路の把握ができにくかったようだ。

得票が崖っぷちの候補と、体力が崖っぷちのウグイス

そして病気で崖っぷちのドライバーは

文字通りの崖っぷちでユラユラと揺れる身の上となった。

《続く》
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崖っぷちウグイス日記・4

2022年11月24日 12時57分48秒 | 選挙うぐいす日記

『母ちゃんが働いている間、お留守番の愛犬パピ。

もう12才なので白髪が増えて、すっかり白い顔になりました』


さて、市役所の駐車場からスタートした選挙戦の話に戻ろう。

第一声を挙げた我々遊説隊は、そのまま街宣活動をしながら選挙事務所に直帰。

クジで引いた番号が遅かったため、9時に開始予定の出陣式に5分ほど遅れて到着した。


出陣式の司会は、私がやることになっている。

というより、相棒のナミが全力で辞退するのでやるしかない。


事務所に帰ったら、うちの候補を振り回した引退議員の一人が

急きょ来賓として訪れているではないか。

そいつらの中で一番タチの悪い、古ダヌキだ。

その古ダヌキが挨拶をしたいそうなので、式次第に加えることとなった。


司会には、このように突発的な変更が付いて回る。

4年前の出陣式では後援会長の後、副会長が挨拶する段取りになっていたが

その副会長を紹介したところ、本人が皆の前で

「副会長を引き受けた覚えは無い」と言い出し、雰囲気が張り詰めた。

一瞬ざわついたが、司会が戸惑って沈黙する時間は1秒も無い。

仕方なく、当時、相撲か何かで流行っていた

“差し戻し”という言葉を使ってお茶を濁した。

「それでは差し戻しまして、ご近所の皆様を代表して◯◯△△様に

激励のお言葉をいただきます」

ちょっと空気が緩んだのを感じ、ホッとしたものだ。


後援会の関係者、つまり候補の一味であれば

身内として呼び捨ての上、“ご挨拶させていただきます”と紹介する。

しかし急に一味でなくなり、候補側から遠くなった人物は、名前の後に様を付ける。

そして様付けの人物が発する言葉は挨拶ではなく、激励のお言葉になり

候補側は、彼のお言葉を受け取る立場に変化するのだ。


もちろんナミも同じ場所にいて、この予期せぬ事態に震え上がった。

メンタル弱めの彼女は、当時の出来事がトラウマになってしまったと主張。

このような突発的な変更が怖くて、司会は無理なんだそうな。

彼女の妹に連れられ、認知症だというお母さんもわざわざ来ていたので

ナミが司会するところを見せてやろうと思ったのだが

家族の前ではますます緊張すると言い、取りつく島も無いので不発に終わった。


ところで、当日になって急に来る引退議員、ホンマに信用できんのじゃ。

引退を決めたとはいえ彼の立場はまだ市議だが

選挙中は議会が無くて暇なんだから、本当に応援してくれているのであれば

遅くとも前日には、「出陣式に参加して、一言挨拶したい」

候補にそう申し出て、式次第の中に加えてもらうのが常識である。

予告も無く、出陣式の直前に来るということは

やっぱりこの人、他の候補にも票を分けてやると言ってチャラチャラしていたのだ。

しかし相手にされず、告示日の朝を迎えたって、どこの出陣式からもお呼びが無かった。

だから来たわけよ。

議員って多かれ少なかれ選民意識が強いから、ドタ出でも歓迎されると思ってんのよ。

バカにしてるわ。


まあ、そんな人というのはわかっているから、今さらどうこう言うつもりは無い。

「頼れる市議としてご活躍の誰それ様が

非常にお忙しい中、候補のためにわざわざ駆けつけてくださいました」

などと、お情けで持ち上げてやるわよ。


ちなみに今回の選挙の後援会長は、4年前の出陣式で副会長を否定した

近所の男性Aさん。

前任の後援会長が加齢で寝たきりになったため、60代後半の彼が引き受けた。

今までの会長はカタブツで冗談の通じない人だったので

紳士的な好人物である彼に交代したことを私は密かに歓迎した。

彼は後援会長兼、ドライバーの一人として活動に参加するそうである。


出陣式も無事に終わり、いよいよ選挙戦の開始だ。

「私が司会やったんだから、スタートはナミちゃんがやって」

え〜?私がですか〜?姐さん、お願いします〜…

と言うのを無視して、ナミにマイクを押しつける。

「せっかく家族が見守ってくれてるんだから、ちゃんと見せてあげないと」

口では言ったけど、今回はこの子にもしっかり仕事してもらわなければ

こっちの身が持たんじゃないか。

目標は、ハーフハーフの仕事量。


とはいえ今回のナミ、8年前や4年前とは違っているような気がする。

自分の所属するウグイスチームのリーダーを

師匠、師匠と神のごとく崇めたてまつることから、多少脱却したように感じるのだ。

原因はわかっている。

詳しくは言えないが、◯年前に起きた選挙にまつわる事件だ。

師匠以下、ナミを含むチームのメンバーは、そりゃもう大変な目に遭ったという。


以来、ナミの中で師匠という神は、かなり人間に近づいた様子。

師匠に提供するために私の声を録音したり、こっちにばかりしゃべらせて

自分はせっせと私のセリフをメモる…なんて失礼なことをしなくなっていた。

もっとも、彼女と仕事するのは3回目なので

私から盗むものは何も無いと踏んだのかもしれないが

師匠、師匠の連発は大幅に減少し、彼女も少しは自発的に仕事をするようになった。


午後、そんなナミにしゃべらせて郊外を流していたところ

対向車が急ブレーキをかけて停まり、運転していた中年の男が頭を出して大声で叫んだ。

「うるさいんじゃ!おまえ!」

こういうことをする人物は、お約束の古い車にサングラス。


3台後ろには、別の候補の選挙カーが連なって街宣していたため

そっちの方がずっとうるさいと思うが、すれ違ったナミの可憐なソプラノに刺激されたようだ。

8年前、暴漢が出て警察沙汰になった時もそうだが

高く、か細く、美しいナミの声は変質的な男のハートをくすぐるらしい。

男はサングラスでこちらを睨みつけると、急発進した。


ともあれ対向車線には後続車が連なっていたので、一歩間違えれば大惨事だ。

何ごとも無かったのでホッとすると同時に、恐怖で固まったナミからマイクを奪い取り

後始末に入る。

「力強いご声援、まことにありがとうございます!」

候補とドライバーはプッと笑い、車内の緊張は一気にほぐれる。

それから後続車には

「お騒がせ致しまして申し訳ございません。

これも期間限定と、ご理解くださいませ」

そして息継ぎの暇もなく、すれ違う別の候補の選挙カーにエール。

やれ忙しや忙しや。


候補がサングラス男の車のナンバーを覚えていたため

選挙妨害と危険運転として、一応は警察署に報告した。

ナンバーから、運転者のプロフィールが割れるはずだ。

実質的な被害が無かったので罪には問われないが

警察の記録には残るため、多分損だと思う。

《続く》
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崖っぷちウグイス日記・3

2022年11月23日 13時33分26秒 | 選挙うぐいす日記
この選挙で、私は初めてマスクを付けたまましゃべる。

なにしろトシだもんで、息苦しくならないか、ちょっと心配していた。

が、コロナが襲来して以降も、よそで何度か選挙活動をしたナミさんに言わせると

「どうってことないんですよ、意外と大丈夫です」

だそう。

そりゃ、あんたはね。

あんまりしゃべらないもん。


しかし始まってみると、本当にどうってことなかった。

声の方に影響は無く、マイクにツバや口紅が付くのを気にしなくていいので気楽。

何をしゃべくり倒してもマスクで顔が半分隠れているので、これまた気楽。

要は呼気や、外気との温度差でマスクの内側に湿気が溜まると

紙製のマスクが湿って空気を通しにくくなり、それが元で息苦しくなるわけだから

新しいマスクをたくさん持って行って、どんどん交換すればいいだけだった。

むしろマスクをしていると、うっかり外気をダイレクトに吸い込む恐れが無いので

ノーマスク時代より調子がいいときたもんだ。

何が幸いするか、わからんわね〜。


それはそうと他の陣営に、私が注目するウグイスさんがいらっしゃるのよ。

今回が三期目で、年配の候補の所。

そこのウグイスは、専門の派遣会社からプロを雇っているため

顔ぶれは毎回違うかもしれないけど、マジですごいと思っている。


なぜって…

「ワカタカカゲ・ヒサヒト」

この例文を声に出して、2回繰り返してみ。

どう?なかなか難しいでしょ。

テレビやラジオではアナウンサー泣かせの名前として上位ランキングに入りそうな

お二方のお名前を並べてみたわ。

問題の候補の名前とは違うけど、長くて言いづらいという面では同等の難易度。


ウグイスは、候補の名前を言うのが商売。

だけど、こんな名前の人のウグイスをやらされた日にゃあ、どれほど大変か。

私にオファーが来たら、名前を聞いただけでソッコー断るわよ。

一週間、このややこしい名前を言い続けるなんて地獄だもの。

その点で、よく引き受けたな…と感心してるわけ。


そこのウグイスさん、候補の名前をかなりのスローペースでしゃべっておりなさるわ。

噛むよりも、ゆっくりの方がマシだという究極の選択をなさったと思う。

名前に時間を取られるから、他のことをあんまり言わなくていいしね。

その差し引きで、体力維持をしていなさると察するわ。


休憩の時にそんなことを話してると、相棒のナミが

「私、キチサブロウさんていう人のウグイスをやったことがあるんですけど

みんな疲れてくると、気をつけていてもキチサブロウが

キッチャブローになっちゃうんです。

複雑なお名前の人は、困りますね」

と真面目な顔で言うので、皆で大笑いした。



さて今回の選挙、年寄りになって体力の衰えた私も崖っぷちだが

候補も別の意味で崖っぷちだ。

早い段階から落選しそうな人が決まっていたので、落ちることは無さそうだが

知名度の無さにより、ビリ争いは確定。

真面目に仕事に取り組む優しい子なんだけど、そういう人って目立たないものなのよ。

陣営の焦点は、何位で何票取れるかに定められており

せめて大きく票を落とした前回より、少しでも増やしたいのが目標だった。


が、告示のずい分前から、何となく怪しい空気が漂い始める。

今回の選挙に立候補せず、引退を決めた数人の現職が、彼に肩入れしているからだ。

候補はその人たちに連れられ、彼らの支持者を紹介してもらう日々を送っていた。


「引退する人が付いてくれたら、その人の票がもらえるから有利じゃないか」

たいていの人はそう思うだろう。

私だって、そう思いたいのは山々だ。

しかしそれは、付く人による。

引退する議員が現職の候補を連れて、自分の支持者の所へ行き

「今後はこの人をお願いします」と紹介する行為そのものはよくあることだが

正式な後継者に地盤を引き継がせるケースとは違い

求心力を失った引退議員の言うことを聞く支持者は、あんまりいない。

ビリ争いや落選を避けたくて引退する人は、あてにならないのだ。


それに引退議員が、ちゃんとした支持者を紹介しているかどうか、わかったものでは無い。

彼らは、自分の支持者を一人の候補に集中して捧げるようなお人好しではない。

複数の候補者に振り分け、もったいぶって紹介して

投票の結果、票が増えれば自分の手柄…

減れば候補の力不足と逃げるつもり満々であることは、これまでの仕事ぶりからわかる。


ひとたび議員としてチヤホヤされたら、そう簡単に忘れられるものではなく

ご意見番として、どこかで政治に関わっていたいのもあろうし

人によっては票の礼金を狙っている場合もある。

つまり引退議員は、自分の今後のために紹介作業を行っているのである。

うちの候補に付いてくれたのは、そういう類いの人たちであった。

何でわかるかって?

顔に出とるわ。

嘘をついて生きてきた人は、年を取ると嫌〜な顔になるものよ。


「断ればいいのに」

誰しも心では、そう思っていたと察する。

が、なにしろ候補はまだ若い。

選挙のたびにズルズルと票を落とし続けるより、わずかな可能性に期待したい思いもあろうし

親ぐらいの年の、しかも経験の長い先輩から「協力してやる」と言われ

「けっこうです」とは、とても言えまいよ。

ここが若手の辛い所である。


かくして候補は告示前の貴重な3ヶ月を、引退議員に振り回されて過ごしたのだった。

この行動が吉と出るか凶と出るか、投票日には一目瞭然になるんだから

私は何も言わない。

吉で当たり前…引退する議員たちが50票ずつでもくれたら、票は確実に伸びる。

しかし凶なら彼らは皆、大嘘つきだ。

凶と確信している私は、候補にとって良い勉強になると思っている。

「辞めるヤツを信用するな、特に向こうから近づいてくるヤツ!」

なんて千回言ったって、経験しないとわからないものだ。

《続く》
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崖っぷちウグイス日記・2

2022年11月21日 14時51分01秒 | 選挙うぐいす日記
告示日になった。

いよいよ7日間の選挙戦が始まる。

年のせいだろう、昔のようなワクワク感は全く無し。

年末の大掃除に取りかかる気分よ。


今回は、いつもと勝手が違う。

前回までは、午前8時にウグイスとドライバーが選挙カーで警察署の駐車場へ行き

そこで待機していた。

市役所内に設置された選管(選挙管理委員会)から警察署に駆けつけた世話人が

署で街宣許可の申請を行い、それが済んだら選挙カーが出発して第一声という手はずだ。

しかし今回から手続きが簡素化され、警察署での申請がいらなくなったため

市役所からのスタートになった。

警察署への申請手続きが省略された時期は、都道府県によって異なるそうだが

うちらの地域は今になったらしい。


さて、市役所の選管では各候補の世話人が集まって抽選を行い、それぞれの番号を決める。

どういうことかというと、町のあちこちに立てられた大きな掲示板に

立候補者の顔写真を写したポスターがズラリと貼られているのをご覧になったことがあると思う。

立候補者の誰が、何番の位置にポスターを貼るか。

それをクジ引きで決めるのだ。


引き当てる番号は、トップ当選を連想させる1番が、皆の密かな希望。

それから1番に次いで人目に触れやすい2番、3番などの若い番号や

ラッキーセブンの7番、末広がりの8番など、いかにもめでたそうな番号が好まれる。

が、好ましい番号は掲示板の上の方にあるので、ポスター貼りは難儀になる。

掲示板の設置場所や貼る人の身長によっては、脚立が必要になるからである。

クジを引くまで番号がわからないため、陣営ではポスターを貼りに出る車の数だけ

脚立を用意しておくのが常識だ。


一方、若くない番号であれば下の方になるので、貼るのは容易くなるものの

顔写真の目玉や鼻の穴に画鋲を刺されたり、いたずら描きをされる憂き目に遭いやすい。

いずれにしても難儀なことである。


抽選によって番号が決まると、選管から世話人に選挙の七つ道具が入った紙袋が渡される。

立候補者が胸に付ける白いリボン製の造花、街宣許可証

うちらウグイスやドライバーが腕に付ける腕章なんかだ。

これらをもらわないことには、選挙活動を開始することはできないのである。


七つ道具はクジ引きで当てた番号順に渡され、受け取った人から順に市役所の建物から出てくる。

世話人がなかなか出て来ない時は、遅い番号を引いたことがわかる。

うちの候補も遅い番号だったので、世話人は出て来ない。

ドライバーと我々ウグイスは世間話で盛り上がりつつ、40分ほど待った。


やがて出て来た世話人は、紙袋の中から腕章と街宣許可証を我々遊説隊に託し

他の中身を持って一目散に選挙事務所へ帰る。

七つ道具には、ポスターを貼る掲示板が設置された場所の地図も入っていて

ポスター貼りのメンバーが、この地図を待っているのだ。

彼らは地図とポスター、そして画鋲を抱えて事務所を飛び出し、車で市内に散って行く。

繁華街から辺ぴな山奥まで、市内各所に設置された掲示板にくまなく

そして一刻も早くポスターを貼るためである。


漏れが無いよう効率良くポスターを貼って行くため、事前には入念な打ち合わせがある。

それでも地図を頼りに合計で数十箇所の掲示板を探し

できるだけ早く、そして几帳面に貼り進めるのは、慣れていないと難しい。

選挙戦にはウグイスやドライバーが必要だが、それらはお金さえ出せばどこからでも集まる。

けれどもこのポスター貼りの人材だけは、そうはいかない。

地元の津々浦々を知り尽くしていなければ、短時間でやりおおせるものではないからだ。


ポスターを順調に貼れる人材を何名確保できるか。

このことが、そのまま立候補者の力量を表すと言っても過言ではない。

告示日の午後になってもポスターが貼られてない候補が落選することが多いのは

ポスターが人目に触れる時間が短くなって、顔を売る機会が減るという物理的な現象に加え

複数の熟練者を集められない候補者というイメージが短時間で定着し

引いてはそれが不信感に繋がるからである。


さて、世話人から腕章と街宣許可証を託された我々遊説隊は

選挙カーの上に乗っかったアンドンと呼ばれる物体…

候補者の名前が書いてあり、夜になると点灯する部分…

にかけてある幕を取り外す。

七つ道具を受け取るまでは候補者の名前を開示できない決まりがあるので

名前の書かれた前後左右に幕をかけてあるのだ。


アンドンは高い位置にあるので、身長が必要になる。

小柄な相棒、ナミには届かないが、私は余裕。

ドライバーの身長も170センチ以上あるので、二人でせっせと外した。

こういう時、タッパがあると便利。



さらに身長を伸ばすべく?同級生マミちゃんの洋品店で買ったスニーカーを履いてるもんね。

カカトがちょっと高くなっているから、これで170センチは超えるぞ。


ちなみにこのスニーカー、近年の私が愛用しているアジーレというメーカーの物。

10月、この選挙戦のために新しい靴を買うべく

マミちゃん、モンちゃんと3人で女子会をしている時に、注文用のカタログを広げて見ていた。

そしたら近くの席に居た若い男の子が覗き込み、「これがいいと思う」と言うので即決した。

もちろん、全然知らない子。

しかも酔っているが、これも酒席の一興よ。


幕を外したら、さあ出発よ。

マイク、スイッチオン。

「△△町の皆様、おはようございます。

こちらは◯◯、◯◯でございます。

ただいま立候補の届け出を済ませまして、いち早く皆様の元へとご挨拶に上がりました。

これから7日間、どうぞよろしくお願い申し上げます」

4年ぶりに聞く自分の第一声、なかなか調子がええでねぇの。

《続く》
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崖っぷちウグイス日記・1

2022年11月17日 13時59分51秒 | 選挙うぐいす日記
「次の選挙には、もういないだろう」

4年前にはタカをくくっていた。

うちの姑、ヨシコのことだ。

ワガママで手のかかる彼女をどうするか…

私のウグイス稼業で最大の難問が、これ。

そうよ、来たのよ。

4年に一度しかやらないウグイスの日が。


しかし、期待もむなしくヨシコは今回も健在。

いや、むしろ4年前よりピンピンしている。

飼い犬に額を噛まれ、通院している以外は元気そのものだ。

こうなると、お年寄りが元気なのは何よりだと考えを改め

選挙期間中も健やかに過ごしてほしいと願う、いい加減な私よ。


そのヨシコ、元気なことは元気だが、知力と体力は確実に衰えている。

86才では仕方がない。

私も前回の選挙では50代だったが、今回は62才。

選挙期間中、家族のために料理を作る自信はもう無い。

朝の味噌汁ぐらいなら作れるが、ちゃんとした料理は無理だと全身が叫んでいる。

体力的に崖っぷちなのだ。

そのため、選挙中に家族の食事を作って出かける習慣を見直すことにした。


おでん、カレー、シチュー、ハヤシライスは

留守をするにあたり、これまで私が頼りにしてきた“煮込み四天王”である。

これらと複数の常備菜、あとはサラダやナムルでやり過ごすのが私の常套手段だった。

が、いつしかこの四天王は戦力外通告。

忘れっぽくなったヨシコが温めようとして焦がすのに加え

彼女のワガママは一段と進行して、やっつけ仕事の煮込み料理を食べなくなったからだ。

さらに四天王の入った鍋は、大きくて重い。

ヨシコは、その鍋を動かしたり洗うのを嫌がるようになっていた。


しかし、手はまだある。

夫だ。

料理をしないヨシコのために、日々テイクアウトの店屋物や惣菜を買い与えてもらう。

彼は母親の好みをよく心得ているのだ。

四天王がダメなら夫に頼るしかない。


が、選挙が近づくと、夫もあてにできなくなった。

なぜってこの人、夜の6時から活動が終わる8時まで

選挙カーのドライバーをすることになっちゃった。

ガ〜ン!


うちの候補は、近隣の老人有志をドライバーに使う。

選挙カーのドライバーは負担が大きいので、あらかじめ8人ほど用意し

午前、午後、夜と3人ずつ交代させていくシステムだ。

しかし夜は時間こそ2時間と短いものの、暗いのでドライバーの負担が大きいのと

皆さん、仕事が終わったら晩酌がしたいらしく人気が無い。

そのため下戸であり、若かりし頃は衆議院選で

今は亡き国会議員の専属ドライバーをしていた夫に白羽の矢が当たり

彼が毎晩やることになったのである。


本当はすごく嫌。

夫は近年とみに目が劣えている。

大丈夫なんだろうか。

「選挙カー、崖下へ転落。車内の4名死亡」

新聞の見出しが目に浮かぶ。

しかも女房はウグイス、亭主はドライバー…

夫婦でガン首揃えて選挙カーに乗るなんて

他人がやったら「バカじゃないの?」とあざ笑っているところだ。


が、すでに夫は引き受けているので諦めるしかない。

今さらゴチャゴチャ言って、盛り上がっている雰囲気に水を差すのは

選挙戦に関わる者として絶対にやってはならないことだ。

唯一の救いは、夜ということ。

暗いので、ドライバーの顔はあんまり見えないからである。


夫が運転する選挙カーに乗るのも嫌だが、ヨシコの食事に夫を頼れないとなると万事休す。

ここで名乗りを上げたのが、長男であった。

「僕がばあちゃんを引き受ける」


長男は料理をするのが苦にならないタイプだが、一週間は持ちこたえられない。

そこで毎晩、外食に連れて行ってもらうことにした。

犬にかじられたヨシコの額には大きな絆創膏が貼ってあり

外へ出るのを嫌がるかと思っていたが、孫と一緒ならやぶさかでない様子。

一時は化膿して重篤になりかけた傷も徐々に回復し

そろそろ人に会って悲劇の一部始終を話したくなってきたヨシコは

この提案を喜んだのでホッとした次第である。


ここまで気を使う必要があるのか?

義理親と暮らしたことの無い人は、思うかもしれない。

しかし老人とは、周りに気を使わせてナンボの生き物だ。

機嫌を損ねたり疑問を抱かせたら最後、こっちが何をしていようと関係無いのは何度も経験している。

選挙中だろうと仕事中だろうと手術中だろうと、何をしでかすかわからない。

それで一番困るのは、候補や陣営に迷惑をかける懸念だ。


これは決して意地悪ではなく、小さい子供が所構わず泣き叫ぶのと同じく理性の問題。

相手が血を分けた我が子であれば、恥をかかせたくないので自制が働くが

他人である嫁なら、お構い無しのやりたい放題だ。

その点、今回は彼女の息子、つまり我が夫が参加しているため

多少はおとなしいのではないかと踏んでいる。



さて、日程が近づくと、ウグイスの相棒ナミさんと顔合わせだ。

その時、資生堂マキアージュのリップクリームをプレゼントした。

事前に送ってくれた煎餅のお返しだ。



もち吉の煎餅が3千円ぐらいだろうから、2千円ちょっとのリップクリームが妥当かと思った。

ナミさん、普段は百均のを使っているそうで、ものすごく喜んでくれた。

このリップクリームは同級生マミちゃんの店で用意したもので、私もずっと愛用している。

マスク時代、唇の管理は大事だ。

プレゼントだと言ったら、マミちゃんが気を利かせて可愛い袋に入れてくれていた。


さあ、いよいよ選挙が始まる。

さてさて、どうなりますことやら。

《続く》
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