殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

お葬式・ギャンブラーの巻

2015年02月28日 08時35分24秒 | みりこんぐらし
2月19日の未明、義父アツシが死んだ。

前の晩まで普通に話ができたが

翌朝の6時過ぎに、病院より急変の知らせがあった。

急変と言いながら、それほど慌てた様子でないことから

彼がもうこの世にいないのはわかった。

誰も知らないうちに、眠ったまま逝ったらしい。


これで助かったのは、前回の記事で登場した松木工場長。

労働基準法違反の罪により、営業停止の期間中は労基主催の講習に参加したが

講習が終わった翌日、アツシが死んだ。

本社から通夜葬儀を手伝うように命令され

経理部長のダイちゃんと共に、会社関係の受付係に就任。

この偶然によって、査察のことはうやむやになる幸運に恵まれたのだった。


ここで彼の身に、再びの偶然が起きる。

通夜葬儀の受付は会社と一般に分かれ

一般の受付は近所の人達がやってくれた。

一般受付係の一人として松木氏の隣に立ったのは

うちの4軒隣に住む奥さんのAさん。

我々の暮らすシルバーだらけのデンジャラ・ストリートでは

我ら夫婦の次に若手である。


奇遇にも、彼女と松木氏は幼馴染みであった。

何十年ぶりかの再会で、大いに盛り上がる2人。

通夜でも葬儀でも旧交を温め合い、Aさんは近所の人達から

「男とばっかり話していた」

と陰口をたたかれる身の上となる。


ともあれアツシは精一杯生きて、我々家族も精一杯世話をした。

今だから言うが、少なくとも夫と私は命がけだった。

後悔みじんも無く、感謝と清々しさが残る。


死後の段取りについては、以前から夫と

そして時に義母ヨシコを交えて話し合ってきた。

この年末年始にかけて、病院はインフルエンザが大流行し

10日ほど全館面会謝絶になって以来、アツシがめっきり弱ったため

以後、計画はより現実的なものになる。

我が家のイベント係を自負する私は

1月半ばからシミュレーションに余念が無かった。


今回は友引が絡んだため、通夜は死亡した日の翌日となった。

1日余計にあると疲れて大変というが

準備期間が長いのは、イベント係としてはありがたい。


事前の計画通り、アツシ死亡の連絡を受けたら

夫とヨシコを病院に向かわせて、私は家に残った。

実の親や夫であれば、駆けつけないわけにいかないだろうが

その場合は誰かあてになる人間が先に帰った方がいい。

よって病院へ向かう車は、最初から分乗する。

この初動によって、通夜葬儀の命運が決まるといってもいい。


家に残った者、または早く帰った者は

遺体を安置する部屋のセッティングを行う。

合間で遺体の搬入経路となる玄関や廊下の整備をしながら

弔問客に備えて茶器や茶菓子、座布団などを準備する。


遺体の枕元に供える白いご飯を炊くついでに

家族や駆けつけた親戚に食べさせる食事も準備する。

比較的食べやすい汁物やおにぎりなど簡単なものだ。

一番悲しい人達は、コンビニ弁当や出前をパクパク食べられないからだ。


特にヨシコは糖尿病。

空腹や、不規則な食事で投薬のタイミングを逃し

低血糖を起こしたら、ただでさえ忙しいのにますます忙しくなる。

代打のいないこの人達の体力維持に務めるのは、大切な作業である。


遺体がエンゼルケアを終えて家へ戻るまでに

これらを済ませておかなければ、その後の段取りに支障が出やすい。

後手後手の慌しさは自分も人も苛立たせ、疲れさせるからだ。

しなくてもいい喧嘩になったり、文句が出て嫌な思いをする原因は

たいてい初動のまずさにある。


今回、食事については大変な幸運に恵まれた。

アツシ死亡の夕方にヨシコの友達

一人っ子なのに「末子さん」から

通夜の朝は私の友達、お馴染みのヤエさんから

それぞれ重箱に入った大量のおにぎりとおかずが届いたのだ。

アツシが死んだのより、こっちで泣けた。

こういうことがサラリとできる人になろうと心に誓った。


家と食べ物をクリアしたら、数との戦いが待っている。

会葬御礼の数、夜食の数、精進料理の数、精進落としの数

初七日の法要で渡す茶の子の数…。

足りないのは一生言われるから絶対にダメ。

少し余るラインを目指す。

葬儀社もアドバイスしてはくれるが

とにかくこっちが数を出さなければ何も進まない。

私はギャンブルはしないけど、博打を打ち続けている気分だ。


しかし一番のギャンブルは、夫を喪主にしたことであった。

長男なので当然だろうが、喪主といえば挨拶がある。

ボキャブラリーが少なく、緊張するとドモる夫をどうするかだ。

彼の得意な挨拶といったら「妻と別れるから結婚しよう」

ぐらいしか無いじゃないか。


ヨシコは私に「原稿を作ってやって!」と真剣に頼んだ。

葬儀社に作ってもらう手は通用しない。

夫は漢字が苦手だ。

他人の常識で書かれた文章には漢字が多いので、使い物にならない。


が、原稿制にも問題がある。

私の作った平仮名大文字の原稿を読ませると、小学生の本読みになる。

たどたどしいを超越して、怪しくも痛々しい。

家族のみならず、夫の能力を知る親戚一同も

この挨拶だけは早くから心配した。


司会者との打ち合わせで、いよいよ喪主の挨拶に触れる時が来た。

ここで夫、意外にも「原稿はいりません、自分の言葉で言います」

と宣言した。

息を飲む一同。

だが彼が決心したからには、やらせるしかない。

私は今、ギャンブラーなのだ。


結果、このギャンブルには勝った。

奇跡が起きたのだ。

夫が方言丸出しで、とつとつと語る父親の思い出は

通夜でも葬儀でも多くの涙を誘った。

イベント係としては、満足のいく結果であった。


〈続く〉
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松木氏の災難・3

2015年02月24日 13時31分44秒 | みりこんぐらし
夫の報告によると、我が社に起きた事件が終わろうとした頃

松木氏の携帯が鳴ったそうだ。

電話に出た彼は、青くなって飛んで帰ったという。


生来の色黒と腹黒から、本社の人々に

「ゴキブリ」という隠語で呼ばれている松木氏。

その顔色が本当に青く見えたかどうか、わかったもんじゃないけど

ともあれその連絡は、突然松木氏の工場に

労働基準監督暑の査察が入ったという内容であった。


会社の大小にかかわらず、どこでもそうだと思うが

労基の査察は、事故や倒産、国税局の査察と共に

絶対体験したくないランキングの上位。

中でも予防さえしていれば確実に回避でき

運や不可抗力の言い訳がきかない労基の査察は

事業主にとって管理能力を否定されたのと同じなので

とてもカッコ悪いことなのだ。


労基の査察が入るからには、労働者を守るために調べざるを得ない

もっともな理由があるということで

そのもっともな理由というのは

元社員の告発ととらえるのがもっとも自然であろう。

1年前の工場買収と同時に10人ほどの社員が

現地で募集されて入社したが、その半数は数ヶ月で辞めていた。

その原因が上司の松木氏だったと想像するのは容易だ。


同じ日に2回、前代未聞の赤恥をかいた本社は怒り心頭。

労基の査察…それはブラック企業の仲間入りと言っても過言ではない。

常々聞いているが、創業90年の本社は

こういうことに細心の注意を払ってきた。

頑張りを見せて売り上げを追う時代は終わった…

本社が望むのは、無理や無茶の上に成立する忠誠心ではなく安全だ…

我々も再三言われていた。

それが一瞬でパー。

こんなブラック男をいつまでも雇っているからだ。


日本の労働基準を満たしてなかった松木氏の工場は

過剰な残業と危険箇所放置の罪で

改善命令と3日間の営業停止処分が下された。

働かなくても労働基準法にしっかり守られている松木氏だが

今度はこの労働基準法が彼を攻撃したというところ。


翌日、本社に呼び出されてこってり油をしぼられた松木氏。

心労で体調を崩したということで、翌日から休んだ。

万事休すの事態になると、病欠という逃げ方もあるらしい。


そのまま週末まで休んだが、週明けから営業停止が始まるので

責任者として必ず本社の朝礼に出て謝罪するようにと厳命が下った。

「まだ体調が良くないんで、しばらく休ませてください」

「このまま永遠に休むか、謝罪に来るか、今決めて」

言ったのは経理部長のダイちゃん。

このやりとりは、松木氏本人から聞いた。

体調不良で起き上がれないと言いながら、会社に来ていたからだ。

この時ばかりは、夫に話を聞いてもらいたかったのだと思う。


「あいつは鬼だ」

シブシブ謝罪の方を選んだ松木氏は、そう吐き捨てた。

しかしダイちゃんの信仰する怪しげな宗教を知る我々は

ニヤニヤしながらささやき合った。

「バックは観音様と聞いてます…」


松木氏は営業停止の3日間、責任者として講習を受けるという。

夫と子供達は「これでクビになるかも」と喜んでいたが

私の予想は逆である。


工場は元々経営不振だから安く買い叩けた。

沿岸部の要所要所を系列会社で固めるために

はずせない拠点の一つだったからで

本社はここを立て直してどうにかしたい野心を持っていない。

中途半端な規模に壊れた設備、車や重機も骨董品。

前の社長があちこちに不義理を重ねていたため、取引先もほとんど無い。

それを松木氏が張り切って、さらに減らした。


そして今度はブラック企業の登竜門である労基の査察だ。

工事長の肩書きに釣られて

こんなミソ付きいわく付きの工場へ行きたがる者は

松木氏ぐらいのものだ。

しかも遠いとくりゃあ、彼以外に適任者は見当たらないではないか。

彼は彼で、誰も代わることのできない

オンリーワンの任務を果たしているのだ。


切り替えの早いプラス思考の彼だから

すぐに何事も無かったかのような顔をして

工事長の身分を振りかざすだろう。

彼にとって、全てはこれからなのだ。

ただし、定年は来年である。


〈完〉
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松木氏の災難・2

2015年02月20日 06時46分08秒 | みりこんぐらし
その日は我が社にとっても、そこそこ特別な日であった。

A社に納品する初日だ。


古い付き合いのA社、日頃は静かだが

年に何回か、発作のように爆発的な発注が起き

2日から3日で納品すると数百万の売り上げになる。

昔は毎日が爆発的だったために我が社も潤っていたわけだが

今はたまの発作に変わって当時の名残りをとどめている。


この発作は前もって知らされるので

我が社は在庫と人員において万全の準備を整え

納入日に備えるのが習わしである。

この日がそうであった。


しかし松木氏が楽で簡単で重要な仕事を忘れたことによって

我が社の商品は入荷が遅れ、A社からの受注をこなせなくなった。

つまり在庫切れを起こしたのである。


見積りと工期に基いて仕事をする建設業界には

「無くなったからよそで買って」「お取り寄せに数日かかります」

というセリフは無い。

よそで買おうにも、事前に成分分析表を提出した会社の商品でなければ

使用できない決まりがあり

待たせることは工期を遅らせることで、相手に多大な損害を与える。

ゴメンじゃすまない世界なので

受注したら何がなんでも間に合わせるのが業界の掟である。


夫は様々なアクシデントによって起こる在庫切れのトラブルを

過去に何度も経験していた。

この道何十年のベテランとはいえ、半分近くは

よそのおネエちゃんとどっか行っていたけど

それでも本社や松木氏よりは経験が豊富だ。


仕入先の夜逃げや倒産で品切れしたこともあったし

品物を運んで来る船が途中で沈んだこともあった。

義父アツシの会社が末期症状の頃は

支払いを懸念されて仕入れを断わられることもあった。

そんなのに比べたら、物忘れなんざかわいいもんじゃ。

対処の目星がついている夫が慌てることはなかった。


しかし、なまじ本社雇いの松木氏が担当していたのがアダとなり

クレームは我が社の頭上を通り越して本社へ直行してしまった。

金持ちには金持ちの苦しみがあるようで

金はあるのに物が用意できない…つまり体面を整えられない恥は

金も無いけど物も無い、我ら貧民の想像を絶するらしい。


「凡ミスで顔を潰した!」

激怒した本社は、この問題の処理を夫に一任した。

「金はいくらかかってもかまわん!とにかくこのピンチを脱出してくれ!」


この言い草が勝手なのはわかっている。

松木氏の本性を見抜けなかったのが甘い。

しかしそんなことをブツブツ言うには、我々は辛酸を舐め過ぎた。

やらねばならぬことは、黙ってやるのみ。

できるから、やる。


夫、張り切る。

父の我慢を見てきた子供も張り切る。

出社したところで役に立たない私は家でゆっくりする。


品切れの解決策はいくつかあるが

今回は事態が深刻であることと、本社の金銭協力が得られることを考慮して

オーソドックスな方法を取ることになった。

向こうが来られないなら、取りに行くのだ。

できるだけ多くの車両をチャーターして

片道1時間の場所にある仕入れ先へ行かせ、ピストン輸送で商品を運ぶ。

自車はもとより、近隣の車両も集められた。


仕入先は島にある。

島にかかる橋の通行料は、ETCが使えず現金オンリー。

連なった大型車両が通行料を払いながら

何回もこの橋を往復するとなると、ちょっとした現金が必要になる。

夫がポケットマネーで買わせた回数券が午後になって終わり

タイムリミットまでにあと1万円足りなくなった。


夫が家まで取りに帰ろうとした時、現れたのが松木氏。

本格稼働を翌日に控えて忙しい身であったが

心配になって会社を訪れた彼は、足りない1万円を自分の財布から出した。

ケチな松木氏には珍しい。

彼の置かれた状況は、我々が考える以上に緊迫していたといえよう。


夫から連絡を受けた経理係の私は、松木氏に電話した。

「お世話になりました。

お借りした1万円は小口現金からお返しします」


ここで彼は意外な反応を見せる。

「何のこと?」

「橋の通行料が足りなくなって、立て替えてくださったんでしょ?」

「橋~?知らん、知らん、何のことかさっぱりわからん。

何か勘違いしてない?」

記憶喪失や認知症を疑わせる見事なトボけようは

まさにオスカーものであった。


この直後、松木氏は夫に文句を言ったという。

「会社のことを家の者に話すのはやめようぜ!」

同じ会社で働くようになって2年半

いまだ彼は私を部外者と思い込んでいる。

その部外者に、自分のミスを知られたのが嫌なのだ。

ただし1万円は返して欲しいということであった。

認知症ではなかったらしい。


仕事は忘れても、ミスの処理に奔走するうちの子供達に

負け惜しみは忘れない。

「これだけ忙しいと、たまには働いた気分になるだろ!」

こんなことばっかり言うから人に嫌われるのだ。


思えば松木氏を憎み嫌う子供達をなだめ続けるのも、私の任務だった。

「登れるだけ登らせとけ。

落ちた時のダメージは大きい方が面白いぞ」

楽で簡単、そして重要な仕事だと自分では思っている。


夕方が近づき、激動の1日が終わろうとしていた。

その時刻、遠く離れた松木氏の工場に

もっと大変な事件が起きていようとは、誰も想像していなかった。

忘却による在庫切れは、前座に過ぎなかったのである。


〈続く〉
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松木氏の災難・1

2015年02月17日 10時08分22秒 | みりこんぐらし
3年前に本社が雇い入れ、合併したばかりの我が社に

営業課長として差し向けた男…

それが松木氏。


営業が苦手だったことが発覚し

昨年、新たに買収した生コン会社の工場長に抜擢された男…

それが松木氏。


通常の感覚であれば、これは昇進だ。

が、社員にやたらと「長」を与えて名刺にハクを付け

対外的に動きやすくするのが本社の方針である。

「責任者を出せ」ということになった場合

目の前にいるのが責任者なので、効率がいいからだ。


松木氏もそれである。

そもそも我が社に営業課は存在しない。

しかし彼は営業課長の肩書きを持ち前のプラス思考で解釈し

我々を見下して威張っていた。


加えて本社には、社員の自主性を大切にする企業理念がある。

あれもできます、これもやれます、と

ズバ抜けた自主性を見せる松木氏は、一応理念に添っている。

それが本社の基準を大幅に下回るものであっても

やる気を見せているからには無体なことはできない。


さらに労働基準法が松木氏を守る。

ひとたび雇い入れた正社員を「口ほどでもなかった」と

簡単に切るわけにいかないのだ。


そこで工場長の肩書きを与え、買収した工場へ行かせる。

遠くて誰も行きたがらないからだ。

長い間放置されていたその場所は、工場というより廃墟で

稼働より先に大がかりな整地と修理が必要だからだ。

本社と工場の中間地点に居住する、嫌われ者の松木氏こそ適任である。



遠くへ飛ばされたとはいえ、松木氏は週に一度のペースで我が社を訪れる。

使い走りを兼ねた昼寝が主な目的。

それともうひとつ…

彼が我が社の、ある業務を握ったままだからだ。

話すと長くなるので省くが、月に数回発生する

入荷に関連した手続きのようなものと思ってもらいたい。


彼は着任早々、夫が長年やっていたこの仕事に目をつける。

入社してすぐ営業職に嫌気がさし

夫を排除して自分が入れ替わる野望に切り替えた彼にとって

この仕事はぜひとも抑えておく必要があった。


電話と印鑑さえあればできる、楽で簡単な

それでいてこの業種には重要な仕事。

目のつけどころだけはいいのが、松木氏の長所である。


彼は本社に夫の無能を訴え、この仕事を自分がやりたいと主張した。

まだ我が社の業務内容に詳しくなかった本社は、新人松木氏の意欲を尊重し

その仕事を夫から彼へ移行させることを許可した。

大げさに会議にかけ、許可を得て奪った仕事なので

我が社の担当をはずされた今も、返すに返せないままである。


当時、表には出さないがプライドはズタズタであろう夫を見て

腐っても本社雇いの松木氏と、吸収合併でもらいっ子となった夫は

実子と継子、娘と嫁みたいだと、我が身に重ねる私だった。


このように夫は、何につけ彼からいいように利用されてきた。

良いことは自分の手柄、悪いことは夫のせい。

松木氏はこういう立ち回りが実にうまい。

才能と言っていい。


賢い者にナメられるのは仕方なくても

同類にナメられるのは、能天気な夫もこたえていた。

陥れられては、言うに言われぬ悔しさに苦しみ

涙を浮かべることもあった。


私はそのたびに慰めた。

「必ず報われる時が来るから、その日まで我慢するのよ」

夫のつらい気持ちは手に取るようにわかる。

松木氏の行いは、夫が長年私にしてきたのと同じ行いであり

夫が味わっているこの悔しさは、夫が長年私に味わわせた感情である。

そこに一種の感慨があった。


この松木氏が昨年末から急に、夫に対して紳士的態度を取るようになった。

バカにしきっていた夫を名字でなく肩書きで呼ぶようになり

仕事の相談をしたり、歓談するようになったのだ。


夫はこの現象を歓迎したが、私はいぶかしんだ。

生まれついての卑怯者は、天災を察知して逃げるネズミのように

危険回避の勘が鋭いものだ。

改心したと勘違いして普通に付き合い

連帯責任や責任転嫁の対象になったら面倒なので

気を引き締める私だった。



暦は2月に入った。

松木氏の工場は1年がかりの整地と修理を終え

本格稼働を開始する運びとなった。

いよいよ名実共に松木工場長の誕生である。


そのめでたい前日の早朝、事件は起こった。

松木氏は本格稼働の準備に忙殺され

夫から奪った「楽、簡単、重要」の仕事を

すっかり忘れていたのだった。


〈続く〉
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銭の戦争

2015年02月06日 11時09分39秒 | みりこんぐらし
俳優、草𦿶剛さん。

大好き。

最初に見たのはずいぶん前…刑事ものの犯人役。

スマップの草𦿶クンじゃなく、完全に役者だった。

あれ以来、マークしてるの。


自閉症の男の子の役に泣かされた。

潰れた町工場の息子から、IT社長に成り上がるドラマも良かった。

任侠ヘルパー…荒唐無稽の筋書きながら

利害によってクラリと顔つきの変わるさまは

その筋の人を如実に表現しており

タイトルの語呂の良さを裏切らない圧巻の演技だった。


この1月から、また彼のドラマが始まったので嬉しい。

「銭の戦争」だ。

元は韓国の漫画らしいけど、タイトルがダイレクトでいいじゃないか。


多くの人は、どこかで起きているかもしれない

気の毒な話として見るんだろう。

でも3年前、銭の戦争に巻き込まれた一員としては

内容が身につまされる。

ドラマの方は、銭の仇を銭で取る「銭の戦争」だけど

頭脳も気迫も無いこっちは防御一本

「銭との戦争」だったわい。



「どうして返せそうにないお金を借りるんだろう。

バカじゃないのか」

多くの人がそう思うように、私も以前はそう思っていた。

だが、ひとたび負のスパイラルに巻き込まれたら脱出が難しいと

義父アツシの会社の後始末でよくわかった。


商売をしていれば波があるし、設備投資が必要になる。

そこで金融機関から資金を借り入れるのは

多くの経営者が行う日常の光景といえよう。

厳しい時期を乗り越えたり、何かを買ったりするポピュラーな借金だ。


この返済が滞ると問題が起きるのは、誰でも知っている。

「儲からないばかりか、返済に追われるくらいなら

さっさと辞めればいいではないか」

誰でもそう思う。


しかし辞めるには、まとまったお金がいる。

退職金や借金、各方面への支払いを済ませないと辞められないからだ。

月々の返済がままならないのに、そんな大金を出せるわけがない。

辞められる幸せというのも、世の中にはあるのだ。


加えて我が社のように約束手形で商売をしている会社には

二番底が待っている。

顧客だけでなく、銀行にそっぽを向かれたら終わりだ。


取引先からの支払いを手形で受け取った場合

金融機関で現金に換えてもらわなければ、それは永遠に紙きれのまま。

換金する際、手形の額面に見合った手数料を支払う。

この手数料は、金融機関の収入源の一つである。


借り入れが多額になったり返済が遅れたりすると、銀行が言う。

「あらかじめ手形の何割かの現金を

保証金として入れてもらわないと、もう割ってあげられません」


ただでさえ苦しいのに、手形を換金できないともっと困る。

そこで経営者は金策に走り回る。

すでに経営者は、銀行にとって顧客ではない。

何とか微笑んでもらおうと奔走するモテない男と、気まぐれ美女の関係だ。


銀行が要求する保証金の割合は、一割、二割、三割とだんだん増えていく。

額面が多いから手形を使うわけで

当然ながら、用意する現金は千円や1万円ではすまない。

手形には期日があり、その日を過ぎるとパーになってしまうため

経営者は金策に忙しくて、商売どころではない。

手形を現金化するために、新たな借金を重ねてしまう。


ジェットコースターのような日々を繰り返していると

冷静な判断ができなくなる。

ここでヤミ金に手を出してしまうことだって、充分あり得る話だ。


手形の換金に翻弄させられながらも

給料日や支払日は、毎月容赦なくやって来る。

ま、地獄だ。

そんな時に気まぐれ美女…つまり銀行が突然微笑む。

「大変そうだから、お金を貸してあげましょう。

地域振興が当行のモットーです」


ただしこの時点から、貸付利息は跳ね上がる。

今まで借りている分にも、次々と新たな担保を要求される。

担保らしい担保が無くなるまで、これが繰り返される。

美女はすでに回収作業に入っており、より大きな数字に仕上げるために

揺さぶりをかけているだけだ。

しかし経営者は、そんなことにかまっちゃいられない。

一息つける喜びで、印鑑を押しまくる。


以上のどこかの段階で、家族の個人連帯保証が取られている。

絶対に保証人になってはいけないのは、みんな頭では常識として知っているが

今月足りないとか、何かを買うのでなく

手形の現金化のためとなると、つい判を押してしまう。

目的が変わると気分が変わったり、肉親の情に突き動かされてしまうのだ。

経営者本人だけでなく、家族も巻き込んだ地獄はこうして始まる。


「半沢直樹」もそうだったけど「銭の戦争」の背景になっている

“両親の営む小さな町工場”というのは

元請けからの支払いを約束手形で受け取ることが多いはずだ。

そこに人情が絡む。

技術畑出身で職人気質の経営者という、世渡りがうまくなさそうな個性も絡む。

一つ間違うと、この現象が起きやすい舞台設定である。

これらの事情を把握すると、お父さんが自殺しちゃったのも

草薙クンが全部背負っちゃった成り行きや

ぶつけどころの無い悲しみや憎しみも

より深く納得しながら鑑賞できるというものだ。



な~んてえらそうに言ってるけど

最初から終わりまでちゃんと見たのは初回だけ。

その日だけ、義母ヨシコが早く寝たからだ。


元々寂しがり屋のヨシコ、夜は特に寂しいらしく、人を求めるので

起きてテレビを見る者は、必然的に彼女のおもりをすることになる。

だがヨシコには、寂しさの解消だけでなく

もう一つの野望がある。

自分の見たい番組に変えて、それを一緒に見たいのだ。


そこで大声でしゃべり続け、笑い続ける。

こちらが根負けして、リモコンを差し出すのを待つのだ。

しかも親が原因のお金のイザコザは、彼女の立場上、都合が悪い。

セリフをかき消そうと懸命になるので

画面の草薙クンはパントマイム状態。


絶対渡すものか…リモコンを握りしめる私。

「銭の戦争」の前で、醜いリモコンの戦争を繰り広げる嫁姑である。

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続・団さん

2015年02月01日 11時29分30秒 | みりこんぐらし
「天使の誘惑」



団さんは、実に多くのことを知っている。

様々な土地の気候風土や歴史、人との出会い

色々な仕事のエピソードを聞くのはとても楽しい。

それらは全て、職を転々としてきた団さんの体験談であり

恥も失敗もありのままを淡々と話す。

だから面白いのだ。


彼の楽しいおしゃべりに垣間見えるのは

あと一歩のところでいつも運に恵まれない半生であった。

流浪の果てに備わった飄々(ひょうひょう)と

悲哀を知った者だけが得る情の厚さが

どこへ行っても人気者の団さんを構成しているように思う。


京都生まれの団さんは大学卒業後、起業したばかりの運送会社へ就職した。

時代の後押しもあって会社は急成長し、多角経営に乗り出す。

そこで当時流行の兆しを見せ始めたボーリングに目をつけ

若き団さんを東京のボーリング場の支配人に抜擢した。

同期の中で一番早い昇進に、団さんは有頂天だったそうだ。


遊技場の支配人は、社交的でマメな団さんに向いていた。

本人が言うにはモテモテで大変だったらしいが

まんざら脚色ではないだろう。

彼のかもし出すイナセで退廃的なムードは

この時期に形成されたものと思われる。


が、数年後、ボーリングブームは去る。

ボーリング場は閉鎖され、団さんは仕事を失った。

元の運送会社へ戻る道もあったが、自分が支配人をしている間

本業の方で順調に昇進していた同期の部下として

一から再出発するのは団さんにとってつらいことだった。


以来、日本各地で転職を繰り返すようになる。

結婚どころではなかった。

今でも独身なのは、転職の回数だけ年金が少なくて

女性まで養えないからだと彼は言う。


団さんはやがて、営業マンとして頭角をあらわす。

誰とでも仲良くなれる性質と、的を得た洒脱な会話は

転職で培った経験と洞察力から生まれていると思われる。


そのうち、この辺りの営業界では有名人となり

ある会社に専務として迎えられた。

しかし数年後、会社は倒産。

以前から懇意だった河野常務の引きで本社に入り

アラ70で現役営業マンを続行して老人の星となる。

しかし後輩の松木氏を本社に推薦したのがきっかけで、退職した。


団さんが、自腹の手土産を片手に訪問していた取引先は

退職した今になっても次々と実っており

我々の会社もその恩恵を受けている。

去った後でも実る仕事に恐れ入りつつ

我々はいつも本社に「団さんの蒔いた種が実りました」

と伝えるのを忘れない。


本社の経理部長ダイちゃんから

団さんの退職に関わる真相をたずねられたのは、そんな時である。

ダイちゃんは時々、退職した団さんに街でバッタリ会うそうだが

至近距離ですれ違っても知らん顔なのだそうだ。


「会社にいる時は仲良くやっていたのに、どうしてなのかなぁ」

ダイちゃんはそれをずっと気にしており

団さんと付き合いの長い我々に、意見を求めたのだった。

そこで団さん退職の経緯を話した私である。


「世話になった会社でも、辞めればよその会社。

引き際が不本意であれば、なおさら。

部長(ダイちゃん)のことも、今は松木さんと同じ会社の人としか

思えないんじゃないですか?

あの人、独身を通されたでしょう。

少年みたいに繊細な所があるんですよ。

日にちが経てば、元に戻りますよ」

「そういうもんなの?」

「そういうもんです」

私は言い切るのだった。


でも本当は違う。

宗教の問題だと思う。

夫は団さんに、ダイちゃんの宗教のことをしゃべっている。

勧誘に辟易していることもだ。


我々がダイちゃんの新興宗教を知ったのは

団さんが退職した後だった。

彼らが一緒に働いている間なら言わなかっただろうが

もう同僚ではないので、しゃべったらしい。


夫が話すところによると

ダイちゃんが新興宗教の信者だと知った団さんは

とても驚いたと言う。

「だから役員になって長いのに、家が建たないのか!

宗教に搾り取られてるんだな!」


そして「あいつめ!」と憤慨。

「ワシが先なのに!」

そう、団さんもまた、新興宗教の信者なのである。


ダイちゃんのは、もう死んだ日本人のお爺さんが教祖の和風だが

団さんのは、天使を崇める洋風だ。

いつ、どうしてハマったのかは知らないが

知り合った当時から、夫はたびたび集会に誘われていたので

その歴史は長いと思われる。

夫は団さんと気心が知れているので

こっちがハラハラするほどズケズケ言って断っていた。


団さんは集会の誘いだけで、入信を勧めることは無かったが

ずっと前から声をかけている自分のほうが先着という自負はある。

後から現れたダイちゃんのカミングアウトは、団さんにとって業務上横領。

道ですれ違っても無視するはずである。


「うちらに親切にしてくれる人なんて、宗教の人しかいないんだ」

投げやりな結論を出し、納得している我々一家。

以前さんざん世話になったアパートの大家さんも

ある宗教の熱心な信者だった。

資産家で夫婦仲が良く、いつも世のため人のために駆け回っていたが

奥さんは60才で病死し、ご主人は後を追って自殺してしまった。

夫婦仲が良すぎるのも考えものだ。


我々はこの事実に多大な衝撃を受けた。

円満幸福が永遠ではないこと、宗教が万能ではないこと

カミングアウトしたからには弱い面を見せられない苦しさ

教団のマニュアルに頼り切っていたら

不測の事態に対応できない怖さを思い知ったのである。


そこで心配になってくるのは

会社で我々に親切な3人目…河野常務だ。

「常務は大丈夫だろうな」

「この3年大丈夫だったから、大丈夫と思う」

「常務は2人と違って押しが強い。

最後まで油断すまい」

定期的に対策会議を行う我々一家であった。
コメント (8)
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