夫はこの夏、63才になる。
まだ満額ではないものの、年金をいただく身の上となるのだ。
手続きの書類が届いたが、中の手引きを読むのが面倒くさいので
夫が親しい商工会の人にたずねると
夫婦で隣市にある年金事務所へ行けと言う。
それも面倒くさいので、そのままにしていたら銀行員がうちに来た。
年金の振込は口座のあるうちの銀行で…というセールス。
年金が近づいた人を調べて、お願いに回っているそうな。
そういえば昔、知り合いが銀行の人と
年金受給の手続きをしているのを横で見ていたことがある。
若かった当時は、想像もできない未知の世界に思えたし
年金が支給される年まで、夫婦をやっているとは考えられなかったが
とうとう、その日が来たのだ。
「わざわざ年金事務所に行かなくても
手続きは全部、金融機関でできます」
そのために書類の中には委任状が入っているのだと
銀行員は丁寧に説明してくれた。
その数日前、農協に勤める同級生のモンちゃんも同じことを言っていた。
「わざわざ年金事務所に行かんでも、私でよかったらやってあげるよ」
だから、ゆうちょへ申し込もうかと思っている。
不義理なヤツと思わないでもらいたい。
銀行は義父アツシの会社が倒産しかけた時、ひどい目に遭い
裏側も色々と知ってしまったため
どの銀行だろうと夫が嫌がるし、農協には口座が無い。
口座が無くても養老年金の積み立てはできるため
モンちゃんには毎月集金に来てもらっている。
組合と名のつく所で口座を作るのを
私は別の意味で警戒してしまうのだ。
なぜなら死後の処理が面倒くさいからである。
組合は、組合員の出資で成り立つ組織なので
口座を作ると出資金を求められる。
最初はそんなこと言わないが、いずれそうなる。
断り続ければいいようなものだが、相手がモンちゃんとなると断りきれまい。
で、出資金を出すとして、私のことだから一口1万だか2万程度だろう。
やがて夫が死ぬとする。
一口1万だか2万だかの出資金は、夫の個人資産ということになり
遺産の扱いになる。
引き出すためには原戸籍を始め、たくさんの書類が必要になる。
大金なら、それらの書類を集める足取りは軽かろうが
小額だと、1枚1,500円也の謄本を何通か用意するのもバカバカしい。
しかも、「いらないから、そのまま放っておいてくれ」
というわけにはいかないそうで、どうしてもやらなければ許されない。
このことは父が死んだ時、農協ではない金融機関で体験した。
農業協同組合が同じ結果になるかどうかは
経験してないため、何とも言えないが
いずれにしても口座を増やすと
死んだ時に遺族の用事が増えるのは確か。
だからもう、新しく口座を作るつもりはない。
ちなみに毎週取っている生協の宅配…つまり生活協同組合にも
わずかな出資金があるので、そちらも死ぬ前に解約すると決めている。
というわけで消去法により、ゆうちょ。
ともあれ夫はこれを機に、引退への助走を始めることになった。
2年後、65才になったら退職するつもりらしい。
本社は70才くらいまで勤続が可能だが
夫は身近な2人の前例を見ているため、その気は起きない様子だ。
その前例とは、義父の会社が潰れそうになった時
夫を本社に紹介して救済の道を作ってくれた団さんと
発足間もない我が社に営業課長として本社が赴任させた松木氏である。
両名とも60才を過ぎると、まず肩書きが無くなり
社保厚生年金を外され、給料は半減した。
松木氏は夫より一つ上なので、年金がまだ満額ではないため
それから先の措置はなされてないが
70才近かった団さんは、会社支給の携帯電話と
営業部の社員に貸与される社用車の返還を求められた。
営業の仕事を続けるには、携帯電話と車が欠かせない。
若い頃から転職を繰り返したために、年金が少ない団さんは
しばらく自前の携帯電話と車で頑張っていたが
仕事をすればするほど、携帯料金とガソリン代を含む車の維持費がかさむと
夫によくこぼしていた。
辞めろとは言わず、ジワジワと追い詰める本社の方針を
夫は目の当たりにしてきたわけだ。
夫の場合、団さんや松木氏とは雇用形態が異なるし
河野常務の庇護下にあるので、同じ憂き目に遭うかどうかは疑問だが
一応は男だから、そのようなプライドずたずたを回避したい気持ちはわかる。
ヤワな彼は、立ち直れまい。
だから、「あと2年で退職する」と言う夫の決心を尊重するつもりだ。
夫は退職しても週に何日か、アルバイトをすると言い
その働き口も確保してある様子だが
恐ろしく不器用な彼が、畑違いの職場で働けるとは思えないので
全くあてにしていない。
収入激減の年金暮らし、来るなら来い。
受けて立とうではないか。
が、ここで問題になってくるのが、夫の母であるヨシコの寿命。
「あの人をどうするよ?」
と顔を見合わせる我々夫婦であった。
なまじ若い頃に金をつかんだばっかりに贅沢が染み付き
会社が無くなって文無しになっても贅沢癖の抜けないヨシコを
我々は足掛け9年、必死で養ってきた。
「毎日、焼肉が食べたい」とほざき
「私の腸は特殊で、野菜を分解できない」とうそぶき
外食に連れて行ったら、勝手に伊勢海老やアワビを注文しやがる
追いはぎのようなばあさんをだ。
我々はいつも、「5年ほど辛抱すれば、終わる」となぐさめ合った。
しかし5年では終わらず、その倍近くの月日が経とうとしている。
やったことのない人にはわからないと思うが
金の無い年寄りを養うって、マジでゼニがいるのだ。
今は夫の給料があるので、どうにかなっているものの
年金でずっと彼女を養っていく自信は無い。
昔は子世代が年金をもらう頃、たいていの親はすでに亡くなっていた。
しかし今どきは、バリバリに生きている。
退職して収入が減る時期は、およそはっきりしているものだが
親の生命が終わる時期は、はっきりしない。
さてどうなるか、天のお裁きを待とうではないか。
話は変わるが、年金と関わりの深い定年退職について
最近、私の周りで起きた出来事をお話ししておきたい。
ここでもお馴染み、仲良し同級生5人のうち
農協勤めのモンちゃんと、病院勤めのけいちゃんが
この3月末で定年退職した。
モンちゃんは嘱託のパートになり、週に3日、農協に勤めている。
けいちゃんは完全に辞めて、家に居る。
けいちゃんの場合、退職したら東京の娘の所へ行き
一緒に生活する予定でいたが、コロナのため延期となった。
ともあれ2人には、失業保険をもらう権利があった。
しかしモンちゃんはもらえず、けいちゃんはもらっている。
この差は何かというと、扶養に入ったか、入らなかったかの違い。
モンちゃんは退職するなり、ご主人の扶養に入った。
自ら入ったというより、扶養に入る手続きの用紙が
先に職場から配布されたので、書いてご主人の会社へ提出した。
そのずいぶん後、失業保険の申請用紙が届いたので
モンちゃんは失業保険の申請をするためにハローワークへ行ったら
「あなたはもらえませんよ」と言われた。
家族の扶養に入ったら、失業保険はもらえないという決まりが存在したのだ。
つまりモンちゃんは、失業保険の申請より先に
扶養の手続きをしたため、失業保険をもらう資格を失ったのだった。
モンちゃんは、自他共に認める損得主義。
だからこの時のショックは、人生最大だったと言う。
長年、農協の窓口にいて、このような手続きにおいては
まんざらシロウトではないモンちゃんですら、この決まりは知らなかった。
一方、けいちゃんも退職する時、病院から扶養に入る手続きの用紙をもらった。
その時は東京へ行く気満々だったので、娘の扶養に入るつもりで
退職と同時に、用紙を娘の所へ郵送した。
しかしこの娘が、あてにならない呑気者。
用紙が届いたやら、届かないやら
職場へ提出したやら、しないやら、わからないうちに
失業保険の申請用紙が届いたため
ハローワークへ行って失業保険をもらう手続きをした。
娘がグズグズしていたので
たまたま失業保険をもらうことができたのだ。
が、家族の扶養に入らなかったから失業保険がもらえたと
手放して喜ぶばかりではいけない。
扶養に入らないとは、健康保険証が無いということである。
自分で市役所の国民年金課へ行き
国民健康保険証を発行してもらわなければ病院にも行けない。
もちろん、月々の保険料も支払うことになる。
そして6ヶ月の失業保険給付期間が終わったら
改めて家族の扶養に入る手続きをして国民健康保険証を返し
家族の勤める会社の社会保険証をもらわなければならない。
老後って、ホント、難しくて面倒くさいことだらけ。
頑張りま〜す。
まだ満額ではないものの、年金をいただく身の上となるのだ。
手続きの書類が届いたが、中の手引きを読むのが面倒くさいので
夫が親しい商工会の人にたずねると
夫婦で隣市にある年金事務所へ行けと言う。
それも面倒くさいので、そのままにしていたら銀行員がうちに来た。
年金の振込は口座のあるうちの銀行で…というセールス。
年金が近づいた人を調べて、お願いに回っているそうな。
そういえば昔、知り合いが銀行の人と
年金受給の手続きをしているのを横で見ていたことがある。
若かった当時は、想像もできない未知の世界に思えたし
年金が支給される年まで、夫婦をやっているとは考えられなかったが
とうとう、その日が来たのだ。
「わざわざ年金事務所に行かなくても
手続きは全部、金融機関でできます」
そのために書類の中には委任状が入っているのだと
銀行員は丁寧に説明してくれた。
その数日前、農協に勤める同級生のモンちゃんも同じことを言っていた。
「わざわざ年金事務所に行かんでも、私でよかったらやってあげるよ」
だから、ゆうちょへ申し込もうかと思っている。
不義理なヤツと思わないでもらいたい。
銀行は義父アツシの会社が倒産しかけた時、ひどい目に遭い
裏側も色々と知ってしまったため
どの銀行だろうと夫が嫌がるし、農協には口座が無い。
口座が無くても養老年金の積み立てはできるため
モンちゃんには毎月集金に来てもらっている。
組合と名のつく所で口座を作るのを
私は別の意味で警戒してしまうのだ。
なぜなら死後の処理が面倒くさいからである。
組合は、組合員の出資で成り立つ組織なので
口座を作ると出資金を求められる。
最初はそんなこと言わないが、いずれそうなる。
断り続ければいいようなものだが、相手がモンちゃんとなると断りきれまい。
で、出資金を出すとして、私のことだから一口1万だか2万程度だろう。
やがて夫が死ぬとする。
一口1万だか2万だかの出資金は、夫の個人資産ということになり
遺産の扱いになる。
引き出すためには原戸籍を始め、たくさんの書類が必要になる。
大金なら、それらの書類を集める足取りは軽かろうが
小額だと、1枚1,500円也の謄本を何通か用意するのもバカバカしい。
しかも、「いらないから、そのまま放っておいてくれ」
というわけにはいかないそうで、どうしてもやらなければ許されない。
このことは父が死んだ時、農協ではない金融機関で体験した。
農業協同組合が同じ結果になるかどうかは
経験してないため、何とも言えないが
いずれにしても口座を増やすと
死んだ時に遺族の用事が増えるのは確か。
だからもう、新しく口座を作るつもりはない。
ちなみに毎週取っている生協の宅配…つまり生活協同組合にも
わずかな出資金があるので、そちらも死ぬ前に解約すると決めている。
というわけで消去法により、ゆうちょ。
ともあれ夫はこれを機に、引退への助走を始めることになった。
2年後、65才になったら退職するつもりらしい。
本社は70才くらいまで勤続が可能だが
夫は身近な2人の前例を見ているため、その気は起きない様子だ。
その前例とは、義父の会社が潰れそうになった時
夫を本社に紹介して救済の道を作ってくれた団さんと
発足間もない我が社に営業課長として本社が赴任させた松木氏である。
両名とも60才を過ぎると、まず肩書きが無くなり
社保厚生年金を外され、給料は半減した。
松木氏は夫より一つ上なので、年金がまだ満額ではないため
それから先の措置はなされてないが
70才近かった団さんは、会社支給の携帯電話と
営業部の社員に貸与される社用車の返還を求められた。
営業の仕事を続けるには、携帯電話と車が欠かせない。
若い頃から転職を繰り返したために、年金が少ない団さんは
しばらく自前の携帯電話と車で頑張っていたが
仕事をすればするほど、携帯料金とガソリン代を含む車の維持費がかさむと
夫によくこぼしていた。
辞めろとは言わず、ジワジワと追い詰める本社の方針を
夫は目の当たりにしてきたわけだ。
夫の場合、団さんや松木氏とは雇用形態が異なるし
河野常務の庇護下にあるので、同じ憂き目に遭うかどうかは疑問だが
一応は男だから、そのようなプライドずたずたを回避したい気持ちはわかる。
ヤワな彼は、立ち直れまい。
だから、「あと2年で退職する」と言う夫の決心を尊重するつもりだ。
夫は退職しても週に何日か、アルバイトをすると言い
その働き口も確保してある様子だが
恐ろしく不器用な彼が、畑違いの職場で働けるとは思えないので
全くあてにしていない。
収入激減の年金暮らし、来るなら来い。
受けて立とうではないか。
が、ここで問題になってくるのが、夫の母であるヨシコの寿命。
「あの人をどうするよ?」
と顔を見合わせる我々夫婦であった。
なまじ若い頃に金をつかんだばっかりに贅沢が染み付き
会社が無くなって文無しになっても贅沢癖の抜けないヨシコを
我々は足掛け9年、必死で養ってきた。
「毎日、焼肉が食べたい」とほざき
「私の腸は特殊で、野菜を分解できない」とうそぶき
外食に連れて行ったら、勝手に伊勢海老やアワビを注文しやがる
追いはぎのようなばあさんをだ。
我々はいつも、「5年ほど辛抱すれば、終わる」となぐさめ合った。
しかし5年では終わらず、その倍近くの月日が経とうとしている。
やったことのない人にはわからないと思うが
金の無い年寄りを養うって、マジでゼニがいるのだ。
今は夫の給料があるので、どうにかなっているものの
年金でずっと彼女を養っていく自信は無い。
昔は子世代が年金をもらう頃、たいていの親はすでに亡くなっていた。
しかし今どきは、バリバリに生きている。
退職して収入が減る時期は、およそはっきりしているものだが
親の生命が終わる時期は、はっきりしない。
さてどうなるか、天のお裁きを待とうではないか。
話は変わるが、年金と関わりの深い定年退職について
最近、私の周りで起きた出来事をお話ししておきたい。
ここでもお馴染み、仲良し同級生5人のうち
農協勤めのモンちゃんと、病院勤めのけいちゃんが
この3月末で定年退職した。
モンちゃんは嘱託のパートになり、週に3日、農協に勤めている。
けいちゃんは完全に辞めて、家に居る。
けいちゃんの場合、退職したら東京の娘の所へ行き
一緒に生活する予定でいたが、コロナのため延期となった。
ともあれ2人には、失業保険をもらう権利があった。
しかしモンちゃんはもらえず、けいちゃんはもらっている。
この差は何かというと、扶養に入ったか、入らなかったかの違い。
モンちゃんは退職するなり、ご主人の扶養に入った。
自ら入ったというより、扶養に入る手続きの用紙が
先に職場から配布されたので、書いてご主人の会社へ提出した。
そのずいぶん後、失業保険の申請用紙が届いたので
モンちゃんは失業保険の申請をするためにハローワークへ行ったら
「あなたはもらえませんよ」と言われた。
家族の扶養に入ったら、失業保険はもらえないという決まりが存在したのだ。
つまりモンちゃんは、失業保険の申請より先に
扶養の手続きをしたため、失業保険をもらう資格を失ったのだった。
モンちゃんは、自他共に認める損得主義。
だからこの時のショックは、人生最大だったと言う。
長年、農協の窓口にいて、このような手続きにおいては
まんざらシロウトではないモンちゃんですら、この決まりは知らなかった。
一方、けいちゃんも退職する時、病院から扶養に入る手続きの用紙をもらった。
その時は東京へ行く気満々だったので、娘の扶養に入るつもりで
退職と同時に、用紙を娘の所へ郵送した。
しかしこの娘が、あてにならない呑気者。
用紙が届いたやら、届かないやら
職場へ提出したやら、しないやら、わからないうちに
失業保険の申請用紙が届いたため
ハローワークへ行って失業保険をもらう手続きをした。
娘がグズグズしていたので
たまたま失業保険をもらうことができたのだ。
が、家族の扶養に入らなかったから失業保険がもらえたと
手放して喜ぶばかりではいけない。
扶養に入らないとは、健康保険証が無いということである。
自分で市役所の国民年金課へ行き
国民健康保険証を発行してもらわなければ病院にも行けない。
もちろん、月々の保険料も支払うことになる。
そして6ヶ月の失業保険給付期間が終わったら
改めて家族の扶養に入る手続きをして国民健康保険証を返し
家族の勤める会社の社会保険証をもらわなければならない。
老後って、ホント、難しくて面倒くさいことだらけ。
頑張りま〜す。