殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

年金模様

2020年06月20日 08時32分53秒 | みりこんぐらし
夫はこの夏、63才になる。

まだ満額ではないものの、年金をいただく身の上となるのだ。


手続きの書類が届いたが、中の手引きを読むのが面倒くさいので

夫が親しい商工会の人にたずねると

夫婦で隣市にある年金事務所へ行けと言う。

それも面倒くさいので、そのままにしていたら銀行員がうちに来た。

年金の振込は口座のあるうちの銀行で…というセールス。

年金が近づいた人を調べて、お願いに回っているそうな。


そういえば昔、知り合いが銀行の人と

年金受給の手続きをしているのを横で見ていたことがある。

若かった当時は、想像もできない未知の世界に思えたし

年金が支給される年まで、夫婦をやっているとは考えられなかったが

とうとう、その日が来たのだ。


「わざわざ年金事務所に行かなくても

手続きは全部、金融機関でできます」

そのために書類の中には委任状が入っているのだと

銀行員は丁寧に説明してくれた。

その数日前、農協に勤める同級生のモンちゃんも同じことを言っていた。

「わざわざ年金事務所に行かんでも、私でよかったらやってあげるよ」


だから、ゆうちょへ申し込もうかと思っている。

不義理なヤツと思わないでもらいたい。

銀行は義父アツシの会社が倒産しかけた時、ひどい目に遭い

裏側も色々と知ってしまったため

どの銀行だろうと夫が嫌がるし、農協には口座が無い。

口座が無くても養老年金の積み立てはできるため

モンちゃんには毎月集金に来てもらっている。


組合と名のつく所で口座を作るのを

私は別の意味で警戒してしまうのだ。

なぜなら死後の処理が面倒くさいからである。

組合は、組合員の出資で成り立つ組織なので

口座を作ると出資金を求められる。

最初はそんなこと言わないが、いずれそうなる。

断り続ければいいようなものだが、相手がモンちゃんとなると断りきれまい。

で、出資金を出すとして、私のことだから一口1万だか2万程度だろう。


やがて夫が死ぬとする。

一口1万だか2万だかの出資金は、夫の個人資産ということになり

遺産の扱いになる。

引き出すためには原戸籍を始め、たくさんの書類が必要になる。

大金なら、それらの書類を集める足取りは軽かろうが

小額だと、1枚1,500円也の謄本を何通か用意するのもバカバカしい。

しかも、「いらないから、そのまま放っておいてくれ」

というわけにはいかないそうで、どうしてもやらなければ許されない。


このことは父が死んだ時、農協ではない金融機関で体験した。

農業協同組合が同じ結果になるかどうかは

経験してないため、何とも言えないが

いずれにしても口座を増やすと

死んだ時に遺族の用事が増えるのは確か。

だからもう、新しく口座を作るつもりはない。


ちなみに毎週取っている生協の宅配…つまり生活協同組合にも

わずかな出資金があるので、そちらも死ぬ前に解約すると決めている。

というわけで消去法により、ゆうちょ。


ともあれ夫はこれを機に、引退への助走を始めることになった。

2年後、65才になったら退職するつもりらしい。

本社は70才くらいまで勤続が可能だが

夫は身近な2人の前例を見ているため、その気は起きない様子だ。

その前例とは、義父の会社が潰れそうになった時

夫を本社に紹介して救済の道を作ってくれた団さんと

発足間もない我が社に営業課長として本社が赴任させた松木氏である。


両名とも60才を過ぎると、まず肩書きが無くなり

社保厚生年金を外され、給料は半減した。

松木氏は夫より一つ上なので、年金がまだ満額ではないため

それから先の措置はなされてないが

70才近かった団さんは、会社支給の携帯電話と

営業部の社員に貸与される社用車の返還を求められた。


営業の仕事を続けるには、携帯電話と車が欠かせない。

若い頃から転職を繰り返したために、年金が少ない団さんは

しばらく自前の携帯電話と車で頑張っていたが

仕事をすればするほど、携帯料金とガソリン代を含む車の維持費がかさむと

夫によくこぼしていた。

辞めろとは言わず、ジワジワと追い詰める本社の方針を

夫は目の当たりにしてきたわけだ。


夫の場合、団さんや松木氏とは雇用形態が異なるし

河野常務の庇護下にあるので、同じ憂き目に遭うかどうかは疑問だが

一応は男だから、そのようなプライドずたずたを回避したい気持ちはわかる。

ヤワな彼は、立ち直れまい。

だから、「あと2年で退職する」と言う夫の決心を尊重するつもりだ。


夫は退職しても週に何日か、アルバイトをすると言い

その働き口も確保してある様子だが

恐ろしく不器用な彼が、畑違いの職場で働けるとは思えないので

全くあてにしていない。

収入激減の年金暮らし、来るなら来い。

受けて立とうではないか。


が、ここで問題になってくるのが、夫の母であるヨシコの寿命。

「あの人をどうするよ?」

と顔を見合わせる我々夫婦であった。


なまじ若い頃に金をつかんだばっかりに贅沢が染み付き

会社が無くなって文無しになっても贅沢癖の抜けないヨシコを

我々は足掛け9年、必死で養ってきた。

「毎日、焼肉が食べたい」とほざき

「私の腸は特殊で、野菜を分解できない」とうそぶき

外食に連れて行ったら、勝手に伊勢海老やアワビを注文しやがる

追いはぎのようなばあさんをだ。

我々はいつも、「5年ほど辛抱すれば、終わる」となぐさめ合った。

しかし5年では終わらず、その倍近くの月日が経とうとしている。


やったことのない人にはわからないと思うが

金の無い年寄りを養うって、マジでゼニがいるのだ。

今は夫の給料があるので、どうにかなっているものの

年金でずっと彼女を養っていく自信は無い。


昔は子世代が年金をもらう頃、たいていの親はすでに亡くなっていた。

しかし今どきは、バリバリに生きている。

退職して収入が減る時期は、およそはっきりしているものだが

親の生命が終わる時期は、はっきりしない。

さてどうなるか、天のお裁きを待とうではないか。


話は変わるが、年金と関わりの深い定年退職について

最近、私の周りで起きた出来事をお話ししておきたい。

ここでもお馴染み、仲良し同級生5人のうち

農協勤めのモンちゃんと、病院勤めのけいちゃんが

この3月末で定年退職した。

モンちゃんは嘱託のパートになり、週に3日、農協に勤めている。

けいちゃんは完全に辞めて、家に居る。

けいちゃんの場合、退職したら東京の娘の所へ行き

一緒に生活する予定でいたが、コロナのため延期となった。


ともあれ2人には、失業保険をもらう権利があった。

しかしモンちゃんはもらえず、けいちゃんはもらっている。

この差は何かというと、扶養に入ったか、入らなかったかの違い。


モンちゃんは退職するなり、ご主人の扶養に入った。

自ら入ったというより、扶養に入る手続きの用紙が

先に職場から配布されたので、書いてご主人の会社へ提出した。

そのずいぶん後、失業保険の申請用紙が届いたので

モンちゃんは失業保険の申請をするためにハローワークへ行ったら

「あなたはもらえませんよ」と言われた。

家族の扶養に入ったら、失業保険はもらえないという決まりが存在したのだ。

つまりモンちゃんは、失業保険の申請より先に

扶養の手続きをしたため、失業保険をもらう資格を失ったのだった。


モンちゃんは、自他共に認める損得主義。

だからこの時のショックは、人生最大だったと言う。

長年、農協の窓口にいて、このような手続きにおいては

まんざらシロウトではないモンちゃんですら、この決まりは知らなかった。


一方、けいちゃんも退職する時、病院から扶養に入る手続きの用紙をもらった。

その時は東京へ行く気満々だったので、娘の扶養に入るつもりで

退職と同時に、用紙を娘の所へ郵送した。


しかしこの娘が、あてにならない呑気者。

用紙が届いたやら、届かないやら

職場へ提出したやら、しないやら、わからないうちに

失業保険の申請用紙が届いたため

ハローワークへ行って失業保険をもらう手続きをした。

娘がグズグズしていたので

たまたま失業保険をもらうことができたのだ。


が、家族の扶養に入らなかったから失業保険がもらえたと

手放して喜ぶばかりではいけない。

扶養に入らないとは、健康保険証が無いということである。

自分で市役所の国民年金課へ行き

国民健康保険証を発行してもらわなければ病院にも行けない。

もちろん、月々の保険料も支払うことになる。

そして6ヶ月の失業保険給付期間が終わったら

改めて家族の扶養に入る手続きをして国民健康保険証を返し

家族の勤める会社の社会保険証をもらわなければならない。


老後って、ホント、難しくて面倒くさいことだらけ。

頑張りま〜す。
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マスク長者

2020年06月12日 08時30分44秒 | みりこんばばの時事
日本中を脅かしたマスク不足は解消された模様で

私の住む田舎町のドラッグストアにも、マスクが普通に並ぶようになった。

少し前までは、町の人々がマスクを求めて行列していたものだ。

その光景をこの目で見た時は、何だか物悲しい気持ちになった。

そして思った。

マスクの生産を中国に頼りきっているから、こんなことになるのだ…。


故意であろうとなかろうと、ウィルスを世界中にばらまくという

重大な事故を引き起こし、それを隠そうとしただけでなく

バレたら平然と責任転嫁。

そればかりではない。

マスクの需要が高まると、出荷を止めて値上げをもくろむ。

商業的には得策でも、人道的には最低の商法。

盗人猛々しいとは、このことだ。

そんな国と仕事をする日本企業の気が知れん。


国内では一世帯あたり2枚ずつ、布製のマスクを配布するという政府の策が

アベノマスクと揶揄されている。

小池東京都知事は、お友達が作ってくれるという

おしゃれな布製マスクを取っ替え引っ換え付けて

マスクをファッションにまで格上げしたが

安倍首相は、明らかに小さい布製マスクを付け続けている。

一国の首相なんだから、紙製でも布製でも

好きなだけ手に入れられるはずだが、意地で付けているように見える。

マスクを出荷しない中国への無言の抗議だと思うのは

考え過ぎだろうか。


そのアベノマスクが先日、同級生の友人マミちゃんの家に届いたそうだ。

彼女は隣の市に住んでいるので、うちの市にまだだな…

と思っていたら、その数日後、会社に届いた。

会社には誰も住んでない。

だから宛名は人名でなく会社名。

何で?

もったいないじゃないか。

こういうことをするから、詰めが甘いと言われるのだ。


ちょうど来ていた本社の河野常務が、話のタネにと欲しがった。

本社からは4月の終わりに、会社の関係者一世帯あたり100枚ずつ

マスクの支給があったため、夫は迷うことなく常務にアベノマスクをあげた。

なにげにくやしい。


本社から支給されたマスクは、水色だ。

正確には白い紙と青い紙が重ねられて水色になっている。

取引先からも50枚入りのマスクを何箱か粗品としてもらったが、それも水色。

町にも4月あたりから、水色のマスクが増えた。

会社関係で支給されるマスクは、水色が多いのかもしれない。

どの箱も中国語が書いてある。

うちにはマスク不足になる前に買っていたものが、まだたくさんあるので

水色マスクには手をつけていない。


先月、同級生のモンちゃんが積み立ての集金に来た。

何度も洗ってスケスケになり、別物の素材と化した元紙製のマスクをしている。

もはや彼女のマスクは、ウィルス感染を防ぐ目的にあらず。

農協の窓口で、「一般常識をわきまえてます」と示す

アピールアイテムになっている。

彼女が勤める農協も、ご主人の勤め先もマスクの支給が無いそうなので

水色マスクをひと箱あげたら、とても喜んだ。


夫の姉カンジワ・ルイーゼも、仕事で使うマスクは自前だというので

水色マスクをあげた。

こっちは無言で受け取り、何日も義母の部屋に置かれたまま。

彼女は水色でなく、白いマスクが欲しかったのだと推測する。

私は意地が悪いので、白は絶対にやらない。

「いらないんなら返してもらって、必要な人にあげる」

と言ったら、義母がどこかへ隠した。

その後、どうなったかは知らない。


ともあれマスク不足の期間中、マスクに不自由しなかったのは幸運であった。

そしてその幸運は、我々の職業に起因する。

接客業や、同じ部屋で複数の人間が立ち働く種類のものではなく

マスクを付けないことが非難の対象になる仕事でもないため

マスクの消費が比較的緩やかなのだ。

客商売や製造業だったら、こうはいかないと思う。


他にも、洗った紙製マスクがケバ立ち

モワモワの綿がフワフワしている人、数人に水色マスクを何箱かあげて

「ライターでサッとあぶったら、モワモワが無くなる」

と教えた。

この秘策、やっている人がいるかもしれないが、うちでは長男が発見した。

ただし、あぶり過ぎると焼け跡が肌にチクチクして、使い物にならなくなる。


欲しい欲しいと願う人には手に入らず

「もういいよ」と言う人の所へは押し寄せる…

この現象、お金に似ているのはともかく

私のところにも、マスクが押し寄せている。

布製マスクが欲しいと思っていたら、親戚のお姉さんが作ってくれたのを皮切りに

しばらく前から同級生のユリちゃんがマスク作りにハマり、せっせと送ってくれる。


ハマらざるを得ないのだ。

彼女の尊敬する老画家が、マスクに絵を描くようになったからである。

正確には画家が、白いサラシに特殊な染料で絵を描き

それをユリちゃんがマスクに仕立てる。

この人、料理は苦手だけど裁縫は得意なのだ。


仕立て上がったマスクの端に、ポイントとして控えめに描かれたその絵は

「鳥獣戯画」の雰囲気で非常に面白い。

全体をお目にかけたいのは山々だけど、プライバシーの問題から

ちょっとだけヨ。



他にも、真ん中に動物の鼻とヒゲと口が描かれていて

マスクをしたら色々な動物になれるタイプもある。


さすがに動物変身ものは外につけて出られないけど

(私が若くて可愛かったら絶対つける)

ワンポイントのタイプは外でもつけられる。

白地の部分が多いため、あまり目立たないので恥ずかしくない。

すれ違う見知らぬ人がニヤッと笑ったり、小さい子供が指さして喜ぶことがある。

嬉しい。


ユリちゃんは新作ができると送ってくれるので

私のマスクコレクションは充実している。

親戚のお姉さん作の淡い花柄やレース、そしてユリちゃんの動物柄…

たくさんあって、いつも迷う。

口がもう2〜3個、欲しいくらい。

とはいえ、こうして口を覆ったところで、口数は減らないのが残念なところ。
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亜鉛

2020年06月10日 15時45分00秒 | みりこんぐらし
墓じまいのことで、このところ実家の母と会う回数が多い。

満86才の母はオギャアと生まれて以来

頭痛と肩凝りを知らないままの元気印。

今もロングドレスに銀のハイヒールでコーラスの舞台に立ち

同人誌で俳句を発表し、編み物の教室に通う

いわば老女の星である。


その母が、最近よく言うのだ。

「この頃、食べ物の味がようわからんのよ。

年を取って、舌がバカになったのかね。

お父さんが死んで一人になったら

食べることだけが楽しみじゃったのに

味がわからんけん、なさけないわ」


年を取ると、味がわからなくなる…

私もまた、食べることだけが楽しみな女だから

これは由々しき問題である。

私はまず唾液の減少を疑い、母にたずねたが

そんな症状は無いと言う。

次に、入れ歯洗浄剤の残留を疑ってみたが

几帳面な母に「ザッと」や「いい加減」の文字は無いため

愚問であった。


だとしたら、わからん…

げに年を取るとは恐ろしいことじゃ…

そう思っていた矢先、前回の記事で書いたユリちゃんのお寺行きがあった。


迎えに来たけいちゃんの車に食材を積み、4人のメンバーは出発したが

その道中でけいちゃんが言うではないか。

「私な〜、今年に入ってから食べ物の味がわからんようになってな。

一人暮らしやから、食べることだけが楽しみやし

その頃はまだ料理の仕事してたから、味がわからへんて困るやん。

どうしよ思うて、なさけなかったんやわぁ」

あれ?母の話と似ている。


「でな、悪い病気か思うてドクターに相談したんやわ。

そしたらな、亜鉛不足やないか、言われてん。

亜鉛が不足したら、味がわからんようになるんやて。

ほんで、亜鉛のサプリ飲んでみぃ言われてん。

改善せぇへんかったら精密検査したるて。

わたしゃ半信半疑やったけど、亜鉛のサプリ買うて飲んだんやわ。

そしたら一週間ぐらいで味がわかるようになったんよ」


亜鉛なんて、それまであんまり意識したことはなかった。

ただ、亜鉛を多く含むと言われる

牡蠣やシジミを食べると目覚めがいいので

意識して食卓に登場させてはいた。

が、けいちゃんや母がそうであるように

一人暮らしだと、わざわざ牡蠣フライやシジミ汁を作る機会は少ないだろう。


それに一人だと、どうしても好きな物ばかり食べるし

気をつけていても、ファーストフードやコンビニの食品が増える。

それらに含まれる食品添加物は、亜鉛の吸収を妨げるそうだ。

実際、料理のプロで、こまめに料理をするけいちゃんだが

某マックのハンバーガーとポテトが大好きだし

栄養を考えた料理をきちんとする母も

昼食だけは毎日散歩がてら、コンビニのサンドイッチを買いに行くという。

こうした積み重ねが、味覚に異常をもたらしているのかもしれない。


2日後、母に会った時、けいちゃんの体験を話した。

母はこの偶然を喜び、さっそく2人でドラッグストアへ赴いて

亜鉛のサプリメントを探す。

テレビでよく宣伝している、シジミがどうのこうのというサプリは

その店に無かった。

あるのは、ただ亜鉛と書かれた錠剤のみ。

亜鉛の二文字の下には、男性の精力増進とある。


「なんか、男性用みたいな感じ」

「あんたは旦那に飲ませりゃええが。

わたしゃ、一人なんじゃけん、必要ないで」

「うちもいらんわいね」

などと言い合ったが、結局買う。


1日2錠60日分、1,260円也を母は2袋買って、1袋をくれた。

「今日から始めよう」

2人は誓い合い、その晩から飲み始める。


翌朝、目覚めは良かったような気がするというか

眠りが深かったように思う。

だから3時に目が覚めた。

暗闇で、「どうしてくれる!」と叫ぶ。

私は一回目覚めたら、次は夜まで寝られないのだ。


仕方なく起きて、息子の弁当を作ったり

涼しいうちに庭木の枝を刈ったりした。

それでも日中疲れが出ないのは、亜鉛のなせるワザなのだろうか。

わからない。


そういえば剪定バサミで庭木を刈ると、後で恐怖の筋肉痛が訪れるはず。

私は筋肉痛がひどいタイプなので、いつものように鎮痛剤を用意し

腕や胸が痛くなるのを覚悟して待ったが、筋肉痛は来ない。

いやいや、年寄りは筋肉痛が出るのが遅いのだと思い直し

さらに2日待ったが来ない。

結局、筋肉痛は無かった。

これも亜鉛のせいなのだろうか。

わからない。


母に効果をたずねたが

「何も変わらん。

年寄りは効き目が遅いんじゃないん?」

と言っていた。

何か変化があれば、またお話ししたいと思う。


なお、この記事が亜鉛サプリをお薦めするものではないことを

ご了解いただきたい。
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手抜かない料理・3

2020年06月09日 14時46分34秒 | 手抜き料理
昼の会食は終わった。

後片付けを済ませたら、ゆっくりおしゃべりする間もなく

夜の準備に入る。


正直に言うが、ユリちゃんは人使いが荒いのだ。

行ったら最後、容赦なくとことんまでこき使われる。

この日も、最初は昼ごはんだけという話だったが

計画を練っているうちに欲が出た模様。

「できれば夜のごはんもしていただけると、嬉しいな。

お昼のお客様が数人、残られるの。

ごめんね、厚かましいでしょうか?」


そう言われると

「ついでだから、やるよ」

と答える…答えてしまう。

お寺の人って、お願いのプロだとつくづく思う。

それをわかっていながら、行く我々も我々だ。


喜んだユリちゃん、さらにハードルを上げなさる。

「お客様のAさんは今、ホテル住まいなんだけど

晩酌のアテに不自由していらっしゃるんですって。

お帰りの時に何か、おことづけできたら楽しいよね」


こらこら、あんたは楽しいかもしれんが、うちらは楽しくないぞ…

と私は言いたい…言いたいが、言えない。

芸術家のA氏には、私も少々世話になっているのだ。

一度、義母ヨシコの編んだカラフルなアクリルたわしを差し上げたら

小ぶりな作品を安置する台座になって

日本各地のみならず海外まで行ってしまった。

ヨシコは喜び、生き甲斐のようにせっせとアクリルたわしを編んでは

A氏に献上している。

だからユリちゃんに言われるまま

“おことづけ”する物を用意するしかないではないか。


が、そう簡単にはいかないのだ。

前にもお話ししたように、お寺の台所は狭く、ガスコンロは3つ。

台所の構造上、ガス台の前には一人しか立てないため

昼と夜の会食を作るだけで精一杯。

おひとり様のために“おことづけ”専用品をこしらえるような

時間とスペースの余裕は無い。

食品衛生上、夕食後に渡して帰宅後に食べるとわかっている物を

家で作って行くわけにもいかない。


この件は、けいちゃんに相談できるものではなかった。

彼女は下戸なので、肴だのツマミだのアテだのは

別世界の食品。

A氏一人のために何か作るなんて言ったら

献立を決める時に全力で阻止した

あの冷凍フライドポテトを提案するに違いない。


現に当日になっても、彼女は忌まわしき名を何度も口にした。

「せっかく油、出してんやから、やっぱりフライドポテト揚げたら良かってん」

一人暮らしが長くなると、好物だけを作りたがるものなのだ。

お寺的にも、ユリちゃん的にも、冷凍食品はダメなんだってば…

私はその度に心で叫んだ。

だから“おことづけ”のことは誰にも言わず

夜の献立から何かピックアップして、お持ち帰りいただくつもりでいた。


《夜の献立》

和風おろしハンバーグ

アコウの煮付け

ヤズの竜田揚げ

そら豆の塩茹で

大根とキュウリのサラダ

豆ごはん

香の物

すいかヨーグルト


夜の食事は総勢10人余りなので、さほど忙しくなかった。

昼に多かった女性陣が帰り、男性陣が残ったので

夜の献立は、あっさりめ。

和風おろしハンバーグは、普通のハンバーグに

大根おろしと大葉の細切りを乗せ、あんをかけたもの。

さっぱりして、おいしかった。


アコウとヤズは、うちの息子が釣って帰った。

今回の会食が控えていたため

「絶対に釣って来い」とハッパをかけたら、ちゃんと釣った。

新鮮なら、どちらの魚も迷わず刺身にするが

日曜日に釣って冷凍していたので、加熱するしかなかった。

男性陣は、アコウの煮付けに大喜びした。


そら豆はシンプルな塩茹でにしたが、男性陣はこれも喜んだ。

お酒の好きな男性は、こねくり回した料理より

さっぱり単純系を好むものだ。


大根とキュウリのサラダは

スライサーでマッチ棒くらいの千切りにした大根とキュウリに

塩少々をまぶして、しんなりさせてから洗い

軽くしぼって深皿に盛り付けたら、市販の白ダシをサッとかけるだけ。

これもさっぱりしていて、いくらでも食べられる。


豆ごはんは、元フレンチの料理人が営む和食屋のパクリ。

先にダシと塩少々で、豆を柔らかく茹で

豆は水をかけて粗熱を取っておく。

豆を茹でた塩入りのダシと薄口醤油

それから、ほんの少しのバターで味付けして、ごはんだけを炊く。

そしてごはんが炊き上がった瞬間、炊飯器に豆を入れて

少し蒸らすとできあがり。

バターを入れ過ぎたらくどくなるので、5合につき、小指の先くらい。


本当は、ごはんが炊き上がる3分前に豆を入れたい。

事実、昔は入れていたが、近年の炊飯器は

炊き上がるまでフタが開かない構造になった。

そこで豆を心持ち、柔らかめに煮ている。


さて、ユリちゃんの小舅マンネン君は

昼だけ参加するはずだったが、晩ごはんにもやって来た。

そして皆と一緒に食べた後は、昼と同様にテイクアウトを所望。

おかずを抱え、皆より先に席を立ったマンネン君は

帰り際、我々を振り返ってたずねた。

「あなたがた、いったい何のお仕事ですか?」

私が代表して答える。

「主婦です」

マンネン君は、首をかしげながら帰って行った。


で、問題の“おことづけ料理”。

A氏は昼に出した海老パンが、ことのほかお気に召し

これでワインを飲みたいと言うので、無くならないうちに取り置きし

オーブントースターで焼き直してお持ち帰りいただいた。

楽に済んでホッとした。


末尾になったが、コメント欄でユウキさんが

昼に出した『揚げ高野豆腐のあんかけ』の作り方をご質問くださったので

ご紹介したい。

これは病院のメニューだが、高野豆腐を揚げるという行為に

最初はぶったまげたものである。


『揚げ高野豆腐のあんかけ』

①ダシ、砂糖、醤油、ミリン、片栗粉で、ゆるめのあんを作る

②大根おろし、おろしショウガ、細切りの大葉を用意する

③高野豆腐を普通に戻し、4つに切る

④4つに切った高野豆腐、1個ずつに片栗粉をまぶして揚げる

⑤揚がった高野豆腐を2個ずつ小鉢に入れ

大根おろし、おろしショウガ、大葉を乗せて、あんをかける

以上


戻して片栗粉をまぶした高野豆腐は油はねせず、気持ち良く揚がる。

これは小鉢バージョンだが

あんに冷凍海老やインゲンの刻んだものを加え

高野豆腐の数を増やすとメインディッシュにもなる。

また、高野豆腐をサイコロ状に切れば

数を気にすることなく料理ができる。


作って出したところで

「おお!これはうまい!」という反応は望めないが

珍しがられるのと、冷めても味が落ちない長所がある。

サクフワの食感が面白い料理だ。

《完》
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手抜かない料理・2

2020年06月07日 16時17分17秒 | 手抜き料理
梶田さんとマンネン君の挑戦?に発奮した我々は

短時間で、でき得る限りの料理を作ることにした。

なにせ私とけいちゃんは調理師といえど

美食を作ってきたわけではない。

病院の治療食という、おいしくない物を作るプロだったのだ。

そんな2人にたいした物ができるわけもなく

品数で勝負するしかないのである。


昼の献立を再度、掲載してみよう。

牛肉の野菜巻き

鶏モモの八幡巻き

焼豚

揚げ高野豆腐のあんかけ

海老パン

鶏レバーのニラ炒め添え

キンピラごぼう

グリーンサラダ・トマトとモッツァレラチーズ添え

ナメコの味噌汁

白ごはん

香の物


ひと目でおわかりのように、作り過ぎだ。

我々の意気込みが、おわかりいただけるだろう。

これらの料理の羅列は

できることならば、敵?を一発で仕留めたいという願望の現れ。

我々は今後もユリちゃんに請われれば

お寺に出入りして料理を作るつもりだ。

つまらぬライバル心を持たれたままでは

お互いに不幸だからである。


“みんな知っているけど案外食べてない料理”をコンセプトに

渾身で考えた献立の説明をさせていただこう。

牛の野菜巻きと鶏の八幡巻きは、どちらか一つに決めかねて

いっそ両方やることになったが

牛さんと鶏さんが登場となると、豚さんを出さないわけにはいかない…

いや、出したい…という気分になった私が焼豚を作った。


揚げた高野豆腐は、食べたことの無い人が多いと思うので

「素朴な食材で作られた珍味」の路線を狙う。

海老パンは、ちょっと気取りたかったのもあるが

香ばしさとサクサクの食感が人心をつかむことを知っているので

今回、ぜひ作りたかった。


鶏のレバーは、よくある甘辛煮だが

会食ではあんまり出ないので、意外性を突いたつもり。

キンピラごぼうは、レバーが嫌いな人ためのサポート料理。

ユリちゃんがそれだと知っているので、作った。


グリーンサラダは、緑色のサラダ菜や水菜の上に

同じサイズの小さいプチトマトとモッツァレラチーズを散らし

お菓子みたいな可愛さを演出。

ナメコの味噌汁は、かなりのナメコ好き以外

家ではあんまり食べないと思うので採用。


デザートの小玉スイカは、長崎産の「瓜坊」という品種。

すごく甘くて、しかも千円前後と安い。

私は今、このスイカにハマっているため、家にあるのを持って行った。


さて、会食の料理ができ上がった。

その頃には梶田さん御一行、すでに戦意喪失。

料理を賞賛するばかりで、ちょっと肩透かしだ。

調理中の台所をのぞきに来た一行に

できたての海老パンを一つずつふるまった途端

猫のように懐いてしまった。


少し遅れて席に着いたマンネン君は

腕組みをして料理をしげしげと眺め

「なるほどぉ、肉の巻き物ねぇ。

僕もやりたいんだけど、時間的になかなかできないんだよね〜」

と、やはり上から目線。


一番に焼豚を食したマンネン君、探偵のようにのたまう。

「この焼豚は、八角を使ってますね?」

当たり前じゃ…焼豚に八角は誰でも知っとるわい…と思いつつ

「さすが!よくご存知ですね!」

そう言って拍手したら、まんざらでもないご様子。

フフ。


次に鶏のレバーへと箸を伸ばしたマンネン君

食べるなり、「わ…この味、好き」と独り言。

今度は海老パンをかじったマンネン君

「やられた…」とつぶやいて、我々を凝視。

最終的にマンネン君は

「どの料理も家族に食べさせたいから、持って帰りたい」

と言った。

テーブルの下で、ガッツポーズのユリちゃん。

顔を見合わせ、ほくそ笑む我々であった。


ちなみに鶏レバー

敬遠する人も多いが、好きな人は大好きな食材である。

おいしく作るコツをお話ししておこう。


当たり前だが、まず新鮮なレバーを買う。

それからサッと洗って血の塊を流したら

ザルにあけるなり、キッチンペーパーで拭くなりで水気を切り

熱したフライパンで回りが白っぽくなるまで、から炒りをするのだ。

強火でから炒りをしてから味付けをすると

柔らかくて味がよく染み込んだ甘辛煮になる。

このやり方は、肉屋の奥さんに聞いた。

《続く》
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手抜かない料理・1

2020年06月05日 21時44分49秒 | 手抜き料理
先日、我々仲良し同級生の5人会は

メンバーの一人、ユリちゃんの嫁ぎ先のお寺へ料理を作りに行った。

この日は、毎月行われる勤行(ごんぎょう)の日。

特別に熱心な檀家が集まって勤行に参加し

皆で会食をするのが古くからの習わしである。


人数はコロナ前より少なくなって10人前後

それにユリちゃん夫婦と、ご主人モクネン君のブレーン

そして我々4人を合わせると、総勢20数人になるという。

当初はお寺の境内を整備する人たち数人の昼ごはんを作るという話だったが

いつの間にか、そういうことになっていた。


この行事、以前は料理上手の檀家が会食の調理を担当していたが

加齢によって歯が抜けるようにいなくなってしまった。

そこで料理の苦手なユリちゃんは、実家の兄嫁さんに頼んだり

買い集めた惣菜で乗り切っていたが

このところ兄嫁さんの体調が思わしくなく、惣菜のコレクションも手詰まり。

そこで我々同級生が出動することになったのだった。


我々にとってこの日は、特別な日になると思われた。

なぜなら一つ前の記事『女心』で触れた、梶田さん御一行が

我々の料理の腕前を偵察に来る。

料理自慢として、時折お寺で手料理を振る舞う彼女にとって

我々は気になる存在らしい。


そして我々もまた、彼女の偵察を快く思わなかった。

我々と同じく檀家でない彼女らが

わざわざ参加を申し出る真意を感じ取ったからだ。

本当の料理自慢であれば

作る側の負担を考えて遠慮するのが常識である。

故意に人数を増やしてまで来たがるのは

燃えるライバル心に他ならない。


「返り討ちにしてくれる!」

我々はそう誓い合い、献立の構成を練るのだった。

そうよ…会食は献立が全て。

本職の板前じゃないんだから

味の方は誰が作っても似たようなものさ。

何と何を組み合わせるかで食事の印象が決まり

結果として満足感につながるのである。


が、その日が近づくにつれ、ラスボスが別にいることを知った。

モクネン君の弟、マンネン君だ。

彼は大変な料理好き。

好きが高じて、本職である僧侶のかたわら

仕出しめいたことや出張料理人みたいなことをやっている。

そのマンネン君がプロの立場から、我々の料理に興味しんしんだそう。


「自分と比べて勝ち誇るつもりよ。

“たかがオバさん料理だろ?ま、いただいてみようかな”

って、最初っから上から目線だもの。

悔しいったらありゃしない。

私が戦うわけじゃないけど、絶対に勝って欲しい」

ユリちゃんは、我々を料理対決の土俵に立たせるつもりらしい。

美味しんぼか!


これを聞いた一同は色めき立ったが、私はそうでもない。

いつぞやユリちゃんの招きで

同窓会の面々が花火見物にお邪魔した際

彼の作ったオードブルを食べたことがあり

実力を知っているからだ。


当時の私の評価は、「パパの独りよがり」。

料理好きのお父さんが、自分の食べたい料理の中から

自分の作れる物ばかりを選抜して並べた感じだった。

つまるところ、フライと唐揚げのオンパレードで

季節感は無いに等しく、お世辞にもおしゃれとは言いがたく

粋や洗練なんてものは微塵も見当たらず

当然ながら味もありきたり。

これが無料なら、もうちょっと甘い採点をしたかもしれないけど

ちゃんと勘定を払ったので容赦ないのだ。


梶田さんだけでなく、マンネン君までが

我々の実力を試そうと待ち構えている…

この状況、私は選挙食の賄いで慣れているが

あとの3人は緊張しつつも、けなげに頑張ろうとしていた。

しかし、我々に与えられた条件は不利である。

目的地まで、車で1時間はかかるからだ。

そして会食が始まるのが11時半と、早い。


この日はユリちゃんの希望で昼の会食だけでなく

夜の小規模な会食も作ることになっていた。

間に合わせるには、かなり朝早く出なければならない。

とはいえ早く行ったところで、できることは限られる。

お寺の台所は狭く、4人が入ると効率良く立ち回れない。

しかもガスコンロの火は3つきり。

向こうで最初から作ると、完全に間に合わない。


そこでいつもの奥の手、『家で作れるところまで作って持ち込む』を

迷わず採用。

よって出発を9時と、あえて遅くして

私とけいちゃんは、自宅でできるだけ料理を作ることにした。


こうして大量の荷物と共に、4人はお寺へ乗り込む。

お寺には数年前まで、檀家でなければ台所へ入れない掟があったが

気にする檀家がいなくなったからか、背に腹は変えられないということか

我々5人会のメンバーは、すんなりと台所の人となった。


さて、当日の献立。

《昼の部》

牛肉の野菜巻き

鶏モモの八幡巻き

焼豚

揚げ高野豆腐のあんかけ

海老パン

鶏レバーのニラ炒め添え

キンピラごぼう

グリーンサラダ・トマトとモッツァレラチーズ添え

ナメコの味噌汁

白ごはん

香の物



手間のかかる牛肉の野菜巻きと鶏の八幡巻きは

けいちゃんが朝、家で巻き巻きして

後は焼けばいいようにして持って行った。

私は2日前から焼豚を煮込み

当日の朝は鶏レバーとキンピラごぼうを仕上げ

隠し球の海老パンの下ごしらえをして持って行った。


ちなみに海老パンとは、中華風のカナッペ。

①殻をむいた生の小海老を包丁で細かくなるまで叩く

②小口切りのネギ、酒、塩コショウ、オイスターソースそれぞれ適当に

片栗粉小さじ1、卵白1個分を入れて混ぜ合わせ、ディップを作る

③薄いサンドイッチ用の食パンを4つに切り

1個ずつ、カレースプーンで海老のディップを控えめに乗せる

④熱した油に、海老ディップの面を下にして投入し

パンがきつね色になってきたら裏返して少し揚げる

以上


難点は、新鮮な生海老がたくさん必要なため財布に厳しいのと

海老の殻むきに時間がかかることだが

味付けや揚げ方は簡単で、どうやっても美味しくなるから失敗が無い。

海老を乗せた面から油に入れると

離れてしまわないか心配になるかもしれないが

片栗粉と卵白のおかげで離れないから

安心して取り組んでもらいたい。

食べたら多分、ほっぺが落ちると思う。

人に食べさせたら、大絶賛間違い無しの最強料理である。

《続く》
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