殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

レジェンド・9

2016年03月24日 11時50分58秒 | みりこんぐらし
今はもう人に譲ったが

私の実家は運輸関係の会社を営んでいた。

うちの仕事は不規則できつい上に気を使い

そのわりには低賃金の業種だった。

しかも町で一番口うるさい祖父がいる。

条件は悪い。


不平不満を言う社員は、高度成長期の昔にもいた。

学校ではその人達の子供に

意地悪をされることもあった。

しかし家で言ったことはない。

いけないことだと感じていたからだ。

商売人の家に生まれたからには

耐えねばならぬことがある。


しかし、子供の私は知っていた。

そのような社員はじきに辞めていくことを。

だから辛抱も短期間である。


不平不満で働く人は、およそ半数。

1人か2人、中心人物がいて

それに同調したり流される人々が集まる。

誰かが辞めても、また次の人が出てきて

このグループが消滅することはない。


一方、同じ仕事をしているのに

いつも明るく楽しそうな社員がいることも

子供の私は知っていた。

残りの半数をしめるその人達は

私のような子供にも優しかった。


年月を経た今、はっきりしていることがある。

不平不満組は、辞めた後も職を転々としたことだ。

仕事が安定せず、家でも不平不満を口にするので

経済も家族関係もそれなり。

転職を繰り返すと

厚生年金のかけ金が途切れ途切れになるため

老後もそれなりだ。


明るく楽しくの組は、長く続いた。

その人達の中には、大企業から引き抜かれ

転職する者もいた。

仕事で何度か接触するとわかるのか

会社へ名指しで話が来るのは

愛想が良くて裏表のない、いわば一流の働き手だった。

定年まで勤めた人は、厚生年金に加えて

会社がかけていた個人年金が満額に達し

年に約百万円が支給されている。


会社や仕事の良し悪しよりも

同じ仕事を不平不満でやるか

明るく楽しくやるか。

三流でいいのか、一流になりたいのか。

結局はどっちの半数に入るかなのだ。



30年以上前の話になるが、私の祖父は

社員の一人に包丁で刺されたことがある。

住居不法侵入で寝込みを襲われたが、軽症。


口やかましい祖父は

社員に恨まれることがよくあったため

家族はさほど驚かなかった。

祖父の首の傷と引き換えに

何かと問題の多かった社員と縁が切れたのは

経営者としてむしろ幸運であった。


建設資材の会社を営む婚家でも、色々あった。

エピソードには事欠かないが

印象深いのは10何年前だったか

申し合わせて一度に辞めた4人の社員から

労働基準監督署へ訴えられたことであろうか。


そのうち2人は以前、交通死亡事故を起こした。

責任者として事故処理は当然の義務なので

逮捕、留置、遺族への謝罪、裁判と

義父は親身に付き添った。

「死んだ父親を思い出して、ありがたかった」

彼らは涙を流してそう言ったが

辞めるとなったら、誰しもこんなものだ。


訴えの内容は納得できないものであったが

義父は要求通りの示談金を支払った。

争っても支払いから逃げられないのだ。

このペナルティによって、傾きかけていた会社が

ますます傾いたのは言うまでもない。


5年前には、義父の所へテレビ局が来た。

報道番組の特集で、誰に聞いたのか

義父は悪徳業者の一人ということになっていた。


悪の才能も徳も無いから

会社が左前になっているのだが

義父はインタビューを受けた。

病み衰えていた義父には、昔のように

怒鳴って追い返す体力が無かったからであり

説明を求められたからには

代表者の社会的責任をはたすためであった。


この取材は、彼の心身に決定的なダメージを与えた。

直後に体調を大きく崩し

やがて最期の入院へと歩を進める。


取材のことを全く知らなかった夫は

数日後に放映された番組をたまたま見た。

どこかで見たことがあると思ったら

自分の実家だったそうだ。


胸から下しか映らない父親の話が

たいしたことなかったからか、応接間の調度品や

洋酒の瓶が並ぶ棚が映し出され

いかにも悪徳業者らしい感じだと言っていた。

私は見そびれたことを残念に思った。



以上は苦労話ではなく、笑い話。

規模の大小にかかわらず、会社なんかやっていると

不測の事態だらけで、ろくでもない話には事欠かない。


小さな責任、大きな収入

楽しい仲間に囲まれて、資格を生かして生き生きと‥

悩める若者はこの状況を望み、得られないから悩む。

しかしその状況は、一生待っても得られない。


ある程度の収入が欲しければ、命がけの責任が付いて回る。

楽しい仲間なんぞとのんきなことは言っていられない。

中では社員に悪口を言われ

外では憎まれ嫉妬され、落とし穴が待っている。

資格どころか刺客も来て

生き生きどころか殺されかける。

望ましい条件には、それなりのリスクが

セットで付いてくるのだ。

それらの現実をしっかり把握してから

改めて悩んでみてもらいたいと思う。


(続く)
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レジェンド・8

2016年03月16日 15時13分30秒 | みりこんぐらし
仕事に悩む若者の、悩みの正体は親。

しかし、親が悪いというわけではない。

子供が気軽に仕事の愚痴を言える親は

基本、いい親だ。

油断ならない親だと

うっかり愚痴なんぞこぼそうものなら

どんな災難が降りかかるかわからないので

子供は言わない。


子供はいい親の保護のもと

家にお金を入れない父ちゃんや

夜遊びで帰って来ない母ちゃんなんて知らずに

安心して大きくなった。

成人後も親の強い保護で

助かったり得をすることも多いが

本人は当たり前と思って気がつかないだけだ。


手と金を出す者は、口も出す。

恩恵は享受しておきながら、この問題については

さんざっぱら悪口という情報を流しておいて

そっと黙って見守って欲しい‥なんてのは無理。

それを世間では、甘えと呼ぶ。


じゃあ、どうすればいいのか

ということになるわけだが

ここで悩める若者、最大の共通点を

お話しなければならない。

「親孝行を知らない」である。

悩める若者は、揃いも揃って親孝行の経験が無い。


「今まで親の言う通りにしてきた。

それが親孝行だと思う」

「親の身体を心配したり

親の老後のことを考えたりしている」

中にはそう言う子もいるが

それは親孝行ではなく、頭で考えるだけのエア孝行。

行の字がついているんだから

実際に行動しなければ、孝行にはならんのじゃ。


社会人になるということは、収入を得ることだ。

ささやかでも、自分の稼ぎで親に小遣いをやったり

プレゼントや外食で喜ばせたことがあるだろうか。

親が遠慮するのをやんわりと制して

ニコニコしながら自分の財布を

開いたことがあるだろうか。


家から通勤している場合

毎月ほんのおしるし程度の食費を

大きな顔で渡したり渡さなかったり‥

光熱費?知りません‥

シャンプーやトイレットペーパー?

いつも、どこからか湧いて出てきます‥

こんな子が仕事を辞めたら

経済的に行き詰まるのではないかと

心配になるのは当たり前である。


社会人になるとは、大人になることでもある。

大人とは、照れや反抗から卒業し

慈悲と奉仕の心を備えた人のことだ。


親に上着を着せかけてやったり

ドアを開けてやったことがあるだろうか。

「いつもありがとう」

親の目を見て、そう言ったことがあるだろうか。


家でやらないんだから

よそでもやってないのは明白である。

それでも親は我が子がかわいいので

「あの子は優しいところがある」

などと思いたい。


イメージはそうでも、実績はゼロ。

親は「この子なら、どこへ出しても大丈夫」

という確信をいまだ得ていない。

そのゼロが、退職と転職の

大バクチをすると言い出した。

ちょっと待てと言いたくなるのは当たり前だ。


ここで言う親孝行は、道徳や開運のためではない。

前もって親に信頼される実績を積んでおかないと

何歳になっても子供扱いだ。

対等でないから、かなわないから

退職後の親の態度が心配になる。


同じ打算なら、悪口の根回しより

親孝行にウェートを置いた方が効率が良い。

職場の愚痴を聞かせるのは簡単だが

親孝行の方は気を使うし

お金がかかる時もあるし

気恥ずかしくて面倒臭いからやらないだけだ。


まず親に「ありがとう」と「ごめんね」が

頻繁に言えるように練習するといい。

悩める若者が、滅多と使用しない日本語だ。


会社の愚痴を聞かせている今だって

本当なら「ごめんね」と謝るのが礼儀である。

罵詈雑言、呪いの言葉を何百回もぶちまけるより

「こんなこと聞かせて、ごめんね」

と言った方が、親の態度は軟化する。

親は「また悪口を聞かされて責められる」

と身構え、硬くなっているので効果は大きい。

一方的にギャンギャン言いっぱなしの

たれ流しだから、親のガードが硬くなり

何を言っても否定されるのだ。


ありがとうとごめんねを練習しているうちに

親は身構えなくなる。

そしたら若者本来の優しさが

行動で発揮できるようになる。

彼らは本当は

大切に育てられた優しい子達なのだ。


食事の時、箸を取って渡してくれた‥

帰りが遅くなった時、洗濯物を取り入れてくれた‥

外に出た時、背中に手を添えてくれた‥

こんな小さなことで至上の喜びを感じる

ふびんな生き物、それが親である。


我が子と楽しい時間を過ごせるとなると

親の口は自然におとなしくなる。

これが信頼を得るということである。


まず親を懐柔すると

他人にどう振る舞ったらいいかが

わかってくる。

一番身近だけど一番手強い親よりも

他人の方がよっぽど気楽と知るだろう。

親を懐柔したことで、いざという時の避難場所

家の門も開かれた。

その時点で再び仕事を見つめ直し

やはりどうしても無理ならば

さっさと辞めたらいい。


親孝行を知った若者は、砂漠にダイヤモンドが

落ちていないことも知る。

たとえ落ちていても、今の自分では

見つけられないとわかる。

親の一匹や二匹、コントロールできないで

会社に喧嘩を売ろうとするのが

間違いだったと恥じ入るであろう。

その謙虚があれば、転職した先でも

どうにかやって行けるはずだ。

(続く)
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レジェンド・7

2016年03月13日 10時44分09秒 | みりこんぐらし

仕事に悩む若者に見受けられる共通点を話し

現実に実行可能な修正案を提示したものの

これっぽっちのことで悩みが解消されるなら

最初から悩んだりしないのも、また現実である。


だってあの子達は、誰が何を言っても

聞いてやしない。

話に出てくる悩める若者達と

特別な環境で特別に苦労している自分とは

全くの別物だと思っている。


目を輝かせて反応するのは

「じゃあ辞めたら?」の一言のみ。

結局、辞めたくてどうしようもないんだから

あれこれ言ったってしょうがないのだ。


彼らは苦しみの中で、自分なりに

たくさんのことをさんざん考えており

ありきたりなアドバイスや親の意見には

ちゃんと反論を用意してある。

「もう少し頑張ってみたら?」

「これ以上、何を頑張れとっ?」

「そのうち何か変わるかもしれないじゃない」

「そのうちって、いつっ?何かって、何っ?」

「みんな同じように悩みながらやってきたんだから」

「こんなにひどくなかったはずっ!」


しかし、この会話のテーマを

仕事でなく、亭主の浮気に置き換えても

なぜかやりとりが成立するのは

いささか興味深い部分ではある。


つまりそれは私の得意分野であり

この路線で考えると

彼らは仕事に悩んでいるわけではない。

仕事はとうに辞める気になっており

その面では決着がついている。

悩んでいるのは、その先だ。

彼らが本当に悩んでいる問題はただ一つ

退職後の親の態度である。


仕事を辞めたら、とりあえず家に居ることになる。

その際、待遇が悪いのは困る。

まず家で仕事の疲れをゆっくり癒し

それからじっくり次の仕事を探したい。

その間、親に小言を言われたり

どうするつもりかと毎日責められるのが

死ぬほど嫌なのだ。

会社にいる時は待遇にこだわり

それが原因で辞めたら、今度は家の待遇が心配になる‥

それが悩める若者の本当の悩みなのである。


親は、まさか自分の子供が

そんなことで悩んでいるとは夢にも思っていないし

悩める若者本人も、自分がそのことで

苦しんでいる自覚はない。

しかしその路線でコトを眺めると

納得がいくのはまぎれもない事実である。


最初に退職ありき。

その目的のため、悩める若者は

家での安全を確保すべく、懸命に根回しをしているのだ。


それにはまず、責任者をこしらえて

完璧な被害者になっておく必要がある。

大人から見れば浅知恵だが、本人は必死。

会社は、特別に悪くなければならない。

仕事は、特別にきつくなければならない。

周りの人は、特別に意地悪でなければならない。

日々会社の文句を訴えて、根回しを続ける。

今や、根回しのネタを探しに会社へ行ってるんだから

嫌なことは際限なく見つかり、ますます嫌になる。


親に言われて、私のような

わけわからんおばさんと会うのも根回しの一つに過ぎない。

わけわからんおばさんも、責任者の一人に計上するためだ。

「会えと言うから会ったのに

ますます傷ついた!どうしてくれる!」

待遇を良くするために

親の失策はぜひコレクションしておきたい。


そのために彼らは我慢して会ってくださるのだ。

でなければ、誰がわざわざよそのババアと

話なんかするものか。

ガキの打算なんざ、お見通しじゃ。


しかしこのガキの打算、裏を返せば

それだけ親が手強いということになる。

そもそも私の場合

親に頼まれて話を聞くことが多い。

こんな凡人にまで話を持ちかけるんだから

親はそれほどに心を痛めており

ワラにもすがりたい気持ちなのは一目瞭然だ。

だからワラとしては

年はイッてても親の保護が強い子供と

話をすることになるのは最初からわかっている。


ワラが見たところ

こういう子の親はたいてい真面目。

子供のお土産に

努力と書いた貯金箱を買いそうなタイプ。

そして、おしなべて口が立つ。

子供には太刀打ちできない。


自分が仕事を辞めるということは

彼らの親にとっては大災難のレベル。

どんなに嘆き悲しむことだろう。

そして毎日グズグズ言われるのは明らかだ。

それを説得してくつがえし

静かな環境を得るのは至難の技だと

悩める若者は誰よりも知っている。

難しいから悩むのだ。


彼らの心はすでに退職しており

会社へ行っているのは抜け殻‥

抜け殻が仕事をするんだから、ロクなことはない‥

仕事の悩みという表向きの事情を装いつつ

家に居場所を探している‥

この逆説が成立するのではないか。

私はそう感じている。

(続く)
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レジェンド・6

2016年03月11日 10時19分53秒 | みりこんぐらし
商売は、時代の変化によって移り変わる。

ガスと電気が普及すれば

薪や炭を売る店が減るように

需要の減った商売が衰退するのは

自然の成り行きだ。


サラリーマンだって商売。

自分の労働を会社に販売している。

時代が求めているものを店先に並べなければ

商売が行き詰まるのは当然である。


好景気の昔は、とにかく人手が必要だった。

そのため採用のハードルは低く

大勢にもまれて競争することで

人材は自然に育った。


不況の今は、付加価値の高い働き手が

求められている。

節減一方の人件費を

さらに減らす経営努力も必要ではあるが

相手は生きた人間なので文句が出るから

そうたびたび削るわけにはいかない。

そこで少ない人件費が

有効活用されているかどうかに目が行くわけだ。


与えられた仕事をきちんとこなすのは

当たり前。

その上で、明るく爽やかな印象‥

人を清々しくさせる気配り‥

親がしっかり躾けたんだな、と思わせる気働き‥

外に出して人に会わせても安心な立ち居振る舞い‥

企業は、一粒で二度おいしい

グリコアーモンドキャラメルみたいな人材を

求めるようになった。


事務職も技術職も

サービス精神が必要な時代なのだ。

「見てくれが変」「出勤時間が遅い」「無愛想」

この三大特徴の若者に共通しているのは

サービス精神の不足である。

言い方を変えると、サービス精神の不足を

三大特徴で表現している。


見てくれを整えるのも

少し早めに出勤するのも

愛想良く振る舞うのも

今や社会人として最低限のサービス。

それを常識と呼ぶ。


生まれっぱなしのまんまでは

働き続けるのが難しい時代に入ってしまった。

自分を時代のニーズに合わせなければ

生きにくい。

時代に合ってないから辛いのだ。

時代を自分に合わせようとするから

いつまで経っても思い通りにならず、苦しい。


コーヒーなんか出てきて

「おばちゃん、お砂糖いくつ?」と聞ける子は‥

先に立ってドアを開け「どうぞ」と言える子は‥

室内でコートやダウンを脱いで挨拶ができる子は‥

仕事で悩まないものだ。


そう、ちょっとしたことでいい。

人が自然にやっているちょっとしたことが

サッとできないから周囲に首をかしげられ

出自や育ちを詮索され、親の顔に泥まで塗っている。


怪しまれながら、明るく楽しく働くのは難しい。

面白くないから、仕事がいちだんときつく感じる。

仕事に押し潰されるようで、お先真っ暗な気分だ。

逆流に向かって泳ぐのは、しんどくて続かない。

そりゃ辞めたくもなる。


辞めるのは自由だが

どこかの時点で時代を意識する癖を

つけておかなければ

転職しても似たようなことになる。

転職するたびに新人のペーペーから始まり

転職するたびに年金の支払いは途絶え

転職するたびに年を取るから

条件は悪くなる。

社会情勢には無関心でありながら

待遇だけ目を皿にして、大文句タレぞう。

先でタレぞうを待っているのは

冷や飯だけである。


僕は私はドジでのろま、と自虐しても始まらない。

時代に折れるのだ。

人に折れるのはなかなかできないが

相手が時代となれば、いっそ気が楽であろう。


特別な修行はいらない。

フリでいいんだ、フリで。

ドラマに出てくる執事やお抱え運転手なんかは

わりと参考になる。

好印象を与える所作を探し

一つずつ真似をすればいい。


人というのは、案外単純にできている。

車の乗り降りの時

サッと駆け寄ってドアを開け閉めしてやり

その際、頭がぶつからないように

手でガードなんてしてやれば

顔には出さなくても、心じゃ泣いて喜ぶ。


上着を着る時、サッと後ろに回って

着せかけてやればさらに喜ぶ。

休めの姿勢で立っていたら

頬杖をついて座っていたら

憂いに浸ってぼんやりしていたら

サッと動けずに出遅れることがわかると思う。


媚びや迎合ではない。

大切に扱われている‥

気にかけてもらっている‥

それがわかると、人は嬉しいものだ。

その喜びは、悩める若者が

今一番欲しいものではないのか。

それを一切れも他人に与えず

自分ばかり欲しがるのは

もはや時代遅れなのだ。

(続く)
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レジェンド・5

2016年03月05日 11時14分02秒 | みりこんぐらし
お次は無愛想についてだが、こちらもやはり

使う側と使われる側で、意識の差がある。


寝不足で会社へ行けば

仕事をこなすのがやっとで、愛想どころじゃない。

ふてくされて職場へ行き

小さな声でおはようございますを言ったら

大きな顔で仕事を始める。

時にため息。

「辛いのに、しんどいのに我慢しています」

のオーラ全開で自分の窮状を知らせ

勤務及び給与体制に一石を投じているつもり。


しかし彼らは、その先を考えていない。

辛い、苦しいが本当に伝わってしまった時

会社は、そして人は

共存でなく排除のモードに入ることなど

悩める彼らは知るよしもない。


不満を態度に表す者の言いたいことは

使う側にはわかっている。

なんだかんだ言ったって、結局のところは

人を増やして勤務を緩めろ、または給料を上げろ

この二つしか無い。


使われる側は、些細なことに思える。

「ほんの一人増やすだけじゃないか」

「少し上げるだけじゃないか」

しかし、使う側にとっては一大事。

人を増やしたら人件費が発生する。

使われる側は「月に20万かそこらじゃないか。

これくらいのことがなぜできない」

と考えるが、会社は数字を年間で考える。

無愛想な者を喜ばせるために、年間240万も使えない。


給料を上げるのは、もっと大変。

悩める若者は自分の給料のことしか考えず

自分の働きは昇給に値すると思っているが

会社としては、一人だけ上げるわけにはいかない。

規模にもよるが、年間になると

数百万、数千万単位で人件費が増える。

この金額をひねり出せる利益の見通しが

簡単に立つご時世ではない。

万が一それができたとしても、社員はささやくのだ。

「たったこれだけ」


一旦増やした人員は、簡単に切れない。

一旦上げた給料は、簡単に下げられない。

これが来年も再来年もずっと続く。

その費用を誰が出し、誰が責任を持つのか。

少なくとも、無愛想で不満を訴える者ではない。

増員、昇給という、使われる者にとっては

ささやかでもっともな願いは

使う側にとって経営を揺るがす野望なのだ。


野望の持ち主との共存を模索するより

排除を考えた方が低コストで安全である。

しかも自己都合で去ってくれれば、無傷。

使われる者は、それを卑怯と呼んで憎むが

何と言われようと、会社を守るためには

それが常識である。


何より使う側は、無愛想の願いを叶えたって

じきにまた、顔で不満を示して

終わりが無いことを知っている。

さらに二匹目のドジョウを狙って

第二、第三の無愛想が出現することも

そして無愛想達は続かないので

意見を聞いて善処したって無駄なことも

使う側は経験で知っている。

顔や態度で不満を表せば望みが叶う前例は

死んでも作るわけにいかない。

顔や態度に不満を出しても

しんどいばっかりで何もならない。


無愛想は、使う側に対しても損だが

同僚に対しても損だ。

悩める若者が出現するくらいだから

その職場は確かにきつい所だ。

働いている人達も、いい職場とは思っていない。

年齢を始めとする諸事情で

選択肢が他に無いから我慢している。


若僧や小娘は、なにしろ若いんだから

ここを辞めても就職しやすいし

親も健在だから無職になっても食べられる。

退路を持ちながら、現状にケチをつけているのだ。

逆に言えば、お気に召さない職場で

ふてくされていられるのは退路があるからだ。


大人、つまり年配者は

若者が考える以上に、この退路に敏感である。

「簡単に次が見つけられるはずがないし

親もそれほど優しくはない」

悩める若者は言うが、転職しやすい若さと

泣いて帰れば不承不承でも受け入れてくれる親を

持っているのは、本人以上に周りが知っている。


ただでさえきつい仕事なのに

退路を持つ若僧や小娘のご機嫌まで

うかがわなければならないとなると

バカにされているような気持ちになる。

ふてくされないと働けない職場であれば

早く辞めたらいい‥

共存より排除の方向に向くのは、必然である。


人間というのは横着な生き物で

いつも笑顔の者をより笑顔にするのは

簡単で達成感が大きいのでやりたがるが

不機嫌な者を笑顔にするのは

骨が折れる上に達成感が少ないと知っている。


だから無愛想で粗末に扱われるより

笑顔になりましょう言いたいところだが

無愛想の困ったところは

本人にその自覚が無いところである。

つまり改善が難しい。


そこで、たった一つ気をつけてもらいたい。

口角が上がるよう、口に力を入れるのだ。

意識して、常にやってもらいたい。


ずっとやっていると癖になり、やがて表情が変わる。

ふいに呼ばれて顔を上げても仏頂面ではなくなる。

顔を上げた瞬間の表情が大切なのだ。


口はへの字、眉間にシワ、三角になった目‥

人はこれを嫌がる。

そこからスタートして、のちほどスマイルを振りまいても

マイナススタートは挽回できない。

口角に力を入れると、いつも笑っているように見え

表情筋のシステムにより、眉間にシワが寄らない。


真剣と無愛想は違う。

いつも笑って見える子は

人、そして運命から、大切に扱われるものだ。

(続く)
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