小林麻央さん、亡くなりましたね。
34才、若すぎます。
ご冥福をお祈りいたします。
11才の時、当時37才の母親を癌で亡くしている私は
麻央さんの闘病の姿をテレビで見かけるたびに
残り時間が少なくなっていることをひしひしと感じていました。
幼い子供を遺して旅立つ‥
それはかわいそうとか心配などの段階ではなく
斬鬼、そして無念そのもの。
母親は、血の涙を流すのです。
死期が迫るにつれて諦めがつくようですが
麻央さんのお子さんはまだ小さいので
どうか一日でも長く‥と願わずにはいられませんでした。
昨年、テレビで相撲の九州場所を見ていた時
ご主人の海老蔵さんが、お子さんを連れて観戦している様子が映りました。
中村獅童さんも一緒だったと思います。
有名人なんだから前の方の良い席を取れるはずなのに
お子さんのためか、土俵から離れた空いた席に座っていました。
若い頃のギラギラした感じが消えており
カジュアルな普段着の男っぷりもさることながら
我が子に向ける海老蔵さんの眼差しに、ハッとしました。
優しさや温かさと言ったら俗っぽくなってしまうような
一つの決意を秘めた‥あれは、気高さでした。
奥さんが亡くなる前の父親は
自然にひとり親になる練習を始めるのかもしれません。
気高さの方はともかく、うちの父親も
ひとり親になる練習期が確かにありました。
普段から私たち姉妹の面倒をよく見てくれる父でしたが
出張のお土産が豪華になってセンスアップしたり
忙しい仕事の合間を縫って、父娘3人で出かける回数が増えたものです。
夏、近くの海岸へ泳ぎに行きました。
父と私たちだけで海水浴に行ったのは、後にも先にもこの時だけです。
仕事の都合で夕方になりましたが
私たち姉妹は喜んで付いて行きました。
暮れかけた海岸には誰もいません。
ちょうど潮が引き始めたところで
穏やかな瀬戸内海とはいえ、波が荒くなっており
子供らしく浮き輪で漂うには無理がありました。
と、父は私を背負い、沖に向かって泳ぎ始めました。
父の肩につかまり、背負われて泳ぐと
父の調子に合わせて体が大きく浮いたり沈んだりします。
それは遊園地のどんな乗り物より楽しく
私はクジラになった気分でした。
ザーッ、ザーッ‥父は黙って力強く進み
私はどこまでも、どこまでも、大波を越えて行けるような気がした‥
あの感触は、今でもはっきり覚えています。
私はこの時から、徐々に母の死を悟り始めたように思います。
母親のいない生活に向けて
父は子に何かを与え、子は父からそれを受け取りながら
少しずつ心を慣らしていくのかもしれません。
ところで先日、同級生の娘さんが、やはり癌で亡くなりました。
彼女のお父さんは小学校から高校までの同級生
お母さんの方は、高校の同級生です。
亡くなった娘さんは麻央さんと同じ34才。
同じく幼い女の子と男の子のお母さんでした。
腰痛で整形外科に行ったら、胃癌の末期だったそうです。
家族で実家に帰って闘病すること1年、余命宣告通りでした。
喪主の挨拶をする父親に、女の子がかじりついて離れず
弔問客の涙を誘いました。
私も母親が死んだ時を思い出して泣きました。
この幼い子供たちが、どうかたくさんの人に護られて
幸せな人生を送れますように‥
そう祈りました。
娘を亡くした同級生A君夫婦は、夫唱婦随のおしどり夫婦。
A君は若い頃に始めた自営業が順調で、いつも自信満々。
発言力も押しも強く、ガキ大将がそのままおじさんになったような男。
奥さんのBちゃんは、そんなA君をニコニコしながら見守り
黙って付いて行く優しい子。
「A君が一番幸せかも」
たいていのことは思い通りにしてしまう強さを持ち
それをフォローして世間とのクッションになってくれる妻を持ち
孫まで持っている‥
私たち女子は、半ば冗談混じりにそうささやき合っていました。
みんな、このまま老いて行くはずでした。
娘さんが闘病中というのは、同級生の誰一人として知らず
今年の始め、彼と一番仲のいい男子が
「Aは何かあるような気がする」と言い出した時も
「年よ!」と、誰も気に留めませんでした。
ところがこの不幸。
打ちひしがれたA君に同級生一同、言葉もありませんでした。
「なかなか結婚しないだの、いつまで経ってもしっかりしないだの
言うのはもう、やめよう‥
親子がお互いに、生きていられることを喜ぼう」
あれから私たち同級生は、そう言い合っています。
34才、若すぎます。
ご冥福をお祈りいたします。
11才の時、当時37才の母親を癌で亡くしている私は
麻央さんの闘病の姿をテレビで見かけるたびに
残り時間が少なくなっていることをひしひしと感じていました。
幼い子供を遺して旅立つ‥
それはかわいそうとか心配などの段階ではなく
斬鬼、そして無念そのもの。
母親は、血の涙を流すのです。
死期が迫るにつれて諦めがつくようですが
麻央さんのお子さんはまだ小さいので
どうか一日でも長く‥と願わずにはいられませんでした。
昨年、テレビで相撲の九州場所を見ていた時
ご主人の海老蔵さんが、お子さんを連れて観戦している様子が映りました。
中村獅童さんも一緒だったと思います。
有名人なんだから前の方の良い席を取れるはずなのに
お子さんのためか、土俵から離れた空いた席に座っていました。
若い頃のギラギラした感じが消えており
カジュアルな普段着の男っぷりもさることながら
我が子に向ける海老蔵さんの眼差しに、ハッとしました。
優しさや温かさと言ったら俗っぽくなってしまうような
一つの決意を秘めた‥あれは、気高さでした。
奥さんが亡くなる前の父親は
自然にひとり親になる練習を始めるのかもしれません。
気高さの方はともかく、うちの父親も
ひとり親になる練習期が確かにありました。
普段から私たち姉妹の面倒をよく見てくれる父でしたが
出張のお土産が豪華になってセンスアップしたり
忙しい仕事の合間を縫って、父娘3人で出かける回数が増えたものです。
夏、近くの海岸へ泳ぎに行きました。
父と私たちだけで海水浴に行ったのは、後にも先にもこの時だけです。
仕事の都合で夕方になりましたが
私たち姉妹は喜んで付いて行きました。
暮れかけた海岸には誰もいません。
ちょうど潮が引き始めたところで
穏やかな瀬戸内海とはいえ、波が荒くなっており
子供らしく浮き輪で漂うには無理がありました。
と、父は私を背負い、沖に向かって泳ぎ始めました。
父の肩につかまり、背負われて泳ぐと
父の調子に合わせて体が大きく浮いたり沈んだりします。
それは遊園地のどんな乗り物より楽しく
私はクジラになった気分でした。
ザーッ、ザーッ‥父は黙って力強く進み
私はどこまでも、どこまでも、大波を越えて行けるような気がした‥
あの感触は、今でもはっきり覚えています。
私はこの時から、徐々に母の死を悟り始めたように思います。
母親のいない生活に向けて
父は子に何かを与え、子は父からそれを受け取りながら
少しずつ心を慣らしていくのかもしれません。
ところで先日、同級生の娘さんが、やはり癌で亡くなりました。
彼女のお父さんは小学校から高校までの同級生
お母さんの方は、高校の同級生です。
亡くなった娘さんは麻央さんと同じ34才。
同じく幼い女の子と男の子のお母さんでした。
腰痛で整形外科に行ったら、胃癌の末期だったそうです。
家族で実家に帰って闘病すること1年、余命宣告通りでした。
喪主の挨拶をする父親に、女の子がかじりついて離れず
弔問客の涙を誘いました。
私も母親が死んだ時を思い出して泣きました。
この幼い子供たちが、どうかたくさんの人に護られて
幸せな人生を送れますように‥
そう祈りました。
娘を亡くした同級生A君夫婦は、夫唱婦随のおしどり夫婦。
A君は若い頃に始めた自営業が順調で、いつも自信満々。
発言力も押しも強く、ガキ大将がそのままおじさんになったような男。
奥さんのBちゃんは、そんなA君をニコニコしながら見守り
黙って付いて行く優しい子。
「A君が一番幸せかも」
たいていのことは思い通りにしてしまう強さを持ち
それをフォローして世間とのクッションになってくれる妻を持ち
孫まで持っている‥
私たち女子は、半ば冗談混じりにそうささやき合っていました。
みんな、このまま老いて行くはずでした。
娘さんが闘病中というのは、同級生の誰一人として知らず
今年の始め、彼と一番仲のいい男子が
「Aは何かあるような気がする」と言い出した時も
「年よ!」と、誰も気に留めませんでした。
ところがこの不幸。
打ちひしがれたA君に同級生一同、言葉もありませんでした。
「なかなか結婚しないだの、いつまで経ってもしっかりしないだの
言うのはもう、やめよう‥
親子がお互いに、生きていられることを喜ぼう」
あれから私たち同級生は、そう言い合っています。