殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

みりこんばばの時事・衆議院選挙

2024年10月29日 09時38分04秒 | みりこんばばの時事
期日前投票には行ったけど、自民大敗、野党躍進はわかっていたし

安倍さん亡き後は楽しみも無く、高市早苗さんが総裁選で敗れたのもあって

今一つ燃えなかった。


え?高市さんファンかって?

そういうわけじゃないけど、疲弊した日本に

何か灯りを灯してくれそうな期待感はあった。

もはや、期待だけでいいのだ。



そんな冷めた心でも、一応はウグイスだもんで

新聞の選挙関連の記事には入念に目を通す。

その記事の中、とある選挙区に見覚えのある人物を発見。

某野党から、初めて立候補した人だ。

これは、なかなかの衝撃だった。


彼のことは昔、記事にしたことがある。

関わっていた選挙選で同じ陣営にいた、当時20代の若者だ。

いずこからか、この町にやって来たばかりの彼は

市の活動がきっかけで候補夫妻のお気に入りに落ち着いた。


彼は資格を頼りに就職が決まっていたが

本格的に出勤を始める前の準備期間を利用して

選挙カーの後続車両に乗ることになった。

整った顔立ちの爽やか男子に、陣営の奥様たちもトリコ。

A君、A君とアイドル並みの大人気である。


一方、私は彼を冷ややかな視線で眺めていた。

後続車とはいえ、選挙車両に搭乗する身でありながら

ジャージの上下、つまりリラックス用の衣類を着ていたからだ。

「普通のきちんとした服、着て」

と注意したら、スポーツ関連の仕事のため

ジャージしか持ってないと言う。

候補の奥さんの口添えもあって私が折れたが

ああ、こいつは都合の悪いことに理由をつけて逃げるタイプじゃな…

と理解した。


ジャージの厚かましさもさることながら、私の猜疑心を刺激したのは

候補夫妻のお気に入りという点である。

田舎の議員というのは社会経験が乏しく

人間関係に揉まれてない人が多いので、たいてい人を見る目が無い。


この候補は坊ちゃん育ちなので、特にその傾向が強い。

地元でしっかり票を集める働き者は、自分の意見を言うので煙たがり

何もできないよそ者をチヤホヤする悪癖があった。

通りすがりの人間は責任が無いので、従順だからである。

そんな候補が目に入れても痛くないほど可愛がっているからには

マユツバと見て間違いないのだ。


案の定、選挙期間中の彼は私の期待にこたえてくれた。

路上に並んでお辞儀を繰り返す時には、自分だけ平然とスクワット。

体育会系なので、お辞儀を繰り返す暇があったら

ちょっと似た動作のスクワットをする方が、彼にとって合理的なのだ。

本人が言うには癖だそうで、改めることはなかった。


票の方にはとんと関心が無く、頑張るのは食事のお代わりだけ。

大量摂取で腹がふくれたら、選挙事務所で唯一のトイレを占領。

食べたら出すのが、彼にとっての体育会系らしい。

他の者は別のトイレへ走るので、午後の出発はいつも遅れた。

そして午後は、後続車でスヤスヤと就寝が日課である。


トドメは最終日。

期間中、彼を可愛がりまくった候補の奥さんが

「A君、明日は選挙に行ってね」

そう言うと、彼の返事は素晴らしかった。

「僕、こっちへ来て日が浅いから選挙権が無いんですよ」

彼の投票用紙は、前に住んでいた関西に届いているそうだ。

明るく爽やか、素直でやたらと元気のいい仮面のその裏は

能天気で図々しく、常識を知らない役立たず…

睨んだ通りの人物像に、私はほくそ笑んだ。


「楽しかったです!」

解散する時、彼は明るく私に言い

「二度と来るなよ」

私は笑顔で言った。

20年ぐらい前のことだ。


その選挙が終わって以降、彼に会うことは無かった。

しかし今回、この町とは違う土地で

衆院選に立候補しているではないか。


どうしてこんなことになったのか。

空白の20年を辿る気も無いが、あの時に選挙の楽しさを知ったのかもしれない。

爽やかなイケメンヅラは20年の時を経て

濃ゆい顔の中年と化している。

しかしあの顔、あの名前、あの年齢、あの経歴、間違いない。

私のブラックな喜びをご理解いただけるだろうか。


そして結果…彼は落選した。

だけど顔と体格が良くて見栄えがするのと

野党の勢いもあって票はかなり取ったので

翌日には比例で復活当選しおった。


二度と来るなどころか

当時の候補よりずっと偉い代議士先生になっちまったでねえか。

あんなヤツのために貴重な税金が使われるのか。

チッ!

しかし思えば、無責任でいい加減

逃げるのがうまく、おのれの利益には貪欲…

議員の素質は十分である。

今後の活躍に期待?したい。

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戦うランチ

2024年10月22日 13時31分24秒 | みりこんぐらし
涼しくなったので、我ら老女の動きは活発になり

ランチ会が増えた。

集まってランチを楽しむグループは複数あるので

このところ週に2回は行っている。


友だちとランチって、実は苦手。

なにせ我が家は男が3人、昼食に帰って来るじゃんか。

月水金は実家の母サチコのデイサービスの送り出しもあるから

実家への往復で1時間はロスするし

男どもと義母ヨシコの食事を用意して外出するとなると

ハードなのよね。

食欲旺盛な4人に食べさせるには

前の晩の残りや有り合わせじゃ無理だもの。


息子たちは気を利かせて外食してくれることもあるけど

夫とヨシコは必ず家で食べるので、結局は同じこと。

私の留守にヨシコが食事の世話をしなくていいよう

何もかも用意して出かけるって、けっこう消耗する。

家を出る頃には、早くも疲れてるわけよ。

だったら断ればいいようなもんだけど、約束が決まるとやっぱり行っちゃう。

いけないお薬みたいなもんね。


そんな苦行に近いランチ会…

先週末はユリ寺の料理仲間、梶田さんの案内で

市外にある自然食カフェに行った。

足首を骨折して、しばらく会えなかったモンちゃんの快気祝いだ。

他のメンバーはいつものマミちゃんと

最近仲間に加わった美人の同級生、トキちゃんの合計5人。


梶田さんは自然食の料理を習っているのもあって

この手の店をよくご存知である。

だけど自然食のカフェって、私にとっては鬼門。

だってさ、たいてい古民家じゃん。

古民家をちょこっと改装して

「いかが?素敵でしょ?」

とでも言いたげな、あの押しつけがましさがしんどい。


雰囲気だけじゃなく、物理的問題も深刻。

お金をかけずに作った店のテーブルや椅子は

どこぞから不用品を引っ張ってきたらしき応接セットが多い。

この店もそれ。

身体が深く沈む応接セットに座ってご飯食べるのって

ひと口ひと口、食べるたびに身体を起こさないといけないから

すでに疲れて参加する私には厳しいのよ。


しかも古民家は、室温管理がずさん。

古民家だから風通しがいいと思っているのは店主だけだし

古民家ってエアコンが存在しない時代に建てられたので

店の大きさに合った機械を効率のいい場所に設置することが難しいため

エアコンの効きが悪いのは決定事項。


この日は雨が降っていたし、季節的には涼しいから

エアコン無しでいいようなものだけど、湿気は解決されない。

しかも暗い古民家を明るく演出するのと、料理を映えさせる目的のために

きつい照明を使っているから暑いのなんのって。


このところ続いたランチ会で疲労気味だったのと

応接セットの重労働、容赦ない湿気、熱々の照明が災いして

この日、私は食事の途中で気分が悪くなった。

が、そんなそぶりは見せられない。

口元にハンカチを当てて上品げに振る舞いながら

実情は必死で吐き気と戦っていたのだ。

つらかった。



前菜


メインは揚げた鶏肉とゴボウを甘辛く味付けして

白ごはんの上にかけた、丼みたいな物。

鶏とゴボウのこれ、病院のメニューにあったぞ。

ああいう仕事を経験してると、損ね。

病院食と同じだと思ったら、一気に冷めるでやんの。



さて、梶田さんは次のランチ会も別の自然食カフェに案内したいと言い

帰りには日時が決まった。

彼女はこういう、カジュアルなお料理が好きみたい。

健康に良くて、自分で作れそうで、飾りつけの参考になる物。

和洋中問わず、自分じゃ作れない物が食べたい私とコンセプトは違うが

梶田さんは楽しい人なので、食事には期待せず

彼女と共有する時間を栄養にしているつもり。



そんな私に、別のランチ会が迫っている。

メンバーは、先日記事にしたが

去年、恐怖の懐石料理教室を企画した70代のAさん。

お互いに用があって、「だったらお昼を一緒に」と言われた。


Aさんはこの町の人ではないので、私がご案内しなければならない。

彼女が好きなのは洋風のちゃんとした料理と、ワンオペ。

その希望に叶う店が町内にあり、前にご案内したらとても喜ばれた。

そこがだめなら、市内にそれらしき店がもう2軒あるから心配ない。


しかし問題は、Aさんのマシンガントーク。

近年は寄る年波か、ますます強烈になってきて

二人きりだとうなづいたり相槌を打つのに疲れるのだ。

そこでマミちゃんに声をかけるが、速攻で断られた。

理由は、私と同じ。


困った私は、トキちゃんに声をかけた。

彼女はAさんに一度会っていて、「素敵な人ね」と言っていたのだ。

Aさんの話をトキちゃんと二人で聞けば、負担が半減するではないか。


案の定、トキちゃんは二つ返事で了解してくれた。

援軍を得て、助かった気分。
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怖い秋

2024年10月19日 08時40分28秒 | みりこんぐらし

1年中で一番好きな季節、それは秋。

けれども今年の秋は、その到来に恐れおののいていた。

なぜって去年の10月、懐石料理の教室に参加したのをご記憶だろうか。

東京にある懐石料理屋の女店主に受講料1万円を払い

2日間に渡って朝から夕方まで

講習という名の労働をさせられた苦い経験である。


病院の厨房やユリ寺で鍛えられ

家庭でもかなりの労働量をこなすと自負する私だから

肉体的にも精神的にも、少々ではへこたれない自信を持っているが

それでもあの料理教室はきつかった。


仕事として店を切り盛りするのと違い

お金を取って人にものを教えるには、それなりのスキルが必要になる。

あの女店主と助手はそれを持たずに乗り込んで来たので

作業が順調に進まないと、ピリピリしてヒステリックになった。

都会から来たパワフルなおばさんというキャラクターだけでは

どうにもならないことだってある。


教室の真の目的は、2日目に開催する食事会。

会場のお寺に30人弱のお客を呼び、一人5千円の茶懐石を振る舞うのだ。

我々生徒は茶懐石という料理を習ったのではなく

食事会の準備をさせられたに過ぎない。

楽しくも面白くもなく、ただひたすら働くだけのこっちが

バイト代をもらいたいくらいだ。

本当に面倒くさい2日間だった。



で、私とマミちゃんが恐れていたのは

料理教室と食事会を企画したAさんが、解散する時に言った言葉。

「来年もまたぜひやりましょう!

毎年この時期にやって、定着させたらいいと思うの」


女店主と助手が、嫌と言うはずがない。

うちらの受講料が合計5万、食事会の売り上げがザッと15万弱で

合計20万弱。

Aさんはそのごく一部でチープな食材を用意し

残りは2人分の飛行機代と宿泊代、そしてギャラ。

毎年これなら、こたえられんだろう。

「ではまた来年、お会いしましょう!」

女店主と助手は手を振りながら、Aさんの車で空港へ向かった。


以来、私とマミちゃんは、その来年が来るのを恐れ続けていた。

だってAさんは、我々二人ととても仲がいい。

彼女はマミちゃんの洋品店のお客でもあるので

誘われたら断りにくいではないか。

「どう言って断ろう?」

我々は話し合うようになった。


そして月日は巡り、危ない10月が近づいた。

マミちゃんたら、その10月にベトナム旅行をぶつけたではないか。

彼女に言わせると、これしかないそうである。

私も、Aさんから教室のお誘いがあったら

実家の母サチコを理由にしようかと考えていた。


そして10月に入り、私はAさんと会う用事ができた。

「そうそ、去年やった懐石料理の教室だけど…」

いよいよ料理教室の話題に触れる彼女。

ドキッ!

身構える私。


「今年はやめたからね」

「……」

思っていたのと逆だったので、呆然とするしかない。

「な…なんで?」

「あのかたね〜、マルチの商売を始めちゃったのよ。

寝るだけで健康になるシーツとか、着たら力が出るシャツとか。

本業よりよっぽど儲かるらしくて、面白くなったみたい」

「Aさんも買ったの?」

「買った…いい話があるって東京へ呼ばれて。

お付き合いだから仕方ないと思って買ったわよ…高かったわ」

「うひゃ〜!」

「それでね、今年も料理教室をぜひやりたいから

人を集めて欲しいと言われたんだけど

食事会でそのシーツやシャツの紹介をしたいみたいなのよ。

そんなことをされたら、地元にいる私が恨まれちゃうわ。

だからもう、お付き合いはしないことに決めたの」


やった!!

私は密かにガッツポーズ。

料理教室が無くなったことだけではない。

私は去年、初対面の女店主からカネコマ臭を感じ取っていたので

それがビンゴだった喜びは大きい。


東京の一等地にある店を舅から引き継いだものの

固定資産税だけでも大変という話は聞いていた。

それ以上に、彼女から漂う余裕の無さ…

その余裕の無さから滲み出る怪しさは隠しきれない。


彼女の話すことや、もらった店のパンフレットでも感じるが

とにかく自分のキャラを立てることに懸命で

「私が作る料理だから値打ちがある」

という方向へ持って行きたがるのはカネコマ族の特徴だ。

マルチに向いてるのは、こういう人なのよね。

もう秋が怖くなくなって、とても嬉しい。
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連休後記

2024年10月15日 15時07分20秒 | みりこんぐらし
秋らしいお天気の連休が終わりましたね。

皆様はいかがお過ごしでしたか?



うちは“現場”が沖縄への社内旅行のため

夫と長男が3日間、留守だった。

カノジョの影響で旅好きになった長男はともかく

夫は67才という自身の年齢から、これが最後になると考えて参加を決めた。


次男は参加しなかったので家を出入りしていたが

男2人がいないって、すごく楽。

解放されたような気がした。

たまに旅行に行ってもらうって、家に残る方にとっても

リフレッシュになるのね。


2人のお土産。



さて、解放された人がうちにもう一人。

義母ヨシコだ。

連休前の彼女は近所に住む老人健康体操の友だちを2人と

ランチに行く約束をして盛り上がっていた。


3人とも90才秒読みだから、車の運転はしない。

「タクシーで行こう」

ヨシコが言うと、あとの2人が返事をしないので

ランチの計画はいっこうに進まなかった。

そこで13日の日曜日、私が3人の婆さんを

ランチにお連れすることになったのである。


足として狙われていたのは、わかっている。

が、アレらの年を考えると、実行する前に誰かが欠けそうじゃん。

思い残すことが無いように、ひと肌脱ぐことにした。


「あんたら、このままじゃと計画倒れのまま◯ぬけん、どっか行く?」

ヨシコに言ったら、喜んだ。

しかし、そこはやはり老婆。

遠い市外にある焼肉チェーンのランチと

ショッピングセンターを所望するではないか。

即座に言ったところを見ると、前から虎視眈々と計画していたらしい。

年寄りはこういう欲を出すから、誰も相手にしなくなるのだ。


「3人も面倒見る自信が無いけん、遠くは行かんよ。

たまの遠出より、近くへたびたび行く方が楽しかろう」

私も即座に断る。

その意向を元に話し合ったアレらは、地味に町内のレストランを決めた。

そこの板前が、メンバーの一人の2軒隣に住んでいるという理由からだ。

「行ってやった、行ってやった」

顔を見るたびにそう言って、いつまでも恩に着せるのがアレらの習性だ。


そして当日の午前11時半、ヨシコを乗せて2人を拾い

ほどなくレストランに到着。

しかし法事の仕出しでもあったのか、その日に限って開店は12時だった。


待ちきれない老婆3人は、他の店へ行くと言う。

しかし肉派のヨシコ、魚派のもう一人

子供や孫と行ったことのない店へ行きたいもう一人とで意見が割れて

なかなか決まらない。

そこで肉も魚も出す隣市の店へ向かうが、連休の中日の昼どきなので

駐車場がいっぱいで入れない。


さらに足を伸ばして、別のレストランへ。

しかし、そこも駐車場は満杯で店の前には行列だ。

さらに次の店も、同じ状況。


最終的に一同は、5軒目に辿り着いたうどん屋で妥協した。

うどんは、休日に朝寝をして出遅れた人々が行くものだ。

よって12時半を回った時間でも、駐車場は空いていたからである。

こんな遠くまで来て、うどん…私はちょっと残念な気持ち。

しかし三婆は、店を求めてさまよったドライブが楽しかったとご満悦であった。


また行きたいと言っているが、今度は行き先を婆どもに任せず

私が計画しようと思っている。

アレらに任せたら、かえって面倒くさい。

食べる物はジャパンなのに、店員の出立ちがアフリカンで度肝を抜かれる店や

景色がいたずらに良くて、食べる物もそりゃあ美しく飾ってあるけど

よく見たら実はショボいレストランなどに案内して

未知の体験をさせたくなる私である。


一夜明けた14日の朝は、次男が新しいカノジョを連れて来た。

「嫁っちゅうのは面倒くさいのがわかったから

うちら親が生きているうちは結婚するな」

と言ってあったが、ひと目で良い子とわかる。

次男より年上だけど、ヤツには年上の方が合っているかも。


と、そんな感慨にふける暇は無い。

この日は性懲りもなく、同級生ユリちゃんのお寺で料理だ。

いつもの同級生マミちゃんはベトナムへ旅行中

モンちゃんは足を骨折中なので、料理番仲間の梶田さんと二人。

これからデートだという次男たちを見送ると、私も急いで出発した。


ユリちゃんの作戦も高度になってきて

先に梶田さんに話を持って行き、一人では無理ということで

私が梶田さんを手伝う形に持って行かれた。

が、やるとなったらやりますよ。

彼女はハムカツとサラダ、私は巻き寿司を作って行き

寺で火を使うのは汁だけにしようと決めてあった。




梶田さんはハムカツとサラダを

小さな三段の重箱2セットに盛り合わせて来て、置いただけ。



私も巻き寿司を切って置いただけ。

汁は冷凍していた鯛をバラして持って行き、寺で潮汁を作った。



持ち込んで置くだけだったので、とても楽だった。



それにしても夫と長男の留守で困ったのが、愛犬リュウ。

猟犬は偏屈なので、主人と定めた夫と

二番手の長男がいないことに耐えられず

ごはんも散歩も拒否、大小もしない。

先輩犬のパピがいなくなったショックも、残っているようだ。


が、昨夜、夫が帰って来たら、瞬時に元通りになった。

ホッとした。

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ギャラリー気分

2024年10月11日 08時25分00秒 | みりこんぐらし
夫の姉カンジワ・ルイーゼの夫キクオは

コロナに感染して、先月から市外の病院へ入院中。

彼にはパーキンソン病という持病があるため、70才にして要介護2である。


コロナ感染は、キクオの生命に関わる問題だった。

なぜってパーキンソン病は、身体中の筋肉がジワジワと衰える脳の病気。

面会謝絶の隔離入院となると

衰えないように励んでいる日頃の運動ができず

熱のために食事も摂れないので悪化の一途だ。


この緊迫した状況下でルイーゼが何をしたかというと、家の片付け。

コロナ自粛でうちへ来ない期間を利用して、葬式の準備をしていたのだ。

さすがルイーゼ…私は舌を巻いた。


そのルイーゼが先週、泣きながら我が家を訪れた。

義母ヨシコと毎日電話はしていたらしいが、顔を見るのは久しぶり。

「アレが来なくなったら、どんなにせいせいするだろう…」

この40数年、ずっと思ってきたというのに

習慣とは恐ろしいもので、何だか懐かしいではないか。


あいにくヨシコは老人会で留守、家にいるのは私だけ。

母親がいないと知り、失望をあらわにしたルイーゼだったが

妥協したのだろう、キクオの病状を語り始めた。

「キクオさんが◯にそうなんよ…」

「ええ〜、そうなん?心配しようたんよ」

忘れていたけど、そう言う。


「何があってもいいように、家は片付けたけど

そしたら急に後のことが心配になってきて…」

「わかるよ、旦那さんの年金が無くなったら

一人でどうやって生活するんか思うたら、怖いよね」

「そうなんよ」

滅多に同意というものの無い嫁と小姑だが、この時ばかりは同意見である。


「昨日、病院に呼ばれて、面会はできんかったけど

先生の話があって、“胃ろう”を勧められたんよ」

キクオの罹患するパーキンソン病は筋肉が衰えると言ったが

筋肉とは、手足だけの問題ではない。

目玉を動かしたり、食べ物を飲み込むのも筋肉の仕事である。

コロナによる発熱で食事が摂れなくなり

点滴で栄養を摂る日々が続いたキクオは

喉の筋肉が衰えて食事を飲み込めなくなったのだ。


「お父さん(義父アツシ)も最後の頃は、胃ろうを勧められたじゃん。

“父のトラウマがあるから、胃ろうは絶対に嫌です”って

先生に言うたんよ」

胃ろうは、サジを投げられた病人の延命手段…

そう思い込んでいるルイーゼは

最後通告を受けたような気持ちになり、うちへ来たのだった。


胃ろうとは、食事を口から摂取できなくなった病人の胃とお腹に

小さい穴を開けてジョイントをくっつける。

そのジョイントに直径1センチぐらいのゴムの管を通して

口からでなく胃へ直接、栄養分を流し込む食事の摂り方だ。


私は病院の厨房に勤めていた時、胃ろう患者の食事を作っていた。

カロリーメイトみたいな缶入りの液体に

ほんのわずかなゼラチンを入れ、超ユルユルのゼリーをこしらえるのだ。

患者の枕元に点滴のパックみたいなのをぶら下げ

看護師がユルユルゼリーをその中に入れると

胃に繋がるゴム管を伝って、ゆっくりと胃へ流れ込む寸法。


胃ろうの患者の行く末は、二つに分かれる。

すぐに亡くなるか、元気になって退院するかだ。

同級生ユリちゃんの姑さんは一昨年だったか

大腿骨骨折で入院した際に胃ろうの措置が取られた。

退院して自宅介護になっても、胃ろうは介護士の手で続けられたが

やはり点滴でなく胃から栄養吸収するのは良かったらしく

やがて口からの食事と併用になり、3ヶ月後には胃ろうを卒業した。

今では老人カーでショッピングに出かける、不屈の93才である。

誰も彼女の延命を望んでおらず、医師の判断に任せたため

胃ろうに踏み切るのが早かった。

それが彼女にとっての勝因と思われる。


こういう例もあることだし、胃ろうのやり方も進化しているだろうから

キクオの場合、トラウマだの何だの言っていないで

1日も早く胃ろうで栄養を摂った方がいいんじゃないか…

私はチラッと思った。

が、しょせん他人事、自分の旦那だったら同じように悩むと思う。


ともあれルイーゼに、滅多なことは言えない。

もしもキクオが亡くなったら、胃ろうを勧めた私のせいにされるからだ。

「大丈夫、まだ70じゃけん、元気になるよ」

他人事なので適当に励ますにとどまったが

ワラにもすがりたいルイーゼは元気が出たらしく、笑顔で帰って行った。


それから数日後、コロナ隔離が終了したキクオは一般病棟に移り

今は地元の病院に転院する話や、退院後の介護についての話が始まっている。

今度は旦那を家で介護したくないルイーゼ。

「戻って来たらどうしよう…私はよう見んわ」

そう言いながら、不安な日々を送っている。

「ケアマネさんが施設を探してくれるんじゃない?」

また適当に励ます私。

他人の介護話って、本当に気楽だ。
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65の手習い・2

2024年10月07日 13時00分23秒 | みりこんぐらし
兄嫁であり親友のサキちゃんが、自分の母親と姑の世話に奔走し

ご主人、つまりトキちゃんのお兄さんまで病気になって

壮絶な日々を送っていること…

トキちゃんはサキちゃんに申し訳なくて

楽しいことを自粛し、息を潜めるように暮らしていること…

トキちゃんから近況を聞かされた私は、二人の苦しみに胸を痛めつつも

自身の持論の生き証人を得た喜びにほくそ笑む。

私の持論、それは…

“美人は自分の手を汚さない”というやつである。


トキちゃんはすでに定年退職、一人娘も結婚して久しい。

舅と姑は介護施設に入居中なので

まだ働いているご主人と二人、悠々自適の生活だ。

有り余る暇を持ちながら、楽しいことを自粛するのはつらいだろうが

その暇を使って自分のお母さんだけでも引き受けたら

サキちゃんはずいぶんと楽になるではないか。

サキちゃんを気遣うなら、楽しいことを自粛するより

彼女の重荷を一つ、担いであげる方が合理的だと思うのだが。


そのことをやんわりと、トキちゃんにたずねてみた。

これは彼女へのアドバイスなんてもんじゃなく

あくまで持論が正しいかどうか、データを集めるためだ。


案の定、美人は言った。

「私が手を出したら、サキちゃんが余計な気を遣うと思うの。

母がサキちゃんの世話を嫌がってると受け止めて、傷つくかもしれない。

それが怖いから、うかつに手を出せないのよ」


確かにサキちゃんは、強い責任感と自己犠牲の精神を持つ。

重荷を手放して楽になることを自分自身が許せない、しんどい性質なのだ。

だから中高生時代の私は、トキちゃんとは仲が良かったものの

サキちゃんとはあまり接触が無かった。

真面目な世話好きが、しんどいからだ。



さても美人というのは概ね、若い時から何でも周りがやってくれたので

サキちゃんが生きやすいように、うまく立ち回るスキルが無い。

あらかじめ用意した言い訳をあれこれと述べて

自分の手を汚すことを全力で避けようとする。

言い訳に耳を傾けてもらえ、その言い訳を通してもらえる…

それが美人というものだ。


一方、ジャイアンのママタイプという面で

サキちゃんと同類の私は、彼女の気持ちがよくわかる。

こういう強そうなタイプは、何かと損な役が回って来やすい上に

言い訳を聞いてもらえない。


だけどジャイアンのママは

「言い訳して逃げるくらいなら、私がやったる!」

と思ってしまう。

結果、荷物を目一杯担いでしまうんだけど

途中で誰かが「代わろうか?」と言ったら

「その気があるんなら、もっと早く言え!」

と思って腹が立つ。


それと同時に、今担いでいる重い荷物のどれかを取ったら

重心が変化して担ぎにくくなるのを心配してしまう。

さらに同時に、一つを誰かに代わってもらったら

全部代わってもらいたくなる。

それは無理とわかっているだけに、かえって自分がつらくなるので

「いいよ、自分がやる」と言ってしまうのだ。

まこと損な性分である。



さて、話は戻って悩めるトキちゃん。

彼女は私と会うようになってから、変わった。

私が彼女を変えたなんて、おこがましいことを言うつもりは無い。

私を媒体に同級生のマミちゃんやモンちゃんを始め

色々な人に会うようになったので、封印していた明るい性格が戻ってきたのだ。


中でもピアノ教師の堀江先生と知り合ったことは

トキちゃんに大きな変化をもたらした。

70才の堀江さんは東京の音大でピアノ科を専攻した後

東京で芸術家の男性と結婚生活を送りながら演奏活動をしていたが

20年前にご主人が他界。

こちらの実家へ戻って来てピアノ教室を始めた。

しかし少子化で生徒は減り、今やゼロ。

自宅でピアノを教えてきた人に厚生年金があるはずもなく

堀江さんは介護施設やホテルでアルバイトをしている。


こういうことをあけすけに話すのが、堀江さんの良い所。

ご本人も飄々とした飾り気の無い人だ。


芸は身を助くというけど、場合によっちゃあてにならんかも…

私は思ったものだが、トキちゃんはその堀江さんに初対面で惹かれた。

なんと、堀江さんにピアノを習いたいと言い出したのである。

一度も習い事をしたことが無いので

定年退職したら何か楽器をやってみたいと、長年思っていたのだそう。

そりゃ新しい収入源だから、堀江さんは大喜び。

私も他人事だから、無責任に勧めた。


60の手習いならぬ65の手習いは、さっそく翌週から始まり

今、1ヶ月半ぐらいが経過。

トキちゃんに様子を聞いたら

「続かないかも…」

返事が心もとない。

週に一度のレッスンは、堀江さんの人生絵巻を傾聴するのが主体で

ピアノの方はついでなので、あんまりピンとこないんだそう。


年取って何かを習うって、何を習うかも大事だけど

あんまり一流過ぎる人の中には、変わったお方もいらっしゃる。

誰に習うかは、もっと大事かも。

トキちゃんにピアノを勧めて、申し訳なかったと思っている。

《完》
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65の手習い・1

2024年10月06日 09時21分29秒 | みりこんぐらし
最近、同級生のトキちゃんと遊ぶようになった。

彼女とは小学校が違ったが、中学、高校は一緒。

上品で美しい彼女はテニス部だった。

誰もが認めるコートの女王を、男子がズラリと並んで

よく見学していたものである。


そのトキちゃんは、ある専門分野で働く夢を叶えた後

高校時代から交際していた年下の彼氏と結婚した。

彼女ほどの美人なら、もっといい男がいただろうし

職場も高レベルの男を選べる環境にあったと思うが

そこは美人あるある。

美しい人種は、案外な伴侶で早々に手を打つことが多いものだ。



その彼女が結婚後も働きながら、私と同じ町で暮らしているのは知っていた。

しかし一度も会うことが無いまま40年以上が経過したこの春

とあるイベントで偶然再会したのだ。


向こうは懐かしさにびっくりしていたが

こっちは昔と変わらない美貌にびっくりした。

昔と同じ髪質髪型、優しい微笑み、品のある仕草

少し低い落ち着いた声、控えめで上質なファッションまで

そのまんまだ。

彼女は中高生の時分から、すでに完成された大人だったのかも。


そんな申し分ない彼女にも悩みはあるようで

その根源は、お兄さんの結婚にあるらしい。

なにしろトキちゃんの兄嫁は

彼女と幼馴染みの同級生であり、親友のサキちゃん。

家が近所で親同士も仲良し、中高のテニス部ではダブルスを組んでいた。

第三者の私には、ジャイアンのママみたいなサキちゃんが

トキちゃんの引き立て役に見えていたが

二人にそんな屈折した感情はさらさら無く、実の姉妹のように仲良しだった。


この何もかも近過ぎる結婚は

婚期を逃しかけていた長男を心配したトキちゃんの両親が

娘の親友に目をつけ、トキちゃんが御膳立てをしたのが始まり。

親友が義理の姉妹になったのだから、いつも夫婦ぐるみで一緒に出かけ

家族や親戚のイベントでは協力し合って楽しくやってきたそうだ。


暗雲が立ち込め始めたのは、お互いの両親が80代になった10年前から。

トキちゃんの両親とサキちゃんの両親が

それぞれ認知症と病気で手がかかるようになったのだ。

責任感の強いサキちゃんは、娘として自分の両親を

長男の嫁としてトキちゃんの両親を、一生懸命世話していた。


やがて両家の父親が亡くなり、残された母親は90代になったが

二人とも認知症が悪化の一途だそう。

どちらもククリは独居老人だし、要介護3なので

介護保険で手厚い介護が受けられるはずだが

二人の母親は他人の介入を頑なに拒否。

よって日々の食事や入浴を始め、家事全般をサキちゃんに頼っているという。


しかし、それは仕方のないことかもしれない。

トキちゃんのお母さんは中年期に事故で

サキちゃんのお母さんは病気で、共に身体が不自由だった。

それを誰にも見られたくない気持ちが非常に強く

デイサービスに行ったりヘルパーに来てもらうと

この事実を知られてしまうので、他人を寄せつけないのだった。


そんなわけでサキちゃんは毎日、婚家と実家の2軒をハシゴしては

介護に明け暮れている。

さらに最近、トキちゃんのお兄さん…

つまりサキちゃんのご主人に癌が発覚し、闘病が始まった。

サキちゃんは二人の婆に加え、ご主人まで支える身の上になったのだ。


「だからサキちゃんに悪くて、私も楽しいことを自粛してきたの」

トキちゃんは言う。

サキちゃんの苦労を考えると申し訳ない気持ちでいっぱいで

自分だけが楽しむわけにいかないと思ってきたそうだ。


なんと壮絶な…私は胸が締め付けられた。

今のところ家族は元気で、施設の手を借りながら

実家の母サチコ一人にアタフタしている自分なんて

まだまだヒヨッコじゃないか。

反省しきりである。



本題に入る前に長くなってしまったので、次に続けさせていただきます。

え?まだ本題じゃないんかい!前置き長過ぎだろ!って?

すんませ〜ん!

《続く》
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デイサービスの壁

2024年10月03日 08時17分23秒 | みりこんぐらし
愛犬パピを失って数日。

人並みにペットロスになりそうだったが、そうはさせてくれないのが婆二人。

同居する義母ヨシコと、実家の母サチコである。

それは幸か不幸か。

気が紛れるので多分、幸なのかもしれない。



「寂しいね」と言いながら

テレビを見てワハハと笑っているヨシコはともかく

サチコの方は、9月25日から始まった週3回のデイサービスに

1回行ったきりで不登校を決め込んでいる。


彼女はデイサービスが始まる前から、行くのを渋っていた。

老女は皆そうだけど、自分が一番になれる場所を求める。

その確信が持てない場所には、強い警戒心を持つのだ。

そこで初日には彼女の姪、祥子ちゃんにも来てもらい

盛大に送り出すことにしたら

案の定、サチコはすんなりと迎えの車に乗り込んだ。


小規模多機能型介護施設の送迎車は

複数の利用者が乗り合う大型ではなく、軽自動車でサチコだけを送迎する。

笑顔で手を振って出発したが、サチコが視線を向けるのは祥子ちゃんだけ。

サチコに悪気は無い。

本能的にそうなるのだ。


子供の頃から慣れている。

父や祖父が撮った我々姉妹の写真は

私と一つ下の妹が、頭までしっかり入っていたが

サチコが写すと、彼女の娘マーヤだけにピントが合っており

マーヤより背の高い我々姉妹は、たいてい首から上が切れていたものだ。

写真に写るため、精一杯かわいい?笑顔を作ったウチらはどうなる。


こういうの、人はどう思うか知らないが、私は何とも思わない。

何とも思わないのにあえて話したのは

笑顔で手を振りたい相手や写真に残したい相手からは、ことごとく敬遠され

どうでもいい他人の私に命を預ける羽目になったサチコの身の上を

皮肉なものよと思うからだ。



さて施設に着くと、同じデイサービスを受ける老女の中に

顔見知りがいたそう。

その人に「先生!」と呼ばれたまでは良かった。

一時期、学校事務をしていた関係で、町の古い人々の中には

いまだにサチコを先生と呼ぶ人もいるのだ。


けれども先生、先生と呼んで親しげに近づいたその人は

サチコをつかまえて一日中、孫の自慢をしたという。

自慢はサチコの専売特許のはずだが、敵の切り札は東大出の孫。

サチコの物差しでは敗北ということになり

自慢返しができなかった悔しさと共に

最初に先生と持ち上げておいて、自慢の聞き役にされた屈辱に

サチコは大打撃を受けたのだった。


「あの人が来るんなら、二度と行かん!」

初めてのデイサービスから不機嫌そのもので帰って来たサチコは

そう吐き捨て、翌々日に予定されたデイサービスを休んだ。

「行きたくなきゃ、行かんでええわ」

私はそう思ったが、後でケアマネージャーから電話が。

「このままだと衰えるばっかりなので、滞在時間を短縮したり

週3回のところを1回にしてでも来ていただきたいんです。

お手数ですが、次のデイサービスの日からしばらく

朝の送り出しをお願いできませんか?」

わたしゃ衰えても構わんのだけど、あの人たちも仕事だ。

そのままにしておくわけにはいかないだろうから、承諾した。



次のデイサービスの日は入院していた精神病院の診察日だったので

前からの予定通り休んだ。

例のイケメン担当医にデイサービスのことを相談すると

彼はキラキラの目でサチコを見つめ、即座に言った。

「好きなことばっかり選んでやってると

好きなことって、だんだん無くなっていくんだよ。

嫌な所で我慢したら、家に帰った時にごはんが美味しいのよ。

ちょっと我慢してみたら、楽しいことがどんどん増えるから

行ってみようよ」

さすが、説得力がある。

一瞬でその気になり、「行きます」と答えたサチコだった。


その翌日は、地元のA内科医院へ血圧の薬をもらいに行き

さらに翌日、つまり昨日の午前10時

私はサチコのデイサービスの送り出しに行った。

「どうしても行かんといけんの?なんで?

あんたにもわざわざ来てもろうて迷惑かけるし

こんなことなら昼と夜の弁当も断って、施設とは縁を切る!」

プリプリと不機嫌極まりない。


「私に迷惑かけとうないんなら、行くべき所へ黙って行くのが協力じゃが」

そう言ったら、言い返しおった。

「施設を断って、あんたが朝から来んでもええようにするんじゃが!

これ以上の協力があろうか!」

だとよ。


「何を言うか。

施設と縁を切ったら、あんたの食事から何から

世話は全部、私にかかってくるじゃないの」

「あ、私はそれでええよ」


そげなことを平気で言うけん、なかなかあの世へ行かれんのじゃ…

そう言い返そうとしたら、ピンポ〜ンと迎えが。

若いオネエちゃんにチヤホヤしてもらい、しれっと行きおった。


明日はデイサービスの後

そのまま施設に宿泊する予定になっているが、無理だと思う。

デイサービスも宿泊も

帰りたくなったら何時だろうと連れて帰ってくれるのが

ショウタキの良いところではある。

ともあれ「入院より何より、デイサービスに慣れさせるのが難関」

親の介護経験者は口を揃えて言うけど、本当だった。
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夏の終わり

2024年10月01日 16時10分16秒 | みりこんぐらし
『我が家の庭にて』


今年の夏は、本当に長かったですね。

皆様、お疲れ様でした。


暑さ寒さから解放されて、幾分過ごしやすくなると

気を張っていたのが緩んで、ガックリくる人がチラホラ出てくる。

その一人が、義姉カンジワ・ルイーゼの夫キクオ。


持病のパーキンソン病と闘いながら、何とか夏を乗り切ったものの

9月下旬に立ち上がれなくなり、トイレや入浴が難しくなった。

衰弱する一方なので、近所に住む遠縁の手配で救急搬送されたが

入院したらコロナ感染がわかり、現在も入院中である。


よってこのところ、ルイーゼはうちに来ない。

性懲りもなく来たら自粛を要請しようと思っていたが

訪問を控えるという最低限の常識は持ち合わせていたようだ。


「娘が一人になってしまったら、かわいそう」

義母ヨシコは気を揉むが

そうなったらヨシコがルイーゼの家で暮らせば

みんなにいいんじゃないの?

しかし一病息災、キクオは回復して戻ってくるだろう。



この夏の暑さで参ったのがもう一人、いや一匹。

愛犬パピである。

14才の彼は、人間の年だと72〜3才だそう。

近年は老化著しかったが、暑い夏がこたえたのか

9月に入ってめっきり弱っていた。


年取った犬は人間と同じように、首が下がって腰が落ちてくる。

吐いたり、粗相も増えてきた。

もう長くないのは、誰の目にも明らか。

人間の年寄りはうるさいが、犬は苦しくても黙っている。

それが不憫だった。


思えば、1才だった彼がうちに来てから13年。

ペットショップで売れ残り、3万円ぐらいに値下げされた彼を

息子たちが買って来たのだ。


ちょうど会社の倒産騒ぎが始まる直前で

以来、激動の日々を送ってきた我々一家。

疲れ果てて家に帰れば、いつも彼が迎えてくれた。

愛らしいその姿を見、フワフワの毛皮を撫でると元気が出た。

長男のバイクに乗せてもらうのが大好きで

乗り込む時の顔ときたら得意満面、幸せそのものだった。

パピは我々を癒す、宝物であった。


そして彼は昨日、9月30日の未明、虹の橋を渡った。

眠りにつくまではいつもと変わらず

来客があるとギャンギャン騒いで食欲旺盛、散歩にも行った。

しかし夜中の2時半に長男を起こし、庭へ出て大小を済ませると

玄関で短くケイレンして終わった。

あっけない最期だった。

愚痴も不平も言わず、飼い主を信じきり

純真な心で我々に接してくれたパピは

わきまえを知る謙虚な犬だったが、生命の終え方も同じだった。


夫も私も息子たちも、声を上げて泣いた。

パピをプラスチックのケースに入れ、豊かな毛をとかして

枕元にカサブランカの花を飾った。


8時半になるとペットの葬儀場へ電話して、火葬の電話予約。

私は実家の母サチコを病院へ連れて行くことになっていたので

火葬は午後3時にしてもらった。


時間予約に続いて、個別に焼くか

ツレが集まるまで冷凍保存して一緒に焼くかをたずねられる。

料金には5千円の差。

迷わず個別を選ぶと、次は遺骨。

火葬後は葬儀社にお任せか、遺骨を持ち帰るかで料金が違う。

お任せは、火葬の炉に入れたらサヨナラで

持ち帰りの場合、小さな骨壷とキンキラのケースを買って

骨拾いの儀式を行うので、料金は1万円ほどお高めだ。



これは苦しい選択だが、以前から遺骨は引き取らないと決めていた。

そりゃあ、持ち帰りたいよ。

家に安置して心のよりどころにし、毎日話しかけたいさ。

が、うちらが他界したらどうなる。

人間の墓へ一緒に入れるわけにもいかなくて、困っている人が多い。

だから断腸の思いで、遺骨の処理はお任せコースを選んだ。

これで料金は22,000円也。


やがて3時、パピを連れ、夫と長男と共に葬儀場に行くと

私と同年代ぐらいの、いかにもウグイスっぽい女性が一人で迎えてくれた。

小さなホールには小さな祭壇があり、小さな生花が飾られている。

先に料金を払い、仏像の足元にある台の上にパピを乗せると

お葬式の始まりだ。


式に先立ち、女性は数珠の有無をたずねることもなく

我々に3人分の数珠を貸してくれた。

お経のテープが流れる中、一人ずつ線香を上げる。

「合掌、礼拝、お直りください」

女性の司会も、人間の葬儀と同じ。


人間と違うのは、祭壇と同じ部屋に火葬の炉があること。

人間のより少し小さく、遺体を乗せる台の高さも、足元にあって低い。

自動のボタンなど、構造はほぼ同じだ。


人間と同じように、パピと最期のお別れを済ませると

ウィ〜ンと音を立てて分厚い銀色の扉が閉まり

点火したらお葬式は終わり。

「これから火葬をさせていただきまして

パピちゃんのお骨が冷めましたら

責任持って供養塔に納めさせていただきます」

女性は言った。


泣きながら葬儀場を後にした我々3人だが

ヨシコに頼まれた買い物のため、その足でスーパーへ。

こんな時でも日常がついて回る、何と厳しい姑仕えよ。


買い物を済ませて帰っていると、ヨシコから電話が。

「数珠を一つ、返してもらってないって

葬儀場の人から電話があったよ」

…夫だ。

借りた数珠をポケットに入れたままだったらしい。

昔から、油断できない男なのは知っているので

常に細心の注意を払って生きてきたけど

こんな時まで失敗をやらかす、それが夫である。


時間は4時半を回ったところ。

ぼちぼち薄暗くなり始めていた山の中を、我々は再び葬儀場へ向かう。

しかし葬儀場に着くと、すでに営業終了で無人。

入り口のドアには鍵がかけられ、係の女性の車も無い。


返し忘れた数珠をドアにぶら下げて帰ろうとしたら

ゴ〜という炉を燃やす音が響いているのに気づく。

建物の屋根にある煙突を見上げると、ユラユラとカゲロウが立っている。

「パピが焼かれようる!」

「バイバイ、パピ!」

「ありがとう、パピ!」

「大好きだよ、パピ!」

「また会おうね!」

我々は口々に叫ぶ。

な〜に、回りは山だ…叫び放題さ。

夫が数珠を忘れたお陰で、奇妙な体験ができた。


時々このブログにも登場したパピは、こうして旅立ちました。

ありがとうございました。
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