殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

おともだち

2010年07月28日 13時09分25秒 | みりこんぐらし
おいらのおともだちを紹介します。



           “遠山の金さんと、はやてのお銀さん”


うちにある数少ない金銀財宝?!

この「二人」と、いつまでも仲良くできるように

健康と肺活量を維持したいものです。







           “ジゾー”


名の由来は“笠じぞう”。

釣りの時にかぶる笠です。

頭に密着するキャップと違って、涼しいらしく

最近ひそかなブームとか。

帽子好きの息子が、気まぐれに買って来たんですけど

あんまりかわいいので、もらっちゃいました。

時々、家の中でこっそりかぶって、楽しんでいます。

すっごく変!


モノに名前が付くのは、我が家ではかなりの出世です。
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チャンスの神様

2010年07月25日 09時33分21秒 | 前向き論
ちょっと久しぶりの検索キーワード。

貯まりに貯まってて、どれを挙げてよいやら、迷ってしまう。

なんだか、心の叫びが聞こえてくるような気がするのだ。

こちらの勝手な印象だが、既成概念にとらわれ

それゆえに悩んだり苦しんだりしている人が多いように感じる。


『逃した婚期は再度来るか』 

そもそも、逃してるやらどうやら、怪しいもんです。

婚期って、発情期の明確な動物ならいざ知らず

理性と文化を持つ人間に、そのまま摘要できるかどうか。


以前、結婚は、新築や新車と並んで、世間が潤う原動力でした。

両家を行き来する人の衣装や交通費を始め

手みやげ、会食、指輪、結納セット、結納返し…

家具、家電、着物、ふとんなどの嫁入り道具、新居…

結婚式場だけでなく、たくさんの人が潤ったのです。


だからマスコミも、結婚がさも素晴らしく夢々しいものだと、幻想を喧伝します。

婚期とか適齢期とかで焦らして、早めに結婚してもらわないと

本人にも親にも知恵がついて、いらないものにお金を出さなくなるからです。

「お友達、いっぱい呼んで~、お色直し、何回もやりた~い!」

なんて、都合のいいことを言ってくれる花嫁さんが減っちゃ困るんです。

古い人的作為に惑わされて、安易に絶望しないようにお願いしますよ。


この方面で悩むのは、親と暮らしている人が多いです。

親と暮らすのが悪いわけではなく

気を使う対象人数が多いと、最初から相手にブレーキがかかって

不利というだけです。

バイパスの国道沿いで、店を経営するのと同じですね。

反対車線の車…つまり1対数人が気になる人…は、立ち寄りません。

お客になってくれる可能性が、最初から少ないんです。


クヨクヨ考えるより、親の家を出て独立するなり、外見を磨くなり

いつも笑顔で感じの良い言動を心がけるなり、行動すればいいです。

どこで誰が見ているか、わかりませんよ。

頑張ってください。


『“チャンスの神様”“前髪”“マルチ商売”』

チャンスの神様は、前髪しか無い…

だから、すれ違いざまに素早くつかまないと、逃げてしまう…

マルチ勧誘の常套句です。

今この場で、さっさと話を決めてしまいたい、主催者側の勝手な言い草です。


以前にも書きましたが、自分の髪の毛すら満足に生やせない神様が

人間にチャンスを与えてくれ、成功へ導く実力があるとは、到底考えられません。

前髪だけ、つかめるほど伸ばして、あとはつるっパゲというのは

そうとう気持ちが悪いです。

そんな姿で人前に現われる神経が、どうかしています。

そんな神様がいると真顔で言う人も、どうかしています。

近付かないほうが、身のためです。


『自分が正しいと思い込みの激しい中学教師をどう思うか』

子供の先生が気に入らない保護者は、多いです。

今は、先生と同じ学歴の親がうじゃうじゃいるので

部下の仕事を冷ややかに眺める上司みたいな気持ちになりやすいと思います。

そこを引き算してから、改めて見てあげてくださいね。


『不倫中 孫誕生 無関心』

状況によっては、無関心を装うしかないでしょ。

奧さんにざんざっぱら責め立てられる日々の中で、孫が生まれたとします。

自分に向ける般若のお面は、サッと引き出しに収納して

喜び、興奮するボサツの笑顔の妻。

この変わり身!

共に手を取り合って、素直に喜ぶ気には、なれませんわな。


なまじ嬉しそうにすると、すぐさま般若のお面を引っ張り出し

「あんたに喜ぶ権利があると思ってんの?!

 この裏切り者!」

と、バッサリやられる恐れ、濃厚。
 
喜びより、そっちの恐怖がまさるというものです。


奧さんは奧さんで

「我が家の歴史的大イベントに無関心なんて、許せない!」

と、ますます怒り心頭。

ああ、夫婦の気持ちは、どこまでもズレていく。


『不倫が続かない理由』

マメじゃないと、不倫は続けられません。

始めの頃は楽しくても、そのうち情緒不安定になって

泣いたりわめいたりし始めますから

それをあやし、機嫌をとるのは、並大抵のことではありません。

やがて「うるさいから会う」「騒がれたら面倒だから行く」「泣かれる前にヤル」

になります。

しまいにゃ「どうやって穏便に切るか」ばっかりです。


楽しくないことは、続きません。

やめたということは、楽しくなくなったということです。

のぼせ上がっておきながら、それを認めるのは、あまりにもミジメ。

愛がありながら、家庭のために別れました…だからふてくされてます…

みたいなそぶりをしないと、情けなくて生きていけません。

ご苦労なことでございます。


『浮気されない妻の心得』

浮気されまくった妻の心得なら、少しはお話できるんですけどね。

強いて言えば、浮気しない旦那さんと結婚することですか。

今、無事であるなら、どうかその生活を当たり前と思わずに

大切にしてくださいね。


『夫事務員と不倫で首』

不倫で首になるとは、マトモな会社だったんですね。

惜しいことをしましたね。

奧さんも、つらかったですね。

再出発を応援しています。
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ワケあり・ワケなし

2010年07月21日 10時42分18秒 | みりこんぐらし
その夜、夫と私は、コンビニへ行った。

風呂上がりでノーブラ、ノーメイクの私は、車で待つことにした。

私がどんな格好をしていようと、誰も知ったこっちゃなかろうが

人様にお見苦しいものをお目にかけ、ご迷惑をかけてはならぬ。

50女の風呂上がりの姿を人目にさらすなど、犯罪に等しい。


店に入ろうとする夫に、一人の中年女性が

ダダ…とすごい勢いで駆け寄った。

我々と入れ違いに、さっき車で帰りかけていた女性だ。


夫を追いかけるようにして、一生懸命何か話している。

夫は困ったような顔で、雑誌のコーナーまでジリジリと後ずさりし

女性はにじり寄る。

なかなかのミモノである。

コンビニって、ガラス張りじゃ~ん…丸見えなんざんすよ。


この光景をサイレントで見たら、彼の普段の行いもかんがみて

怪しむのが妥当であろう。

しかし、誰でも彼でも旦那とワケありのように考えてはいけない。

女房妬くほど、亭主モテもせず…選別は大事だ。


かく言う私も初心者の頃は、確かにやみくもに疑うところがあった。

「ああ、また嫌なことが始まるのでは…」

不安と恐怖にかられ、老婆だろうと幼児だろうと

夫に近付く女という女は、すべからく敵と思っていた時期がね。


しかし、数をこなすと、ワケありとワケなしを嗅ぎ分けられるようになる。

この“ワケあり”は、実際に夫とナンカあった人物の他に

今のところ未遂だが「あわよくば…」という意思を持つ、控え選手のことも指す。

この“あわよくば”は、うちの夫とぜひ!と指名しているわけではなく

チャンスがあったら不倫がしてみたいという

漠然とした思いのあるなしのことだ。

夫は野生のカンで、これを敏感にキャッチしているのではないかと思う。


ワケありの場合、わずかにうるんだ物欲しげな視線は、ゆるぎない共通点である。

腹にイチモツある女は、その対象を見つめる時、まばたきの回数が少ない。

そこまで近付いたことはないが、瞳孔も開いているんじゃないかと思う。

その他、感じやセンスのよしあしにかかわらず

外見のどこかに必ず「あれ?」と引っかかる部分がある。


髪型だけ青春とか、服だけ少女とか

全身バッチリ決めていても、車は汚れた古いボロとか

後生大事なブランドのバッグに、いたんだ靴とか

本人はピカピカでも、連れてる親や子供はズタズタとか

とにかく、本人が力を入れている部分と、そうでない部分の対比が

違和感となって、浮かび上がって見えるのだ。


この対比、年齢が高くなるに従って、落差が激しくなる。

こだわる部分には依然としてこだわり続けるものの

経済や性格上の都合により、あきらめたり、気がつかない部分を

若さというベールで、ごまかせなくなるからだ。

当人は、まだそのベールがあると思い込んでおり

はた目には、ベールをはいだ姿しか見えないところが痛々しい。

愛だの恋だの言ってるうちに、本人の心と実際の時間経過に

ズレが生じるとも言えよう。


あら探しや、被害妄想のなれの果てかもしれない…

亭主の野外活動に興味を失った今となっては、どうでもいいことだが

領土侵犯で、国境ぎわのイクサをさんざん繰り返すと

このようなゲームも楽しめる。

いいか…楽しまなくても。


さて、夫に駆け寄ったこの女性…目つきがカタギ。

本当に用事がある人の目だ。

行動はともかく、そのいでたちは、すんなりと風景に溶け込んでいる。

この“すんなり”しているか、いないかが、重要ポイント。

こういうタイプの人は、うちの夫なんて相手にしない。


女性はやがて店から出て、車でブーと帰って行った。

「やれやれ…」

買物をすませ、車に戻った夫は言う。

「オマエに会いたいんだとさ」

    「なんですと?」

ここで初めて聞く。

    「どちらさん?」


夫の話によると、同じ野球チームだった人のお姉様じゃげな。

「ぜひ奥様に会わせてくださいって。

 しつこく家を聞くから、お袋のとこを教えてやった。

 親と一緒と言えば、来にくいだろう」

    「車にいるって言えばいいじゃん」  

「たまたますれ違った顔見知りに、奧さんに会わせろなんて

 普通は言うもんか。

 絶対、変な宗教か、商売にハマッてるぞ。

 でないと、わざわざオマエに会いたいヤツなんか、いるもんか」

それもそうだ…と納得する。   


すっかり忘れて、数日が経過した昨日…

「やっぱりな!」

夫は得意満面で言う。

彼女の弟に会ったそうだ。


「エリートの旦那がリストラされて、マルチの化粧品を売ってるんだって。

 下について一緒に売る人間を探してるらしい。

 洗脳されてるから、迷惑かけたらゴメンだとさ」

オマエを子分にしようなんて、恐いもの知らずもええとこじゃ…

あの女、エラい目に遭うぞ…

夫は、怪談を語るような顔で言った。

私をマルチから守ってくれたのではなく

彼女を私から守ったような口調であった。
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福本清三さん

2010年07月16日 13時30分48秒 | みりこんぐらし
この夏のドラマは、私にとって、久々のヒットである。

なにしろ『必殺仕事人』が再開した。

他にも色々あるけど、とりあえずこれだけで、充分でごぜぇます。


必殺の始まった先週、私の愛する三大ドラマシリーズのひとつ

『科捜研の女』のスペシャル版も放映された。

ああ…幸せな週であった。


ただ顔が綺麗というだけだった沢口靖子が

容色衰えた後に『科捜研の女』という代表作を得たのが喜ばしい。

ナビスコ・リッツクラッカーの古いCM…

図々しい後輩に大挙して家に上がり込まれ、食事をたかられる先輩役の彼女を

ハラハラしながら見守ったのを、懐かしく思い出す。

先輩、先輩と持ち上げられ、さんざん食い散らかされたあげくに

一人淋しく後片付けする彼女を想像してしまうのだ。

良かったのぅ…靖子ちゃん。


余談ではあるが、残りのもうひとつは『ドクター・コトー』さ。

年を取ると、新しいドラマよりも

つい慣れ親しんだものを求めてしまうんよ。


思えばこの1~2年、私は耐えた。

耐えましたとも。

若い人気者に頼りきったドラマや

バラエティ、過去の面白ビデオの再生ばっかり。

やたらと騒いで元気がいいのは、芸人と局アナばっかり。


あれは、たまに見るから面白いのであって

いつもだと、うんざりしてしまう。

厳しい台所事情を、二番三番煎じと安いギャラで乗り切り

今やっと、テレビ業界も息を吹き返し始めたのかもしれない。


『必殺仕事人』に、中村主水がもう出ないのは、きわめて淋しい。

藤田まことのいない必殺を見て、初めて知った。

彼は、殺人がテーマのこのドラマに、哀愁と品を与えていたのだった。

まったく、惜しい人を亡くしたものだ。


昔は、口を開けてひたすら見ていた私であるが、年々、ひねくれていく。

いつも番をしているわけでもないのに

荒れ寺に仕事を頼みに来たのが、どうしてわかるのか…

TOKIOの松岡君に、あんな元気のいい妹がいたら

秘密漏洩の懸念から、先に殺しておくのがスジであろう…

などと考えてしまう。


それでも、見なければならない。

冷酷非情の狭間に垣間見える、仲間同士の連帯感をたどりながら

以前は藤田まことが、近年はヒガシが

仕事の最後に漏らす、印象深いセリフを待っているのかもしれない。

そのひと言のために、すべてを容認する。


抜けた中村主水の補充メンバーが内藤剛志というのは

私にとって、譲歩以外のなにものでもない。

この人、最近、ドラマ出演がやけに多い。

無理に彼でなくてもよかろうに…といったおいしい脇役を、必ず押さえている。


そういえば、彼の出演する『水戸黄門』も『科捜研の女』も、京都で撮影される。

なにかと京都に居る時間が長いから、交通費その他の経費が浮く。

それで話が来たのだろうか…などと、勝手に推測する。


事務所の方針とか、器用でツブシがきく芸風とか、色々あるんだろうけど

おそらく、本人の人柄がいいのだ。

主役でないなら、機嫌を取る必要のない、気さくな人物を選ぶと思う。


しかし、これまた身勝手な言い草だが

『水戸黄門』で、風車の弥七役もゲットしたのだから

もういいじゃないかと思ってしまう。

“粋でいなせ”を演じるには、善の雰囲気が強すぎる。

人選に芸が欲しかった。


私は、京都の撮影所で撮られたものを好む傾向にある。

それには、大きな理由がある。

福本清三という、いつも悪役の一味で出る役者だ。

げっそりと痩せていて、目と眉がつり上がり

ノーズシャドーも鮮やかに、見事な悪人ヅラ。

20年ほど前から、この人に注目している。


時代劇には、たいていこの人が、斬り殺されるために出てくる。

斬られて倒れるほんの短い間に、救いようのない人種の孤独が漂う。

殺陣(たて)の型がキマッていて、背中で演技するタイプだ。


武士や浪人など、役柄の身分や立場によって

微妙に切り込みの型を変えるワザも、見逃せない。

例えば、悪者に拾われた暴徒なら、尻込みや後ずさりをしたり

凄腕の用心棒なら、無駄な動きをせずに、スッと前に出る。

同じパターンは無いのだ。


時には現代もので、ヤクザとか、いけない会社の人の役もやる。

刑事役だったのを発見した時には、悪役でないのがたいそう嬉しかった。

彼を見つけると、その一挙手一投足を凝視。

ハリウッド映画『ラストサムライ』に出た時は、わたしゃもう大喝采であった。


もう60代後半だそうだが

いつまでも元気で斬られてほしいと願ってやまない。

私の夏の夜は、こうして更けてゆく。
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「その後」の楽しみ

2010年07月13日 10時39分24秒 | みりこんぐらし
参院選が終わった。

選挙カーのうぐいすとして、選挙に参加する機会のある私ではあるが

選挙と政治は別もの…政治に詳しいわけではないので

浅学無知なしろうとが、あれこれ偉そうに語るつもりはない。


しかし、今回ほど結果が気になった選挙は、これまでに無い。

この選挙は、国民が現政権に審判を下す選挙であると同時に

マジで国民の良識と、日本の将来が問われる選挙であったと感じている。


個人的に、結果にはおおむね満足した。

有権者をバカにしている…もしくは

政治家にでもならないと食えない客寄せパンダの大半と

誰とは言わないが、このまま大役を続行させては危険と感じる人物も

無事落選した。

それだけで充分だ。


与党における衆参の勢力がおソロでなければ

ねじれ国会と言われるらしいけど、ねじれて何が悪い。

ねじれると政治が混迷するというけど、もう充分混迷している。

ねじれまくって、国民に真実を知らしめるのが

政治家の、せめてもの誠意であろう。


国民が不利益をこうむるとわかっている法案を

みんなで選んだ議員さん達が通すわけがない…

このような安心と信頼は、しばらく前から、もう日本には無い。

個人だと立派な人もいるのに、集団になるとおかしな方向へ走るのは

そこいらの井戸端も、国会も同じらしい。

…よく知りもしないのに、面倒くさい話をしてしまった。


さて、私のひそかな楽しみは、当選後のバンザイ三唱である。

バックの者を赤で揃え、自分は白を着てお辞儀をする者…

バンザイの後、長々とサインを書いて失笑をかう者…

色々いて、かなり楽しめる。


バンザイというと、たいていの人が手をパーにして前に向ける。

テレビの画面には、大小のもみじがいっぱい…ということになる。

ベテランの陣営は、よく揃って手が上がり

初当選の所は、戸惑いつつ…みたいなバラつきがあって、初々しい。


また、厳密に言うと、これはバンザイではない。

「お手あげ」「降参」の仕草である。

本当のバンザイは、手のひらを“前習え”の向きで、そのまま上に上げる。

つまり、手のひらは見せない。

私はこれを祖父から教わった。

昔は、どうでもいいことを教える年寄りがいたのだ。


戦時中ならいざ知らず、現在では、喜びやお祝いの気持ちを表わす

パフォーマンスとしてカジュアル化しているので

正しかろうとなかろうと、そんなこたぁどうでもええんじゃ。

みんなで「バンザ~イ!」とやっている中

まれに、この正統バンザイをする人がいる。

パーがいっぱい並んでいると、案外目立つのだ。

それを見つけるのが、マイゲームさ。


正統バンザイができるのは、たいてい老人。

そして主義思想によっては、年配だろうと若かろうと

正統バンザイが一人もいない陣営もある。

ここが私には興味深いところ。

これまで知る環境に無かった…または、知っていてもあえてしないという

可能性が考えられるが、私は環境だと思う。

環境が人を作る…な~んて、勝手に納得する。


年々、正統バンザイの人数は減少している。

いつか、いなくなるのだろうか。

ゼロも淋しいな~…

バンザイそのものが、戦時下を連想させ

「いけない」ということになって

禁止されてしまうかもな~…などと考える。


いやいや、国旗や国歌をとやかく言う者がいるくらいだから、わからんぞ。

もし子供がオリンピックに出たら、表彰は辞退させるんじゃろか…

それとも、もしかしてそんな子は、ああいう人の元には生まれねぇのか…。


ああ、またぞろ、つまらぬ方向へ行ってしまった。

もしもお暇があったなら、次の選挙でお試しいただきたいゲームである。
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ホウレンソウ

2010年07月09日 11時19分04秒 | みりこんぐらし


このところ、夫の会社に来客が多い。

張り切っているのは、義父アツシ。

老体、病体に鞭打って、這ってでも客に会いたがる。

人がたくさん来ると、いい時代を思い出すようだ。


先日の夕食中も、昼間の興奮冷めやらぬアツシ。

「アイツはオレのこと、どう言ってた?」

初対面の客の反応について、夫に問う。

いつものことなので、夫もこのへんは承知していて

「お元気そうですね…と言ってたよ」

と、適当に答えている。


だがアツシ、それだけでは満足しな~い。

「怖いとか、すごいとか、言ってなかったか?」

などと、人が聞いたら赤面しそうなことも、平気で問う。

こういうとこ、昔からあるにはあったけど

前よりあからさまになってきたような気がする。

老化か…暮れゆく人生への焦りか…。


「ああ…うん…言ってたね」

無表情のまま、さらに適当に答える夫。

「そうだろう、そうだろう」

アツシ、やっと満足する。

やれやれ、お帰りになった…では本題に…

そんな会話が交わされていることなど、知るよしもないアツシであった。


が、問題はそこからだ。

「話があってもだな…オレや娘に前もって報告しろ。

 オマエが一人で決めるんじゃないぞ。

 ちゃんとオレに連絡を取って、必ず相談しろ。

 オレがいないと、ナメられるんだからな」

食事中にネチネチと文句を言うのは、アツシの昔からの癖である。

近頃は病気で体力を失い、滅多に無くなったが、以前はしょっちゅうだった。


その夜のアツシは体調がいいらしく、久々に粘りを見せる。

元気なのは結構だが、彼の元気は、執拗とセットである。

長くなりそうなので、私は自分のお茶をこぼしてやる。

ちょっと騒げば、そっちへ神経が行くので、演説は終わるのだ。


アツシがこの何十年、ずっと夫に口を酸っぱくして言い続けるのは

報告、連絡、相談…つまりホウレンソウだ。

そんな簡単なことが、うちの夫にゃなぜ出来ぬ…バカじゃなかろうか…

長い間、そう思っていた。

夫がふがいなく見えて、歯がゆかった。


しかし、私も外で働くうちに、だんだんわかってきた。

ホウレンソウにうるさい上司ほど、コモノであった。

自分の知らない所で話が決まる…ないがしろにされる…

これを恐れ嫌う者は、ホウレンソウにこだわる。


そして必ず言う…「何か起きてからでは遅い」。

だからといって、不都合が起きそうな時、事前にホウレンソウを実行すると…

絶対逃げやがる。

そして何か起きた時、何もできないのも確かであった。


そのような人物にとって、ホウレンソウは

トラブルを未然に防ぐ標語ではなく、離れ島回避と保身の手段であった。

ホウレンソウがしてほしければ、思わずそうしたくなる上司になればよいことだ。


その昔、私は「アツシのガミガミを聞きたくない」という願いを持っていた。

父親なのに、我が子を威嚇して何になるのだ…

夫も夫だ…言われないようにしてやろうと思わないのか…。


見かねて、アツシに抗議したこともあったけど

実はこの王様、反撃に弱い。

弱いからこそ、先手必勝で生きてきたのだ。

弱点をカムフラージュするためには、どんなあこぎな手も使う。


奴隷が王様にもの申したところで、手打ちになるのが関の山。

王妃まで、援軍として参戦し

奴隷の製造元である実家にクレームの電話をするわ、親戚は呼ぶわ

火に油を注ぐ結果にしかならなかった。


…今になって考えるに、もしも夫が父親より強ければ

優しく細やかに機嫌を取ってくれる夫は存在しえなかった。

ここだけフォルテよ!強く!なんて、楽譜じゃあるまいし、無理じゃ。


そして、アツシの望むホウレンソウは

表向きでは教育するフリをしながら

パパがいなくちゃ何もできない男の子を演じろ、ということであった。

息子がダメだから、オレが出る…という花道を用意しろという、強引なものであった。

しかし、その強引があったからこそ、今までどうにか商売が持った。

また、夫がかたくなに従わないのは

彼にも彼なりの、五分(ごぶ)の魂があったからなのだ。


この父子には、他人には理解し難い役割りのバランスが存在していた。

それが父の傲慢と息子のひ弱さに映ろうとも

このバランスに、他人がとやかく口を出してはいけないのだ。


私には、これさえなければ少しは浮気がおさまるかも…という

責任転嫁の気持ちがあった。

業腹にも、自己都合で人の性格を直そうとし

おこがましくも解決しようとした私こそ、ふがいない女であった。


帰り道「あんたも大変ねえ…」と、夫をねぎらう。

「さすがに、もう慣れたね」夫は笑う。

   「えらいわ~…言われてもないことを言って、父親を喜ばせるなんて…

    いないほうが商談が進むのに、我慢して…

    私だったらキレてしまうわ~…ぶん殴るわ~…」

「先に死んでいく人間だ…好きなようにさせてやるさ。

 あれが生き甲斐なんだから」


翌日、夫はマカロンを買って来てくれた。

我が町のケーキ屋さんでも、とうとうマカロンが販売される日が訪れたのじゃ。

「食べてみたいと言ってただろ」

おそらく、前日のお茶こぼしのお礼だと思う。

しっかりせぃ…のハッパよりも、こういうサポートのほうが、嬉しいのだ。

念願のマカロンであったが、味は微妙だった。

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明日は我が身

2010年07月05日 09時44分21秒 | みりこんぐらし
先日、夫の友人の会社が倒産した。

急なことで、びっくりした。

つい2~3年前までは、無借銭を誇る優良企業だったのだ。

2ヶ月前に会った時

「いい時に調子に乗って、あちこち手を広げたばっかりに、内情は大変だよ…」

とは言っていたけど、近頃ではどこでも聞き慣れた、挨拶代わりと思っていた。


夫と友人は仕事を通じて知り合い、親しくなってから25年のつきあいになる。

あっちは大会社…うちとは規模が全然違うが

同い年であり、ワンマンな父親に押さえつけられる二代目同士。

好景気の昭和的経営を口うるさく押しつけたがる父親を

お互いに「老害」と呼ぶ。

最も恐れ、最も尊敬する父親への複雑な心境や

姉に苦しめられる境遇も似ていたので、唯一気持ちが分かり合える相手だ。


彼は車で2時間ほどの、離れた町に住んでいる。

離れているからこそ、お互いに普段の細々したものが見えず聞こえず

友情が継続したといえよう。


倒産の知らせを人から聞いて、夫は連絡を取ろうとしたが、つながらなかった。

いまどきの倒産は、昔のイメージとは違う…

彼も楽になったかもしれない…と夫をなぐさめる。

何がラッキーで、何がアンラッキーかは

この時点では誰にもわかりゃしない。

必要だったから訪れた、一つの現象に過ぎない。


昨日になって、連絡が取れた。

元気そうだったので、夫は安心していた。

悪化していた観光部門の撤退を、父親が聞き入れなかったし

説得出来なかった自分も甘かった…と言っていたそうだ。

お父さんは、長年の愛人を、そこの支配人に据えていたからである。

「ワシが死ぬまでは、このままじゃ!」

そしてお父さんは、まだピンピンしていた…それだけ。


昭和の好景気に、イケイケどんどんでやってきた爺さんというのは

ホンマに扱いにくいんじゃ。

当時は何をやっても当たったもんだから

強気で行けば、必ず思い通りになると思い込んでいる。

誰が何を言っても、絶対にきかない。

死んで静かになるしか、解決法は無いのだ。


この愛人さんに、私は会ったことがある。

チャキチャキした気持ちのいい女性で

若い頃は、さぞかし美しかったであろうおかた。

彼のお父さんがクラッときたのも、わかるような気がする。


ただし、頭は“盛る”なんてもんじゃねぇわ。

昔のおミズ経由を表わす、ソフトクリーム加工。

ヘアピースを使って、どこまでも高く結い上げる、昭和の懐かしい形だ。

まだこんなヘアスタイルにしてくれる美容院があるのにも、ちょっと感動。

花盛りの頃をそのまんま持ち越す人が、古めの愛人には多い。


そして彼も父親同様、妻以外の女が大好きであった。

だから良くなかった…などと、おこがましくも短絡的に

よそ様のことを断じるつもりはない。

ただ、背徳にうつつを抜かすのと

ここぞという重要な判断時期を見落とすのとは、セットである。

しかしそれは、快楽と引き替えの、覚悟の上だったと思いたい。

明日は我が身…この方面の符号からも、他人事ではない。



今、規模の大小に関わらず、自営業者の多くは

毎日薄氷を踏むような心持ちであろう。

万が一ではなく、万が九千九百が現状だ。


黄信号の灯る事業主にとって、何が一番恐ろしいか…

それは、文無しになる身の上ではない。

「社長」と呼ばれなくなる自分、肩書きを無くした自分である。


業務上やむを得ない場合を除き、これからは

肩書きで人を呼ばないほうが、お互いのためかもしれない。

また肩書きに関係なく、人と人とが本当のつきあいをする時代になったともいえよう。

肩書きを利用して、人に便宜を図ったり図られたりする形態が

不況によって崩れつつあるのは、まんざら悪いばかりではないように思う。


ナントカ会の会長だの理事だの、各種慈善的活動の名誉職もアダとなる。

派手にやっていればいるほど、精神的ダメージも大きい。

“荒城の月”ではないが、♪昔の光今いずこ…♪

この恥ずかしさが、自分を追い詰め、苦しめる。


我々一家は、以前より示し合わせていた家訓に

“恥を恥と思うな”をおごそかに付け加える。

「恥を恥と思うな」

「いたずらに役を引き受けるな」

「言動を慎め」

「生きてりゃ良し」

「明日は我が身」


な~に、うちは倒産したって、失う物は無い。

しかし、そうなった場合、謝罪の苦労は当然にしても

メンタル面の無駄な葛藤は避けたいではないか。


女はわりと平気でも、男は、こういう無駄なことで苦しみやすい。

いつどうなっても、心は平静を保つべく、準備は怠らないほうがよかろう。

会社だけでなく、家庭の運営や、個人の気の持ちようも同じだと思う。

それはひとえに、迅速な再起のためである。
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トレーニング

2010年07月01日 12時01分20秒 | みりこんぐらし
思い過ごしかもしれないが

「ちょっと、あんた、最近“殿”はどうなってるのさ」

という声が聞こえる気がするので、ひとまず書き残しておこうと思う。


毎晩、夫の両親に食事を届け、一緒に食べる生活も

はや3ヶ月になろうとしている。

近頃は、義母ヨシコと散歩に行くこともある。

二人で、雨で増水した川を見て興奮したり

人が通るとピシャリと窓を閉める家の前を通り

期待どおりに窓が閉められると、喜んだりする。

風呂まで入って帰るようになり、夜はすっかりここんちの子だ。


夫が、困っているのは知っていた。

何にって、デートだよ。

「もう、実家に通うのはやめにしないか」と再三言われた。

しかし糖尿病の悪化で、義父アツシの腎臓がかなり弱っていると診断された今

それも難しくなった。


この日課が始まるまで、私への言い訳は

会社から実家へ直行、父とサウナ…と言えば、本人的にはOKであった。

そう言っておけば、本当に父親とサウナに行こうが、別の所へ行こうが

自宅にいる私にはわからないので、自由の身なのであった。

いまさら言い訳なんぞ必要ないんだけど、しないとやっぱり気分が出ないらしい。


しかし、こうも毎日通っていると、そうはいかない。

アツシは、顔を見てしまうとサウナに行きたがるので

夫の夜の自由は、完全に奪われる格好になってしまった。


夫は考え、そしてひらめいた。

毎日通っているお気に入りの整体院で

毎週土曜日の夜、加圧トレーニングをするというものだ。

「だから、土曜はサウナには行けない」

夫は両親の前で、そう宣言した。


この整体院、実は遠い親戚で、院長と夫は仲が良い。

だが、いくら仲良しでも、あのケチな院長が無料で施術してくれるわけがない。

夫は「オレは実験台で、特別にやってくれる」と豪語するが

世の中は、彼が思うほど甘くない。


それでも、これを信じる人が約2名。

親というのは、何べんだまされても、我が子の言葉を真に受ける。

また、信じてくれるからこそ、ありがたい存在なのだ。


こんな時、たぶん妻としては、目と鼻の先の整体院へ行き

動かぬ証拠を突きつけて責め立てるんだろうけど

そんな無粋なことをして何になる。

夫の真実に興味は無い。

秘密を持つのが嬉しいのだから、持たせておけばいいのだ。


トレーニングの効果は表われぬまま

3回目となった先週の土曜日も、夕食が終わるとそそくさと消え

深夜になって我が家に帰宅した。

ただ、いつもと違ったのは、廊下を這ってリビングに入ってきたことであろう。

“トレーニング中”に、ヒザを傷めたそうである。


本人は「筋肉痛だ!」と言い張るが

バレーボールで負傷経験のある私にはわかる。

これは、ヒザの靱帯(じんたい)がいかれている。

大げさなことになると、嘘がばれると思い

歯を食いしばって耐えているのが、あわれである。


夫の悪い癖で、マッサージ器や治療器を引っ張り出し、早く治そうとつつき回す。

当然、ますます悪化。

肝心なことは、はやばやとあきらめるのに

もうよしたほうがいい、そっとしておいたほうがいいことを

必死でダメ押しするのは、昔からだ。


その日以来、両親の家には、私一人で通っている。

治るまで、ヨシコには姿を見せられないからだ。

私も余計なことは言わず、用事だ何だと、適当にごまかしておく。


片足を引きずる我が子の姿を見れば、ヨシコの気性からして

必ず整体院へ抗議に行くだろう。

親戚の子供だから、気兼ねがない…

無実の院長に文句を言いまくるのは、火を見るよりも明らかだ。

夫にとって、それは死刑の宣告と同様。

トレーニングなんて、やっとりゃせんのだから。


原因は、ツルコだ。

以前、息子の車を夫から譲り受け

それで川へ落ちて腰が折れた、あのツルコさんだ。

不死鳥のごとく奇跡の復活を遂げて、老人施設に勤め始め

ついでに夫とも復活した。

お互い年だし、何かと気の張る新規開拓より

古い顧客を掘り起こすほうが、気楽なのであろう。

恋心は馴染みや惰性に変わり、だんだん先細りになっていくのだ。


なんでそんなことを知っているかというと

近所の婆さまが、そこのデイサービスに通っており

聞きもしないのに、施設のことをよく話してくれる。

いっぷう変わった名前を持つツルコは、格好のテーマである。


「事故で大変だったそうだけど、その経験を生かすんだと言って

 頑張っていらっしゃるのよ…」

なんと立派なツルコさん!

主にリハビリやトレーニングの部屋で、雑用をしておられるという。


嘘をつく人間というのは、話の中に必ず真実も織り交ぜる。

トレーニングの口実は、そこから出たものであろう。

股関節が…ナントカ筋がどうたらこうたら、夫が急に言い始めたり

いかにも老人向けの体操を熱心にやり始めたのも、その影響だ。

土曜の夜は、二人で特別トレーニングを施術し合っているというわけ。


そこで、ヒザに何か起きたらしい。

しとうとの聞きかじりは、危ないんだぞ。

夫としては、是が非でも、ヒザの損傷は穏便にすませなければならない。

せっせと病院通いの日々だ。

それが彼なりの保身であり、ツルコへの思いやりでもある。


しかし、望みがひとつ叶ったのだから

もう少し嬉しそうにしても、よさそうなもんだ。

両親の家に、もう通いたくないという望みである。

たとえ数日でも、望みが叶ってめでたいではないか…と思うのだが

それは私の冷酷であろうか。

頑張れ…夫!
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