殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

デンジャラ・ストリート 激闘篇その3

2015年07月25日 09時17分09秒 | みりこんぐらし
板倉君のゴミ問題担当大臣にされた義母ヨシコ。

実はこれ、私の陰謀である。


私はヨシコに対して、密かに腹を立てていた。

怒りは数日おさまらず、そこへ証拠写真が持ち込まれた。

私はヨシコに板倉君を押し付けてやりたくなった。

低経験値の天然同士、いいコンビじゃないかと思ったのだ。


それは先週、大型の台風が接近した夕方のことであった。

どうにもならない時に、どうにもならないことを言い出し

言い出したらきかないのは、昔からヨシコの癖である。

ヨシコ、この日は台風の気圧が刺激になったらしく

洗濯干し場の屋根が気になると言い出した。


洗濯干し場の屋根は、半透明の波板(なみいた)でできている。

ヨシコは強風に備え、波板を留めるネジがゆるんでいないか

点検したくなったのだ。

もちろん、自分は年寄りで病人だからやらない。

私にやれということだ。


折悪しく、家に男どもは不在であった。

どうなってもかまわない嫁しかいない時を選んだフシもあるが

グズグズしている暇は無い。

やるまで言い続けるのはわかっている。

早くしないと、これから風はどんどん強くなるばかりだ。


強風吹きすさぶ中、私は脚立をかついで裏庭に出た。

「ショムニの江角マキコみたい…」

などと一人、悦に入る

そうでも思わないと、ヨシコとは暮らせない。


私の敵は、ヨシコと台風だけではなかった。

脚立を置く地面にも、深刻な問題が存在する。

ヨシコ作である自称花壇の凹凸と、節操なく植えた木々で

脚立を置く四隅のスペースが確保できないのだ。


4点に置かれるはずの脚立の足は、前面の2点しか安定しない。

後方の2点は木が邪魔をして斜めになっている。

「上海雑技団!」と叫びながら支柱につかまり

あてにならない脚立を一段ずつ登る。


脚立のてっぺんまでたどり着き、ようよう屋根の上に顔を出す。

ネジは大丈夫だったが、そこへヨシコ登場。

手に新しいネジを持っている。


「ついでだから古いようなのを見て、取り替えてちょうだい」

マジっすか…。

「私が下で支えるから大丈夫」

ヨシコはこともなげに言う。


その時、ものすごい突風が吹いた。

「ギャー!!」

私が叫んだのは、突風のためではない。

ヨシコに両足首をハッシとつかまれたからだ。


不安定な脚立に登っている時、突風が吹いてグラついたところへ

いきなり足首をつかまれたらどういうことになるか。

私の頭には、明日の新聞の見出しがちらつくのだった。

“台風の惨事…主婦、脚立から転落死

死因は頭部打撲による脳挫傷”


「足持つな!脚立持て!」

「風がすごいから支えてあげてるんじゃないの!」

さらに強く足首をつかむヨシコ。

「支えるんだったら脚立じゃろが!」

「ええ~?そう~?」

「ヒー!やめれ!触るな!頼むから家に入って!」

「ネジの取り替えは~?」

「明日!」

「え~?明日?今日はだめ?」

「無理!」

伸びた木の枝につかまって九死に一生を得たが

危うくデンジャラ・ストリートの物故会員に名を連ねるところだった。


善意で人を生命の危機にさらす…

これがヨシコなのだ。

彼女の語る無邪気な思い出話によると

夫やその姉も、命からがら大きくなった模様。


離乳食に餅を与えて喉に詰まらせた…

ヒキツケを起こしたので病院に駆け込んだら

抱えて来たのは子供でなく枕だった…

裁縫針を踏んで手術…

ストーブの上で金ダライに湯を沸かして大やけど…

武勇伝は数知れず。

「子育ては大変だったわ」と振り返るが

ヨシコが大変にしているような気がする。

入院していた義父アツシも「爪を切ってあげる」と言われては

毎回、指先を切られて血だらけになり

動けない身体を震わせて泣いていたものだ。


わたしゃ死ぬのはいい…良くはないが、死ぬ時は死ぬので仕方がない。

でも、ヨシコが施す善意の毒牙にかかって死ぬのは嫌。

目撃者のいない所で、死因は闇に葬られるのだ。

何しろ彼女に悪気は無い。

「一生懸命支えたんだけど、力及ばず…」

なんて言われた日にゃあ、死んでも死に切れんじゃないか。

というわけで、ヨシコの天然デンジャラスに腹を立てていたのである。


復讐をもくろむ私の陰謀により、ゴミ問題担当大臣にされたヨシコだが

「人にものを教えるのがうまい」と言ったからか

就任に抵抗を示すことなく、あっさり受け入れた。

その上、鮮やかな手腕を発揮。


就任の翌日、ヨシコは板倉君を誘って石を拾いに行った。

何の石かというと、網をかぶせる時に使う重石(おもし)である。

そこらへんに落ちているソフトボール大の石を5~6個拾って

網の端っこにぐるりと置くという。


ヨシコはただ、網が浮かないように重石をしたらどうかと考えただけである。

しかしこれは大変な名案であった。

網をかぶせる時に石があると、脳の中で

石を置くために網をかぶせるという逆算が発生する。

“きっちり”や“ちゃんと”を意識しなくても

2人で拾った石を網の周辺に置きたくなるというものだ。

石の効果により、板倉君の生ゴミ問題は解決した。


生ゴミは解決したが、次は不燃ゴミがある。

納豆のパック、ヨーグルトのプラスチック容器

弁当のカラ、ペットボトル…

板倉君は生ゴミと不燃ゴミを一緒くたに出すから、問題が起きていた。

よって生ゴミをマスターすると、必然的に不燃ゴミが出る。

不燃ゴミは生ゴミより、ずっと分別が細かい。

2人には頑張ってもらいたい。

《完》
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デンジャラ・ストリート 激闘篇その2

2015年07月23日 17時59分11秒 | みりこんぐらし
時間外にゴミを出す板倉君に、カラス除けの黄色い網を与え

さらにゴミの分別を教えたデンジャラ・ストリートの住民達。

これでもう大丈夫…誰もが思った。


しかし、やはり甘かった。

彼は分別を意識するあまり、網のかけ方がおざなりであった。

大きく開いた隙間より、カラスさんご入場。


「もう我慢できん!」

住民の一人、Aさんは家から一眼レフのデジカメを持って来た。

胃癌手術の後、年に数回は腸閉塞で入院するのが恒例のAさん。

ミイラのように痩せてはいるが、元気な時は

界隈一のデジタルおやじを自負する81才である。


Aさんは角度を変えて、現場写真を何枚も撮った。

散乱したゴミの中に、板倉君あてのダイレクトメールを発見すると

ガバッと地面にうつ伏せになり、証拠品としてアップで撮影。

警察の鑑識気取りだ。

「うちのパソコンで(ここ、強調)現像して、本人に見せる」

と息巻いている。


自分で板倉君の所へ行くのだと思っていたら

翌日、Aさんは写真を持ってうちへ来た。

奥さんや、数人の住民も一緒だ。

「組長さんにお願いしたい」ということであった。

怒りに任せて撮影したものの、一夜明けたら落ち着いたらしい。


「これで板倉の息子にガツンと言ってやって」

Aさんに写真を渡され、当惑するヨシコ。

奥さんも、旦那が興奮して体調を崩したら大変なので

組長に何とかしてもらいたいそうだ。


そう、我が家は今年の4月から組長である。

選ばれたわけではない。

順番が回って来ただけだ。

我々夫婦はここに住民票を置いていないので

一応義母ヨシコの名前になっている。

組長として、飲み食いやレジャーなど楽しい行事はヨシコ担当。

面倒なことや労働は我々の担当だ。


住民達は口々に言う。

「どうして簡単なことができないんだろう」

「人の迷惑が気にならないのかしら」

「一回きつく言わないとわからないんだ」


私はこれまで、幾度となくゴミの後始末に参加してきたが

あれこれ言うのはシルバー世代に任せて沈黙を守っていた。

しかし今、Aさんのパソコン自慢に誘発され

住民の間に残酷な結束が生まれようとしている。

それでいっときは胸がすいても

後でクヨクヨ後悔するのは他でもない、彼らだ。

今こそ真実を告げる時である。


「彼は、うちの夫のヒロシと同級生でしてね。

あの年回りの男は詰めが甘いのです。

悪気はありませんが、複数の動作をやり遂げるのが苦手です。

ゴミを出すのと、網をかぶせるの…

この2つの行為を一度にやらせた場合

3つ目の“きっちり”や、“ちゃんと”が難しくなります」


一同は、なるほど…とうなづくのだった。

この納得ぶりからすると、彼らの脳裏には一様に

我が夫ヒロシの姿が浮かんでいたと思われる。


一方の私は、ドラえもんを与えらなかったのび太くんが

そのままおじさんになったような

板倉君の風貌を思い浮かべるのだった。

納豆のパックやコンビニ弁当の残りを中心に構成される彼のゴミに

時折、タケノコや破竹(ハチク)の皮があり

これを一人でむしって煮炊きしていると思うと

何やら胸に迫るものがあった。

証拠写真なんて稚拙な手口で、傷つける者と傷つく者を作ったら

ここはデンジャラ・ストリートではなく、封建ストリートになってしまう。


「少しずつゆっくり教えれば

飲み込みは遅いけど必ずマスターすると思うので

うちの義母にひと肌脱いでもらいましょう。

写真はその次ということで」


「ええっ?!私が?!」

驚愕するヨシコを放置して、私は続ける。

「板倉君を小学生の頃から知っているし

うちのヨシコさん、人にものを教えるのがうまいんですよ」


本当はみんなも強硬手段に出たくないらしく

顔を見合わせてホッとした様子である。

「じゃあヨシコさん、お願いします」

住民達は笑顔で帰って行った。


《続く》
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デンジャラ・ストリート 激闘篇その1

2015年07月20日 20時15分25秒 | みりこんぐらし
我々一家が暮らしている夫の実家は

老人だらけのシルバー・ストリート。

たまに老人ならではの危なっかしい事件が起きるため

ここをデンジャラ・ストリートと名付けて3年ほど経った。


平均年齢80才超の住民達は現在、ある問題に直面している。

それは生ゴミ問題。


一昨年だったか去年だったか、正確な時期は定かではないが

うちから二軒隣の息子、板倉君が離婚して実家へ帰って来た。

奥さんに家を渡した彼は、両親と生活するようになったのだ。


離婚する前の数ヶ月、地味な板倉君に似合わぬ色っぽい奥さんは

毎週訪れて、病身の義理親の世話を焼いていた。

手を添えて近所を散歩させながら、道ゆく人に

「父をよろしく、母をよろしく」と声をかけていたものだが

ぷっつり姿を見なくなったと思ったら、離婚していた。

よその家に何が起きようと知ったこっちゃない。

住民達は、息子と一緒に暮らせば両親も心強いだろうと喜んだ。


しかし今年に入り、板倉君の両親が相次いで入院したのを期に

ストリートの悩みは始まった。

板倉君の出す生ゴミである。


それまでは彼のお母さんが病身に鞭打ってゴミを出していたので

問題は起きなかった。

だが、一人暮らしになった板倉君がゴミ出しを行うようになった途端

裏山に住むカラスさんの暴挙が開始されたのである。


この地区では、ゴミ出しは朝の8時半と決まっている。

住民の有志が、自宅の駐車場の片隅を解放してくれており

近隣の住民は週2回、収集車が来る直前にいっせいにゴミを出す。

収集車が去ると何事もなかったかのように元の駐車場に戻る。

ゲージや箱のゴミ捨て場を作らず、景観を守るためだ。

学校へも仕事へも行かない人が家にいて

8時半にゴミが出せるという条件下で続いた長年のならわしであった。


しかし板倉君は朝早く仕事に行くので、生ゴミは6時半に置かれる。

ぽつんと一つだけ置かれたゴミは、カラスさんのおやつになる。

カラスさんは散らかすだけ散らかすが、後始末が苦手らしく

広範囲にわたって悲惨な光景が広がることになる。

景観を守るどころではない。

地獄絵図だ。


本人は仕事に行っているので、その惨状を知らない。

優しい住民達は、板倉君にそれを告げるのをはばかった。

今まで奥さんの親の仕事を手伝っていたが

離婚で無職となり、慣れぬ運転の仕事に転職したばかり…

両親とも重病で入院中…

何より、8時半にゴミを出せというのは

出勤の早い板倉君に、出すなと言うのと同じである。


子供の頃から知っている、おとなしい板倉君の性格をかんがみ

面と向かって苦情を言える者はいなかった。

住民は半病人ばかりなので、早起きしてカラスの番をする元気も無く

週2回、散乱したゴミの後始末をするのだった。


住民達は、やがて名案を思いついた。

ゴミに、黄色い網をかぶせるというものだ。

カラスの目には、黄色が見えないらしい。

有志が網を買い、板倉君にこれをかぶせるように頼もう

ということになった。


網の件は伝達され、板倉君はゴミに網をかぶせて出勤するようになった。

これでもう大丈夫…誰もが思った。

だが、甘かった。

長いこと市外で生活していた板倉君は

我が市の細かい分別規定に付いてこられなかったのだ。


板倉君の出したゴミは「市の規定を満たしていないため引き取れません」

と書かれた黄色いシールを貼られ、毎回置き去りにされた。

置き去りになるのは仕方ないが、かぶせた網をはね上げて収集した後

そのまま放置されるので、やはりカラスさんのおやつになった。


これまでカラスのいたずらだけに目が行って

板倉君のゴミ出しの実力については

ノーマークだったことに気づいた住民達であった。

しかしその矢先の今年4月、板倉君のお父さんが亡くなった。


親を亡くしたばかりの彼に追い打ちをかけるのは気が引ける。

皆、家族の誰かを見送った経験があるから、わかるのだ。

死人を出したばかりのところへ、何か厳しいことを言われると

一生忘れない。

板倉君にゴミのことを言うのは、先送りとなった。


そしてこの夏がやってきた。

住民達は暑い中、臭い生ゴミを拾い集めたり

駐車場や道路を洗い流すのがつらくなってきたので

いよいよ板倉君に分別を教えることにした。


有志が市役所で分別表をもらい、やんわりと指導。

「すみませんでした、よく読んで勉強します」

板倉君は素直に言った。

これでもう大丈夫…再び誰もが思った。

《続く》
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