殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

ヤエさんの幸せ計画・その2

2014年09月28日 17時55分57秒 | みりこんぐらし
「功徳と悟りから足を洗うの?」

ヤエさんはいぶかしげに聞き返す。

「功徳と悟りがいけないの?それは正しいことじゃないの?」

「ヤエさんには向かないかも」

「善行をほどこして功徳を積めば、悟りがひらかれると

私はお寺で習ったわ。

だから好きな料理で功徳を積んで、悟りをひらきたいのよ」

「じゃ、とりあえず、その悟りをあきらめてもらおうか」


ヤエさんは驚いて私を見つめる。

「この何十年、頑張ってきたのは、全部無駄ってこと?」

「無駄じゃないよ。

悟りはひらかれないと知ったんだから」

「そんな…」

「悟りをひらくのは、お釈迦様やらキリスト様やら

人間でない人がやったらいいんじゃないかな。

我々人間の本業は、置かれた環境の現実を認めて

その中で感謝を探すことじゃないかしらん。

お茶汲みOLに社長はできないじゃん」

「でも努力すれば…」

「努力して、部長か専務まで来た実感ある?

それをヤエさんに教えたお寺はどうよ。

嫁姑は険悪で、子供はプータロー

“生活が苦しいから夜のバイトに行こうかと思う”

なんて檀家の前で言ってた住職は、もう悟ったかしら」


思い当たることがあるらしく、ヤエさんは素直だった。

「わかりました…悟りはあきらめるわ。

あとは何をしたらいいの?」

「何もしなくていいのよ、やめるだけよ」

「何を?」

「功徳」

「え?」

「ごちそうを配るのをやめるのよ」

これを言うのは、少々勇気が必要だった。

趣味をやめろと言うのは、ヤエさんに酷な話である。


それに、ヤエさんの手料理が食べられなくなるのは打撃だ。

綺麗でおいしくて大量の差し入れに、何度助けられたか知れない。

病人を抱えた、慌ただしくも殺伐とした家庭に一瞬で笑顔が満ち

心にポッと暖かい灯がともる。

ヤエさんは確かに、多くの家庭に灯りをともしてきたのだ。


ヤエさんとこのおばあちゃんと同じく、セコくて卑怯な私は言い直す。

「一度にやめるのは難しいだろうから、回数を減らしなさいよ」

この性根であれば、将来自分の出したブツで壁アートはまぬがれまい。


そもそもヤエさんが「功徳」と表現する

プロ並みの仕出しこそが

彼女を不幸のどん底に突き落としていた。


ヤエさんの「功徳」がうちに届くのは、月に1~2回ほどだが

彼女の家では週1~2回のペースで「功徳」が行われている。

それが身内やご近所、友人に振り分けられるのだ。

お寺の行事のたびに、総代として料理を提供しているし

ちょっとしたご挨拶やお礼、お返しも料理でまかなわれる。


「功徳」と言うからには、人が喜ぶ食品でなければならない。

散らし寿司、おはぎ、フライ、天プラ…

高カロリー、高糖分のごちそうばかりだ。

給食業者並みの設備が揃う作業場で

それらの功徳は生産されるのであった。


人に配るほど作るんだから、自分の家でも食べる。

余ったら次の日も、無くなるまで食べる。

食べているうちに次の「功徳」が訪れる。

こうしてヤエさん一家は年中

パーティー料理を食していることになる。



これを何十年も続けていれば、加齢で代謝の低下したおばあちゃんが

糖尿病になるのは必然だ。

近年は、糖尿病と認知症の関係も取り沙汰されている。

昨年はご主人が急激かつ重度の糖尿病で倒れ、入院した。

ヤエさんが無事なのは、作るのにくたびれて食欲を失うからである。


無事な一人に、世話と労働がのしかかるのは当然だ。

多忙な我が身を嘆きつつ、厄介をかける人間を恨むという

本末転倒の構図がそこに成立する。


ヤエさんと仲良くなってまる3年

いつも母のような思いやりを心からありがたく思っていた。

その一方で、よその家のため、知らず知らずに犠牲となっている

ヤエさんの心身と家庭を案じずにはいられなかった。


悟りをひらきたい願望を達成する手段として

善行を行うのであれば、それは功徳でなく

我欲という別物になってしまう…

悟りが、自我や損得を超越したところにあるとされるからには

我欲を重ねても、悟り行きのチケットにはならない…

功徳のためじゃなく、誰かの笑顔が見たくてやるのなら

回数は自然に減ると思う…

趣味と実益の一石二鳥を狙わず

一旦ハードルを下げて様子を見ようよ…

私はそんなことを話した。


善良なヤエさんにとって「我欲」という言葉は

かなりショックな様子だったが、涙を流してうなづくのだった。


《続く》
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ヤエさんの幸せ計画・その1

2014年09月25日 08時41分41秒 | みりこんぐらし

一回り年上の友人ヤエさんは、本当にいい人だ。

困っている人を見たら放っておけないし

得意の料理を親しい人に配って喜ばれている。

私はそんなヤエさんを「女宮沢賢治」「人間笠地蔵」と呼んで讃える。


しかし、人間笠地蔵にも悩みがある。

嫁姑、小舅小姑、夫婦仲、ゴタゴタが続く子供達の家庭など

主として家族の問題である。

特に姑さんについての悩みは深い。


姑さんは認知症。

すでに物忘れの段階ではない。

自分の出したブツで、壁にアートをほどこす末期。

そして重い糖尿病である。


「あんなになっても、セコいのや卑怯はちゃんと残っていて

知恵がはたらくのよ。

利用されたり陥れられるたびに悔しくて情けなくて、たまらない」

自分を苦しめる人のため、食事療法に骨を折る暮らし。

それで得るものといったら、苦しみの期間延長。

ヤエさんは、不毛な構図を嘆くのだった。


ヤエさんの話を聞くのが、私の役目である。

それは優しさや知恵があるからではない。

ほぼ似たような暮らしをしているので、話す相手が一人ですむからだ。


「老いと書いてヤマイと読む」

私はいつも自論を持ち出す。

長い潜伏期間を経て発症する、病気なのだ…

理性が薄れて本質があらわになる、症状なのだ…

どんな本質があらわになっているか

本人だけが気づかないヤマイである…

過激かもしれないが、老人で苦しむ人には笑顔がもどる。


明日は我が身なので、ちゃんと予防法も考えている。

「何とかして少しでも本質を磨くこと」

理性というブレーキが甘くなって人格があらわになっても

大丈夫な人間になっておくのだ。

「脱いでもスゴいんです」になっておくのだ。

この予防法の難点は、文字通り難しいところである。


しかし、画期的なワクチンも存在する。

「無口」。

惜しむらくはこのワクチン、体質に合わない人が多い。


だが最終兵器がある。

「早死に」。

ただし発症前に死ねば問題は生じないが

自分で死期を決められない欠陥がある。


そんなことを言ってケムに巻いていると、ヤエさんは笑うわけだが

こんなにいい人なのに、何で次から次へと色々あるんだろう…

という疑問は、いつも感じていた。

善行が必ずしも幸せを運んでくるとは限らない実例を

見ている気がした。


ヤエさんは厳しい毎日を自身の業と称し

霊障や因縁の方面へ持っていきたがる。

ヤエさん夫婦が総代をしているお寺は、ごく普通の仏教なのだが

昔から住職の個性としてスピリチュアルの傾向があり

真面目なヤエさんに染みついているのだった。


彼女は「功徳」と「悟り」の言葉が好きだ。

人に良くしてあげることで功徳を積み

いつか怒りや憎しみの無い

穏やかな悟りの境地へ進みたいと願っている。



そんなある日、ヤエさんに呼び出され、2人で会った。

いつもはここに3つ年上のラン子が加わるが

一人暮らしのラン子は家族の話を好まない。

ヤエさんが遠慮しているのはわかっていたので

話はその方面のことだろうと思っていたら、やはりそうであった。


「姑をどうしても許せないことがあって

その憎しみが私の悟りを阻んでいるように思うの」

数年前のある日、さほど信心深いわけでもない姑さんが

大声で、長時間お経をあげていたという。

認知症がまだ進行していなかった頃である。

初めてのことに違和感は感じながら

止めるほどのこともないので放っておいた。


やがてヤエさんは、気分が悪くなって倒れた。

それを見た姑さんが、ニヤリと笑ったというのだ。

「その顔を見て、これは呪いをかけられたとわかったの。

今もあの笑った顔が忘れられなくて、つらくてつらくて…」


自分に呪いをかけた(と思い込んでいる)姑さんの世話をするのは

大変な難行苦行である。

キリストは自分がはりつけになる、でっかい十字架を担がされ

自分が殺される刑場まで歩いたそうだが、それに等しい理不尽さ。

よく使われる「十字架を背負う」という表現は

単に厄介や苦しみをしょい込むことではなく

この理不尽を指しているのだ。


「功徳を積んでも、いつまで経っても悟りには届かない。

早くしないとこっちが先に死んでしまうような気がして焦るし

苦しくてたまらないのよ」

ヤエさんは涙をこぼす。


笠地蔵とはいえ、ヤエさんは人間だ。

復活できるキリストとは違う。

おばあちゃんより先に死なれては

おいしい散らし寿司やパイが食べられなくなる…

私はあさましい物欲にかられるのであった。


「みりこんさん、どうしたらいいの?」

ヤエさんは閑散としたファミレスの一角で、小さく嗚咽をもらす。

総代をしているお寺とツーツーの仲で、仏教には詳しく

「私は皆さんより高い位置の道を歩んでいますのよ」然とした彼女も

ここに来て行き止まりを迎えたらしい。


「大丈夫」

私は言った。

「功徳と悟りから足を洗えば」

前々からヤエさんを見て感じていたことである。


「えっ?」

ヤエさんは驚いて顔を上げ、まじまじと私を見つめるのだった。


《続く》
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鹿女房

2014年09月20日 08時36分26秒 | 女房シリーズ
今、リエ子が熱い。

同級生の間で、話題沸騰中である。


50も半ばを過ぎると、親が弱ってくる。

そこで老人ホームに入所させたり

デイサービスやショートステイを利用したくなる。


私の生まれた町に、老人ホームは一つしか無い。

親も子も近くの方がいいので、ほとんどがその老人ホームを希望する。

利用するとなると、事前にケアマネージャーと面談する必要がある。

その時、ケアマネージャー兼、施設責任者として面談するのが

中学の同級生リエ子である。


リエ子は同窓会に入っておらず、なぜか町でも見かけないので

多くはこの時が40年ぶりの再会となる。

親の老化によって、図らずもリエ子と再会する者は

一人、また一人と増加中。


職員にかしづかれる様子は、まさに女帝そのものだという。

当たり前だ…リエ子は理事長の愛人である。

町では衆知の事実だ。

そんなことより、十人が十人「おかしい!」と頭をひねるのは

自分は確かにリエ子を知っているのに、向こうはまったく知らず

初対面として接する不思議な現象であった。


「目の前で向かい合って親しく話しても

同級生という認識は無いように見える」

「最初は立場上、馴れ合いを避けているのかと思ったけど

そうじゃないみたい」

「初めましての自己紹介で始まった以上、終わるまで言い出せない」

「だんだん、こっちの記憶の方が間違っているような気分になってくる」

「こっちも地雷を踏んで親に冷たくされるより

触れない安全を選ぶ方がいいような気がしてくるんだ」



リエ子は中2の時、隣町から転校してきた。

その頃から可愛く、スタイルが抜群に良かった。

卵のような小さい顔に大きな瞳、長い足…

それに生来の地黒と、持ち前の俊足があいまって

伸びやかに駆ける鹿のような印象だった。

しかし学業不振とホラ吹きの方が目立ち

周囲は少し距離を置いていたため

その美貌が日の目を見ることは無かった。


中3で同じクラスになり、一時期仲良くしていた。

結婚して町内に住むお姉さんのアパートへ

生まれたばかりの赤ちゃんを見に、付いて行ったこともあるが

受験が近づくと疎遠になった。

リエ子の成績では、同級生の大多数が行く地元の高校の

受験資格が得られなかったため

彼女は地元進学組との交流を自ら断ったのである。


「みんな敵」

リエ子は卒業文集にそう書いていた。

「自分のことしか考えない大勢の人達に、夢を邪魔された」

恨み言の羅列である。

要するにみんなが地元を受けるから

自分が受験できないと言いたいらしかった。

斬新な思考に驚いたと同時に、交流を断った理由にも納得した。


それから10年。

ママさんバレーの試合で、目の前にリエ子が立っていた。

私は前衛のレフト、対戦チームのリエ子は前衛のライト。

我々はネットを挟んだ30センチの距離で、再会したのだった。


「リエちゃん!」

手を振って名前を呼んだが、無反応。

もう一度呼んでも、無反応。

自分がうっかり死んで、霊になったのかと疑ったほどの

見事な徹底無視だ。

文集に書かれた「みんな敵」は、まだ有効なのだと思い

それ以後は試合で見かけても声をかけなかった。

みんな、今になってリエ子の態度に驚いているけど

私なんて25年前に、30センチ無視の不思議体験をしてるもんね…

と自慢する私である。


「色々言われることにウンザリしたんだろう」

いつも、この結論に落ち着く。

そう、彼女は色々言われやすい人なのだ。


その昔、お姉さんの旦那を略奪した女子高生として

狭い田舎町の噂を独占し、現在も語り継がれている。

高校生のリエ子は、大好きなお姉ちゃんのアパートに出入りするうち

お姉ちゃんの旦那さんのことも大好きになってしまった。

すぐ妊娠し、やはり3人目を妊娠中だったお姉さんとかなりモメたが

最終的にはお姉さんが譲る形で、リエ子はお義兄さんと結婚した。


人は悪く言うが、私はそうは思わない。

だって、不倫だの略奪だのと言ったって

身内の中ですませているではないか。

よそのお宅に迷惑はかけていないのだ。

よその女の人にさんざん迷惑をかけられたり

よその女の人にさんざん迷惑をかけた夫のいる私はそう思う。

それより、お義兄さんの種馬ぶりに感心する。

鹿のようなリエ子と種馬は、相性がいいらしい。


ま、高校生の義妹に手をつけるような旦那だから

性格も収入も、たかが知れている。

リエ子は3人の子育てをしながら働き、結婚生活を続けながら

やがて愛人も営業するようになった。

なにしろ鹿のような女の子だから、体力だけはあるようだ。


15年ほど前、サラリーマンだった彼氏が配置転換で

たまたま老人ホームの雇われ理事長になった。

それを機にリエ子も介護の世界に飛び込み

理事長の愛人として権力を握った。

リエ子は勝ち馬に乗ったのだ。

やっぱり鹿には馬がいいらしい。


こうしてリエ子は、町のお年寄りのために頑張っている。

今や、リエ子無しでは老人稼業を張れないほどの勢いである。

頑張っているのに「理事長の愛人だから」とささやかれるのも

「お姉さんの旦那を取った」と、いつまでも後ろ指を指されるのも

事実だけに嫌なものだと思う。

そこでリエ子は過去を封印し、無かったことにした。

一掃した過去の中に、我々同級生も入っているのだ。


それはリエ子の甘えである。

いくら自分が過去を封印したつもりでも

相手がそうしてくれるとは限らない。

同級生だからこそ思いやりを持って

嫌なことには触れずに合わせてくれるのだ。


とはいえリエ子も甘えるばっかりではない。

切り札を持っている。

親という人質だ。

親を預けるからには、女帝の機嫌を損ねるわけにはいかない。

思いやりと人質…両者の持つそれぞれのカードによって

同級生の親達の介護は営まれているのだった。


葬りたい過去があるとする。

たいていの人は苦しみながらも乗り越える努力をするが

中には「人が自分を知っているのが悪い」と考える者もいるらしい。

それで楽しいのだろうか…不便ではないのだろうか…

という疑問はさておき、やたら苦しむよりも

いっそのこと開き直って、そこから始めてみるのも

一つの手だと思った次第である。
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金持ちの話

2014年09月14日 07時36分37秒 | みりこんぐらし
数少ない夫の友人の中で、一番のセレブは吉田君であろう。

20年ほど前に仕事を通じて知り合った彼は、隣の県に住んでいる。


海外の支社を飛び回っているので、しょっちゅう会うわけではないが

日本に居る時は月に1~2度遊びに来る。

しょぼくれた我が夫と、パリッとした紳士の吉田君が並んでいると

通販の「人生成功器」(あるか!そんなもん)の

使用前、使用後みたいで、なかなのミモノである。


金持ちと話すのが苦手な人もいるけど、私は好き。

金持ちの話は情報の宝庫だ。

政治、経済、社会情勢、国際問題に詳しく

商売の傾向や資産運用術などの流行にも敏感である。

実際に関わっていたり、各方面の専門家と懇意だったり

リサーチを行っているため、情報は正確だ。


これらの情報を、彼らは惜しげもなく伝達してくれる。

我々をライバルと認識していないからであり

珍しい話に目を丸くして喜ぶ貧民への慈悲である。


一時的にお金が集合している成り上がりの自慢話も面白いが

代々続く本当の金持ちは決して自慢をしない。

底辺を知らないので、自分の暮らしは普通だと思っている。

周りが丁寧に扱い、耳を傾けてくれるので

エネルギーを使って自己主張しなくていいから口数も少ない。


エコなしゃべりに、時折ポツリとユーモアが入る。

これが面白く、爽やかで気持ちがいい。

真からお金に愛されている金持ちは、気持ちがいいものなのだ。

その気持ちのいい人達が経済を動かし、文化を生む。


さて先日のことである。

吉田君が訪れた時、たまたま子供の学校の話になり

夫が彼にたずねた。

「吉田君は大学どこ?」

◯◯と◯◯…吉田君はメジャーかつ難関の名前を二つ言った。


「二つも行ったんか!」

びっくりして聞き返す夫。

20年も親しくしておきながら、出身校すら知らなかったのが

いかにも夫らしい。

すげえ!と興奮する我々の処理に困り、吉田君は言う。

「僕にあるのは“学”じゃなくて、“歴”だけだから」。


我々夫婦と同年代の吉田君だから、親も同年代である。

お父さんは数年前に亡くなったが、お母さんは存命だ。

彼に言わせれば「病気とワガママが服を着ているようなおばあさん」。

いずこも同じらしい。


しかし母親の扱いは、やはり庶民とは違う。

看護師の資格を持つ家政婦を付けて、マンションに住まわせている。

外出の際は、会社からお抱え運転手付きの車を差し向ける。

吉田君夫婦は、時々行き来するだけだ。


嫁さんは何してる?お母さんは寂しくないのか?

なんてのは、庶民の愚問である。

セレブの嫁は、やはりセレブから来る。

姑の介護なんて、嫁の仕事に入ってない。


お嬢という生き物は、姑から降ってくる弾丸を浴びながら

あれもこれも手早くチャチャッとこなすように製造されていない。

そんなことにかまけるより、旦那のサポートや

子供の育成に情熱を注ぐかたわら

慈善活動なんかして、世間の期待に応える方が大事なのだ。


セレブの母親も、やはりセレブの出身だ。

血統書付きの誇りは、弱った姿をさらして子供に甘えることを

恥と認識する。

自分のことより、会社や孫の方へ力を注いでもらいたいので

寂しい…なんて甘ったれたことは言わない。

趣味や買い物を楽しみつつ、現実を受け入れ

リンとしているものだ。

セレブは老人問題も、お金で解決できるのである。


「カツラに老眼鏡、入れ歯に補聴器

ペースメーカー、人工関節…うちの母は人造人間ですよ」

だから吉田君は、そう言って笑っていられる。

妻に親の気苦労をさせるのは酷…と微笑むことができるのだ。


老人問題は解決できても、吉田君には大きな悩みがあると言う。

長男のことだ。

今、大学生だが、5~6年前も大学生だった。

休学してはフラリと海外へ行ってしまうので、なかなか卒業しない。

よって後継者問題が宙に浮いたままだ。

これが吉田君の目下の悩みである。


我が子を自由に羽ばたかせる財力がありながら

何を悩むことがあろう、卒業が遅れたっていいじゃないか…

これも庶民の愚問である。

代々続く金持ちは、金運と一緒に古風も継承しているため

何事もニュートラルでないと落ち着かない。


ことに後継者、つまり未来の問題は

親族一同のみならず、社員や取引先、株主など

多くの人の都合や心情が関わるため、世間の興味を引いている。

いつまでもブラブラしてもらっちゃ困るのだ。


飛行機代は?向こうの生活費は?

それも庶民の愚問。

セレブのお子様は、親名義の無制限カードをお持ちだ。


「カードを取り上げればいいじゃん」

これも庶民の愚問。

実力行使に出て、キーキーギャーギャー声を荒げるなんて

見たこともやったことも無いから、できない。

止めなければ家計が圧迫されるような心配が無く

非行や悪事でもないので、断固とした行動に出る必要性を感じない。

庶民はそれを甘やかしと呼ぶが、セレブはセレブで

子供の個性と自主性を尊重しつつ、平和的解決を願って

日々心を痛めているのである。


地元じゃ口が裂けても言えないことを安心してこぼせる相手…

それが我が夫。

遠いのでしゃべっても安心…

聞いてもすぐ忘れるから広まる心配がない…

言うなれば距離とアホが、吉田君を癒している。


親のカードで自由に海外生活…

庶民にとっての憧れが、セレブにとっては悩みになるなんて

皮肉なものである。

王様には王様の悩みがあるのだ。

金持ちって大変そうだ。


「うらやましいよ。

子供達は一生懸命働いて、家族みんなが仲良くて。

どうやったらこうなるの?」

吉田君は真剣に問う。


「ビンボーだからよ!」

私は自信を持って答える。

「働かないとご飯が出てこないからよ。

あとは発展途上国と同じ。

集まって生活しないと弱者が食いっぱぐれる。

仲良しなんかじゃなくて、生きるための苦肉の策だわ」


吉田君は爆笑した後、再び問う。

「弱者って、お父さんやお母さん?」

「私よ!」

再び笑いまくる吉田君であった。

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デンジャラ・ストリート2

2014年09月10日 10時14分59秒 | みりこんぐらし
今年の2月、隣のおじさんが車庫入れに失敗して

前の川へ車ごと突っ込んだ。

先日亡くなった家とは反対側の隣だ。

おじさんは事故以来めっきり弱って、デイサービスに通っている。


この事件の2ヶ月後、関西で暮らしていた息子さん夫婦が

あちらを引き払って帰って来た。

「来年、定年になったら帰ります」

「マンションが売れたら帰ります」

「子供の結婚式がすんだら帰ります」

毎年そう言っては、何年もそのままになっていたが

このたびの事件でやっとその気になったようだ。


先日その息子さんが、たまたま家の前に車を停めていたところへ

たまたま脇見運転の車が正面から突っ込んだ。

車は川土手の傾斜に沿って傾きはしたものの

たまたま桜の木にガードされ、転落はまぬがれた。

息子さんは家に居たため無事で

脇見運転の車にも負傷者はいなかった。

警察、消防、レッカー、野次馬…

父親の事件をほうふつとさせる、デジャブのような光景であった。


「川へ落ちなくて良かった」と言う義母ヨシコに

息子さんは笑いながら言った。

「親父の二の舞はゴメンですよ」。



さて、同居を引き伸ばしたおかげで、彼らの親は90才を超えた。

面倒を見るといっても先は知れている。

しかも隣はお金持ち。

死後の楽しみも充分だ。


美しく上品なお嫁さんは、同居の記念に両親から新車をプレゼントされ

張り切って通院や買い物の足を務める。

60を過ぎて住み慣れた都会を離れ

知らない土地で舅や姑の世話をしようとは、見上げたものである。


顔を合わせるのは週に一回、魚屋さんが来る時ぐらいだ。

お嫁さんは花嫁さんにするように姑さんの手を取り

足元に気をつけてやりながら、そろりそろりと外へ出てくる。


その頃にはうちの嫁姑、魚屋の奥さんとのおしゃべりで

すでに盛り上がっている。

この日の話題は「同じことを何回も話す老人」だった。


「それ、もう百回聞いた!って、いつもこの子に言われるのよ」

ヨシコが魚屋さんに訴える。

へへへと笑う私。


同じことを何回も言う…

これは老人と暮らす者にとって、永遠のテーマであろう。

老人と暮らす苦痛の大半はこれだと言っても過言ではない。


私は若い頃、老人と暮らすようになったら

同じ話でも優しく聞いてあげたいと、美しき理想を掲げていた。

そして現在、ヨシコと一緒に暮らすようになると

理想はいずこ…すぐ嫌になった。

同じ質問、同じ自慢、同じ噂、同じ思い出話。

あとは頭から抜け落ちた人や物の名前を始終誰かに問いかけ

人にすがって虫食いを埋める作業。


ヨシコは若くして金をつかんだので、対話の技術を磨く必要が無かった。

旦那のブレーンや物売りは、何を話しても喜んでくれたし

あとはケラケラと大声で笑ってごまかせば、明るい奥さんと呼んでもらえた。

年を取って貧しくなり、周りに人がいなくなると

聞き下手の話好きはいっそう拍車がかかり

その相手は、当然ながら家族が請け負うことになる。


老人のリピート話を聞きたくないとなると、家族はどうするか。

本心を口に出して傷つけるのは残酷なので

自然に、唯一存在する平和的解決策を実行するようになる。

近寄らない、関わらない、相手にしない…

この「三ない対策」である。


来れば逃げ、追えば離れ…男達はそれでいい。

仕事や遊びで家から出られる。

だがヨシコと2人で取り残される私は、人身御供の気分である。


「やっとられん!」

リピート地獄に耐えるより、私はヨシコを鍛えることにした。

もうじきお別れであれば、我慢もチヤホヤもするが

期限がわからないのだ。

その間、老人が嫌われ、避けられ、孤立していく経緯を

眺め続ける勇気が私には無かった。



何回でも優しく聞いてあげるのは、終了期限が近い場合や

給料や遺産など、お金の絡んでいる人がやってあげればいい。

あとは年齢に甘えて孤独を選ぶか

研鑽を積んで人間の現役を続けるか、本人次第。

「同じことを何回も言う老人にどう向き合うか」

私はこのテーマに挑戦状をたたきつけ

「それ、百回聞いた」と言い始めたのである。


「思い出せないことは、思い出さなくていいこと」

これも言うようになった。

思い出せなければ、脳細胞が何十万個死ぬとかいう人もいるけど

すでにほとんど死んでいる…構うことはない。

それに、あの手この手で思い出させたところで

現状維持できているとは思えない。

思い出しても、思い出さなくても、順調な衰えを見せている。


「百回聞いた!」の訓練を始めたら、ヨシコは言葉を選ぶようになった。

それはプライドの高い彼女にとって辛いことである。

言われて傷つかないために

「前にも言ったことがあるかもしれないけど…」

と気を使うようになった。

これが大事なのだ。

孤独が嫌ならば、頭の中を磨くしかないのである。


厳しい訓練は続いた。

私は心を鬼にして…と言いたいところだが

よく考えたら、わざわざ鬼になる必要は無かった。

元々鬼だった。


ヨシコは筋が良かったようで

この頃では笑いを取る喜びも覚えた。

笑ってほめると、さらに成長を見せた。


話がそれたが、姑さんと魚を買いに出てきた隣のお嫁さん

ヨシコの「百回聞いた」をちょうど耳にして、驚いたように言った。

「そういうこと、お年寄りに言っちゃいけないんでしょう?

しゃべらなくなって、ボケちゃうから」

フフ…と笑う私。


「私はお義母様にボケられたら困りますぅ。

まだ教わりたいことがたくさんあるんですもの。

お義母様、いつまでもお元気でいてくださいね!」

姑の両肩に手をかけ、のぞき込む嫁。

その手に自分の手を重ね、微笑みを返す姑。

美しい嫁姑像、一体完成。

魚屋の奥さんが、小さく「ケッ」とつぶやく。


初々しい理想に燃えた隣のお嫁さんが、いつ鬼に変わるか楽しみではあるが

期限がそこそこ明確な上に遺産も付くので、このままかもしれない。

しかしこの頃

「お義父さまぁ」「お義母さまぁ」

と呼びかける明るい声が、聞こえなくなったのは確かである。
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家メシ

2014年09月07日 21時19分09秒 | みりこんぐらし
選挙で知り合い、友達になった一回り年上のヤエさんと

3つ年上のラン子さん。

月に一度か二度会ってはランチを楽しむようになって、3~4年が経つ。


この三婆、初夏のあたりから、遊び方が変化した。

食べ歩きや買い物をやめて、ラン子の家で過ごすようになったのだ。


ラン子の家へ続く登り坂は、道幅が狭い。

私の車では上がれないため、遊ぶ時は下の広場で待ち合わせていた。

ヤエさんは、足が丈夫でないラン子を気の毒に思い

自分の軽自動車で送迎すると言い出した。


「太ってるから足に来るのよ、歩かせたらいいのよ。

仕事に行く時は駅まで歩いてるんだから」

冷酷な私は、ラン子邸へと続く過酷な登山に反対したが

親切なヤエさんは耳を貸さない。

こうして我々は、ヤエさんの車で移動するようになった。


だが彼女も67才、この頃は運転がしんどくなってきた模様。

町内で私を、隣町の山でラン子を拾い

食を求めてウロチョロするのがつらくなったのだ。


定期的に助手席に乗っていると

視力や技術の衰えが何となくわかるものだ。

運転の適性は下降、他人を乗せるプレッシャーや食後の倦怠感は上昇。

こうして老人は、運転が苦手になっていく。


移動手段を私の車に戻そうと思っていた矢先、ヤエさんが提案した。

「ラン子さんの家で何か作って

ゆっくりおしゃべりしながら食べるのはどう?」

ヤエさんの疲労を考えて、我々は同意した。


ラン子が一人暮らしをする山荘?は、寝たきりの伯母さんの持ち物だそう。

広くて気持ちの良い美邸だ。

ヤエさんは以前から、姑さんとご主人を見送ったら

自宅は子供に譲り、ここで我々と暮らす夢を温めている。


私は老後、同級生ユリちゃんのお寺で暮らす野望はあるものの

料理上手で優しいヤエさんと暮らすのも、やぶさかではない。

しかしラン子とは遠慮したい。

自分が頑張るよりも人を下げてバランスを取る

悪魔のような性格は嫌いではないけど

市内に住む親きょうだいと娘も、同じ性格だからである。


悪魔も単独なら可愛げがあるが、人数が多いとろくなことはない。

必ずゼニのことでモメる予感がする。

老後の共生は本人だけでなく、家族の性質も考慮する必要があるのだ。


住環境も考えなければ。

病院や店から遠く、急で長い坂という、老人には不利な立地条件。

せめて救急車が乗り付けられる所であってほしい。


伯母さん名義の家土地というのも相続でモメそうだし

家賃や生活費は分担するとしても、修繕費用は、固定資産税は…

最後に生き残るのがラン子ならいいが、そうでない場合は宿無し…

これらの諸問題をクリアしてまで住みたい家ではない。


ともあれ、ラン子の家で料理をすることになった3人。

ヤエさんのことだから、用意周到だ。

下ごしらえのすんだ食材を入れた発泡スチロールの箱を

何個も運び込む。


3人で、焼いたり揚げたり並べたり。

「楽しいわ~!」

ヤエさんは微笑む。


おかしい…私はちっとも楽しくない。

これはどうしたことか。


家メシのシステムを気に入ったヤエさんは

「次からずっとこうしましょう」

と言う。

それから何回かやったが、やっぱり楽しくない。

楽しくない上に、ひどく疲れる。

一体どういうことなのか。


だがやがて、この習慣から解放される時が来た。

ラン子の甥や姪の結婚が4~5組、立て続けに決まり

ヤエさんに着物を借りるようになったのが発端である。


私はラン子の娘に着物を貸すことはあるが

年上で元くろうとのラン子が着るには無理があった。

その点、着物を着る機会の多いヤエさんは

定期的に着物を作り続けている。

ヤエさんの年齢に合わせた地色と、凝っているが控えめな柄ゆきは

粋な印象のラン子にしっくり合うのだった。


ラン子は自分だけでなく、妹や、弟の嫁など

年齢の近い親族の衣装もヤエさんから調達するようになった。

衣装持ちなので、一気に借りやすいのだ。

「貸衣装ヤエ」は、長襦袢を始め

帯揚げ、帯しめ、半襟などの小物も充実している。


「共働きしていながら、あんたの身内は着るべき物も揃えずに

貸衣装代も惜しんで、今まで何してたんだ」

私は小姑のように憎まれ口をたたく。

何してたも何も、どこでもそうだろうけど

教育にお金をつぎ込んで衣装どころじゃなかったと思う。

だけど姉の友達というだけで、見も知らぬ人から何度も着物を借りるなんて

親族一同、節操が無さ過ぎじゃないか。


しかし衣装部主任は

「生きているうちに、あと何回着られるかわからないもの。

活用してこそ買った甲斐があるわ」

そう言って上等の品を気前良く貸すのだった。


よってこのところはヤエさんの家に集まって

ラン子様御一行の衣装を選んだ後、ランチに出かけるパターンが定着した。

女は人の衣装を見るのも好きだが、自分のコレクションを見せるのも大好きだ。

ヤエさんは心から楽しんでいた。

よっしゃよっしゃ…この調子で忘れてもらおう…

私は家メシからの脱却にほくそ笑む。


そしたら何で楽しくなかったか、急にわかった。

食べる物を作る…それは病院の厨房でさんざんやったことであり

家で毎日やっていることだからであった。

食べる物を作るのは、私にとって遊びでなく労働だったのだ。

な~んだ。


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またまた、しょせんこの程度

2014年09月03日 10時38分27秒 | みりこんぐらし
ダイちゃんネタが続くが、我慢してもらおう。


前回のホテル問題で入信の勧誘が減った分

別の作戦が練られるようになり、何の解決にもならなかった。

ダイちゃん、単独での深追いは逆効果と思ったらしく

今度は教団の人達の力を借りて入信させるつもりのようだ。



最初は「お友達作戦」。

ある土曜日の夜、ダイちゃんから電話があった。

「子供達と一緒に近くまで来たんだけど、ちょっと家に寄ってもいい?」

ダイちゃんは以前、我が家に来たことがあるので場所を知っている。

もちろんカミングアウトよりずっと前の話だ。


突然こんな無理を言い出すのは、宗教モードのダイちゃんに違いない。

断りたいが、高速で1時間以上かけて接近したからには絶対来る。

子供と一緒の手前、引っ込みもつかないだろう。


だが、うちには半病人の義母ヨシコがいた。

来客の興奮と共に「夜間」「知らない人」「複数」「不明瞭な訪問目的」

などの条件を揃えると、不眠や体調不良で厄介なことになる。

私は会社で会うことを提案した。


ダイちゃんはシブシブ承諾し、私は遊びに出かけている息子達へ連絡した。

「敵機来襲、携帯を切って会社に近づくな」

犠牲になるのは親だけで充分だ。


いつもはパリッとしたスーツ姿のダイちゃん。

初めて見る私服のダサさにもたまげたが

一緒に会社へ来たのは、中学生くらいの少年1人と

かなり太めのオバさんのような女性だったのにもたまげた。


ダイちゃんには高一の息子さんと20代の娘さんがいると聞いていた。

見た目年齢が違いすぎる。

そういえば、ダイちゃんより先に入信した奥さんは

子供の病気で悩んでいたという。

なるほど、これがその病気なんだ、と納得する私だった。


「いつもお父様にお世話になっているんですよ」

と言ったらダイちゃん、そこで初めて親子じゃないと言うではないか。

「教団の青年部の子で、今日は野外活動の日なんだ。

初めてだから、気心の知れている人がいいと思ってね」

ワシらは野外か!野っ原か!…という怒り以前に

さも自分の子供を連れて来るような言い回しに

うっかり騙された悔しさがあった。


色白でツルッとした少年が、いきなり言う。

「僕、病院へ行ったことがありません」

ランドセルが似合いそうだけど、声変わりは終えているらしい。

「まだお子さんからねえ、これといったご病気はねえ」


しかし少年、こう言ったではないか。

「僕、大学4年です」

あまりのギャップに驚く私。

もう1人のオバさんみたいな女性は、まだハタチ だと言う。

どちらも親の影響でこの宗教をやって、本当に良かったと誇らしげに語る。

特殊な環境で純粋培養された若者特有の清らかさは感じたものの

信仰は男の子から加齢を奪い、女の子に上乗せしたように思えた。


ダイちゃんはうちの息子がいないことを残念がり

何度も携帯にかけるが、2人とも電源を切っている。

「残念だなあ…年も近いし、この子達といい友達になれると思ったのに」

ならねえよ!


教団は、未来を担う若者が欲しいのだ。

あと10年かそこらで年金生活になり、献金を渋るようになる我々なんぞ

オマケに過ぎない。

本当に入信させたいのは、うちの息子達である。

3人は残念そうに帰り、お友達作戦は失敗に終わった。



それから二週間後に繰り出されたのは「同類作戦」であった。

「仲間に、親の会社の失敗が元で苦労した人がいるんだよ。

同じ体験者に悩みを打ち明けたら

今まで閉じていた信仰の目が開くんじゃないかな」


我々の信仰の目とやらは、悩みのために閉じており

誰かに悩みを話せば、その目が開くという診断らしい。

私は爆笑し、そして静かに言った。

「バカにしてるんですか?」


「いや、そうじゃないよ。

同じ苦しみを分かち合うのは、いいことだと思うんだ」

「苦しんでないですよ」

「一度会ってみようよ」

「お断りします」


「まだ、深く傷ついているんだね…」

ダイちゃんはしきりに私をあわれむのだった。

否定する気力も起きず、終了。



次の手は「ご近所作戦」。

「そっちの町の人が入信したんだよ!」

仕事で訪れたダイちゃんは、嬉しそうに言った。

「食堂をやってる◯◯さん。

君達のことを聞いたら、よく知ってると言ってたよ!

知った人がいると、心強いでしょ」


我々はその店へ1回行ったことがあるという程度。

大きなおフダが店内のあちこちに置いてあり

スピリチュアル好きというのはこの1回でわかったが

入信した女性店主の顔は定かではない。

我々は知らないのに、向こうがよく知っているとはなんちゅうことじゃ。

教団で我々の個人情報をダダ漏れさせたあげく

その店主は我々のことをすっかり知った気分になっているだけだ。


宗教の一番罪深い所は、これなのだ。

あっちで聞いたことをこっちで流す。

入信させるためなら人の秘密だってしゃべるし、平気で話を歪曲する。

個人のものだった情報は、信者から信者へ一人歩きして

「かわいそう」「お気の毒」「この宗教で救われた」の方向へ行ってしまうのだ。


入信する人の半分くらいは、最初は

流れ出て一人歩きしながら姿かたちを変えていく自分のプロフィールを

回収したかったのではないかと思う。

やがてその人達も、人の情報を仕入れて一人歩きさせる行為に手を染め

同じ罪を重ねて、身も心も教団の人となっていくのだ。


「近所の誰それが入信した」という告知は、暗に

「お前らのことが漏れるぞ」という脅迫である。

そんなつもりがあろうとなかろうと、結果的にはそうなのだ。

そもそも誰それが入信したと人にしゃべること自体、大変な情報漏洩である。

知らずにやっているだけだ。

なぜ知らずにやるか…バカだからだ。


我々には今さら流れて困るような、たいした個人情報なんか無い。

教団にしゃべったことも無い。

親の会社の後始末に関わったダイちゃんが

その過程で知り得た情報を利用しているだけだ。

好きにするがいい。


ともあれ、町内に入信者が出たと聞いた私は言った。

「じゃあその店にはもう行きません」

「何で?行ってあげてよ。今度、みんなで行こうか」

「よく言うよ!◯◯園しか行かないじゃん!」

ハハハハ…と笑ってごまかすダイちゃん。


我々一家の本当の悩みは、宗教ではない。

我が町の行列ができるラーメン屋、◯◯園なのである。

ここで出される背脂ギトギトのラーメンを

ダイちゃんはいたく気に入り、我が社へ来るたびにここで食べる。

当然、我々もご一緒することになる。


元々外食を好まず、行列を好まず、ギトギトを好まない我々一家にとって

これは月平均3回強制される苦行以外の何ものでもない。

たまに食べるならおいしかろうが、こうたびたびとなるとつらい。

ラーメン一本勝負の店なので、他のメニューが充実しておらず

軽い物で逃げる手段も使えない。

別の店も提案したし、行きたくないとも言ってみたが効果無し。


一度、ダイちゃんの来社が店の定休日と重なった。

狂喜乱舞する我々をよそに、悔しがるダイちゃん。

以来、木曜の定休日を避けて訪れるようになった。


ダイちゃんは我々がこのラーメンに辟易しているとは、夢にも考えない。

宗教の勧誘なんか、これに比べたらまだかわいい。

ちなみに割り勘。

我々の悩みは、しょせんこの程度なのである。
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