亡くなった息子さんも、目の前にいる娘さんも
私には他人事ではない。
明日には自分が、どちらかの立場になっているかもしれないのだ。
二つの家族には、たまたま今
その「明日」が訪れてしまった‥
そう思うと、涙が止まらなかった。
娘さんはようやく住所氏名を書き終えると
香典の金額の欄に15万円と書いた。
記帳カードは、落ちた涙で所々にシワが寄った。
香典袋を開封して確認する気にはなれず
娘さんの手を握って泣いた。
泣くしかないのだ。
遺族の気持ちを考えたら、お互いに不用意なことは言えない。
だから黙って泣くことしかできない。
やがて父親が、たずねた。
「ご遺族は、どちらにいらっしゃいますか?」
「通夜の会場だと思います。
ご案内させていただきましょうか?」
鼻をすすりながら答えると
「いえ、私どもは末席で
ご冥福をお祈りさせていただきます」
そう言って妻子を促し、隣にある会場へ歩を進めた。
一歩一歩が、針山のように突き刺さる気持ちだろう。
この世の地獄だ。
通夜の法要はしめやかに営まれ
受付の我々が最後に焼香へ行くと
あの親子が会場の入り口付近に立っていた。
中へ入りにくいのではなく
あえて座るということをしない真摯な姿勢を感じた。
焼香を終えて再び帳場へ戻り、集計をしていたら
泣き叫ぶ女性の声が聞こえてきた。
「何でお前は生きてるんだ!」
「お前が死ねばよかったんだ!」
「お前も同じ目に遭わせてやりたい!」
「殺してやる!」
「◯◯(故人の名前)を返せ!」
最初はテレビの音声が
どこからか漏れ聞こえているのかと思った。
どれもドラマによくあるセリフだし
何やら芝居がかっているような気がしたからだ。
しかし、電卓を打つ手を休めて耳をすませると
義父の罵倒で鍛えられた私でも身の毛がよだつ
罵詈雑言のライブ。
受付からは死角になっていて見えないが
声の主は、母親である友人ではない。
とすると、親族の誰かだろう。
通夜が終わり、あの親子と遺族は対面したのだ。
耳をふさぎたくなるような残酷な言葉の羅列が
延々と続いた。
そのうち疲れたのか、罵詈雑言はやみ
両側から男性の親族に支えられた若い女性が
受付の前を通過した。
長い髪を振り乱し、猛獣のような唸り声をあげる姿は
貞子そのもの。
受付のジョーは、マジでビビった。
「ごめんなさい‥姉は精神の病気なんです」
故人の妹と名乗る若い娘さんが、受付に来て言った。
言われるまでもなく、誰もがそう思っただろう。
他罰的傾向というのか
大っぴらに罰することのできる相手を得たので
張り切って演じているような印象を受けた。
私は思い出した。
夫婦で教育関係ひとすじの友人に
「立派」と賞賛したことがある。
すると彼女は、なぜか寂しそうな表情になり
「がむしゃらに働いてきたけど
今になって子供に仕返しされてる気分」
独り言のように、そうつぶやいた。
私は反抗期や進路の問題だろうと思い
彼女もそれ以上は言わなかったので、そのままになったが
このことだったのかもしれない。
このことがあるから、彼女は我が子が亡くなっても
冷静でいるしかなかったのだ。
友人の苦悩を思う一方、例の親子が気にかかる。
私が帰る時には、もう姿が見えなかった。
大丈夫だろうか‥
いつか元気になってくれたら‥
そう思いながら家路についた。
翌日の葬儀では、受付の仕事が通夜ほど忙しくなかったので
早めに参列することができた。
あの親子は来ていなかった。
友人の娘も落ち着いたのか、静かだった。
出棺までは。
皆が棺に花を入れ、最期のお別れをするところになると
興奮したらしく
「あいつを絞め殺してやりたい!」
「ひき殺してやりたい!」
「滅茶苦茶にしてやる!」
そう繰り返しながら、再び暴れ始めた。
こう言ってはナンだが、エクソシストの映画を彷彿とさせた。
誰も止めず、誰も声を発しないのは通夜と同じ。
事情を知っている者と、驚いて呆然とするしかない者
二通りの沈黙である。
友人の娘はしばらく泣き叫んでいたが
棺が霊柩車に乗せられると落ち着いたのか、別人に変貌。
親戚や知人を見つけては駆け寄り
「今日はありがとうございました」
と、芝居がかったお辞儀をして歩く。
地味な顔立ちに、やたらと濃く描かれた眉が八の字になり
歌い終わった演歌歌手みたいだ。
〝歌手〟はしっかりした足取りで、火葬場へ向かうバスに乗った。
余談になるが、単に眉毛が濃いのではなく
太い細いにかかわらず
とにかく眉を濃く塗り潰したように描かなければ
気がすまない女性というのがたまにいるものだ。
このタイプは総じてキツく、その反動で心が不安定になりやすい。
キツくて不安定とくれば、付き合うのが大変‥
というのが、私の独断と偏見による自論。
バスを見送り、受付のジョーは任務完了した。
毒気に当たったというのが妥当な表現だと思うが
ものすごく疲れた2日間だった。
「加害者の父親です」
最初に聞いたお父さんの声が
今も耳に残っている。
皆様、どうかくれぐれも
交通事故には気をつけてください。
私も気をつけます。
《完》
私には他人事ではない。
明日には自分が、どちらかの立場になっているかもしれないのだ。
二つの家族には、たまたま今
その「明日」が訪れてしまった‥
そう思うと、涙が止まらなかった。
娘さんはようやく住所氏名を書き終えると
香典の金額の欄に15万円と書いた。
記帳カードは、落ちた涙で所々にシワが寄った。
香典袋を開封して確認する気にはなれず
娘さんの手を握って泣いた。
泣くしかないのだ。
遺族の気持ちを考えたら、お互いに不用意なことは言えない。
だから黙って泣くことしかできない。
やがて父親が、たずねた。
「ご遺族は、どちらにいらっしゃいますか?」
「通夜の会場だと思います。
ご案内させていただきましょうか?」
鼻をすすりながら答えると
「いえ、私どもは末席で
ご冥福をお祈りさせていただきます」
そう言って妻子を促し、隣にある会場へ歩を進めた。
一歩一歩が、針山のように突き刺さる気持ちだろう。
この世の地獄だ。
通夜の法要はしめやかに営まれ
受付の我々が最後に焼香へ行くと
あの親子が会場の入り口付近に立っていた。
中へ入りにくいのではなく
あえて座るということをしない真摯な姿勢を感じた。
焼香を終えて再び帳場へ戻り、集計をしていたら
泣き叫ぶ女性の声が聞こえてきた。
「何でお前は生きてるんだ!」
「お前が死ねばよかったんだ!」
「お前も同じ目に遭わせてやりたい!」
「殺してやる!」
「◯◯(故人の名前)を返せ!」
最初はテレビの音声が
どこからか漏れ聞こえているのかと思った。
どれもドラマによくあるセリフだし
何やら芝居がかっているような気がしたからだ。
しかし、電卓を打つ手を休めて耳をすませると
義父の罵倒で鍛えられた私でも身の毛がよだつ
罵詈雑言のライブ。
受付からは死角になっていて見えないが
声の主は、母親である友人ではない。
とすると、親族の誰かだろう。
通夜が終わり、あの親子と遺族は対面したのだ。
耳をふさぎたくなるような残酷な言葉の羅列が
延々と続いた。
そのうち疲れたのか、罵詈雑言はやみ
両側から男性の親族に支えられた若い女性が
受付の前を通過した。
長い髪を振り乱し、猛獣のような唸り声をあげる姿は
貞子そのもの。
受付のジョーは、マジでビビった。
「ごめんなさい‥姉は精神の病気なんです」
故人の妹と名乗る若い娘さんが、受付に来て言った。
言われるまでもなく、誰もがそう思っただろう。
他罰的傾向というのか
大っぴらに罰することのできる相手を得たので
張り切って演じているような印象を受けた。
私は思い出した。
夫婦で教育関係ひとすじの友人に
「立派」と賞賛したことがある。
すると彼女は、なぜか寂しそうな表情になり
「がむしゃらに働いてきたけど
今になって子供に仕返しされてる気分」
独り言のように、そうつぶやいた。
私は反抗期や進路の問題だろうと思い
彼女もそれ以上は言わなかったので、そのままになったが
このことだったのかもしれない。
このことがあるから、彼女は我が子が亡くなっても
冷静でいるしかなかったのだ。
友人の苦悩を思う一方、例の親子が気にかかる。
私が帰る時には、もう姿が見えなかった。
大丈夫だろうか‥
いつか元気になってくれたら‥
そう思いながら家路についた。
翌日の葬儀では、受付の仕事が通夜ほど忙しくなかったので
早めに参列することができた。
あの親子は来ていなかった。
友人の娘も落ち着いたのか、静かだった。
出棺までは。
皆が棺に花を入れ、最期のお別れをするところになると
興奮したらしく
「あいつを絞め殺してやりたい!」
「ひき殺してやりたい!」
「滅茶苦茶にしてやる!」
そう繰り返しながら、再び暴れ始めた。
こう言ってはナンだが、エクソシストの映画を彷彿とさせた。
誰も止めず、誰も声を発しないのは通夜と同じ。
事情を知っている者と、驚いて呆然とするしかない者
二通りの沈黙である。
友人の娘はしばらく泣き叫んでいたが
棺が霊柩車に乗せられると落ち着いたのか、別人に変貌。
親戚や知人を見つけては駆け寄り
「今日はありがとうございました」
と、芝居がかったお辞儀をして歩く。
地味な顔立ちに、やたらと濃く描かれた眉が八の字になり
歌い終わった演歌歌手みたいだ。
〝歌手〟はしっかりした足取りで、火葬場へ向かうバスに乗った。
余談になるが、単に眉毛が濃いのではなく
太い細いにかかわらず
とにかく眉を濃く塗り潰したように描かなければ
気がすまない女性というのがたまにいるものだ。
このタイプは総じてキツく、その反動で心が不安定になりやすい。
キツくて不安定とくれば、付き合うのが大変‥
というのが、私の独断と偏見による自論。
バスを見送り、受付のジョーは任務完了した。
毒気に当たったというのが妥当な表現だと思うが
ものすごく疲れた2日間だった。
「加害者の父親です」
最初に聞いたお父さんの声が
今も耳に残っている。
皆様、どうかくれぐれも
交通事故には気をつけてください。
私も気をつけます。
《完》