殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

受付のジョー・2

2019年12月30日 13時05分46秒 | みりこんぐらし
亡くなった息子さんも、目の前にいる娘さんも


私には他人事ではない。


明日には自分が、どちらかの立場になっているかもしれないのだ。


二つの家族には、たまたま今


その「明日」が訪れてしまった‥


そう思うと、涙が止まらなかった。



娘さんはようやく住所氏名を書き終えると


香典の金額の欄に15万円と書いた。


記帳カードは、落ちた涙で所々にシワが寄った。


香典袋を開封して確認する気にはなれず


娘さんの手を握って泣いた。


泣くしかないのだ。


遺族の気持ちを考えたら、お互いに不用意なことは言えない。


だから黙って泣くことしかできない。



やがて父親が、たずねた。


「ご遺族は、どちらにいらっしゃいますか?」


「通夜の会場だと思います。


ご案内させていただきましょうか?」


鼻をすすりながら答えると


「いえ、私どもは末席で


ご冥福をお祈りさせていただきます」


そう言って妻子を促し、隣にある会場へ歩を進めた。


一歩一歩が、針山のように突き刺さる気持ちだろう。


この世の地獄だ。




通夜の法要はしめやかに営まれ


受付の我々が最後に焼香へ行くと


あの親子が会場の入り口付近に立っていた。


中へ入りにくいのではなく


あえて座るということをしない真摯な姿勢を感じた。



焼香を終えて再び帳場へ戻り、集計をしていたら


泣き叫ぶ女性の声が聞こえてきた。


「何でお前は生きてるんだ!」


「お前が死ねばよかったんだ!」


「お前も同じ目に遭わせてやりたい!」


「殺してやる!」


「◯◯(故人の名前)を返せ!」



最初はテレビの音声が


どこからか漏れ聞こえているのかと思った。


どれもドラマによくあるセリフだし


何やら芝居がかっているような気がしたからだ。



しかし、電卓を打つ手を休めて耳をすませると


義父の罵倒で鍛えられた私でも身の毛がよだつ


罵詈雑言のライブ。


受付からは死角になっていて見えないが


声の主は、母親である友人ではない。


とすると、親族の誰かだろう。


通夜が終わり、あの親子と遺族は対面したのだ。



耳をふさぎたくなるような残酷な言葉の羅列が


延々と続いた。


そのうち疲れたのか、罵詈雑言はやみ


両側から男性の親族に支えられた若い女性が


受付の前を通過した。


長い髪を振り乱し、猛獣のような唸り声をあげる姿は


貞子そのもの。


受付のジョーは、マジでビビった。



「ごめんなさい‥姉は精神の病気なんです」


故人の妹と名乗る若い娘さんが、受付に来て言った。


言われるまでもなく、誰もがそう思っただろう。


他罰的傾向というのか


大っぴらに罰することのできる相手を得たので


張り切って演じているような印象を受けた。



私は思い出した。


夫婦で教育関係ひとすじの友人に


「立派」と賞賛したことがある。


すると彼女は、なぜか寂しそうな表情になり


「がむしゃらに働いてきたけど


今になって子供に仕返しされてる気分」


独り言のように、そうつぶやいた。


私は反抗期や進路の問題だろうと思い


彼女もそれ以上は言わなかったので、そのままになったが


このことだったのかもしれない。


このことがあるから、彼女は我が子が亡くなっても


冷静でいるしかなかったのだ。



友人の苦悩を思う一方、例の親子が気にかかる。


私が帰る時には、もう姿が見えなかった。


大丈夫だろうか‥


いつか元気になってくれたら‥


そう思いながら家路についた。




翌日の葬儀では、受付の仕事が通夜ほど忙しくなかったので


早めに参列することができた。


あの親子は来ていなかった。


友人の娘も落ち着いたのか、静かだった。


出棺までは。



皆が棺に花を入れ、最期のお別れをするところになると


興奮したらしく


「あいつを絞め殺してやりたい!」


「ひき殺してやりたい!」


「滅茶苦茶にしてやる!」


そう繰り返しながら、再び暴れ始めた。


こう言ってはナンだが、エクソシストの映画を彷彿とさせた。



誰も止めず、誰も声を発しないのは通夜と同じ。


事情を知っている者と、驚いて呆然とするしかない者


二通りの沈黙である。



友人の娘はしばらく泣き叫んでいたが


棺が霊柩車に乗せられると落ち着いたのか、別人に変貌。


親戚や知人を見つけては駆け寄り


「今日はありがとうございました」


と、芝居がかったお辞儀をして歩く。


地味な顔立ちに、やたらと濃く描かれた眉が八の字になり


歌い終わった演歌歌手みたいだ。


〝歌手〟はしっかりした足取りで、火葬場へ向かうバスに乗った。



余談になるが、単に眉毛が濃いのではなく


太い細いにかかわらず


とにかく眉を濃く塗り潰したように描かなければ


気がすまない女性というのがたまにいるものだ。


このタイプは総じてキツく、その反動で心が不安定になりやすい。


キツくて不安定とくれば、付き合うのが大変‥


というのが、私の独断と偏見による自論。




バスを見送り、受付のジョーは任務完了した。


毒気に当たったというのが妥当な表現だと思うが


ものすごく疲れた2日間だった。


「加害者の父親です」


最初に聞いたお父さんの声が


今も耳に残っている。


皆様、どうかくれぐれも


交通事故には気をつけてください。


私も気をつけます。


《完》
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受付のジョー・1

2019年12月27日 09時40分06秒 | みりこんぐらし
長らく同窓会の役員をしていた関係で


通夜葬儀の受付を数々やってきた。


現地で帳場に立つのはもとより


人数集めや集合時間の連絡、葬儀社との打ち合わせ


初心者への実技指導、不測の事態への対応など


受付の役目は多く


今や、不幸の受付においてはベテランを自負している。



そんな私を人はこう呼ぶ。


「受付のジョー」。


受付嬢と呼ぶには年を取り過ぎているからだ。



先日の通夜葬儀は、正直まいった。


亡くなったのは友人の息子さん。


面識は無い。


この春、社会人になったばかりだったが


突然の交通事故で帰らぬ人となってしまった。



子を持つ親なら誰でも思う。


「明日は我が身」。


逆縁の葬儀はつらいが、頼まれたからには


やるしかないじゃないか。



「遠くからありがとね〜、まだ実感がわかないのよ〜」


早めに通夜の会場へ行くと


友人は昔と変わらずひょうひょうと


微笑みさえ浮かべて言う。


彼女の冷静は私にとって救いだったが


あまりの衝撃に涙すら出ない状態なのか


他に何か別の理由があって平常心を保っているのか


その時はわからなかった。



葬儀社との打ち合わせは、入念だった。


というのも今回の受付は、私にとって初めての形態


「即日返礼様式」だからである。


即日返礼は、四十九日の茶の子を省略するためのシステム。


香典と引き換えに、その場で茶の子を渡してしまうのだ。



通夜葬儀で弔問客が香典を出すと


受付はそれを受け取り、記帳を促す。


ここまでは通常と同じだが、即日返礼はここからが違う。


即日返礼用の記帳カードは3枚複写になっていて


住所氏名電話番号の他に


香典の金額を記入する欄が設けてある。



記帳が終わったら、受付はその場で香典袋を開封するように‥


そう教えられたが、弔問客の目の前で香典袋を開けるのは


なかなかの気まずさ。


開封したら、記帳カードの金額と一致しているかを確認。


これもなかなかの気まずさよ。



金額が合っていれば、1枚目を帳場で保管し


2枚目と3枚目のカードを弔問客に渡す。


これを持って別に設置してある


返礼品専用の受付に行ってもらうよう案内するのだ。



弔問客はそこでカードを提出。


香典の金額に見合った返礼品を受け取る。


2枚目のカードはそこで保管し


3枚目のカードは返礼品に貼り付けて渡す。



わずらわしい茶の子の発送が無いのが人気だそうで


都会ではこのシステムが浸透しつつあるらしい。


最初から香典袋を用意せず


いきなり財布からお金を出す人もけっこういて、驚いた。



遺族が世話無しの分、受付の方は多忙だ。


一つの香典袋に連名で香典を入れてある時なんて


一人分ずつ別々のカードに記帳してもらう必要が生じる。


そんな連名の香典袋をたくさん持って来た場合


記帳を手伝わなければ通夜が始まってしまう。


その際に間違ったら最後、すごく面倒なことになる。



しかも連名で香典に乗っかるような人は


たいてい住所氏名の記入もいい加減。


それをカードに記入するのは、骨が折れる。


昔から、香典の連名は無作法と言われているけど


まったくだ。


連名が無作法というより、無作法な人が連名にするらしい。




即日返礼様式の受付にも慣れてきた頃


一人の中年男性が私の所へ来て言った。


「加害者の父親です。


本日は娘ともども、お悔みにうかがいました」


その口ぶりと態度、顔立ちから


ある程度地位のある、きちんとした家庭の


きちんとしたお父さんであることがうかがえる。



かたわらには優しそうな奥さんと


おとなしそうな若い娘さんが佇んでいた。


どちらもポロポロと涙をこぼしながら、うつむいている。


友人の息子さんと事故を起こしたのは


この女の子らしい。



息子さんは、県外の会社に勤めていた‥


バイクで通勤中、交差点を直進していて右折車と接触した‥


即死だった‥


これらは聞いていたものの


相手が息子さんと同年代の女の子だったのは知らなかった。



よりによって‥


私はそう思わずにいられない。


経験豊富な受付のジョーでも、このケースは初めてよ。


受付は4人並んでいるというのに


何で隣へ行かずに私の所なのよっ?



しかし受付のジョーとしては


ここでひるむわけにいかない。


「ご苦労様です‥御記帳をお願い致します」


努めて平静を装う。



娘さんは父親に促され、記帳用のボールペンを握った。


けれども手が震えていて、なかなか書けない。


あまりにも気の毒で、父親に代筆を要請しようか


それとも自分が代筆しようかと迷った。



が、父親は


「頑張って書きなさい」


と言うかのように、娘さんの背中に手を当てた。


自分で書くことも含めて、弔問だという意思が感じられた。



こっちも明日は我が身。


自分や我が子が加害者になったら


こうして弔問に行かなければならない。


何とつらいことか。




記帳台に置かれたまま震えている娘さんの手を


私は思わず握った。


緊張の極致だろう、氷のようだ。



「手が冷たいね…大丈夫よ…ゆっくりね」


また思わずそう言うと


一文字ずつ折りたたむように書き始めた。


漢字の難しい県と市だ。


さしもの受付のジョーも、代筆は無理だったわい。



「遠くから、よく来たね…えらかったね」


声をかけながら、こっちも泣けて仕方がない。


両親と娘さん、それに私の4人は


その場で号泣するのだった。


《続く》
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同居・その傾向と対策・2

2019年12月23日 09時45分55秒 | 前向き論
前回は、義理親との同居によって


さまざまな自由を失うことをお話しした。


他にも家事のやり方の自由から、子供へのしつけの自由


時間の使い方の自由‥


同居することで手放す大小の自由は数え切れない。



こう言うと失うものばっかりのような気がするが


得るものも、一応だがある。


まず、料理がうまくなる。


亭主と子供だけの核家族であれば


「ちょっと失敗しちゃった〜!テヘペロ」


で済むことが、義理親に食べさせるとなると


焦げただの、少し遅れただのの些細なことが


失態として大きくなる。



嫁は知っているのだ。


話は家の中だけでは終わらない。


小舅、小姑、親戚、親の友人知人の誰かに必ず伝わる。



意地悪な気持ちからではない。


嫁の落ち度を近しい者へ伝えずにいられないのが


義理親の習性である。


「私たちはこんなにも我慢している、できた人間なんです」


それを周囲に知らしめたいだけの、無邪気な心だ。



同居の場合、嫁が我慢していると思われやすい。


義理親は常々、この一般論に抵抗を感じていて


「我慢しているのはこっちだ」


世間にそう知らしめたい願望を持つ。


嫁のミスは、それを発信する格好のネタなのだ。



何ヶ月も経って忘れた頃


回り回ってお節介なヤカラから


「料理がヘタなんだって?」なんて言われた日にゃ


口の中にいきなり砂をぶち込まれたような気分さ。



その気分が嫌なのと、人を恨みたくないのとで


嫁は奮闘する。


ただでさえ毎日が大変で面白くないのに


この上、何人もの人間を恨める余裕なんか無いからだ。


未然に防ぐには、時間までに品数を揃えて


何とか格好をつけるしかない。


毎食が真剣勝負なので上達もするし


手際も良くなるのは当たり前である。



次に、打たれ強くなる。


同居に比べたら、たいていのことはマシなので


少々のことで傷つく必要性を感じなくなるからだ。


他人に嫌なことを言われたって平気。


一緒に暮らす他人に言われる方が、よっぽどなさけない。



特に我が家は、嫁に行った小姑が毎日やって来て長居をする。


実家依存の娘はたいていの場合、社交的でない。


他人との接触が苦手だから


実家に依存するしかないのである。



この生まれっぱなしの野生児が


余計なことを言っては家庭を引っ掻き回す。


親も娘かわいさで、いとも簡単に扇動される。



さんざん引っ掻き回して野生児は山へ‥


いや、自分の家へ帰って行く。


逃げ帰れる家があるから、火をつけられるのだ。




これが本当に嫌で嫌で


夫と私は解決しようと苦しんだ時期もあったが


「少しは遠慮してくれ」と言っても来る‥


「来るな」と言っても来る‥


しまいには義姉の一人息子から


「早く出て行け」と言われる始末。



ろくに口も回らぬ子供を巻き込むのはいけないと思い


あきらめて以来30年余り。


こんなのを40年間も相手にしていたら


少々のことではへこたれない根性と


図太い神経だって入手できるというものだ。



他には、たくさんの教訓を得ることが挙げられる。


四面楚歌、孤立無援、背水の陣、血は水よりも濃い‥


など、言い伝えられているさまざまな言葉を


実体験することで理解できるようになる。


「それがどうした‥知りたくもない」


誰しもそう言うだろう。


私もそう思う。




このように一見、失うものばかりが多く


やはり一見、得るものがショボい義理親との同居。


できれば避けた方が賢明かもしれないが


それでも他に、何かゴージャスなものを手に入れてはいないか‥


私は考えるのだった。



で、思い当たった。


人によっては遺産‥


あるいは親の苦労を見て育った、賢く優しい子供‥


私にはそのどちらも無いが、〝同志〟を得ていた。


夫である。



額に青筋を立てながらも、母親の無茶や気ままに対応する姿は


気の毒を通り越して、もはや尊い。


私もつい、彼に負けないように頑張ろうと思ってしまう。


いや、私の頑張ろうは、怒りのあまり


姑に危害を加えないよう気をつけるという低レベル。



けれども夫の浮気と、私の嫁舅、姑、小姑問題で


夫婦が憎しみ合っていた若い頃とはうって変わり


お互いの苦しみをわかり合いながら


ごくろうさんと言い合える同志の存在は


得難いものに思える。



ゴージャスとはいかないものの


何につけ損な役回りの私に似合いのプレゼントは


『呉越同舟』。


〝仲の悪い者同士や敵味方が、同じ場所や境遇にいること。

本来は、仲の悪い者同士でも

同じ災難や利害が一致すれば協力したり助け合ったりするたとえ。

「呉」「越」はともに中国春秋時代の国名。

父祖以来の因縁の宿敵同士で、その攻防戦は三十八年に及んだという。〟


《完》
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同居・その傾向と対策

2019年12月18日 11時28分43秒 | 前向き論
直近の記事『行いと運命・10』のコメント欄で


さらさんと三世代同居について触れた。


長男と結婚したら、義理親との同居は


重いテーマになるものだ。



昔であれば、仕事や子供の学校を理由に同居を渋り


グズグズしているうちに親はいなくなった。


うっかり同居した場合も


付き合いはせいぜい20年かそこらで終わった。


だから親孝行だの人の道だの、年寄りに都合のいい


のんきな話で嫁を縛ることができた。



しかし高齢化の進んだ現代は、違う。


子世代が年を取っても、親が生きている。


その長生きの親が病気になったり


精神的、あるいは経済的に自活が難しくなったり


周囲に迷惑をかけるようになると


同居せざるを得なくなるケースは少なくない。


私もその一人だ。



親孝行という道徳心と、自由を求める自然な心‥


同居前、同居後にかかわらず


長男の嫁はその狭間で揺れ続ける。


その揺れは、お世辞にも心地よいものではない。


しまいには、この不快な揺れを自分に与えた旦那まで


憎たらしくなる。



同居とは、この不快な揺れを日常として


受け入れることである。


かなりの覚悟と諦めが必要だ。


そこで義理親との暮らしが実際にどんなものなのか


自身の体験をお話ししてみたいと思う。




義理親との別居と同居において


一番大きな違いは自由の有無である。


まず、自分の住まいに家族や友達を呼べなくなる。


自分が住んでいるのは、たいてい義理親の持ち物だからだ。



かまわないと言われても


一応は許可を得なければ角が立つ。


これがわりと面倒くさい。


そうまでして家に招く必要があるか否かを


考えるようになる。



呼んだ相手も、義理親がいると遠慮する。


見も知らない親に挨拶しなければならないし


当たり障りのない話題に限定されるし


そうまでして会いたいか否かを考えるようになる。


そしてじきに来なくなる。


最初に同居したのは26才の時だったが


その時に初めて知った。


「同居とは、友達と別れること」。



じゃあ、自分がどんどん出かければいいじゃん‥


多くの人はそう思うだろう。


しかしそれは、同居の経験が無い人だ。



義理親は昔の人間である。


嫁が息子や孫をほったらかして、遊び歩くのを好まない。


会社や学校で頑張っている息子や孫がかわいそうになるのだ。


加えて、もしも嫁の留守にかわいい息子や孫が帰って来たら


自分が何か用事をする羽目になるのを憂慮する。


これらの理由により、舅や姑は嫁の外出を嫌う。



さらに我が家の場合、最大の理由がある。


遊びに出た嫁が、家の秘密をしゃべる懸念だ。


家の秘密とは、彼らの娘の実家通い。


嫁いだ娘が毎日帰ってくる習慣は、世間に隠されていたからだ。



義理親は私の外出を嫌い


私もまた、出れば機嫌が悪くなる彼らに遠慮した。


彼らの機嫌を損ねると、家庭の平和が乱れる。


元々平和じゃないが、もっと平和じゃなくなる。



しかも出かけるからには、家事を済ませなければならない。


帰ってからの段取りも、しておかなければならない。


誰も助けてはくれないのだ。


そりゃ、しんどい。


しんどいから、出かけるのがおっくうになる。


こうして外出しにくい環境が整備されていった。



同居によって失う自由は、外出だけではない。


義理親というのは、嫁が自室で過ごすことを嫌う。


「二階へ上がったきり、何をしているのやら」


よその舅や姑がこぼすのを幾度となく聞いてきた。


姿が見えないと、何をしているのか気になって


気にする自分に腹が立つ‥それが義理親の習性らしい。


彼ら義理親組合員は、嫁がせっせと働くのを


ゆるりと眺めるのが楽しいようだ。



また、入浴の自由も失う。


これも多くの同居家庭で聞かれる事柄だが


義理親組合員は、風呂について厳格である。


家族の入浴開始時間と順番をコントロールし


嫁の長風呂と、時間外入浴を嫌うのは


彼らの生き甲斐と言っていい。


人は、水に関わることには過敏になる習性があるようだ。



また、物理的理由としては


温水器の容量や光熱費が気になることも挙げられる。


家族が増えるからと、温水器まで設置し直すような


気の利いた親はあまりいないし


嫁の長風呂で、息子が働いた金を湯水のように流してしまわないか


親としては気になるのだ。



だから同居に踏み切る人には、いつもアドバイスしている。


「風呂は親の本能をかきたてる、あなどれない施設。


増築するんなら他の予算を削ってでも


風呂は別々にしないと失敗する」。


この風呂が原因で同居を解消したり


精神を病んだ人が実際にいるのだ。


無駄な引っ越し費用や医療費が、もったいないではないか。



その他、組合員の目の届く所であくびをする自由や


ため息をつく自由、好きな時にゴロゴロする自由も失われる。


これは、他者の力によって失われるのではない。


自分で自分を縛ってしまう。



「そんなん自由やん‥気にする方がおかしい」


同居の経験の無い人なら、誰でもそう思うだろう。


が、どうしてもそうなってしまう。


なぜなら、動物と一緒なのだ。


豹やライオンのいる草原で、草食動物は緊張を解かない。


嫁の外出や風呂が気になるのが義理親の習性なら


これは嫁の習性である。



昼寝なんて、できるもんかい。


こっちが静かになったら


向こうにはなぜか急用ができて呼ばれる。



それに、うっかりうたた寝をしようものなら


夜、しっかり眠れなくなる。


ちゃんと寝ないと翌日に響く。


身体は重いが、やるべき義務は通常通りなので辛く


「なんで、こんな目に‥」


などとセンチメンタルな心境になって、さらに辛い。


マジで、生きる意味さえ見失ってしまう。


それを未然に防ぐため、自己を律して節制するようになるのだ。


これが苦にならない人は、同居に向いているといえよう。


《続く》
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行いと運命・10

2019年12月10日 09時59分07秒 | 前向き論
いつもお立ち寄りくださって、ありがとうございます。


連続ものを書かせていただいている最中に


しばらく中断するのは心苦しい限りですが


仕事の方が少し落ち着いたので再開させていただきます。





さて工場が撤退してほどなく、義父は最期の入院生活に入った。


霊園の夢が終わり、工場との縁が切れたら


今度は義父がこの世と別れる番が来る‥


この巡り合わせには感慨深いものがあった。



しかし感慨にふけってばかりはいられない。


入院した義父がシャバに残して行った現実的な問題‥


億単位の借金が待ち構えている。


かなり前から、銀行に支払う利息は会社の利益を超えており


元金を減らすどころか、銀行へ利息を支払うために


同じ銀行から高い利息で新たな借り入れをするという


悪循環が続いていた。



そんな中、義母が胃癌で


内視鏡手術を受けることになった。


我々一家が再び夫の実家に舞い戻り


義母と生活するようになったのはこの時からだ。



夫は何とかして親を救おうと、もがいていた。


子供というのは幾つになってもいじらしいもので


親のやらかしたことがブザマであればあるほど


本能的に隠したくなる。


親が死ぬかもしれないと思えば、なおさらだ。


夫もこの本能に支配されていた。


父親の恥を世間に知られるくらいなら


自分が身代わりになって倒産者の汚名を着るしかない‥


彼は思い詰めていた。



夫の気持ちを知った両親は、どうしたか。


大喜びで、すっかりその気。


「ヒロシが何とかしてくれる」


そう言って人柱になろうとする息子を


英雄のように賞賛するのだった。



経営が順調な時は、娘ばかりをもてはやし


傾いた途端、息子にすがりつく。


この変わり身の理由は、ただ一つ。


銀行は娘を認めないが


息子なら父親の借金の肩代わりができるからである。



この露骨を見るたび、私は腹を立てた。


わかってはいたけど、あんまりではないか。


同時に、彼ら家族の限界を知った。


善悪の問題ではない。


彼らの家族愛は、この程度で精一杯というだけだ。




私は当初、部外者になりきるつもりでいた。


会社に関することでは、私を疎外し続けた彼らである。


その方針を貫き、血を分けた肉親だけで苦しめばいいではないか。



しかし、全てを夫に押し付けておきながら


夫への謝罪も感謝も労いの言葉も無く


ひたすら部外者を装って倒産を待つ彼らを見ているうちに


考えが変わった。


誰にも頼まれていないが、参戦することにしたのだ。




それだけではない。


この家では、親が面倒から逃げるために


子供に押し付けるのが常識になっている。


いつぞや、私が商品券の包み変えに行かされたのも


同じノリだ。


当時は彼らを心の底から軽蔑したものだが


若い頃から慣れている夫は


これが親として最低の行為とは思っていない。



ということは、夫がこの問題を抱えきれなくなった時


個人連帯保証を欲しがる銀行に言われるまま


成人した我が子に向けて、同じ行いをする可能性が高い。


これを懸念して、息子たちには


死んでもハンコつくな、田舎芝居にだまされるな‥


そう教えてきた。


会社が危なくなってからは


息子たちの実印を肌身離さず持ち歩いてもいた。


が、その気になれば印鑑証明は変えられるし


何がいつ、どうなるかわからないじゃないか。


水際で予防するためにも、私の参戦は必要だった。



とはいえ浅学無知な主婦に、妙案が浮かぶわけがない。


できることといったら


「アレらの自業自得なんだから


あんたが身代わりになることはない。


死ぬのを待って相続放棄じゃ」


などと言って励ます程度。



ほどなく、よその会社から合併の話が持ち込まれ


肩代わりも倒産もあっけなく免れた。


本社には、義父が借金をしていた銀行より


かなり大きな銀行が付いていたため


銀行同士で調整が行われ、借金の額が大幅に減ったのが


免れた理由である。



本社と合併して新しい会社を作った4年後、義父は他界した。


「悪い人じゃないんだが


とにかくワンマンだから金儲けはヘタだった」


通夜葬儀では何人もの業界人が、苦笑しながら義父を偲んだ。


うるさい彼がいなくなったので、本音が言えたらしい。


複数の人間が、私と同じ感想を持っていたのは意外だった。


私以外は皆、本当の義父を知らないと思っていたが


ちゃんと知っている人がいたらしい。



失敗続きに見える義父の人生だが


今考えると、本当は幸せだったのではないかと思う。


晩年は借金に苦しんだものの、たまたま転がり込んだ合併話によって


最後は会社を倒産させた老社長ではなく


引退した元社長として死ねたことである。



これは一度でも社長と呼ばれた人にとって


ものすごく大事。


地域雇用を生み、いくばくかは多めに納税することで


社会貢献した者は、何よりも名誉を重んじる。


会社を潰して失意のうちに死ぬのと


次代に譲った格好を装って死ぬのとでは


名誉に雲泥の差があるのだ。



終わり良ければすべて良し‥


彼はやはり強運な男だと言える。


嫁一人いじめたぐらいでは


義父の強運は揺らがなかったようだ。



しかしまた、こうも考える。


彼は、自身の強運をコントロールできなかったのではないかと。


強運を持って生まれた人は


それにふさわしい理性を備えなければ


じきに制御しきれなくなる。


数々の失敗は、コントロールできなくなった運の


誤作動ではないかと思うのだ。




一方、死人に口無しとばかりに


いじめられた、ひどい目に遭ったと言う私だが


今もたいした進展は無いものの、昔はもっと馬鹿だった。


何も知らず、何もできず、いわば何の武器も持たない丸腰で


義父の魔手に近寄ったのだ。



他人の魔手から我が身を守るヨロイは、ひとえに品格であり


品格とは、すなわち知性と教養である。


今もそうだが、品格どころか人格も怪しく


ただ明るく賑やかなばかりだった私は


絶対服従の静寂を好む彼の性分を存分に刺激した。



この人品賤しい私が


彼の愛娘の里帰りに難色を示したのは自殺行為だった。


口では「幸せになりたい」とぬかしながら


私は彼に、罰するべきもっともな理由を


自ら与えてしまったのである。



私に品格というものがあったなら


嫁に行った娘を毎日帰らせるようなナメた真似は


発生しなかったかもしれない。


バカにされていたから、やられたのだ。



結局はどっちもどっちだった‥


義父が亡くなって、そう気がついた。


自分みたいな嫁が来たら、私なら嫌だ‥


よく我慢してくれたものだ‥


気づきはいつも、後からやってくる。



次に彼ともし出会うことがあったら、優しくしたい。


そして、いろんなことをたくさん話したいと思っている。


《完》
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