殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

駅ピアノ

2022年02月04日 10時01分58秒 | みりドラ
駅に限らず、街角、空港と

昔では考えられなかった国内外の場所にピアノを置いて

通りすがる人に弾いてもらい、その人の人生を軽く紹介する番組が増えた。

ハラミちゃんというスターも生まれて、ちょっとしたブームだ。

積極的に見ているわけではないが

自分もピアノをやっていたので、放映しているとつい見てしまう。


幼児期から高校卒業まで、ほんの十数年ピアノをかじった私だが

才能の方はさっぱり。

途中でやめなかったのは下手の横好きではなく、諸事情というやつ。


というのも同級生に、サヨちゃんという歌のうまい子がいた。

同級生というだけでなく、小学校では聖歌隊も音楽クラブも一緒だったし

中学のブラスバンド部でも、高校のコーラス部でも一緒の仲良しだ。


歌がうまいのにも色々ある。

流行りの歌から民謡まで、彼女は何でも歌えるが

主にオペラやカンツォーネを得意としていた。

先生に付いて歌の勉強をしていたわけではない。

しかし天性の才能は、誰もが認めるものであった。


彼女は美しい歌声と同じく、優しい天使のような心を持ち合わせていた。

かといって、ただフワフワしているだけではなく、誠実でしっかりした面もある。

文科省推薦ジャンルに属する歌と共に、彼女の柔和な性質は大人たちの理想。

よって教育関係者の御覚えめでたく、何かと引き立てられるようになるのは

私を含めて誰もが納得する成り行きであった。


こうして中学、高校時代のサヨちゃんは

校内のみならず、たまに市の内外で開かれる公共の文化的催しに呼ばれるようになり

ソロで歌声を披露した。

ふくよかな身体から流れ出る鈴を転がすような美声は

出だしの一声で自然に拍手が沸き起こり、会場を魅了したものである。


そのサヨちゃんのピアノ伴奏をしていたのが

何を隠そう、この私さ。

私よりピアノのうまい子は何人もいたが、サヨちゃんの希望でコンビを組むことになった。

時々、部活の終わった音楽室でサヨちゃんに歌わせてはピアノを弾いていたので

二人の個性が合うことはわかっていたため、決定は不自然ではなかった。


仲良しの彼女と二人で休日に、あるいは早退して演奏会に向かう楽しさよ…

何だか旅芝居の一座にいるような、この気分…

歌手を立て、息の合った伴奏ができた時の充実感…

こたえられんぜ!

私はこの役割を気に入っていた。

いつ要請があるかわからないので

日頃からコンディションを整えておく必要がある。

よってピアノ教室は続けたというより、やめなかっただけのことだ。



あれから44年…

天使のようなサヨちゃんは、てっきり音大の声楽科に進むと思っていた。

しかし奈良にある普通の大学へ行き、そこで知り合った男性と結婚して

今は兵庫県の山間部に住んでいる。

身体の弱いお子さんがいて、本人いわく苦労している様子だ。


かたや悪魔のごとき私の方は、姑仕えと女中奉公の日々。

その合間に駅ピアノ、街角ピアノ、空港ピアノを見ていると

サヨちゃんのうっとりするような歌声を思い出し

彼女の歌う『帰れ、ソレントへ』を聴きたくなる。

楽しい思い出をくれたサヨちゃんには、今も感謝している次第だ。


というわけで前置きが長くなったが、惰性で続いただけで上手くはないという

私のピアノのレベルはおわかりいただけたと思う。

その中途半端な無責任で駅ピアノ、街角ピアノ、空港ピアノを見ると

プロのかたには笑われちゃうだろうけど

中途半端なりに楽しめるというのをお話ししたい。



番組が始まり、ポツンと置かれたピアノに誰かが近づいて来る。

テレビで流すのは、ある程度の実力を備えた人だろうが

幼少期から弾いてきた熟練者か、大人になってから始めた初心者かを当てるのが

私のギャンブル。

熟練者は指先が丸いので、近くで見たらすぐわかるんだけどテレビじゃ見えない。


そこで男女や老若にかかわらず、最初に注目するのは座り方。

熟練者、つまり熱心に耳を傾けるに値する人は椅子の位置や高さを気にする。

良い演奏をするためには、ピアノ本体と椅子との関係性が重要なことを

身体で知っているからだ。

そのような準備段階はカットされている場合が多いけど

上手い人は気にして坐り直すし、そうでない人はいきなり座って弾き始める。

その無邪気もまた、いいものだ。


弾き始めたら、ギャンブルの結果はすぐにわかる。

熟練者は手首を柔軟に使うが、そうでない人は肘を支点にして

手首はまっすぐのまま指だけを動かす。

肩に負担が来て五十肩にならないか、心配しながら見る。


そして大人になってから始めた人は、薬指で弾くはずの鍵盤の音が弱い。

薬指は鍛えにくいからだ。

そのため、曲が荒く聴こえる。

決して本人が荒っぽいわけではなく

音がよく出る所と出ない所のバラつきが、荒く聴こえてしまうのだ。


で、ギャンブルが当たると単純に嬉しい。

それだけなんだけど、私には楽しい。

女性はおよそ似たり寄ったりだが、まさかと思うようなヨボヨボのお爺ちゃんや

部活帰りのスポーツ少年が見事な演奏をすると、なお楽しい。


コロナで外出しなくなって始めたという人もけっこういて

とても良いことだと思う。

ピアノを弾くと優しくなれる、私のように!


…それは冗談として、駅や街角にピアノが置かれていたら私も弾いてみたい。

だから、万一に備えて爪を切る。

曲は何が良かろうか、とも考える。

駅ピアノなど弾こうかと思われる方々はクラシック率が高めで

あとは若い人が、今どきの知らないポップスをよく弾いている。

私だったら、みんなが知っているノリのいい曲を選ぶ。

とりあえず『ルージュの伝言』か、『ダンシング・クイーン』じゃな…

もう指が動かんから、サビ頼みの曲が安全じゃ…

などとつらつら思うのも、また楽しい。


これは、あんまり外へ出ないから言えるのだ。

ピアノが置いてあるような所へ行かないから言えるのだ。

実際に遭遇したら、恥ずかしくてとても無理。


とはいえ駅ピアノに対峙する前に、ちょいと練習できそうな所を知らないでもない。

人が少なくて、誰も気にしない所。

同級生ユリちゃんの嫁ぎ先のお寺だ。

本堂の隣の部屋にグランドピアノが鎮座していて

有名じゃないプロの人が時々、奉納演奏会を行っている。

寺ピアノである。


ユリちゃんとは学校の文化祭で

『学園天国』や『五番街のマリー』を連弾していた仲。

弾きたいと言えば、彼女も懐かしがって歓迎してくれるだろう。

しかし、行ったついでにごはんを作らされるのは間違いなし。

そして私のつたない演奏を聴いた仏様からは、天罰が下るかもしれない。

やっぱりやめとこう。
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アルバートの場合

2020年05月31日 15時39分30秒 | みりドラ
テレビの登場人物が、とらえ方によって

全く違うキャラクターになる…

これって、よくあることではなかろうか。

例えば『サザエさん』。

彼女については、ここでも何度か話したことがある。

フグ田サザエの持つ二面性は、それほど私を魅了してやまない。


表の顔は明るくて楽しくて、家族や近所の人気者。

しかし世間が知らない裏の顔は

一家で実家へ寄生する正当性を主張すべく

弟カツオの無能と劣性をあばき立て

家長である父親からの信頼が薄れるよう画策するのがライフワークの

怖い女。

このギャップが、たまらんわ〜!

そんな視線で登場人物を見ると、テレビが二倍楽しめる…かもよ。


『サザエさん』が日本の家族の物語なら

『大草原の小さな家』はアメリカの家族の物語。

とにかく思いっきりいい男に描かれているパパはともかく

しっかりしているようで取り乱しやすく

付き合っても面白くなさそうなママ

盲目の設定でありながら、ネイルに気を使っている長女メアリー

小さい頃から男を追いかけ回し

それ以外はヒステリーを起こして自暴自棄が習性の次女ローラ…

あ、途中から出てくる盲学校の黒人女教師が

何かっちゅうとソロで長々と歌を歌いなさるんだけど

これがちっとも良くなくて、いただけない…

などなど、思うところは多々あるが

私の視線はつい、中盤以降から登場する少年、アルバートに注がれる。




主人公のインガルス一家は、不作続きの田舎を見限って都会へ移り住み

そこで10才の浮浪児アルバートと知り合う。

彼は養護施設を脱走し、靴磨きや万引きで自活していた。


やがて都会の生活に疲れたインガルス一家は

田舎へ帰ることに決め、アルバートも連れて行く。

頭が良くてスポーツ万能、家の手伝いを頑張るアルバート…

苦しい生活の中、我が子と同じに接するインガルス夫妻…

愛情に満ちた、素晴らしい家族の図である。


が、このアルバート、見ようによっては怖い男の子。

彼を中心にしてこの作品を見ると

世界中を魅了したホームドラマ『大草原の小さな家』は

ホラーの香りが漂ってしまう。


インガルス夫妻と姓が違うことで、級友からいじめられたアルバートは

「本当の親子になりたい」と言い出し、インガルス・パパに養子縁組を要求。

この貧しい一家に資産があればの話だが

これで彼にも遺産相続の権利が発生する。

なんて抜け目の無い子だ。


お人好しのパパは、二つ返事で養子縁組を引き受けたが

手続きの過程でアルバートの実父が浮上し

農場の働き手としてアルバートを欲しがった。

パパとアルバートは粗野な実父を拒否するが

実父は法律を盾にアルバートを取り戻そうとする。


そしていよいよ引き渡されるという時、アルバートはとっさに盲目を装う。

目が見えなければ働き手にならないということで

実父は引き取りを諦め、アルバートは正式に

インガルス夫妻の養子となった。

10才かそこらで、何という悪知恵。

末恐ろしいとは、このことだ。


しかも彼には、本人すら知らない特徴があった。

悪気は無いんだけど、なぜか周りが不幸になる体質だ。

この現象が現れたのは、盲学校の火事だった。


インガルス一家の長女メアリーは

幼い頃に罹患した猩紅熱が元で、少女期に失明したが

盲学校の教師と結婚し、夫婦で新しい盲学校を作った。

赤ちゃんも生まれて幸せだったのに

ある晩、学校が火事になり、メアリーの赤ちゃんと

赤ちゃんを助けようとしたインガルス・パパの親友

ガーベイさんの奥さんが焼死。


火事の原因は、アルバートが友達といたずらで吸った

パイプ煙草の火の不始末だった。

アルバートのせいで、メアリーは我が子を

インガルス夫妻は初孫を失ったわけ。


さすがに責任を感じたアルバートは家を飛び出すが

その行き先は、盲目を装ってまで拒否した実父の家。

けれども実父はすでに他界していたので

探しに来たインガルス・パパと帰り、何事も無かったように元の生活に戻る。

何という身勝手。


そのうちアルバートに思春期が訪れ、一人の女の子と恋に堕ちる。

しかし女の子はある日、変質者に乱暴されて妊娠。

それを知った女の子の父親はアルバートを疑い、娘を監禁した。


会えないとなると、恋は盛り上がるもの。

アルバートは駆け落ちを企て、郊外の廃屋へ女の子を隠す。

それからバイトをしている蹄鉄(ていてつ)屋から金を盗み

逃走資金をゲット。

都会で自活していた頃は、盗みも生活手段の一つだったが

こういう癖は抜けないらしい。


やがて変質者の正体は、その蹄鉄屋だと判明し

インガルス・パパとアルバートは女の子の救出に向かうが

時、すでに遅し。

廃屋でアルバートを待っていた女の子は、再び蹄鉄屋に襲われそうになり

逃げようとして誤ってハシゴから転落死。

やっぱりアルバートと関わったらロクなことはなさそう。


悲しみから立ち直るのが早いアルバート。

何事もなかったかのように、その後も複数の女子と恋を繰り返すが

やがてパパと2人、都会で暮らすようになった。

悪い仲間の影響でモルヒネ中毒に。

インガルス・パパの壮絶な努力で中毒から抜け出すが

最後は白血病になる。

物語はここで終わるため、はっきりと描かれてないが

死以外には無かろうという結末。

結局のところアルバートは、たいして家の役にも立たず

胎児を含めた計4人を死にいたらしめたあげく

モルヒネ中毒と病気で家族を泣かせただけだった。


ところで、本人に悪気は無いのに関わった者がことごとく不幸になる…

いるよね、そういう男。

逆玉に乗ろうとして、アメリカの大学行ってる子とかさ。

アルバートを見ていると、顔が似てるな〜と思ってしまう。

くわばら、くわばら。
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名探偵ポワロ

2020年04月18日 20時36分48秒 | みりドラ
姑仕えに仕事にと多忙な日々を過ごす私に

ドラマを見る時間はあまり無い。

夜も早く寝なければ翌日に差し支えるので

遅くまでテレビを見る習慣も無い。


そんな私が時間を割いて鑑賞するなら…

ゼニのかかったドラマ。

どのシーンを切り取っても絵画になりそうなドラマ。

最初から最後まで、緻密な構成のドラマ。

実力の無い役者が、お情けで出演しないドラマ。

脚本からカメラワークまで、センスを感じるドラマ。

つまり極上のドラマであって欲しい。


だからイギリスのドラマ、『名探偵ポワロ』が好きだ。

1930年代の衣装、車、風景などを徹底して再現し

いい加減な所が一つとして無い。

私の求めるハイ・クオリティに加え

イギリス庭園まで見ることができて、とても幸せ。

次のセリフが言えるくらい、何度も見ているが

やっぱり好きだ。


しかしポワロ、ポワロと言いながら、このドラマを見る時は

主役のポワロより、ポワロの秘書ミス・レモンに注目してしまう。

ポーリーン・モランという女優が演じているが

顔の輪郭が芸術品のように美しく、所作が上品。

それらにうっとりしながらも

彼女が目を見開いて細い眉をつり上げ

ポワロやその相棒ヘイスティング大尉に

ガンガン文句を言うシーンを楽しみに待つ。


ミス・レモンは普段、事務系の仕事やマネジメントをしているが

ポワロに命じられて聞き込みをしたり、霊媒師になったり

催眠術を行ったり、誰かに化けて関係者を探ったりする。

それを「いかにも」というふうではなく

タイプライターを打つのと同じく、さらりとやる。

探偵のお手伝いより

本分である事務仕事の方が興奮しているように見える。

そこが好きだ。

彼女の出演が無い時は、すごく淋しい。


もし、願いが一つだけ叶うのなら

ミス・レモンになってみたい。

「ポワロが気の毒」

とは夫の弁。
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如懿伝(にょいでん)

2020年04月13日 14時41分34秒 | みりドラ
中国宮廷ドラマ、『如懿伝』。

近年では、まれなハマりよう。


洋の東西を問わず、宮廷ものが好きな私だけど

それはお姫様や王妃様に憧れているからではない。

とにかくゼニのかかったドラマが好きなのと

厳しい階級や制約を課せられた中で

登場人物がどう生き伸びるかを見たいから。

その点、『如懿伝』は十分に条件を満たしている。


制作費93億円という触れ込みに惹かれて見始めたが

「あれ?南果歩が中国のドラマに出とる」

最初、ヒロインの如懿を見てそう思った。

しかし、南果歩的な女性は

中国の大女優ジョウ・シュンというお方であった。


時は西暦1700年代の清朝。

如懿は、 第3代皇帝・雍正帝(ようせいてい)の皇后の姪で

雍正帝の親王(息子)の一人、弘暦(こうれき)と相思相愛。

やがては弘暦の正妻に迎えられるはずだったが

色々あって皇太子が失脚したので

弟の弘暦に皇太子の座が回ってきた。

そのためにまた色々あって、如懿は弘暦の正室ではなく

側室の一人として宮廷に入ることになった。


そこからはもう、紆余曲折に波瀾万丈。

妻妾入り乱れての死闘が延々と続く。

弘暦の思い人であり、寵愛を受ける如懿は

特に風当たりが強く、浮き沈みの激しい

ジェットコースターのような運命をたどるのだった。


やがて弘暦は皇帝に即位し

第四代皇帝・乾隆帝(けんりゅうてい)を名乗る。

旦那が国のナンバーワンになったので

今度はどの妃の息子が皇太子に指名されるのかが焦点となり

後宮のデッドヒートはさらに熾烈化するが

如懿のほうもやられっぱなしではない。

持ち前の知恵を生かし、忠実な侍女や

仲良しのお妃仲間と助け合って命からがら乗り切る。


やがて乾隆帝の皇后が亡くなり、如懿は皇后になるが

あんまり幸せそうではない。

一人の女としてひたすら乾隆帝を愛する如懿にとって

権力や身分はどうでもよいのだった。


とりあえず後宮のトップになったからには

以前のように上の身分の女たちから

悪さを仕掛けられることは無くなると思いきや

最もタチの悪いのが頭角を表す。

下働きの女官から側室になり

最終的には皇貴妃(準皇后の位)までのし上がった女だ。


通常、皇后が生存している場合、皇貴妃の位は空席が慣例。

しかしその女は、如懿を蹴落す謀略を巡らせながら

乾隆帝に取り入るというダブルの作戦で

乾隆帝に皇貴妃の位を授けさせてしまった。


この女、出自がゲスだからか

欲と嫉妬心が半端ないので

思いつくことが飛び抜けてエグい。

自分の生んだ子を皇太子にしたいのと

自分が皇后になりたいのとで

如懿の生んだ子供を始め、他の側室の子供を殺害したり

如懿の不倫疑惑をねつ造したり、あの手この手で画策する。

その手口のことごとくが巧妙なため

乾隆帝はそのたびに騙されて如懿を疑い

如懿の方はそのたびに乾隆帝に失望して

夫婦の仲は冷え切る。


やがて身体を壊し、そう長く生きられないことを知った如懿は

信頼する仲間の協力を得ながら知恵を駆使し

女官上がりの悪女を成敗する。

そして最後は結核で亡くなるという、全87話の膨大なものだ。


衣装や調度の色調をあえて抑え

全体的にシックな雰囲気にまとめられていて

どの場面を切り取っても一幅の絵になりそうな美しさ。

しかしその美しさが

閉鎖された特殊な空間の恐怖を浮き彫りにする。

ヒロインが華やかな美人でなく

さっぱりした顔立ちなのもリアリティがある。


そのさっぱり顔のヒロイン、あまり感情を表に出さない。

泣き叫んだり、地団駄踏んで悔しがるのは脇役に任せ

ポーカーフェイスのヒロインは悲しみ、歯がゆさ、情けなさを

目線と口角、眉の動きで表現する。

卵みたいな顔に、童女のように愛らしい口元とアゴのラインが

痛々しさを倍増させて胸がしめつけられる一方

静かな分、凄みが増す。


女のドロドロが苦手な方や

バタバタと死人が出るのが嫌な方は

ご覧にならないほうがよさそうなドラマである。
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ダウントンアビー

2019年07月03日 14時55分39秒 | みりドラ

 


『伯爵家の長女メアリー』



私はイギリス製のドラマが好き。

さすがはシェイクスピアの国らしく

筋書きが巧妙で役者がうまいのに加え

お金と手間暇をかけて、非常に丁寧に作られているからだ。

その上、重厚な建造物や調度品に

美しいイングリッシュガーデンまで見物できるという

おまけもついてくる。


中でも『ダウントンアビー』は別格。

豪華絢爛、きゅうくつな制約、複雑な人間関係とくりゃ

私の大好物だ。

この物語は日本で言えば大正時代くらいの伯爵一家と

その使用人たちを描いたストーリー。


「世界中がひれ伏した」

「エリザベス女王も絶賛」

そう聞けば、見てみたいじゃないか。

で、見た。

ドラマどころか、始まる前の映像とテーマ音楽で早くもひれ伏す。


ほの暗い画面、物悲しくも何かが起こりそうなBGМ…

物差しを使い、晩餐のカトラリーの配置を計測する下僕の手元…

メイドがランプのほこりを払う羽ばたき…

お呼びがかかって鳴らされるベル…

窮屈で重苦しい空気の中から浮かび上がる、威厳と華麗…

そりゃ、女王様も絶賛するはずだ。


ドラマの舞台、ダウントン屋敷は伯爵の家柄。

貴族の爵位は、上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の順なので

3番目の身分ということになる。

かの有名なドラキュラ伯爵と同じ階級だ。

吸血鬼ドラキュラはルーマニアの話らしいけど

重々しい正装と洗練された身のこなしは英国貴族と似通っている。


彼は高貴な身分を利用して美女をたぶらかし

自分の城へ誘って血を吸う。

城を持っているのも貴族の証である。

ドラキュラがボロをまとった安アパートの住人であれば

次々にええとこのお嬢様と出会うチャンスは無いため

通り魔で終わる。

爵位を持つ由緒正しき紳士が、持ち家ならぬ持ち城へ誘うからこそ

美しくも恐ろしい魅力的な物語になるのである。


話がそれたついでに、シンデレラのことも話しておきたい。

継母にいじめられる、かわいそうなシンデレラが

舞踏会で王子様に見初められて結婚するストーリーは

誰でも知っている。


けれどもこのお話、公的な身分制度が無くなった現代の日本では

「貧しくても前向きに頑張ってりゃ、幸せになれる」

という教訓話に成り下がってしまっている。

だから、だから…

どこの誰とは言わないが、変な男の子がお姫様を引っかけて

シンデレラ・ボーイと呼ばれても、国民は平気でいられるのだ。


違~う!

シンデレラは元々貴族の娘だ。

貴族だから、王族と婚姻を結べる立場にある。

最初から身分の釣り合いが取れていて

その身分にふさわしい教育を受けているので誰も反対しない。

この肝心な点を無視して、シンデレラは語れないのだ。

野心家のゲスが運や手練手管で貴人と結婚しても

シンデレラとは形容できないのである。


これを踏まえてダウントンアビーを見ると

人はどうだか知らないが、私は面白い。

貴族の世界と使用人の世界において

厳格に存在する各々の身分差を理解していれば

伯爵の家族と大勢の使用人たちで織りなされる

エピソードの一つ一つがより感慨深いものになる。


複雑な人間関係を丹念に描いたドラマなので

一口でストーリーを説明するのは無理だが

まず、伯爵夫妻に娘が3人という家族構成を聞いただけで

後継者にまつわるゴタゴタが避けられないことはすぐにわかる。

当時の貴族は、男子しか爵位と資産を相続できなかったからだ。

それらを次世代へと繫ぐためには、まず娘を親戚の男子と結婚させ

さらにその若夫婦が男の子を作る必要がある。

そして成人した男の子に、改めて継承させるのが唯一の方法。


貴族よ、伯爵様よ…とあがめられながらも

一家の命運を未来の娘婿にゆだねるしかない苦悩は

庶民が想像するよりもはるかに強いと思われる。

とはいえ爵位の継承は、単に自分たちのためだけではない。

貴族所有の農地を耕す小作人を始め

領地に暮らす多くの領民を安心させることに繋がる。

どんな組織でもそうだが、トップが変わると下の者は不安を感じる。

むやみに不安を与えることを避けるのも、人の上に立つ者の務めであろう。


貴族は確かに数々の特権を持つが、特権に相当する厳格な義務もついて回る。

尊敬と引き換えに、民の規範であることも求められるが

優遇と引き換えに、継承を安定させることは最も重要な義務だ。

特権とセットになっている義務を粛々と受け入れる…

それがノブレスオブリージュ。

うちは女の子だけだから、特権を使って法律を変えるように持って行って

女子でも継承できるようにしたい…なんて発想は無い。

真の高貴は特権だけをむさぼらず、義務をはたす努力を惜しまない。

真の高貴は、義務を回避するために画策しないのだ。


あれ?どこかのおうちの悪口みたいになりそうだから

まだお話ししたいけど、今日はこのへんで。

おほほ、ごきげんよう。

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大草原の小さな家

2019年06月19日 09時57分19秒 | みりドラ


 


『大草原の小さな家』は、中学生の時にテレビで知ったと思う。

新天地を目指す旅。

何があっても家族、家族、笑顔、笑顔。

 なんて素晴らしいんだ…。

こんな暮らしがしてみたい…。

私の頭の中にあった三大物語

赤毛のアンも、アルプスの少女ハイジも

小公女も吹っ飛んだ。


これらの共通点は「親の不在によって生じる各種の不都合」。

女の子が読む本といったら、たいていそんな屈折した話だ。

しかし『大草原の小さな家』は違う。

逆境をものともせず良い子に成長するという

教訓めいたところが無く、手放しで楽しめた。


そんなある日、学校の図書室で

『大草原の小さな家』というタイトルの本を発見。

ドラマの原作らしいではないか。


夢中で読んだが、期待に反して内容はテレビと異なっていた。

何もない所で火をおこすことから始めるサバイバル本か

家事の指南書みたい。


バターの作り方も書かれていたが

まず牛の乳しぼりから始めるという

気が遠くなるような工程。

できあがったバターを薄黄色に着色するため

すりおろした人参の汁を加えると書いてあった。

そうまでして色付けをする必要があるのかどうか

中学生の私は頭をひねるのだった。


ともあれこれで、昔の旅や何もない所での生活が

かなり大変そうなのはわかった。

生活全般がキリスト信仰を中心に営まれるのは

面倒くさそうだし、狼なんかも出てくるというではないか。

というわけで、私の憧れは消滅。

が、ドラマのほうは大好きで

放映されるたびに見て現在に至る。


お父さん役のマイケル・ランドン、超ステキ。

でも一番好きなのは、オルソン夫人と娘のネリー。

同じ町で、スーパーみたいな店を経営する資産家だ。

母娘ともども、意地が悪くてどうしようもない。

橋田須賀子の渡る世間…なんて目じゃない。

この2人が出てくるとワクワクする。


さて冒頭の絵は、お父さん。

説明が必要な似顔絵って、どうよ…とも思うが

仕方がない。

お母さんも並べようとしたけど、挫折。

お父さんを描いていて、思った。

「これ描けたら、江口洋介から竹内力まで描けるわ~」
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大奥

2019年06月08日 09時45分14秒 | みりドラ


大富豪同心のコメント欄で


 


ぎんどさんから「大奥の上位の役の独特の髷」


 


というご要望をいただいた。


 


一度描きたかったので、ふたつ返事で取り組む。


 


後ろ向きでないため、細かい所までは描けなかったが


 


この程度でお茶を濁させていただこう。


 


 


で、こんな頭、やろうと思っても


 


なかなかできないのはわかった。


 


中年になると髪の毛の量が減るだけでなく


 


コシが無くなるからだ。


 


 


そこへセットのために油脂を塗りたくり


 


滅多にシャンプーもしないとなれば、まず早々に禿げる。


 


地毛でこのヘアスタイルを何年も保つのは、ほぼ不可能。


 


髷が結えなくなったら暗黙の掟で引退…


 


もしくはお金のある人だったら


 


付け毛やカツラを使用していたと思われる。


 


 


ところで私は大奥、大好き。


 


和洋を問わず、お金のかかった豪華絢爛が好きなのだ。


 


それに、窮屈な制約の世界も大好物。


 


自由を謳歌するニイちゃんとネエちゃんが


 


普段着を着て惚れた腫れたなんか、興味無し。


 


 


「…だったのでございます…」


 


子供の頃、岸田今日子の粛々としたナレーションで進行する


 


テレビドラマの大奥をリアルタイムで見ていた。


 


嫉妬やいじめは当たり前、毒を盛ったり盛られたり


 


井戸に飛び込んで死んだり、幽霊になって出てきたり


 


そりゃもう当時としては画期的なドラマ。


 


夜遅い時間だったので滅多に見られなかったが


 


つくづく「大変そうだなあ」と思ったものだ。


 


 


大奥をテーマにした映画やドラマは、現代でも制作されているが


 


大奥総取締の役は、何といっても浅野ゆう子。


 


しんねりした年増のお局(つぼね)は、彼女のはまり役だと思う。


 


 


中学生で歌手デビューし


 


『恋はダンダン』という歌を歌っていた彼女を


 


テレビで初めて見た時は、ちょっとした衝撃だった。


 


それまで私の認識する芸能人といえば


 


少数の子役を除いて自分より年上のお兄さんやお姉さんばかり。


 


だから芸能界は大人の世界だと思い込んでいたが


 


私より一つ年下の浅野ゆう子がデビューしたことで


 


自分が大きくなったのを実感したからである。


 


以来、ずっと注目してきたが


 


数十年後、まさか大奥に出るとは思わなかった。


 


 


清楚じゃダメ、可憐もダメ、可愛いのもダメ。




かといって不細工じゃあ、なおダメ。


 


声が細いのも、立ち姿が弱々しいのもダメ。


 


美しくてケンがあって、ドスがきいていなければ


 


女の園で頂点に君臨する総取締は務まらない。


 


 


映画やドラマでたびたび取り上げられる大奥ものだが


 


近年は色恋やハーレム状のシステムばかりに


 


スポットが当たりがち。


 


管理職の矜持や悲哀を眉毛一つで表現できる


 


浅野ゆう子の総取締をぜひまた見たいものだ。

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大富豪同心

2019年05月31日 08時44分00秒 | みりドラ

 


毎週金曜日の夜8時から放映されている


 


NHKBSの時代劇、『大富豪同心』。


 


ここ最近のお気に入りだ。


 


 


何がお気に入りって、主役の中村隼人。


 


このドラマの第一話を偶然見た私は、新鮮な驚きと喜びを感じた。


 


久しぶりに着物が似合う主役を目にしたからである。


 


 


最初、この人のことは何も知らなかった。


 


けれども着物姿が板についており


 


立ったり座ったりする時のスソの処理が手馴れていることを始め


 


所作の美しさや目線の決まり具合


 


扇子の扱いがしろうとではないことから、ただ者ではない確信を持つ。


 


ひょっとして歌舞伎の人?と思った。


 


 


その一方で、歌舞伎の中村隼人はうっすらと知っていた。


 


テレビで舞台を見ただけだが


 


元の顔がいいらしく、舞台化粧をした顔が群を抜いて美しい。


 


加えて、聞き取りやすいセリフを話す逸材…


 


歌舞伎をよく知りもしないくせにそう思い、悦に入っていた。


 


 


つまり私は大富豪同心に出てくる、化粧をしてない中村隼人と


 


化粧をして本業の舞台に立つ中村隼人を別人だと思っていた。


 


なんとか衛門とか、なんとかの助という類の名前なら


 


わかったかもしれないが、現代風の名前なので気が付かなかった。


 


同一人物だと知った時には驚いたものだ。


 


 


 


近年は、時代劇が減った。


 


たまにあっても何か残念、どこか奇妙。


 


そもそも頭が小さくて首の長い、細身の男の子に主役を張らせ


 


和装をさせるところから残念で奇妙。


 


 


アイドルを使わなければ視聴率が取れない事情はわかるが


 


小顔にちょんまげのカツラは似合わず


 


細い首では着物のうち合わせが浮き


 


痩せた腰で袴(はかま)が泳ぐさまにはゲンナリしてしまう。


 


カツラの節約なのか、まげを結わない浮浪者がぞろぞろ出てくるし


 


所作を習う手間を省くためか、不良娘の登場も多発。


 


この残念や奇妙は年寄りが感じるもので


 


若い人に違和感は無いのかもしれない。


 


我ながら厄介な性分だと思う。


 


 


何年か前に放送された『陽炎の辻 居眠り磐音』は


 


主役の磐音を演じる山本耕史が美しく


 


ストーリーも好きだったので熱心に見ていた。


 


しかし、ここでも厄介な性分が邪魔をする。


 


ウナギの腹を割く内職をして、細々と暮らす主人公が


 


どうして真っ赤な襦袢(じゅばん)を持っているのか。


 


疑問が沸きあがって困った。


 


 


ヒーローの目印という制作意図は理解できるものの


 


高潔な武士という設定でありながら、悪者を退治する時


 


黒の着流しに赤い襦袢のチャラチャラした格好で町を歩ける不思議は


 


襦袢の購入資金の出どころと共に払拭できず


 


こっそり苦しんでいた。


 


ええ、こんなこと、誰にも言いはしませんとも。


 


変な奴と思われますもの。


 


 


その点、 『大富豪同心』は、安心して見ていられる。


 


荒唐無稽なエンターテイメントドラマという心構えもあるが


 


主役の上品な立ち居振る舞いに見入ってしまって


 


面倒な疑問を忘れるからだ。


 


 


あらすじは、突拍子もない。


 


豪商、つまり大金持ちのお祖父さんが


 


孫を侍にしたいと願い、賄賂を使って同心にねじ込む。


 


その孫が、中村隼人演じる八巻卯之吉である。


 


 


卯之吉は怖がりで、武道はさっぱり。


 


遊びだけは一流のやさ男で、同心の仕事には向かないのだが


 


危ない時は祖父の雇った浪人に助けられ


 


幸運にも手柄を上げた時は


 


やはり祖父の差し金で瓦版に載せられたりして


 


伝説的な同心になりつつある。


 


 


卯之吉は捕物で斬り合いになった時、いつも気絶する。


 


目を見開いて立ったまま気を失うため


 


悪者は真意を測りかねてひるむ。


 


その隙に祖父の雇った浪人が出てきて、退治する。


 


こうして卯之吉は、剣豪と勘違いされるようになるのだった。


 


 


その浪人は薄汚すぎ、お友達の旗本の三男坊は派手すぎ。


 


マスコット的役割であろう男装の麗人は必要なさすぎ。


 


キーウーマン的役割の芸者はカツラ似合わなすぎで


 


私なら、お稲荷さんの狐みたいな色気の無い芸者に


 


びた一文くれてやる気は起きないが、その辺はどうでもいい。


 


何があっても金の力でどうにかなるのは爽快だ。


 


 


そしてこの卯之吉、我が夫に重なる部分があるので


 


別の意味で面白い。


 


父親がコワモテを気取っていたため


 


息子である夫もそう思い込まれているが


 


本当はすごく怖がりなところである。


 


 


あまりに怖かったり、予期せぬ事態になると


 


目を見開いたまま固まる癖があるが、相手はそれを勘違いする。


 


何が起きても動じない度胸と思い込むのだ。


 


いかつい大男が恐怖や当惑のあまり


 


声も出せずにフリーズしているとは誰も思わない。


 


だから卯之吉が気絶する場面では、いつも笑う。


 


 


全10話だそうなので、あと何回かは続くはずだ。


 


しばらくは歌舞伎仕込みの美しい身のこなしと


 


気絶を楽しませてもらうつもり。

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ターシャからの贈り物・2

2016年06月16日 09時59分09秒 | みりドラ
《ターシャの庭とは程遠い、我が家の庭》


検索ワードにターシャ・テューダー関係、多し。

中でも多いのが、すでに故人となった

彼女の遺産に関するもの。

「ターシャ・テューダー 遺産裁判」

「ターシャ・テューダー 長男訴訟」など。


2008年にターシャが亡くなった後

名家である実家から受け継いだ美術品を含む

総額200万ドルの遺産と、30万坪の土地は

長年ターシャの世話をしてきた

長男のセスさん親子が相続したらしい。


これを不服としたセスさん以外のきょうだい3人が

遺産分配を要求する訴訟を起こしたそうだ。

きょうだいの中には弁護士もいるらしいので

勝てると踏んだのだろう。

皆さん、結果が知りたいんだろうけど

私も知らない。

まだ終わってないんじゃないかしら。


特にあの庭に関しては、もつれると思う。

放映権、著作権はもとより、儲けようと思えば

庭に咲く花の一輪、葉っぱ一枚

種一粒までゼニに変わる。

アタマに「ターシャの庭」と付ければ

ドライフラワーだって、落ち葉のシオリだって

売れまくる。

あの庭の種や球根を手に入れ

自分の庭に植えたい人だって世界中にいる。


あの庭に実る果実をジャムに‥

あの庭に咲く花で香水を‥

一般公開して入場料‥

庭の写真を商品のラベルに‥

もしもその気になれば、利益は無限大。


すでに一流ブランドとして完成しているため

初期投資がいらず、仕入れの必要が無く

長期継続の見通しが始めから立っている。

顧客は世界中に多数。

必ず儲かる商売の見本みたいなものだ。


「兄さん、独り占めはずるいわ」

「ワシ、何も知らんもん」

「知らんわけないが。

あんだけテレビ出といて」

「好きで出たんじゃないけん」

「よう言うわ。

あれで既成事実作ったんと違うん」

「おかんが決めたことじゃけ、ようわからんもん。

だってワシ、素朴キャラじゃし」

そんな会話があったかどうかは知らないが

現物、並びに現物の持つ膨大な可能性が

全部長男一家の物になるとなれば

他のきょうだいは黙っちゃおられんだろう。


しかし所有者が複数になれば

どうしても意見の相違が出てきて

気高い庭に世俗が介入してしまい

ブランド性は失われる。

人々が、あの庭を愛する理由は

目に沁みるような自然の美しさだけではない。

神々しいまでの無欲と、悠久の不変に

夢や憧れを感じるからだ。

夢や憧れ‥これこそが一流の証であり

ブランドの真価である。


生前のターシャが、遺産問題に

きっちりケリをつけておくような人だったら

あの花園は、多分作れない。

「さあ、さあ、見てくださいな。

どうです?いいでしょう?」

とでも言いたげな、よくある庭となり

無欲と不変の透明感は備わらなかっただろう。

そして母親の面倒を見ていることを盾に

他のきょうだいをうまく押さえるような

如才ない長男だったら

黙々と花園を守ることはできなかっただろう。


だからターシャの死後、遺産でもめるのは

必然だったと思う。

私が言ってもしょうがないが

「現行の、一子相伝でお願いします」

とお願いしたいところ。



さてタイトルの、ターシャからの贈り物。

以前、私はターシャから

睡眠の贈り物をもらったと記した。

(2012年1月27日・ターシャからの贈り物)

今回、テューダー家の裁判を考えるにあたり

もう一つ、贈り物をもらっていたことに気づいた。

それは安堵である。


ターシャの番組を見て驚いたのは

小さき者達を喜ばせるために

心をくだき続ける母としてのサービス。

子供達の待つ川下へ流す

桃ならぬ、花で飾ったケーキ

手作りの人形で演じる人形劇

中でも目を見張ったのは、カタログショップだ。

子供達が人形の服を新調する際

お手製の生地見本を見て選び、ターシャに注文する。


私が子供の頃は、洋服をあつらえる習慣が残っており

私達子供もよそ行きの服は洋装店で仕立てていた。

生地見本を見て服地を選び、デザインを決めるが

ターシャの作るカタログは、そのミニ版。

そりゃもう可愛くて、手が込んでいる。


アヒルなんかのキャラクターに

クリスマスカードを出すシステムもあり

好みのカードのカタログも用意されている。

料金はボタンで支払う。

子供達は、どんなに楽しかったことだろう。


が、あんなに手間ひまかけて子育てをしても

付いて来たのは長男だけ。

あれだけやっても、4分の1の確率。

ここまでしてもらっても、子供達は遺産で争うのだ。


遺産の額が尋常でないのもあるが

お金が関わると、みんな同じ。

つまり、普通の家庭であった。


舅、姑仕えと仕事に追われ

夫の浮気に苦しんだ、私の子育て期。

忙しい、忙しいと言っているうちに

子供達は大人になってしまった、この手遅れ感。

もっと喜ばせてやれたのではないか‥

もっと楽しませてやれたのではないか‥

もっと手をかけてやればよかった‥

もっと私がしっかりしていれば‥

必死や懸命だけでは抜けない小さなトゲは

母親なら誰でも持っている。


しかし、手間ひまかけても、かけなくても

仕上がりは普通。

この現実は、私に安堵をもたらす。

ただし、うちに争う遺産は無い。
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寅さん

2015年03月13日 09時47分17秒 | みりドラ
「男はつらいよ」

大好きな映画だ。

今のところBSで毎週土曜日の夜7時から放送されており

家族でこれを見るのがナラワシである。


子供の頃、寅さんみたいなファッションの人が私の町にもいた。

白か水色のダボシャツと腹巻の上に、いきなり背広。

もちろん袖は通さない。

金の指輪をはめ、やたら外股で

ジャラジャラと雪駄(せった)の音を立てながら

肩を揺らして歩いていたものだ。


幼児だった私が把握する彼のデータは少ない。

町の人々から「ニャンニャン」

というニックネームで呼ばれていたこと…

夜しか現れないこと…

小太りの中年だったこと…

奥さんのいない一人暮らしだったこと…

足が少し不自由だったこと…

好かれてはいないが、嫌われ者ではないこと…

凝視してはいけない対象として教育されていたが

子供の敵ではないこと…

その程度で、どこに住んで何をしている人なのかは知らなかった。

そしてニャンニャンは、いつの間にか町から消えた。


中学生くらいだったか

寅さんの映画をテレビで初めて見た時の印象は悪かった。

寅さんより先に、ニャンニャンの渡世人ファッションを見ていたため

私の頭には「良くない服装や態度」として記憶されていたからだ。

思春期特有の潔癖や正義感により

寅さんが周囲にかける心配や迷惑を見ては

「つらいよとこぼすより、ちゃんと就職したらいいじゃないか」

とイライラした。


が、年齢を経るにつれ、大人の事情もわかってくる。

戦後の混乱を経て高度成長期に突入したあの時代。

生活力の無い男性が安全に生きるための手段として

当時は渡世人、またはそれらしきを装うという選択肢も

有りだったのかも…などと寛大になっていった。


そしてやがて、多くの人がそうであるように

自分の中に寅さんを発見するようになる。

特に夫の浮気と嫁姑に嫌気がさして家を飛び出したり

結局舞い戻ったりして以後、共通意識は強まった。

動機に関係なく、やってることは同じであるから

眉をひそめて非難するわけにいかなくなったのだ。

こうなりゃもう、他人ごとではない。

寅さんの浮き草ぶりや風来坊を楽しめるようになった。


帰る場所があってこその旅暮らし。

迎えてくれる人がいての放浪。

フラリと帰って来て、いつまで滞在しても大丈夫という

確固たるホームベースが存在するから

寅さんは学習の無いままでいられ、その不器用が美しく際立つ。

本当の宿無しであれば、生きる知恵がつくのでこうはいかない。


寅さんのホームベースであるおいちゃんの家は、団子屋。

この背景の伏線に、私はいつも感嘆するのだ。

劇中の寅さんは素晴らしい。

妹のさくらも美しい。

寅さんを好きで詳しい方はたくさんおられようから

登場人物の賞賛はその方々にお任せするとして

私は背景について語らせていただきたいと思う。


おいちゃんの職業は食品製造販売の自営業だ。

店舗と自宅がくっついている。

商品は単価の低い消耗品で、ボロ儲けは難しいが日銭が入る。

建物が自社物件で家賃がいらず、毎日現金収入があるのは

商業上、大変有利である。

身内とアルバイト程度の人件費に加え

帝釈天の門前という立地条件や、高度成長期の時代背景をかんがみると

利益は十分出るはずだ。


利益が出ている店を自宅の住所で登記していると

家族で使う水道光熱費や電話代、新聞雑誌、洗剤などの雑貨

保険料その他…

生活費用の多くが事業経費でまかなえる。

団子に入れる砂糖は家族の食事の調理にも使われ

団子を作るガスが、家の風呂や料理で使うガスと同じボンベから届いても

店で出すサイダーやラムネが、家を訪れた来客にもふるまわれても

何らおとがめは無い。


そして「とらや」のお客は

店内のテーブルで団子を食べたりお茶を飲んでいる。

店内での飲食が許可されているからには

登記の際の商業目的に、菓子の製造販売だけでなく

軽食の提供も添えられているはずだ。

実際、壁に貼られたメニューにはトコロテンや茶がゆ

時におでんなんかがある。

ということは、軽食提供のための食材購入費も経費だ。

よって、店で出す食品と大きくかけ離れていない場合

家庭の食費も経費でまかなうことができる。


だから妹のさくらが遠くへ電話をかけても

寅さんが帰って来てごはんが一人分増えても

おいちゃんとおばちゃんはおおらかに笑っていられるのだ。

もしもおいちゃんがサラリーマンだったら

「どうやって追い出すか」がテーマになる。

家計を守るために鬼となるおいちゃんと

寅さんのご飯やお酒のおかわりに目を光らせるおばちゃんが出てきて

寅さんの巻き起こす騒動に泣き笑いするのは困難であろう。


つまり映画で存分に表現される温かい人情は

寅さん一人分ぐらいでは揺るがない「とらや」の経済事情という

伏線上に成立している。

おいちゃんとおばちゃんは、意外にもやり手なのだ。


やり手だからこそ、寅さんやさくらへの愛情を感じる。

彼ら兄妹の親代わりとして役目を果たすために団子を製造し、販売する…

それがおいちゃんとおばちゃんの自然であり、その自然は美しい。


私には、やり手と呼ばれ続けて実際には違った義父がいた。

世間や妻子の望むやり手のイメージを壊さないよう、渾身で見送った身には

家族を守るために流すおいちゃんとおばちゃんの汗と涙が

余計に心に沁みる。

深読みは、時に極上の感動をもたらすこともあるのだ。

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中国王朝ドラマ

2014年10月12日 22時30分31秒 | みりドラ
中国の王朝ドラマが好きだ。

といっても見たことがあるのは

「宮廷の諍い女(いさかいめ)」と

「宮廷女官ジャクギ」の二つだけの初心者。


何が好きって、お金のかかった豪華なところ。

そこで繰り広げられるドロドロ。

たまらんわ~。


韓国の王朝ものも好きだけど、中国に比べるとチープ感は否めない。

最近はずいぶんマシになってきているものの

経費の都合なのか、実在する古い建造物をそのまま使用するため

玄関や板の間、外壁や石垣なんかがボロい。

満艦飾に着飾って、ボロ家から出てくるやんごとなき方々。

このチグハグに、心は騒ぐ。


衣装は、つい襟に注目してしまう。

中国ものは私の大好きなスタンドカラーだが

韓国の衣装は、日本の和服と同じように

うち合わせの白い襟が付いている。

主役級はアップが多いので、白い襟元はパリッと綺麗。

大臣A、女官Bあたりになると使い回しになるらしく

黄ばんでくたびれている。

襟の階級、身分制度より厳しそう。


「整形しました!

美しいかどうかじゃなく、手術したことに意義があるんです!」

とでも言いたげなおばさんが、必ず出てくるのも怖い。


最も苦しいのは、日本語版の吹き替え音声である。

職業声優を使うため、自分の美声と滑舌に酔っているフシが感じられ

せっかくのドロドロが際立たないではないか。

これら身勝手な理由により、韓国より中国に軍配を上げてしまう私である。


それに私は、なにげに紫禁城がごひいき。

なぜか懐かしい気持ちになるのだ。

前世に興味は無いが、もしも私に前世というものがあるとしたら

紫禁城の片隅で掃除か洗濯でもしていたのではなかろうか。


ごひいきの理由はもう一つ。

義父アツシの知り合いに、老後のライフワークとして

中国王朝の研究を始めた人がいる。

その人が自費出版した本が家に何冊かあり

誰にも読まれないまま、軽く20年は本棚で待ちぼうけていた。

今回、夫の実家で暮らすようになり、暇にあかせて読んでいたら

ややこしい身分制度や慣習の知識が少し備わって

紫禁城がより近づいた気分になったのである。



「宮廷女官ジャクギ」は、現代の中国に生きる歴史好きの女の子が

事故に遭い、突然、清朝の時代にタイムスリップしたという

荒唐無稽な話である。

意識が戻った女の子は、ジャクギという名前で

皇子の側室の妹になっていた。

美人じゃないんだけど、いまどきの女の子っぽい

あっけらかんとした言動で、皇帝の座を争う美しき9人の皇子にモテモテ。

彼らにピースサインなんか教えちゃう。


ジャクギちゃんは誰が皇帝になるか、誰が罪に問われて失脚するかなど

皇子達の先行きを知っている。

他の人には未知なる運命でも、ジャクギちゃんにとっては

決定済みの歴史なのだ。


知ってるけど言えない…

みんなの未来はジャクギちゃんにとって過去…

失脚するとわかっている人に告られて困ったりしながら

知っているゆえの苦悩と戦いつつ

最終的には皇帝の座に就いた第四皇子の側室になる。

が…やはり過去を知っていることが何かと災いし

ゴタゴタしたまま病死して、現代に戻る。


ドロドロの愛憎劇は薄口だが

このドラマで一番すごいと思うのは

男性俳優の辮髪(べんぱつ)である。

前半分を剃り落とし、後ろ半分の髪を伸ばして三つ編みにした

キョンシーでお馴染みのヘアスタイルだ。


今をときめく中国や台湾のイケメンスター達が

惜しげもなくツルツルの丸坊主にして

後頭部に辮髪のカツラを付けている。

端役もしかり。

その意気込みは見事だ。


この「宮廷女官ジャクギ」より前に作られた「宮廷の諍い女」。

ジャクギが側室になった皇帝と、「宮廷の諍い女」の皇帝は

演じる人は違うものの、たまたま同じ皇帝。

ジャクギの方は、皇子から皇帝に進む若かりし頃が舞台

諍い女の方は、その皇帝の中年以降の話である。


ただし「宮廷女官ジャクギ」に登場する皇帝は

ニヒルなイケメン。

「宮廷の諍い女」の皇帝は、むくつけきおじん。

この落差をどうしてくれよう。



「宮廷の諍い女」は、このおっさんを取り合って繰り広げられる

正室、側室入り乱れての正統ドロドロ劇である。

敵対する相手に命を狙われるのは当たり前…

信じた相手に陥れられた…

心の友に裏切られた…

控えめで優しい正室が、実は一番のワルだった…。


女達は自身と実家のプライドや権勢をかけて、死闘を展開する。

その美しさ、残酷さ、哀しさ。

そうまでして取り合うのは、不細工なおっさん。

このザンネンが、女達の華麗を引き立てているという見方もあるが

同じ命を賭けるなら、イケメンの方がいいぞ!

と、心で叫びながら鑑賞する私である。


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ターシャからの贈り物

2012年01月27日 10時57分17秒 | みりドラ
ターシャ・テューダーという人をご存知だろうか。

数年前に92才で亡くなった、アメリカの女性である。

見た感じは、白雪姫にリンゴを売りつけそうなお婆ちゃんだ。

会ったことはもちろん無い。

テレビで知っただけである。


バーモント州の広い土地に、究極のナチュラルガーデンを作り上げ

世界中のガーデナーにとって憧れの的だったという。

絵本作家としても、19世紀初頭のスローライフ実践者としても有名だった。

人形作家、料理研究家でもある。

手作り、手仕事、素朴に丁寧…

おおざっぱな私から、遠くかけ離れたおかたであることは、間違いない。


なんでも23才の時、働かないダメオと結婚したようで

4人の子供を養うため、絵本作家になった。

好きなことが仕事になり、好きな仕事で子供を養えるのは

今も昔も女の夢である。


とはいえ、崖っぷちで破れかぶれのあげくに起きた奇跡…

というわけではなさそう。

デビューするまでは、出版社をいくつも回って苦労したそうだが

肖像画家の母親から絵の手ほどきを受けて育ったので、基礎ができていた。


絵本に取り組むかたわら、好きな農業もやっており

実家は裕福な名家なので、一家で飢えるという最悪の事態は

あらかじめ回避できていたと思われる。

夢にじっくり取り組める環境が、ある程度整っていたのだ。

希有な才能と努力を背景が後押しした結果、半ば必然的に叶った夢であった。


しかし、たとえ厳しい時期があったとしても

彼女は、さらりと静かに楽しんだであろう。

「苦節何年、逆境にもめげず、やり遂げました」

という主張はしない。

その時その時を完全燃焼して生きた人は、靜かだ。

多くを語らずとも、包まれている空気が人の心を魅了する。


私はターシャ関係の番組を二つ録画していて、たまに見る。

一番大切な録画と言っていい。


4人の子供のうち、主にテレビに出てくるのは

近所に住んで、母親の好む暮らしを全面サポートする長男一家だけ。

あとの3人はどうしているのやら…

根が下世話な私は、すぐこういうことを考えてしまう。

ああ、いかん、いかん。

母の選んだ道…それが特異であればあるほど

遺伝子レベルですんなり受け容れられる子供と

そうでない子供が出てくるのは、自然の摂理と言えよう。


二つの録画のうち、特に好きなのは、90才の最晩年を記録した

『ターシャからの贈り物』というタイトルのもの。

病気をしたそうで、2~3年前より格段に衰えている。

一回り小さくなった顔と体、浮世を眺める役割りを勇退したような瞳…

足元もおぼつかず、好きな庭仕事もあまりできなくなっている。

しかし、彼女ならではのユーモアは健在。


ペットの雄鶏にチョコレートを与え

「おいしいわよ…体には悪そうだけど…」

なんてつぶやく。

昔、孫に作ってやった、古びて顔が変色した人形をながめ

「この子にはビタミン剤が必要ね…」

とポツリ。

私のツボである。


ユーモアの他にもう一つ、彼女から受け取る贈り物は“ゆっくり”。

ターシャは老人だから、ゆっくりなのかもしれないけど

ゆっくりは、ぜひ受け取って身に付けたいところである。


「おいしいものを作るコツは、近道を探さないこと」

ターシャ語録の一つであるが、他の家事でもそうだと思う。

私はせっかちなタチで、つい急いでしまう。

何でもかんでも、時間短縮、ついで、ハショリの道を探すと

途端に今やっていることが、面倒で嫌な作業になってしまう。

早くケリをつけたくなって、セカセカする。


一人でセカセカする分には人畜無害だが

周囲に人がいる場合、セカセカは無言の圧力を与えてしまう。

自分で勝手に加速しておきながら

スピードの異なるトロい者、要領の悪い者に向ける目が厳しくなるのだ。


心が早送りになってきたと感じる時は

「ターシャ、ターシャ」と、まじないを口ずさむ。

するとスローテンポになり、楽しんでやっているような気分になる。

レジで支払いの段になってから、初めてバッグから財布を取り出し

ポイントカードを探しまくったあげく

下三ケタを一枚一枚小銭で払うおばさんの後ろに並んでも、笑顔で耐えられる。

私には必要な呪文だ。


録画を見る、見るとは言っても、一度に全編を通して見たことは無い。

途中で眠ってしまうからだ。

見事な庭の四季、子供の歌う賛美歌のようなBGM

斉藤由貴のおっとりしたナレーション…

すべてがリラクゼーションの世界。


これを見るのは、寝不足かつ予定の無い日の昼間と条件を決めている。

人はどうだか知らないが、私は必ず眠れる。

ターシャからの一番の贈り物は、睡眠である。
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