昔では考えられなかった国内外の場所にピアノを置いて
通りすがる人に弾いてもらい、その人の人生を軽く紹介する番組が増えた。
ハラミちゃんというスターも生まれて、ちょっとしたブームだ。
積極的に見ているわけではないが
自分もピアノをやっていたので、放映しているとつい見てしまう。
幼児期から高校卒業まで、ほんの十数年ピアノをかじった私だが
才能の方はさっぱり。
途中でやめなかったのは下手の横好きではなく、諸事情というやつ。
というのも同級生に、サヨちゃんという歌のうまい子がいた。
同級生というだけでなく、小学校では聖歌隊も音楽クラブも一緒だったし
中学のブラスバンド部でも、高校のコーラス部でも一緒の仲良しだ。
歌がうまいのにも色々ある。
流行りの歌から民謡まで、彼女は何でも歌えるが
主にオペラやカンツォーネを得意としていた。
先生に付いて歌の勉強をしていたわけではない。
しかし天性の才能は、誰もが認めるものであった。
彼女は美しい歌声と同じく、優しい天使のような心を持ち合わせていた。
かといって、ただフワフワしているだけではなく、誠実でしっかりした面もある。
文科省推薦ジャンルに属する歌と共に、彼女の柔和な性質は大人たちの理想。
よって教育関係者の御覚えめでたく、何かと引き立てられるようになるのは
私を含めて誰もが納得する成り行きであった。
こうして中学、高校時代のサヨちゃんは
校内のみならず、たまに市の内外で開かれる公共の文化的催しに呼ばれるようになり
ソロで歌声を披露した。
ふくよかな身体から流れ出る鈴を転がすような美声は
出だしの一声で自然に拍手が沸き起こり、会場を魅了したものである。
そのサヨちゃんのピアノ伴奏をしていたのが
何を隠そう、この私さ。
私よりピアノのうまい子は何人もいたが、サヨちゃんの希望でコンビを組むことになった。
時々、部活の終わった音楽室でサヨちゃんに歌わせてはピアノを弾いていたので
二人の個性が合うことはわかっていたため、決定は不自然ではなかった。
仲良しの彼女と二人で休日に、あるいは早退して演奏会に向かう楽しさよ…
何だか旅芝居の一座にいるような、この気分…
歌手を立て、息の合った伴奏ができた時の充実感…
こたえられんぜ!
私はこの役割を気に入っていた。
いつ要請があるかわからないので
日頃からコンディションを整えておく必要がある。
よってピアノ教室は続けたというより、やめなかっただけのことだ。
あれから44年…
天使のようなサヨちゃんは、てっきり音大の声楽科に進むと思っていた。
しかし奈良にある普通の大学へ行き、そこで知り合った男性と結婚して
今は兵庫県の山間部に住んでいる。
身体の弱いお子さんがいて、本人いわく苦労している様子だ。
かたや悪魔のごとき私の方は、姑仕えと女中奉公の日々。
その合間に駅ピアノ、街角ピアノ、空港ピアノを見ていると
サヨちゃんのうっとりするような歌声を思い出し
彼女の歌う『帰れ、ソレントへ』を聴きたくなる。
楽しい思い出をくれたサヨちゃんには、今も感謝している次第だ。
というわけで前置きが長くなったが、惰性で続いただけで上手くはないという
私のピアノのレベルはおわかりいただけたと思う。
その中途半端な無責任で駅ピアノ、街角ピアノ、空港ピアノを見ると
プロのかたには笑われちゃうだろうけど
中途半端なりに楽しめるというのをお話ししたい。
番組が始まり、ポツンと置かれたピアノに誰かが近づいて来る。
テレビで流すのは、ある程度の実力を備えた人だろうが
幼少期から弾いてきた熟練者か、大人になってから始めた初心者かを当てるのが
私のギャンブル。
熟練者は指先が丸いので、近くで見たらすぐわかるんだけどテレビじゃ見えない。
そこで男女や老若にかかわらず、最初に注目するのは座り方。
熟練者、つまり熱心に耳を傾けるに値する人は椅子の位置や高さを気にする。
良い演奏をするためには、ピアノ本体と椅子との関係性が重要なことを
身体で知っているからだ。
そのような準備段階はカットされている場合が多いけど
上手い人は気にして坐り直すし、そうでない人はいきなり座って弾き始める。
その無邪気もまた、いいものだ。
弾き始めたら、ギャンブルの結果はすぐにわかる。
熟練者は手首を柔軟に使うが、そうでない人は肘を支点にして
手首はまっすぐのまま指だけを動かす。
肩に負担が来て五十肩にならないか、心配しながら見る。
そして大人になってから始めた人は、薬指で弾くはずの鍵盤の音が弱い。
薬指は鍛えにくいからだ。
そのため、曲が荒く聴こえる。
決して本人が荒っぽいわけではなく
音がよく出る所と出ない所のバラつきが、荒く聴こえてしまうのだ。
で、ギャンブルが当たると単純に嬉しい。
それだけなんだけど、私には楽しい。
女性はおよそ似たり寄ったりだが、まさかと思うようなヨボヨボのお爺ちゃんや
部活帰りのスポーツ少年が見事な演奏をすると、なお楽しい。
コロナで外出しなくなって始めたという人もけっこういて
とても良いことだと思う。
ピアノを弾くと優しくなれる、私のように!
…それは冗談として、駅や街角にピアノが置かれていたら私も弾いてみたい。
だから、万一に備えて爪を切る。
曲は何が良かろうか、とも考える。
駅ピアノなど弾こうかと思われる方々はクラシック率が高めで
あとは若い人が、今どきの知らないポップスをよく弾いている。
私だったら、みんなが知っているノリのいい曲を選ぶ。
とりあえず『ルージュの伝言』か、『ダンシング・クイーン』じゃな…
もう指が動かんから、サビ頼みの曲が安全じゃ…
などとつらつら思うのも、また楽しい。
これは、あんまり外へ出ないから言えるのだ。
ピアノが置いてあるような所へ行かないから言えるのだ。
実際に遭遇したら、恥ずかしくてとても無理。
とはいえ駅ピアノに対峙する前に、ちょいと練習できそうな所を知らないでもない。
人が少なくて、誰も気にしない所。
同級生ユリちゃんの嫁ぎ先のお寺だ。
本堂の隣の部屋にグランドピアノが鎮座していて
有名じゃないプロの人が時々、奉納演奏会を行っている。
寺ピアノである。
ユリちゃんとは学校の文化祭で
『学園天国』や『五番街のマリー』を連弾していた仲。
弾きたいと言えば、彼女も懐かしがって歓迎してくれるだろう。
しかし、行ったついでにごはんを作らされるのは間違いなし。
そして私のつたない演奏を聴いた仏様からは、天罰が下るかもしれない。
やっぱりやめとこう。