夫の頭は、この数ヶ月ですっかり白くなった。
ついでに8キロ痩せ、誰もが認める“おじいさん”の風貌を得た。
あとは孫さえ入手すれば、正真正銘のおじいさんなのだが
こっちのほうは兆候無し。
老化で片付けるには、あまりにも気の毒である。
なぜならその原因は、彼の両親にあるからだ。
夫はこの一年余り、父アツシの病院へ見舞う母ヨシコの送迎を
一日も欠かしたことは無い。
送迎したいのではない。
連れて行かなければ、ヨシコがうるさいからだ。
「お父さんがかわいそう、お父さんが死んでもいいの」
と脅されて騒がれるより、黙って連れて行くほうが平和だった。
最初のうちは、父親が死ぬかもしれないという初めての恐怖に夫もうろたえ
母親の言いなりになることに違和感は感じていなかった。
しかし続けるうち、鈍い夫もさすがにわかってきた。
ヨシコが夕方に病院へ行きたがる理由が、である。
夕食前の5時40分…その時間は勤務の交代があるので
病棟スタッフの人数が倍になる。
加えて、仕事帰りに訪れる患者の家族や
日が暮れたので家に帰ろうとする家族などで、病棟はとても賑やかになる。
ヨシコはこの一瞬に照準を合わせているのだと、夫は気づいてしまった。
レジャーは、人が多いほうが楽しいものなのだ。
それを知った途端、夫はこの日課が辛くなってきたのだった。
会社を失い、お金も失い、誰もチヤホヤしてくれなくなったヨシコは
アツシの病院に活路を見いだした。
おしゃれをして出かけられ、誰か知った顔を捕まえては
ハイテンションでおしゃべりができる場所であれば
そこが亭主の死の床であろうと、かまわないのであった。
「親父の見舞いは出歩く口実で、俺はそのアシに利用されてるんだ」
夫は大発見をしたかのごとく、私に報告する。
私は「今知ったんかい」と笑うのであった。
薄汚いムシロの上で、ママゴトに付き合わされる気の弱い少年…
私が夫とその家族に対して抱くこの印象は
結婚当初からこれまで、一貫して変わっていない。
「弁当持って行くのだって、口実だ!」
せせら笑う妻にムッとしたのか、夫はこうも言う。
親父は今じゃ何でも食べている…
高級食材限定なのは、病院で自慢するためだ…
お前の善意を利用しているんだ…
お前のやってることは、見栄っ張りの手伝いに過ぎない…。
あらら、じゃあ私もまた、薄汚いムシロの上で夫婦ごっこに付き合わされる
頭の悪い少女だったのねん。
私は、何とかしたいと思うようになった。
憔悴しきって、外見まで変わり果てた夫を救済したいのではない。
それどころか、あの母子が病院に行く5時半から7時までの1時間半は
パラダイスであった。
誰もいなくなった台所で好きなテレビを見、子供達と食事を楽しみ
うまくいけば風呂まで入れるゴールデンタイムなのだ。
これを失うのは、正直惜しい。
が、夫はまさに、親にとり殺されようとしている。
その死因が、気に入らないのであった。
夫は、私にいびり倒されて死ぬ予定なのだ!
収入と年金の都合上、今、うぬらにこき使われて死なせるわけにはいかんのだ!
ゴールデンタイムと死因、この二つを天秤にかけたところ
わずかの差で死因が勝った。
「お義父さんのお見舞いをもう少し計画的にするわけにはいかない?」
今月半ば、私は唐突にヨシコに提案した。
「それ、どういうこと?」
不機嫌にドスをきかせるヨシコであった。
「パパの姿を見て、何も感じない?ボロボロだよ」
「そうかしら?」
トボけるヨシコであった。
「昼間行ったら夕方は行かないとか、1日おきとか、土日は休むとかさ」
「お父さんが淋しがって、死ぬかもしれない」
ウサギか!と怒鳴りたいが、ここで話題をそらせるわけにはいかないので我慢。
「 お義父さん、 今落ち着いてるじゃん。
病状に合わせて臨機応変に体制を整えないと、みんなが疲れるよ」
「でも、私が行くと賑やかになるって言われるしぃ」
「誰に」
「看護師さんとかぁ、介護士さんとかぁ」
だったら病院で給料もらえや!と怒鳴りたいが
本題から離れてしまうので、やはり我慢。
「お義父さんのことしか見えてないだろうけど
逆縁というのも、世の中にはあるのよ」
逆縁は効いたらしく、ヨシコはおとなしくなった。
そこで夫を呼んで話し合わせ
木曜日と日曜日は見舞いを休むことに決まった。
木曜になったのは、ヨシコの愛する「VS嵐」の放送があるためで
日曜になったのは、夫の愛する「サザエさん」のためであった。
ヨシコ、さっそく病院のアツシに伝える。
「みりこんに見舞いを止められたから、もうあんまり来られないと言ったら
お父さんシュンとしてたわ、かわいそうに!」
私への結果報告も忘れない。
何とでもお言い。
シュンとしたのは、肉やエビが毎日届かなくなるからじゃ。
こうして週休二日制が決まり、夫は喜んだ。
しかしその翌日、彼はインフルエンザで倒れた。
すぐに次男と私に感染し、翌日には予防接種をしているヨシコも罹患した。
みりこん家、学級閉鎖。
熱が出たのは何年ぶりだろう。
初めてタミフルを飲んだ。
家事を休めないのはきつかったが、ただ一人無事だった長男が
得意の料理でカバーしてくれたのは僥倖であった。
アツシの見舞いは週休二日どころじゃない、ずっとお休みだ。
この菌を持ち込み、アツシにトドメを刺すもくろみも
ひそかに提案されたが、病室へたどり着く体力すら無い。
あれから10日…今日も誰も見舞いに行かない。
行かなければ淋しくて死ぬという話だったが
いまだ病院からの緊急連絡は無い。
弁当を持ち込んで食べさせないと、やはり死ぬというヨシコの主張も
マユツバだと立証された。
弁当作りが無いと、経済的、精神的、体力的に
驚くほど楽なのも立証された。
少しずつ、わずかずつ、手かせ足かせを追加され
疲れ果てていたのは、夫だけでなく私もだったのだ。
もう元の生活には戻らない…我々は病床で誓い合うのだった。
自分の心身を守れるのは、自分しかいないのだ。
インフルエンザは、良い転機になった。
ついでに8キロ痩せ、誰もが認める“おじいさん”の風貌を得た。
あとは孫さえ入手すれば、正真正銘のおじいさんなのだが
こっちのほうは兆候無し。
老化で片付けるには、あまりにも気の毒である。
なぜならその原因は、彼の両親にあるからだ。
夫はこの一年余り、父アツシの病院へ見舞う母ヨシコの送迎を
一日も欠かしたことは無い。
送迎したいのではない。
連れて行かなければ、ヨシコがうるさいからだ。
「お父さんがかわいそう、お父さんが死んでもいいの」
と脅されて騒がれるより、黙って連れて行くほうが平和だった。
最初のうちは、父親が死ぬかもしれないという初めての恐怖に夫もうろたえ
母親の言いなりになることに違和感は感じていなかった。
しかし続けるうち、鈍い夫もさすがにわかってきた。
ヨシコが夕方に病院へ行きたがる理由が、である。
夕食前の5時40分…その時間は勤務の交代があるので
病棟スタッフの人数が倍になる。
加えて、仕事帰りに訪れる患者の家族や
日が暮れたので家に帰ろうとする家族などで、病棟はとても賑やかになる。
ヨシコはこの一瞬に照準を合わせているのだと、夫は気づいてしまった。
レジャーは、人が多いほうが楽しいものなのだ。
それを知った途端、夫はこの日課が辛くなってきたのだった。
会社を失い、お金も失い、誰もチヤホヤしてくれなくなったヨシコは
アツシの病院に活路を見いだした。
おしゃれをして出かけられ、誰か知った顔を捕まえては
ハイテンションでおしゃべりができる場所であれば
そこが亭主の死の床であろうと、かまわないのであった。
「親父の見舞いは出歩く口実で、俺はそのアシに利用されてるんだ」
夫は大発見をしたかのごとく、私に報告する。
私は「今知ったんかい」と笑うのであった。
薄汚いムシロの上で、ママゴトに付き合わされる気の弱い少年…
私が夫とその家族に対して抱くこの印象は
結婚当初からこれまで、一貫して変わっていない。
「弁当持って行くのだって、口実だ!」
せせら笑う妻にムッとしたのか、夫はこうも言う。
親父は今じゃ何でも食べている…
高級食材限定なのは、病院で自慢するためだ…
お前の善意を利用しているんだ…
お前のやってることは、見栄っ張りの手伝いに過ぎない…。
あらら、じゃあ私もまた、薄汚いムシロの上で夫婦ごっこに付き合わされる
頭の悪い少女だったのねん。
私は、何とかしたいと思うようになった。
憔悴しきって、外見まで変わり果てた夫を救済したいのではない。
それどころか、あの母子が病院に行く5時半から7時までの1時間半は
パラダイスであった。
誰もいなくなった台所で好きなテレビを見、子供達と食事を楽しみ
うまくいけば風呂まで入れるゴールデンタイムなのだ。
これを失うのは、正直惜しい。
が、夫はまさに、親にとり殺されようとしている。
その死因が、気に入らないのであった。
夫は、私にいびり倒されて死ぬ予定なのだ!
収入と年金の都合上、今、うぬらにこき使われて死なせるわけにはいかんのだ!
ゴールデンタイムと死因、この二つを天秤にかけたところ
わずかの差で死因が勝った。
「お義父さんのお見舞いをもう少し計画的にするわけにはいかない?」
今月半ば、私は唐突にヨシコに提案した。
「それ、どういうこと?」
不機嫌にドスをきかせるヨシコであった。
「パパの姿を見て、何も感じない?ボロボロだよ」
「そうかしら?」
トボけるヨシコであった。
「昼間行ったら夕方は行かないとか、1日おきとか、土日は休むとかさ」
「お父さんが淋しがって、死ぬかもしれない」
ウサギか!と怒鳴りたいが、ここで話題をそらせるわけにはいかないので我慢。
「 お義父さん、 今落ち着いてるじゃん。
病状に合わせて臨機応変に体制を整えないと、みんなが疲れるよ」
「でも、私が行くと賑やかになるって言われるしぃ」
「誰に」
「看護師さんとかぁ、介護士さんとかぁ」
だったら病院で給料もらえや!と怒鳴りたいが
本題から離れてしまうので、やはり我慢。
「お義父さんのことしか見えてないだろうけど
逆縁というのも、世の中にはあるのよ」
逆縁は効いたらしく、ヨシコはおとなしくなった。
そこで夫を呼んで話し合わせ
木曜日と日曜日は見舞いを休むことに決まった。
木曜になったのは、ヨシコの愛する「VS嵐」の放送があるためで
日曜になったのは、夫の愛する「サザエさん」のためであった。
ヨシコ、さっそく病院のアツシに伝える。
「みりこんに見舞いを止められたから、もうあんまり来られないと言ったら
お父さんシュンとしてたわ、かわいそうに!」
私への結果報告も忘れない。
何とでもお言い。
シュンとしたのは、肉やエビが毎日届かなくなるからじゃ。
こうして週休二日制が決まり、夫は喜んだ。
しかしその翌日、彼はインフルエンザで倒れた。
すぐに次男と私に感染し、翌日には予防接種をしているヨシコも罹患した。
みりこん家、学級閉鎖。
熱が出たのは何年ぶりだろう。
初めてタミフルを飲んだ。
家事を休めないのはきつかったが、ただ一人無事だった長男が
得意の料理でカバーしてくれたのは僥倖であった。
アツシの見舞いは週休二日どころじゃない、ずっとお休みだ。
この菌を持ち込み、アツシにトドメを刺すもくろみも
ひそかに提案されたが、病室へたどり着く体力すら無い。
あれから10日…今日も誰も見舞いに行かない。
行かなければ淋しくて死ぬという話だったが
いまだ病院からの緊急連絡は無い。
弁当を持ち込んで食べさせないと、やはり死ぬというヨシコの主張も
マユツバだと立証された。
弁当作りが無いと、経済的、精神的、体力的に
驚くほど楽なのも立証された。
少しずつ、わずかずつ、手かせ足かせを追加され
疲れ果てていたのは、夫だけでなく私もだったのだ。
もう元の生活には戻らない…我々は病床で誓い合うのだった。
自分の心身を守れるのは、自分しかいないのだ。
インフルエンザは、良い転機になった。