殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

インフルエンザ

2014年01月30日 10時33分10秒 | みりこんぐらし
夫の頭は、この数ヶ月ですっかり白くなった。

ついでに8キロ痩せ、誰もが認める“おじいさん”の風貌を得た。

あとは孫さえ入手すれば、正真正銘のおじいさんなのだが

こっちのほうは兆候無し。

老化で片付けるには、あまりにも気の毒である。

なぜならその原因は、彼の両親にあるからだ。


夫はこの一年余り、父アツシの病院へ見舞う母ヨシコの送迎を

一日も欠かしたことは無い。

送迎したいのではない。

連れて行かなければ、ヨシコがうるさいからだ。

「お父さんがかわいそう、お父さんが死んでもいいの」

と脅されて騒がれるより、黙って連れて行くほうが平和だった。


最初のうちは、父親が死ぬかもしれないという初めての恐怖に夫もうろたえ

母親の言いなりになることに違和感は感じていなかった。

しかし続けるうち、鈍い夫もさすがにわかってきた。

ヨシコが夕方に病院へ行きたがる理由が、である。


夕食前の5時40分…その時間は勤務の交代があるので

病棟スタッフの人数が倍になる。

加えて、仕事帰りに訪れる患者の家族や

日が暮れたので家に帰ろうとする家族などで、病棟はとても賑やかになる。

ヨシコはこの一瞬に照準を合わせているのだと、夫は気づいてしまった。

レジャーは、人が多いほうが楽しいものなのだ。

それを知った途端、夫はこの日課が辛くなってきたのだった。


会社を失い、お金も失い、誰もチヤホヤしてくれなくなったヨシコは

アツシの病院に活路を見いだした。

おしゃれをして出かけられ、誰か知った顔を捕まえては

ハイテンションでおしゃべりができる場所であれば

そこが亭主の死の床であろうと、かまわないのであった。


「親父の見舞いは出歩く口実で、俺はそのアシに利用されてるんだ」

夫は大発見をしたかのごとく、私に報告する。

私は「今知ったんかい」と笑うのであった。

薄汚いムシロの上で、ママゴトに付き合わされる気の弱い少年…

私が夫とその家族に対して抱くこの印象は

結婚当初からこれまで、一貫して変わっていない。


「弁当持って行くのだって、口実だ!」

せせら笑う妻にムッとしたのか、夫はこうも言う。

親父は今じゃ何でも食べている…

高級食材限定なのは、病院で自慢するためだ…

お前の善意を利用しているんだ…

お前のやってることは、見栄っ張りの手伝いに過ぎない…。

あらら、じゃあ私もまた、薄汚いムシロの上で夫婦ごっこに付き合わされる

頭の悪い少女だったのねん。


私は、何とかしたいと思うようになった。

憔悴しきって、外見まで変わり果てた夫を救済したいのではない。

それどころか、あの母子が病院に行く5時半から7時までの1時間半は

パラダイスであった。

誰もいなくなった台所で好きなテレビを見、子供達と食事を楽しみ

うまくいけば風呂まで入れるゴールデンタイムなのだ。

これを失うのは、正直惜しい。


が、夫はまさに、親にとり殺されようとしている。

その死因が、気に入らないのであった。

夫は、私にいびり倒されて死ぬ予定なのだ!

収入と年金の都合上、今、うぬらにこき使われて死なせるわけにはいかんのだ!

ゴールデンタイムと死因、この二つを天秤にかけたところ

わずかの差で死因が勝った。


「お義父さんのお見舞いをもう少し計画的にするわけにはいかない?」

今月半ば、私は唐突にヨシコに提案した。

「それ、どういうこと?」

不機嫌にドスをきかせるヨシコであった。

「パパの姿を見て、何も感じない?ボロボロだよ」

「そうかしら?」

トボけるヨシコであった。


「昼間行ったら夕方は行かないとか、1日おきとか、土日は休むとかさ」

「お父さんが淋しがって、死ぬかもしれない」

ウサギか!と怒鳴りたいが、ここで話題をそらせるわけにはいかないので我慢。


「 お義父さん、 今落ち着いてるじゃん。

病状に合わせて臨機応変に体制を整えないと、みんなが疲れるよ」

「でも、私が行くと賑やかになるって言われるしぃ」

「誰に」

「看護師さんとかぁ、介護士さんとかぁ」

だったら病院で給料もらえや!と怒鳴りたいが

本題から離れてしまうので、やはり我慢。

「お義父さんのことしか見えてないだろうけど

逆縁というのも、世の中にはあるのよ」


逆縁は効いたらしく、ヨシコはおとなしくなった。

そこで夫を呼んで話し合わせ

木曜日と日曜日は見舞いを休むことに決まった。

木曜になったのは、ヨシコの愛する「VS嵐」の放送があるためで

日曜になったのは、夫の愛する「サザエさん」のためであった。


ヨシコ、さっそく病院のアツシに伝える。

「みりこんに見舞いを止められたから、もうあんまり来られないと言ったら

お父さんシュンとしてたわ、かわいそうに!」

私への結果報告も忘れない。

何とでもお言い。

シュンとしたのは、肉やエビが毎日届かなくなるからじゃ。


こうして週休二日制が決まり、夫は喜んだ。

しかしその翌日、彼はインフルエンザで倒れた。

すぐに次男と私に感染し、翌日には予防接種をしているヨシコも罹患した。

みりこん家、学級閉鎖。


熱が出たのは何年ぶりだろう。

初めてタミフルを飲んだ。

家事を休めないのはきつかったが、ただ一人無事だった長男が

得意の料理でカバーしてくれたのは僥倖であった。


アツシの見舞いは週休二日どころじゃない、ずっとお休みだ。

この菌を持ち込み、アツシにトドメを刺すもくろみも

ひそかに提案されたが、病室へたどり着く体力すら無い。


あれから10日…今日も誰も見舞いに行かない。

行かなければ淋しくて死ぬという話だったが

いまだ病院からの緊急連絡は無い。


弁当を持ち込んで食べさせないと、やはり死ぬというヨシコの主張も

マユツバだと立証された。

弁当作りが無いと、経済的、精神的、体力的に

驚くほど楽なのも立証された。


少しずつ、わずかずつ、手かせ足かせを追加され

疲れ果てていたのは、夫だけでなく私もだったのだ。

もう元の生活には戻らない…我々は病床で誓い合うのだった。

自分の心身を守れるのは、自分しかいないのだ。

インフルエンザは、良い転機になった。


コメント (17)
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感謝道

2014年01月16日 13時27分08秒 | 前向き論
「人生は山あり谷あり」

その昔、夫の浮気や義理親との関係で悩む私に

人々はそう言った。

「あんたにゃ山もあったろうが、こっちは谷ばっかりじゃ!」

私はそう思った。


「乗り越えられない試練は与えらない」

人々は私に、こうも言った。

「じゃあ、あんたが代わってみろよ!」

そう思った。


そして彼らは一様に、こう結ぶのだった。

「感謝が大事」

この状境の、どこをありがたがればええんじゃ!

言うてみい!

といった心境であった。


とはいえ、この『感謝』…だんだん気になり始めた。

多くの人々が、いとも簡単に成し遂げている口ぶりのこの二文字。

私が反発してしまうのは、人にはできて自分にできないのが

シャクだからではないのか。

感謝を知らないまま生涯を終えるのは、ひょっとして残念なことではないのか。


しかし、なんでもかんでも感謝感謝じゃあ

そのへんの年寄りや宗教カブレと一緒だしなぁ。

ありがたがってすぐ手を合わせるけど

ちっとも幸せそうに見えなし、第一、ダサい。

誰よりも強く幸せを望みながら、なかなか到達できない者の習性に漏れず

やりもしないうちから、やらなくてすむ理由を考えてグズグズする私だった。



感謝未遂のまま、10年、20年と、もどかしい月日は経った。

その月日は、様々なものを私に見せてくれた。

山あり谷ありと言っていた人々に、やがて訪れた落日の光景…

乗り越えられない試練は与えられないと微笑んだ人々が

厳しい試練を迎えて絶望するさま…

感謝、感謝が口癖だった人々の苦悩…。



感謝って、本当は難しいものではないのか。

多くの人は“感謝しているつもり”の位置を

頂点と信じているだけではないのか。

上澄みだけすすって理解した気になっていると

どこかで行き詰まるんじゃないか。

触らぬ神に祟りなし、くわばらくわばら…

感謝へのトライは、そこで終了するかに見えた。


しかし同時進行で、私はさまざまなのものを失い始めていた。

まず若さを失った。

輝く肌や髪だけではなく、一晩寝たら回復する体力や

何かにパッと燃える心なんかも一緒にいなくなった。

やがて父親を失い、親戚や恩人も次々と失った。

それらは加齢という平等な現象の結果ではあるが

失ってみて初めて、どんなに貴重な存在であったかを痛感した。


もっと大切にすりゃよかった…

後悔と自責を経た後、ある心境にたどり着く。

取り戻すのが不可能ならば、せめて礼を言って見送ろう…

今までありがとう…本当は私、幸せだったんですね…

この気持ちが、言うなれば感謝の幕開けであった。

感謝道というのがあるとすれば、ここでようやく入門したと言えよう。



数年が経ち、夫の両親の面倒を見ることになった。

走り回っていたらみるみる痩せてきて、しめしめとほくそ笑んだのもつかの間

自分が失ったものを発見してガク然とする。

失ったものは、自由であった。


「またもや失った後で、ありがたがるつもり?」

私の心に、ふとそんな疑問がわいた。

「失ってから気づく“バイバイ感謝”は、もう充分練習したじゃんか」。


バイバイ感謝…

実際のところ、それは“見過ごし”に他ならなかった。

足りないものを求めるのに必死で、与えられているものに目もくれず

去られてから発見に至る、凡ミスの後始末だ。


いずれ幸せになれたら、恩返しがしたい…

いつか心からの笑顔になれたら、お礼を言いたい…

制限時間があることなど考えもせず

いずれ、いつかと、まず自分の体裁が整うのを待っている間に

多くの人やものが、私から去って行った。

これだけは安泰と思いこんでいた“自由”というアイテムまで

おためごかしの同情で、みすみすドブに捨てた。


私にあと、残されているものは何だろう。

去りゆくものをいとおしむばかりで

今与えられている恵みの確認と保護を怠った自省を込め

私は残り少なくなった恵みを数え上げるのだった。


いつかは手放すことになるなら

まだ手元にあるうちに、気づいているよと知らせておきたい…

いつもありがとう、と言っておきたい…

それがイング(ing)感謝であった。

この時点で、図らずも感謝道の初級から中級へとなだれ込んだ格好となった。



イング感謝は、意外に簡単だ。

失う残念を何度も体験しているので、失いたくないものはすぐに見つかる。

周囲のあの人この人、あの時かけてくれた言葉や温情

ふと舞い降りた気づき、おいしい楽しいと感じる瞬間…

あれも嬉しい、これもありがたいと言っているうちに

感謝とは、我々人間が生かされている喜びを

精一杯表現する方法だと知った。

感謝道、中級突破の瞬間であった。



さあ、次のコースでは何をするかというと

新しく得たものへの感謝である。

初級・失ったものへのバイバイ感謝

中級・現在保持しているものへのイング感謝

この二つを通過したら、上級はさらに簡単である。

新しい感謝の対象が、向こうからどんどん訪れるからだ。

感謝道の上級・ウェルカム感謝の始まりである。


ウェルカム感謝は、初級、中級をクリアしたご褒美ではない。

初級、中級を経て、感謝のアンテナが多少なりとも敏感になったため

それまで見過ごしていたはずの恵みを感知しやすくなっただけだ。


ほんの一例として、私の仕事で説明させていただこう。

義父アツシの会社を廃業するために奔走するうち

そのまま働くようになったのは、以前お話しした。

親の世話や家事の合間、好きな日の好きな時間に出社し

好きな時間に帰るという、自由な勤務形態だ。


好きな時に好きなことができるという、広くて浅い自由は無くなったが

仕事方面に限定された代わりに、収入がくっついた。

親の気ままに振り回されていると思っていたら

自分のほうが、よっぽど気ままじゃないか。

ドブに捨てた私の自由は、こんな形で帰っていたのだった。


これに気づいた時、粋な計らいにシビれた。

ウェルカム感謝…

それは、そっと仕組まれた粋な計らいを見つけるゲームだったのだ。


以前の私だったら、絶対わからなかった。

「親と会社の犠牲になっている」と辛がっては

やっぱり誰かに「山あり谷あり」なんて言われて、キレている自信がある。


さて私は、これで感謝道を極めたわけではない。

次は初段、その次は二段と、どこまでも続くのだ。

ここまでを振り返って、言えるのはただ一つ。

「感謝道

入門までが長いけど

それから先はエスカレーター」



本年もどうぞよろしくお願いいたします!
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