殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

天のカラクリ

2024年02月19日 15時18分05秒 | 前向き論
決して悪い人ではないのだが、私を昔から馬鹿にする年上の女性がいる。

何を馬鹿にするかというと、仕事。

その人は誰もがうらやむ、安定かつ高給の仕事に就いていたので

当時、病院の厨房でパート勤めをしていた私を見下げていたのだ。

そんな人と会わなきゃいいんだけど、たまに会ってしまう機会があった。


「ちゃんとした仕事に就いてないと、少ない給料でこき使われて大変ね」

「私は老後も安心、誰にも迷惑をかけないで済む」

彼女は会うたびに仕事の話を持ち出し、得意顔でそのようなことを言った。

その一方、私は私で思っていた。

「あんたは両親に子守りをしてもらってたじゃん。

あんたと私の違いは、子守りのある無しだけじゃ」


現にそうなのだ。

昔は就職先がたくさんあった。

お役所、銀行、電報電話局に郵便局、近隣の大企業…

働く女性が少ない時代は、たいていの所に紹介で入れた。

しかし、どんなに良い所へ就職したって子守り…

しかも健康でしっかりした子守りがいなければ続けられない。

仕事を続けるには根性も不可欠なので

子守りさえいればオールOKというわけではないが

彼女に親への感謝は皆無。

自分だけが頑張った口ぶりで、武勇伝を語るのだった。


そして月日は経ち、彼女は定年退職。

さんざん子守りをさせた親は、とうに他界している。

来る日も来る日もハードワークと責任感の必要な子守りを続けると

くたびれて早めにいなくなることが多いものだ。

子供たちも独立しているし、年金は十分。

彼女を待っているのは悠々自適な老後…のはずだった。


やがて70代になり、運転免許を返納。

早めの返納に驚いたが、ご主人が運転するので困らないという話だった。

しかし、それからほどなくご主人が他界。

「私より給料が低い」と、さんざん馬鹿にしていたご主人である。


一人暮らしになった彼女、買い物やドライブに行くことはできなくなったが

強気は変わらなかった。

「車が無くても、買い物は町内でこと足りる。

お金さえあれば、人に迷惑をかけることは無い。

歯を食いしばって一つの仕事を続けてきて、本当に良かった」


彼女の暮らす町は、小さい。

小さいからこそ、たいていの所は徒歩圏内だ。

しかし小さい町の抱える問題といえば、人口減少。

年々過疎化が進み、店主の高齢化も相まって

食料品や日用雑貨を売る店は次々に閉店し

常連だった小さな惣菜店も無くなった。

かろうじてコンビニが一軒あるものの、年がら年中コンビニ弁当では飽きる。

彼女は三度の食事に困るようになった。


そうよ、この人はずっと働いてきたので、あまり料理をしたことがない。

若い頃から、食生活の大半をその惣菜店でまかなっていた。

ご主人も子供たちも、そこの惣菜で生きていたようなものだが

その現実に気づいていなかったらしい。


彼女は私だけでなく、他の女性たちのことも馬鹿にしていた。

パートで働く人を見下し、専業主婦には

「税金も納めずに、旦那の稼ぎでのうのうと生きるなんて」

と嫌悪感をあらわにした。

そのうち、私が仕事を辞めて親の面倒を見るようになると

ますます勝ち誇って言いたい放題。


人間性を置いてけぼりにして、気位だけがパワーアップの一途を辿る人…

つまり、あからさまに人を馬鹿にする人には

貧しかった生い立ちが見え隠れするものだ。

もっとも戦後の日本は貧しかっただろうから、彼女だけがそうなのではない。

社会に出て現金を握ったために

自分だけが偉くなったような勢いの人は数多く存在する。


聞かされる側の私は、その吐き捨てるような言葉の陰に

「自分の人生はこれで良かったのか?」

そんな疑問を払拭したい願望を感じていた。

県外で生活している子供たちは、知らん顔を通しているという。

ご主人が存命の時には気にならなかったが、こうして一人になると

そこにいるかとも言われず放置された身の上がこたえるらしい。

「自分の手で育ててないから、私に冷たいところがある」

強気な口調の端々に、本音が見え隠れするのだった。


それにしても何とまあ、勝手な言い草。

子守りをしてくれた親にも、祖父母に育てられた子供にも失礼だ。

だけど人を馬鹿にする人って、何でも自分の都合のいいように解釈するので

こんな寝言みたいなことを平気で言う。

私に言わせると、きついから子供たちが寄りつかないんじゃないのか。

そうでなければ、彼女の冷たい心を受け継いだに過ぎない。


ともあれ親切!な私は、困っていると言う彼女に生協の宅配を勧めた。

でも、年を取ってから急にカタログショッピングを始めるのには

向き不向きがあるらしい。

カタログを見て、細かい文字や数字の並ぶ注文表に

番号を書き込む作業は無理だった。

惣菜店に駆け込んでその日の夕食を買う習慣を

何十年もやってきた人が、あらかじめ一週間の献立を決めて

必要な物を計画的に注文するなんて至難のワザなのだ。


切った食材と調味料が届くヨシケイなどの宅配サービスも

一応は勧めてみたが、そもそも煮炊きが嫌いなんだから

案の定、これも無理。

最後の手段として宅配弁当もあるけど、お気に召すとは思えない。


もっと親しい人なら、たまには何か作って持って行くかもしれず

彼女にもう少し可愛げがあれば

専業主婦の底力を見せつけてやりたいところ。

が、さんざん馬鹿にされてきたので、その気は無い。

親切ごかしに差し入れをしても

こういう人はマズいだの何だのと絶対に文句を言うものだ。

関わらないに限る。

周囲の人たちも、同じ気持ちなのかも。


あ、そうか…

だから皆、彼女の周りには近づかなかったのだ。

それなのに私ときたら、一人で座る彼女に呼ばれては近づいて

馬鹿にされ放題だったわけか。

彼女は人を馬鹿にすることで、自身のストレスを解消していたのかもしれない。

何十年も経ってやっと気づく、このカラクリ。


カラクリといえば、「お金はあるのに店が無い」という

彼女の置かれた状況はどうだ。

まさか、お金はそのままに買う店を無くすとは。

なるほど、そう来たか…と思わずにはいられない。

「天はいつも、想像の先を行く」

面白いので、そう考えるのだ。

となるとこの先、私にはどんなカラクリが摘要されるのだろうか。

何だか怖いので、とりあえず口を慎もうかのぅ。
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ラスボス・4

2023年02月10日 14時41分45秒 | 前向き論
げに思い込みとは恐ろしい。

市議選に立候補するS君の、高卒という学歴に衝撃を受けた私は

何だかだまされたような気分になったものだ。


昨年10月、義母ヨシコが飼い犬に額を噛まれて通院していた頃のこと。

ガーゼ交換をする看護師がヨシコのズボンの裾をまくり上げて

「どこですか?」とたずねた日があった。

犬に噛まれたというので、てっきり足だと思い込んでいたのだ。

ヨシコからそれを聞いて、ものすごく笑った。


患者の取り違えや手術箇所の間違いは、全て思い込みで起きる…

家族でそう話し合ったが、その時を思い出した。

今後こういうことがあったら、最初に学歴をたずねようと誓った私である。


ともあれ年を取って分別が付いてきたら、善人と知り合う機会が増えてくる…

しかしその善人というのが、なかなか油断ならない…

今回のシリーズでは、その話をさせていただいた。

「話をするだけでいい」

S君に会わせる前、レイ子さんはそう言ったが

私がうっかり彼女の思惑に乗れば、無料でウグイスをやる羽目になっていたかもしれない。

少なくとも彼女はそのつもりだったと思う。


ああいったパッと見、善人は、自分を中心に物事を回していく。

S君と私の立ち位置を比較した場合、ボランティアという高尚な行いで知り合い

共にしんどいことをやってきた彼と、行きずりでたまたま見知った私とでは

レイ子さんに近いのは断然彼の方。

より近い方、より可愛い方、より大事な方が良くなるようにマネージメントする…

それが善人と言われる人の思考で、この揺るぎない優先順位があるからこそ

物事をあまり考えることなく、スピーディーに進められるのだ。

図らずも、そしておめおめと善人の天秤にかけられた後味の悪さが

だまされたような気分を残したと思われる。


ゲスに振り回されてバカを見るのも苦々しいものだが

相手が善人となると内容が複雑になってきて、また違った味の砂を噛むことになるらしい。

それでもゲスから噛まされる砂より、味の方は少しマシかもしれない。


ということで、私はまだ善人に振り回されてブーブー言ってる、その程度。

じゃあ、自分とはかけ離れた、セレブという高みにおわす人々はどうなのか。

セレブといっても田舎のことなので都会のそれとは規模が違うし

その中で私の知る人数もわずかだが、目を向けてみると彼らもまた

私とたいして変わらない気がする。


とりあえず身近なセレブといったら全国ネットの企業経営者、同級生のユータロー。

田舎にそんな会社があるんか?と言われそうだけど、あるんよ。


彼は子供の頃から思慮深い紳士で、かつ秀才。

東京の有名大学を出て父親の会社に入り、20年ぐらい前に社長を引き継いだ。

彼の代になってからは海外にも進出し、多角経営にも乗り出した。


地元の数少ない財界人として有名な彼は、生来の頭の良さもあって

人との距離を調節するのが実にうまい。

金持ちはお金があるだけに、下手に人を近づけたら厄介なことになるのを身体で知っているのだ。

かといってツンケンしているわけでもなく、ぽわ〜んとした雰囲気。

“気さくな麻呂”という表現がピッタリかもしれない。

ああいった生まれながらのセレブは、俗世から一線を引いたお公家さんのように振る舞うことが

角を立てずに身を守る最良の手段だと知っているのかもしれない。


しかし、そんなユータローでも人に振り回されることがある。

えらい人は、様々な民間組織の会長や理事なんかをやっているからだ。

その役目上、色々と嫌な目に遭うことがあるらしく、時々、ものすごく怒っている。

麻呂なので感情をあらわにすることは無いが、マジで腹を立てている時がある。


周りの皆が皆、彼と同じく紳士で秀才の麻呂ならいいけど

特に田舎はそうでない人の方が多いので、色々あるのは当たり前なのだ。

やっかみや下心の標的にされるのは、彼にとって日常なのかもしれない。

賢くなったことも金持ちになったことも無いので想像するしかないが

ユータローのような人間は、バカからバカにされるのが一番腹が立つのではなかろうか。

そりゃもう、私が考える何倍も情けないかもよ。

セレブはセレブで大変らしい。



また、造船所の日雇い作業員から身を起こし、30代半ばで長者どんになった

私より3才年上のKさん。

叩き上げでズバ抜けたお金持ちになったら、浮世のドロドロとは無縁になるかと思いきや

彼に言わせると、お金というのは匂いがするそうで

そりゃもう面倒くさいのがジャンジャン近寄って来ては、あの手この手を繰り出すのだそう。


何とかして親しくなろうとする者、投資、出資、寄付の誘い…

お金があると、向こうも本気で攻めてくるので

庶民の私が遭遇する事態とはまた違った厄介があるらしい。

「欲にかられたヤツらに振り回されるのが、一番腹立つ」

彼の口からも“振り回される”のフレーズが出るのだ。


そういうのに疲れてくると、彼はその地を引き払い、パッと別の土地に移る。

40代から夫婦でリタイア生活に入り、子供は独立、双方の親はすでに他界…

彼らを引き止めるものは何も無い。

行く先々で優雅なホテル暮らし、気に入ればマンションを買ったり借りたり

絵に描いたような悠々自適ぶり。

だけど彼が言うには、自由な暮らしって飽きるんだそうよ。


そうやって各地を回ってきた彼だが、今は隣の市まで戻ってきてバカ高いマンションに暮らしている。

が、これはこれで大変そうだ。

豪華マンションに暮らしながら、外出する時はボロい作業着を着る。

車はマンションの駐車場にある高級車の他に、中古の大衆車を所持していて

そのボロい作業着と中古車で向かうのは、昼間の健康ランド。


そこには毎日、同世代の仲良しが集まって風呂を楽しんでいる。

彼以外は皆、年金生活者だ。

彼はこの集まりを気に入っているため

他のメンバーに本当の暮らしを知られないよう気を配っているのだそう。

懐具合を知られて、関係が変わってしまうのを恐れている口ぶりだ。

わざわざ手間をかけて自分を貧しく見せるなんて、金持ちの遊びのようにも思えるが

彼は本気である。

金を持つとは孤独になるのと同じ…

だからこそ、自分のことを何も知らない人たちとの温かい交流を失いたくない…

彼の弁である。


大金を握ると人間関係の変化も怖かろうが、ルフィも恐れなくてはならない。

やっぱり大変そうだ。

「またやられた〜」と言って終了できる、今の自分で満足することにしよう。

《完》
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ラスボス・3

2023年02月08日 13時37分01秒 | 前向き論
今年行われる某市の市議選に出馬するというS君に、私はたずねた。

「選挙戦の型は、イメージされてますか?

型というのは主に、ウグイスとドライバーを雇って選挙カーを使うオーソドックスタイプか

自転車にメガホンの草の根タイプの二つです」


いきなりの現実的な質問に、S君は一瞬驚いた様子。

向こうが語りたいのは出馬の動機や抱負だろうけど

そんなの聞いたって面白くないし、時間の無駄じゃん。

これは彼の本気度を計測するにあたり、一番効率の良い二択の質問だ。

その答えによって、こっちの対応を決める。


彼は少し考えてから、言った。

「…資金が豊富なわけではないので、自転車とメガホンになりますかね。

あと、SNSを併用して若い層を取り込むことも考えています」

はい、予想通り。

軽い対応、決定。


「落選しますよ?」

私は事務的に言う。

資金を使わずに選挙戦を戦い、当選した人を見たことが無いからだ。

昔はいたかもしれないが、近代の有権者はリスクを負わない候補者を信用しない。

しかも単身移住者、つまりよそ者で、身内も友だちも知名度も無いアウェー。

もちろん特定政党の公認でもなく、無所属での出馬。

さらに告示日は近づいていて、完全に出遅れている。

この状況で自転車にメガホンは、甘過ぎる。


「やっぱり、そうですよね…でも、やってみたいんです。

供託金(立候補する際、選挙管理委員会に預ける保証金みたいなもの…市議は30万円)

は捨てるつもりでやって、落ちたらまた4年後に出ます。

続けていたら、いつか当選するんじゃないかと思うんです」

「同じ考えで何回も落選を繰り返している若い人が、うちの市にもいますよ。

今回の市議選は親が供託金を出さなかったので、立ちませんでしたが。

選挙カーとSNSを併用した人もいましたけど、落選しました。

SNSを見てくれる人が、投票に行ってくれるとは限らないのでね」

「SNSは、ダメなんですか…」

「いずれデジタル選挙の時代が来るとは思いますけど

地方の田舎ではまだ浸透してないので、あてにしない方がいいと思います。

立候補するのなら、せっかく入った今のお勤めは退職しないといけないし

今回は見送って4年間しっかり準備をして

4年後に万全の態勢で出馬する方がいいんじゃないでしょうか?」


そう言いながら、ふと昔の自分が懐かしくなった。

こういう話を聞いたら最後、万に一つのミラクルを求めて燃えただろう。

「よっしゃ!私に任せて!」

なんて胸を叩き、手弁当でウグイスをやっていたかもしれない。

自転車でメガホン持ってさ。

彼の住む町から通っていた高校の同級生も何人かいるので

その子たちの家を訪ね歩いてお願いしていたかもよ。

が、そんな情熱や体力はすでに無く、彼の当落にも興味は無い。


そんな冷たい私に、彼は熱い夢を語るのだった。

「一匹オオカミで、しがらみの無い政治をやりたいんです」

しかし当選したら、会派(議員の派閥)のしがらみで

がんじ絡めになるのは議員の宿命だ。

最初は一匹オオカミのつもりでも、やがて一人では何もできないことを知る。

良い政策があったとしても、どこかの会派に入って人数を増やし

多数決で勝たなければ、やりたいことはできない。


「困っているお年寄りがいれば駆けつけて、泣く子供がいれば駆けつけるような

フットワークの軽い議員になりたいんです」

宮沢賢治のようなことを言う彼。

私はだんだん心配になってきた。

「議員の仕事は駆けっこじゃなくて、予算を取って来ることなのよ?」

「はい、それはわかっています」

そう言ってるけど、ありゃあわかってないね。


話しているうちに気がついたのだが

この子、落ち着きのある大人っぽいたたずまいでありながら

話す内容にどこか幼い部分が見え隠れする。

「勤務先へ手続きに来た市民が、上司の話すことを理解できなくて

喧嘩みたいになったので、僕がすぐに行って謝って丁寧に説明したら納得してくれて…」

特に、そういったクダリだ。

子供が母親に話す、“ボクのお手柄話”みたいな感じで、自己肯定感が高過ぎるような気がした。


落ち着いた雰囲気とのアンバランスが気になった私は、ここで初めて彼にたずねる。

「あの、今さらですが、年齢をお聞きしてもいいですか?」

関わりたくなかったので、年齢すら聞いてなかったのである。

「35才です…年男なんです」

年齢は申し分ない。

今回落ちても、次の立候補ではまだギリギリ30代だ。


「それから失礼ですが、学歴は…」

選挙に出ようと言うぐらいだし、非常勤とはいえ公的機関に勤めているからには

出身地である関東の申し分ない大学を出ていると思い込んでいた。

知らない土地で立候補を口にするからには、プロフィールの方は万全なんだろうと。

その上で決意したのだろうと。

けれどもこの感触は、何だか違うような…ひょっとして何も知らなかったりして…

そんなことを考えて、何だか心配になったんじゃ。


「高卒です」

えっ…耳を疑うワタクシ。

なんでも中学の時に病気になり、出席日数が足りなくて高校はユルい所しか行けず

身体のこともあって大学進学は考えなかったそうだ。

卒業後は店員を経てアルバイト生活に入り、今住んでいる町の移住者募集に応募して

こちらにやって来たという。

今の仕事である公的機関の非常勤は、移住者枠で入った期限付きのものだそう。

なるほど、定職が無かったら気軽に移住できますわな。


ともあれ立候補する権利は誰にもあるので、学歴をどうこう言うつもりは無い。

うちらの市の高齢議員の中にも、高卒や中卒がいる。

が、これから議員になろうという若者に、高卒の学歴は厳しい。

S君は気にしないと言うが、彼個人の気持ちの問題ではない。

生き馬の目を抜く選挙ワールドに、明白な突っ込みどころを引っさげて立ち向かうのは無謀だ。

親族が交通死亡事故を起こした過去ですらも

ライバルにとっては格好のネタになる世界なのである。

そして猫も杓子も大学へ行く時代なんだから、自分や自分の子供よりも低学歴の候補者を

本気で支持する人数は、彼が思っているよりずっと少ないと見ていい。


とはいえ、うちらの市には、そのウィークポイントを逆手に取った市議が実在する。

ヤンキー高校卒でヤンキー上がりの中堅市議が

やはり同じような人々のカリスマとして常勝しているのだ。

更生したヤンキーというのは情に厚く細やかなところがあるもので

その辺が求心力を高めていると察するが

地元を離れず群れたがるヤンキーの習性をも、彼は大いに活用していると言えよう。

しかしS君は地元の生まれでもヤンキーでもないので、その手は使えない。


「じゃ、頑張ってくださいね」

私はニッコリして立ち上がった。

彼はまだ語りたそうだったし、レイ子さんも選挙戦に向けて、さらに詰めた話をさせたい様子だったが

こんな見てくれだけ立派で中身がスカスカの子の夢を聞いてやったあげく

仲間にされたんじゃあ目も当てられない。


パワフルでいい人が連れて来る人物って、こんなのばっかりだ。

もちっとマシなのを連れて来いや、と言いたいところだが

そんなことを口走ると、善人はまたどんなのを連れて来るかわからないので我慢した。

《続く》
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ラスボス・2

2023年02月06日 09時17分42秒 | 前向き論
「満開の桜の下でイベントを開催したいので、お寺の境内を貸してもらえないか

住職にたずねて欲しい」

善人レイ子さんに頼まれた日から、2ヶ月が経過した。


私はすっかり忘れていたのだが、彼女の中でこの話は進行していたらしい。

先日、久しぶりに会った彼女は言った。

「桜のイベントのことだけど、私、みりこんさんに改めてお願いしたいことがあるのよ」

覚えとったんかい…。


改めてのお願いというのは、これ。

「お庭を貸していただくだけのつもりだったんだけど、もっと良いことを考えたの。

いっそのこと、お寺にイベントを主催していただいて

私たちがそこに参加させていただく形にできないかしら。

お寺には、そのことをお願いして欲しいの」


「あ、私には無理」

即座に断る。

間髪入れずノーと言う、このスピードが大事。


…あれから彼女にも、葬式の懸念がひらめいたと思われる。

それでなくてもお寺というのは行事の連続で、境内を貸してもらえる日は限られている。

その中で、何日に咲くというのが決まってない桜の満開日を選ぶのは厄介だ。

いっそお寺ごと巻き込んで主催者にすれば、向こうに責任が生じて

桜とにらめっこをするのは住職になる。

こっちは心おきなく準備に励めるはずだ。

さすがの発想。


しかし境内を借りるのと、お寺にイベントの主催をやらせるのとでは

お願いの重みに雲泥の差がある。

これは私のような泡沫檀家が持ち込む話ではなく、観光協会か商工会に交渉を任せる案件だ。

仮に住職が無理を聞いてくれたとしても、そのうち寄付が発生した時

この件が言質になったらどうする。

ものを頼んだ手前、私と寺との距離が近づくのは当たり前で

距離を縮めたら最後、今後の寄付は他の檀家と同じ貧者の一灯では済まんぞ。

お寺と親しくなり過ぎたら後が怖いのは、ユリ寺で学習している…

…とまあ、ここまでを一瞬にして考えなければ、ラスボスとは渡り合えない。


若い頃の私だったら、お願いにも種類や段階があるというのがわからないまま

安請け合いしていただろうよ。

その足でお寺へ乗り込んだに違いない。

お寺ではないが、実際に似たようなことを何度もしたし、たいていは勢いで何とかなった。

若いということで、許してもらえたのだと思う。

しかし今は若くない。

許してはもらえないだろうし、他人の思いつきに乗って

無関係の人をわずらわせる行為を恥と思うようになった。

分別がついたということだろう。



「どうして?お願いの趣旨をちょっと変えるだけなのよ?」

レイ子さんは不思議そうに目をパチパチと開閉するが、しょせん彼女は市外の人。

地元で生活する私の都合には無関心である。

そして彼女は親を見送って年数が経ってない。

小さなギブで大きなテイクを望むことにかけては、お寺の右に出る者がいない現実を知らないのだ。

だからこの提案は、彼女にとって微細な変更。

それを拒否する私を怪訝に思うのは仕方の無いことで、二者は永遠に分かり合えはしない。


つれない私の返事にレイ子さんは失望した様子だが

本当にやりたいのなら、住職と面識があろうが無かろうが、自ら突撃すればいいのだ。

それを自分は無傷で他人にやらせようなんて、甘いんじゃ。

これで付き合いが終わってもかまわん。

彼女は私より10才近く年上だ。

そのうち車の運転ができなくなったら、市外からこちらへは来られなくなるので

遅かれ早かれ会わなくなる日が来る。

ちょっと早まっただけと思えばいい。

踊らされて重荷を背負わされるより、役立たずの不甲斐ないヤツと思われた方がよっぽどマシである。


が、善人というのは何かを思いつくのも、行動に移すのも、諦めるのも早い。

いつまでもグズグズ言わないから善人なのだ。

桜問題で私が使えんと見切ったら、すかさず次の案件に移行。

「実はね、ここじゃなくて別の市の市会議員に立候補したいという若い人がいるの。

ちょっと話をしてもらえないかしら?

私、こういうことは全然わからないから」

え〜…。


「私も全然わかりませんよ」

「あら、ウグイス嬢をやって長いんでしょ?

私、選挙に詳しい人なんて知らないもの。

ウグイスさんから見た立候補のあれこれを話してくださればいいの」

「……」

心の声…関わりたくない。


私の裏稼業が選挙ウグイスだというのを、彼女に話したことは無い。

しかしある時、彼女と一緒に居るところへ

ずっと前に選挙で知り合ったおじさんが通りかかったのだ。

懐かしかったので、そのおじさんと選挙の思い出なんぞをベラベラ話した。

レイ子さんは、それを聞いていたのだった。


「私が多少知っているのは選挙中のことだけで

立候補したことなんて無いから何の役にも立ちませんよ」

「雑談でも何でもいいのよ。

ちょっとお話ししてくださったら、彼も安心すると思うわ。

そうよね?S君」


え…?と横を向いたら、もうそこに座っとるではねぇの、S君と呼ばれた若者がっ!

さっきから居たらしいけど、全く気がつかなかった。

これはレイ子さんが呼んでいたわけではなく

彼はレイ子さんと一緒に活動している別の人に用があって、たまたま居合わせたらしい。


「どうも、初めまして。

Sといいます」

低音で爽やかに挨拶するのは、長身で30代ぐらいのなかなかのイケメン。

礼儀正しさやキリリとした顔つきは、自衛隊を連想させる。

「初めまして、みりこんと申します」

もう、ここに居るんだから仕方がない…イケメンだし…

私は諦めた。


「立候補なさるんですか?」

「はい、今年ある◯◯市の市議選に出るつもりです」

「お若いし、お顔がいいから有利ですね」

あら、政治に顔は関係無いんじゃないの?…

レイ子さんは横から言うが、今どきは顔が大事なんじゃ。

ハキハキと気持ちの良い若者で、かといって調子が良いわけでもなく落ち着いている。

これなら、いい線行くんじゃないかと思った。


彼は隣の、そのまた隣の市の住民。

数年前に関東からこちらへ移住し、今は役場関係の非常勤として働いているそうだ。

住まいは田舎の過疎地で、周辺のお年寄りの窮状を目の当たりにし

色々と手伝っているうちに政治から変えなければダメだと思うようになった…

熱く語るS君。

が、親戚も友だちもいないアウェーで、どうしたらいいのかわからず

町おこしで知り合ったレイ子さんに相談したらしい。


そこで、どんなことが聞きたいかとたずねると

「つい何日か前に決めたことなので、何をお聞きしていいかもわからないんです」

さもありなん。

よって、こちらがリードする形で会話を進めることにした。

《続く》
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ラスボス・1

2023年02月05日 09時20分14秒 | 前向き論
今回の記事は、前回の『人に振り回されない方法』の続編になるかもしれない。

前回のシリーズでは、人に振り回されない方法として

ゲスに振り回されにくくなるには自分の格を上げることだと申し上げた。

私の場合、格が上がったかどうかは怪しいもんだけど

加齢するに連れ、積み重なった経験値のお陰で、多少は機転がきくようになったのは確か。


とはいえ私は、年を取って働きに出なくなったので同僚というものが無く

子供の学校関係もとっくに終わり、これといった趣味とて持たないため

人と関わる機会が減ったという単純な理由が大いに関係している。

つまり職場やPTAやサークルなど、自分でメンバーを選べない集団に属さなくなったため

我慢しながらわけわからん人と付き合わなくて済み

理不尽に泣く機会が減ったという物理現象である。

年を取るのは寂しく悲しいことだと思っていたが、こんなに良いこともあるのだ。

加齢、バンザイ!


しかし世の中には、それら理不尽な集団の中に置かれて苦しむ現役の人も多い。

私もさんざん嫌な思いをしてきたので、その気持ちはよくわかる。

そこで、ちょっとしたコツみたいなものを言葉で表現することによって

少しは気が楽になってもらえたら…そう思って取り組んだ。



さて、他人に振り回されなくなると、こちらにも余裕ができて

微力ながら人の世話をするようにもなるし、人のお役に立ちたいと殊勝な気分にもなる。

しかしそうなったらなったで、今度はラスボスが登場するというのをお話ししておきたい。


ともあれ余裕と殊勝が生まれ、自分のことだけでなく

世の中の幸福なんかもチラッと考えるようになると、新しく出会う人の質が変わってくる。

町のため、人のために活躍する人と知り合う縁が生まれるのだ。


70代のレイ子さんも、その一人。

数年前に知り合った彼女は、とってもいい人だ。

現役時代は都会で、俗に言うキャリアウーマンをやっていたが

定年退職後にご主人を亡くし、親の世話をするために隣市の実家へ戻ってきた。


親を看取った後は、持ち前の行動力全開。

趣味に町おこしにと、パワフルに活動している。

その延長でこちらの市にも来ることがあり、知り合った。

「わたしゃ都会でバリバリやってました!」

みたいな肩ひじ張った雰囲気を微塵も感じさせない上品さもさることながら

穏やかで温かい彼女の人柄が、私は大好きになった。


が、パワフルでいい人って、私のような振り回され族にとって、実は危険人物。

というのもある日、彼女と墓参りや法事の話をしていて

私が◯◯寺の檀家だと知ると、彼女はすかさず言った。

「春になると、◯◯寺の桜が綺麗でしょう。

満開の桜の下で、町おこしのイベントをやったら素敵だと前から思っていたのよ。

だけど私はこの町の人間じゃないから、◯◯寺の人と面識が無いじゃない。

どうやってお願いしたらいいのか、わからなかったの。

お庭を貸していただけるかどうか、住職さんに聞いてくださるとありがたいんだけど」


来た!

そう思いましたとも。

レイ子さんだけでなく、パワフルでいい人にうっかり何かしゃべると

たいてい思わぬ宿題を出されるのは過去に何度も経験していた。

簡単なものならいいけど、このタイプが出す宿題は、けっこう面倒くさいものが多いのだ。

ああいった善人は、常に世のため人のために何かできないかとアンテナを張っている。

頭の回転が早いので、ひとたびアンテナに引っかかった獲物は逃さない。

善意で攻めてくるだけに、ゲスより注意が必要なのである。


パワフルに見えるのは、人に用事を振って荷物を一緒に担がせ

自分の負担を軽減するのがうまいからだ。

いい人に見えるのは、思いつきで生きているために物事を深く考えず

それが無邪気な印象を与えるのと、思いつきの荷物を一緒に担がせる犠牲者へのホスピタリティだ。

こうでなければ、町や人の集団をどうにかしようと走り回るなんてできない。


レイ子さんの頼みに、私は答えた。

「本当にやるのであれば、住職にたずねる程度までならできますよ」

気さくな住職なので、話ぐらいは聞いてくれるだろう。

それぐらいなら私にもできる。


レイ子さんは喜んだが、実現は難しいと思われた。

だって桜の満開は、ほんの数日だ。

その数日の間に、土日がハマるかどうかの物理的問題がある。

イベントをするからには、人を集める前宣伝をする必要があるため

できるだけ早く日程を決めなければならない。

決めた日に桜が咲いてなかったら、あるいは散ってしまったらどうするんじゃ。

それらの懸念をものともせず、イベント予定日に満開がハマッたとしても

その前に雨が降って散るかもしれず、ましてや当日が雨降りだったらどうするんじゃ。


さらにハードルは存在する。

イベントの日に、寺で葬式があったらどうするんじゃ。

問題のお寺は檀家の数が多いので、お寺で葬式をする人も多い。

悲しみにくれる人や厳粛なお経のかたわら、境内でワイワイガヤガヤされたんじゃあ

たまったもんじゃなかろう。

法事ならあらかじめ予定が組めようが、死ぬ予定日が不明の葬式はどうしようもない。


お寺が、行きずりのイベンターより檀家を選ぶのは決定事項。

急きょ中止ということも、無いとは言えないのだ。

レイ子さんの善意のためなら天も味方してくれそうな勢いではあるが

お寺に話を持ち込むことでイベントの一味に巻き込まれ

開花予想とにらめっこしつつ、中止の連絡に怯えて気を揉むなんて私はゴメンよ。


だから「本当にやるのであれば」、「たずねる程度までならできる」と注釈を付けた。

単なる思いつきでないことを確認してからでないと、お寺に話すことはできない…

私にできるのは住職にたずねる所までで、それ以上のことはできない…という意味。


これらを言わずに返事だけしてしまったら

「協力してくれると言ったじゃない」と攻め込まれ

にっちもさっちもいかなくなるのは経験上、知っている。

善人は「はい」や「わかりました」を太平洋のごとく広い意味で解釈するので

注釈をつけた自分の発言を記憶していれば、それを武器に応戦できるというものだ。


とはいえ善人の思いつきって、日にちが経つと変わりやすいのも特徴。

経験で言えばパワフルでいい人って、私のような横着者とは流れる時間が違うのよね。

あちこちでたくさんのことを同時に進めているので

本人の気が変わったり、難しいとわかって手を引いたりのスピードが速く

それが周りには、急な心変わりに映ることもある。

こういう人の評判が、「すごくいい人」と「ろくでなし」の両極に偏りやすいのは

善人の実行で恩恵を受けた人と

善人の移り気に翻弄された人の両極が存在するためだ。


だからこの件も、私は「本格的に頼まれたら住職に話す」

というのだけを認識し続けているけど、そのうちレイ子さんの中では

いつの間にか終わったことになるかもしれない。

ハードルも高いことだし、なんだかんだで立ち消えになるとタカをくくっていた。

《続く》
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人に振り回されない方法・7

2023年02月01日 14時15分42秒 | 前向き論
その後、ユニフォーム新調未遂の一件は

自分がやり遂げられなかった残念な思い出として、私の心に長く残っていた。

どうすればうまくやり遂げられたのかを時々、考えたりもしたものだ。


しかし、今は何とも思わない。

あれから40年近くの長い年月を経て、やり遂げられなかったことが溜まった。

義理親との同居、習い事、仕事、友だち付き合い…

中断、途中放棄、脱落のコレクションはたんまり。

新しいバレーチームも6〜7年行ったが、35才で婚家を家出するにあたり、辞めた。

バレーボールとは、それっきりだ。


ともあれコレクションが増えてくると、考え方も変わってくるというもの。

何でもかんでも、やり遂げることだけが良い行いだとは思わなくなった。

年を取って先が短くなるとなおさらで

「取り組む価値と、やり遂げる価値があるかどうか」が判断基準になった。

価値の無いものに固執したら、時間がもったいないじゃないか。


人を振り回すヤツは、その時の一回だけで決して終わらない。

ひとたび味をしめたら、性懲りも無く何回でも頼んでくる。

そしてこちらが応じたら、礼を言うどころではない。

途中で「やっぱりやめる」と言い出したり

「こうしてくれた方が良かった」と気に入らなかったり、勝手極まりない。

同じ人が同じことを何度も繰り返す確率が高いので、長く生きていたら嫌でもわかってくるものだ。


人を振り回すのは、癖なのだ。

先天性の病気と言ってもいい。

だから一回やると、必ず何回もやる。

よって封建村チームのユニフォームも、後から不満が出るのは決定事項だっただろう。

あの時、私が頑張って新調作業をやり遂げ、いっときは達成感に浸ったとしても

結局いつまでもグズグズと不平不満を言われるのであれば

本当にやり遂げたことにはならないのである。


ついでに言うが、そもそも私をあの忌まわしきチームに誘った親戚の監督。

私を入れたら何ヶ月もしないうちに辞め、自分の女房と二人で新しいチームを作ったんだぞ。

私?置き去りよ。

さすがは封建村の出身者。


夫の従姉妹の旦那であり、夫の会社の取引先で社長をしている彼もまた

人を振り回す人間である。

結婚と同時にサラリーマンから社長へと逆玉に乗ったが

周りを振り回すことにかけては定評があるのだ。


仕事上での身勝手な変更やキャンセルは、もはやライフワークに等しい。

商売をしていたら、人に振り回されるのも仕事みたいな所があり

さほど気にしない習慣が付いているのもあるが

あまり大きい会社ではないので損害の額は知れている。

ヒラのサラリーマンからいきなり社長になったのだから、商売の勘に恵まれず

迷いもあろうという配慮もあって、夫は何十年も許容してきた。


しかし最も困るのは、間に別の人が入っている時。

仕事の方面でも数え切れないほど迷惑を被ったが、物品の売買…

特に車の方面で泣かされた経験は数々ある。

実は私も、彼のこの悪癖に巻き込まれたことがあるのだ。

金額が大きい物なので、巻き込まれた人の迷惑も大きい。

我々がかく恥と失う信用、そして謝罪の程度も重い物になるのだった。


が、その裏を返せば、彼はあちこちでこの悪癖を発揮しているため

相手にする人がいなくなったという事実が存在する。

そのため、親戚かつ年下で言いやすい夫に頼むしかなくなったと言えよう。


車関係は、今年に入ってからもやられた。

「壊れたトラックが1台ある。

修理に大金を出すより、いっそ売り飛ばしたいので業者を紹介してくれ」

彼に言われた夫は売買の業者を紹介し、すぐに見積りが出た。

後は大阪からトラックを引き取りに来て、お金を受け取るだけになったその前日

彼から連絡が。

「あのトラックを使う仕事が出たから、売るのは止めて修理に出す。

キャンセルしといて」

自分で連絡すればいいものを、やはりどこか後ろめたいらしく

紹介した夫に断らせようとする。


夫は身勝手な言い草に抗議したが、彼は

「金はまだもらってないんだから、キャンセルは有効だ」と平然。

「自分で言え」と言っても、彼にその気は全く無さそう。

引き渡しが翌日に迫っているため、業者が大阪を出発したらアウトだと思った夫は

恥をしのんでキャンセルの連絡をした。

放っておけばやってくれるとタカをくくっているのが、忌々しい。


「大恥かかせやがって!」

怒りのおさまらない夫。

「また振り回されて!もうあんなヤツ、相手にしなさんな!」

いつも誰かに振り回されておきながら、言う私。

目くそ、鼻くそに説教の図。


赤の他人ならば一回やられたら離れることも可能だが

親戚となると、なかなかそうはいかない。

しかも彼と夫は血の繋がりの無い親戚という、微妙な関係だ。

血を分けた身内には絶対やらない残酷も、血の繋がりの無い夫になら平気という面で

夫と私に共感し合えるものがあるのはともかく

長い年月の間、お互いに同じ人間から何度も振り回されるうち

「人を振り回す人は一生、振り回す。

人を振り回さない人は一生、振り回さない」

という、経験に基づく結果が判明した。

あれは加齢や性格などという生易しいものではなく

生まれつきのれっきとした持病だと確信した次第である。



さて、ここで最初に申し上げた「最下層から一つ上の層に登る」まで話を戻そう。

人を振り回す人間は経験値の低い、実はダメなヤツ…

人に振り回されない人間は、たとえ振り回されても

振り回されていると感じない力量のある人…

これを知ったら階段を一段登ることができると言った。

わずか一段でも高い所から下層を眺めると

振り回す側のダメぶりや、自分はどうすれば良かったのかなど

下層にいる時には五里霧中だった色々なことが見えてくるものだ。


そしたら二段目に進む時期。

コロコロと気が変わるのも、人を苦しめ翻弄させて何とも思わないのも

病気なんだから仕方がないと納得したら、もう二段目に登っている。


二段目に立って、まず考えることは、これ。

「あの病人たちがやらかすことの中で、一番罪深いことは何なのか」

こっちがしんどいだけの手間や労働なら、まだマシよ。

人の信用を無くさせることが、一番罪深い。

振り回し病という病いは、これがわからない病気である。

つまりアレらは元々、人から信用されたことが無い。

だから信用に関しての意識が希薄なのだ。


アレらに何か頼まれ、そこに第三者が入る場合は、用件を聞く前に断る…

揉めても、なじられても、仲間外れになっても気にしない…

そこまでして守らなければならないのが自分の信用だ。

この信用の重さがわかれば、階段の三段目に登れる。



と、このように一段ずつ上に登って行く過程で

体力、知恵、技術、気遣い、慈悲、お金などの力量が徐々に身に付き始める。

それに伴い、判断力や選別眼に裏打ちされた世渡りの勘も

より鋭く、より確実な方向へと進化していく。

この力量と勘が、本人の霊格や風格といった、人の格式を決めるのである。


こうして、とりあえず三段目まで登ったら、もう変なゲスとは付き合えない。

面白くないからだ。

ゲスの方も、あんまり近寄って来ない。

格式が変わると、縁が変わるからだ。

中には格式の違いすらわからない超の付くゲスもいるが

すでにこちらで危ないと判断できるので、距離を置くことができる。


四段目以降はご自由に。

三段目までで安全圏に入ったので、あとは経験を積み重ねて

力量と勘の精度を上げていったらいい。


とまあ、人から振り回されてばっかりの私が言うのもちゃんちゃらおかしいが

こういうことなんじゃないかな?と思うわけよ。

何かの足しになれば、幸いです。

《完》
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人に振り回されない方法・2

2023年02月01日 14時13分36秒 | 前向き論
《すいませ〜ん。

操作ミスでシリーズの順番が狂っちゃいました〜。

直し方がわからないので、このままにします》


自分を取り巻く人間関係にくたびれたら、上の層に行く時期が来たと思え…

人格でも風格でも霊格でも何でもいいから、格上げに取り組むチャンス…

前回の記事では、そう述べた。

自分のいる層から一つでも二つでも上に上がれば、出会う人が変わってくるからである。

世の中には、生まれつきシード権が与えられ

最初から上の方の層に置かれた人もいるように見えて、何だか羨ましく思うけど

私のような下層スタートの者は、地道に一つずつ這い上がって行くしかないのだ。


「自分を変えたい」、「変わりたい」と言う人は多い。

昔の私も、漠然とそう願っていた。

何で私ばっかりがこんな目に遭わなければならないのか…

何かを変えなければ、今の苦境は生涯変わらないのではないか…

そう考えては一発逆転のカンフル剤を探す日々。

とはいえ浅学無知で怠け者の私が、これといった物が見つけられるはずもなく

焦燥感にさいなまれたものだ。


やがてその心境は、「自分は変わらずに周りの人の心がけが変わって欲しい」

そう願っていたのと同じだと気づく。

だからいつまで経っても自分は変わらず、自分を取り巻く環境も変わらなかったのだ。


そこでようやく、この思いに至った。

平面180度の大変化を目指さずとも、上に目を向けたらどうだろう…

階段をほんの一段登って上に上がってみれば、自分は変わらなくても景色が変わるのではないか…

横着な私がいかにも考えそうなことである。


その這い上がる方法というのを模索するのに長い年月がかかり

気付けば老人の仲間入りをしていて、実際に上の層へ行けたかどうかも怪しいものだ。

それでもやはりあの考え方は、他の人にはどうだか知らないが

自分にとって有益だったのではないかと思っている。


で、その登り方だが、私の考えることだから、たいしたことではない。

自分はなぜ人に振り回されてしまうのかを考えるのだ。

経験から言うと、人には振り回されやすい人と、そうでない人がいて

家庭や職場を始め、どんなコミュニティーでも

振り回される人と振り回す人の二通りで成立していることがわかる。


振り回される側になるのは、当たり前だが頼まれたら嫌と言えない人である。

言い換えれば、ノーと言った後の気まずさを知っている人だ。

何かを頼まれたのに断ったら雰囲気が悪くなると思ったり

人によっては相手に失望されたくない、孤立してしまうのではないかと

心配する癖がついていることもある。

いずれにしても自分にできることならと、つい振り回されてしまう。


一方で振り回す側は、相手の立場になって物事を考える習慣が無い人だ。

自分だったらできるのか、自分がやらされたらどんな気持ちか…

そういったことを全く考えないので、いとも簡単に頼み事や命令をする。


考えないのは当然だ。

そういう人は、逆に何か頼まれてもちゃんとできない。

そのため人からあてにされたことが無いので、実は物知らずで経験値が低い。

何も知らず、何もできない、実はつまらんヤツだからこそ

自分はやらなくて済むように指示する側や仕向ける側に先回りして、言葉巧みに人を操る。

それはまた、自分がつまらんヤツだというのを人に知られないようにする最良の策でもある。

人は、自身の残念な実態を隠蔽するためなら何でもやるものだ。


振り回される側は、そんな振り回す側のずるさを薄々感じ取っているので

不公平感にさいなまれ苦しむ。

しかしそれを言及して詰め寄ったところで、何も解決しないことも知っている。

卑怯者は逃げるのがうまいとわかっているからだ。

話をすり替えたり、泣きわめいたり、味方を集めたりして必ず逃げ切る。

何もできない分、人に用事をやらせることと逃げることにかけてはプロなんじゃ。


その逃げる後ろ姿に歯噛みしながら、振り回される側は自分を責めてしまうものだ。

私とて、不器用だから、頭が悪いから、人を見る目が無いからと

謙虚にも自分を責めていた。

クヨクヨと悩み、うっかり引き受けてしまった自分を呪った経験は数え切れない。


しかし、自分を責めることはないのだ。

劣っているのは、かわいそうなのは、指示やお願いをされて動いてしまうこちらではなく

実は無能なあちらさんである。



この真相がわかれば、景色がちょっと変わる。

一段高い所から周りを見回すと、冒頭でお話しした

生まれつきシード権を持っているような人の実情が理解できるようになる。

ゲスと関わらなくていい層で、人に振り回されずに暮らしているように見えた人々は

人を振り回す人間に寛大なだけだった。


なぜ寛大かというと、これは力量の違いなのだ。

人のために用事をするとなると、どんな事柄であっても体力、あるいは知恵や技術

そして気遣い、慈悲、場合によってはお金が必要になる。

それらを総合して力量と呼ぶなら、シード組はその力量が豊富というわけよ。

だから彼ら彼女らには、人から振り回されているという概念が無く

いつも涼しい顔で余裕をかましている。


かたや、いつも誰かに振り回されては嘆き悲しみ、我が人生を呪う私は

体力、知恵、技術、気遣い、慈悲、お金…

これらの力量がまだ足りないから、やらされるという受け身になり

結果を案じながら、こわごわと取り組んでいたのだと思う。

そりゃあ何をやっても心配は尽きないし、面白くないのは当たり前だ。


頼まれたら嫌と言えない性分、私は良いことだと思っている。

しかしその性分とこなせる力量が、初めから同じ割合で揃っていることはマレだ。

力量が備わるまでには時間、つまり年月がかかるようだから

それまでは砂を噛みながら待つしかない…

階段を一段登った時に、そう思った次第である。

《続く》
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人に振り回されない方法・6

2023年01月30日 09時39分04秒 | 前向き論
試着に行くよう催促した私を無視してYさん一行が帰った翌日

彼女の車の乗組員4人のうち2人が、自転車を連ねてうちへやって来た。

その来意は、私への抗議である。


「あなた、何てことをしてくれたの」

開口一番、乗組員その1は言った。

「Yさん、すごく怒ってるのよ」

その2も続く。

電話でなく、わざわざ来たところを見ると、よっぽど腹を立てているのだろう。

いきなり来て文句を言われたこっちもムッとしたが

前夜、他の人から事情を聞いたのは口止めされているので

先に彼女らの言い分を聞くしかない。


その内容は、こうだ。

「ユニフォームを作ることは確かにみんなで決めたけど

スポーツ店に注文するのは、みんなで決めたことじゃないでしょう。

Yさんは、ずっと反対だったのよ。

だから私らはデザインを決める時も試着に行く前も

“みんながいいと言うなら”って何回も言ったはずよ。

みんなというのはYさんを含めた全員のことだったのに

あなたはそれを無視して勝手に話を進めたのよ」


後出しジャンケンもはなはだしい。

こいつらは真っ先にカタログを開いて、はしゃぎながらデザインを決めた。

そして誰よりも先に試着に行きおったのは、スポーツ店が付けた日付けの記録に残っている。

Yさんの機嫌を損ねたことがわかると、慌てて私に責任を押し付けようとしているのだ。


「あ〜…みんながいいなら、みんながいいなら、と言ってらしたのは覚えてますよ」

私は言った。

「ほらね、私は何回も言ったんだから」

「ただの口癖かと思いました」

「違うわよ!Yさんのことを言ってたのよ!」

「はっきり言ってくれないと、わかりませんよ。

だけどユニフォームをスポーツ店で買うのはバレーボール協会の推奨だから

Yさんの意見は関係無いと思います」

「そりゃ、表向きはね。

だけどYさんは、自分の店でTシャツを注文してもらいたかったのよ」

「まさか、無理でしょ。

今の時代、背番号の大きさなんかの規定が厳しくなってるから

専門業者に任せるのは当たり前じゃないですか」

「それならそれで、あなたはYさんを説得しないといけなかったのよ」

「これぐらいのことでゴネて、人に迷惑をかける方が悪いと思います。

気に入らないなら、その場で言えばいいでしょ」

「あなたがどんどん話を進めるから、言えなかったのよ!」

オバさん、特に愚かなオバさんというのは身勝手なものである。

そして私も25才、若さを言い訳にしたくはないが

母親ぐらいの年齢のオバさんたちを相手にする根気をまだ持ち合わせていなかった。


不毛な議論に飽き飽きした私は、彼女らにたずねた。

「それで、私にどうしろとおっしゃるんですか?」

2人は顔を見合わせてから、言った。

「あなたがYさんに謝るのが、一番いいと思うの」


根気の無かった私はかなりカッとしたが、努めて平静を装う。

「嫌です」

「Yさんの機嫌を直してもらわないと、辞めるかもしれないのよ」

「かまいませんよ」

「Yさんが辞めたら私たちも続けられないし…」

今度は泣き落とし。


「かまいませんよ」

「あなた、それでいいの?

私らが辞めたら人数が足りなくなって試合に出られないし、チームは解散するかもしれないのよ?」

次は脅しだ。


「かまいませんよ…いっそ解散した方がサッパリするんじゃないかしら」

これ以上、何を言っても無駄だと思ったのだろう、2人は諦めて帰った。

私はそのままスポーツ店へ行って謝り、ユニフォームをキャンセル。

店主の夫婦は「大丈夫」と言い、「大変だったねぇ」と同情してくれた。


そして次の練習日。

Yさん一行は、何ごとも無かったかのようにやって来て

私もまた、何ごとも無かったかのように練習した。

しかし2人がうちへ来たことは、すでに皆が知っているようで、しきりに私の顔色をうかがっている。

気の小さい人たちなので、その胸の内は嵐の中の小舟のように揺れているだろう。

ユニフォームがどうなったかをたずねる勇気のある者は、いなかった。


そのまま何ヶ月かが経って、私は二人目の子供の妊娠がわかり、チームを抜けた。

せいせいしたと思ったら、またあの2人がうちへ来た。

「みりこんさん、あの時はごめんなさいね」

「お産が終わったら、また戻って来てちょうだいね」


今さら何を言うか…と思いつつ、甘い言葉を聞き流す。

こいつらがしおらしいのは、反省したからではない。

その証拠にアレらは言った。

「あなたが戻らなかったら、私らのせいになるかもしれないのよ」

私に直接文句を言ったことをチームから責められ、「戻る」という確約を取りに来たのだ。


封建村のオバさんたちは、やっと気づいたらしい。

チームで唯一のアタッカーであり、唯一のブロッカーであり

唯一、サービスエースの取れる私に辞められたら困ることに、である。

相手のミスでしか点が取れず、抽選で当たった相手には

戦う前から一勝できると喜ばれてしまう、市内一弱いチームに逆戻りだ。

ゲームでも賭け事でも、勝つ喜びを一度でも味わったら、また負けっぱなしに戻るのは嫌なものよ。


私が「戻る」とはっきり言わないので

「みんな待ってるからね」

彼女らはそう言って帰ろうとした。

「…みんなって、Yさんも含めた全員ですか?」

意地悪く、“みんな”という言葉の定義を問い直す私。

アレらはその問いに答えなかった。


私は、二度と封建村のチームに戻らなかった。

この妊娠中に夫の浮気が始まり、バレーボールどころではなくなったのもあるが

チームカラーが自分に合わなかったと気づいたことが大きい。

いつも誰かの顔色を見てコソコソしているのに

何か不都合があったら急に強気になって筋違いをまくし立てる…

自分とあまりにも違いすぎる人たちの中に居続けるのは、面白くないと知った。


数年後、生まれた次男が幼稚園に行き始めたので

私は以前から熱心に誘われていた別のチームに入った。

このような移籍は掟破りとされ、やる人はほとんどいなかったが

新しいチームメイトの中にバレーボール協会の重鎮がいたのと

封建村チームの特異性は昔から知れ渡っていたため、騒ぎにはならなかった。


そうまでしてバレーをやりたかったわけではない。

器用貧乏の私はやればたいていのことはできるが、汗をかくのはむしろ嫌いだ。

が、次男の出産と同時に義理親との同居が始まり、我慢の多い日常を過ごしていた。

嫁の外出を嫌がる両親だったが、新しいチームには義父のゴルフ仲間の奥さんがいたので

彼らは私に行くなとか辞めろと言いたくても言えない。

だから反抗心で続けていたようなものだ。


バレーを続けるからには、相変わらずボロいユニフォームを着続ける封建村チームの面々とも

試合で顔を合わせる。

向こうは気まずそうでも、私は平気だ。

一人の私利私欲のために若手を逃した恥ずかしいチームとして、笑い者になればええんじゃ。

ともあれ高齢化いちじるしい封建村チームは、そのうち人数が足りなくなって消滅した。

《続く》
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人に振り回されない方法・5

2023年01月27日 09時45分35秒 | 前向き論
ママさんバレーボールのチームでキャプテンになった私に

さっそく大仕事が与えられた。

試合用のユニフォームの新調だ。


チームのユニフォームは、15年だか20年だか前に新調したきり。

古くて色褪せていて、デザインの方は流行遅れもはなはだしい。

こんなボロを着ているチームは他に無く、試合の時は着るのが恥ずかしいほどだった。

ユニフォームの新調は何年も前から口にのぼっていたものの

話は進まないままだったという。

そこで私が取り仕切ることになったのだが、逆に言えば私をキャプテンにして

ユニフォームの世話をさせるつもりだったらしい。


恥ずかしいユニフォームとお別れできるんだから、わたしゃ張り切ったわさ。

さっそく市内にただ一軒のスポーツ店で

アシックスやデサントなどスポーツメーカーが出している

バレーボール用のユニフォームばかりが載ったカタログを借りて来て、皆と検討。

スポーツメーカーのユニフォームって値段は似たり寄ったりだが

生地や色、デザインはそりゃもうたくさんの種類がある。

日頃はご主人に遠慮しながら活動に参加し

自分の趣味にお金を使うことに気兼ねをする封建村のマダムたちも

ユニフォームの新調には心浮き立つ様子だった。


迷いに迷ってかなりの日数がかかったが、どうにか決まり

次はサイズを決める試着の運びとなった。

試着の手順は、まずスポーツ店が様々なサイズの試着品をメーカーから取り寄せる。

それから何日かの期間を決めて、その期間中に各自がそれぞれ店へ行き

実際に着てみて自分にぴったりのサイズを注文するのだ。


とはいえ弱小チームの人数は10人、さほどの大作業ではない。

試着は順調に進み、3日間の期限を待たずしてほぼ全員の注文が決まった…

と思ったら、一人だけ試着に行ってない人がいた。

チームのボス的存在、当時40代後半だか50代だかのYさんである。

彼女は封建村で、ご主人と共によろず屋的ひなびた系の店舗を経営するかたわら

車に商品を積んで山奥や離島へ行商に出かけるのを生業としていた。


チームには彼女より年上の人もいたが、私を騙したUさん同様

先祖代々、現金を扱う商売をしているため、封建村マダムたちに尊重されていた。

この人もUさんと同じく、いかにも商売人の奥さん風のチャキチャキした人だ。

しかしUさんのように軽々しい所は無く

見た目が太めなのとズケズケものを言う所が、まさに地域のドンという感じ。


彼女に睨まれると封建村で生きていけないというのは

複数のチームメイトから、折に触れて遠回しに聞かされていた。

閉鎖的な村で唯一、人が出入りする彼女の店は

噂の発信元という役割も担っており、皆はそれを恐れている様子だ。


しかし彼女らが最も恐れていたのは、Yさんの車のことだと思われた。

チームには年配者が多いというのもあって、運転免許を持たない人が4人いて

いつもYさんが運転する行商用のライトバンに乗り合わせ

5人で試合や練習に来るのが習慣だった。

このように世話好きで親切なYさんだからこそ

彼女の機嫌を損ねて、車に乗せてもらえなくなったら困る…

それが本音のようで、4人は常にYさんの機嫌をうかがい、迎合していた。


村の住人でない私の目には、そんな4人の態度が卑屈に映ったが

練習のある夜間、町外れの村から徒歩や自転車で来るわけにもいかないので

仕方がないと思っていた。

そして私はYさんと、言いたいことを言い合って仲良くやっていた…

そう思っていたのは自分だけだったのかもしれない。


Yさんが試着をしないため、ユニフォームの新調は中断した。

スポーツ店には待って欲しいと頼み、ジリジリして待つ。

合間で彼女に電話をしてみるが、いつもご主人が出て留守だと言う。

居留守だと思った。


次の練習日、Yさんが来なければ家に行くつもりだったが

意外にも彼女が来たので、私は言った。

「Yさん、試着に行ってくださいね」

しかし彼女は、聞こえないふりをした。

「明日、行ってくださいね」

私はもう一度言った。

が、Yさんは黙ったまま帰り支度を始め、彼女の車に乗る人たちもそそくさとそれに続く。

つまり10人の参加者のうち、半分の5人が帰ってしまい

体育館には自分の車やバイクで来ている残りの4人と私が残された。


この4人、チームの中では若手の部類だ。

村の外で働いているため、自力の移動手段を持っているので

Yさんとは少し距離がある。

私は彼女らに、Yさんが試着に行かない真相をたずねた。

口ごもりながら、そして自分たちがしゃべったことは絶対に秘密と言いながら

聞いた答えは思いもよらないものだ。

「Yさんは、新しいユニフォームを自分の店で買って欲しいのよ…」


だって、よろず屋だよ?

苗や種と一緒に、畑でかぶる帽子や衣類も置いてあるとはいえ

スポーツメーカーのユニフォームまで扱えるのか?

その疑問をぶつけると、さらに驚愕する回答が…。

「Yさんは、揃いのTシャツでいいと言ってるのよ。

Tシャツなら、自分の店で仕入れられるから…」

越後屋か!


市内のあらゆるスポーツチームはことごとく

例のスポーツ店でユニフォームを作るのが慣例。

特にバレーボールは年に一度、その店の名前を付けた“〇〇杯”という大会を開催していて

参加賞を始め、3位までのチームにはボールなどの賞品を提供してくれている。

いわばスポンサーなんだから、その店でユニフォームを作るのは常識中の常識だ。


わずかな儲けにこだわり、試着に行かないという実力行使で

スポンサーに迷惑をかけるなんて最低じゃないか…

こんなことをやらかすチームに在籍しているのを恥じると同時に

絶対Yさんの思い通りにしないと誓いつつ、さらにたずねた。

「じゃあ、背番号はどうするの?」

背番号が無ければ試合には出られない。

スポーツ店でメーカーに注文すればサービスで付けてくれるが

ただのTシャツだと、そうはいかんじゃないか。


「番号のアップリケを買って、自分で付けたらいいと…」

脱力。

「私たちも最初は新しいユニフォームに浮かれてたけど

Yさんがウンと言わないと…ねえ…」

「新しいのを作る話が出るたびに、YさんがTシャツのことを言い出すから

いつも立ち消えになっていたのよ」

「Tシャツはちょっとねぇ…」

「Yさんはみりこんさんを可愛がってるから

今度はうまく行くんじゃないかと思ったんだけど…」


顔を見合わせてうなづき合う4人に、私は最後の疑問をぶつけた。

「じゃあ、今のユニフォームはどうして作れたの?Yさんは反対しなかったの?」

その答えは、最も納得のいくものであった。

「あれを作った頃、私たちもいなかったけど、Yさんもまだチームに入ってなかったらしいわ」

その日はたまたま監督が来てなかったので、練習はやめにして解散した。

《続く》
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人に振り回されない方法・4

2023年01月25日 13時20分38秒 | 前向き論
学校の授業以外では、初めてのバレーボール。

長身の私は最初からアタッカーに抜擢され、おっかなびっくり取り組むようになったが

そこそこ楽しかった。

監督が親戚というのもあり、小さい子供を連れて行っても

迷惑がられないチームに入ることができたのは、私にとって最大の利点である。


週に一度の練習に3回ほど参加した頃、Uさんという当時40代前半の女性が来た。

例の封建村で牛乳店を営んでいるそうで、忙しくて練習は滅多に出られないが

その日は久しぶりに参加したという話だ。

いかにも商売人の奥さんといった感じの、チャキチャキした人だった。


練習が終わると、Uさんは私に話しかけた。

「うちの牛乳を取ってくれない?」

聞けばチームの皆も、以前から彼女の店の宅配牛乳を取っているそうだし

うちも子供に牛乳を飲ませていたので、彼女の店から宅配してもらうことを快諾した。


Uさんは、さらに続ける。

「それから明日の夕方、用事であなたの住んでいる地区に行くんだけど

あんまり行ったことの無い場所だから、よくわからないの。

行く前にお宅へ寄るから、教えてもらえないかしら」

家だか道だかを教えるぐらい、何であろう。

わからないと言いながら、私の住むアパートは知っている矛盾には気づかず

二つ返事で承諾。


翌日の夕方、彼女はうちにやって来た。

「ここに住んでいる人に用があるのよ。

悪いけど付いて来てくれない?」

このアパートだとわかっているのなら、私が案内するまでもない矛盾には気づかず

子供を抱いて付いて行った。


…と、彼女はアパートのチャイムを次々と鳴らして、片っ端から牛乳の勧誘を開始した。

断る人もいれば、すんなり取る人もいる。

あれれ?と思いながらも、事態が飲み込めぬままUさんに付いて歩く私。


「みりこんさんの紹介なら、取ります」

やがてそう言う老夫婦が出現したので、私はびっくりして言った。

「紹介じゃないです、付いて来てと言われただけで…」

Uさんは「シッ!」っと言って私を遮ると老夫婦にパンフレットを渡し

どの牛乳がいいかと営業のクロージングに入った。


ようやく事態が飲み込めた私。

Uさんは、アパートで牛乳の勧誘をしたかったのだ。

住人の私が紹介するという恰好を装えば、商売がうまく行くからである。

前夜、初対面だったにもかかわらず、いかにも親しげなそぶりだったのはこれが目的…

夕方に約束したのは、住民が家に居る時間を狙ってのこと…

騙された…

私は頭を殴られたような衝撃をおぼえた。

しかしその時は、もう全室回った後の祭り。

Uさんはニコニコ、私は忸怩たる思いにかられたまま解散した。


以後、Uさんはバレーの練習に来なくなった。

彼女はチームに新人が入ったのを聞き、商売になると思って

その日だけ顔を出したと思われる。

封建村以外の地区に住む新人が入ったら、またひょっこり練習に来るのだろうが

私の後、新人が入ることは無かった。

ほとんど退部状態のUさんに、新しく入った私の名前や住所などの

細かい情報をわざわざ伝える人間がチームに存在するなんて

そしてそれがオバさんという生き物の習性だなんて、その時は考えが及ばなかった。


騙されただけで終われば、まだマシよ。

問題は、その後に起きた。

U牛乳店は勧誘と配達には熱心だが、集金はおざなりという悪癖があったのだ。


集金を毎月やらず、3ヶ月か4ヶ月に一度しか来ないので

牛乳を取った人々から、私に苦情が来るようになった。

何ヶ月分かを一度に払うのは、負担になるから困るという内容である。

牛乳屋の手先になった覚えは無いが、契約した人たちにとって私は手先と同じだ。

「みりこんさんの紹介だから信用していたのに…」

そう言われた時は悲しかったが、謝るしかなかった。


Uさんに抗議の電話をしようかと思ったが、声を聞くのもシャクにさわる。

しばらく躊躇していたら、当のUさんが集金に来た。

苦情を伝えると

「あなたが毎月集金して、うちへまとめて持って来てくれてもいいのよ」

サラッと言うので驚いた。

詐欺に遭ったような気分だ。

牛乳の宅配はその場で断り、残金を清算。

他の住人も徐々に宅配をやめ、彼女は私の近辺に現れなくなった。


「あんな店、じきに潰れるわい!」

私は腹立ち紛れにずっと思っていたが、あれから40年、Uさんと彼女の店は今も健在だ。

律儀な封建村の人々が取り続ける宅配と、病院や学校給食のお陰で細々と営業している。

現在もたまにひょっこり、彼女の悪い噂は耳にする。

やはり些細な詐欺的行為だったり、あとは嫁いびりの方面だ。


ともあれ何事も無かったように、私はママさんバレーを続けた。

「Uさんに騙された!もう誰も信じられないから辞めます!」

とでも言えば自分の気は済んだかもしれないが、たかだか牛乳程度で騒ぐのも恥ずかしく

誰かに話したところで、どうにかなるとは思わなかった。


なにしろ封建村なのだ。

死人が出ると、レンガ造りの小屋で遺体を焼き

時々裏と表をひっくり返しながら焼き加減を見るような所だ。

村人の結束は私が思う以上に強く、その中で先祖代々

現金を扱う商売をするUさんのような人は一種の特別扱いになっていて

何をしても看過される風潮があるのは、日頃からチームメイトの言動で感じ取っていた。

下手に騒ぐとこっちが悪者にされると思い、このことはチームの誰にも言わずに黙っていた。


2年後、私はキャプテンになった。

「若いんだから」

それを理由に押し付けられたが、いつもそう言われては用事が回ってくるので

別に何とも思わなかった。

親戚の監督は多忙という理由でとっくに辞め、違う監督に変わっていたが

それも別段どうということはなかった。

しかしキャプテンになった途端、難題が待ち受けていようとは思いもよらなかった。

《続く》
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人に振り回されない方法・3

2023年01月24日 09時25分28秒 | 前向き論
人に振り回される自分がつまらんヤツなのではなく

人を振り回す人間こそが本当はつまらんヤツだったことわかると

階段を一段、登ることができる…

登ってみたら、今までの自分はまだ力量が足りなかったと納得…

前回の記事を要約すると、こういうことになる。


ほんの一段登るだけで視野が広がり、あれこれとわかってくるものだ。

自分はみんなと仲良くするのが正しいことだと信じていたが

世の中には仲良くしていい人と、距離を取った方がいい人がいること…

自分は人のために何かするのが正しいことだと信じていたが

世の中にはその善意を利用して、人をいいように使う人がいること…

つまり考え方が、大人っぽく冷めてくる。


そして前からそこに居た人々…

つまり、ある程度の力量を持っている人たちのこともわかるようになる。

この人たちは付き合ってもいい相手と、そうでない相手をしっかり選別していること…

付き合ってもいい相手には優しいが、そうでない相手とは口もきかないこと…

つまり誰にでもいい顔をしないのが、身を守るコツらしい。


結局のところ、通販のセールス電話と同じなのだ。

聞かせる値打ちの無い相手に個人情報や胸の内をベラベラしゃべったら

通りすがりの他人から知り合いへと距離が縮まる。

話すことで自分をさらけ出して距離を縮めてしまったら、買わざるを得なくなる。

「人に振り回されない人は、不必要なことを言わないことを徹底している」

前回の記事のコメント欄で、しおやさんがおっしゃったように

何でもかんでもしゃべり過ぎるのは危ない。

嫁ぎ先の家族とは仲良くしなければならないと信じ、何でも話して距離を縮めまくった挙句

振り回され人生を歩んできた私が言うのもナンだけどさ。



で、その振り回され方だけど、一体どのような状態を振り回されると表現するのか

人それぞれ千差万別なところがあって、今ひとつわからない。

身内の方は、もう手がつけられない状態なので、諦め一択だ。


その一人、身内Aは、こっちの予定も聞かずに美容院や病院の予約

友人宅の訪問日時を決めて送迎させるのは当たり前。

断ろうものなら、ふくれて怒り狂う。


出かける段になったら、服を取っ替え引っ替え見せに来るが

結局自分の着たい物に落ち着く。

ようやく出られると思えば、トイレ。

それが終わると靴選び、そして杖代わりの傘選びに入るが

時間がかかって、またトイレ。

やっと出かけたら、あっちもこっちも寄りたい所だらけ。

そもそもスタートから出遅れているため、1日がつぶれる。


出たら出たでこれだけど、家ではテレビの解説も必要だ。

テロップを見て理解するつもりが無いので、質問のしっぱなしの答えっぱなし。

本人は耳が遠いから聞こえにくいと主張するが、違うね。

私が今日も従順かどうかを確認しているのだ。

こんなのが日常だけど、どうなんだろう。


また別の身内Bは、年だから習い事を辞めると言い出し

先生やお仲間に渡すお別れのお菓子を買いに連れて行って配る。

しかし日が経つと、やっぱり寂しいから辞めるのをやめると言い出し

先生が車で迎えに来てくれたものの、辞めるのをやめるのやめたと言って

その日は行かなかった。

が、次の日、やっぱり辞めるのをやめたのをやめたけどやめて

また行きたいと先生に電話したが、連絡がつかなくなる。


そこで私に「携帯が壊れた」という連絡があり、先生に着信拒否されたのが判明。

以後、頻繁な、そして長い電話が始まる。

「私は悪くない」という主張を延々と繰り返したあげく

「家でおさんどんしてるあんたに話したって、ものを知らないから無駄よね」

とキレるパターン。

これが日に何回も、毎日続く。

着信拒否したいのはこっちじゃ。


やがて半月後、先生の機嫌が直って再び行くようになるとケロリ。

全ては無かったことになる。

昔から慣れているとはいえ、こういうの、振り回されるって言うんじゃないのか。


どちらも自分の子供には、絶対そういうことはしない。

怒らせて嫌われたら、おしまいだからだ。

その分、身近な他人にしわ寄せが行く。


しかし身内は絶縁するわけにいかない。

何かあったら結局こっちにかかってくるので、付いたり離れたりするだけ無駄。

よって、諦めるしかないのである。


他人部門でも、そりゃあ色々あった。

全ては私の浅い善意と重篤な無知が原因で

騙されたり、物をかすめ取られたり、恥をかいたりしてきた。

人に話したら、「何てバカなんだ!」と呆れられるだろう。


あまりのバカさ加減に、我ながら絶望する。

人に利用され、いいように使われ、振り回されるのが私の運命だったのかもしれない…

いっそのこと、そう思って思考停止してしまいたいほどだ。

この辺で厳かにシメの言葉など申し上げて終わろうと思っていたが

話したくなったので聞いてちょうだい。

私のバカぶりが、おわかりになるだろう。



私の振り回され歴の起源は、ごく若かりし頃…23才の時に遡る。

夫の従姉妹の旦那がママさんバレーの監督をしていたため、彼からチームに誘われた。

このことはずっと前、記事にしたことがある。


そこは市内のとある地区に暮らす、中高年の奥さんばかりで結成された弱小チームだった。

私らが暮らしているのは元々が田舎町だが、特にその地区は

時代から取り残された村のごとき一角。

いまだに村八分の習慣が存在し、選挙の時にはよそ者を寄せつけないよう

二ヶ所ある村の入り口で村人が一晩中、焚き火をして見張ったり

その頃はなぜか村専用の旧式な火葬場を所持していて

死人が出たら当番の村人が交代で遺体を裏返しながら焼いたりと

何につけ封建の香り漂う特殊な地区。

従姉妹の旦那はこの村の出身なので、頼まれて監督になったようだ。


が、この町の生まれではない私は、若いのもあって何も知らない。

チームには母親のような年齢の人ばかりだし、バレーボール経験者がいないので

同年代の女同士にありがちなライバル心やポジション争いが無く

自分としては楽に溶け込んだつもりだった。

《続く》
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人に振り回されない方法・1

2023年01月16日 13時26分34秒 | 前向き論
前記事のコメント欄で、まえこさんが言ってくださった。

「人に振り回されない人生を過ごすために必要な術を書いて頂けたらうれしいです」

内容への希望を言ってもらえるのは、とてもありがたい。

結婚して以来、義父母に振り回されっぱなしの私が

人に振り回されない術を語るなんてお笑い種だけど

長きに渡る振り回され生活で、会得したことは確かにある。

ちょうど似たようなことを記事にしようと考えている最中だったので

僭越ながらお話しすることにした。



さて、私が振り回されるのは、義父母の繰り出すワガママではない 。

そんなのをいちいち気にしていたら、頭がおかしくなってしまう。

振り回されぶりにも、程度というものがあるのだ。

ほんの一例を挙げると

「入院するから仕事を辞めて世話をしろ」の類い。

つまり私の場合、就職や退職は親の都合が関与することがあった。


言うことを聞かなければ、義母が勤め先に電話をかける。

「あんたが雇うから、うちは迷惑している」

雇い主に苦情を言い、辞めざるを得ない状況に持って行った。

子供たちが両親に迷惑をかけないよう、土日祝祭日が休みで短時間労働

さらに夏休みや冬休み、春休みは長期欠勤できる融通の利く職場を厳選したつもりだが

彼らは、嫁が外で働くことそのものが気に入らなかったのだ。


私が働くようになったのは、外の空気が吸いたいだの

生き甲斐を見つけたいだのという漠然とした理由ではない。

夫の給料が少ないからだ。

将来どころか現在すら不安なので、働くしかないではないか。


というのも両親との同居が始まって以来、私は義母の散財に悩まされていた。

食費は折半と決めて同居生活に入ったが、経済観念の希薄な彼女は

食品なら何をどれだけ買っても半額は息子夫婦が出すと思い込み

持ち前の無邪気さで、買い物三昧の贅沢三昧へと暴走。

何度も話し合おうと試みたが、本人は非を指摘されたと思っていきり立ち

義父と義姉、親戚まで参戦して騒ぎになるため、止めることはできなかった。

同居すると精神的には厳しくても、経済的には楽になるかもと踏んでいたが大間違い。

食費を捻出するために貯金を切り崩すありさまで、同居の方がよっぽど物入りと知った。


夫の薄給に関する両親の主張は、我々の車やガソリン代、夫のゴルフ代などが

義父の会社の経費から出ていたため、その分を現金に換算したら十分な額だろうというものだ。

それはいかにも正論めいて聞こえるが、私には詭弁に思えた。

家族で経営する小さい自営業にはありがちなことで

親がしっかり給料を取り、子供は小遣い程度という習慣が抜けないのだ。


ここは時代に沿ったべースアップを要求したいところだが、それも難しい。

浮気と駆け落ちを繰り返す夫が、昇給に見合う仕事をこなしているわけがないじゃないか。

「給料がもらえるだけでもありがたいと思え」

義父に厳しく言われたら、それもそうよと思い、何も言い返せなかった。


そもそも両親は、息子の薄給と嫁の就職との関連性を認めるわけにはいかなかったのだ。

嫁が外で働くのを他人に知られると、「会社があるのに何で?」という疑問が湧くのは必然で

さんざん詮索した挙句、「会社には娘がいる」という結論に落ち着くものだ。

するとどうしても、娘の実家帰りが人の口にのぼってしまう。

昔の田舎は、そういうことに敏感だった。

嫁が他人の目に触れることは、そのまま娘の噂に繋がる。

彼らはそのことを非常に恐れていた。

そのため夫婦で入れ替わり立ち替わりの入院は

嫁に仕事を辞めさせて世間との繋がりを断ち切る、良い機会だったのである。


雇い主にしてみれば、子供が幼稚園や学校に行っている間だけ働く私は

あまり良い働き手ではない。

最初はそれで構わないと言われても、賃金を出していれば気持ちは変わってくるものだ。

親を敵に回してまで確保したい人材ではないので、私は簡単にお払い箱になった。


強制的な退職は過去、2回あった。

古い話だし回数は少ないが、仕事と人生には深い関わりがあるため

それを否定されるのは、人生を否定されるのと同じ気持ちになる。

よって振り回され度がディープだと思い、ご紹介した。



しかし振り回されるのが家族であれば、それは仕方の無いことなのだ。

結婚する時、相手のことは色々考えるが、親のことまではあまり考えない。

考えたってわからないし、相手の家族の皆が皆、良い人ばかりというわけにはいかないものだ。

気に入らなければ離婚するしかない。

義理親との関係が原因で離婚する人は、振り回されることに疲れ果てたからだと思う。


だったら家族は処置無しか…と絶望しなくてもいい。

これには時間という、確実な解決策がある。

向こうが先にいなくなるとわかっているのだから、それを待てばいいのだ。

ただし何もせず待つという簡単な方法だけに、解決の時期は明確でない。

何年後の何月何日に終了します…といった目標設定があれば

その後の計画も立てられようし、指折り数えて待つ楽しみもあろうが

そこまで細やかなサービスは付いていないのが残念なところよ。



そのように家で振り回されっぱなしの生活を送っていた頃

私は他人からも大いに振り回されていたものだ。

子供繋がりや趣味繋がり、物売りの仲介などで新しく知り合った人たちである。

私だけかもしれないが、若い頃って付き合って大丈夫な人とそうでない人の区別がつきにくい。

質より量といおうか、とりあえず付き合っておけ…という適当路線まっしぐら。

新しい刺激に有頂天となり、親しく交流するうちに嫌な目に遭って何度も砂を噛んだものだ。


今思えば、親しくなる相手のレベルが低かった。

ということは、私も同様のレベルだったわけよ。

見るからに賢い人と遊んでも、自分のアホを思い知るだけであんまり面白くなかった。

家で振り回されて疲弊していると、自分と同等か、幼稚な相手の方が気が張らなくて楽なのだ。

しかし、その人たちとは親しくなるのも早いが、疎遠になるのも早い。

家でも外でも振り回されて、忙しい時代だった。


その経験をふまえてわかったが、人付き合いには幾重もの目に見えない層があるようだ。

人間は同じ層の人としか出会わないようになっていて

その層が下の方だと、当たり前だが同じ下層としか付き合えない。

下というのは、一方的に悪いということではない。

若かったり経験不足だと、下の1年生からスタートするしかないらしい。


ともあれ下の層に在籍する限り、同じ層の人間としか親しくなれない。

下層は人間初心者ばかりの層なので、嫉妬深い人や愚か者もたくさんいて

いつもゴタゴタしている。

若ければ、そのゴタゴタも青春の1ページになるかもしれないが

マトモな人間であれば、やがてそのようなお仲間と交流するのがしんどくなるものだ。

その時は、上の層に行く時期が来た…そう思うといい。

普通に言えば人格、風格…

スピリチュアルな言葉で言えば霊格…

そういう格みたいなものをグレードアップを図るチャンスである。

《続く》
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同居論・狙われる男たち

2022年10月06日 15時23分31秒 | 前向き論

『雷が怖くてヘルメットをかぶり、たそがれる愛犬リュウ』


北朝鮮からミサイルが飛んで来ても、こちらは相変わらず家庭内で悪戦苦闘中だ。

2回に渡って同居の問題を語らせていただいたが

あれだけ長々としゃべっておきながら、肝心なことは話してないので

もう少しお付き合い願いたい。


初回は、二階建て家屋で発生する水洗トイレの騒音を中心にお話しした。

老齢の義理親と同居するのであれば、この問題は避けて通れない。


我々の敗因は、増築にあった。

一階のトイレの真上に二階のトイレを新しく作り、一階と二階の配管を共有したからだ。

夫の実家は鉄筋構造なので工事の性質上、そうするしか無かった。

実家も一階と二階にトイレがあったが、一階は玄関の近く、二階は奥の方にあり

配管は別々だったので水洗の騒音が二階に響くなんて知らなかったのだ。

同居以前に、増築して親の家に住むことそのものが無謀だったように思う。


しかし、今さらそんなことを言ったってどうにもならん。

解消するには家を建て替えるしか無いが

ゼニカネの問題以前に、改築中は老人を連れてアパートかどこかへ引っ越さなければならない。

誰も手伝わないであろう荷造り荷ほどき…

義母と至近距離で寝起きする不自由…

その艱難辛苦たるや考えただけでも恐ろしいから、我慢した方がよっぽどマシだ。


二階建て家屋のみならず、マンションや平屋

つまり平坦な造りにトイレが一ヶ所であれば、もっと厄介なことになる。

部屋の構造にもよるが、水洗の騒音を家族全員が共有する可能性は高く

トイレにたどり着くまでの距離が長いため、道中にある戸の開け閉めや足音にも悩まされるだろう。

同居を決行して初めて、万年睡眠不足の苦しみを知るのでは手遅れなので

老婆心ながら、せめてもの注意喚起をしたつもりである。


毎日来る小姑の方は、滅多にあるものではないので気にしないでいただきたい。

実家に帰りたい娘はたくさんいるが

既婚の男兄弟と同居する親元を毎日訪問したい娘なんて、そうはいない。

本人の資質はもとより、通える近距離に嫁ぐこと、女房の実家通いを黙認できる旦那

親が途中で亡くならないことなど、複数の条件が揃わなければ実現は不可能だ。


我が物顔で出入りするのは小姑だけでなく、親戚もだ。

挨拶も無く上がり込み、お茶やお菓子を運ばせて長居をしたあげく

「お義母さんにもしものことがあって形見分けをする時は、服と宝石を最初に見せて」

なんて、私に耳打ちするようなのもいるが、どっちの形見分けが先になるやらわかったもんじゃない。



ともあれ、一人になった高齢の母親と暮らそうなんて言い出す息子はえてして優しい。

けれどもその優しさの中に、強さと賢さが含まれているという保証は無い。

母親と妻、双方の関係をうまく取り持ちながら

和やかに立ち回れる器用な男はそうゴロゴロいないものだ。

板挟みに疲れて仕事やギャンブルへと逃げ、帰宅時間を遅らせる男も出てくる。

うちは女に逃げた。

これで妻が面白いはずもなく、家庭不和、家庭崩壊は欲しいままだ。


同居がきついのは、なにも子世代だけではない。

母親もまた、厳しい日々を強いられる。

子世代が同居しても、母の孤独は埋まりはしない。

むしろ若夫婦を眺めていると、伴侶を失った孤独はつのる。

休日、息子夫婦が楽しそうに出かけ、一人で家に残されるとますます孤独になる。

伴侶を亡くして一人になった寂しさは、子世代と同居したって埋まるものではない。

ただ、伴侶がいなくなって半減した年金の心細さは幾分解消される。

嫌いな嫁でも我慢するのは、そのためだ。


彼女たちが本当に必要としているのは、息子夫婦と送る賑やかな生活ではない。

無給で病院や買い物に連れて行ってくれる運転手であり

無給で家事をしてくれる家政婦であり、いざという時の出費代行。

同居に親孝行や安心といった精神世界を求める息子夫婦と

足、もてなし、おアシの“三し”という現実的サポートを求める母親との間には

大きなギャップがある。

中には例外もあろうが、お互いに同居がしんどくなるのはこのギャップによるものだと思う。



とまあ、同居のデメリットばかりをお話ししたが、もちろんメリットもある。

家族の人数が多いと、おしゃべりの幅が広がるので時々楽しい。

義母は長年、天秤座の長男をペンギン座だと思い込んでいたことが先日発覚。

ワロた。


それから、義母と二人で他人の悪口。

大変盛り上がるので、楽しい。


これらの楽しさが同居の苦しみと相殺されるかといえば、はなはだ疑問だが

小さな楽しみを大きく膨らませ、他のゴチャゴチャしたものを包み込む技術は発達するように思う。

同居する嫁は忙しいため、細かいことを気にしていられないし、長く覚えていられないのである。

最初からそれができる人は同居をうまくこなすのだろうが、私は時間がかかった。

冷酷で怠け者、人に厳しく自分に甘い私の性分に、同居は合わないらしい。

いやむしろ、私のようなのに同居された義母の方が気の毒かもしれない。



というわけで義母と私の同居話はひとまず終わらせていただくが

近年、周囲では逆バージョンの同居問題が勃発している。

30代から40代の若夫婦の家に、妻の母親が転がり込むケース。

子供を伸び伸び育てたいと考えて家を建てたはずが

いつの間にか妻の母親と同居していたというのだ。

最初は引越しを手伝うだの孫のお守りだので頻発に訪れ、じきに泊まるようになって

ある日、仕事から帰ったら母親の引越しが済んでいたという悲劇を複数、確認している。


妻は母親がいてくれると家事や子守りをしてくれるので楽で助かるが

男性にとってこの現象はものすごく辛いらしい。

妻の母親なんて、たいていの男にとっては面倒くさいオバさんという存在でしかないのだ。


「屁も自由にできん」

「疲れて帰って女房の母親がいるとゲンナリする」

「ローン払ってるのは僕なのに」

彼らは口を揃えて憤慨するが、子供はお祖母ちゃんに懐いているし嫁は機嫌がいいしで

本人たちに異議を唱えるのは気が引けるらしい。


こんな事態になってしまう男性は皆、おとなしくて優しく子煩悩。

そして両親がすでに他界しているか、複雑系で交流が無い。

優しくて実家が無いに等しいからナメられ、子煩悩ゆえに我慢する。

それらが悪循環となって、地獄が訪れるのである。


苦しんだあげく、彼らの一人は家を出て、会社に寝泊まりしながら離婚調停中。

しかし離婚しても家のローンは消えず、養育費まで発生する。

何より可愛い子供には会えなくなるので、彼に真の夜明けは来ない。


また、もう一人は精神を病んで通院中。

夫の窮状を目の当たりにしても、妻は便利な母親を手放さないし

母親も出て行くつもりは無い。

悩んでいる他の数人も、これに続くのかもしれない。


男性は女性よりもハートが繊細だから

仕事から帰って安らげる空間が無くなったのはこたえるだろう。

テリトリー意識も女性より強いため、きちんとした話し合いや承諾が無いまま

自身の縄張りに無断で踏み込まれた悔しさは、かなりのものと想像する。

サザエさんに出てくるマスオさんは、妻の実家で生活しているので文句は言えないが

このケースは自分名義の家なので、逆マスオの無念は筆舌に尽くし難いと思われる。


もちろん妻の母親と仲良く生活できる男性もいるだろうが

適応できなかった場合は聞くも涙、語るも涙の残酷な話になってしまう。

我々よりひと世代下になると、姑の魔手は手強い嫁でなく

若い男性に伸び始めたようだ。

結婚する時や家を建てる時はこんなことにならないよう

夫婦間で厳正な契約書を交わす時代になってきたのかもしれない。

くわばら、くわばら。
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続・同居論

2022年09月30日 10時02分19秒 | 前向き論
『庭に咲いてる白い彼岸花』


前回の記事、『同居論』で、しおやさんからご質問をいただいた。

私にとって面白い質問だったので、記事にさせていただくことにした。


①義理姉さんの昼ごはんは?

ご存知の通り、うちには嫁いだ小姑が毎日帰ってくる。

我々と同じ年に結婚して以来42年間、隣市からせっせと通う日課は変わらない。

彼女が結婚と同時に、家業の事務をするようになって以来の習慣である。


第1期同居の頃は、朝7時半に来て夕方6時半まで居たので

昼食どころか夕食も実家で済ませていた。

彼女の一人息子も、小さい頃は一緒だった。

そして帰りには、彼女の夫の夕食をテイクアウト。

そうすればギリギリまで実家に居られるというわけだ。

ちなみに毎週金曜から日曜の夜までは、息子と二人で実家に泊まるので人数が増えた。


平日の昼と夕、そして週末の接待は十数年続いた。

私は途中で家出したので、全てを見たわけではないが

彼女の息子が部活や塾通いをする年頃になると、母親の実家には目もくれなくなり

週末の連泊だけは無くなったようだ。


そのまま、さらに十数年が経過。

50才を過ぎた義姉は、父親の会社から給料が出なくなったので

老人ホームの給食調理員として働き始めた。

早朝から昼過ぎまでの勤務なので、仕事が終わったその足で実家を訪れ

昼ごはんを食べて夕方まで過ごしていた。


それから2年後だったか、我々が第2期の同居を始めた。

義姉の習慣はそのままで、夕食のテイクアウトも徐々に再開された。

外で働いて苦労をしている娘を、手ぶらで帰したくない義母の親心と

どうせたくさん作るんだから、やるやらないで揉めるのはバカバカしく

義姉夫婦の食べる分ぐらい、あげても知れているという私の適当心によるものだ。


さらに数年後、職場のシフトが変わり、義姉は9時から2時までの勤務になった。

昼食を職場で食べるようになったので、夕食のテイクアウトは続いていたものの

義姉が実家で昼ごはんを食べる習慣はここで初めて終了。


しかし同じ頃、義姉の夫がパーキンソン病になり

庭の離れで生活していた彼女の舅と姑が寝付いた。

義姉は実家で昼ごはんは食べないが、夫婦と義理親4人分の夕食を持ち帰るようになった。

つまり、テイクアウトは倍増。

病人を抱えて働く娘を不憫に思う義母の母心と

2人分も4人分もたいして変わらんという私のアバウト心によるものだ。


さらにパーキンソン病で役に立たない義兄の代わりに

毎日来て両親の世話をしてくれる叔父さんの分が追加された。

そして叔父さんには奥さんがいるから、その人の分も必要になった。


こうなりゃもう、ヤケよ。

もちろん作るのは私で、費用もうちら夫婦の家計から。

他の誰が出してくれるというのだ。

が、食べるのは病人と老人、たいした量がいるわけではない。

自分が病院の厨房で培った実力が発揮できる自己満足で、けっこう楽しんでいた。


喜ばれただろうって?

毎日帰って来る小姑を甘く見ちゃいかんよ。

全部、義姉が作ったことになっとりますがな。

同居ってね、感謝されたいなんて思ったら自滅するよ。

黒子になり切る覚悟が大事。

それができない人は、同居しちゃいけないの。

プライドがズタズタになりっぱなしで病気になっちゃうから。


そのまま、また数年。

義姉の舅と姑が1年おきに亡くなり、叔父さんも来なくなったので

夕飯のテイクアウトは一旦終了。

現在、義姉は仕事を辞め、病気の進んだ彼女の夫に付いている時間を増やした。

時々、道で倒れて動けなくなるので、近所に迷惑がかかるからである。


それでも午後1時から3時までは、毎日来る。

夕飯のテイクアウトは、こちらが多めに作った時や珍しげな献立の日に時々。

義姉の里帰りは42年前と変わらず鬱陶しいが

実家の滞在時間が短縮され、その上、食事を出さなくてよくなったのは

何だか開放感がある。

不運に慣れた人間は、小さなことでも喜べるようになるものよ。



②リフレッシュの方法は?

月に一度あるか無いかだけど、友だちとの女子会。

昨夜も行った。

ただし、出かけさえすりゃあいいというわけにはいかん。

リフレッシュ効果を狙うには条件がある。

短時間であることと、本当に好きな少人数のメンバーであること。

だからマミちゃん、モンちゃんと3人で過ごす2〜3時間が最高。

楽しかった。


遠出、あるいは長時間、留守にするのはあかん。

ごはんの支度をして出ないといけないでしょ。

男どもは外食させられても、家に居る義母はそうはいかない。

出かける前に急いで家事をして、料理までしてたら疲れる。

で、帰ったら留守中の家事が溜まっとる。

出かける前後がしんどいから、リフレッシュどころかストレス。


メンバーはすごく大事。

苦労話や自慢話の独演会を聴講するだけだったり、大人数で騒がしいとくたびれる。

だから、幼馴染みのマミちゃんとモンちゃん限定。

あの二人は、愚痴とおしゃべりを混同しない大人の女。

だから楽しい。


約束して、その日が来るのを待つ…

その間の楽しさも、リフレッシュになっているかも。

そしてその日が来たら

「おいしいね!」、「楽しいね!」、「次はいつにする?」

そんな他愛の無いことを話すだけで幸せになり

しぼんだ細胞の一つ一つが水分や栄養を得て膨らんでいくような気がする。

いい友だちに恵まれた幸運に、感謝するしかない。


いつも気持ち良く出してくれ、メンバーの送迎を引き受けたり

彼女らに優しい言葉をかけてくれる夫や息子たちの気持ちもありがたい。

この家族を与えられた幸運を噛みしめる。

が、この家族の素は義母なんだから、乗りかかった船…

最後まで面倒見るわよ。

だから他の人には、うっかり船に乗りかかりなさんな…と言ってるわけ。


それからなんと言っても、このブログね。

書くのも楽しいけど、皆様の優しいコメントがありがたくてね。

幸せを感じるわ。

いつも本当にありがとうございます。



③一階に義姉さんがいては、睡眠不足解消の昼寝もおちおちできないのでは?

昼寝はしません。

うっかり昼に寝たら、夜8時半に寝られなくなるので

生活リズムが崩れて翌日がしんどくなるから起きてます。


たとえ昼寝をしたとしても、誰か家に来たり電話が鳴ったり

用事で義母に呼ばれたりで寝られません。

特に来客は私が出るしかないので、二階で寝ていたら

階段を降りて門まで走るのに消耗します。

玄関脇の居間に陣取る義母は、耳が遠くて玄関チャイムの音が聞こえないと主張しますが

犬が吠えるので、わからんわけがないのです。

座ったまま立ち上がりたくないので、耳のせいにしていると思います。


それでも昼寝をするとなった場合、義姉は気になりません。

静かなだけ、義母よりまだマシです。



あ〜あ、好き勝手しゃべらせてもらったわ。

ありがとさ〜ん!
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同居論

2022年09月28日 14時52分55秒 | 前向き論
コメント欄で、義理親との同居について話した。

同居が是か非かと言えば、非の一択というのが私の意見。


20代半ばから30代半ばまでの10年間、夫の両親と三世代同居を経験し

耐えられなくなって家を出た。

そして50代の始め、義父の会社の倒産騒ぎや両親の病気という、よんどころない事情によって

夫と二人の息子たちと共に再び夫の実家へ舞い戻って12年。

7年前に義父を見送り、今は残された義母と生活中だ。

つまり私の同居に関する歴史は、初回の第1期と現在の第2期に分類される。


若い頃の第1期と、年配者になってからの第2期。

二通りの同居生活を体験してみてやっぱり思うのは

「同居はするべきではない」。

若い時も年取った今も、同居生活が理不尽の嵐であることに変わりは無かった。

この経験から、私は義理親との同居を迫られた長男のお嫁たちを何人も止め

「今は大丈夫だけど、親が一人になったり身体が弱ったらいずれは…」

そう口走るお嫁さんたちには、同居のリスクを唱えてきた。

実生活では、20人を下らないと記憶する。


弱った義理親に手を差し伸べるお嫁さんたちの頭の中には予定表があって

1ページ目には、義理親、ご主人、親族から感謝される図が載っている。

義理親が回されてくるような人は、そもそもお人好し。

自分が火中の栗を拾うことで、多くの人が助かると本気で思っているのだ。


そして予定表の2ページ目は、いきなりこうなる。

「数年後、義理親は嫁に感謝しながら静かに息を引き取る」

終わり。


これが、あかんのやて。

1ページ目と2ページ目の間に、本当は何十ページもあるのよ。

でも同居なんてしたことが無いから、エピローグとプロローグしかわからないのよ。

同居で味わう数々の理不尽や精神的重圧を話していたらキリが無いし

聞く方もウンザリするだろうから

今回は比較的わかりやすい物理的な面に特化してお話ししたいと思う。



「うっかり同居してくれるな」

私が声を大にして主張する原点は、家の構造にある。

現代建築の構造を無視して同居するから、思わぬ不幸が訪れるのだ。


中途からの同居には、一家で義理親の家に引っ越す場合と

義理親が子世代の家に引っ越す場合のふた通りがある。

離れのある豪邸や完全二世帯住宅ならいざ知らず

一般的に一階部分は足腰の観点から義理親が使い

子世代は二階で生活するケースが多くなると思う。


うちもこのケース。

その昔、第1期の中途同居のために夫の実家を改築したわけだが

何の知識も無いまま、単に二階の部屋数を増やしただけで現実的な配慮を一切しなかった。

この安直が、自らを苦しめることになったのである。


音というのは、下から上がよく聞こえるものだ。

よって一階の生活音は、ことごとく騒音となって二階に伝わる。

ドアやガラス戸の開閉、廊下を歩く音

あ、今、台所へ行った、冷蔵庫を開けた、瓶を出した…なんてのが丸聞こえ。


もちろん、少し大きい話し声も聞こえる。

音は高音より低音の方が響くので、二階に居ても義父から怒られているようで

彼の在宅中は気の休まる時間がほとんど無かった。

ドカン!とした大きなことより、このような些細な日常が

真綿で首を絞めるようにジワジワと、自身を追い詰めていたように思う。


が、そんなのはまだかわいい。

同居における最大の問題であり、最大の盲点は夜間のトイレ。

第2期の同居をしてみて、これは大変な問題だと知った。


第1期の同居では親も我々も若かったので、さほど気にならなかった。

親は頻尿ではなかったし、我々も若さに任せて睡眠が深かったからだ。

しかし親も我々も年を取った第2期、義母はトイレが近くなっており

我々もまた寄る年波で、睡眠が浅くなりつつあった。


うちは二階のトイレを我々が、一階のトイレを義母が使う。

音は下から上がよく聞こえると言ったが

義母がトイレの水を流すと、配管を伝って二階へ水の音が響く。

私の寝室はトイレに近いため、この音で目が覚めてしまうのだ。


今どきは研究が進んで、あんまりうるさくないのかもしれないが

全くの無騒音というわけではあるまい。

うちは古いので、下から上に伝わってくる水音が容赦ない。

身体は眠っていても、音がするたびに何となく意識が戻る。

これが毎晩となると、睡眠不足は必至。

赤ん坊ならミルクを飲ませたら3時間は静かだが

バリバリの夜間頻尿である義母は、2時間に1回トイレに通う。

私が午前3時や4時に起床するのは、水洗の音で眠れないからである。

外で働く人であれば、まず身体を壊すだろう。


頻尿の治療薬があるって?

既往症の薬との兼ね合いがあるので、現状では無理。

元気なまま夜間頻尿になる人ばかりではないのだ。

耳栓をするという手もあるが、そうまでして同居を続ける意味自体に疑問が生じるため

意地で避けている。


寝室を変えるという手段は、使えない。

旅館じゃあるまいし、庶民の家の部屋数なんて知れていよう。

台所や応接間を除いた8部屋のうち4部屋は、義母とその荷物が占領しているので

残りの4部屋を4人で使うしかなく、私が動けば別の犠牲者が出ることになるからだ。

男共には、しっかり寝て稼いでもらうに限る。


もう慣れたので、耐えられるうちは耐える所存だが

明日は我が身なんだから、義母を責めるつもりは毛頭ない。

彼女も辛いのだ。

もうじきいなくなると思い込んで同居に踏み切った、私のミスである。


よく考えれば、昔の日本は水洗トイレではなかった。

そして老人の多くは、頻尿になる前にいなくなった。

さらにトイレは人が寝ない居間の近くか、老人の部屋の近くで

いずれにしても外に面した廊下の先、農家では完全に外だったりした。


同居というライフスタイルは、それら各種の条件下で初めて成立するものだ。

親孝行も人の道も、この条件が普通だった頃の話である。

便利で清潔な現代建築に居住しながら、心だけ遥かな昔に遡るのは間違っている。

また、それを望む親や、それを強いる周囲も間違っている。

病気になって、親より早くあの世へ行けと言っているのと同じだ。

それが親孝行になるかどうか、ちょっと考えればわかることである。


トイレ一つでもこれほどのストレスがあるのだから、他のことも推して知るべし。

そういうわけで、安易に親との同居を決め

このようなつまらぬ、しかし重大なことで苦しまないようにしてもらいたい。

日々が何か面白くない、やる気が出ない…

同居していて、そのような気持ちが続く時は

水洗トイレの音が原因の寝不足かもしれないので、頭の片隅に入れておいてほしい。


冒頭の写真?

うちの前で見る朝焼け。

うるさくて目が覚めるから、こういう時間に起きてんのよ。

その代わり、ベッドに入るのは夜の8時半よ。

早いって?

義母の夜間頻尿が始まる前に少しでも睡眠を取って、体調を整えるのよ。

ハン!
コメント (5)
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