殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

王様と私

2015年03月23日 10時12分15秒 | みりこんぐらし
渡辺謙、ブロードウェイミュージカルにデビュー。

しかも演目は「王様と私」。

その昔、ユル・ブリンナーとデボラ・カーが映画で演じた

名作中の名作だ。


舞台は東洋のシャム国。

王様の子供達の家庭教師として、西洋の女性が赴任する。

独裁的で気難しい王様と、先進国の家庭教師は

考え方や慣習の違いから衝突を繰り返すが

やがて2人はいいムードになり、ハッピーエンド。

お金のかかった豪華絢爛が大好きな私であるから

当然、この物語は大好物。


王家の子供達を、国内だけでなく国際社会で通用する人に育成する…

異国から家庭教師を迎えた目的は、これのはずだった。

その教育が子供達だけでなく、王様まで変えていくところが

最大の見せ場であろう。


西洋風でありながら、どこかアジアンテイストの美しい家具調度や

目にもまぶしい衣装…

「シャル・ウィ・ダンス」の名曲に乗って

怖い王様がだんだん紳士に変わって行く経過は、極めて見応えがある。


この王様を日本の謙さんがやってくれる。

嬉しい限りだ。

大作であるから、演技力はもちろんのこと

アジア系の引き締まった顔立ちや

人々がひれ伏してしまうような風格が必要。

頭蓋骨の形状も問われる。

丸坊主がお決まりなので、絶壁やひょろ長いの、歪んだのではダメ。

女性の方は誰が演じてもわりと大丈夫だが

王様の方は条件が揃わないと演じられない、難しい役なのだ。


製作者サイドの発表に、私の胸は震えた。

「我々は歌手やダンサーを探していたのではない。

王様を探していた」

シビレちゃうわ。

ああ、誰か言ってくれないかしら!

「我々は女の子や女性を探していたのではない。

オバさんを探していた」



そのオバさん、近ごろ出番多し。

仕事である事務業の他に、嫁業、母業、妻業を適当に営業してきたが

義父アツシの死後、これに仏業が加わる。

何十年もの間、新興宗教の信者だった義母ヨシコが

アツシの死をきっかけに一般的な仏教へと改宗したからだ。


ヨシコの改宗は、我々夫婦が以前から望んでいたことであった。

ヨシコとその娘が一緒に何を拝もうと、興味は無い。

ただ、その宗教での葬式スタイルに問題があった。


ヨシコの宗教では、葬式に花を使用しない。

シキビ、またはシキミと呼ばれる葉っぱだけだ。

我々が懸念するのは、この葉っぱであった。


この宗教の葬式に、二度参列したことがある。

どちらも小さな店を経営していたので

事情を知らない仕入先や取引先からも生花が贈られる。

故人に生花を贈った参列者が、あちこちで漏らす失望のささやきを聞いた。

「花を贈ったはずなのに、葉っぱになってる!」

「どういうこと?」


商売人が少数派の信仰をしている場合、普段は隠すことが多い。

信教の自由は憲法で認められているとはいえ

お客さんの誤解や偏見を招く恐れがあるからだ。

よって葬式が、カミングアウトの場になる。


会場が緑一色になろうと、カンオケのアツシが葉っぱにうもれようと

全然かまわない。

ヨシコが日頃主張するように、シキビは生花より高貴な植物かもしれないし

価格に変えたら同じようなものかもしれない。

が、この風習を知らない人にとって、葉っぱは花より安い印象がぬぐえない。

タヌキにだまされて木の葉のお金を握らされるに等しい

詐欺に遭ったような衝撃であるらしかった。


我々の属する建設業界は、葬式が派手だ。

生花がたくさん贈られるのは決定事項である。

この葉っぱ主義では、タヌキの木の葉的心境に陥る人数が多い。


一瞬の印象は、生涯影響する。

後でどんなに説明したってダメだ。

そもそも古風なこの業界で、説明のいる変わった葬式なんか

やっちゃいけないのだ。


我々はヨシコの改宗計画にあたり

最初で最後、そして最大のチャンスは

アツシ死亡の瞬間のみと踏んでいた。

いよいよその時を迎えて身構える我々。

が、親戚や近所の人々を前に、信仰のカミングアウトができなかったヨシコは

アツシの両親や兄弟を送った一般的な仏教で葬式を出すことに同意し

あっさり改宗。


改宗した浄土真宗は、たまたま私の実家と同じ宗派である。

祖母を小1、母親を小6で亡くした私には慣れ親しんだものだ。

しかしヨシコと娘にとっては何もかも初めての異教であり

女手はあてにならない。

細々とした道具やしきたり、お茶やお布施を出すタイミング、法要の流れ…

先輩ヅラをして、あれこれ世話を焼く。


こないだは遺影の裏から、ハンカチに包んだアツシの骨が出てきた。

火葬の時、骨壺に入りきらなかったのを惜しみ

母娘で持ち帰ったようだが、もう飽きたのだった。

カラカラと骨壺へ戻し、ギュッとフタをしたらバリバリと砕ける。


♩あ~ちらの骨と こ~ちらの骨を 合~わせ~てみよう~

カラカラッと素敵な音がする バリバリッと楽しい音がする 音がする♩

童謡「たのしいね」のフシでどうぞ。


女の子や女性ってだけじゃ、この役は無理ね…

やっぱオバサンでなきゃ…

私は一人そうつぶやく。

王様と私ならぬ、仏様と私。
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寅さん

2015年03月13日 09時47分17秒 | みりドラ
「男はつらいよ」

大好きな映画だ。

今のところBSで毎週土曜日の夜7時から放送されており

家族でこれを見るのがナラワシである。


子供の頃、寅さんみたいなファッションの人が私の町にもいた。

白か水色のダボシャツと腹巻の上に、いきなり背広。

もちろん袖は通さない。

金の指輪をはめ、やたら外股で

ジャラジャラと雪駄(せった)の音を立てながら

肩を揺らして歩いていたものだ。


幼児だった私が把握する彼のデータは少ない。

町の人々から「ニャンニャン」

というニックネームで呼ばれていたこと…

夜しか現れないこと…

小太りの中年だったこと…

奥さんのいない一人暮らしだったこと…

足が少し不自由だったこと…

好かれてはいないが、嫌われ者ではないこと…

凝視してはいけない対象として教育されていたが

子供の敵ではないこと…

その程度で、どこに住んで何をしている人なのかは知らなかった。

そしてニャンニャンは、いつの間にか町から消えた。


中学生くらいだったか

寅さんの映画をテレビで初めて見た時の印象は悪かった。

寅さんより先に、ニャンニャンの渡世人ファッションを見ていたため

私の頭には「良くない服装や態度」として記憶されていたからだ。

思春期特有の潔癖や正義感により

寅さんが周囲にかける心配や迷惑を見ては

「つらいよとこぼすより、ちゃんと就職したらいいじゃないか」

とイライラした。


が、年齢を経るにつれ、大人の事情もわかってくる。

戦後の混乱を経て高度成長期に突入したあの時代。

生活力の無い男性が安全に生きるための手段として

当時は渡世人、またはそれらしきを装うという選択肢も

有りだったのかも…などと寛大になっていった。


そしてやがて、多くの人がそうであるように

自分の中に寅さんを発見するようになる。

特に夫の浮気と嫁姑に嫌気がさして家を飛び出したり

結局舞い戻ったりして以後、共通意識は強まった。

動機に関係なく、やってることは同じであるから

眉をひそめて非難するわけにいかなくなったのだ。

こうなりゃもう、他人ごとではない。

寅さんの浮き草ぶりや風来坊を楽しめるようになった。


帰る場所があってこその旅暮らし。

迎えてくれる人がいての放浪。

フラリと帰って来て、いつまで滞在しても大丈夫という

確固たるホームベースが存在するから

寅さんは学習の無いままでいられ、その不器用が美しく際立つ。

本当の宿無しであれば、生きる知恵がつくのでこうはいかない。


寅さんのホームベースであるおいちゃんの家は、団子屋。

この背景の伏線に、私はいつも感嘆するのだ。

劇中の寅さんは素晴らしい。

妹のさくらも美しい。

寅さんを好きで詳しい方はたくさんおられようから

登場人物の賞賛はその方々にお任せするとして

私は背景について語らせていただきたいと思う。


おいちゃんの職業は食品製造販売の自営業だ。

店舗と自宅がくっついている。

商品は単価の低い消耗品で、ボロ儲けは難しいが日銭が入る。

建物が自社物件で家賃がいらず、毎日現金収入があるのは

商業上、大変有利である。

身内とアルバイト程度の人件費に加え

帝釈天の門前という立地条件や、高度成長期の時代背景をかんがみると

利益は十分出るはずだ。


利益が出ている店を自宅の住所で登記していると

家族で使う水道光熱費や電話代、新聞雑誌、洗剤などの雑貨

保険料その他…

生活費用の多くが事業経費でまかなえる。

団子に入れる砂糖は家族の食事の調理にも使われ

団子を作るガスが、家の風呂や料理で使うガスと同じボンベから届いても

店で出すサイダーやラムネが、家を訪れた来客にもふるまわれても

何らおとがめは無い。


そして「とらや」のお客は

店内のテーブルで団子を食べたりお茶を飲んでいる。

店内での飲食が許可されているからには

登記の際の商業目的に、菓子の製造販売だけでなく

軽食の提供も添えられているはずだ。

実際、壁に貼られたメニューにはトコロテンや茶がゆ

時におでんなんかがある。

ということは、軽食提供のための食材購入費も経費だ。

よって、店で出す食品と大きくかけ離れていない場合

家庭の食費も経費でまかなうことができる。


だから妹のさくらが遠くへ電話をかけても

寅さんが帰って来てごはんが一人分増えても

おいちゃんとおばちゃんはおおらかに笑っていられるのだ。

もしもおいちゃんがサラリーマンだったら

「どうやって追い出すか」がテーマになる。

家計を守るために鬼となるおいちゃんと

寅さんのご飯やお酒のおかわりに目を光らせるおばちゃんが出てきて

寅さんの巻き起こす騒動に泣き笑いするのは困難であろう。


つまり映画で存分に表現される温かい人情は

寅さん一人分ぐらいでは揺るがない「とらや」の経済事情という

伏線上に成立している。

おいちゃんとおばちゃんは、意外にもやり手なのだ。


やり手だからこそ、寅さんやさくらへの愛情を感じる。

彼ら兄妹の親代わりとして役目を果たすために団子を製造し、販売する…

それがおいちゃんとおばちゃんの自然であり、その自然は美しい。


私には、やり手と呼ばれ続けて実際には違った義父がいた。

世間や妻子の望むやり手のイメージを壊さないよう、渾身で見送った身には

家族を守るために流すおいちゃんとおばちゃんの汗と涙が

余計に心に沁みる。

深読みは、時に極上の感動をもたらすこともあるのだ。

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お葬式・発見の巻

2015年03月03日 12時58分57秒 | みりこんぐらし
葬式というのは、面白くてはいけない。

だから当然、面白くないものだ。

悲しみの感情や参列者への感謝を取り除くと

めんどくさい家族と親戚が残り、あとは気遣いばっかりである。

こんな時、いつも雰囲気に興奮して人をののしるおじいさんは

このたび亡くなった主役なので、その分だけ静かではあった。


葬式を楽しみたいとは思わない。

しかし今回は面白いことに気がついた。

親を介護して迎えた葬式というのは初めてだったが

弔問客からよくかけられた言葉は

「残されたお母さんに気をつけてあげてね」

「お母さんを頼むね」

目先の転換と申しましょうか…

お悔やみの後に続ける、ポピュラーな社交辞令である。


「はい、ありがとうございます」

その思いやりにコウベを垂れつつ

「そんなに心配なら、おまえが面倒見ろや…」

みりこんという意地の悪い嫁が

心でそう毒づいていることなど、誰も知りはしない。


この社交辞令を口にするのは、たいてい親の世話をしたことのない人々。

経験のある人は、それが慰めではなく

無責任な命令になるとわかっているので

言わないし、言えない。

死んだ方より残る方が、本当は誰よりも強いことや

共に暮らす家族が、先立った片方以上に

もう片方に心を砕いてきた壮絶を体験で知っているからだ。

これはなかなかの発見であった。



発見に触れたついでに、もう一つお話ししておこう。

通夜や葬儀には、大勢の人が訪れる。

皆がいっせいに同じ色の衣類を身につけることで

にじみ出てしまう各自の生活ぶりを想像する楽しみは

以前お話しした。

今回はその人々の中から

「ヤ」の付く職業の人を発見する簡単な方法をお話ししよう。


彼らは基本、数珠を使用してない時には

その数珠を喪服の胸ポケットに入れる。

そして胸ポケットの入り口から、数珠の房を二すじ垂らす。

垂らした房は、美しく整っていなければならない。

上等な数珠でなければ、美しく垂らすことはできない。

それがオキテである。

つまり数珠をこのように扱う人は現役か

または以前その職業に従事した経歴があるか

あるいは人にそう思われてもかまわない人ということになる。


私の住む瀬戸内沿岸は「ヤ」人口が比較的多い。

昭和の昔、港と彼らは

利権の面において浅からぬ関係にあったからだ。


ヤ人口の多さを物語るエピソードの一つとして

瀬戸内沿岸には、肝炎の人に接触しても感染しない

「抗体」を持つ人が多い、という事実がある。

その原因がイレズミ人口の多さに関係しているのは

医学的に明らかだ。


イレズミを入れる人が多かったので、針から針へ感染するうち

学校の予防接種で当時の子供に広まった。

昔の予防接種は、1本の注射針で3人ぐらい打つ

「回し打ち」が常識だったからだ。

いつかどこかで、抗体が生まれたらしい。

私も抗体を持っている。



つまり現役のみならず「元」や「流れをくむ」という種類も合わせると

この地方では目印を発見する機会に恵まれているといえよう。

だが、成果は関係ない。

ひそかに見回して目印発見ゲームを楽しむと

多少の暇つぶしになる。



さて今回は、お坊さんのスケジュールの都合で

葬式が午後の開始になった。

火葬を終えて初七日の法要と会食を済ませると、外はもう暗い。


帰宅した頃には7時半。

「疲れた」を連発する夫の尻をたたいて

その足で組長と両隣へ挨拶に行き

そのうち8時を回ったので、あとの家は翌日行くことにした。


その後、泊まっている親戚と談笑して眠りについた一家は

11時半、救急車の音で目覚める。

近所の人達がワラワラとうちに集まって来た。

みんな、葬式で疲れたヨシコが倒れたと思ったらしい。


救急車を呼んだのは、隣だった。

覚えておいでだろうか。

昨年、車で前の川にダイビングした92才のおじいちゃんを。

我ら一家が暮らすシルバーだらけのデンジャラ・ストリートで

一番の長老である。


さっきまで元気だったそのおじいちゃんが息をしていないことを

家族が発見した。

病院へ運ばれたものの、すでに亡くなっていたそうだ。


何でもありか!

デンジャラ・ストリート!

訃報を聞いて、ひそかにつぶやく私であった。

〈完〉
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