社員の佐藤君をご記憶だろうか。
現在50代半ばの彼は7〜8年前までの数年間、無職だった。
当時、同じダンプ乗りとして彼と顔見知りだった息子たちは
彼から就職の相談を受けてすぐに入社させた。
しかし彼には頭痛の持病があり、何度か仕事に穴を開けた。
入るまで誰も知らなかったが、本人が言うには突発性の頭痛で
いつ起こるかわからないのだそう。
ただ、何度か繰り返すうちに
行きたくない仕事先の時だけ、頭痛が起こることは把握した。
その仕事先とは、大変そうな難所。
それから仕事を転々として来た彼が
不義理をして辞めた会社と接触しそうな現場。
数年間の無職生活で、悪知恵が付いたのだと察する。
やがて3年前、佐藤君は本社の措置で別の支社に飛ばされた。
急な頭痛で休むことより、年に一度ある車検が原因だった。
彼は車検前と車検明けに有給を取り
通常3日か4日の車検休みを10日以上取る。
3ヶ月に一度の点検も、1日で済むところを
前後で有給を取り、1週間休む。
給料はこの業界には珍しく、月給制なので佐藤君は困らない。
職を転々とするうちに備わったずる賢さが
本社の逆鱗に触れたのだった。
ともあれ佐藤君が飛ばされた支社は扱う商品が違うので
乗る車の種類も運搬先もこちらとは別物。
そのため、昔の不義理相手に現場で出会う心配が無いからか
頭痛は発症せず順調だった。
けれども昨年の秋、こちらでは神田さんが退職して
オートマチックダンプの乗り手がいなくなった。
せっかく買ったダンプを放置して
上から怒られるのを恐れた永井営業部長と藤村は
12月に入って佐藤君を呼び戻した。
それ以来、彼の所属は支社のまま、こちらに出向している。
最初はシブシブだったが
馬力の面で劣るオートマチック車でやれる仕事は限定される。
楽な配達ばかりなので、本人は気に入った様子。
彼の好きな配達仕事…
その仕事では会いたくない人に遭遇する心配が無い…
以上の2点から、彼の頭痛は起きないのだった。
当時の佐藤君は、二度目の離婚をしたばかり。
若い頃に最初の離婚を経験した後
同窓会で再会したバツイチ子持ちの同級生と再婚し
相手の実家で生活するようになった。
舅や姑と暮らしながら何年も無職でいられたのは
二度目の奥さんが堅い職業だったのと
農家なので、やることがたくさんあったからだ。
やがて奥さんの娘が成長して結婚し
2人の間に生まれた娘も社会人になった。
そしたらいきなり離婚が訪れ、佐藤君は家を追い出された。
出向と離婚がほぼ同時に起こり
環境が激変した佐藤君を気遣った長男は
毎日、彼と二人で昼食に行った。
アパートを借りるよりは、と2百万の古家を買って
お金が無いとこぼす彼に、たびたび奢りもした。
独身の長男にできるのは、それくらいのことしか無いのだった。
…と、佐藤君の話を長々としたのは
この佐藤君が、藤村の手先になったからである。
夜勤明けの次男へ、藤村からの電話が止んだ翌日
佐藤君は真剣な表情で長男に言った。
「今度、藤村さんが配車をしなくなるじゃん。
松木さんは、それをマコト君(長男)にやらせる言うとるんよ。
でも気をつけた方がええよ。
チラッと聞いたんじゃけど、松木さんはマコト君に配車をやらせて
何かあったら責任を取らせて辞めさせるつもりじゃけん
引き受けたら危ないと思う。
あ、このことは黙っといてね」
佐藤君の口ぶりに藤村臭を感じた長男は
「あ、そうなん?」
で終了し、帰宅してから私に報告した。
「えらい!よう引っかからんかったね!」
私は長男を褒めちぎり
自分の行ってきた藤村講習が役に立ったことを嬉しく思った。
これは、藤村の罠だ。
その場にいない第三者の名前を出し
伝えられた者にとっては嬉しくないことを吹き込む…
この手口は、人間関係を悪化させるのに効率が良い。
本当に悪いのは、真偽が確かでない事柄を伝えた人間なのだが
言われた方はそれを忘れ、名前の出た第三者に注目してしまう。
自然にその人物を警戒するようになるし
それで2人の関係が悪くなれば良し、喧嘩に発展すればなお良し。
短気な長男が、いつものように腹を立て
「そんなら、わしゃ配車なんかやらん!」
なんて言ったら、まさに藤村の思うツボ。
「マコトに配車を任せるつもりでしたが、拒否されました。
当面は僕が続けて様子を見ます」
藤村は、本社にそう報告する。
これでOKが出れば、しめたもの。
会社組織、特に本社にとっての“当面”とは、無期限に等しい。
一度出されたOKが、なかなか覆らないのを藤村はよく知っている。
今まで、この手で食いつないで来たのだ。
あとは何が何でも居座って、大変だの忙しいだの言っていればいい。
できない営業をしなくてもいいし、癒着しているチャーターの会社から
リベートをもらい続けることができる。
こうして自分だけのために人間関係の糸を切り
揉ませるのは藤村の常套手段である。
藤村は、佐藤君にこう言ったはずだ。
「今までは俺が配車をしていたから
お前はオートマ車で楽な配達仕事ができた。
俺が配車をやらなくなったら、お前は別のダンプに移動させられて
現場仕事に行かされる。
いいか、俺がここに居られるように協力すれば
お前にはずっと楽な仕事をさせてやるし
いずれ昇進させて、マコトやヨシキより上にしてやる」
神田さんに言ったのと同じことを佐藤君に言って
彼の野心を刺激する。
藤村は、いつもワンパターンだ。
一方の佐藤君は、今やっている楽な配達仕事を続けたい。
藤村が配車から手を引いたら、嫌いな現場仕事に行かされるかもしれない。
マコト(長男)やヨシキ(次男)が配車をやるようになったら
自分は親しいだけに、嫌な現場でも断れない。
前もそうだった…。
配車権を手放したくない藤村と
今の楽な仕事を続けたい佐藤君の利害はここで一致。
藤村は苦手な長男に直接手を下さず
長男と親しい佐藤君を使うことにした。
佐藤君は、藤村に言われた通りを長男に伝える。
この役目は、小ずるい佐藤君にぴったりだ。
この経緯でおそらく、いや絶対に間違いない…
ゲス同士は、すぐくっつくものよ…
私は長男に説明した。
「一緒に昼ごはん、食べに行ったんよ?
それでも午後には変わるん?」
いきさつは理解したものの、長男は今ひとつ納得がいかない様子。
見た目は元気そうだが、内心は驚きと情けなさで凹んでいるのだろう。
「それがあんたの甘いところよ」
私は良い機会だと思い、彼に新しい教育を授けることにした。
《続く》
現在50代半ばの彼は7〜8年前までの数年間、無職だった。
当時、同じダンプ乗りとして彼と顔見知りだった息子たちは
彼から就職の相談を受けてすぐに入社させた。
しかし彼には頭痛の持病があり、何度か仕事に穴を開けた。
入るまで誰も知らなかったが、本人が言うには突発性の頭痛で
いつ起こるかわからないのだそう。
ただ、何度か繰り返すうちに
行きたくない仕事先の時だけ、頭痛が起こることは把握した。
その仕事先とは、大変そうな難所。
それから仕事を転々として来た彼が
不義理をして辞めた会社と接触しそうな現場。
数年間の無職生活で、悪知恵が付いたのだと察する。
やがて3年前、佐藤君は本社の措置で別の支社に飛ばされた。
急な頭痛で休むことより、年に一度ある車検が原因だった。
彼は車検前と車検明けに有給を取り
通常3日か4日の車検休みを10日以上取る。
3ヶ月に一度の点検も、1日で済むところを
前後で有給を取り、1週間休む。
給料はこの業界には珍しく、月給制なので佐藤君は困らない。
職を転々とするうちに備わったずる賢さが
本社の逆鱗に触れたのだった。
ともあれ佐藤君が飛ばされた支社は扱う商品が違うので
乗る車の種類も運搬先もこちらとは別物。
そのため、昔の不義理相手に現場で出会う心配が無いからか
頭痛は発症せず順調だった。
けれども昨年の秋、こちらでは神田さんが退職して
オートマチックダンプの乗り手がいなくなった。
せっかく買ったダンプを放置して
上から怒られるのを恐れた永井営業部長と藤村は
12月に入って佐藤君を呼び戻した。
それ以来、彼の所属は支社のまま、こちらに出向している。
最初はシブシブだったが
馬力の面で劣るオートマチック車でやれる仕事は限定される。
楽な配達ばかりなので、本人は気に入った様子。
彼の好きな配達仕事…
その仕事では会いたくない人に遭遇する心配が無い…
以上の2点から、彼の頭痛は起きないのだった。
当時の佐藤君は、二度目の離婚をしたばかり。
若い頃に最初の離婚を経験した後
同窓会で再会したバツイチ子持ちの同級生と再婚し
相手の実家で生活するようになった。
舅や姑と暮らしながら何年も無職でいられたのは
二度目の奥さんが堅い職業だったのと
農家なので、やることがたくさんあったからだ。
やがて奥さんの娘が成長して結婚し
2人の間に生まれた娘も社会人になった。
そしたらいきなり離婚が訪れ、佐藤君は家を追い出された。
出向と離婚がほぼ同時に起こり
環境が激変した佐藤君を気遣った長男は
毎日、彼と二人で昼食に行った。
アパートを借りるよりは、と2百万の古家を買って
お金が無いとこぼす彼に、たびたび奢りもした。
独身の長男にできるのは、それくらいのことしか無いのだった。
…と、佐藤君の話を長々としたのは
この佐藤君が、藤村の手先になったからである。
夜勤明けの次男へ、藤村からの電話が止んだ翌日
佐藤君は真剣な表情で長男に言った。
「今度、藤村さんが配車をしなくなるじゃん。
松木さんは、それをマコト君(長男)にやらせる言うとるんよ。
でも気をつけた方がええよ。
チラッと聞いたんじゃけど、松木さんはマコト君に配車をやらせて
何かあったら責任を取らせて辞めさせるつもりじゃけん
引き受けたら危ないと思う。
あ、このことは黙っといてね」
佐藤君の口ぶりに藤村臭を感じた長男は
「あ、そうなん?」
で終了し、帰宅してから私に報告した。
「えらい!よう引っかからんかったね!」
私は長男を褒めちぎり
自分の行ってきた藤村講習が役に立ったことを嬉しく思った。
これは、藤村の罠だ。
その場にいない第三者の名前を出し
伝えられた者にとっては嬉しくないことを吹き込む…
この手口は、人間関係を悪化させるのに効率が良い。
本当に悪いのは、真偽が確かでない事柄を伝えた人間なのだが
言われた方はそれを忘れ、名前の出た第三者に注目してしまう。
自然にその人物を警戒するようになるし
それで2人の関係が悪くなれば良し、喧嘩に発展すればなお良し。
短気な長男が、いつものように腹を立て
「そんなら、わしゃ配車なんかやらん!」
なんて言ったら、まさに藤村の思うツボ。
「マコトに配車を任せるつもりでしたが、拒否されました。
当面は僕が続けて様子を見ます」
藤村は、本社にそう報告する。
これでOKが出れば、しめたもの。
会社組織、特に本社にとっての“当面”とは、無期限に等しい。
一度出されたOKが、なかなか覆らないのを藤村はよく知っている。
今まで、この手で食いつないで来たのだ。
あとは何が何でも居座って、大変だの忙しいだの言っていればいい。
できない営業をしなくてもいいし、癒着しているチャーターの会社から
リベートをもらい続けることができる。
こうして自分だけのために人間関係の糸を切り
揉ませるのは藤村の常套手段である。
藤村は、佐藤君にこう言ったはずだ。
「今までは俺が配車をしていたから
お前はオートマ車で楽な配達仕事ができた。
俺が配車をやらなくなったら、お前は別のダンプに移動させられて
現場仕事に行かされる。
いいか、俺がここに居られるように協力すれば
お前にはずっと楽な仕事をさせてやるし
いずれ昇進させて、マコトやヨシキより上にしてやる」
神田さんに言ったのと同じことを佐藤君に言って
彼の野心を刺激する。
藤村は、いつもワンパターンだ。
一方の佐藤君は、今やっている楽な配達仕事を続けたい。
藤村が配車から手を引いたら、嫌いな現場仕事に行かされるかもしれない。
マコト(長男)やヨシキ(次男)が配車をやるようになったら
自分は親しいだけに、嫌な現場でも断れない。
前もそうだった…。
配車権を手放したくない藤村と
今の楽な仕事を続けたい佐藤君の利害はここで一致。
藤村は苦手な長男に直接手を下さず
長男と親しい佐藤君を使うことにした。
佐藤君は、藤村に言われた通りを長男に伝える。
この役目は、小ずるい佐藤君にぴったりだ。
この経緯でおそらく、いや絶対に間違いない…
ゲス同士は、すぐくっつくものよ…
私は長男に説明した。
「一緒に昼ごはん、食べに行ったんよ?
それでも午後には変わるん?」
いきさつは理解したものの、長男は今ひとつ納得がいかない様子。
見た目は元気そうだが、内心は驚きと情けなさで凹んでいるのだろう。
「それがあんたの甘いところよ」
私は良い機会だと思い、彼に新しい教育を授けることにした。
《続く》