殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

リターン

2020年07月31日 15時27分48秒 | みりこんぐらし
仲良し同級生5人で結成している、通称5人会。

「お婆ちゃんになっても、死ぬまで仲良くしようね」

ことあるごとに、そう誓い合っていたものの

メンバーの一人けいちゃんが

定年退職を機に東京へ引っ越すことになった。

あちらでアパートを借り、一人暮らしをしている37才の娘と合流して

老後を過ごすのだ。


年を取るにつれて、別れのつらさがこたえるようになる。

今月始めの引越し前夜に集まった我々は

けいちゃんの幸せを祈りつつも

彼女の抜けた老後に耐えられるかどうかを案じて

さめざめと涙にくれたものであった。


そして今、けいちゃんは東京で娘と二人、新生活を送っている…

と言いたいところだけど、違う。

彼女は少し前からこっちに帰っている。

荷物は東京の新居へ送ってしまったが

今まで住んでいたアパートは、まだ返してなかったので

寝起きに不自由は無い。


帰って来た理由は、娘との合流がうまくいかなかったため。

元々、精神的に繊細な娘は

コロナによる営業不振でパート先を解雇され、精神の不調に陥った。

そのためにけいちゃんは引越しを早めたのだが、裏目に出たようだ。


けいちゃんは、娘が次の仕事を探すなんて無理だと判断し

当分、自分の貯金で養うしかないと覚悟を決めて東京へ行った。

が、この娘、やる時はやるらしく、すぐに新しい仕事を見つけた。


早い回復に、けいちゃんはもちろん喜んだが

それもつかの間、娘の就職先は新居からひどく離れていることが判明。

田舎者の私なんて電車で2時間、乗り換え3回と聞いただけで

クラクラするじゃないか。


娘は、東京で母親と二人暮らしをしたくなくて

わざわざ遠い所を選んだのではないのか…?

あからさまな遠さは、その意思表示では…?

とまで思ってしまうが、都会の人は何ともないのだろうか。


とにかく娘が新しい仕事に慣れるまで、合流はお預けとなった。

それがいつになるかは娘次第、つまり未定だ。

東京の新居に一人で居ても仕方がないので

けいちゃんはこっちへ帰って来たのだった。


が、世間はコロナ真っ盛り。

東京帰りというのもあって、けいちゃんは誰にも会わず

アパートにこもっている。

すぐ近くに居るのに、会えない。


で、会いたいかといえば、これがさっぱり。

他のメンバーも異様なほど静かだ。

5人会のLINEは、けいちゃんから帰省の報告を受け

皆が「お帰り」と返信して以降、それっきり。

そろそろ2週間が過ぎて自粛期間も終わるが

誰も「会おう」とは言いださない。

私も薄情だが、あの子らもなかなかの冷たさじゃ。

涙にくれた、あの壮行会は何だったのだ。


しかし、こうなったのも無理はない気がする。

この3年ばかり、けいちゃんにとっての一大事が続いた。

長い介護のはてに相次いだ両親の死、兄との遺産争い

定年退職、引越し…

一人暮らしのけいちゃんには愚痴をこぼせる家族がおらず

相手かまわず話せる内容でもない。

そこで5人会に話すのは、ごく自然な成り行きであった。


我々はこの3年、集まるたびに話を聞いた。

聞くしかないのだ。

けいちゃんは最初から最後まで話し続け

別の話題に移ることを許さないからである。

そして我々もまた、黙って聞くのが友情だと信じた。


女子会よ、飲み食いよ、といそいそ集まっても

「うんうん」、「へ〜」しか口を開いた覚えがないが

今、一番つらいのはけいちゃんなんだ…

一人で頑張っているんだもん…

けいちゃんが楽になったら、またみんなでおしゃべりができるさ…

少なくとも私はそう思って耐えた。

が、最後までその日は来なかった。


そしてけいちゃんの引越しで泣き別れをした後

また振り出しに戻って、これをもう一回やれということになったら

冷酷な私はウンザリしてしまう。

ことに親の話は、どうでもいい。

彼女にとってはかけがえのない肉親なので

死なれてショックなのはわかるし

子供が年寄りになるまで長生きしたんだから、自慢も思い出もたくさんあろう。

しかし親に早く死なれた者は、よその親に興味が無いので

共感はできないのだ。

他のメンバーの気持ちは知らないし、知りたいとも思わないが

こうも静かなところをみると、おそらく似たような心境ではないだろうか。


「去る者、日々に疎し」とは言うけど

5人会に限って、それはあり得ないと思っていた。

「離ればなれになっても、私たちの絆は永遠よ!」

な〜んて乙女チックなことを言っていたのが遠い昔のように思える。

なにやら気恥ずかしい。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

骨博打

2020年07月19日 09時52分28秒 | みりこんぐらし
埋葬した骨のことが頻繁に出てくる記事ですので

怖がりのかたは、読むのを控えてくださいませ。





実家の墓じまいは、まだ継続している。

同級生の友人ユリちゃんの実家にある墓地に眠る五体の遺骨を

実家本来の菩提寺にできた納骨堂へ移す作業だ。


書類上の手続きは先月、どうにか済んで

市役所から移転の許可証が届いた。

で、許可証の次に必要なのは、太陽。

お墓の引越しは、晴れていなければできないのだ。


が、書類集めが難航するうちに、季節は巡って梅雨じゃんか。

しかも連日の大雨。

母も私も、それぞれ落ち着かない日々を過ごした。

母の方は、86才の自分がいつ、どうなるかわからないという理由で

1日も早く引越しを終えたいが、雨のために停滞して落ち着かない。

私の方は、そんな母からいつ出動命令が出るかわからないので

天気予報とにらめっこで落ち着かない。


気をもむ母に、「とりあえず、雨でもできることをしよう」と提案し

母は自分で決めていた町内の石材店に電話して

墓石を撤去してもらう予約を取ることになった。

提案した私は何もしない。


石材店に連絡した母は、ガックリした声で電話をしてきた。

「盆明けになるんだって…」

梅雨明けを待ったらお盆が近づき、墓参りの人が増えるため

工事がやりにくいというのが、石材店の老店主の主張。

一応の節目と定めたお盆までにケリをつけたかった母は

タイミングの悪さを嘆く。


「別の店に聞いてみる?

お盆までにやってくれる所があると思うよ?」

私はやんわりと水を向けてみた。

石材店なら何軒か知っている。

母が決めている店の店主は高齢で、やる気が無さそうだが

すぐやってくれる所が必ずあるはずだ。

ユリちゃんのご主人モクネン君も

「私がいつもお願いする石材店でよかったら、ご紹介しますよ」

と、母に言っていた。

が、母は町内の石材店にこだわる。

どうしても自分で決めたい様子なので、そっとしておいた。


数日後の17日、母から弾んだ声で電話があった。

「今度行く納骨堂の住職に相談したら

隣町の石材店を紹介してくれて、連絡したらすぐやると言ってくれた!」

お寺にはそれぞれ、タイアップしている石材店があるのだ。

納骨堂を買う最初の段階で、住職は母にそのことを言ったが

忘れているらしい。


決めた石材店の店主は、その日のうちに墓を見に来て見積もりを出すという。

そこで私も立ち会いとして母に呼ばれ、夫と一緒に墓地へ行ったら

店主と夫は知人だった。

母はこの偶然に驚いていたが、仕事上、何軒かの石材店とは懇意なので

我々にとっては珍しい現象ではない。

母が町内の石材店をあきらめたあかつきには、この人を紹介するつもりだった。


それより私が驚いたのは、お寺の境内にモクネン君が立っていたことだ。

この人、普段は遠くにある自分のお寺にいて

用のある時だけ、妻ユリちゃんの実家のお寺へ来る。

その日はちょうど、用のある日だったみたい。


モクネン君は墓地に来てくれた。

ちょうど石材店の店主が墓の構造を見るため

墓石を動かして骨壺を外へ出したところだったので

いっそこのまま納骨堂へ運ぼうかということになった。


遺骨が墓地を去る際は、墓地の住職の許可を得る必要がある。

法律で定められているわけではないが

アパートを出る時、大家さんに挨拶するようなもの。

大家だったモクネン君がそこに居るということは

引越しの挨拶がその場で済むということだ。

モクネン君の許可を得て、私が納骨堂へ電話をしたら

そっちでも受け入れOKの返事だったので

このまま引越すことにした。


墓から出した骨壺は、汚れて無残。

モクネン君の指導で、せっせと洗ったり拭いたりした。

虫の知らせというのはあるもので

私はこの時、5つの骨壺を運搬するのにピッタリの

プラスチック製のコンテナに、たくさんの雑巾と

白い新品のタオルを5枚詰めて、墓地へ持参していた。

難しいパズルがピシャリと合う瞬間があるように

難航していたことがピシャリと片付く瞬間はある。

特にあの世関係には、ある。


こうして見積もりの立ち会いだけのはずが

突然、遺骨の引越しになった。

石材店は帰り、我々は洗った骨壺を新しいタオルで包んでコンテナに入れ

見送るモクネン君と墓に別れを告げた。

ちなみに墓石の撤去費用は、25万円だそう。

この中には、撤去後の墓地を整地する費用も全て含まれている。

私はもうひとケタ高いと思っていたので、ちょっとびっくりした。


納骨堂は、同じ町内にある。

が、すぐに納骨はできない。

遺骨はたいてい水びたし。

数日、天日干しにして乾燥させたり、古い骨壺を新しいものに換えたりして

綺麗になければ、新居には入れない。

その作業は住職夫妻がしてくれるというので、ホッとした。

この作業が終わると、納骨式。

それでようやく、長引いた墓じまいは終了だ。

ブラボー!


が、安堵したのもつかの間

この時、私に重要な任務が回ってきた。

遺骨を干して新しい骨壺に納める際

どの骨が誰のものか、明確にしておきたいと住職は言う。


赤ちゃんの時に亡くなった叔母、京子ちゃんのは

小さい骨壺なのでわかるが、祖母、母、祖父、父のものは

はっきりしない。

骨壺に名前を書いてないので、どれが誰の骨やらわからないのだ。

その4人全員の死に立ち会っているのは、私だけ。

骨の主の決定は私にゆだねられた。

今どきは葬儀屋さんがネームプレートをくれるが

そうでない場合、骨壺には油性マジックで名前を書いておいた方がいい。

墓じまいだけでなく、災害で墓地が荒れた時に役立つことがある。


さて、骨を見極める作業に入った私だが

困った…わからん。

が、わからんでは済まされない雰囲気。

母は固唾を飲んで見守っているし

住職は、祖母と母の名前を書いたメモを手に

骨壺のフタをパカッと開けて待ち構えている。

ううっ…。


とはいえ、おおざっぱな推理は可能だ。

私が6才の時に亡くなった祖母と、11才の時に亡くなった母の骨壺は

祖父や父の白い壺と違ってデザインが古い。

漬物なんかを入れるベージュのカメの、小ぶりなやつみたいで

青い渦巻き模様が描いてある。

これが祖母と母のものだ。


じゃあ、どっちがどっちなんだということになるわいな。

祖母と母の死の間隔は5年、古さ加減では判断できんじゃないか。

プレッシャーを感じつつ、私は骨をのぞき込む。

片方は白くてバラバラ、片方は黒くてバラバラの骨だ。


思い返すと、癌で亡くなった母の骨は黒っぽかった。

薬をたくさん服用すると、焼いた骨は炭のように黒くなるのだ。

祖母は心臓が悪かったが、病院治療は受けていなかったからか

焼き上がった骨は白かった。

初めて人骨を見た小学1年の私は、骨より先に

まずその白さに震え上がったものだ。


「白い方が、お祖母ちゃんですっ!」

私はきっぱりと言った。

きっぱりと断言しなければ、いつまでも骨とにらめっこをする羽目になる。

長く見たって、あんまり気持ちのいいもんじゃない。

もう、ヤケじゃ!

博打でぃ!


次は、同じ白い骨壺の祖父と父。

片方は黒くてバラバラ、片方は白くてしっかりしている。

白い方は、丸く大きなひざ関節に見覚えがあった。

元気なまま、突然亡くなった父だということにする。

消去法により、バラバラが祖父ということになった。


骨の博打は終わり、我々は納骨堂をあとにした。

これが一番疲れた。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手抜き料理・寺編

2020年07月14日 08時53分15秒 | 手抜き料理
先日は同級生の友人ユリちゃんの嫁ぎ先であるお寺へ

昼ごはんを作りに行った。

ユリちゃんのお寺では月に何度か檀家さんが集まって

お経の後で会食をする行事があるのだ。


メンバーはいつもの5人組、マミちゃん、モンちゃん、私。

料理部門のリーダー、けいちゃんも一緒に行くはずだったが

予定が変わって先週、急きょ東京へ引っ越してしまった。

だから、ちょっと淋しい3人での道行きである。


その2日ほど前から、ユリちゃんは体調を崩していた。

「動けないから、迷惑かけると思うけどお願いします」

ユリちゃんはしきりに恐縮するが

動けようと動けまいと、彼女は料理を手伝わないため

我々には何の影響も無い。

それより心配なのは、馬車馬のように働くけいちゃんが

今回からいないことだ。


が、それは杞憂に終わる。

のんびりおっとりの癒し系で、口の悪い同級生男子からは

認知症と揶揄されて久しいマミちゃんが、ここで真の実力を発揮。

20人分のビーフシチューとポテトサラダ

ゴーヤの和え物を家で作って持ち込み、現地では春巻きを作る予定だという。


マミちゃん、当日はガリガリとすりおろして使う岩塩や黒コショウを持参し

ビーフシチューに添えるフランスパンまで

有名店で買って来るこだわりよう。

しかも、味はそれぞれ絶品。

さすが、趣味が食べ歩きと言うだけあって、料理のセンスがいい。

今までの彼女は、けいちゃんや私に遠慮していたのだと知った。

モンちゃんも、今回は張り切っている様子で

「洗い物は任せて!」

と頼もしい。


私は「マミちゃんを立てる」という理由のもと

出過ぎた真似はすまいと決め込んでいた。

それは建て前で、マミちゃんは春巻きを巻くために調理台を使うし

巻いた春巻きを揚げるのと、大鍋のビーフシチューをじっくり温め直すために

ガス台はほぼ占領されたまま昼を迎えるはず。

しろうとさんは自分の料理を完成させるのに一生懸命で

あとのことは考えられないものだ。

だから私は調理台を使わず、長時間の加熱も必要ない物を作るもんね。


この余裕にはワケがある。

今回は、隠し球を持っているのだ。

先週、長男が山陰で釣ってきた大量の剣先イカさ。

夏は剣先イカのシーズンである。


イカは味を落とさないよう、真水を当てずに塩水で下処理をして

冷凍保存してある。

カチンコチンをそのまま持って行けば

ユリちゃんの所へ向かう1時間のドライブで適度に解凍され始めるだろう。

他の食材の温度を保つための保冷剤にもなる。

着いたら塩水で本格的に解凍し、サッと煮るだけだ。


イカはいったん冷凍していても刺身ができる、しぶとい魚介。

イカ刺しが一番喜ばれるのは重々承知だが

お寺食は、全員が一斉に食べ始めるわけではない。

それぞれの役割によって時間のズレが生じるため

皆が食べ終わるまでの温度管理が面倒くさいじゃないか。

だから「季節柄、生ものは心配」というもっともな理由をつけ、自分の中で却下。

イカ刺しの次に喜ばれるのがイカ天というのも重々承知だが

油がはねるしガス台が汚れるので、やはり自分の中で却下。

で、煮るだけ。


『イカの煮物』

①大根を厚めの半月状のスライスにして鍋底に敷き詰め

大根がかぶる程度の酒と水で煮る

②その間にイカの胴体を輪切りにし、あんよもテキトーに切る

③大根が柔らかくなって水分が無くなったら、イカを投入し

たっぷりの砂糖と濃口しょうゆをドバドバ

④サッと煮立てたら、イカと大根だけを皿に盛り

鍋に残った汁をトロミが出るまで煮詰め、イカと大根の上にかける

以上。

イカを煮ると水分がたくさん出るので、そのまま皿に盛ったら味が薄い。

残り汁をギリギリまで煮詰めて

「後がけ」をするのがおいしく作るコツだ。



これほどの手抜き料理があろうか。

マミちゃんがビーフシチューとポテトサラダで“洋”

春巻きで“中”をカバーするなら、私はイカで“和”を表現するという

大義名分もできる。

我ながら、なんと卑怯なことだ。


こうして作った昼の会食。

ビーフシチューとイカの煮物は大好評で、気を良くする我々であった。

が、今回の我々は、前回までとは違う。

マミちゃんの運転でユリちゃんのお寺へ向かう道中

マミちゃん、モンちゃん、私は誓い合った。

「絶対に明るいうちに帰ろう!」


行けば引き留められ、晩ごはんも食べて帰ってと言われるが

晩を食べるということは、晩も作れということだ。

ユリちゃんにしたら、せっかく来たんだから旦那のモクネン君や

残っている檀家の晩ごはんもついでに作ってもらいたいと思うだろうが

それをやった後、片付けて帰ったら、家に着くのはいつも深夜。

この繰り返しでは疲れてしまい、苦になるので長続きしない…

心を鬼にして断わって帰りたい…

それがマミちゃんとモンちゃんの切実な主張で

私も密かにそう思っていたため、少々驚いた。


が、今回はユリちゃんが病気。

腰痛と腹痛で思うように動けず、食事も摂れないのを知りながら

夕食はパス…と背を向けるわけにはいかない。

そこで私は当日の朝作ったヒジキとベーコンと人参の炒め物と

トンカツ用の豚肉とスパゲティの乾麺、ニンニク、キャベツを持参した。

お昼を食べて少し休憩したら、チャチャッと晩ごはんを作って

何が何でも帰るのだ。


労働に慣れてないマミちゃんとモンちゃんは

昼の用意で気力体力を使い果たしていたので、夕食の支度は主に私がやる。

豚肉は塩こしょうをして小麦粉をまぶし

フライパンで両面を焼いたら、砂糖とケチャップを投入して絡める。

それをたんざくに切って千切りキャベツを添えると

なにやら洋食屋っぽい雰囲気が出るものだ。


それから昼に少し取っておいた生イカの輪切りと

昼のビーフシチューでトッピングに使ったズッキーニの薄切りを

ニンニクのスライスと一緒にオリーブオイルで炒め

塩こしょう、醤油少々で味付け。

それを茹でたスパゲティと和える。

なに?唐辛子も入れるんじゃないのかって?

七味で我慢しとけ!


そして昼に余ったごはんで焼きおにぎりを作り、手抜き料理の完成だ。

あとは持参したヒジキの炒め物と昼の残り物を並べれば

品数も増えて、そこそこ格好がついた。

所要時間、30分。


おいしいとか、まずいとか、気にする暇は無いわい。

お寺食の恐ろしいところは、テイクアウトをしたがる者が多いこと。

長年の習慣だから仕方ないんだろうけど

「家で待っている主人に…」

「今日、来られなかった誰それに…」

一人が言い出したら、我も我もと広間の押入れからパックを取り出し

それに詰めて持ち帰りたがる。

食中毒の見地から、持ち帰りはご遠慮ください…

なんて常識、ここでは通用しない。

だから持ち帰っても比較的安全な食品であることに加え

ふんだんな量が必要なのだ。


台所を片付けて、ユリちゃんとおしゃべりしていたら

時計は午後4時。

早過ぎるような気はするが、ここでグズグズすると

また夜になってしまう。

もう少し、居たいな…と思う時が去りどきだ。

引き留めるユリちゃんを振り切って、お寺を後にしたが

当日、翌日とも疲れが残らず、快適であった。


末尾に、お寺食のシステムをお話ししておこう。

基本、お寺の台所には米、砂糖、醤油、塩、こしょう、油しか無い。

それらは全て、お寺へのお供え物や贈答品で

あとは全部、料理をする者が用意することになっている。


食材を買ったレシートはユリちゃんに渡し

現金で精算してもらうことになっているが、全額を請求することは無い。

数千円か、多くても1万円以下でおさまるようにしている。

通常20人分、持ち帰りを含めるとそれ以上の人数に

まずまず喜ばれる水準の料理を出して、1万円で済むわけがない。

今回、マミちゃんが出したレシートは

ビーフシチューの牛バラ肉代5千円のみで、私は請求しなかった。


また、家で下ごしらえをしたり、作って持ち込んだり

レシートで精算できない物の方が圧倒的に多いのも確かで

つまり我々は、身銭を切って料理を作っているバカ集団である。

それを知りながら「感謝」、「深謝」、「合掌」で済ませる

ユリちゃんやお寺もどうかと思うのはともかく

我々がお寺食を作る際は、その身銭を切れる収入と

働ける健康を感謝する機会だと考えている。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デンジャラ・ストリート防災編

2020年07月10日 10時58分25秒 | みりこんぐらし
豪雨の報道に胸を痛める今日この頃です。

皆さまは大丈夫でしょうか?

一昨年、こちらで猛威をふるった豪雨が

今年は別の地方を襲ったと思うと他人事とは思えず

ニュースを見ていると涙が出ます。

心よりお見舞い申し上げます。



さて私の住む川沿いの通りは、後期高齢者だらけのシルバー・ストリート。

老人ならではの出来事がよく起きるので

私はこの一帯をデンジャラ・ストリートと呼んでいる。


先日はこの地方にも、大雨が降った。

一昨年の西日本豪雨で川の水が増え

多くの家が浸水したデンジャラ・ストリートには緊張感が漂った。


それでも今年は少し気が軽い。

一昨年の豪雨以後、土砂が堆積したまま放置されていた川に

この6月、やっと予算がおりて

業者が川底の砂を大々的に撤去したからだ。

工期は1ヶ月に及び、住民は激しい騒音や振動に悩まされながらも

耐え忍んだ。

そして工事は6月末に終わり、1週間後に今回の大雨。

「間に合って良かった」

住民は胸をなでおろすのだった。


が、夕方になって、自治会長から連絡があった。

「夜に満潮を迎えるので、一昨年よりも被害が大きくなりそうです。

川底は綺麗になりましたが、それ以上の増水が予想されます。

大事な物は二階に上げて、すぐ逃げられるように準備をしてください」

このことを我が家に連絡してきて、隣の家にも伝えろと言う。


それを聞いて震え上がり、泣きながら仏壇を拝む義母ヨシコ。

そこへ会社の用事で私に電話がかかる。

数字がからむ、込み入った内容なので長くなった。

「自治会長さんからの連絡を隣に言わないと…」

ヨシコがちょうど帰って来た長男に訴えたので

長男は私の携帯で隣の家に電話をかけた。


ヨシコは初めてのスマホで、おっかなびっくり話していたが

87才の隣のおばさんは一人暮らしなので、話し始めると長い。

普段、あまり人と話さないため、話す機会をつかむと

いつまでも話し続ける。

句読点や息継ぎが無いので、会話終了のきっかけがつかめないのだ。

その肺活量だか技術だかは、あっぱれと認めるが

つかまると長くなるから避けられるようになり

さらなる孤独へと陥る図式には気づかない。

それが老人というものだろう。


その日も例のごとく、おばさんの餌食となったヨシコだが

耳が遠いので聞き取りにくいため、スマホで話しながら

隣の家へ行ってしまった。

私は電話が終わり、家でヨシコとスマホの帰りを待つ。

が、なかなか帰って来ない。


私は雨の中へ持ち出されたスマホが心配になり

隣の家へ行ってみたら、二人は玄関で話し込んでいるではないか。

しかも直接会話しているのではない。

ヨシコはスマホで、隣のおばさんは家の電話で

向かい合って大真面目にしゃべっとる。

「そうなのよ〜、川がね〜」

「怖いね〜」


あんたらの方が怖いわ…と思いつつ

「直に話したら?」と言って、ヨシコからスマホを取り上げる。

「どうやって切るんか、わからんかったけん」

ヨシコは、大事な時に長電話をした私が悪いと言いたいらしい。


そして迎えた夜。

一昨年の教訓を生かし、食べる物をふんだんに作ったり

洗濯をできるだけしたり

亡きアツシ愛用の室内トイレを引っ張り出したりの準備をして寝る。

もちろん服を着て、靴も用意。

私だけ。

結果、川の水は大丈夫で

我がデンジャラ・ストリートはことなきを得たのだった。



ここからは余談になるが、敵は思わぬ所から現れた。

翌朝起きたら、家中が停電している。

道路の街灯は点いているので、どうも我が家だけらしい。

電力会社に電話したら、雨の中を市内の委託業者が来てくれた。

彼が言うには、電気温水器が漏電したために

安全装置が働いて停電したそうな。


うちの電気温水器は古く、部品はもう製造されてない。

以前から、次に壊れたら買い換えしかないと言われていたし

我々もそのつもりでいた。

けれども本当の問題は、温水器が設置されている場所だ。


昔、この温水器を設置した裏の納屋は、屋根があって乾燥していて

電気温水器を置くのにふさわしい場所だった。

しかし近年、この納屋のコンクリートの床は

雨が降るたびに水浸しとなり、ちょっとした小川といったあんばい。

もちろん温水器はコンクリート製の高めの台座に設置してあるが

水がその高さを越えてしまうようになった。


原因としては、それだけ雨がたくさん降るようになったという

自然の理由に加え、人工的な理由も存在する。

まず30年前、空き地だった所へ隣のおばさんの家が建ったが

盛り土をして、うちより1メートル以上高い土台にした。

それはけっこうなことだが、その行為によって湿気が多くなっただけでなく

山水の流れる進路が変わり、裏山からの水が我が家を目指す結果となった。

さらに裏の家や畑の持ち主が、それぞれ年老いてくると欲が出るのか

自分の土地を広げたい一心で、境界線にあった側溝を埋めてしまった。


そのため今や、うちの納屋は雨が降ると滝のように水が噴き出す

とってもみずみずしいスペース。

つまり電気温水器を設置するには危険な場所となり果てたので

たびたび漏電が起きるようになった。

今回の雨もひどかったので、漏電は必然であった。


新調したところで、また漏電、停電、修理の繰り返しになるのは目に見えている。

今の電気温水器は進化しているかもしれないが、基本、電気は水が苦手。

今回は比較的涼しい日だったので、エアコンが止まっても耐えられたが

そうでない日も必ずある。


それでも電気にこだわるとなると、別の場所にしなければならない。

古い家に新しい物を取り付けるとなると、厄介な大工事になるものだ。

お金も惜しいが、そうまでして成し遂げる気力そのものが私には出なかった。


義父母はひたすら旅行とゴルフと身を飾ることに血道をあげて

家には何のメンテナンスも施さなかった。

やがて義父の会社が倒産しそうになり

借金のカタに取られそうだったこの家を我々が買って

義父母の住まいを確保したはいいが

今になって壊れ始めた家のあちこちにお金をつぎ込む生活。

我々が修繕費用を出すまで騒ぎ続けて勝つ、ヨシコの手口に嫌気がさし

こんなばあさんと暮らすようになってしまったのも

一種の災害に思えてくる。

その点、私の防災意識は低かったといえよう。


で、ガスにした。

以前、電磁調理器が壊れた時、ガスコンロに変えたのと同じく

夫の友人に頼んだ。

電気温水器からの脱却ということで、すごく安くしてくれて

即設置、即解決。

ガス料金は高いというけど、納屋を建て直して電気温水器を買うのと比べたら

あまり大差は無いような気がする。

もう漏電が無いと思ってホッとしたからか

ガスで沸かした風呂の湯は、柔らかい気がした。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10年越しのランチ

2020年07月06日 12時53分56秒 | みりこんぐらし
大雨で九州地方は大変なことになっていますね。

皆様がお住まいの地方は大丈夫でしょうか?

どうか早めの避難を心がけ

くれぐれも気をつけてお過ごしください。



さて10年ほど前に知り合った、一つ年下の女性がいる。

知り合うも何も、彼女はヤクルトレディとして

うちへ飛び込みセールスに来たベッピンさんだ。

レベルとしては、市毛良枝さんあたりの古風で可愛い感じ。


美しいカナエさんとは、なぜか最初から気が合い

週に一度の配達日におしゃべりをするのが習慣になった。

「今度、一緒にランチに行きましょう」

2人はいつもそう言い合う。

が、独り身の彼女はヤクルトの他にも仕事を持っていたので忙しい。

私も入院中だった義父の弁当を作ったり

家に居る義母に夕飯を配達していたため

たまに古手の友人と遊ぶので精一杯。

新たな交友関係を結ぶ余裕が無かった。


やがて我々一家は、同じ町内にある夫の実家で生活するようになったが

彼女は以前から、その実家にも配達に来ていたので付き合いは続いた。

やはりランチに行こうと言い合うが、彼女は相変わらずのダブルワーク。

私のほうは病気の義父母の世話に加え

倒産が秒読みになった義父の会社のことでバタバタしていたため

いつか、いつかと言いながら実現しなかった。


そのうちにカナエさんは、我が家との微妙な縁を告白。

以前、義父の会社に勤めていたA君は離婚した亭主であること…

彼女の母親の実家は、義父の両親が住んでいた家の隣であること…

私と似た境遇で育ったこと…

意外だったので、驚いた。

やはり一度、ゆっくりランチにと言い合ったが

彼女も私も、玄関脇の居間で聞き耳を立てている義母に遠慮して

日程を決めるに至らないまま数年が経過。


そして去年、彼女はヤクルトを辞めた。

ヤクルトの商品と仕事を心から愛していたが

自分の車で配達をするヤクルトレディは自営業の扱いで

車の経費が全て自分持ちのため

昔よりガソリン代が高くなった今、収入は減るばかりだという。

年齢的にダブルワークがきつくなったこともあり

もう一つの仕事に専念することに決めたのだった。


彼女は退職を機に、私とLINEのやり取りをするようになった。

そこでもやっぱりランチの話が出て、とうとう一度、日取りを決めた。

しかしその前夜、彼女の孫が病気になり

急遽、県外に住む娘の所へ手伝いに行くことになったので

取りやめとなった。


それから約1年後の先日、やっとのことでランチを決行。

立案から10年。

長かった。


ランチは、カナエさんが迎えに来てくれて

彼女の行きたい店へ行くことになった。

「お洒落ではないけど、穴場です」

とだけ聞いているが、いったいどこへ連れて行ってくれるのか

言わないし聞きもしない。

生い立ちが似ているからか、どっちも方向性は違うものの

少々変わっているところがあるからか

姉妹のような、あうんの呼吸が私たちにはあった。


そして迎えた当日。

カナエさんの赤い軽自動車に乗り込んで、出発だ。

それにしても、カナエさんの私服を見たのは初めて。

甘口な顔立ちとは裏腹に、キャップとパンツはミリタリー調よ。

それでいて、胸の開いたTシャツからのぞく鎖骨が色っぽいわ。

ヤクルトのイモな制服姿しか知らなかったから

ファッショナブルでちょっと驚き。


小柄だからこそ、ボーイッシュで可愛いミリタリー…

細いからこそ、出現する鎖骨…

大柄な私には夢よ。

こんな格好したら私、兵士になってしまうわ。

ついでに言うけど私、毛皮を着たらマタギよ。


ペチャクチャしゃべりっぱなしで、走ること1時間。

車はひたすら山間部へ向かっている。

お洒落ではないけど穴場って、こんな山奥にあったかしらん。

テキトー人間の私も、さすがに聞いた。

「どこ行くん?」


そう言っていると、目的地に着いた。

野菜販売所以上、道の駅未満…

つまり地元の住民がやっている、食堂兼農産物売り場。

確かにお洒落ではない。

時節柄もあろうが、お昼どきでも閑散としている。

確かに穴場かも。


ヨレヨレのおばあちゃんが3人で運営する食堂は

自販機でチケットを買うスタイル。

カレーや麺類、カツ丼もあったが

私たちはこの施設の名前が付いた定食を選んだ。

880円也。

小さなちらし寿司、小さなサラダに鶏のから揚げ2個

小さなヒジキの煮付け、小さな野菜の天ぷら3個

キュウリのぬか漬けが2枚

そして大きな天ぷらうどんのセットだ。


安いのか高いのか、よくわからない。

おいしいのかどうかも、実はよくわからない。

ただ全てが手作りで、おばあちゃんたちの誠意を感じる。

一人暮らしの長いカナエさんにとっては、正真正銘の穴場だ。

手作りという誠意が栄養になり、満足感になると思われる。


帰り道、カナエさんは言った。

「この次に会う時、もしよかったら

◯◯市にある△△寺へ一緒に行ってもらえませんか?」

理由をたずねると

「昔、ある人に、あなたの守護霊は薬師如来(やくしにょらい)だと言われたんです。

で、△△寺は薬師如来をまつってあると聞いたんで

一回、行ってみたいと思ってて…。

こんなこと言ったら笑われるから、他の人には言えないけど

みりこんさんなら笑わないでしょ?」


え…笑おうと思ったんだけど、笑いにくいじゃん。

薬師如来なんて大物が、そこいらの凡人にくっつくわけがなかろう。

まぁ信じるのは勝手だし、こういう錯覚がきっかけになって

その後の人生の過ごし方が変わることだってある。

そしたら最初にわかるだろう。

人に、薬師如来が守護霊なんて簡単に言うヤツは

ロクなもんじゃないってことがよ。


私は言った。

「薬師如来のお寺なら、うちらの町内にあるで」

「えっ?」

カナエさんは驚いていた。

「そこのお寺の娘さんは、うちの旦那の同級生。

遠くの寺に憧れるより、まず足元からよ。

どうせ帰り道なんだから、今から寄ってみる?

その人の言ったことが本当なら、何か感じるものがあるんじゃないかね?」

「ぜひ!」


そして私たちは問題の寺へ行った。

薬師如来の仏像を前に、私は問う。

「ねえ、どう?何か感じる?」

「…いいえ、別に何も…」

「懐かしいとか、温かいとか、何かさ」

「全然…」

カナエさんは残念そうだった。


その後、家まで送ってもらい、楽しいランチは終了。

また、人の夢を打ち砕いてしまった。

反省している。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その後・2題

2020年07月04日 12時42分48秒 | みりこんぐらし
『亜鉛サプリ・その後』

実家の母が、食べ物の味がわからなくなったと言い出して

亜鉛がいいと聞き、なぜか私も飲み始めた。

そのお陰なのか、私の体調は良好。

母のほうは、めざましい改善は無いものの

多少は違うような気がするそうだ。


私は何だか、身体が正直になったような気がする。

疲れたら休む、眠くなったら寝る…

そういうことができるようになったのだ。


疲れたら休む、眠くなったら寝るって普通のことじゃないか…

たいていの人はそう思うだろうが、姑仕えをしている嫁は違う。

社会人と老人では、生活リズムが大きく異なる。

起床や食事からして数時間の差があり

これをカバーしていると、労働時間は自然に長くなるので

嫁は過労が基本だ。


各自が譲り合うように、ちゃんと話し合えばいい…

姑と暮らしたことの無い人は思うだろうが、一緒に生活したらわかる。

老女は気位が高い。

むしろ気位しか残っていない。

そして、まさか自分がワガママだとは夢にも思っていない。

年長者として尊重され、最優先されるのが当たり前と思っている。

これは直らない。

だから改善の見込みは無い。

無駄な努力に年月を費やすより、死ぬのを待つ方が早い。


ともあれ私はちょっと前まで、いかり肩をますますいからせ

「疲れてませんっ!元気ですとも!」

と自分を鼓舞し、気力で走り回っていた。

だが、亜鉛サプリを飲むようになってから

知らず知らず身体に力を入れていたのが、フッと抜けたような気がする。

それがおそらく、睡眠が深いということなのだろう。

自分は今まで、心と身体を騙していたのだと知った。


薬との飲み合わせや、体質に合う合わないがあるので

亜鉛サプリをお勧めするつもりは毛頭無いが

安いので、興味のある人は試してみるといい。

私は一つの物を長く摂取し続けるのが嫌だから

じきにやめるつもりでいる。



『けいちゃんの上京話・その後』

仲良し同級生5人で結成する5人会のメンバーけいちゃんは

失業保険の切れる9月に

37才の娘が暮らす東京へ引越すことになっていた。

残りのメンバーは、5人会が4人会になってしまう淋しさから

「9月なんて、まだまだ先」

「それまで、できるだけ集まろう」

「お別れのドライブに、お別れの食事会、お別れのお泊まり会…」

などと言い合って、あれこれと計画を立てるのだった。


ところが6月の末、5人会のLINEに、けいちゃんから突然別れの挨拶が…。

「急で申し訳ないんだけど、7月の始めに引っ越すことにしました。

今までありがとう」

皆、ぶったまげたのか、既読にはなっているものの

しばらく返信が無い。

私ももちろん、ぶったまげたが

その前日、けいちゃんは娘のことが心配だと私に話したので

別れが早まる予感はあった。

でも、こんなに早いとは思っていなかったのだ。


その昔、けいちゃんと私は同僚だったため

彼女の地味でおとなしい娘が、精神的にもろいのを知っている。

けいちゃんは20年前に離婚した時

高校生だった息子と娘を大阪のご主人の所へ残して

単身、広島の実家に帰った。

それから数年後、娘を引き取って暮らしていた時期があったが

引きこもりやリストカットの類いで、そりゃもう手を焼いていた。

だから私には、娘のことを包み隠さず話す。

東京で一人暮らしをするようになって約10年

時折、話を聞く限りでは元気になった様子だったので

ホッとしていたのだが、実際はそうでもなかったみたい。


けいちゃんの話によれば、10日前から娘と連絡が取れなくなった。

以前にもこういうことが何度かあったものの、今回は引越しが控えている。

連絡がつかないとなると、困ることがたくさんあった。


心配しながら5日待ったが、電話に出ず、LINEも既読にならない。

コロナに罹って孤独死しているかも…

そう思い始めたら居ても立っても居られなくなり、けいちゃんは東京へ飛んだ。


心配のあまり半泣きで娘のアパートに行ったら

娘はけいちゃんの顔を見るなり、「帰って」と言う。

けいちゃんの怒るまいことか。

「急に電話に出ぇへんようになったら、誰でも心配するわ!

あんた、ええ年して、そないなこともわからへんのか!」


でもね…けいちゃんは私に言うのだった。

「あの子、またおかしゅうなってんの、わかったから

あんまり責めずに話、聞いたんやわ」

ということで娘に話を聞くと、ひと月前に事務系のパートを解雇されたという。

理由はご多聞に漏れず、コロナによる営業不振。


この母娘は東京で新生活を始めるにあたり

家賃をけいちゃんの年金で支払い

生活費を娘の収入で賄う予定でいた。

しかし娘が無職になり、その予定は白紙になった。

急いで次の就職先を探す気概も、娘には無い。

つまり母娘が東京で暮らす意味は無くなり

娘は生まれ故郷の大阪へ帰りたくなった。

けれども上京を楽しみにする母親に、その気持ちを告げるのが怖くて

何事も無かったかのように調子を合わせていたら

具合が悪くなったのだった。


全容を知ったけいちゃんは、どうしたか。

娘を引っ張って不動産屋へ行った。

そしてネットで仮契約していた、2人で住むアパートをその場で借りた。

別れた旦那のいる大阪へ行く気は、さらさら無いからだ。

目の前で借りてしまえば、娘も諦めがついて

東京で仕事を探すだろうと考えたのである。


アパートを決めたけいちゃんは、その日のうちにこちらへ帰って来た。

不安定な娘の所へ1日も早く戻ってやりたい一心から

本格的に引越しの準備をするためである。

娘の方は、はたしてそれを歓迎しているかどうか

わかったもんじゃない…

私はそう思ったが、口に出したらぶっ飛ばされそうなので黙っていた。


ともあれ引越し作業の一環で、引越し業者に連絡すると

今なら破格の安値だという。

ただでさえシーズンオフのところをコロナで引越しが減り

特に関東方面は安くなるそうで

通常だと広島から東京まで40万円のところが14万円。

単身パックではない。

けいちゃんは大型の家具や電化製品を揃えているので

家族連れと同じ扱いだ。

けいちゃんは即決し、急な引越しの理由として

5人会のメンバーには、この金額のことを話した。


「親の家や墓もあるし、法事もあるし、たびたび帰って来るから」

けいちゃんは言うが、東京はコロナ第二波が懸念されており

たびたび往復できるかどうかわからない。

淋しいが、今は母娘の幸せを祈るしかない。


とりあえず近日中に、壮行会をする。

送別会と言ったら悲しいので、壮行会にした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする