殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

不倫児(ふりんじ)

2011年01月31日 22時37分06秒 | みりこんぐらし
フリンジといっても、プレスリーの袖で揺れていたやつではない。

昔いたお相撲さんはキリンジ。

人妻の不倫愛好家を、私はひそかに不倫児と呼ぶのだ。

深い意味は無い。

“児”はゴロ合わせだけど、幼いさまを表現。

響きがかわいいでしょ。


なにゆえ人妻限定か。

人の旦那とくっついたら、厄介なのは独身のほうである。

なにせヒマだもんで、そのことばっかり考えて

どんな行動に出るかわからない。

しかし、別れに向かって煮詰まる過程が似ており

観察対象としては、いまひとつ面白みに欠ける。


悲哀を込めて不倫児と呼べるのは、やはり既婚女性であろう。

いずれ口をぬぐって旦那や子供の元へ帰れる保険を持つからだ。

やれ旦那が冷たい、それ姑がきつい、生い立ちが、運命が…

万一に備えて、罪の軽減につなげようとする魂胆のあさましさは

なかなか見応えがある。


ただし困るのは、自作自演のスペシャルドラマの端役として

他人を勝手にキャスティングするところである。

お人好しを選んでは、相談だの話があるだのとまとわりつき

同性の時間を平気で盗む。

盗むのは、人の旦那だけにしてもらいたい。


話を聞く役は、端役なので本当は誰でもいい。

うわごとを気がすむまで聞いてくれて、適度な反応を示してくれれば満足。

独り言じゃパッとしないので、誰かに聞かせたいだけ。

こっちはなんだか、ゴミ箱になったような気分だ。

ヒロインだから、何をしても許されるらしい。


この話がまた、面白くないのなんのって!

端役をしてやってるんだから、せめて話術で楽しませてくれればいいものを

稚拙な話で、時間だけ長引かせる。

「愛してるんだって…キャッ」などと言われても、どうすりゃいいのさ。

こっちもキャッと言えばいいのだろうか。



さて先日、身近な不倫児の一人が混ざった同年代の四婆で

ドライブに出かけた。

噂の店を探したり、温泉に入ったり、気ままで小さな日帰りの旅だ。


誘ったわけではない。

仲間の1人から、このお出かけ話を耳にした不倫児は、来なきゃならんのだ。

時には彼氏に「あんただけ追っかけてるわけじゃないのよ」

というのを知らせたい。

男に「誰と行くの?」なんて聞かれて、妬かれたり束縛してもらいたい。

我々は、媚薬のダシなのさ。


こういう女はデートの時のみ、全力で万障繰り合わせるので

ザコとの外出時には、手落ちが多い。

彼氏とのやりとりに加え、家族や職場などのバックヤードから

連絡や問い合わせが頻繁だ。

わけありらしきストラップを自慢げにブラブラさせ

それについて、触れてもらいたがっているそぶりもいまいましい。

何が何でも気づかないフリをしたくなる。


不倫児は、いたずらに体力がある。

携帯でメールを打ち打ち、スタスタと歩く速さといったら!

競歩か。

元々体力がある上に、ヒマさえあれば、おデート…

行く先々で床運動…鍛え方が違うってもんだ。

万年運動不足の私なんぞ、こんなのにペースを合わせたら、倒れそう。


不倫児は、ミヤゲ物選びが長い。

携帯ストラップやキーホルダー、ライターなどのガラクタ…

いや、小物雑貨に異様な興味を示す。

彼氏へのミヤゲだ。

「ねえ、これどう思う?え~?誰のって~…ウフフ」

気味の悪い笑みを浮かべながら、人のいいのをつかまえて

さんざんつきあわせ、そこら中の売り物をつつき回す。

そのくせ人のすすめる物は買わん。


次に、子供へのミヤゲを物色。

「あの子はこういうのが好きだから…」

さも子供のことを思っているそぶりを見せたがる。

どんなミヤゲより、母親が身辺を浄めるほうが、よっぽど喜ぶと思う。


合間で、亭主を含む身内や、職場への菓子を一瞬で決める。

早々と大荷物だ。

普段、まっとうに暮らしていれば

ささやかな外出で、ミヤゲの心配などしなくてよいものを。


不倫児は、景色に感動しない。

「きれいね~」と、皆に一応合わせはするが

本当は景色なんか、ちゃんと見えてやしないのだ。

この世で最も美しいのは、自分のやってる特別な恋だと思い込んでいるから

他のものが、とりわけ心に沁みることが無い。


不倫児は、食事のセンスが無い。

ハンバーグ、トンカツ、ドリアに酢豚…何もこんな所へ来てまで

食べなくていいだろうというような、こってりしたものを食べたがる。

あれはダメ、これは嫌い…偏食が多く、旬のものや名物どころではない。


「あ、アタシ、生ものは苦手~」などと言う。

誰がおまえの言うとおりにするかい。

何が生ものは苦手じゃ…生々しいことは好きなくせに。

優しい!私は、強引にスシ屋へ入る。

大きな顔をして、ウナギのスシを食べる不倫児。


帰りに寄った温泉で、彼女の肉体を目の当たりにして絶句。

カタギの傷みようとは、あきらかに違う。

全体的に、黒ずんでいると言ったらいいのかしら。

細胞に元気が無いと言ったらいいのかしら。


偏見の目で見るのはよそう…

決して人の体のことなんか言えない身の上だもの…一応は私だって思う。

それでも表面に色々にじみ出るのは、男より女のほうが

若いより年増のほうが、顕著で早いのを実感せざるを得ない。


やってきたことは、年と共に、顔だけじゃなく体にも出るのねえ…。

受け身の恐怖を改めて確信する。

しかもお派手な下着で、痛々しさ倍増。

これを男に見せられる勇気を、賞賛しようではないか。

いや~、あっぱれ、あっぱれ。
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資生堂のチカラ

2011年01月27日 11時25分57秒 | みりこんぐらし
気がつけば、私の美(あるとすればの話だが…)のアイテムを

資生堂の商品が席巻し始めている。

断っておくが、私は資生堂の回し者ではない。


少女の頃は、資生堂の小冊子“花椿”を食い入るように何度も見た。

“ホネケーキ”と呼ばれる洗顔石鹸の、宝石めいた透明感に魅せられた。

秋川リサに憧れ、四季折々のコマーシャルソングをくちずさんでおきながら

化粧をする年齢になると、資生堂はむしろありきたりすぎて

使う気にならなかった。


そのうち私は、知人の始めた化粧品関係の店を手伝うようになり

資生堂はますます遠のく。

同時に、そこの家族が営む保険代理店の事務も手伝う。

1人分の給料で、いいように使われたとも言えるが

若い私には楽しかった。

特に美容の知識や技術を身に付けるのは、面白くてならなかった。


仕事で扱う商品の中には、製造工場を見学させてくれるメーカーもあった。

見学という名の接待で、はるばるのこのこ行ったこともある。

「NASAとうちにしか無い」という立派な機械も見せていただいた。


そこで私は、一人はぐれた。

見学順路を無視して、むやみに歩き回るうちに

図らずも、そのご自慢の機械の裏側へ出てしまった。

形があるのは見学順路のガワだけで、裏は空洞であった。

「なるほど、滅多に無いわい…」と、別の意味で感心したものだが

白日夢を見たということにしておこう。


それからほどなく、義母ヨシコが大腸癌になったのを期に退職した。

16年前のことであった。

美容と保険…同時に何年も関われば

人間男女の裏表は、毎日嫌でも目にする。

この時の経験が、下世話な今の私を構成する基礎となっている。


さて私は、子供の頃から、超のつく乾燥肌。

思春期に、ニキビで悩むことも無かった。

もしも美人であれば、今頃はしわくちゃになっていたであろう。

大きな瞳だと、開け閉めの可動範囲が広く

高い鼻だと、笑うたびに他の部位が引っ張られる。

これを半世紀も続ければ、無残な事態に陥っていたこと間違い無し。


しかし天は、我にささやかな幸運を与えたもう。

ツラの皮が厚いのと、凹凸を極力控えた地味な部品によって

自分ではまだ“無残”までは到達しておらず

せいぜい“残念”あたりだと思っている。


近年は製薬会社のみならず、食品会社など

畑違いの製造業が、化粧品業界に参入するようになった。

本業で培ったノウハウを化粧品に生かすと言えば聞こえはいいが

実際のところ、本業のほうが危ういのだろう。


様々使ってみたが、中には健闘していて、浸透力が格段に優れている物もある。

しかし、価格に見合う余韻が感じにくい。

理数はできるが、もののあわれや人情が理解不能な学生みたいな印象なのだ。

吸い込んだはいいけど、その後どうしてくれる?という気分。

使い続けているうちに、なんとかなるのかもしれないが

それを気長に待つ年月が、私にはもう、あまり無いような気がする。




写真は、現在の私に無くてはならぬもの3種である。

手前のブルーが、資生堂リバイタル・リフティングパクトという

パウダータイプのファンデーション。

出会いは突然やってきた。

義母ヨシコは、これを昔から使っていた。

去年、ヨシコと出かけた先で必要にかられ、一度だけ借りたのだ。

そのうるおい加減、なめらか加減、薄付きでありながらボロの隠れ加減に感動。

色々使ってきたが、これはダントツで私のランキング1位。


底が見えるようになっても、最後の最後まで綺麗に使える。

底が見えるようになった頃、メーカーの底力がわかるのだ。

割れにくさを追求すると、圧縮の方法や成分によっては

終わり頃に劣化してしまい、乗りが悪くなるものが多い。

四隅に残ったのをせっせとほじくるのも、興ざめな作業である。

これはいつまでもホロホロしっとり、開封時と変わらないコンディション。

さすが、女心を知り尽くしている。

ダテに長年、銀座で商売張ってないわい。


価格はレフィルで5千円と、私のような庶民には少々高めの設定だが

グラム数が多い。

しかも最後の一塗りまで、無駄なく美しい肌を演出できる実力をかんがみれば

むしろお徳用といえよう。

廃番にならないことを願う。


最近の売り場に並ぶ、色々なパウダーファンデーションのレフィルは

角が丸くなっているデザインが増えた。

買いやすい価格を実現するため、グラム数を減らしたのが目立たぬよう

長方形の角を削って、丸みを帯びたデザインにしてあるのかも…

流行だの傾向だのは、誰かの都合で作られている…

そんなことを考えながら買物をすると

人は楽しくないかもしれないが、私は楽しい。




真ん中の黄色いのは、資生堂エリクシール・シュペリエルというシリーズの

ナイトクリーム。

この基礎化粧品も先月、やはり乾燥肌のヨシコが

「口の周りがつっぱらないのよ!」と言って

シリーズを買いそろえたので、借りてみた。

我が砂漠、一瞬にて満たされり。


ファンデーションのことといい、私はヨシコを見くびっていた。

時はうつろい、姑と若い嫁だった我々の間柄は

いつの間にか、婆二人という関係に変わっていたのであった。

乾燥歴の長いヨシコは、良い物を知る先輩だったのだ。


店に走り、一式を買い込む。

香りは少々強めだが、量が多くて安いのにびっくりした。

ナイトクリームで5千円ちょっと。

化粧水やメイク落としは3千円台だったと思う。

美容液の類も、高価ではない。

今まで長年、砂漠との戦いに、手間ひまと大金を投じた半生は

いったい何だったのだ…腹まで立つ。


裕福な人や未来ある人、仕事柄大勢の視線を浴びる人は

存分に投資して磨けばよい。

しかし私のような、家でひっそりと終わりかけた女は

今さらこねくりまわしても、めざましい改善は望めないように思う。

乾燥の不快を克服したら、後はだましだまし余生を過ごすほうが

顔にも財布にも良策と考える。




後ろの赤いのが、資生堂ツバキウォーター。

髪の毛にシュッシュと吹くと、寝癖がすぐに落ち着き

ツヤが出て、いい感じ。

香りは、ちょっと懐かしさの漂う、オーソドックスなかぐわしさ。

うっとりしちゃう。

髪にもいいが、私は静電気防止の目的としても活用している。

外出する時、髪にシュッとやっておくと、ビリビリ!はまぬがれる。




これらを使いながら♪ようこ~そ~日本へ~♪

と歌う私を想像してもらいたい。

バカみたいだと思う。

しかしまさに♪ようこそ砂漠へ♪の心境なのだ。

巡り巡って、地道に誠実に研鑽を重ねた身近な存在に気づく…

ネズミの嫁入りみたいな気分よ。

ただし、今気に入っているというだけで

今後、心変わりをしないとは言えない。
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一泊旅行

2011年01月23日 21時08分50秒 | みりこんぐらし
仲良しの同級生で、一泊旅行。

ひたすら食い気の旅さ。




先発観光隊として、先に現地入りした女子ばかり数人で、お昼はフレンチ。

その後は散策しながら、お茶に次ぐお茶…おやつに次ぐおやつ。

お腹が忙しい。



夕方、男子と居酒屋で合流…地元のおいしいモンで宴会の後は

“デザート”のうどんを食べに、夜の町を徘徊。

ひなびた通りの雰囲気、好きだわん♪





夜は、その町に嫁いでいる同級生の家にお泊まりして

広間でおしゃべり三昧の夜明かし。



そこんちの玄関の天井には、こんなお駕籠がぶらさがってんの。

本物よ。

女物なんだって。

旅館もいいけど、今回はここに泊るほうが面白そうなので。


数日前、私はある出来事を思い出していた。

そこで、皆の前で発表する。

    「高校受験の時さ~、受験票を無くしたんさ~。

     1週間探しても出てこなかったもんで

     そのまま受験に行ったんだわ~」


「なんでっ!」「バカか!」「よく平気でいられたな!」

罵倒をものともせず、私は話し続ける。

    「高校に着いて、ユリちゃんのお父さんにさ~

     受験票が無いって言ったのよ~」

ユリちゃんのお父さんは、私達の中学の先生で

たまたま引率で来ていた。

その公立高校は、我々町内の子供の半数が行く、第一志望校である。

    「先生、50センチは飛び上がったね。

     そんで、すぐ高校の事務室に走って、許可証みたいな紙

     もらって来てくれたんよ~」


受験の一週間前、私は学校で受け取った受験票を

机の横にぶら下げた手提げカバンの外ポケットに入れた。

確かに入れたのだ。

しかし帰りに見た時、受験票は無くなったいた。


誰かの他愛のない故意が働いているのは、わかっていた。

騒いだらどこからか出てくるのも、直感的にわかっていた。

私が人の恨みを買いやすい、問題のある性格だったと言えなくもないが

ま、そんな油断のできない中学であったということにしてもらいたい。

泣いたりわめいたりするのを、じっと待たれているのがシャクだったので

誰にも言わなかった。

つくづく思うが、私はバカだ。


先生は、10年ほど前に亡くなっている。

遠くに住んでいて滅多に会えないユリちゃんに

これだけは言っておきたかった。

    「私が高校に行けたのはね~、ユリパパのお陰なの~」

先生は「大丈夫だからね」と優しく言い

注意めいたことを一切言わなかった。

こっちが平気なのが、申し訳ないような気持ちだった。


当時、同じ日に同じ高校を受験したユリちゃんは

今までこのことをまったく知らなかった。

先生は、教え子のミスを娘に黙っていたのだ。

そのプロ意識に感動。

ユリちゃんも私も皆も、泣きながら大笑いした。


翌日、土産を物色した現地の商店街で、半額のブーツを買い

「どこまでもみりこん…」と、あきれられる。



だって、気に入ったんだも~ん。
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浮気封じ

2011年01月18日 11時59分29秒 | 前向き論
久しぶりの検索キーワード。

『浮気封じのご祈祷を氏神様でやってもらっていいか』

よしなさい、よしなさい。

浮気を封じてくれる氏神様なんて、いませんよ。

八百屋に車を買いに行くようなもん。

お門違いは、神をも恐れぬ行為です。


できると豪語する神社があったら、そこはもう神様でなく

別のモノの住み家になっていますから、近付かないほうが身のためです。

触らぬ神に祟りなし…というのは、そういうのを言うんでしょうね。


まあ、神社にも生活がありますし、悩める人に帰れとも言えません。

ちょっと遠回しになって、縁切りの祈祷を

してくれる所があるかもしれませんが、気休めです。

神様にお願いして浮気が直るなら、私が真っ先にやってます。

神様は、そんなお仕事しないですよ。


できると言う宗教や拝み屋さんの類はあるかもしれませんが

それもマユツバです。

洗脳されて、寄付や布教に忙しくなるので

浮気を気に病むどころではなく、当面の悩みは解消されるかもしれません。


浮気ありーの、借金ありーの、病気ありーの、死ありーの…

どうにもならない現実を、泣き笑いして必死に営みながら

目に見えないものを畏(おそ)れ敬う心を持ち続け、感謝する。

そこに魂の成長があるわけです。

神仏は、その拠(よ)り所じゃないでしょうかね。


「浮気封じ一丁!」と、料金さえ払えば個人のリクエストに応えてくれるなら

浮気相手がもっと高いお金出して、縁結びをお願いしたらどうなりますか。

そうなりゃもう、便利屋同士の呪い合い。

バチ当たりますよ。


封じるなんてのが、そもそも間違い。

無かったことにしたがるから、封じたくなります。

毒はしっかり出したほうがいいです。


食中毒が悪化するケースは、下痢止めを飲んでいることが多いです。

出る時はしっかり出させる。

途中でやめろったって、止まりませんよ。

どこかでモレちゃう。

何もかも出して、いったん抜け殻になったほうが

軽くなって扱いやすいです。


とはいえ、封じたい気持ちもわかりますよ。

この先、どうなるかわからないのが恐くて、途中でストップしたい。

今止めたら、浮気前に後戻りできると錯覚してしまうんです。

早ければ早いほど、すんなり戻れると思い込んでる。

心配しなくても、絶対に戻れませんから。


初めて乗る電車、初めて通る道、初めて行く町…知らないから恐いだけです。

どうなるもこうなるも、行き先は継続町か、離別町。

どっちに着いても、住めば都。

止まらない電車を止めようと躍起になるより

恐れずに、旅を楽しんでください。

今までに見たことのない、素晴らしい景色が眺められることでしょう。


『首が痛い 肩が痛い 恨み』

使い痛みや筋肉痛、ケガや病気など、他の原因でない場合

人を恨んでるとね、あちこち痛くなりますよ。

事故や犯罪などの深刻なケースは別として

恨んだり恨まれたりが気になるのは

たいてい身近な人間関係で悩む人です。


「人が悪い」と決めて、恨みの念を持つと

心が凝り固まってきます。

心が凝ると、体も自然に凝ってきます。

長くその状態でいると、本当に病気になっちゃいますよ。


体は、自分の心をよく知っています。

涙ひと粒にしたって、そうです。

成分が変わるのか、自分の味覚が変わるのかは知りませんけど

純粋に悲しくて流した涙は、単純に塩辛いサッパリ風味。

「憎い、恨めしい」で流した涙の味は、苦みがあります。

雑味が出て、血の味に近くなるんですね。

血の涙を流す…なんて言いますけど、例えばかりじゃないかも。

感情と、体中を駆け巡る血液は、まんざら無関係ではなさそうです。


昔の絵で「うらめしや…」と恐ろしい顔をしている幽霊は、たいてい足が無い。

もう死んじゃって、肉体も血液も無いので、感情だけが駆け巡る。

恨みの念によって、霊体…つまり魂が末端から溶けていくことを

描いた人は、実際に見たか、感知したかで

知っていたのかもしれませんね。


現代は身分制度も関所も刀も無くなり

法的手段や情報、仕事や娯楽の種類も豊富になったので

魂を溶かしてまで、恨まにゃやってられないわ!…なんてことは減りました

どこへでも行けて、何だってできる自由という武器があるんですから

頭だけイニシエのまんまじゃ、幽霊に笑われますよ。

元気出してください。
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牛窓白菜

2011年01月15日 08時58分37秒 | みりこんぐらし
スーパーの買物を入れて帰った段ボール箱。

牛窓(うしまど)という町で採れた、白菜が入っていたらしい。

牛が窓からのぞいてんの。

このおとぼけ感!

しびれるわ~。




横顔。






後ろ姿。



後ろはシッポにしてくれやっ!




箱の選者は夫。

この箱を選んだのは偶然かと聞くと

「喜ぶと思って…」

はい、喜びました。
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電話日

2011年01月13日 10時53分27秒 | みりこんぐらし


先日は、一日中電話をしていた。

同級生で行く一泊旅行が近付いたため、そろそろ参加者の最終確認や

スケジュールを詰めなければならない。

男子のほうの連絡は、言い出しっぺの祐太朗が受け持つことになっている。


    「男子のほうの連絡、頼むね~」

と電話すると

「すまん!オレ今、上海(シャンハイ)。

 しばらく帰れそうにないから頼むわ」

祐太朗は、とある企業の社長。

去年パパから引き継いだばかりで、何かと多忙なのだ。


   「当日は大丈夫なんだろうね!」

「それまでには帰れる」

ということで、男子も私が連絡することになる。

が、横着者の私であるから、モトジメに電話して丸投げをたくらむ。

しかし、モトジメは息子の大学受験が控えており

自分だけチャラチャラしていたら、今後の人生が危ういそうで

今回の旅行は、欠席すると言う。


しかたなく全員…といっても10人余りだが、電話する羽目になる。

それでも留守だったり、後で思いついたけどあれはどうなってるだの

泊まらずに宴会だけでもいいのかだの

携帯と家電に次々と連絡があり、私は十何年ぶりかで

忙しかったOL時代を思い出す。


合間で、やはり同級生のなっちゃんが、別件でたびたび電話してくる。

なっちゃん一家は、とあるプロスポーツチームの大ファン。


唐突だが、義母ヨシコの通う眼科のミドリ先生も、そのチームの大ファン。

ミドリ先生は毎年、正月明けに餅つきのイベントをする。

そこへチームの選手を数人、はるばる招待するのが恒例になっている。


ヨシコはこのスポーツにも選手にも、まったく興味は無いが

毎年、餅つきに助っ人で行く。

餅をつく者と食べる者はたくさんいるけど

つきあがった餅を小分けにする者がいないのだ。

あれは熱いし粘るしで、熟練した年寄りしかできない。

近頃は家庭用の餅切り機も出ているそうだが、それでは味気ないと

ミドリ先生は言う。


こないだ、なっちゃんに会った時、餅つきの話をしたら

ぜひ行きたい、なんとかしてくれと言う。

そこでヨシコに頼み、なっちゃん一家をもぐりこませてもらうことにした。

この日は、その当日なのであった。


ヨシコとなっちゃんは初めて会うので、ヨシコの特徴を説明する。

    「目鼻立ちのはっきりした婆さんがいない?

     茶髪で、たぶん派手な色の服着てる…」

「何人かお婆ちゃんはいるけど、みんなそう見える…」

派手なのは我が姑だけと思っていたが、近頃の年寄りは皆、派手らしい。


やがて、ヨシコとなっちゃんは無事合流できた。

こういう時、ヨシコは気さくなので、助かる。

友達を預けても安心だ。


ホッとしていると、今度はなっちゃん、大興奮で電話してくる。

「すんごい豪華メンバーよ!○○も来てるし、○○も、○○も!」

選手の名前を言われても、私も興味が無いので全然わからん。


また旅行関連の電話をかけたり、かかったりが夜まで続き

合間でなっちゃんから、興奮とお礼を伝える電話が2回。

さすがに口がくたびれ、ぐったりする。


そこへ、Kのヤツからメールだ。

なんだか大きな勘違いをしている、遠方在住の同級生である。

詳しくは右のカテゴリー“異星人”を見てちょ。

“Kです。アドレス変えたのでよろしく!”だとよ。


何がよろしくだ…こいつの魂胆はわかっている。

年末の宴会からこっち、すべてを無視しているので、別の作戦に出たのだ。

前にもやった。

アドレスには、いつもヤツの姓名が入っているので

登録していなくてもわかるのだ。

変えては元に戻し…を繰り返している。


しばらく時間を置いて、今度は他人と間違えたフリのメールが来る。

“久しぶりのヨッコからのメール、なつかしかったよ。

 やっぱりオレ、お前のことが忘れられないんだなあと思った”


この手も、前に使いやがった。

前はナニコだったか忘れたが、やはり古くさい名前だったと思う。

いまどき“ヨッコ”なんて呼ばれる女がいるものか。

アドレス変えたばっかりなのに、久しぶりの“ヨッコ”から

メールがあるわきゃ~ねえじゃねえか。

小学生だって、こんなことはしない。

古い!昭和!幼稚!

そしてその手で引っかかるだろうと思われ

ナメられている我が身が腹立たしい。


ほどなくまたメール。

“ごめん、ごめん、他の女と間違えちゃったよ!(^_^;)”

もう、書いてるだけで、こっちが恥ずかしいわい。


どっと疲れたので、寝ようと思った深夜、また携帯に電話。

Kかと思いきや、ゲゲゲのゲ…これはKよりも避けたい人物。

一つ下の妹の旦那…つまり義弟のシュンであった。

トドメがこれかよ…。


シュンは、酔うとしつこい。

近くに住んでいても滅多に会わないが

年に2~3度、酔ってひょっこり電話してくる。

わたしゃ、酔っぱらいが大嫌いなんじゃ。

これまでは妹のためと思って、我慢していたが

今年から、こいつも無視じゃ。


携帯はしばらく、スタイリスティックスの「愛がすべて」を奏でていた。

そうよ…キムタクが出ていたギャツビーのCMの歌よ。

放置する場合、好ましいミュージックに限る。

(ちなみにメール着信は、従姉妹とおソロにして「アメージング・グレース」)

それを聞きながら「ああ、キムタク…」とつぶやいて、私は眠りについた。
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組長・10

2011年01月09日 12時20分19秒 | 組長
隣組の組長の任期を終えて、この3月末で、はや1年になる。

次の役員の人達も、つつがなく仕事をこなしている。

とても平和な日々だ。

この最終平和が、どのようしてもたらされたかを書き留めておこうと思う。


あれは、長引く残暑に草木も人も、じっと耐えていた頃の夕暮れであった。

けたたましいサイレンを鳴らして、パトカーが2台、近くへ停まった。

物見高い私のことである。

ちょうど、両親の家に行こうと外へ出た時だったので

走って見に行ったのは言うまでもない。


そこで私の目に飛び込んだのは…

日本刀を持った、見知らぬ男であった。

40代半ば、がっしりした体つきのおっさんだ。


刀は抜いてない。

最初は木刀と思ったのだが、先が細くなっておらず

手元に黒っぽいツバもついていて、白木のサヤに収まっていた。

真剣ではなく、みやげ物に毛が生えた程度のしろものだと察する。


そして、そのそばにいるのは…Sじじい。

休めの姿勢で平静を装い、しきりに日本刀男を説得しているが

その足元は裸足であった。

男に追いかけられ、裸足で外へ逃げて来たのだ。


そこへ警官が数人、忍び寄る。

サスマタも持ってる。

サスマタは、悪い人を壁際に追い込んで、ウエストあたりを押さえつけ

身動きできなくする器具だ。

持ち方は、虫取りの網を持つ感じ。

初めてちゃんと見た。

感動。


何年か前、組員が覚醒剤で暴れ出した場面に出くわしたことがあった。

その時、警官が持っていたのは警棒であった。

いまどきの警棒は、コンパクトになっていて

必要時には、シャーッと3倍ぐらいに伸びる。

それを目撃した時以来の感動である。


日本刀男は、すでにおとなしくなっており

サスマタを使用されることなく、パトカーで連行されてしまった。

ちょっと残念。

使うところを見てみたかった。

男も男だ。

せっかく刀を持っているのに、バッサリやらないなんて。


どうしてこんなことになっちゃったのか…

物見高い私としては、ぜひとも知りたいところよ。


「許せん、謝れ!って叫んでたわよ…」

「Sじじいのほうは、泣きそうな顔して

 そんなつもりで言ったんじゃない~!とか言ってたよ…」

いくつかの証言を総合すると、酒の上での口喧嘩が元らしい。

怒った男は、後日あらためて日本刀を持参の上

Sじじいの家を訪問したのだった。


Sじじい、以前はよく、暴力を振るう息子から逃れるために

外をウロウロしていた。

その息子もいつの間にかいなくなり、自宅で酒盛りをするようになったのだ。

今や近所の者は、誰も寄りつかないので

その男とつるむようになったと思われる。


酒が好きで、子供の頃はパシリだったであろうその男…

いかにもSじじいと同類の雰囲気である。

口喧嘩はいつも、双方の食い違いから始まるけど

本格的な喧嘩に発展してしまうのは、どっちも似たようなもんだからだ。


夜になって、こっそり交番へ見に行った。

事件から3時間も経つのに、本署へ行かずにしぼられている。

刀がチャチなもんで、銃刀法違反にならなかったのか

説諭の上、釈放の路線らしい。


奧さんらしき女性が、きょとんとした表情で横に座っているのが

交番の窓から見える。

まるまると太って、赤いリボンのカチューシャをしている。

男よりかなり年下だが、娘には見えない。

嫁の来手が無くて、ずいぶん年を取ってから

ちょいと浮世離れした若いのをもらう。

Sじじいのところと同じケースだ。

どこまでも、似た者同士であった。


あれから数ヶ月、Sじじいの姿を見かけることもまれになった。

醜いものを目にしなくてすむのは、快適である。


この一件は「…らしい」の憶測が多いので、書かずに葬るつもりであった。

しかし、この正月。

日付が変わって、新年を迎えた12時過ぎのことである。

よせばいいのに、ふらりと近くのコンビニへ出かけた夫。

じっとしていられないタイプなのだ。


帰って来て、残念そうに言う。

「年が明けて、最初にSじじいに会ってしまった…」

入り口でバッタリ出くわし、無言ですれ違ったそうだ。

「考えることが同じだったのが、なさけない」

夫は、とても悔しそうであった。

向こうもそう思っているかもしれない。

そこが面白かったので、書いた。
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紅白

2011年01月04日 15時19分37秒 | みりこんぐらし
            「今日見かけた、なんだかお派手なお船…ま、宝船ってことで」


あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いします。


NHKの紅白歌合戦。

以前は本当に楽しみであった。

生きるのがつらかった頃、紅白こそ我が希望のトモシビであった。


「来年は笑って暮らしたい」が、毎年の念願だった私にとって

紅白歌合戦は、厳しい今年に別れを告げる華やかな儀式だった。

蛍の光の合唱で紅白が終わると、画面は“行く年来る年”に切り替わり

遠く知らない町のお寺の鐘がゴ~ンと鳴る。

忌まわしき今年をようよう見送った安堵と、来年への期待で

ワッと泣きだしたいような気分になったものだ。


いい年でありますように…誰でも漠然とそう願う。

そして願ったことなど忘れて、日常を送る。

けれども私の“いい”は細かい。

「どうか夫がマトモになりますように。

 それからあの、できたら夫の家族からきついことを言われませんように。

 あ、そんで、もし可能だったら、夫の親戚から攻撃されませんように。

 仲良くとか、優しくしてとか、大きな望みは持ちません…

 ただ母子3人、そっとしておいて欲しいんですぅ」


私は、願いが聞き届けられるかどうかを

毎年どころか、毎日検証し続けた。

自分が笑うも泣くも、人の言動次第と思っていた。

回りの人さえちゃんとしてくれれば、自分は幸せになれると思い込んでいた。


直接頼んだところで「じゃあ気をつけます」なんて言わないだろうから

天なのか神仏なのか、とにかくそういう所へ遠回しにお願いする。

このココロネで幾年月…

思惑通りの年は、待てど暮らせど、いっこうにやってこなかった。


そうやってついぞ数年前まで、私にとっての「いい年」を待ち焦がれた。

たったこれだけの謙虚な願いが、なぜ叶わないのかと

何年も、何十年も、歯がゆく腹立たしかった。


この状況は、数年前、夫の祖母の死によって激変した。

100才を越えた彼女の死で、まず消滅したのが

義父アツシのきょうだいと、その子供達で構成された血の結束であった。


祖母のあらぬ遺産を巡って、骨肉の争いが生じ

離婚して離れた者まで現われて、おこぼれにありつく権利を主張した。

祖母の葬儀の直後、アツシが娘の次にかわいがっていた姪達は

「財産があるはず」とアツシに詰め寄った。

祖母が老人ホームに入ってから20年近く

祖母の小さな古家に住みついていた未亡人の叔母にも

過去にさかのぼって使用料を要求した。


月に数万の年金で、月に17万必要な老人ホームに入り

100年生きたらどういうことになるかは、誰でもわかろう。

長兄が早く亡くなったため、ずっと次男であるアツシが援助していたのだ。

遺産分けどころか、持ち出しの分を割り勘にして欲しいくらいだ…

とアツシはぼやいていた。


血の結束は、その時点でバラけた。

良くも悪くも結束バンドの役割りをしていた伯母は

その数ヶ月前に他界していたので、修復する者はいなかった。

出せと言われた者は、一人でも多くの味方を欲して

急に私を仲間に入れたがった。

出せと言った者は、遺産が無いとわかると、まったく寄りつかなくなった。

居心地の良い日々は、そこから始まった。


“はからい”は、忘れた頃に絶妙なタイミングで

まず遠い所から徐々に執行される。

この法則めいたものに気づいた最初の出来事であった。


私は多分、早くから入り口の前まで来ていたと思う。

その扉の前で、ずっと足踏みしていたのだ。

近くて手が届きそうだからこそ、いら立ちも倍増だったのではないかと思う。


扉を開けるには「すべて自分次第」という呪文が必要だった。

いい年になればいいなあ…じゃなくて

自分でいい年にするんだ!という気迫が足りなかったのだ。


そりゃ生きていれば嫌なことはあるし、時には災難もふりかかる。

しかし「ああ、また…どこまで私を苦しめれば気がすむの?」と

いちいち立ち止まって苦悶する時間が惜しい。

全力で走って、せいせいしてあの世へ行くには

「ああされた、こう言われた」の受け身ばっかりで生きたらダメなんじゃ。


今になって思う。

いやはや、人の言動を制御するのは

小さな望みなんかではなく、だいそれた野望であった。

すべて自分次第とわかってから、生きることそのものが娯楽に転じた。

ランナーズハイが訪れたのだ。

こうなりゃもう、毎年どころか毎日いい日であるから

いい年、笑える年は、簡単に、確実にやってくる。


だからこそ、過ぎ去った去年がいとおしく、新年が嬉しい。

よって、紅白歌合戦のお力を借りずとも、年越しができるようになった。

さんざんお世話になっておきながら、今ではこの国民的行事を

冷ややかに眺める私がいる。


背が高いばっかりに、ドレスと不釣り合いなぺたんこ靴を履かされる

司会の松下奈緒。

男性歌手って小柄な人が多いので、並んで立つ松下嬢との

対比を懸念しているのだ。

なんてかわいそうな松下奈緒!

長身の女って、何かと不利なのよね。

身につまされるわ。


しかし靴の見返りとして、松下嬢にはピアノ独奏の場が与えられる。

音大のピアノ科出身で作曲もでき、CDも出している松下嬢にとっては

国内外にそれを知らしめるチャ~ンス!

福山雅治の断髪式も盛大に執り行われる。

これで彼は、長くささやかれていたヅラ疑惑を払拭したのではあるまいか。

その年NHKに貢献した人が、あからさまに優遇される形態は

すっかり定着したようだ。


嵐が、ちゃんと歌い踊るところを初めて見た。

歌は口パク疑惑であったが、なるほど人気があるのがわかる。

誰も落ちこぼれることなくダンスがうまくて、まさに男宝塚。

これぞ生きた観光地、歩くディズニーランドだ。

全盛期の勢いが伝わってくる、華やかな舞台であった。

義母ヨシコが、ニノだショウだと夢中になるのも、わかるというものだ。


ドリカムも良かった。

ファンの人には申し訳ないが、本来ドリカムの歌は、私の好みではない。

ボーカルの女性の、年中ヨッパライみたいなところも好きではない。

それでも、良い年がやってくるような、明るいエネルギーを感じた。

最後にスマップの落日を感じ、紅白は終わった。
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