殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

ワクワク

2024年07月02日 10時46分50秒 | みりこんぐらし

『これもワクワク』

長年飼っている亀の背中に、トカゲが乗ってるの。

こういう派手な色のトカゲは、子供なんですって。

可愛くてワクワクしちゃった。

トカゲがお嫌いだったら、ごめんなさいね。

 

 

私の住む地方は昨日から大雨ですが

皆様がお住まいの地域は大丈夫でしょうか?

どうか気をつけてお過ごしください。

 

 

さ〜て、ちょっとご無沙汰してしまった。

気がついたら、今年が半分、終わっとるじゃんか。

ああ、びっくりびっくり。

 

この慌ただしさは、実家の母が入院したことに由来する。

6月の始めに転倒したことで、すっかり弱気になり

心身共に衰弱の一途。

世話というほどでもないが、私も一応は毎日通った。

しかし、それでどうなるものでもなく、先月下旬に入院した。

90才という母の年齢を考慮し

一人暮らしは限界と判断した主治医の勧めによるもので

母もその説明に納得した。

 

入院先は、隣市の病院。

これでやれやれ…というわけにはいかなかった。

毎日、電話で呼び出されては面会に通う。

そして行けば、「帰る、帰る」でひと騒ぎ。

のらりくらりとかわしながら、15分の制限時間を過ごす日課が始まった。

 

そんなある日、母は電話でこう言った。

「早く元気になって家に帰りたいから、しばらくはここで頑張るわ。

だからあんた、今日は私の洋服を持って来てちょうだい。

それから、大きめのマスクもね」

いつになく明るく、はっきりした口調だ。

病院では洋服を着てウロウロしている患者を見かけたので

彼女もその一員になる決心がついたのだと思い、ホッとした。

 

しかしマスクの方は、消耗品費の名目で病院に現金を預け

その中から必要に応じて介護士に買ってもらうシステムを選んでいたので

一瞬、「あれ?」と思った。

が、母の見せたやる気に気を良くした私は、変に気を回してしまった。

子供のように小柄な母は普段、小さいサイズのマスクを使っているが

病院では大きいものが推奨されていて

サイズを見るために持って来いと言っているのかも、と勝手に思ったのだ。

しかも難しい要求ではないため、数枚の洋服と一緒に持って行った。

 

面会に行くと、母は小声で私に言う。

「早く、服を出して」

そしてバッグから、一組のブラウスとズボンを素早く選ぶと

「パジャマを脱がせて、服を着させて。

マスクは大きいのを持って来てくれた?」

現役の頃と変わらないテキパキした口調は、とても病人とは思えんぞ。

 

ここでようやくわかった。

彼女は服に着替え、大きめのマスクで変装して

病院を脱走する計画を練っていたのだ。

あんた、日産のカルロス・ゴーンか。

もっとも母の場合、変装すれば脱走できると思い込んでいるあたりが

すでに入院案件なんだけど、彼女にはわからない。

 

入院を続ける意思を見せて、私を喜ばせたのは

洋服とマスクを準備させ、さらに逃走の足を確保するためだ。

病院は不便な山の中にあるので、車無しではどこへも行けない。

やられたわい。

 

脱走が未遂に終わって以降は毎日、入院を決めた主治医と

入院させた私を恨んでいる。

平気。

 

とまあ、面白いことをやってくれる母とのバトルが続く日々にも

ワクワクすることはある。

今は、東京都知事選挙。

広島県の子が立候補してるんだもん、夢中よ。

 

彼の出生地であり、首長(くびちょう)をしていた市って

マジで山奥のど田舎。

スキーに行く人が通り過ぎるだけ、みたいな所なのよ。

そこからあんな神童が現れたのを見られるなんて

生きてて良かったという気分よ。

 

町を活性化させるために彼がやろうとした政策を

一部の古株議員が徹底的に潰そうとするすさまじい攻防は

YouTubeを見なくても私の住む沿岸部にまで聞こえていたわ。

年寄りって、自分がいる環境が変わるのを恐れる、剥離恐怖という感情が強い。

老議員たちのあの必死さって、町をどうこうするというより

恐怖を遠ざけるための本能と感じたものよ。

若い者に任せたら最後、長年慣れ親しんだ生暖かい環境が変わってしまう…

それを恐れていたんじゃないかとね。

ああいう本能を丸出しにして話し合いもできないって、本当は恥ずかしいこと。

動物と同じだもん。

 

 

それにつけても、滅多にやらないウグイスとしての私は

彼の演説のうまさに感心しきりだ。

頭のいい人なので的確な内容はもちろん良いが、声も良い。

滑舌明瞭、高からず低からず、長く聞いていられる話し方なので

内容が聴衆にヒットしやすい。

 

話を頻繁に区切っているように聞こえるのは

マイクを通した声の反響を計算した、街頭演説特有の話し方だ。

演説が上手いだけ…アンチはそう言うかもしれないが

あれだけ強弱、剛軟を折り混ぜた熱い演説は

世の中と人心をちゃんと理解していなければ…

そしてもっと理解しようとする心が無ければ無理。

 

彼の演説はちょっと、アメリカの故ケネディ大統領の演説と

重なるところがある。

銃弾に倒れたケネディ大統領だけに、老婆心で彼の無事を祈りつつ

勉強させていただきます。

 

そういうわけで、投票日の7月7日が楽しみでしょうがない。

彼には勝って欲しい。

その日まではこのワクワクで生きられる、12キロ痩せた私です。

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スプレー売り

2024年06月21日 10時45分14秒 | みりこんぐらし

今月始め、90才になる実家の母が裏庭で転倒した。

高齢者はこういう時に骨折することが多いが

頭から突っ込んだのが幸いしたのか、首の捻挫で済んだ。

 

20年前に父が他界して以来

母は趣味のコーラス、俳句、編み物に勤しみながら

気丈に一人暮らしを続けていた。

しかし昨年、90才の声を聞いた途端に強い不安を訴え始め

夜昼なく頻繁に呼び出されるようになった。

そこで近所の主治医と心療内科の連携で投薬治療を開始したものの

今回の転倒を機に不安は強まる一方。

誰かそばに居れば落ち着くと本人は言うが

そばに行けるのは私しかいないため

実家への日参を開始して現在に至っている。

 

実家への日参といえば、夫の姉カンジワ・ルイーゼ。

が、このところ出席率悪し。

週に一度のペースで2才になる孫娘もみじ様の子守りをする彼女だが

68才の近頃は疲れが残るようになり、子守りの翌日は来なくなった。

 

もみじ様の子守り日に、翌日の休養日

それから彼女が老人体操教室に参加する木曜日と

義母ヨシコが老人体操教室に参加する金曜日も来ないので

ルイーゼは週に4日は来ない。

私が家を空けて実家に通うのが

何気に不満なヨシコの気をそらすため

できるだけ来てもらいたいところだが

厄介な人間ほど、必要な時に役に立たないのは世の常。

そんなもんよ…と思っている。

 

ともあれ私が話したいのは、そんなことではない。

実家通いのために毎日外出するとなると

出たついでにスーパーへ寄る機会が増える。

ここしばらく、食料確保の手段といったら

生協の宅配と金曜日の移動スーパーが中心で

スーパーへ行くのは肉の調達くらいだったのが

現在はスーパーが中心になりつつあるのだ。

 

先日も買い物を済ませ、陽射しのきつい駐車場に出て

車に乗ろうとした。

すると、黄色い日傘をさした若い女の子が駆け寄って来るではないか。

日傘といっても普通の女物ではなく

何やら宣伝文句の書かれた晴雨兼用の傘だ。

黄色いシャツの腰周りには、殺虫剤みたいなスプレーや雑巾

毛ばたき、タオルなどをぶら下げた太いベルトをしている。

 

「30秒でお車のライトをピカピカにしませんか?」

これ以上無いほどの笑顔に、ハイテンションの声。

スッピンの角ばった顔は、日焼けして赤くなっている。

年齢は20代後半と見た。

 

勢いがすごいので、私は思わず問い返す。

「へ?」

慣れているのだろう、女の子は間髪入れず言った。

「微妙なお返事、ありがとうございます!

30秒しか、かかりません。

ライトをピカピカにしませんか?」

「あなたが?」

「はい!」

どこまでも元気いっぱいだ。

 

「何で?」

そう問いつつも、私はすでに気づいていた。

腰にぶら下げた、車の絵が描いてあるスプレー…

彼女はスーパーの買物客に、これを売りつけたいのだ。

少し離れた所で、やはり同じような格好をした若い男性が

年配の女性に話しかけている。

 

「ご質問、ありがとうございます!

ライトをピカピカにしたいんです!

30秒いただけたら、ピカピカにします!

新商品のデモンストレーションなんです!」

「ふ〜ん…」

 

鈍い反応に、相手は戦略を変えた。

「お客様、このお車はコーティングをしていらっしゃいますか?」

「私のじゃないから、ようわからんわ」

私のだけど、面倒くさいのでそう言う。

 

「コーティングしてないお車でも、コーティングしたみたいになるんです」

「…ライトを磨くだけで?」

「アハハハ!まさか!」

部活帰りの女子高生のような底抜けの笑顔で

よどみなく彼女は言うのだった。

「このスプレーはライトだけでなく

お車全体を磨ける特別な商品なんです!」

「それが1本、ナンボ?」

「3,500円です!」

 

「3,500円!」

「これでお車がピカピカになります!」

「ほぅ…この田舎で1本3,500円のスプレーを何本売ったら

あなたと、あっちのお兄さんの日当が出るわけ?

商売にしては効率悪過ぎじゃない?」

「私たちは一人でも多くのお客様に

この商品を知っていただきたくて…」

「あっちの人はいいわよ、男だもの。

だけど、あなたはどうよ。

若い娘がこの炎天下に外で、身体に悪いわよ。

シミができたら元に戻らないし、リスクを考えて働かないと」

「いえ、あの…」

「こんな商売、やめときなさいよ」

「……」

「私、忙しいから、じゃあね」

女の子を凹ませようと思って言ったのではない。

彼女のことを考えて、本気で言った。

 

家に帰って、長男に話す。

「駐車場で、車のスプレー売る人がおったわ。

この辺も都会みたいになったんじゃね」

「変に明るい若者が、ライト磨いてくれるやつ?」

「それ、それ」

 

長男はこともなげに言った。

「あれ、宗教よ。

昔、スルメなんかの干物を売って、家を回りようたろ。

ワシ、子供じゃったけど覚えとるわ。

あれの車版よ。

安いスプレーを高い値段で売って、差額を宗教に寄付するんじゃ」

「え〜!」

 

そういえば、あのハイテンション…

立板に水の明るいしゃべり方…

洗脳された人特有のものだったかも。

何やら懐かしい気がしたのは、30年ぐらい前

一軒一軒、家を訪問しては玄関でいきなり歌を歌い出す

干物売りの若者と同じだったからなのね。

干物売りは、旧統一教会だったそうだけど

今度のもそうなのかしらん。

ちょっと驚いた。

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それから…

2024年05月13日 10時07分38秒 | みりこんぐらし

4月の始め、性懲りもなくお寺料理をした数日後…

私は転んで病院通いになった。

近年では、これが一番ショックだったかも。

 

トシだから転んだのではない。

例のごとく、義母ヨシコによる悪意なき人災。

この人には危険予知能力が欠落しているため

突然とんでもないことをやらかし

私を含めた家族は、時たま被害に遭うのだ。

 

今回の怪我は、家で起きた。

実家の母に料理を届け、帰りに買い物をした私は

両手に重たい荷物をぶら下げて車から降り

ガレージの出入り口になっている金属製の引き戸を開けた。

そして玄関に一歩踏み出した途端、バタッと転んだのだ。

引き戸の足元に、高さ40センチほどの

やはり金属製のバリケードが置いてあったからである。

 

このバリケードは数年前まで、飼い犬パピのために使っていた。

彼が引き戸の隙間から、外へ出ないようにする目的だ。

しかし近年の彼は肥満著しく

隙間を通り抜けるのは不可能となったので

ガレージの隅に放置したまま、存在すら忘れていた。

それをわざわざ引っ張り出し、まさか設置していようとは。

急に思い立って無駄なことを行い、人に危害を与える…

それがヨシコである。

 

出かけた時には無かった物が、帰った時にはあることを

全く予測してなかった私は

パンチを受けたボクサーのごとく横倒しになった。

両手に下げた荷物で足元が見えなかったのもあり

無防備のまま、絵に描いたような転び方をしたのである。

 

倒れた先には、高さ50センチほどの陶器の水瓶があった。

どこでどうなったのか、転んだ私の頭の横で割れ

中に入っていた雨水まで被る羽目になったものの

石のタイルでヒザを強く打ったらしく、痛くて動けない。

 

「こりゃ、折れたわ…」

救急車を呼ぶため、バッグから携帯を取り出そうと

投げ出された荷物の方へ身をよじったが

荷物の中で一番軽いバッグは手の届かない所に飛んでいる。

這って取りに行こうとしたら…あらら、立ち上がれたわ。

骨折してなかったみたい。

 

何とか歩けたので家の中へ入り

この時ばかりはヨシコに怒りをぶつけた。

「ちょっと!何でバリケードするんよ!コケたじゃんか!」

寝転んでテレビを見ていたヨシコ、ゆっくり振り向いて

「はあ〜?」

すでに事実を認識していながら、トボけている微笑み。

そりゃそうだろう、玄関のドアは開いていた。

いくら耳が遠くても、私の悲鳴や水瓶の割れる音は聞こえていたはずだ。

腹立つわ〜。

 

「遊びよるモンが、働いとるモンを怪我さしてどうするんよ!」

「知らんわいね、そんなこと!」

しばらく言い合ったが、やがてヨシコ得意のこのセリフ。

「まるで私が悪いみたいじゃないの!

私が気にするが!」

 

冗談で言っているのではない。

本気だ。

一言謝りゃあ済むものを、いつもこれで周囲を呆れさせて終了。

「私が気にするが!」

人と口論になった時は、試しに言ってみるといい。

あまりの自己中に、たいていの相手は言葉を失う。

 

私の左ヒザは腫れあがり、歩行困難な身の上となった。

それから毎日、通院だ。

腫れは数日で引き、痛みも無くなったが

怒りがおさまらないので、これ見よがしに毎日通って1ヶ月…

今はもう何ともない。

 

さて、通院している間に、世間では物騒なことが起こったではないか。

栃木県那須町の、夫婦遺体損壊事件。

次から次へ半グレのヤカラが登場し、別世界の出来事のように思えた。

首謀者が夫婦の娘の内縁の夫、つまり身内と判明してからは

さらに大騒ぎ。

 

でもあれ、私に言わせれば、起こるべくして起きた事件。

娘婿と一緒に仕事するって、周りが想像する以上にストレスがかかるのよ。

ダメオだったら腹が立つし、デキればデキたでシャクにさわる。

娘婿の方も、最初は気に入られようと一生懸命頑張るけど

結局、義理親が自分に求めているのは従順のみであり

生かさず◯さずコントロールしたがっているのがわかってくると

だんだん嫌になってくる。

 

特に被害者夫婦は、女の子二人の親。

語弊を承知で言えば、男の子の扱いを知らないので

娘と同じく娘婿にも従順を求めてしまう傾向が強い。

そして意に沿わなければ…意に沿わないことが多いんだけど…

パシリとしてぞんざいに扱うようになる。

 

娘婿が、これに甘んじれば平和だ。

しかし男の子はプライドが高いので、辛い日々となる。

実家の父も、忍の一字で耐えていたものだ。

よく祖父を◯さなかったと思う。

一般人だろうと半グレだろうと、この気持ちは同じだろう。

 

うちらの業界にも、こういうケースはよくある。

男社会なので、女の子だけの家は娘婿に登板してもらうことになるのだ。

しかしうまく行くケースは少なく、辞めて別の仕事に就くか

離婚する人の方が多い。

娘婿と一緒に仕事をする人は、扱いに気をつけた方がいいと思う。

 

そうそ、離婚で思い出したけど、この1ヶ月の間に次男が離婚。

初めての結婚記念日に離婚届けを出すという、ふざけたことをやったわ。

夫と私が証人の署名をしたけど

離婚届けの用紙って縁取りの緑色が、昔よりくすんだ色になってた。

私、人の離婚シーンには何回も立ち会って署名してるのよ。

婚姻届けもだけど、離婚届けもやっぱり印鑑はいらなかったわ。

ちなみに婚姻届けの茶色の縁取りは、昔よりピンクがかってた。

 

離婚の理由?

簡単に言えば次男の給料より

お嫁さんのカードの支払いの方が多かったということかしら。

結婚前から、長いこと持ち越していたみたい。

 

一応、たずねてはみた。

「カードの借金を綺麗にしてあげたら、結婚を続けられる?」

でも次男が聞かんかった。

お金じゃなく信頼の問題だって。

 

人一倍質素だったから、そっちの癖は全然わからなかったのよ。

ブランド物や服の借金ならわかるけど

身体の弱い両親の看病で職を転々としてきて

無職の期間に生活費をカードで賄っていたのが積もり積もったらしいわ。

実家は私らより裕福そうなのに、どうしても親には言えなかったみたい。

 

明るい子だけど、結婚当初からそういった家族関係に

闇を感じてたのは確か。

だから続かないと思い、近所や親戚に挨拶回りはしなかった。

それが今となっては、安堵につながっている。

 

彼らも我々家族も、サバサバしたものよ。

お祝いを言ってくださった皆様、申し訳ありませんが

こういうことになりましたので、悪しからず。

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講演会

2024年03月28日 10時14分24秒 | みりこんぐらし
「本当に長うて面白うない話で、くたびれるんよ。

なかなか終わらんけん、頭も腰も痛うなるし、もう行きとうない」

義母ヨシコは毎回、そうこぼしていたものだ。


その長うて面白うのうて、くたびれる話というのは

年に3回ある寺の行事…春と秋のお彼岸、初夏の永代供養。

行事だけならどうってことないのだが

2年ほど前から、この寺が新しい試みを始めた。

行事の後、よその寺からお坊さんを呼んで講演会を開催するようになったのだ。


講師のお坊さんは、毎回変わる。

寺はそのたびに、“どこそこ寺から、誰それ住職来たる!”

みたいなチラシを檀家に配布し

檀家は皆、「どなた?」と思いながら寺へ集まるのである。


よその寺から講師を呼ぶばかりではない。

こっちの寺の住職も講師として、よその寺へ出向くらしい。

交換留学生ならぬ、交換講師で行事を盛り上げるという作戦が

近年、この宗派で流行しているようだ。


ヨシコは、行事と名のつくものが大好き。

たくさんの人に会え、着ている洋服を見てもらえるからだ。

10年前に夫のアツシが他界してからは、同じ檀家の友だち

骨肉のおトミに誘われるまま、嬉々として寺へ行っていた。

嫁が何より嬉しいのは姑の留守、私も喜んで送り出していたものだ。


しかし講演会が始まった2年前から、ヨシコは寺へ行くのを渋るようになった。

そのうち仮病を使っておトミの誘いを断るようになり

おトミの方も認知症が進んで寺の行事どころではなくなった。

ヨシコは解放され、私は年に3回も減った留守を残念に思ったものである。


そんな記憶も薄れた先日、この“長うて面白うのうて、くたびれる話”を

実家の寺で体験しようとは。


去る20日、実家の母の付き添いで菩提寺の彼岸法要に行った。

実家も夫家と同じ宗派で、春と秋の彼岸と初夏の永代供養…

年に3回の行事がある。

彼岸法要は去年の秋にもあったが、30分程度で終わったので

私も母も軽い気持ちで参加。

30人ほどの檀家にまぎれ、本堂に並べられた椅子に座ってお経を聞く。


しかし今回は、昨年と違っていた。

お経が終わると、70代後半とおぼしき知らないお坊さんが本堂へ入場。

これから講演をするとおっしゃる。

「ヨシコが言っていた、アレか!」

私は瞬時に察知した。

長うて面白うのうて、くたびれる話が、こっちの寺にも感染したみたい。


住職が紹介するには、講師のお坊さんは遠い親戚だそう。

ほら、お寺って大変だから、なかなか結婚しにくいじゃん。

そこでお寺同士で娘を嫁がせたり、婿養子を迎えたりするうちに

両家は親戚になったのだそう。

その親戚のお坊さんが、これから講演をなさるという。

このようなネットワークを使って、講演の出前が行われているらしい。


お坊さんは挨拶の後、おもむろに話を始めた。

これが面白くないのなんの。

お経はプロでも話はアマチュア…

つっかえたり、しばらく沈黙したり、突然話が飛んだり

遠回りをしてまた戻ったり、戻らなかったり

本人はユーモアを混じえているつもりなのか、一人で笑ったり。


おびただしい付箋を貼った分厚い虎の巻を持っていなさるからには

一応、お話の勉強はしておられる様子だし

聴衆の興味を引くため、彼のプライベートなエピソードを織り交ぜた構成だが

このプライベートがしょうもなさ過ぎて、人の心を惹きつけるにはほど遠い。

なるほど、聞きしに勝るシロモノじゃ…

これじゃあヨシコも仮病を使いたくなるわい…

私はそう思いながら、延々と続く下手な話に耐えた。


隣に座る母なんて高齢だから、心の声がそのまま口から漏れ出るわけよ。

「はぁ〜…まだ聞かにゃいけんの?」

「やれやれ…どうなりゃ、これが…」

それらの発言にヒヤヒヤしながら、耐え忍ぶこと1時間。

講師が虎の巻を閉じた時には

「やった!終わる!」

密かに喜び、早くも椅子から腰を浮かした私。


でも違った。

10分間のトイレ休憩。

まだ続くんかい…ガクッ。

休憩と聞いた聴衆からは、「ええ〜?」と、ため息混じりの声が漏れる。


この現象も、ヨシコから聞いていた。

「やれやれ、やっと終わったと思ったら休憩で

トイレに行ったらまた1時間、聞かされるんよ」

ヨシコが言っていた通り、再び講演が始まり

やはりヨシコが言っていた通り、頭や腰が痛くなった。


残り1時間を耐えに耐え、講演が始まって2時間後

我々一同はようやく解放される運びとなった。

終わった喜びなのか、大きなため息と控えめな拍手に送られて

講師は悠々と退場。

我々聴衆も頑張ったが、あの実力で2時間も話し続けた彼も

よく頑張ったと思う。

彼岸の一日、お坊さんはミホトケに代わり

我々凡夫凡婦にありがたいお話という功徳を施したのかもしれないが

我々の方も、下手な話を聞いてあげるという功徳を施したのではなかろうか。


私と母は、二度と参加したくないという意見で一致。

他の人々も同じ気持ちに違いない。

次の行事では、参加者が半減する方に賭けてもいい。


ともあれ近頃、檀家の減少が顕著なのは誰でも知っているはず。

寺の方も、その状況に手をこまねいているばかりではない。

存続をかけて色々なことを発案し、人を集めることに必死だ。

若い後継者のいる寺ではSNSやYouTubeを始めたり

市外にある同じ宗派の寺など、本堂でヨガや手芸の教室を開催している。

この講演会も、そんな人集めの一環らしいけど

これで檀家が喜ぶと思っているとしたら…

行事が盛り上がり、参加者が増えると踏んでいるとしたら…

寺と民衆の意識格差は、はなはだ大きいと言えよう。

いずれにしても、これじゃあお参りの人が増えるどころか減る一方と思われる。


それはそうと、お坊さんの話を聞いている間

私は残念な気持ちにとらわれていた。

モゾモゾしながら、終わる時間を待ち焦がれる自分に失望していたのた。

「私は年を取って、ここまで堪(こら)え性の無い人間に成り下がってしまったのか…」

「これじゃあ、ヨシコや母と同じランクの高齢者じゃないか…」


しかし、家に帰ってヨシコと話していたら分かった。

「あのお坊さんの話は、ヨシコや母の話と同じなんだ!」

つまらぬ思い出話や小自慢

これからいかにもすごいことを言いますぞ…

みたいにもったいをつけておきながら、出てくるのはしょうもない話…

つまり老人の与太話なのだ。

それなら、聞き飽きている。

だから面白くなかったんだ。

ホッとした。


で、転んでもタダでは起きないワタクシ。

徹頭徹尾、面白くない話の中で一つだけ、記憶に残った一節がある。

「上の反対語は下、右の反対語は左

では“ありがとう”の反対語は何でしょう?」

というもの。

ありがとうの反対語は、“当たり前”なんですってよ。

知ってた?


先日、このことを同年代の友だちに話した。

「ありがとうの反対語が当たり前って、わたしゃ考えたこと無かったわ」

すると友だちは「それ、聞いたことがある」と言った。

寺は違うけど、やはり同じ宗派の講演会だそう。

どうやら、同じネタが使い回されているらしい。


「去年だったか、行事の後で長い話があって、その時に聞いたよ。

あんまり長かったんで懲りて、それからは一回も行ってないけど」

友だちは言うのだった。

ここにも参加しなくなった人がいた。

あの講演会を続けるのは、危ないと思う。
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ブーム

2024年03月19日 10時07分47秒 | みりこんぐらし
私に今来ているブーム。

『大相撲と春の高校野球』

好きなテレビ番組…大相撲と高校野球が、同時に開催中。

こういう時に限って何やかやと忙しく、あんまり見る暇は無いけど

今やってる…それだけで幸せな気持ちになるんだから、安上がりね。

今年の甲子園では、どんなスターが生まれるかしら。

新入幕した、大の里と尊富士の活躍も嬉しい。



『ゆめぴりか』

今、ハマってるお米は、北海道産の“ゆめぴりか”。

粒が大きくてフンワリしていながら、しっかりとした食感。

炊き上がりの輝きが美しく、とにかく美味しい。


「貧乏人は良い米を食え」って言うじゃないの。

おかずがショボくても、ごはんが美味しければ幸せってことよ。

だけど値段も手頃なのよね。

知り合いの農家から買うのも、生協の無洗米もやめて

ここしばらくは、この銘柄。



『3人会』

毎月、第三日曜日の午後2時

同級生のマミちゃん、モンちゃんと3人でお茶。

それがここ数年の習慣で、我々は例会と呼んでいる。


普段、マミちゃんの洋品店に行ったり

仕事帰りのモンちゃんがうちに寄ったりはするけど

3人で会うのは、たまに遊びに出かける以外、この例会だけ。

せっかく集まるんだから、ランチでもいいようなものだけど

市外からやって来るマミちゃん、平日は仕事なので朝寝坊がしたいモンちゃん

日曜でも家事が平常運転の私には、この時間帯がベスト。


解散は4時。

サッと集まって、サッと帰る。

皆、主婦なので、夕方は忙しい。

各自、帰りには夕飯の買い物をして家路につく。


うちらって、最初は確か5人会だった。

やがてメンバーのけいちゃんが横浜へ転居したので4人会になり

同じくメンバーのユリちゃんとは、お寺料理でこき使われるようになって以来

友だちとは思えなくなった。

ちょっと何か口走って、暇があると思われたら最後

寺で働く方へ持って行かれるので、滅多なことは言えないのだ。

油断できない相手、人を利用する相手は友だちではない。

だから2人減って、3人会になった。


月に一度、2時間の3人会は、私にとって一番のストレス解消。

姑仕えをする嫁って、どこへ行って何をして遊んでも

スッキリと気が晴れることは無いのさ。

出る時には家事を先回りしてやるから疲れるし

出たら出たで、帰った時のことが気になって楽しめず

帰ったら帰ったで現実に引き戻され、留守中に溜まった家事と

何げに不機嫌な姑を見てガックリ。


出かけるのは自由だろう、何で姑が不機嫌になるんだって?

その昔、行ってきますと言って出かけるのはいつも彼女で

家に残るのはいつも私だったのさ。


長生きするって、友だちがいなくなることなのよね。

誘ってくれていた人たちが亡くなって、足腰も悪くなって

お出かけが難しくなると、言うに言えぬ淋しさや

出かける者を見送る悔しさがにじむのさ。

出好きの姑が長生きすると、こうなるのさ。


家を空けた時間が長いほど、この現象が強くなるから

長時間の外出は疲れる。

その点、この例会は2時間だもの。

無理が無いから続いている。


私には自慢するものなんて無いけど、この二人の友だちだけは誇らしい。

感じの悪いことを言わず、明るく、素直で

一緒に居ると私まで良い人になったような気がする。

よくぞ二人を与えられたものだと、いつも思う。



『春のチャーム』

岡山名物、廣榮堂のきび団子をいただいた。

岡山県は広島県の隣なので、きび団子はよくいただくため

さほど珍しいお菓子ではない。

特に廣榮堂のものは、広島名物にしき堂のもみじ饅頭と同じく

会社の規模が大きいので、どこへ行っても販売している。


が、今回は違った。

包装紙に“春のチャーム”と書いてある。

「春のチャームとは何ぞや?!」

レトロなキャッチコピーに誘発され

いやしい我ら一家は、ガサガサと包みを開ける。


「おおっ!」


現れたのは、見慣れた薄黄色のきび団子ではなかった。

きび団子の一つ一つに、可愛らしい絵が印刷してあるじゃんか!


「こ、これが春のチャームか!」

まさしくチャームなきび団子に、いたく感動した我らであった。

以来、春のチャームというフレーズが気に入り

時々つぶやいている私である。
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会食

2024年03月12日 15時49分38秒 | みりこんぐらし
先日、夫の友人ヒロ君夫婦と食事に行った。

よその夫婦とご飯を食べに行くって、我々には珍しい。

43年の結婚生活は別行動が多かったため

食事を共にするような夫婦共通の友人が、ほとんどいないのだ。


今回、その珍しいことを成し遂げたのは

うちの夫が還暦を迎えた6年前、彼らがお祝いの食事会に

我々夫婦を招待してくれたから。

誘われた時は思いもよらなかったので、もちろん嬉しかったが

夫婦でお呼ばれなんて初めてで当惑もした。

その時の気持ちは、ここでお話ししたことがある。

ともあれ、その彼が還暦を迎えたので

今度は我々がお返しに招待したのだった。


夫とヒロ君はその昔、同じ野球チームで知り合って意気投合した。

以後、損害保険の代理店業をやっているヒロ君は

うちの車両その他の保険を扱うようになり

それが縁で夫の両親は、彼ら夫婦の仲人をやった。


ヒロ君の奥さん、マサミちゃんは56才。

彼と結婚するまでは、スナックのママをしていた。

こちらに帰って損害保険を始めるまでは関西の社会人野球で名を馳せ

プロ球団からも誘いがあった、“やや郷土の星”であるヒロ君が

よりによって水商売の女性と…

なにしろ田舎のことなので彼の両親は猛反対、周囲も首を傾げたものだ。


その不穏を一掃したのが、義父アツシ。

当時はまだ会社に勢いがあり、田舎でアツシの発言権は強かった。

さかしいヒロ君はアツシ夫婦を媒酌人に盛大な結婚式を挙げることで

両親と周囲、及び保険の取引先を黙らせたのだ。

サイコパス・アツシも、たまには良いことをしたのである。


はたして周囲の心配をよそに、ヒロ君の見立て通り

マサミちゃんは堅実な女性だった。

身体が弱いので子供はできなかったが

それから30年間、ずっと仲良し夫婦を続けている。


夫とヒロ君は年が6才離れているので、普段、一緒に遊ぶことは無い。

夫や息子たちは仕事でよく会っているが

私はヒロ君夫婦と、このような節目にしか会うことは無い。

しかし最近、節目以外でも彼らに会うようになっていた。

その場所は心療内科。

彼らはヒロ君の父親を、私は実家の母親を

それぞれ同じ心療内科に連れて行くようになり

月に一度、待合室で顔を合わせるのだ。


今回の会食では、彼ら夫婦にお父さんの病名をたずねるつもりだった。

だって病院だと本人も目の前にいるから、あれこれ聞きにくいじゃんか。

「夜中に、胸が苦しいと言って騒ぐんですよ」

彼らの答えは、どこかで聞いたような内容。

87才のお父さんは、お母さんと二人暮らしだが

夜になると、近くに住むヒロ君夫婦に助けを求めるのだという。

実家の母と同じである。


「しんどいとか、死にそうとか、救急車呼んでくれとか…」

これも同じ。

苦しいのは胸ということで心臓の精密検査をしたが

悪い所は見当たらず、心療内科を紹介された経緯も

薬を処方されて落ち着いたのも同じで、お互いに少なからず驚いた。


私は母の症状を見るにつけ、一人暮らしが良くないのだと思っていた。

90才の母にいつまでも一人暮らしをさせているのが

何やら申し訳ない気持ちだったが

伴侶と暮らしても同じだと知ってホッとした。

年を取るって、身体にも影響があるけど

心の負担も増していくのかもしれない。


さて、ヒロ君おすすめの店…

我が町の誇る、ちょい高級な居酒屋での食事は楽しかった。

いつもの女子会も、ここでやりたいところだけど

こってりイタリアン推しのユリちゃんと

身内の和食店を使いたいマミちゃんの希望に押されるのと

週末は予約が取りにくいのとで、叶わず。

この日は土曜日だったけど、常連のヒロ君の顔で何とか予約が取れた。


これといった写真は無いけど、まあ賑やかしに見てちょ。

名残りの牡蠣のバター焼き


味噌カツ



山芋ステーキ



他にもピザやらヒレステーキやら、たらふく食べた。

どれも美味しかったけど

話すのと食べるのに夢中で写真を撮り忘れた。



ところで…

「あんた、最近よくお出かけしてるじゃん」

と思っていらっしゃる?

薬が合うようで、母がずいぶん元気になったのと

週に1〜2回、料理を届けるようにしたら落ち着いて

こっちもペースがつかめましてん。


結局、料理を作りたくなかっただけ…なのかもしれん。

それで一人暮らしが辛いのかもしれん。

一人だと、何作って食べても楽しくないもんね。

近頃、“調理定年”という言葉も出回ってきたし

年を取って料理したくないわよ。

料理って、買い物から後片付けまで頭も体力も使うから

高齢になるとしんどいよね。


幸い、私は料理が苦にならないタイプ。

先でどうなるかわからないが、今のところは大丈夫。

これはラッキーだった。

実際に差し入れを受け取るのは母だけど

私が料理を覚えないうちに他界した他の家族にも

食べてもらっているような気がして、励みになっている。

いつもながら、おめでたい私よ。
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移動スーパー

2024年03月07日 09時55分32秒 | みりこんぐらし
私の暮らす後期高齢者だらけの通り…

名付けてデンジャラ・ストリートの集会所では

2年ほど前から毎週金曜日に老人体操教室が開催されている。

10人余りのメンバーは世話役の70代を除いて皆、80代後半から90代。

88才の義母ヨシコも楽しみに通っているが

体操より、150メートルほど先の集会所へたどり着く方がハードみたい。


その体操教室に原さんという、ヨシコと同い年のおばあちゃんがいる。

ずいぶん年を取ってから、このストリートに家を買って引越してきたらしく

体操教室が始まるまで、私もヨシコも彼女の存在を知らなかった。

明るくて気持ちのいい人なので、今ではすっかりヨシコと仲良しだ。


さて、今年の2月から、その体操教室が終わる時間に合わせて

移動スーパーが来るようになった。

ご存知とは思うが、移動スーパーとは

本物のスーパーの品物を軽トラックに積んで

買い物難民の所へ来てくれる屋台みたいなものだ。


デンジャラ・ストリートの近くには大型スーパーがあるので

頑張って歩けば買い物に行ける。

しかし、そこは足腰の弱った高齢者。

スーパーの広い敷地には何とか行けても、食品売り場へ到達するには

さらに時間がかかる。

それよりも、体操教室のついでに買い物できる方が楽なのである。


移動スーパーを呼ぶことは、原さんが提案した。

一昨年、彼女の一人息子が定年退職を機に

広島市内から奥さんと一緒に帰って来たが

退職後の息子さんは、冒頭でお話しした近所のスーパーへ再就職して

移動スーパーの担当になったそうだ。

つまり原さんは、息子が従事する移動スーパーを

集会所へ呼ぶ提案をしたのだった。


もちろんこれは、息子の成績のためではない。

移動スーパーが立ち回りを一つ増やすには

それまでのルートや時間を変えるなどの調整が必要だし

積載量の少ない軽トラックでは、商品が減ったら店に戻って

新しく積み直す手間が増える。

そうまでしたって再就職の嘱託社員では給料が上がるわけでもなし

原さんはボランティア精神で言い出したのだった。


その移動スーパーで働く原さんの息子が

高校の同級生だった野球部の原君と知ったのは

自治会の世話で移動スーパーの話が本格化した昨年の暮れ。

徐々に人の口にのぼり始めた、原さんの息子の年齢や元の勤務先でわかった。


いよいよ今日から移動スーパーが来るという2月のある日

私はヨシコを迎えがてら集会所へ行ってみた。

移動スーパーって、初めてではない。

結婚した40年余り昔は、個人で営業している男性が

うちの前に大きなバスで毎週来ていた。

近くに大型スーパーができて、いつしか来なくなったが

私が病院に勤めるようになったら、その人が夜間のガードマンをしていた。

お互いに驚いたのはさておき、今どきの移動スーパーは初めてなので

ぜひとも見たかったのである。


さて、記念すべき初移動スーパーの当日。

集会所の中で老人体操を終えたおばあちゃんたちと一緒に

まんじりともせず待っていると、音楽を鳴らしながら移動スーパーがやって来た。

この付近の担当は原君ではなく、物腰の柔らかい40代の女性だったが

休日だった原君も私服で集会所に現れ、老人たちの買い物の世話をしていた。


買い物の世話、けっこう必要なのだ。

軽トラに満載された商品は、ずいぶん高い位置まで詰め込まれている。

売れ筋の惣菜や生鮮食品は下の方に置いてあるが

単価が安くてかさばる野菜などの商品は、一番上の高い場所。

牛乳、納豆、豆腐などの冷蔵品も、かなり奥の方。

加齢で腰が曲がり、身長の縮んだ老人は

それらを自力で取ることができないため

所望された商品を一つ一つ取ってやるのも移動スーパーの仕事。


しかし老人は、順番を待つのが嫌いだ。

われ先に買おうとするので手が足りないため

私もせっせと老人たちの所望する商品を取って差し上げる。

背が高いと便利だ。


あれから毎週、移動スーパーへ行っている。

だってフタを開けてみると、老人ってあんまり買わないんだもの。

大半が一人暮らしか、入退院を繰り返す配偶者連れなので

買い物難民としての対策は、すでに打ってある。

生協、ヨシケイ、宅配弁当を取っているか

子供が食事を持って通っているので、必要とする食料品が少ないのだ。

オムツの事情もあって、買わずにさっさと帰る人もいる。

そりゃあね、本物のスーパーより品数は少ないし

割高なのはわかっているけど、せっかく始まった良い習慣を

盛り上げることも大事じゃないの?


見れば、原君のお母さんだけが必死の形相で6千円ぐらい買っている。

自分で言い出した手前もあろうが

可愛い息子が関わっていることなので一生懸命なのだ。

私だって、自分の子だったら同じことをすると思う。

その母心に打たれ、私もできるだけ買う。

このために、生協の宅配で注文する分を減らしたほどである。

目指すは集会所の客王じゃ。

私にお金が貯まらないのは、こういうところだわ。


でも大丈夫、そこは老人相手の移動スーパー。

惣菜、飴、パン、甘酒、お汁粉など

調理不要の商品ばかりが充実していて、料理が作れそうな食品は控えめ。

肉類など一種類につき、ひとパックかふたパックしか無い。

先にお年寄りが買った残りを漁るとなると、本当に買う物が無くて

どんなに頑張っても1万円は超えられないのだ。

この厳しい条件下でいかに楽しく買い物をし

家族の喜ぶ料理を作るかが、現在のテーマ。


その場で、原君とも親しく話すようになった。

イチゴ狩りの情報も、トシ君と同じ野球部だった彼からもたらされたものだ。

彼とは同じクラスになったこともあるけど、あんまり親しくはなかった。

口数が多く、細かいことに気がつき過ぎて面倒くさかったからだ。

髪型がどうのスカート丈がどうのと、自分はヤンキー風味でありながら

人の立ち居振る舞いにうるさく反応し、小姑みたいだった。

その口数の多さや気がつき過ぎるところが、今の仕事には役立っている様子。


か、やはり彼は彼だった。

「誰それは今、どうしている?」

「市内を回っていて誰それを見かけるが、どこに勤めている?」

毎週、私に会うたびに同級生の消息をたずね

それを来週までに調べて、教えてくれると信じている。

言うなれば、私に宿題を出しているのと同じだ。


親切!な私は少ない人脈を駆使して

…たいていは地元の情報センター、マミちゃんでこと足りる…

彼の挙げた人物の近況を翌週の移動スーパーで報告する。

面倒くさいが、彼の口からはいつも

忘却の彼方だった名前が出るので懐かしい。


明日も移動スーパーが来る。

楽しみだ。
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ひな祭りはチーズ祭り

2024年03月03日 15時02分13秒 | みりこんぐらし
先日、いつもの同級生マミちゃん、モンちゃんと共に

年上の友人Nさん宅へ集まった。

70才の彼女は、若い時に医師だったご主人に先立たれ

年を取ってから両親を見送って、今は隣市の実家で一人暮らしをしている。

知り合ったのは数年前だけど、すぐに仲良くなった。

やがて親交が深まるにつれ、双方の祖父が友人だったと判明。

それを知った時は、お互いに驚いたものだ。


そのうちマミちゃんとモンちゃんを彼女に引き合わせると

案の定、彼女らは一瞬で打ち解け、以後は4人で会うようになった。

と言ってもNさんはしょっちゅう日本のあちこちや外国に出かけるので

たまにしか会えない。

“たまに会うと面白い話を聞かせてくれるお姉さん”

というのが、我々にとってのNさんである。



さて、この日はちょっと早いひな祭りを兼ねて

本場のチーズフォンデュを食す会だ。

本場というのは、チーズがスイス産だから。

スイスから帰国したばかりのNさんが

「お土産のチーズをみんなで食べましょう」

と誘ってくれたのだった。


我々は3人とも、本格的なチーズフォンデュは初めて。

家で真似事をしたことはあるけど、ちゃんとしたものを食べたことはない。

Nさんが誘ってくれなければ、本当のチーズフォンデュがどんなものやら

知らないままあの世へ行ったかも。

初めての本格チーズフォンデュに、我らの胸は高鳴るのだった。


N家に入ると、甘いようなエスニックのような不思議な香りが充満している。

海外に造詣の深い彼女だから、インドかどこかのお香でも焚いているのかしらん…

いや、海外に詳しいからこそ、案外お香には興味を持たないかも…

などと思いながら、すでにチーズが土鍋でグツグツいってる座敷に入ると

香りの正体が判明。

リンゴジュースじゃったわ。

通常のチーズフォンデュは白ワインで割るけど

この日は我々が車ということでリンゴジュースにしたそうだ。


Nさんが言うには本場スイスでは

未成年や運転する人にチーズフォンデュを与える時、水で割るそう。

それではあまりに素っ気ないということで

彼女は裏技とも言えるリンゴジュースにしたという。

チーズとリンゴジュースを一緒に煮たら、こんな香りになるらしい。

たまげた。


チーズフォンデュの具はバゲット…フランスパンね…

それから下茹でしたブロッコリーとジャガイモ

軽く炒めたマッシュルームとウインナー。


Nさんは前日忙しいと聞いていたので

ブロッコリーとジャガイモは私が用意すると名乗り出た。

マッシュルームとウインナーはマミちゃんが提案し

タッパーに入れて持って来たのだった。


「もっと何か、作って行った方がいいんじゃない?」

前日の夜、マミちゃんは心配していた。

「Nさんのことじゃけん、あれこれ用意してくれとると思う。

ユリ寺じゃないんよ?」

そう言うと

「そうよね!私、お寺の癖がついてしまってる」

ホッとしたようにマミちゃんは言った。


こうして始まったチーズフォンデュの会。

Nさんは予想通り、前菜や箸休めを何種類も用意していた。

高菜の味噌炒め、昆布の煮物、赤カブの漬物

小さくカットしたカマンベールチーズなどをママゴトのように少しずつ

人数分の皿に盛り付けて美しく飾り

来客が何もしなくていいように配慮してくれている。

「ユリ寺とは全然違うね…」

マミちゃんは小さな声でささやいた。


そしていよいよ、メインのチーズフォンデュ。

最初のひと口…美味い!こんなに美味しいものだったのか!

ふた口…やっぱり美味い!最高!

み口…私、スイスで生きて行けるかも!

よ口…あれ?口は食べたがってるのに胃がノーと言いなさる…

ご口…ちょっとタイム…

そしてギブアップ。

チーズって、急に来るのね。

やっぱりスイスで生きて行けそうもない。


と思っていたらNさん、台所へ引っ込んでしばらくすると

「ラクレットチーズも買って来たの。

召し上がれ」

「……」

チーズの表面を焼いて、こそげ落としたのを

パンやジャガイモの上にかけて食べるやつ。

遠慮しときます…と言いたいところだけど

本場と聞いちゃあ食べずに帰るのが惜しくなり、無理やり食べる。

もはや女子会でなく、闘い。



初めてのチーズフォンデュに舞い上がり、写真を撮るのを忘れたので

代わりにNさんちに飾られたおひな様でも見てちょ。



彼女が生まれた70年前のもので

内裏雛の後ろに宮がしつらえてあり、いかにも高そう。

「初孫だったから、祖父母が張り切っただけよ」

Nさんは微笑むのだった。

年を取ったとはいえ、うちらも元は女の子…

美しいおひな様を眺めるとウキウキしちゃうわ。

皆様にも良い春が訪れますように。
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イチゴ狩り

2024年02月27日 09時41分22秒 | みりこんぐらし
先日、同級生のマミちゃん、モンちゃんとイチゴ狩りに出かけた。

子供がまだ小さい頃、リンゴ狩りとサクランボ狩りには行ったことはあるけど

イチゴ狩りは初めて。

リンゴ狩りはそんなにバクバク食べられるもんじゃないし

サクランボ狩りは監視の人が付きまとい

「1本の木で一粒か二粒、味を見る程度にしてくださいね」

とうるさかった。

そんなに惜しいんなら客を呼ぶな…と思ったものである。


ブドウ狩りは高校の夏休みに妹とバイトをしたので

お金を出してまで行く気は起きない。

電車でふた駅の、今住んでいるこの町にあるブドウ園だ。

普段は地元のおばさんが10人ほど働いているが

お中元シーズンにはブドウを買いに来る人が増えて人手が足りないため

お盆までの2週間弱、数人の高校生バイトを雇っていたのである。


ブドウ園の持ち主夫婦は、ケチで意地が悪かった。

大人になったら、ああはなるまいと誓ったものだ。

雇い主がそんなだから、働いているおばちゃんたちも萎縮して

卑屈な人が多かったが、中には優しい人もいた。

大人になったら、ああいう人になろうと誓ったものだ。


私と妹をバイトに誘った2人の同級生は過酷な労働に音をあげ

一日で来なくなった。

私たちも辞めてしまおうかと思ったが、二人いなくなったので辞めにくくなり

そのままシーズンが終わるまで通った。

そこで学んだ知識?により、ブドウの品質にはうるさくなった私である。


いずれにしても私と“狩り”は相性が良くないと思っていたので

長い年月、狩りと名のつくものに手を出す気は無かった。

が、急きょ行くことになったのは中学と高校の同級生トシ君が

イチゴ園の管理人をしていると聞いたからである。


中高で野球部だったトシ君とは、わりと仲が良かった。

彼は野球部の主将、私はブラスバンドの副部長だったため

試合の応援で接触があったからだ。


が、我々の地元には小学校の同窓会しか無いので

大人になってから接触したことは無い。

知っている消息は勤務先と、私と同じ町に家を建てたことぐらい。

もっとも彼は長年、とある市議の選挙ドライバーをしていて

4年に1回、選挙カーですれ違っていたので顔は見ている。


「定年間際に色々あって、遠い島にある系列会社のイチゴ園に飛ばされた。

桃より甘いイチゴだから、ヤツが退職する前に行った方がいい」

高校の野球部だった子に言われ、その気になった私は

トシ君と小学校から一緒のリッくん(ここに時々出てくるお茶の師範)

に電話して、連絡してもらう。


しかしリッくんが伝えてきたのはトシ君の携帯番号だけで

あとは本人同士でよろしくということだった。

そうだった…この子、人の世話が苦手なのだ。

チッ!役に立たない男、いやゲイだ。


トシ君の声を聞いたのは、実に46年ぶり。

思わず「トシ君?」と名前を呼んでしまった。

「おお!みりこんちゃん!」

向こうもすっかり高校生に戻っとる。

彼の話によるとイチゴ園は予約でいっぱいだそうだけど

曜日と人数によっては調整できるということで

急きょ、この日曜日に行くことになった。


リッくんも行きたがり、バイトを休める3月まで待ってくれと言ったが

見捨てた。

だってこの人、経済的理由で車を出したがらない。

そのためかどうかは知らないが、日頃から極度の方向音痴を主張している。

イチゴ狩りの世話もしてくれなかったし

彼が我々に混じるメリットは、彼にあっても我々には無いからだ。


こうして25日の日曜日、マミちゃんの運転でイチゴ園に向かった。

それにしても島は遠く、1時間半近くかかった。

橋が通っているので地続きではあるが

トシ君はほぼ毎日、この道のりを通勤しているのだ。

彼の性格だと、この通勤を楽しんでいるだろうし

職場の人たちとも仲良くやっていると確信しているが

物理的には早く辞めろと言われているのと同じじゃないか。

若い頃は、職場にいる年配者が鬱陶しかったが

いざ自分が年かさになると、このような扱いが身に染みる。


「よう来たのぅ!」

イチゴ園に着いたら、トシ君が出迎えてくれた。

おお、がっしり体型はそのままだけど、頭も眉毛も真っ白になっとる。

が、やっぱり農園ライフを楽しんでいる様子。

景色もいい。



入場料一人あたり1,700円を支払い

トシ君の案内でさっそくイチゴ狩りにいそしむ我ら3人組。






甘くて美味しいわ。




イチゴを食べるために昼を抜き、午後1時の予約にしたけど

そうたくさん食べられるもんじゃないわね。

40分の制限時間より早く、ギブアップ。

マミちゃんは「もう当分、イチゴはいいわ」とつぶやき

モンちゃんは「あと2年、イチゴ無しで生活できる」と言った。


それからトシ君に連れられ、同じ敷地にあるカフェへ。

彼はそのまま仕事に戻ったけど、3人のコーヒー代は払ってくれていた。

こういうところが、トシ君なのよね。

カフェのおばちゃんもトシ君のファンらしく、彼の昔話で盛り上がった。


カフェの隣にあるレストランで食事をし、お土産を買って帰ることになった。

このイチゴ園は狩るだけでイチゴの販売をしてないので、イチゴのお土産は無し。


コーヒーのお礼を言うため、トシ君に声をかけたら

彼はレモンやデコポンを詰めた袋を3つ持って来て

「土産じゃ」

と言いながら我々にくれた。

我々のために用意していたらしい。


そして彼と4人、駐車場で1時間ほど立ち話をしたが

午前中は雨だったし夕方が近づいていたので、ものすごく寒かった。

ビニールハウスだから暖かいと思い込んでいた我々は、軽装だったのだ。

ビニールハウスには間違いないけど、曇っていたし

イチゴが傷むので暖房なんか無いし、そう言えば着いた時からずっと寒かった。

イチゴは寒い時期が美味しいそうだけど、こう寒くっちゃ…。

遭難するかと思った。
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5年越しの戦い

2024年02月22日 15時20分59秒 | みりこんぐらし
昨年12月は、5年ぶりに運転免許の更新だった。

ゴールド免許を自慢しているわけではない。

遠くや知らない所へ行かない、できるだけ運転しない…

この精神で無事故無違反を継続しているだけなのはともかく

免許証の写真を撮ったのも5年ぶり。


5年前、証明写真のボックスで写真を撮った時は

ちょっと値段の高い「美肌モード」を選んだ。

その時、顔はまあまあに写ったけど、髪の方が今ひとつ。

美肌用の強いライトのせいだろう、髪が光によって飛んでしまい

ペチャンコに見えて不満だった。

そこで、今回はどうしようかなぁ…と思いつつ、ボックスの中の人となる。


が、5年の月日は私に冷たかった。

この近辺も外国人が増えて、証明写真のボックスは

複数の外国語の自動音声が内蔵されていたのだ。

どこでボタンを押し間違えたのか、説明が中国語になっちまったじゃないか。


日本語に変えようにも、自動音声の女は早口でまくし立てるばかりで

何を言うとるのかわからん。

ヒ〜!もはや美肌モードどころじゃない!

焦った私は一刻も早くここを出るために当てずっぽうで選択ボタンを押し続け

何とか写真は撮れた。


が、美肌モードでなく通常モードで撮った私は傷んだお婆さんでしかない。

髪はちゃんと残っているけど、何だか色黒で小ジワとたるみがバッチリよ。

5年前に撮って免許証に載っている写真と比べたら

「この5年で何があった?!」のレベル。

まあ、色々あったのは確かだけど、ここまで老けるとはね。

髪の写りなんかどうでもいいから、次の更新は絶対に美肌モードで撮ると誓う。

その前に、中国語のボタンをうっかり押さんことじゃな。

いや、また間違えたら恐ろしいので、写真屋さんへ行こう。



5年前といえば…いや、もう6年前になりそうだけど

2018年7月の西日本豪雨。

あれは私の住む町にも、大きな影響をもたらした。

我が家は庭や前の道路が浸水した程度で済んだものの

多くの家々が浸水や土砂崩れで被害に遭い、犠牲者まで出て

そりゃもう大変な騒ぎだった。


あれから約5年と8ヶ月…一部の山を除いて町はほとんど復興したが

我々一家は豪雨の後遺症とでも言うべき、ある問題を抱えることになった。

その問題とは、クマネズミ。

目の前にある川が豪雨で増水したため、生態系が変わったらしい…

それまで我が家に何十年も常駐していた小さな家ネズミがいなくなって

10センチ超の大きなクマネズミ数匹が棲みついてしまったのだ。


自然豊かな田舎のこと、小動物との共存は致し方ないと諦めているが

小柄で上品な家ネズミと違い、クマネズミ戦闘的で悪辣。

丸くて小さい可愛らしい耳をしているから

クマネズミと呼ばれるのかどうかは知らないが

可愛いのは耳だけで、身体は大きいし意地も悪い。

ヤツらのやらかす悪さは家ネズミの比ではなく

壁や柱をガリガリとかじり、夜中には天井裏でドタバタと大運動会。

家もメチャクチャになるが、サツマイモ大のアレらは体重が重たいので

うるさいんじゃ。


我々とて、手をこまねいて我慢ばかりしていたわけではない。

手始めに、ドブネズミ用の大きな粘着シートを仕掛けた。

すると一発で、最初の一匹がかかった。

クマネズミには違いないけど、ずいぶん小さい子供だ。

おぼこいので、罠にかかるというヘマをやったらしい。


これに気を良くした我々は、粘着シートを買い足してあちこちに仕掛ける。

犬がいるので滅多な所には置けず、場所を考えながら設置に励んだが

二度とかからなかった。


ちなみにペットが粘着シートにくっついてしまった時は

ペットに小麦粉をまぶすといいそうだ。

獣医さんから聞いた。


粘着シートがダメとなると、夫家に伝わるネズミ獲りのカゴの出番。

そのカゴは私が嫁いだ頃、すでにあった。

長方形の金属製のオリで、オリの奥にエサを引っかける針金がぶら下がっている。

ネズミがエサに誘われて、ぶら下がったエサを食べ

針金が動くとオリの入り口がガシャン!と閉まって生捕りになる手はず。


その後はどうするのかって?

カゴごと水に沈めて他界していただく。

ぐったりしたその子をオリから出して廃棄するのはキツい作業だが

家庭だけでなく、食品を扱う店などでも使われる古典的な罠。

この装置最大の長所は、薬品を使用しないので安全なところである。

我が家もこの装置で、これまで多くのネズミが処刑されてきた。


ともあれ誘うエサの手を変え品を変え、カゴを仕掛けて数日後。

少し大きいのが、かかった。

その時のエサは、ウインナーだったと思う。

しばらく裏の納屋へ置いていたが、そこを通るたびに

カゴの中からシャーッ!と喧嘩腰の態度。

やがて帰って来た夫が水の中へ沈め、さようなら。


一度かかった罠には二度とかからないのか、その後は何ヶ月も不作が続いた。

そこで今度は毒物。

古典的な赤いお米みたいなのやスプレー式などを色々試し

行き着いたのがこれ。



イカリ印の殺鼠剤、メリーネコ。

パッケージのイラストが可愛いので買ってみた。

写真は野ネズミ用だが、家ネズミ用もある。

私はクマネズミが野ネズミか家ネズミがわからなかったので、両方を買った。

中身は3センチ四方ぐらいの紙パックがたくさん。

その紙パックの中に、ネズミに良くない粒状の毒が入っていて

ネズミが食すると屋外で絶命するそうだ。


これは効いた。

家のあちこちに置いたら次々に3匹、庭の植木鉢や花壇の隅で息絶えていた。


気をよくしてメリーネコを買い足し、またあちこちにばらまく。

が、それっきり成果は無かった。

やっぱり同じ手には引っかからないみたい。

クマネズミは数々の危険を学習したらしく

我が家には、最も頭のいいラスボスが残った。


「一匹、賢くて大きいヤツがいる」

彼?を目撃したり被害を受けたりするうち

我々はそいつを『クマよし』という名前で呼ぶようになった。

クマよしはその後、何年にも渡って我々を苦しめるのだった。


もちろん、プロに退治してもらう方法もある。

事実、同級生のマミちゃんは自宅に野生動物が棲みつき

天井裏でおしっこをしたり、壁や柱に足跡をつけたりと悪さをするので

プロに駆除を依頼した。


捕獲された動物は、テンという生き物だった。

料金は50万円で、5年間の保証付き。

向こう5年の間に再びテンが棲みついたら、無料で駆除をしてくれるそうだ。

だけど5年なんて、あっという間よ。

マミちゃんの家は日本建築の豪邸なので、動物に傷められるのは困るだろうが

うちは古いボロ家。

値打ちが無いので、ネズミのために大金を払うのは惜しい。


粘着シート、ネズミ捕りのカゴ、そしてメリーネコ…

この3点セットで捕獲を試みる日々は続いた。

が、敵もさるもの、一向に引っかかる気配は無い。


そのうちクマよしはさらに賢くなって、あからさまな悪事をはたらくようになった。

インコに与えた小松菜を鳥かごから引っ張り出したり

義母ヨシコが隠しているお菓子をかじったり

チューブのハンドクリームに穴を開けていたこともあった。

ヤツは天井裏や壁の中というマイナーな箇所だけでなく

人間のテリトリーに踏み入ってきたのだ。

我が家での暮らしにも慣れ、調子に乗ってきたらしい。

が、人間だろうとネズミだろうと、調子に乗ると落とし穴に落ちやすいもの。

私はその瞬間を気長に待った。


そして先日、ついにその瞬間が訪れる。

まだ夜明け前の早朝、長男が台所へ行くとガサガサと音がしたという。

あんまりうるさいので音源を探すと

台所のフキン掛けにぶら下げたスーパーのポリ袋の中で

出られなくなったクマよしがもがいていたそうだ。


クマよしほどの“手だれ”なら、ポリ袋を噛み破って外へ出られたはずだが

大容量のホットケーキミックスが邪魔をして、逃走に時間がかかったらしい。

食べ物に手を出し始めたクマよしを危険視した私は

少し前からホットケーキミックスやお菓子類をポリ袋に入れて

高い所へぶら下げるようになっていたのだ。


長男は急いで袋の口を縛り、クマよしを車で会社へ連行。

ホットケーキミックスもろとも、焼却炉へ投入した。

長男の話によるとクマよしはかなり大きく、コロコロに太っていたそうだ。

あれから数日、我が家は静かな夜を過ごしている。
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プラスワン

2024年02月07日 09時14分11秒 | みりこんぐらし
同居する義母88才と、実家で一人暮らしの母90才にかまけ

何かと慌ただしい日々を送っていることは

折に触れてお話ししてきた。

ところが先月末からここに、夫が参戦。

この人だけは手間が要らないばかりか

私のハードな日常をさりげなくフォローしてくれていたのに

一番手がかかるようになった。


認知症ではない。

ヒザ関節症の悪化。

急に寒くなって、痛みがひどくなったらしい。

患部は左足なので運転はできるため

仕事には出ているが、歩行には難儀する状況。

よって、こちらが動いて彼の要望を叶えることが増えたのだ。


夫は元からマメだったわけではない。

女房にタバコの火を点けさせたり、足の爪を切らせたり

ゴルフ道具の手入れをさせていた男の息子なんだから

結婚当初は何もしないのが当たり前だった。


しかし、身辺清らかでない暮らしが長かったせいで

冷蔵庫から食品を出したり、着替えを取りに行ったり

うっかり床に落とした物を拾ったり、ゴミを捨てるといった

何げない日常の動作は妻を頼らずに自分でやるようになった。

よそのおネエちゃんのアパートへ住み込んだり

駆け落ちを繰り返している間に

自分のことは自分でやる癖がついたのである。


なぜって、よその旦那と遊ぶ女は横着者と相場は決まっとる。

横着だから、すでに仕上がった妻子持ちを自分の物にしたがるのだ。

その横着者、最初のうちは甲斐甲斐しいフリをするが

それは演技なので続かない。

続かないから、夫は自分のことを自分でする癖がついた。

女との蜜月を引き延ばしたければ

自分が甲斐甲斐しくなるしかないのだ。

可愛い子には旅をさせよ…じゃないけど、これも一種の成長。


言うなれば私は、身辺清らかでない夫を持ったお陰で

この手の細かい世話を免除されてきたというわけ。

それがどうよ。

これじゃあ、関白亭主にかしづく世話女房と同じじゃないか。


しかし最も困るのは、2匹の犬の散歩。

体力が有り余っている夫は、朝昼晩の1日3回

アレらを散歩に連れて行った。

それが癖になっているもんで、急に行けなくなると犬が納得しない。


そこで長男と手分けして散歩をするが

長男がいない時は、私が2匹を連れて行くことになる。

1匹ずつというわけにはいかない。

アレらは仲悪いくせして、散歩はニコイチでなければ動かないのだ。


かたや体重30キロ超の若い大型犬

かたや8キロと小さいものの、13才の老犬。

犬種と年齢が違えば習性やスピードも違い、非常に骨の折れる作業だ。

ただでさえ忙しいのに、この上、犬に時間を取られるのは厳しい。


そもそも夫は元々重度のO脚で

身長180センチ、体重85キロの巨漢。

この条件でバドミントンを週に3回続けていたら

重い体重を支えるヒザに無理が来るのは当たり前だ。


野球をやっていた夫に、バドミントンは合わない。

たまに走り、たまに打つ野球と違って

バドミントンは最初から最後まで動きっぱなしの激しいスポーツ。

あれは足がまっすぐで、身軽な人が楽しむものだと思う。

人より多い頻度でバドミントンをやるには、夫は大柄過ぎるのだ。


思い返せば夫がバドミントンに手を染めたのは、30年ほど前。

当時の愛人だった第一生命のおネエちゃんに誘われて始めた。

以来、バドミントンのトリコとなった彼は

生命保険のおネエちゃんと別れて以降も

私に隠れながら細々と続けていた。

この10年余りは複数の人から誘われるままに入会し

3つのバドミントンクラブを掛け持ちするありさま。


この男が限度というものを知らないのは

長い結婚生活で熟知しているつもりだった。

昔やっていた野球も、6チームか7チームぐらい入っていた。

どれがどのチームのユニフォームか、わからなくなったり

試合にどのチームから出場するかでトラブルになったことも

一度や二度ではない。

請われればホイホイと行ってしまう…

それはスポーツでも女でも同じ。

バドミントンはたまたま市内に3チームしか無いため

3つで留まっているだけである。


けれども近年、彼のヒザは悲鳴を上げていた。

壊れるまで秒読み段階になってからは

「早く辞めないと車椅子になるよ」

私は何度も言った。

そうなれば夫も辛かろうが

こんな大男を介護する身の上になったら、こっちも死活問題。


しかし、止められると意地になるのが夫。

「このまま進み続けたら大変なことになる」

頭ではわかっていても、引き返したり諦める勇気が無く

つい前に進んでしまう…

登山で遭難する人や、マルチ商法にハマる人と同じ心理である。


そしてとうとう、彼のヒザは使い物にならなくなった。

いずれ足が悪くなるのは予測していたが

せめて自分の親を見送ってからにしたらどうだ。


私におびただしい洗濯物を洗わせ、高いラケットを次々と変え

ヒザ痛で病院通いをしながら続けてきたバドミントンが

いったい何の役に立ったというのだ。

痩せたわけでもなく、品行方正になったわけでもなく

変な女に引っかかって、会社に入れただけじゃないか。

ちなみにその女、今回も教員採用試験に落ちたらしく

4月以降も続投決定。


ともあれ親に手がかかるのは、仕方がない。

誰でも年を取る。

年を取れば意固地にもなるし、心細くもなる。

自然なことだ。


しかし、夫のヒザは違う。

人一倍大きい身体とO脚に目を背けたまま

人並みに週1回程度の楽しみにしておけばいいものを

週に3回も続けた挙句に歩行困難となった。

誰にも訪れる自然の摂理ではなく

自身の欲望をセーブすることなく破滅にひた走った忌々しさ。

これで懲りるかといえば、絶対に懲りない。

それが夫である。


さて、このまま介護生活突入か?と思われたが

数日続いた雨が上がって気温が上昇すると

少し楽になってきたようだ。

夫も楽になったが、私も週3回やっていた膨大な洗濯が減って

よく考えれば楽になったかもしれん。


私は洗濯が苦になるタイプではないが、夫の洗濯物はマジで多い。

限度を知らないという呪われし悪癖は、ここにも発動。

バッグには入り切らないので

大きなゴミ袋へパンパンに入れて持ち帰る。

こんなにたびたび着替えて、バドミントンはいつするんだろう?

と不思議なくらいだ。


前に一度、洗濯が大変だと知り合いにこぼしたら

「あら、私は主人が週に一度、バレーボールに行くけど

その洗濯物を干しながら

主人が健康でバレーボールを楽しめることに喜びを感じるわ」

彼女は細い目を丸くして言ったものだ。

あんたの所は夫婦二人やんか。

週に一度やんか。

が、そういう考え方もあるのだと知った。


夫は現在バドミントンを休んでいるので、膨大な洗濯物は出ない。

動けない夫に世話が焼けるのと、寮母並みの洗濯…

どっちがマシだろうと考えてみる。

…今のところ、ドローだ。

いずれにしても、バドミントンは辞めてもらう。
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シワ改善?

2024年01月28日 19時16分23秒 | みりこんぐらし
先日、10キロ痩せたとブログで話した。

富永愛…とまでは言えないけど

“スラリ”という表現が使えそうな気がする。


しか〜し、手放しで喜ぶわけにいかない64才。

胸の肉がそげ落ち、骨が浮き出て

地獄絵図に描かれた亡者や餓鬼みたい。

それでもこっちの方は、服さえ脱がなければ隠せる。

問題は、顔の小ジワじゃ。


最も深刻なのが、頬の登頂部。

いくらペッタンコな私の顔でも

ここはわずかに盛り上がって、控えめなツヤをたたえていたはず。

それがどうよ。

微細な小ジワがひしめいて、しぼんだ風船みたいだ。

これが、かの有名な“ちりめんジワ”か。

ガ〜ン!


おまけに数少ないチャームポイントだったエクボは

もはやエクボにあらず。

両頬の下部からアゴにかけて、深い縦ジワを掘り込む

スタートラインになり下がっとるではないか。


一応、手当てはした。

同級生マミちゃんの店で買う美容液や栄養クリームをランクアップして

今までの倍の量を塗りたくるのだ。

しかし何ら変化は無く、変わったのは財布の中身だけ。

美容液とか栄養クリームって、とにかく高いのよ。


これではいかん…そう思っていたところへ

ひと月かふた月に一度訪れる置き薬のセールスマンが来訪。

置き薬って、今どきは家庭常備薬と呼ばれているが

定期的に顧客の家を訪問しては使われた薬の代金を受け取り

新しい薬を補充する仕事をする人である。


その昔、置き薬のセールスマンといえば

やさぐれた怪しげなオジサンがお決まりだった。

転職を繰り返して行き着く先は、誰でも入れてくれる営業職。

身内や友だちを顧客にし尽くすまでは、雇ってもらえるからだ。

あの本社雇用の松木氏なんぞ、ピッタリな感じ。

続かないので、家に来る人がしょっちゅう変わるのも特徴だった。


しかし今どきは、そんな人物だと警戒されて門前払いになる。

よって明るく爽やかで、闇を感じさせない人物が主流になった。

この男も30代後半の、太った人懐こいタイプ。

うちの息子と同年代なので、話しやすい。


うちはこの置き薬の会社が扱っている目薬と

葛根湯ドリンクが気に入っている。

いつものように支払いと補充を済ませると、彼はたずねた。

「そうそう、ヒアルロン酸ジェルはまだありますか?」

顧客に薬を貸して使った分だけ現金を回収するという

従来の営業形態に加え

その場で何かを販売するのも彼らの仕事である。


ヒアルロン酸ジェルは、全身に使える3千円くらいの保湿剤。

以前買って、風呂上がりの手足に付けていたが

プルプルと潤っているのはジェルだけで

付けた人間はちっとも潤わない。


そればかりか、ジェルから漂う花の香りに犬が激しく反応。

二匹が競って私を舐めまくるため、鬱陶しくなって長男に与えた。

あの子もはや中年、私に似て乾燥肌なので

風呂上がりには顔に何か付けないと、肌が乾燥するのだ。


そのジェルは大きな入れ物に入っていて、まだたっぷり残っている。

だから、「いらない…潤わないし」と答えた。

すると営業上手な彼は言う。

「新しいのが出たんですよ。

ナイアシンアミドが入ったクリームです」


ナイアシンアミド…

最近、テレビの通販番組でよく耳にする単語である。

「えっ?ナイアシンアミドが入って、このお値段?」

などと大袈裟に驚くやつよ。


「すごくしっとりと潤うんですよ」

彼はサンプルを取り出し、試すように勧める。

直径7センチぐらいの小さい入れ物だ。


化粧をしているので顔に付けるわけにはいかず

手の甲に付けるが、ハンドクリームと同じ感触でよくわからない。

それでも「しっとり潤う」と言われれば、心が揺れるではないか。

もちろん置き薬のセールスマンに、お肌の悩みなんか打ち明けはしない。

汗かきで脂性の彼に、乾燥肌や小ジワの話なんかしたって

わかるわけがないのだ。




30グラム入っていて、価格は4,800円だそう。

今使っている美容液や栄養クリームに比べたら、3分の1じゃんか。

ダメ元で飛びつき、使うようになったが

話の通り、ものすごく潤う。

ワタクシ史上、最高の潤いっぷりではなかろうか。

配合されているというナイアシンアミドが良いのか

クリーム自体が粘っこいからなのかは不明だが

一日中、これほど潤いっぱなしのクリームは知らない。


潤いさえ入手すれば、こっちのもんよ。

シワ問題は年齢問題でもあるので

整形でもしない限り解決しないとわかっているけど

ツヤが出て小ジワを多少、反射してくれるのと

笑ったら頬がピシッと音を立てそうな不快感が無くなった。

それだけでも幸せよ。


振り返れば、胎盤エキス、ヒアルロン酸、コエンザイムQ10、レチノール

プロテオグリカン、セラミド、ビタミンC誘導体、卵殻膜エキス…

店販、訪販、通販で、さまざまな成分を売りにした基礎化粧品を使ってきた。

が、まさか置き薬の男から栄養クリームを買う日が来ようとは思わなかった。

マミちゃんには悪いが、しばらくはこれを使うつもり。
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靴底事件・アゲイン

2023年12月29日 21時21分03秒 | みりこんぐらし
先日、夫と市外のホームセンターへ買い物に行った。

愛犬パピのおやつを入手するためだ。


うちには13才のパピヨン、パピと

3才のダックスとセッターのミックス、リュウがいる。

犬種が違うので食の好みも違い

おやつはそれぞれ別の物を与えているが

近頃、パピが愛してやまないおやつ…

ドギーマンというメーカーの“きらり”が町内で品薄。

“きらり”にはプレーンやチーズ入り、野菜入りなど何種類かあって

パピの好きなプレーンタイプが売られてないことが増えた。


車で40分ほどかけて、大きな町のホームセンターに行けばある。

だから、その店へ行った時にはいつもたくさん買っておくのだが

町の人口が多いため、当然、車も多い。

週末なんか芋を洗うような賑わいで、ホームセンターの駐車場は無法地帯。

何かと消耗するため、比較的近くて人影まばらな田舎の店を開拓中なのだ。


しかし、どこへ行ってもきらりのプレーンタイプは見つからない。

ネットで買えばいいようなものの

きらりを買うと言えば義母がすんなり納得するので家を出やすいため

夫婦できらりを探す旅を楽しんでいるのである。


先日は、我々が以前住んでいた山間部のホームセンターへ

行ってみようということになった。

今から30年近く前の35才の時、夫の実家から九州へ出奔した私。

結局帰って来て夫や子供たちと合流し、5年ほど暮らしていた思い出深い町だ。

世話になった大家さん夫婦はすでに亡くなり

ほとんど行くことが無くなって久しい。


というわけで行ってみたが

やはりそこのホームセンターにもきらりは無かった。

仕方がないので同じ敷地にあるスーパーへ寄って帰ろうと

広い駐車場を歩いていたら、黒い喪服の集団と遭遇。

子供から年寄りまで10人ほどいるところを見ると

身内の葬式帰りらしい。


そうだった…この町の人々は閉鎖的で

かつ、ちょっと変わったところがある。

滅多に着ない喪服を着ると、すぐに脱ぐのがもったいないのか

あるいは娯楽が少ないからか、一族郎党が喪服のまま

スーパーなど人の多い所へ繰り出してゾロゾロと練り歩き

買い物をする習性があるのだ。


その中に、おそらく我々より少し年上の太ったおじさんが一人。

きつそうな喪服を着てポケットに手を突っ込み

一族と一緒に練り歩きながら、時々立ち止まってキョロキョロしている。


この行為も、この町の男性あるある。

たまに着た喪服姿を人に見て欲しいらしいのだ。

ついでになぜか肩をいからせて、ヤクザ映画さながらに

いかつい男を表現。

私が住んでいた頃から、この摩訶不思議な行為は続いていたみたい。

最初は意味不明だったが、何度も見かけるうちに彼らの意図がわかってきた。

今でこそ豊富な休耕田を活用してスーパーがたくさんできたが

元はそれほどすさまじい田舎だったということだ。


さて、田舎のショッピングモールは、やたらと広い。

ホームセンター寄りに停めた車から、遠くに見えるスーパーの入り口を目指して 

我々夫婦は延々と歩いていた。


と、やがて“バッタン、バッタン”という

大きな音が聞こえてくるではないか。

「近所の人が布団で干していて、それがこだましているんだろう」

私は思った。

広い駐車場に響くバッタン、バッタンは

誰かが布団を叩く音だと信じて疑わなかったのだ。


しかし、そこで夫が笑いながら耳打ち。

「ワシと同じヤツがおる」

夫が指さす方角には、例のおじさんが一人で歩いている。

彼はいつの間にか一族と離れ、単独行動になっていた。

バッタン、バッタンは、そのおじさんの足元から発生しているようだ。


「おおっ!」

素晴らしい光景を目撃した感動で、私は思わず声をあげた。

彼の右足の靴と靴底は、離婚寸前。

かろうじて、爪先だけがくっついている。

古い劣化した靴で歩き回っているうちに

土踏まずとカカトの部分がペロリと決別したらしい。


その状態で歩くたび、離れた部分が大きく波打ち

反動が足の裏を太鼓のごとく、派手に打ち鳴らしている。

その大音響に、他の一族はさすがに恥ずかしく思ったのか

あっさり彼を見捨て、どこかへ散ったようだ。


バッタン、バッタンはショッピングモールの建物に反響し

高らかに響き渡る。

しかし、おじさんはどこ吹く風。

相変わらずヤクザ映画の主人公にでもなったかのように

肩をいからせて歩き回っている。

まさか自分の靴と靴底が離れかけているとは、夢にも思ってない様子。

呼吸困難になるほど笑った。


思い起こせば、何年か前にあった本社の新年会…

人並外れた甲高幅広足の夫は、履いて行く靴が無くて古いのを履き

パーティー会場で靴のカカトが落ちた。

それを次男が見つけ、近くに居た人と

「終わってるね」と話して笑ったが

終わってるのは自分の父親だったというてん末。

あの時も腹がよじれるほど笑ったが

今回は目の前で見たというのもあり、もっと笑った。


「きらりを探しに行って良かった!」

夫も私も心から、そう言い合った。

しばらくは、このネタで笑えそうだ。
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人気者

2023年12月18日 09時10分31秒 | みりこんぐらし
次男夫婦の間で今、モンちゃんが熱い。

モンちゃんは、ここでもよく登場する私の同級生。

家が近かったため、幼稚園に上がる前からの友だちだ。


彼女と私は共に商売をする家の長女に生まれ

彼女の父親はマスオさん、私の父親は養子として

義理親の家に入り、家業に従事していたこと…

彼女も私もたまたま同じ町の男と結婚し

双方の伴侶もたまたま二つ年上の同級生同士だったこと…

彼女の方は仕事が続かない旦那、私は浮気者の旦那に

それぞれ手を焼いて数十年…

そしてモンちゃんの方はすでに見送り済みだが

姑仕えに苦心した身の上など

お互いの生活基盤に共通点が多いため、心からわかり合える大切な存在だ。


次男夫婦がモンちゃんのファンになった発端は、半年ほど前。

車を運転中のモンちゃんが路上でパトカーに止められたのを

嫁のアリサが偶然目撃したことから始まる。

しかも同じ月に2回だ。


モンちゃんの罪状は、どちらも歩行者進路妨害。

7〜8年前だったか、信号の無い横断歩道の手前に

道路を渡りたい歩行者が立っている場合

車は停止して歩行者を渡らせなければいけない規則ができた。

モンちゃんはそれを怠って通過し

後方に居たパトカーに止められた様子だったとアリサは言う。


アリサは、モンちゃんと会ったことが無い。

「顔の部品が浮世絵の“ピノキオ”」

私の話したモンちゃんの人相風体から

「間違いない」と踏んだそうだ。


顔の部品が浮世絵というのは、浮世絵に描かれた美人画から。

モンちゃんは面長(おもなが)で

糸目鉤鼻(いとめ・かぎばな)の古風な顔立ちなのだ。

江戸時代なら浮世絵のモデルになって、もてはやされていたかもしれない。

あれが髪を段カットにしてトレーナーを着たら、モンちゃんになる。

ピノキオの方は、昔のアニメ“樫の木モック”でもいいのだが

身体が細くてカクカクしているのが由来だ。


私はアリサからモンちゃんの目撃談を聞いた時

「そんな偶然があるものか。

一回はモンちゃんであったとしても、さすがにもう一回は別人だろう」

と思った。

しかし後日、モンちゃん本人から告白が。

「横断歩道の歩行者が目に入らなくて、ひと月に2回もパトカーに捕まった。

財布が痛い」

やっぱりビンゴだったのだ。


それをうちの嫁に見られたと知ったらショックが倍増すると思い

「悪かったねぇ…交通事故よりマシと思おうや。

モンちゃんが無事で良かった」

と言った。

そして自分が目撃したのがモンちゃんかどうか

結果を待ち焦がれていたアリサには

「本当だった」と伝えた。


それからが大変。

俄然モンちゃんに興味を持った次男夫婦は

彼女の話を聞きたがるようになり

最新ネタが入らない時は、子供時代の思い出を話せとうるさい。


そこで、モンちゃんがお母さんの着せ替え人形で

いつもフリフリの可愛い洋服を着ていたこと…

書道、ピアノ、バレエ、絵画、日舞、茶道、華道など

たくさんの習い事をしていたこと…

遅刻の女王で、遠足や校外行事の度に大幅な遅刻をし

いつもタクシーで合流していたこと…

中学時代に『学生街の喫茶店』という歌が流行り

それを歌っていた“ガロ”というトリオに夢中だったこと…

メンバーの中で“マーク”と呼ばれていた

ロングヘアのビジュアル系に魅せられていたこと…

彼のトレードマークはレイバンのサングラスだったので

モンちゃんもマークと同じタレ目型のレイバンが欲しくなり

お母さんの協力で入手したこと…

それに近視用の透明レンズを入れて、学校で使っていたこと…

細面のモンちゃんにレイバンは似合っていたが

アメリカ製のサングラスは大きくて重いため

いつも小鼻の辺りまでずり落ちていたこと…

などを話したら、大喜びする次男夫婦。


ちなみにモンちゃんの華麗な子供時代を知る者は

頻繁に行き来していた私しかいない。

彼女が自ら人に話すことは、一度も無かったからだ。

話す以前に、彼女は自身の日常に興味を持っていないフシがあった。

口数少なく、羨望も嫉妬もライバル心も無く

ただひょうひょうと生きる姿はまさに仙人。


口うるさい田舎町で、モンちゃんだけは

何をしようと完全にノーマークだった。

他の者が派手なレイバンのメガネなんかをかけていたら

速攻で揶揄の対象になっていたはずだが、モンちゃんだけはスルー。

遅刻に至っては先生と私以外、誰もその事実を知らないままである。

あまりにも悠々と現れるので、違和感を感じないのだ。

影が薄いというのか、気配を消せる特技を持っているのか

いまだに謎。


先日も次男夫婦がねだるので、最新ネタを披露。

モンちゃんが、うどんかラーメンかで悩んでいた話だ。

私と会う前夜、彼女の家の晩ごはんは湯豆腐だったそう。

「だから今夜は湯豆腐の残りの汁に

うどんかラーメンを入れて食べるつもりなんだけど

どっちにするか、迷ってる」


湯豆腐の残りを翌日の晩ごはんにするのって

いかにも節約家のモンちゃんらしい。

旅館の娘として贅沢三昧に育った彼女だが

働かない旦那と暮らしているうちに倹約が身についたようだ。


「湯豆腐なら、うどんじゃろ」

私は言った。

しかしモンちゃんは首を振る。

「それがさ、冷凍のギョウザとシューマイも入れたのよ」

「それはもはや…湯豆腐じゃないのではっ?」

「豆腐がメインだから、私の認識では湯豆腐なのよ。

でも味は中華に寄ってるし、決められない」

ロダン作、“考える人”のブロンズ像みたいにうつむき

真剣に悩むモンちゃん。


「じゃあ、うどんとラーメンを1個ずつ買って時間差で入れたら?」

無責任な提案をしてみたが、モンちゃんは首を振って断言する。

「どっちか一袋しか買わない」

そうだった…この夫婦は食が細い。

何はさておき、まず酒なので

うちでは考えられない少食なのだった。


うどんかラーメンかの悩みは、帰るまで続いた。

その後、私と別れてスーパーへ行ったモンちゃんが

どっちを買ったかは知らない。



モンちゃんは20代の頃、あと半月で結婚式という段になって

突如相手の男が嫌になり、彼女の親が結納金の倍返しと

ホテルのキャンセル料などを支払って婚約解消した武勇伝を持つ。

その数年後に今のご主人と出会って結婚したが

彼に決めた理由はいたってシンプルだ。

「マークに似ている」

これもやはり武勇伝として、次男夫婦に話した。


ちなみにそのマークもどき

私には散髪嫌いの変わり者にしか見えなかった。

しかし、こっちも結婚を決めた理由は

「舘ひろしに似ている」だったので、人のことは言えない。


ともあれ人生を左右する大決断には躊躇せず

うどんかラーメンかではクヨクヨと悩むモンちゃん。

このギャップが、次男夫婦のハートを掴んで離さないらしい。

この人気は、しばらく続きそうだ。


『コタツでお休みになる、うちの人気者リュウ・3才』


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詐欺電話

2023年12月12日 15時43分53秒 | みりこんぐらし
近頃、誰でも知っている電力会社を名乗り

料金のシステムが変わるだの、お得なプランだのと

ひたすら自動音声を聴かせる電話が増えた。

言われるままにプッシュボタンか何か押したら

とんでもない外国へ繋がって厄介なことになるタイプだ。

他人から金銭をせしめようとしながら、自動音声に任せるとは何と横着な。

詐欺の風上にも置けない。


また数日前には、とある商店を営む知り合いの所へ

年金の還付金詐欺の電話がかかってきたそうだ。

手違いで年金を少なく支払っていたので返す…

年金事務所の職員を名乗る男が言う、その金額は23,850円。

多ければ警戒されるし、少なければ飛びつかないため

微妙な線を突いている。


相手は23,850円を振込むための確認と称して

年金を受け取っている通帳の口座番号をたずねたので

知り合いは受話器を置き、通帳をしまってある部屋へ移動しようとした。

が、そこへたまたまうちの次男が居合わせており

電話機のナンバーディスプレイに表示されている

相手の電話番号をスマホで検索したところ、“詐欺電話”と出たので

通話を打ち切らせた。

今どきは警察や一般人が、怪しい電話番号をネットで公開しているそうで

調べるのは常識なんだと。


これは、そのまま話し続けていたら銀行へ行かされ

うまいこと言いくるめて残高をどこかへ送金させられるという

今ではすでに古典となった手口と思われる。

知り合いは確かに年金受給者ではあるが

頭も身体も私よりずっとしっかりして若々しいのに

急に電話がかかると、うっかりこういうことになるみたい。

他人事ではない。

今どきは怪しげな電話がかかるため、電話を解約したり

自動音声で「この電話は録音されます」とかなんとか

長ったらしい前台詞を流して相手の気力を削ぐ措置を取る家庭が増えているのも

うなづけるというものだ。


一方、うちには電話イノチの義母ヨシコがいるので無防備を続けている。

つい先日の夕方、そんな我が家へ電話がかかり

ヨシコは何やら話していたが、代わってくれと言ってきた。

「◯◯市(うちらの居住する市)から、何か来るんだって。

私じゃようわからんから、聞いてみて」

そう言われて交代したら、生身の女性の声。

「こちらは⬜︎⬜︎⬜︎と申します」

社名らしきカタカナを並べたが、忘れた。


「この度、私どもは◯◯市と提携いたしまして

戦争や災害で被害を受けた方々への支援物資を集めております。

現在、お近くをスタッフが回っておりますので

食品や衣類など、支援に役立ちそうな物がお家にありましたら

ぜひお出しいただきたいと思います」

年の頃は30半ば、しゃべり慣れた美しい声だ。


意地の悪い私は、ここで言う。

「食品や衣類の他に、不要な貴金属なんかもでしょ?」

「はい、それはもう。

現金に換えて支援することができますので」

「支援だったら、うちがしてもらいたいわよっ!」

「えっ?あの、ホホホ…」

向こうがたじろいているうちに電話を切った。


公共機関の名をかたる手法、昔は確かにあった。

「消防署の方から来ました」と言って、高い消火器を売りつけようとしたり

「教育委員会の方から来ました」と言って

高い幼児教育の教材を売りつけようとしたり。

もちろん買わなかったが、このようなセールスに何度か遭遇したものだ。


幼児教育の教材を売りつけようとした女なんて、感じ悪かったぞ。

「文部省(当時)の決定で

来年から教育指導要項がガラリと変わるので

教育委員会の方も急いでいるんです。

この教材は即決された方が優先されるので今、決めてください。

でないとお子さんが小学校に上がられた時、勉強から置いて行かれます」

40過ぎの長男が未就学の頃だから、どんだけ昔かわかるだろう。


教育委員会という名称がお初だったらビビっていたかもしれないが

うちの両親の仲人が市役所の偉いさんだったため

聞いてはいけない内部の話など、わりと耳慣れていた。

あの教育委員会が文部省のお達しに敏感に反応し

取り急ぎ有料の教材を販売して回るなど考えられなかったのだ。

それで断ったら、「親なのに、お子さんの成績に興味が無いんですねっ」

と捨てゼリフ。

心配せんでええ。

教材を買おうが買うまいが、うちの息子はパッパラパーだ。


時代は移ってセールスはネットや電話が主流となり

相手の顔が見えなくなると、使うアイテムが大胆になった。

どこそこの方から来ました…というセリフは

後で都合が悪くなると、「あれは方角のことだった」

と言い逃れをするための伏線だ。

しかし面が割れていなければ、堂々と市役所の名前を出すことができる。

電力会社や年金事務所の件もそうだけど、まずは揺るぎない固有名詞を出すと

カモは信用してしまうのだ。


老人は加齢と共に、公共の名前に弱くなる。

年を取って心細くなると、冷たい身内より公共機関の方が

より身近で頼り甲斐があるように感じるらしい。

ヨシコも“市”と聞いて、強い反応を示した。


そして支援という言葉で、老人の心をくすぐる。

年を取っても人の役に立ちたい老人は多い。

気の毒な人たちに手を差し伸べることができたら…

公共機関と福祉のダブル攻撃で、老人のハートを鷲づかみ。

よく考えたものだ。


広島の息子に引き取られ、老人ホームに入った隣のおばさんが

まだ隣に住んでいたら、絶対に騙されていると思う。

貴金属などの金めな物を売るのは本人の自由だけど

市の名前をかたって嘘を言うヤツに騙されて売るのはシャクじゃないか。


それにしても電話をかけてきた女性は

張りがあって滑舌が良く、それでいながらソフトな

本当に美しい声だった。

ちょっとジャブを撃ったら狼狽えるところなど

人柄もそこまで悪質ではないと思われる。

これだけしゃべれるのなら、人を騙すバイトをするより

衆議院の解散も近いことだし、ウグイスをやったらどうだ。

もったいない。
コメント (2)
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