アルツハイマー型認知症のせん妄により
私を窃盗、詐欺、住居不法侵入で
二度ほど警察に通報した実家の母サチコは
7月17日から精神病院へ入院中だが、依然としておとなしい。
面会にも行かないので、どんな様子だか知らないが
気にもならない。
入院以来、本人から電話があったのはお盆前の一度だけで
その内容は「盆が来るから一度、家に帰りたい」というもの。
仏壇を綺麗にしておきたいし、納骨堂へお参りもしたい…
サチコはそう言うが、本心はわかっている。
実子のマーヤが帰って来るかもしれないと、期待しているのだ。
帰るわけないじゃんか。
しかし、我が子がそこまで冷たいはずはないと
信じて疑わないのが母親という生き物だ。
「あんたに鍵を返して、家に入れんけん
仏壇はタッチせんけど、納骨堂はお参りしとくわ」
そう答えたが、サチコは諦めない。
「お盆なのにサチコさんは来んのじゃね、いうて
お寺に思われたら先祖に申し訳ないが」
急に信心深さをアピールするサチコ。
何が先祖じゃ。
家にお坊さんが来るのを嫌い
それぞれの命日の法要を断り続けておきながら
よう言えたもんじゃ。
私は言った。
「お寺もかき入れどきじゃけん、納骨堂の前で番をする暇は無いよ。
暑い間は病院におりんさい」
「へでも…」
「人を泥棒扱いしといて、用事のある時だけ使いなさんな。
どうしても帰りたいんなら、マーヤに頼み」
「……」
フフ、マーヤに断られるのが怖いから
口が裂けても頼めまいよ。
静かになったので、電話を切った。
やがて盆休みが終わり、実家で半年に一度の浄化槽の清掃があった。
実家の浄化槽は屋内の床下にあるので、家の鍵を開けなければ。
サチコに家の鍵を返したはずの私だが
メインキーだけは密かに持っているので、一人で実家に行った。
久しぶりの実家は、玄関も郵便受けも汚れまくり
マーヤが母の日に贈った蘭の鉢植えは見事に枯れ果てていたが
知らんもんね。
そんなことより、家に入る瞬間から細心の注意が必要になる。
なぜなら、サチコの仕掛けた罠があるかもしれないからだ。
ヤツは入院した3日後、ケアマネと看護師に付き添われて
一度、家に帰っている。
診察だと騙して連行したので、病院へは手ぶらで行ったからだ。
私は病院の売店で必要な物を買い与えてくれと言ったが
売店にサチコの着そうな服が無いということで
衣服を取りに一時帰宅したのである。
ヤツはその時に、必ず何か仕掛けている…
私には長い経験に基づく確信があった。
恥をかいたままで終われない性格なので
警察に通報したのが認知症のせいではないことを
ヤツは立証したくてたまらないはず。
「ほれごらん!やっぱり留守を狙って
家にこっそり出入りしとるじゃないの!」
これを言うために全身全霊を傾け
三たび四たびの通報に持ち込みたい。
そのために一時帰宅を利用して、素早く罠を仕掛けるはずだ。
これは食事やトイレと同じく習慣なので、認知症は関係ない。
悪意さえあれば、やすやすとやってのけられる。
清掃の間、私はテレビで高校野球を見ようと台所へ行った。
スリッパを履くと、ちゃんと元に戻したつもりでも
わずか数ミリの違いに気づく女だから、スリッパは履かん。
はたして罠は、あった。
台所に入って電灯のスイッチを入れたら
小さい豆電球しか点かない。
サチコは一時帰宅した際、電灯からぶら下がるヒモを引っ張って
大きい蛍光灯が点かないようにしていたのだ。
退院して台所へ入った時、普通に蛍光灯が点いて
部屋が明るくなったら、私が侵入した証拠になるというわけ。
短時間で仕掛けられる、なかなか良い罠である。
第一トラップを発見したので
帰る時に豆電球だけにするのを忘れたらいけないと思い
電灯を点けるのをやめた私。
次にエアコンを稼働させるべく、リモコンをしげしげと点検した。
暖房に切り替えてあったり、温度設定が変わっていたら罠じゃ。
が、目の衰えたサチコにとってリモコンはハードルが高かったようで
これは大丈夫だった。
それからテレビをつけようとしたが、リモコンに反応しない。
よく見ると、主電源の緑のランプが消えている。
最新型のテレビのことは知らないが
たいていのテレビには、画面の右下方の横っ面に
電源を切ったり入れたりする長方形の黒いスイッチがある。
私はこのスイッチの存在を電器店で教えてもらっていたので
それを押したらテレビがついた。
普段のサチコは、このスイッチを使わない。
しかし何かの機会に知ったのか、今回はこのスイッチが使われていた。
退院してテレビをつける時、すでに電源が入っていたら
私が家に侵入してテレビを見た証拠になるわけよ。
こうして第二トラップも、無事発見された。
これも短時間で仕掛けられる効率の良い罠だ。
電灯は点けないが、高校野球が見たかった私は
そのまま清掃が終わるまでテレビを鑑賞。
帰る時にはリモコンでなく、本体のスイッチを切って現状復帰。
その他の箇所にも落ち度が無いか、入念にチェックして帰った。
その翌日、入院先の看護師から電話が。
「先ほど、サチコさんが廊下で転倒されまして…」
えっ?!
期待に胸が高鳴るワタクシ。
「右上腕部に小さい打ち身ができましたので、経過観察中です」
なんじゃ…打ち身だけか。
残念に思った。