殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

米寿の祝い

2023年11月27日 13時31分37秒 | みりこんぐらし
同居する義母ヨシコは、88才。

88才と言えば米寿。

「次(99才の白寿)はもういないと思うから、今回は盛大にやっておこう」

という夫の姉カンジワ・ルイーゼの発案により

ヨシコの誕生日当日に、町内のホテルで米寿の祝いを催すことにした。

「ぜって〜、いるよ…」

私はそう思ったが、お祝い事をするのはやぶさかでないため

二つ返事で賛成。


このホテルにはヨシコの友人、骨肉のおトミの娘である聖子ちゃんが

パートで勤めている。

そこでルイーゼが、聖子ちゃんに頼んで予約してもらった。


ちなみに骨肉のおトミは認知症が順調に進行し、今では廃人同様。

一昨年、足を骨折して以来、歩けなくなったので徘徊や乱暴は無い。

ずっとボンヤリして車椅子に乗っている“おとなし系”だ。


元気な頃は骨肉の嫁姑を繰り広げていたため

おトミに手がかかるようになっても、お嫁さんは一切関わらない。

だから母親の世話は、聖子ちゃんが一人で行っている。

もっともお嫁さんは昨年、交通事故に遭い、姑の介護どころではなくなった。

怪我をしたから介護ができなくなったのか

介護をしたくないから後遺症を強調しているのかは定かではない。


ともあれ、おトミの症状からしてとっくに施設案件。

しかし聖子ちゃんが、母親を離さない。

精神的な母子依存もあるだろうが、施設に入れると

母親の年金がそっちの支払いに回ってしまう。

身体が丈夫でないこともあって、若い頃はほとんど働かず

60半ばの現在まで独身を通してきた聖子ちゃんにとって

おトミの施設行きは死活問題なのであった。


が、家で面倒を見るとなると、どうしても怪我が多くなる。

おトミは転んだりベッドから落ちたりして、あちこちを骨折しながら

聖子ちゃんの介護を受けている状態だ。

それでも聖子ちゃんはわけわからんおトミを車に乗せ

ヨシコを誘ってドライブに出かける。

「話してもわからんから面白くないし、車椅子を押せと言われるのも嫌」

ヨシコはそう言いながらも聖子ちゃんに誘われると断れず

シブシブ出かけている。


おトミはヨシコより二つ年上。

トイレもままならない彼女の状態を見るにつけ、ヨシコはつくづく元気だと思う。

うちは手がかからないだけマシ…

そう考えるようにしているのだ。



やがて、まだまだ先と思っていた米寿の祝いが近づいてきた。

ルイーゼはヨシコに金のチャンチャンコと頭巾(ずきん)を着せると言い

うちの次男の嫁に頼んでネットで買ってもらっていた。

60才の還暦に赤いチャンチャンコは誰でも知っているけど

88才の米寿には金のチャンチャンコを着せるそうだ。

私の身内に88まで生きた者はいないので、知らなかった。


そして先日、いよいよお祝いの日だ。

12時が近づき、主役はお召し替え。

深いグリーンのロングドレスを新調していたのでビックリ。

ルイーゼが買ってくれたそうだ。

このところルイーゼとよく出かけていたのは、これを調達するためだったらしい。

グリーンのドレスにグリーンのバック、二連の真珠、黒のハイヒールと

ゴージャスが得意なヨシコの本領発揮である。

人に買わせた服で主役を張るって、いかにも他力本願のヨシコらしい。


私もたまたま似たような色を着て行くつもりだったので

色がかぶってはいけないと思い、慌てて着替えた。

はしゃぎまくるヨシコを連れて、ホテルに到着。

ルイーゼ夫婦、おみっちゃんちゃん夫婦と一人娘のもみじ様

うちの次男夫婦も来て、和やかな宴会が始まった。

開会の言葉と乾杯の音頭は、僭越ながら長男の嫁である私。

夫がやるべきだと思うけど、無口なので仕方がない。


「本日は母ヨシコのためにお集まりくださいまして、ありがとうございます。

米寿を迎えるにあたり、一番驚いておりますのは本人でごさいまして

ここまで長生きするとは思わなかったと常々申しております。

中年期以降は病気のデパート、手術の女王と呼ばれてきた母が

現在も健康寿命を更新し続けておりますのは

本人の明るい性格と、ご覧頂いておわかりのように

いつまでもおしゃれ心を忘れない情熱もさることながら

何よりも皆様の愛情と、ご支援ご協力のお陰でございます。

母に代わりまして、厚く御礼申し上げます。

そんなありがとうの気持ちを込めまして

ルイーゼ家と合同で、ささやかなウタゲをご用意させて頂きました。

お時間の許す限り、心ゆくまでご歓談くださいませ。

それではヨシコさんのますますの長寿を願って、乾杯」

あんまりベラベラしゃべるからか

ホテルの人たちは顔を見合わせて呆然としていたが、構うもんか。


ルイーゼが着せたキンキラキンのチャンチャンコは

グリーンのドレスとよくマッチして、意外にもスタイリッシュ。

色物のチャンチャンコを着せる時は、服の色との組み合わせを考えると良いようだ。


これといった写真も無いから、食事の一部でも見てちょ。







和やかで楽しい会だった。

次にこのメンバーが集まるのは、11年後の白寿の祝いか、それとも葬式か。


さて、この日の支払いはルイーゼ家と我が家で折半することに決めていた。

一方、ヨシコは独断で、ホテル仕様のフルーツケーキ7個を

引き出物として用意していた。

「これはね、私が特別に頼んで用意したのよ。

どうぞ持って帰ってね、私の気持ちだから」

帰りには、さんざんええカッコしながら皆に配ったが

請求書では食事代と一緒くたになっていた。

詰めの甘いヨシコのやりそうなことだ。


とはいえ、本人に払う気無し。

「払おうか?払おうか?」

財布を出してそう言いつつ、ジリジリと後ずさりして遠ざかっていく。

外食や買い物で必ずやる、いつもの手段だ。


この日はさらに芸が細かい。

いきなりバッグを取り落とし、中身を床にぶちまける。

あらあら…とつぶやきながら、ゆっくりしゃがんで拾っているうちに

支払いが済んでいる寸法。

わざとだ、とまでは言わないけど、この芸は初めてじゃないのよね。


バッグの中身を拾うヨシコを見捨て、引き出物も含めてルイーゼと折半した。

別にいいんだけど、確信犯にまんまとやられたのは何か悔しい。

本人は支払いが済むと、全てを忘れた模様。

何でも忘れたことにできる年寄りが、うらやましいぞ。
コメント (2)
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年を取る幸せ

2023年11月16日 10時15分24秒 | みりこん流
近年、年取ったな〜と感じることが増えた。

肌はもとより、指に潤いが無くなって不便なことといったら。

スーパーのビニール袋が開けにくいのは、もはや当たり前。

財布の小銭を取り出すのにも時間がかかる。


昔は必要にかられたら、脳で「指に汗出ろ」と命令できた。

命令で滲み出た水分を利用して必要な小銭を指に吸着させ

素早く支払いができたのだ。

それが今じゃどうよ。

命令したって何も出んぞ。

若い頃はレジでトロトロする年配者を蔑視していたというのに

自分がそうなっとるじゃないか。

それどころかスマホやカードで

スマートに支払いをする年寄りまで出現している。

負けた。


それから食欲が落ちて、食べる量が減った。

周囲が驚くほどの大飯喰らいだったのが

胃もたれが怖くてセーブするのが当たり前になり

そのうち本当に食べたいのかどうかも怪しくなって

早々にやめてしまう。


バランス感覚もおかしくなって

ちょっとよろけると元の体勢に戻るのに数秒かかる。

よろけるなんて、私の辞書には無かったはず。

筋力が低下して、踏ん張りが効かなくなったと思われる。

これらの現象は、顔に増えてきた小ジワより残念だ。


が、肉体の衰退とは裏腹に心の方は年々軽くなり、幸せを感じる。

私の言動を制限していた人々の多くが、あの世へ行ったからだ。

町内に4人いた義父の兄妹たち、義父母の取り巻き、出入りの商売人…

ひと世代上の人たちって、そりゃうるさかった。

私が外で誰かに話したことや、スーパーで買った品物までが義父母に伝わり

家に帰ると、それをネタに小言を頂戴したものだ。

要するに、どいつもこいつも暇だったらしい。


一人消えるたび、その人物に同調していた人々もおとなしくなり

最後に義父が消えて以降、私はかなりの自由を手にした。

何を言っても何をやっても怒られないって、すごく楽。


完全な自由を手にするには

ラスボスの義母が消える日を待つ必要があるが

私もそこまで欲張りではない。

腹八分目で我慢…これぐらいが自分にふさわしいと思っている。

完璧を望んでそれを手にしたあかつきには

また新たな、どうにもならない厄介が訪れるものだ。

多くを望まないのが、幸せの秘訣かもしれない。


幸せと言えば、もう一つ。

夫の姉カンジワ・ルイーゼの里帰りが減った。

近所の公民館で体操教室が始まり、パーキンソン病の旦那を運動させるため

毎週木曜日には夫婦で通うようになったからだ。

そして金曜日には、義母ヨシコが近所の体操教室へ行く。

こちらへ来ても母親がいないので、金曜日も来なくなった。


さらにルイーゼの初孫、もみじ様の存在も大きい。

広島市内に暮らす2才のもみじ様はカンの強いタチらしく

しょっちゅう熱を出す。

彼女の母親マヤちゃんは去年、産休が明けて仕事を再開したが

熱が出ると保育園で預かってもらえないため

病児の身柄はルイーゼに託されるのだ。

マヤちゃんの実家も広島市内にあるが、そこには預けにくいらしい。

彼女のお母さんは再婚しているので、継父に気兼ねという話だ。


そこでもみじ様の父親であり、ルイーゼの一人息子のおみっちゃんちゃんが

高速を走って連れて来る。

おみっちゃんちゃんはアパレル関係の仕事なので、出勤が遅いのだ。

帰りはマヤちゃんの方が早いので、彼女が迎えに来る。

小さい子供を育てながら働くって、本当に大変ねえ。


そういうわけで、もみじ様はほぼ毎週ルイーゼの家に来る。

よって体操教室のある木曜と金曜、そしてもみじ様が訪れる一日か二日は

ルイーゼがうちに来ない。

つまり週の半分は、ノー・ルイーゼデーになった。

結婚以来43年、元旦を除いて雨の日も風の日も欠かさずの実家詣では

ついに途絶えたのである。


思えば長い年月であった。

小姑が毎日来たって、気にしなきゃいいじゃん…

そんな生やさしい問題ではない。

親は、娘が婚家で苦労していると思いたいものだ。

そして娘は、親が嫁に苦労させられていると思いたいものだ。

この両者が近づくことで思い込みは増幅され

そのまま他人である嫁への憎悪となる。

精神的に幼い親と、よそへ嫁いだ娘の組み合わせは

煮ても焼いても食えない凄まじい集団なのだ。


彼らは意地悪なのではない…多分。

近い血縁が集まると、そうなってしまう…

それが血の結束というやつよ。

結果、こっちは複数の上司から

監視とハラスメントを毎日受ける新入社員状態。


8年前に義父が他界して以降、遺された母と娘はかなり大人しくなり

ずっと頭の上に置かれていた漬物石は軽くなったが、鬱陶しいのは同じだ。

義母は息子夫婦を怒らせたら生活できないのをわかっているし

義姉は母親を押し付けられたら困るので、静かにしているだけである。


この鬱陶しさが週の半分無くなったのは、ひとえにもみじ様のお陰。

先はどうなるかわからないが、彼女に感謝しつつ

この隙に英気を養うとしよう。


幸せなことといえば、もう一つ。

次男の嫁と、長男の彼女の存在。

彼女らは、私を“お母さん”と呼ぶ。

親ではないから、名前を呼ぶように頼むつもりだったが

あの子らは初対面から、ごく自然にお母さん、お母さんと連発。

今さら変えてくれと言いにくくなり、そのままになった。

娘ぐらいの年齢の女の子から「お母さん」と呼ばれるのって嬉しいもんだね。


一緒に出かけて、何かと気遣ってくれるのもありがたい。

長男の彼女がスーパーのフードコートで注文した飲み物を

私の分まで運んでくれた時は、信じられなくて感動した。

長い間、こういうことは私の仕事だったからだ。

セルフサービスの店やファミレスのドリンクバーでは

両親や義姉の分を調達するために、一人で何往復もしたもんよ。


それを人がしてくれる…

手持ち無沙汰で落ち着かなくて、だけどありがたくて泣きそう。

同時に「年寄りって、気を遣ってもらい慣れて

だんだん図々しくなるんだな」

と実感し、この優遇にアグラをかくまいと心に誓った。


自分を『幸薄(さちうす)民族』と自覚して生きてきたけど

幸薄民族にもそれなりの幸せがある。

ハードルが低いもんで、感動する事柄が多いという幸せ。



『レストランでお食事中の猫ちゃん』

海外旅行が復活し、モロッコへ行った友人が現地から送ってくれた。




『サハラ砂漠の夜明け』



元々旅行があんまり好きじゃないので、自分で行く気は全然無いけど

こうして知らない所の風景が見られる時代になったのも

気にかけてくれる友だちがいるのも、幸せの一つ。
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京都日帰りツアー

2023年11月11日 16時14分28秒 | みりこんぐらし


昨日は日帰りで京都へ行った。

旅のメンバーは長男とカノジョ、そして私。

カノジョは京都が大好きで、年に何度かはお母さんと訪れているそう。

私とも行きたいと誘ってくれたので、お邪魔虫を承知で同行。


日頃の行いが悪かったらしく、うちらが行った日だけ雨だった。

いいのさ、旅の目的は駅地下のポルタにあるカフェ、リプトンだもんね。



ここで紅茶を飲みながら、エッグベネディクトを食べるのじゃ。





紅茶とセットで1,200円也。

エッグベネディクトなんて、うちらの田舎には無いもんで

どげに素晴らしい食べ物かと期待していたけど

普通のマフィンの上に、普通の薄いハムを生のままで2枚

その上にポーチドエッグを重ね

ホワイトソースとマヨネーズを混ぜたようなソースがかけてあるだけだった。

な〜んだ。


目的を達成し、その後の行き先に困った我ら。

惰性で祇園へ向かい、ベタに八坂神社。





紅葉の時期と踏んでいたけど、まだだった。



八坂神社の隣にある知恩院。


奥の階段を登る自信がないので、写真だけ。

あっ!前庭の松は、もう剪定が済ませてあるじゃんか。

うちのボロ庭もそろそろだわ…

景色より、そっちが気になるワタクシ。


祇園は少し中に入ると、観光客がほとんどいない。

町家の立ち並ぶ通りを散策して


珍しい雨コート姿の舞妓さんを発見し


「ここは舞妓さんが髪を結いに来る美容院」

カノジョにウンチクをたれるワタクシ。



やがて雨がひどくなり、傘をささなくて済むアーケードということで

錦市場へ行ってみたけど、みんな考えることは一緒ね。

ものすごい人で、前に進むのがやっと。

日本人も外国人もいっぱい。

あんなにたくさんの人間を久しぶりに見たわ。


夕方が近づいたし、疲れたのでタクシーを拾って駅へ戻り

お土産を買うことにした。

個人タクシーの運転手さんは、うちらの住む町を観光で訪れたことがあるという。

このグレートな京都から、ショボいうちらの町へわざわざいらっしゃるなんて

物好き…いや、職務に熱心な人だ。

降りた後で、次に京都に来た時は指名して観光したいと思ったが

連絡先を聞いてなかった。

残念だ。


チップは渡したので、まあいいか。

私はタクシーに乗ったら、チップを渡す主義。

偉そうにチップと言っても千円だけどさ。

そんなことをして何になるか?

町が明るくなる。


到着してすぐに食べたエッグベネディクトが祟り

以後の食事はマトモな物をたべられないまま。

雨はザーザー降るし、人が多くて息も絶え絶え。

早めに帰った。

次に行く時は泊まりがけにして、もっと良い物を食べたい。


四条大橋のたもとにある、前から気になっていたビルは中国料理屋さんだった。

こういう所でお食事したい。




京都駅の大階段。




どちらも40代の息子とカノジョ。

大人のカップルは、靴がペア。
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