殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

現場はいま…それぞれの春続編・俺たちの春・2

2021年04月29日 17時27分31秒 | シリーズ・現場はいま…
うちの二人の息子は6才という年齢差があるからか

一人っ子が二人いるような、淡白な関係だ。

それでも兄弟で同じ会社に勤め、同じ家で暮らしていれば

ギクシャクすることもある。

ことに我が家の場合、10年前の合併当初から火種を抱えていた。

合併時、会社にいたのが次男だけで

長男はいなかったという火種である。


その1年前、義父の会社は資金繰りのために長男のダンプを売却した。

社員の乗るダンプを売れば「辞めろ」ということになって角が立つし

次男のは新車なので、売るわけにはいかない。

そこで、一番古かった長男のダンプが選ばれたのだ。

ある日突然、乗り物を失った長男は

そのまま会社を去ってガソリンスタンドに転職した。


それから合併の運びとなったが

会社に残っていた次男が運転手のリーダーとなり

運転だけでなく、配車と営業をこなすようになった。

いつも兄貴に押さえつけられていた弟は活躍の舞台を与えられ

夜討ち朝駆けで、がむしゃらに働いていたものだ。

彼の業務日報に書かれた仕事の内容は壮絶なもので

私はそれを見るたびに胸が締め付けられた。


やがて合併して1年、長男がカムバック。

長男の不運に同情した本社が彼のダンプを発注しており

それが1年後にできあがったからである。


これで家族全員が揃ったね、良かった良かった…

では終わらない。

新しい会社では、次男の方が先輩ということになる。

弟というのは背伸びが好きなもので

帰還した兄に先輩風を吹かせる。

兄のいない間、死にものぐるいで会社を支えた自信が

弟を変えていた。


兄は当然気に入らず、生意気だと思う。

しかし兄の方が6才分、大人だった。

長男は、本社や河野常務が自分たち兄弟に抱くイメージを感知していた。

そのイメージとは、両親や祖父母を助けて懸命に働く仲良し兄弟。

自分が戻ったことで、一連の合併作業は終了したばかりだ。

しばらくの間は猫をかぶり、彼らのイメージを壊さない方が

お互いのためにいいと、長男にはわかっていたのだ。


兄からの逆襲が無いとなると、弟はますます絶好調。

若さに任せて仕事を取って来るのはいいが

燃料ばかり食ってダンプを傷める採算の合わない内容も多々あるため

兄は、ロスの少ない仕事を選べと言う。

弟は、文句があるなら自分が仕事を取って来いと腹を立てる。

この繰り返しが始まった。


家族で働くのは気楽な反面、遠慮が無いので

このような不穏が付いて回る。

よって我々夫婦は、兄弟のどちらかが

別の仕事に就いた方がいいと思っている。

しかしこうなってしまったんだから、今さら仕方がない。

いずれ厄介なことになると予測しつつ、眺めるにとどまっていた。


兄弟の火種は、数年に渡ってくすぶり続け

2年前、とうとう発火した。

原因はやはり仕事の内容だったが、理由は何でもよかった。

機が熟したとしか、言いようがない。

二人はある日を境に、一切口をきかなくなった。


以来、会社でも家でも距離を置き、仕事関係の会合や親戚の葬式など

二人で参加するところは片方だけが行く。

仕事の方は一人でやる職業なので、問題無いとはいえ

社員には気を遣わせてしまい、申し訳なく思う。


食事も別々になったので、私は忙しくなった。

加えて、どうしても兄弟の意思疎通が必要な時は伝言係をし

時にはお互いの悪口を聞かされる。

身を切られるような思いだが、これもバカな息子を育てておきながら

同じ会社へ入れたペナルティーだと思って耐えた。

仲直りをして欲しいなどと、無理を願うつもりは無い。

男二人の兄弟が一緒に働けば、いつかは必ず通る道。

こうなったら、どこまで続くか見届けようじゃないの。


しかし、そんなことはどうでもいい。

私が最も危惧したのは、藤村にエサを与えてしまうことだ。

兄弟の仲が悪い…

これは藤村にとって、絶好のスキャンダル。

ヤツが、これを利用しないわけがない。


藤村の立ち回りは、予想通りだった。

兄弟それぞれに、「兄貴がお前のことを悪く言っていた」

「弟がお前のことを悪く言っていた」

と、JAROもびっくりの嘘、大袈裟、まぎらわしい内容を

日々吹き込む。


そして本社には

「兄弟が決裂して、社員や取引先に迷惑をかけているが

自分が間に入って調整している」

と報告。

二割の事実に八割の嘘を混ぜ、見てきたように伝えるのは

アレらのお家芸だ。


兄弟の仲違いが、尾ひれ付きで本社に伝わったため

監督責任を問われた夫の立場は悪くなった。

兄弟喧嘩ぐらいで…と思うかもしれないが

落ち目の時は、些細なことでも責められるものだ。

夫の加齢を理由に、藤村が会社を牛耳るようになったのには

この兄弟喧嘩が無関係ではないと思っている。

ヤツにつけ込む隙を与えた我々にも、責任の一端はあるのだ。


兄弟の仲は修復されないまま、2年余りが経過した。

そして3月、F工業から次男に転職の話があった。

憎たらしい兄と働きたくない次男にとって、渡りに船。

どちらか一人が会社を去れば、兄弟仲は関係なくなるので

我々夫婦も転職を奨励した。


が、先にお話ししたように、次男の体調が今一つ。

退職の日程を決める段階になって、残念ながら断ることにした。

《続く》
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現場はいま…それぞれの春続編・俺たちの春・1

2021年04月26日 09時45分56秒 | シリーズ・現場はいま…
先日、現場はいま…シリーズをひとまずの完結としたが

肝心なことをお話ししていない。

夫と次男の転職問題である。


出入りのチャーター業者F工業から次男の引き抜き話があり

ついでに夫も誘われたことは3月にお話しした。

次男はダンプ乗りとして、夫は責任者として迎えてくれるという。


とはいえ我々も一応は経営者の端くれなので、F工業の思惑は感知している。

ダンプ乗りは比較的集めやすいが、オペレーター人口は少ない。

即戦力の夫を責任者の地位で誘い、仕事をさせながら後進を育成させ

ヨボヨボになったらさようなら、という計画なのはわかっている。

F工業の社長と同じ立場であれば、我々も同じことを考えるだろう。

経営者とは、そういうものだ。


市外にあるF工業はこの転職話を機に

こちらの町への進出を検討していた。

「2人が来てくれたら、お宅を潰すつもりで勝負に出る」

社長ははっきりと言った。

藤村にメチャクチャにされた会社に未練は無いので

我々はそれを面白いと思った。

潤沢な資金力と商売のうまさで発展を続けるF工業の暴れっぷりを

見てみたいとも思う。

しかし勝負以前に、夫が抜けたら営業を続けるのは困難なので

勝敗は最初から決まっているようなもの。

社長も内心、そのつもりであろうことは明白だ。


ともあれ話が来てから、我々はしばし考えた。

年寄りの夫が社長の要望に応えられるかを始め

河野常務への恩義、社員のこと…。

真剣に悩む気は無い。

すっかり転職するつもりでいる次男が

先に行って味見をすれば、およそのことがわかるからだ。


で、結論から言うと転職はやめた。

夫が断ったのではない。

今月末で退職し、来月からF工業へ行く予定でいた次男が断った。

理由は体調不良。


というのも次男は昨年10月、仕事中に交通事故に遭った。

対向車線を走ってきた乗用車がセンターラインを越え

次男のダンプに衝突したのだ。

よくある老人のわき見運転で、過失割合は100対0。

幸いにも相手は無傷、次男にも外傷は無く

彼は自分の身体よりも、前面が大破したダンプを心配するのだった。


しかし日が経つにつれ、次男の首に違和感が…

これもやはり、よくあるケース。

万一を考え、人身事故の処理をしておいたのが不幸中の幸いであった。


首の痛みに加え、事故の衝撃で一時的に視力の異常が現れた次男は

しばらくの間、運転を控えて経過観察をすることになり

出勤と、通院のための欠勤を繰り返していた。

が、ここで張り切ったのが藤村。

人の不幸が嬉しいのもあるが

当時はまだ会社にいた神田さんの前で

ええカッコがしたい気持ちも存分に盛り込まれている。


「仮病だろう」

藤村はそう言って次男を責め

「運転ができないなら力仕事をしろ」

と命令するようになった。

彼の軽い頭には

事故で怠け癖のついた若者を立ち直らせる人生の先輩…

といった図が描かれているのだ。

次男はもとより、夫も激しく抗議して

藤村と一触即発の状況になったことが何度もある。

そうなると、ヤツはいつも逃げて姿を消した。


その一方で藤村は

「ヨシキの目は、もうダメです。

新しい運転手を募集しましょう」

と本社に報告。

仮病だの力仕事をしろだのと言われるより

弱った次男には、こっちの方が辛かったようだ。


やがて次男の目は回復し、今まで通り働けるようになったが

首のほうは今もまだ違和感があるらしい。

事故が起きた当初、まさか具合が悪くなるなんて

想像しなかったもんだから

すでに受けていた夜間の仕事に連続して出たのが

良くなかったのかもしれない。

というわけで、給料はいいけど仕事はハードであろうF工業に移り

バリバリ働けるかどうか、次男は改めて考えるようになった。


そもそも次男が今の会社を辞めようかと思い始めたきっかけは

彼のダンプの老朽化。

義父の会社だった時に無理をして購入したもので

10年を超えている。

義父は次男を可愛がっていたため、次男の希望を全て取り入れた

理想通りのダンプをあつらえてやり

次男はそれを宝物のように大切にしていた。


しかしダンプは古くなると修理代が高くなり

燃料代やオイル代もかさむようになる。

しかも昨年10月の事故によって、正真正銘の事故車となってしまった。

事故のダメージは修理できても、今後の長寿は期待できないばかりか

古傷が元で起こる不具合を調整するため

さらに修理代がかさむことが予測される。

経費をかけて古いダンプを維持するより

長い目で見れば新車を買った方が安くつく場合も多いので

本社は次男のダンプを売り払い、新車を買うと言い出した。


男の子を持つお母さんならわかるかもしれないが

男の子の中には、こだわりの強いタイプがいる。

新しいものより、愛着のあるものが大事なのだ。

次男もそのタイプで、今のダンプを手放すことに強い抵抗を示した。

このダンプと別れるぐらいなら

自分が借金でも何でもして買い取って、自営する…。


義父の会社を救ってもらった際に

彼のダンプの名義は本社に変更されていた。

辞めると言い出した裏切り者に、本社が「はい、そうですか」と

妥当な値段で売ってくれるとは思えない。

それに自営すると言ったって、今や金食い虫となったダンプを

自分の稼ぎだけで維持していくのは至難の技だ。


そのようなことを何の気なしにF工業の社長に話したところ

「値段がいくらでも、俺が買ってやる。

ダンプと一緒にうちへ来い」

と言われ、次男は目の前に道が拓けた思いだったという。


次男が今の会社を去ろうと思った理由は、もう一つある。

それは兄との不仲。

こやつらは2年余り前から、仲の悪い兄弟に変貌していた。

《続く》
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現場はいま…それぞれの春・8

2021年04月24日 14時28分19秒 | シリーズ・現場はいま…
ヒロミが入社して数日間は、本社から入れ替わり立ち替わり

人がやってきた。

女性の運転手が入ったとなると、用事にかこつけて見物に来るのだ。

神田さんが入った時もそうだった。


一方、本社に押しかけて藤村のパワハラを訴えた園田君が入った時は

ほとんど来なかった。

男は見たくないらしい。

暇な人たちだ。

仕事せぇ。


ただ神田さんの時のように、あちこちの支社や支店からも

続々と見物客が来ることは無かった。

“自分のオンナ”を見せびらかしたい藤村が

来い、来いと呼んでいたのもあるが、そのうち訴訟問題が起きたため

藤村の子分を気取って足しげく訪れていた黒岩は

何かと冷遇されるようになっていた。

用も無いのに出入りすると、自分たちも危ないと思ったのだろう。


ヒロミの入社で何より良かったのは、藤村があまり来なくなったこと。

先日、夫に有休を取らせる策に失敗して以降

毎日来ていたのが1日おきになり、来ても早く帰るようになった。

もしもヒロミが女っぽくて、藤村の食指が動けば結果は違っただろうが

外見、内面ともに老けた少年状のヒロミは

ヤツの広大なストライクゾーンに入らなかった。

これで藤村は会社に通う目的を一つ、失ったようなものである。

彼女はそれだけで、いい仕事をしているのかもしれない。


ヒロミのいい仕事は、それだけではない。

去年の夏、藤村が実権を握った時に

事務所の壁に貼り付けた、ハングル文字の禁煙プレートを

覚えておいでだろうか。

いまいましいプレートを剥がしたいのは山々だが

剥がすとなると、壁にダメージが残るのは必然。

事務所は昨年の春、本社の出資で建て替えているので

まだ新しい壁を傷めるのは気が引ける。

必要以上に大きなプレートは目立つ位置にあり

剥がしてもポスターなどで隠しにくい部分なのだ。

藤村がわざと厄介な場所を選んで貼ったと思うと、憎たらしさ倍増だが

良策は浮かばないままズルズルと日が経っていた。


ところがヒロミ、このプレートに言及。

「私、ハングル見たら気分が悪くなる〜!」

在日の旦那から酷い目に遭わされ、姑に言ったらキムチを売らされたのだ。

ハングル文字に過敏な反応を示すのは、無理もない。


社員の精神衛生を守るという立派な理由を見つけた夫は

すぐさまプレートに手をかけた。

荒っぽい夫のやることなので壁の表面も一緒に剥がれ、無残な傷跡が残った。

が、なにしろ社員のためなんだから仕方がない…

そういうことにしようではないか。


実際の仕事でも、ヒロミは夫の役に立っている。

日に何台か、近くの工場へ納品する仕事があるのだが

危険物を扱う所なので、通用口を出入りするたびに手続きを行う。

男の運転手は、ひらすら走り続けるのを好むため

ダンプを降りたり上がったり、証明書を提出して係員と話したり

何か書いたりを面倒がるが、女はこういうことがあまり苦にならないものだ。

ヒロミも例外ではなく、嬉々として工場へ行く。

機嫌よくちょこまかと動き回るヒロミの存在は

夫にとって清涼剤の役割をしている。


クラッチは今のところ、無事。

入社早々に道路標識を1本、ミラーに引っ掛けて吹っ飛ばしたが

クラッチの方はまだだ。

思うに、これまで彼女が転々としてきた会社は

起伏の激しい山にあった。

しかしうちは、市街地に近い場所にある。

そしてヒロミの仕事は、女性の体力と技術を考慮して

近場の配達を中心にしているため、町なかの平坦な道路を走る。

そのためダンプに負荷がかかりにくく

焼けるには日数がかかるのかもしれない。


しかしヒロミは、確実に夫の役に立っている。

夫にとって良い社員とは

人より余計に走って売り上げを上げる社員ではない。

夫にストレスをかけない社員である。

その意味で、ヒロミは良い社員ということになる。

夫が楽なら、私はそれでいい。

クラッチなんぞナンボでも焼け!

そう思っている。


ヒロミが案外使えると判明した今日この頃

彼女より半月先輩のスガッちが浮き始めた。

重機を習得させ、夫の助手にする目的で雇い入れたはずが

一向に上達せず、今では重機に乗ろうともしない。

そのくせ口だけは達者でブツブツ言い通しなので、夫はうんざりしている。


重機をあきらめて雑用をさせることにした夫は

いつも自分が仕事の合間にやっている水撒きや敷地の整備を

一緒にやろうと言ったが、彼にはそれが不服らしく

「何で俺が?」

とふくれる始末。

大手ゼネコンのプライドが捨てきれないのだ。


はたで見るのは面白いが、こういう態度が大嫌いな夫は

内心ものすごく怒っている。

来年の契約更新は、無いだろう。


さて、ここにきて、藤村がなぜ解雇されなかったのかが判明。

認知症の母親の浪費が原因で

彼が本社から500万円の借り入れをしたのは、以前お話しした。

彼が稀代の大嘘つきとわかった今となっては

母親の認知症が眉唾なのはともかく

500万円を借りる際、本社は保証人を要求した。

彼は入社早々にも、幾ばくかのまとまった金を本社から借りていて

まだ返済の途中だったからである。


そこで保証人になったのが、藤村の直属上司である永井営業部長。

部下思いではない。

藤村に案内されたフィリピンパブで、骨抜きにされて久しい永井部長は

自分の恥を握る藤村の頼みをきくしかなかったのだ。


以後、毎月の給料から天引きで返済を続けている最中に

神田さんと園田君の事件があった。

通常ならクビは確定だが、借金はまだ残っている。

藤村が辞めると、残りの借金は永井部長にかかってくる。

藤村の解雇で困るのは、藤村本人よりも彼だった。


永井部長は40代で取締役に抜擢され、数年が経つ。

嘘と芝居で成り上がったロクでもないゲスだが

揃って70代の取締役の中では、若手のホープということになっている。

しかし彼は年令的に、マンションのローンと子供たちの学費が重なる時期。

藤村の借金を肩代わりする余裕は無い。

そのため、彼は全力で藤村をかばい続けた。


永井部長があまりにも必死なので、他の取締役も強行手段に出にくい。

藤村を解雇して永井を窮地に立たせるより

若い永井に責任を押し付けた方が得策…

取締役一同は、そう結論を出した。

古狸とは、そういうものさ。


それぞれの春のはずが、そろそろ初夏になりそうなので

一旦これにて終了させていただこう。

《完》
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現場はいま…それぞれの春・7

2021年04月22日 08時39分31秒 | シリーズ・現場はいま…
「3台…」

夫は絶句した。

田辺君の会社に入る前にも、あちこちの会社でやらかしているそうなので

ヒロミが焼いたクラッチは、合計すると二桁の大台に到達するかもしれない。


しかし我が社には、クラッチ焼けを回避する秘密兵器がある。

去年、藤村が神田さんのために新調したノークラッチダンプである。

これに乗せれば、初めからクラッチが無いんだから焼けることはない。

田辺君は、ヒロミをノークラッチダンプに乗せろと言いに来たのだった。


が、時すでに遅し。

夫も田辺君と同じことを考えてはいたものの

ヒロミがクラッチ名人だと知らずに入れたため

彼女はすでに、空いていたマニュアルダンプに乗っている。

ヒロミのダンプは、うちの息子たちが架装のアドバイスに関わったため

色や装備が派手な若向きで、元ヤンのヒロミは気に入っていた。


そしてノークラッチダンプには、佐藤君が乗っている。

ダンプのことを知らない藤村が注文し、本社が叩きまくって買ったので

清々しいほど地味で、必要な装備も付いてない。

しかしこれに乗ってさえいれば

パワー不足を理由に険しい現場へ行かなくて済むため

佐藤君はこのダンプを死守する構えである。


一旦与えたダンプを交換するというのは、この業界では難しい。

両者が納得づくならいいが、片方、あるいは両方が嫌がるとなると

無下に命令しにくい。

上役だの部下だの言ったって、実際にお金を稼ぎ出すのはダンプと運転手。

むやみに立ち入れない部分があるのだ。


ヒロミをノークラッチダンプに乗せる手は、もう一つある。

佐藤君を、以前いた支社に返すことだ。

休み癖が元で別の支社に飛ばされた佐藤君だが

神田さんが辞めて空いてしまったダンプに乗せるため

去年の暮れに藤村が呼び戻した。


しかし、いつの間にか藤村の手下となり

何かと社内をもませる佐藤君を夫が快く思わないのは当然だ。

佐藤君を返したいと何度か支社に話したが

向こうでも嫌われていたようで、いらないの一点張り。

とはいえ、支社が佐藤君を引き取ってくれた場合

こっちは運転手が一人減るので募集しなければならない。

また変なのが来てゴタゴタするのは困るので、様子を見ているところだった。


そんなわけで秘密兵器が使えないことを知ると

田辺君は夫に、ヒロミのトリセツを伝授した。

母親を風呂に入れるためという理由で頻繁に早退すること…

仕事が忙しくなると、これまた母親の風呂を理由に必ず休むこと…

人の手を借りなければ風呂に入れないとなると

要介護が付いてヘルパーが来るはずだが

介護保険を使わずに自分でやるからには

よほど風呂に入れるのがうまいのだろうという皮肉を込めて

ヒロミはクラッチ名人の他に、“風呂名人”と呼ばれていたこと…

母親の風呂を理由に早退や欠勤するのは、オトコと会うため…

そのオトコとは昔、義父の会社に勤めていた人の息子で

うちへ転職したのは、そのオトコの勧めによるもの…。


ちなみに、“昔、義父の会社に勤めていた人”とは

飲酒が原因で解雇したAさん。

30年近く前になるが、彼は運転手の仕事を転々としたあげく

50を過ぎて入社した。


不良がそのまま年取ったような渡世人崩れの人で

若い頃に義父と顔見知りだったことを全面に押し出していた。

自分が一番後輩でありながら、年下の社員や出入り業者に威張り散らし

義父の会社を我が物のように吹聴した。

知り合いを入れると、こうなるケースがままあるものだ。


しかし義父にとって最も重要な問題は、飲酒癖。

今までの仕事もそれでクビになったらしく

義父の会社に入ってからも、仕事中に飲んでいるという噂が付きまとった。

彼が入って2〜3年が経った頃

会社の冷蔵庫にビールを発見した義父は怒り狂い

その場でAさんを解雇。

彼はこの措置を恨んで、その後もしばらくゴタゴタした。


そのAさんは数年前に亡くなり、なぜか義父の墓の真ん前に眠っている。

遺族がたまたま、そこを買ったのだ。

きっとあの世でも、大喧嘩をしていると思う。


ともあれタチの悪い男の子供は、両極に分かれるものだ。

父親の人と成りを踏襲するか

あるいは母親の苦労を見て、父親とは正反対の善人に育つか。

ヒロミのオトコは、前者である。

彼女は相変わらず、いい男に巡り会えてないようだ。


ヒロミの男運の無さは、知っていた。

結婚した相手もそうだが、私と知り合った頃に勤めていた宅配会社でも

オトコ絡みのちょっとした出来事があったからだ。


離婚して間の無いヒロミは、同僚の妻子持ちと

頻繁にメール交換をするようになった。

一人になった心細さもあって、メールの内容が熱くなってきた頃

男の妻がそのメールを見たそうで

「女房が対決すると言い出した」

という内容のメールをヒロミに送り、男は絶交を告げた。


男に切られたことよりも、妻の怒りの方が怖いヒロミは

恐怖と後悔に打ちひしがれた。

当惑したミーヤに呼び出された私は、さめざめと泣くヒロミを慰めたものだ。

年かさの私は、こんなことで泣くヒロミを可愛らしいとすら思った。

しかし若いヒロミに、このショックは耐えられなかったようで

退職の運びとなったのだった。



話は戻って、田辺君。

「介護を持ち出すと同情されるから、味をしめたんだよ

慣れてくると絶対やるから、忙しくなったら気をつけて。

急に休んで仕事に穴開けられると、困るのはヒロシさんだから。

チャーターを呼ぶのに、例えば5台にするか6台にするか迷った時は

多めに呼んだ方がいいよ」

そして彼は、再びこう言って帰って行った。

「大丈夫、すぐ辞めるから」


田辺君からヒロミ情報を得た夫は、さして気にしない様子だったが

ヒロミのオトコがAさんの息子だという奇遇には驚いていた。

思い返せばAさんは、今の藤村と同じような傍若無人ぶりで

若かりし夫が、かなりのストレスを感じていたのは知っていた。

その記憶が蘇ったのだろう…今さらながら、初めて私に問う。

「あの子、どうなん?」


何でぇ、今さら…と思いつつ、私は答えた。

「仕事の方はともかく、明るくて愛想がいいけん

会社の雰囲気は良くなるよ。

あの子は面白いけん、あんたは気に入ると思うよ」


そしてその通り、夫はヒロミと相性が良かった。

例えば夫が、業務日報の書き方を教える。

「この欄に、現場を書いて」

真剣な面持ちで、日報に“現場”と書くヒロミ。

「バカたれ!納品先を書くんじゃ!」

「え〜?!」

「ちゃんと、場所を書け」

「了解!」

職場は明るくなった…多分。

《続く》
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現場はいま…それぞれの春・6

2021年04月20日 08時37分13秒 | シリーズ・現場はいま…
噂のクラッチ名人ヒロミと、私の出会いは約20年前に遡る。

40年前、我々夫婦が新婚時代を過ごしたアパートに

当時は中学生と小学生だった三姉妹が住んでいて

親しく交流していたことは、以前の記事でお話ししたことがあるが

ヒロミはその三姉妹の長女、ミーヤのママ友だ。

数年後、我々夫婦は夫の両親と暮らすためにアパートを出たが

三姉妹とは町で会うたびに、ペチャクチャとおしゃべりをして現在に至る。


ヒロミはいつも姉御肌のミーヤにくっついていたため

私とも顔見知りになった。

中肉中背の地味な顔立ちだが、良くも悪くも子供っぽい子で

その明るさと賑やかさは凄まじい。

浅黒くキメの荒い肌や、深めのほうれい線が無ければ

2人の小学生を持つ30過ぎのお母さんとは思えなかった。


当時のヒロミは宅配会社に勤めていたが、やがて離婚して2人の子供を引き取り

隣町の実家で両親と暮らすようになった。

そのためヒロミとミーヤは疎遠になり、私とも会うことが無くなった。

離婚の理由は旦那が働かなくなったのと、暴力。

それが原因で喧嘩が絶えなかった。

ヒロミの明るさや賑やかさは、その裏返しだったのかもしれない。


離婚する前、旦那の問題を県北に住む姑さんに訴えたところ

姑さんはお手製のキムチをたくさん送ってくるようになった。

キムチを売って生活の足しにするように、との思いやりだ。

ヒロミは一時期それを売っていて、私も買ったことがある。

ヒロミからもミーヤからも何も聞いてないが

このキムチと苗字から、ヒロミの旦那は隣国の人だと見当がついた。


ヒロミは離婚後もしばらく、宅配会社に勤めていたが

やがてレンタルモップの会社に転職した様子だった。

会社の車でルートセールスに回るヒロミを

町でよく見かけるようになって知ったのだ。


さらに数年後、コンビニのレジで再会。

レンタルモップの会社を辞め、今はここで働いていると言った。


それからさらに数年後

市内にある生コン会社の大型ダンプを運転するヒロミと、路上ですれ違った。

今度は運転手になったようだ。


宅配会社にいる時から、彼女は折に触れて言っていた。

「大型免許を取って、ダンプの運転手になりたい」

職を転々としていたヒロミが夢を叶えた様子なので、良かったと思った。

しかしそれも束の間、じきに町で見かけなくなった。


そしてさらに数年が経ち、ヒロミは我が社に現れた。

求人を出していたハローワークから連絡が来た時

夫は担当者から名前を聞いたが、誰だかわからなかった。

女性というのだけ把握したものの、神田さんのことがあるので

あまり喜ばしい連絡ではない。

しかし松木氏と夫の意見は、妥協で一致していた。

「とりあえず誰でもいいから入れて、空いたダンプを一旦ゼロにしようや」


応募したのがミーヤのママ友ヒロミだと、夫が知ったのは面接の時。

松木氏との打ち合わせ通り、面接もそこそこに

ヒロミは4月からうちで働くことが決まった。

クラッチ名人の評判を聞いたのは、その後である。

入社予定の新人の名前が社内で公表された時

息子たちを始め社員は皆、彼女の所業を知っていた。


ダンプの運転では半クラッチを駆使するが

ヒロミはこの半クラッチが苦手なのだそう。

マズい半クラッチ操作を繰り返していると、当たり前だが壊れる。

摩擦熱でクラッチが焼けた状態になり、ダンプをスムーズに動かせなくなるのだ。

次々とダンプのクラッチを焼き、居づらくなって退職…

しかし愛想だけはいいので面接では気に入られ、就職は決まるが

次に勤めた所でも複数台のクラッチを焼き、やはり居づらくなって退職…

これを繰り返す恐怖の女ドライバー、ヒロミの名は

業界にとどろいているという。

知らなかったのは、面接をした松木氏と夫だけだった。


クラッチを焼くぐらいで、どこが恐怖なのだ…

修理すればいいことじゃないか…

人はそう思うだろう。

しかしダンプの世界でクラッチを焼くのは、恥とされている。

ヘタくその証明だからである。


それだけではない。

一度クラッチが焼けたダンプは、“弱る”。

ダンプは普通車と違い、重たい車体に重たい荷を乗せて

勾配の強い道を往来するのが仕事なので、頻繁なクラッチの切り替えが不可欠だ。

クラッチが生命線と言っても過言ではないため

クラッチを焼いて弱ったダンプは、残りの人生?を半病人として過ごす。

交換したクラッチは滑りやすくなったり

また逆に、引っかかって入りにくくなることが多いからだ。

クラッチ操作で無理をするために故障が増えて、ダンプの寿命も短くなりがちである。


クラッチ焼けは、不運なアクシデントではない。

運転手の正しい操作で回避できるものだ。

何度も発生させてしまう場合、結局はダンプの運転手に向いておらず

この先も上達の見込みは無いといえよう。


とはいえクラッチを焼くのも転職するのも、それはヒロミの自由だ。

しかしヒロミの毒牙にかかり、調子の悪くなったダンプは

彼女が去った後も残る。

運転手たちが心配するのは、そのダンプが自分に回ってくる恐れだ。


たびたび故障するのは決定事項だが、ダンプは会社で故障するとは限らない。

路上で突然起こるかもしれず、それが仕事の中断や

悪くすると事故に発展する可能性が無いとは言い切れない。

ヒロミがいなくなれば、それらは自分の責任になるのだ。

あちこちの会社のダンプを壊しながら

それでも明るくダンプ乗りを続けようとするヒロミの技術と神経に

皆が恐れおののくのは当然である。



さて、ヒロミの入社が決まるとさっそく

同業他社で営業をしている夫の親友、田辺君が来た。

この3月まで、ヒロミは田辺君のいる会社で働いていたのだ。


「すぐ辞めるけん、大丈夫」

ヒロミの評判を知らずに入社させたことを軽く後悔する夫を

田辺君は優しく慰めるのだった。

「うちは3台、やられた」

とも言った。

全然、慰めになってないじゃないか。

《続く》
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現場はいま…それぞれの春・5

2021年04月15日 09時27分03秒 | シリーズ・現場はいま…
大手ゼネコンのOBで、フィリピン人の妻を持つスガッちの入社により

藤村の口数は格段に減った。

無理もない。

ゼネコンとフィリピンに詳しいスガッちの前で

「どこそこのゼネコンの取締役は、俺とツーカーの仲」

「俺はフィリピンにモテる」

などのホラを吹くわけにはいくまい。


しかし、これで諦める藤村ではない。

彼は今も、M社の社長に責められている。

専属にして毎日仕事をやる約束で、M社から裏リベートを取っていたのだから

約束が違うと文句を言われるのは当然だ。


藤村との密約を取り付けた社長は、よその仕事に見向きもせず

こちら1本に絞っていた。

藤村の配車に応じるべく、無理をしてダンプの新車も購入したし

裏リベートを捻出するために、架空請求という危ない橋も渡った。

藤村が配車権を失ったからといって

はいそうですかと引き下がるわけにはいかない。


切られた時のセーフティネットを確保しないまま

取引先を1本に絞るのは経営者として愚かな行為だが

そんなことを知る社長ではない。

1本に絞ると連絡や請求が楽で、接待交際費などの経費が節約できるからだ。

その楽と安上がりに飛びついた社長は今、死活問題に直面している。

窮状を訴える相手は、藤村しかいなかった。


「藤村が苦しんどるのは、はたから見てもわかる」

夫は楽しそうに言う。

「切羽詰まっとるけん、また何かやらかすよ」

私も笑いながら答える。

「もう、詰んだろう…手は無いはずじゃ」

「あいつには、嘘という手がある。

油断したらいけんよ。

何か言われても即答しなさんな」


この会話が現実のものとなるまで、さほどの日数はかからなかった。

先日の退社時、佐藤君が長男に言った。

「マコト君の有休が1日残ってるから消化するようにって

藤村さんが言ってたよ」


長男、いつの間にか藤村の手下になっていた佐藤君とは

ここしばらく絶縁状態だった。

にもかかわらず、急に近づいてきたのをいぶかしく思ったそうだ。

しかし、もっといぶかしいのは有休というテーマ。

営業所長の肩書きを奪われ、ヒラの営業マンになった今の藤村は

有休を管理する立場に無い。

しかも有休消化を促すなら年度末の3月中に言うべきで、今じゃない。


長男の警戒に気づかず、佐藤君は明るく続けた。

「それから、親父さん(夫のこと)の有休もまるまる残ってるから

今月まとめて取って欲しいって、藤村さんが…」


あんたぁ、何サマね…長男は吠えた。

「何で藤村が、ワシらの有休にゴチャゴチャ抜かすんじゃ。

それを何であんたがそんなこと言うて、ワシとこへ来るんじゃ。

藤村の丁稚(でっち)が、えらそうに。

ワシに直接言ええ、いうて藤村に言うとけ。

ボコボコにしちゃるけん」

佐藤君は、ふくれっ面で帰って行った。


帰宅した長男から話を聞いた私は、すぐにピンときた。

夫に連休を取らせて休ませ、その留守を狙って配車に干渉し

M社のチャーターを呼ぶつもりである。

長男の有休は、おまけに過ぎない。

騙す相手である夫と、藤村が恐れる長男には直接言えないので

佐藤君を伝令に使ったのだ。


藤村の考えたドラマは、こうだ。

夫が休みの間、積込みは長男にやらせる。

夫の代わりにはならないが、どうにか務まりそうなのは

長男しかいないからだ。

運転手にオペレーターをさせるのだから、長男のダンプは動かない。

すると長男の代わりに、チャーターを1台余計に雇わなければならない。

夫と一緒に配車をしている次男は、長男が抜けて多忙のため

藤村への牽制が手薄になるかもしれない。

そこですかさず、配車をカバーしてやるという名目で勝手にM社を呼ぶ。

一度呼んだら最後、以前のようにガンガン呼べばいい。

夫が出社する頃には、形勢逆転済み。

藤村が軽い頭に描いた図なんぞ、容易に想像できる。


しかし、この策は失敗だ。

なぜなら夫は長い社会人生活で、有休を取ったことが一度も無い。

義父の会社だった頃は、有休をわざわざ取るまでもなく

自由にデートや駆け落ちをしていたし

今の会社になってからも有休とは無縁だった。

そもそも休みたいと思ったことが無いので

自分に有休があるのかどうかすら考えたことも無いのだ。


有休を取れと言われたことも無いし

取りたいとも思わないまま10年が過ぎた。

義父が死んだ時は、3日だか4日だかの忌引き休暇で済み

あと先はお陰様でこれといった厄災も無く、健康に働かせていただいている。

夫にとって有休は、猫に小判。

目の前にぶら下げられても、興味が湧かないのだ。


一方で終わった男、藤村にとって夫の有休は

返り咲きのために残された貴重なチャンス。

有休消化を促す時期や権限は、この際関係ない。

嘘でも何でも、とにかく邪魔な夫を休ませる必要がある。

連休が取れると吹き込んでやれば、飛びつくはず…

藤村は、怠け者の自分と重ね合わせて考えた。


しかし、面倒なことがある日や叱られそうな日を選んで休み

早々に有休を使い切る藤村と、雨の日も風の日も必ず出勤する夫では

ハナから勤労意欲が違うのだ。

もっとも夫の場合は、家に居ると女房から邪魔にされ

グズグズしていると母親から厄介な用事を言いつけられるので

仕事の方がマシと思っているのかもしれない。



こうして藤村の作戦は、長男のブロックもあって不発に終わった。

このように些末な手口を思いつくからには

藤村もいよいよ手詰まりになっている様子。

しかし我々は、バカどもにかまけているわけにはいかない。

なにしろ4月1日から、クラッチ名人が入社しているのだ。


で、そのクラッチ名人だが

入社してみたら、知り合いのヒロミじゃんか。

ガ〜ン!

私と薄い交流のあった20年前は、確か宅配便の営業所に勤めていた。

ヒロミは珍しくない名前だし、離婚して姓が変わっていたので

入るまで気がつかなかったのである。

《続く》
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現場はいま…それぞれの春・4

2021年04月13日 11時27分39秒 | シリーズ・現場はいま…
スガッちが仕事を求めて、夫の所へ来たのは2月の下旬。

面接は本社から河野常務が来て、松木氏と夫を交え

3月初旬に行われた。

大手ゼネコン大好きで、資格や免許が大好物の常務は

一も二もなく採用を決め

スガッちは3月半ばからパートとして働くことが決まった。



重機の免許は持っているものの、操縦はできないスガッちに

夫は一つの提案をした。

初出勤まで2週間あるので、その間に1回

遊びがてら会社に来て、動かし方を練習したらどうかというものだ。


テキトー人間の夫にしては、えらく慎重な提案だが

私も重機のペーパーなので、気持ちはよくわかる。

道路を走るという共通した目的のために作られた普通車と違い

様々な仕事に合わせて、たくさんの種類がある重機は

機種ごとに操作方法が異なるからだ。


重機を扱えない人間を助手に雇っても

助かるどころか迷惑というだけではない。

失敗するとダンプの破損や人命にかかわり

「ごめん」で済まない一大事になる。

そのような懸念が無きにしもあらず、といった悠長な類いではなく

実際に起こるのだ。


大昔、会社に入り込んだ夫の愛人は

夫から手取り足取り乳取り、愛の指南を受けて

重機の練習をしていたが

実際の積込みにチャレンジした途端、一発目でよそのダンプを潰した。

もちろん弁償。

ダンプの運転手の生命に別状が無かっただけでも

不幸中の幸いだった。

業界では、このようなアクシデントがよくある。


そして、うちのような商売をする会社は

商品を船舶で入荷するため、敷地は海に面している。

うちでは幸いにもまだ無いが

重機もろとも海に転落する同業者は、たまにいる。

そのような事態になった場合、まず責任を追及されるのは

指導する立場になってしまった夫。

だから夫にしたら、入社までに少しでも覚えてもらいたいのだ。


特にこの春から、会社には新しい重機が入った。

重機のトップメーカー、コマツ製で

今までの2倍の大きさになり、3倍のパワーを誇る。

慣れた夫でも、最初は戸惑ったという。

少しは予習しておいた方がスガッちのため、引いては皆の安全のためである。


けれどもスガッちは、来なかった。

余裕のある暇な日を見つけて、夫は何度か電話で誘ったが

ことごとく断られた。

その理由は、日当をもらえないのに行くのは損という

スガッちにとってはしごく正当なものである。

「習うのは入社してからでいい」

彼は、その意志が硬かった。

予想していたとはいえ、夫の失望は大きかった。


こうして3月15日から、スガッちは入社した。

入社の際の健康診断で、肝臓、腎臓、心臓、胃腸…

血圧、血糖値、尿その他…

検査項目のほとんどにおいて驚異的な数値をたたき出し

「これじゃ病人だ。

何とかして入社を断ることはできないのか?」

と本社から連絡が来たが、あとの祭り。


失望したままスガッちを受け入れ、何の期待もしていなかった夫。

しかし日を追うごとに元気になってきた。

重機の方は練習させてもサッパリだそうだが

突発的な近場の配達を代わりにやってくれるので

ずいぶん楽になったという。

現場監督だった経歴から、仕事の流れや商品の種類をよく知っていて

客あしらいがうまく、伝票仕事にも慣れている。

改めて教えなくても、様々なサポートをしてくれるそうだ。

仕事がしんどいのは、積込みの合間に行く配達や

伝票切りなどの細々した仕事が原因だったと

夫はスガッちが入社して初めてわかったらしい。


しかしスガッちが最も本領を発揮したのは

藤村対策においてだった。

大手ゼネコンのOBという経歴に、藤村は少しおとなしくなった。

藤村が何か偉そうなことを言おうものなら

「フフン」と鼻で笑われるからだ。


しかもスガッちの妻は、フィリピン人。

藤村は、別れた2人の奥さんがフィリピン人で

コロナ勃発までは、やはりフィリピンホステスのテレサと付き合っていた。

そのため、何かといえばフィリピン女性の心身について

下品な内容を大声で話し、まず男の興味を引いてから

もっと聞きたがる相手を取り込む方式を用いてきた。

つまり藤村とくっつく男は、おしなべてドスケベということである。


しかしスガッちは現役だ。

スガッちの前で、得意げにフィリピン女性の愛と性について語ることは

もうできはしない。

これは藤村の牽制に役立った。

夫が楽になったのは、この件も大いにある。


ただし、スガッちがこぼす妻リンダの愚痴には閉口している様子。

「失敗した、騙された言うたって、自分が選んだんじゃないか。

毎日聞かされるのが面倒くさい」

吐き捨てるように言う。

お陰で私の株は確実に上がったようで、以前にも増して気を使い

大事にしてくれるようになった。

リンダさまさまである。



さて、スガッちだけでは終わらない。

この4月から会社にもう一人、新人が入った。

50才の女性運転手だ。

空いている1台のダンプに乗せるためである。


息子たちが話すには、この女性、業界ではちょっとした有名人で

「クラッチ名人」と呼ばれているそうだ。

そのクラッチ名人がうちに来るということで

息子たちも社員も色めき立った。


クラッチ名人…その名の由来をお話ししよう。

あちこちの同業者に勤めては、クラッチを焼いて次々にダンプを壊し

居づらくなって転職を繰り返す…

つまりクラッチ操作がヘタ過ぎて、乗ったダンプを必ず破壊へと導く

恐怖の女ドライバー

それがクラッチ名人の正体であった。

《続く》
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現場はいま…それぞれの春・3

2021年04月09日 11時13分57秒 | シリーズ・現場はいま…
さて3月半ばから、夫に相棒ができた。

名前はスガッち。

取引先の大手ゼネコンA社で現場監督をしていたが

去年の3月に60才で定年退職した、私と同い年の男性である。


スガッちは現役時代から会社へよく遊びに来ていて、夫と仲が良かった。

夫は退職して会えなくなったのを淋しがり

私の方は、A社に送るややこしい請求書を

スガッちが代わりに作成してくれていたので

それが無くなって淋しがったものだ。


しかし今年の2月。

「仕事、無い?」

彼はそう言って、ひょっこり会社にやってきた。


A社は東京に本社のある大企業なので、退職金が多い。

家でも建てて悠々自適の老後を送るつもり…

退職前、彼はそう言っていたし、誰もがそう思っていた。

けれども違ったようだ。

退職金がそろそろ底を尽きそうなので、どうしても働かなければならないと言う。

その事情は聞くも涙、語るも涙。

ただし本物の涙は語る方だけで、聞く方は笑い過ぎて涙が出る物語だ。


退職金が無くなった原因は、彼が10年ほど前に晩婚でもらった

フィリピン人の若い奥さん、リンダ。

出会いはご多聞にもれず、酒場の客とホステスの関係だった。


独身で結婚歴無しと言うから結婚したのに

後から本国に置いてきた子供が2人現れて

スガッちは騙されたと思ったが、後の祭り。

養育費ということで、まず有り金をむしり取られる。

あちらの人は、お金が入ったら一族に分けるのが当たり前だそうで

長い独身生活で貯めた預貯金はみるみる消え、ボーナスも素通り。

そしてこの度もらった退職金は数回にわたって

半分以上を実家に送金されてしまった。


呑気なスガッちだが、さすがにこれは途中で止めた。

しかしリンダは納得しない。

「家族が助け合うのは当たり前。

家族を大切にしない人とは、離婚します。

退職金は全部、慰謝料です」

考えや習慣の違いに言葉の壁が重なって

言い出したらきかないリンダの性格は、この10年で思い知っている。

全額を慰謝料に持って行かれるより、半分でも残る方がマシ…

スガッちはそう考えて、止めるのを諦めた。


しかしそれでは終わらず、引っ越しが追い打ちをかける。

会社の家賃補助で住んでいた高級アパートだが

補助が無くなったら生活して行けないので、家賃が半分くらいの部屋へ移った。

けれども安い部屋は当然ながら

今まで暮らしていた部屋よりもレベルダウンする。

リンダはそれがお気に召さない。

結局は退職して以来、10ヶ月の間に3回引っ越した。


一から十まで全て引っ越し業者任せだったので

残りの退職金は、この引っ越しでさらに目減り。

最終的に今まで住んでいた隣の市を見限って

我々の住む市内に移り、わりと近くに落ち着いた。

田舎は家賃が安いからだ。


こちらへ落ち着くと、リンダは運転免許を取りたいと言い出した。

ダメと言うほどのことでもないので、自動車学校へ行かせる。

免許を取得すると、リンダは車が欲しいとねだり始め

スガッちは彼女が望む新車を買った。

この車が、退職金のフィナーレだった。


そんなわけで、スガッちは働かなければならなかった。

ゼネコンの現場監督だったから、資格や免許は豊富。

彼は再就職に自信があった。

が、あちこち当たってはみたものの、極度の肥満がネックとなって玉砕続き。

最後に来たのが夫のところだった。


その時期はちょうど本社の意向で、夫の助手を探していた。

船頭の一人だったはずの夫が、重機オペレーターと化して半年

本社が夫の身体を心配し始めたのだ。

それは思いやりというより、本社の体面を守るためであった。


というのも神田さん問題の勃発以降、次々にトラブルが起きた一時期

本社から取締役が訪れる回数が増え

問題解決のための指導や話し合いをするようになった。

指導や話し合いを重ねたって、何ら解決できないのはともかく

彼らが事務所に滞在する時間だけは増えた。


彼らの滞在中、どうしても目に入るのは夫の多忙。

夫を交えて話し合おうにも

藤村が呼びまくったチャーターの積込みに忙殺される夫は

悠長に座る時間など取れない。

誰かに交代させようにも、夫レベルのスピードが無ければ

渋滞が起きて現場は混乱する。

どんな業界でもそうだが、“動かせる”と“こなせる”は

全く違うのである。


その修羅場的状況を目の当たりにした彼らは一様に驚き

感心した後で、いちまつの不安を覚えた。

高齢を理由に窓際へ追いやっておきながら

社員の何倍も働かせては整合性が無いではないか。

そして最も恐れたのは、高齢の夫が倒れたら労災は必至という懸念である。


なにしろ神田さん事件が、現在進行形。

神田さんは、藤村のセクハラとパワハラが原因で

軽度の鬱病になったと診断され、労災が適用された。

この上、夫が死ぬか倒れるかして

またもや労災ということになったら恥の上塗りだ。


そこで彼らは、夫の助手を雇うという結論に至った。

夫の仕事を手伝ったり、積込み作業を交代するパートを雇うのだ。

労災の懸念を払拭するには、藤村を辞めさせればいいことだが

それだけは考えない彼らであった。


夫は、自分に代われるオペレーターなんていないと思っている。

自信という精神的なものではなく、これは物理的な問題。

熟練したオペレーターは、おいそれと市場に出回らないからだ。

それぞれの勤務先で大切にされるので、転職は考えない。


倒産や撤退で勤務先が無くなれば転職するだろうが

良いオペレーターは、会社が無くなると同時に他社が引っ張る。

だから職探しの必要は無い。

夫の代わりを務められるオペレーターであれば

よそで高給を取っているので、パートなんかで来るわけがないのだ。

よって夫は

「また変なのが来て、振り回されるのはまっぴらごめん」

そう言って断った。


しかし本社は、そうはいかない。

夫が倒れたとしても、事前に何らかの手は打ったことになるため

労災責任は免れる。

そういうわけで、切り傷に湿布を貼るような彼らの発案により

夫の助手を募集することになった。


そこへスガッちが、仕事を求めて登場。

現場監督だったので重機の免許は持っているが

完全なペーパーで戦力にならないのを夫は知っていた。

のんびり屋でケ・セラセラ体質のスガッちは

たまに会う知り合いとしては楽しいけど

一緒に働くとなると疑問符がつくのもわかっていた。

その根拠は、全国的に名の知れた大企業に勤めておきながら

定年後は嘱託になったり、子会社へ出向させる斡旋も得られないまま

スパッと切られたからだ。


しかし他に応募する人もいなかったし

変なのと働くよりは、気心の知れた人の方がまだマシかも…

夫はそう考えて、入社させることにした。

《続く》
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現場はいま…それぞれの春・2

2021年04月08日 11時15分31秒 | シリーズ・現場はいま…
自業自得…

藤村と癒着していたM社が仕事を失ったことを指して

私は前回の記事をそう結んだ。

いつも優しい!私にしては、なかなか冷たい言葉である。

なぜそう言ったのかをお話しさせていただこう。


M社は元々、隣町で小規模の土木建築業を営んでいた。

しかし十数年前、仕事に使っていた1台のダンプを

たまたまチャーターとして貸し出したところ

土木工事よりも純益が高いことを知った。

つまり本業がうまくいかないので、宗旨替えをしたのだ。


M社にはしっかりした娘婿がいて

本業と、ダンプのチャーターの両方をうまく運営していた。

しかし舅にアゴで使われる日々が嫌になった娘婿は

一昨年、会社を辞めた。


長年、仕事を娘婿に任せきりだったM社の社長は困った。

突然の喧嘩別れだったので、何もわからない。

そこで社長が頼ったのが、なぜかうちの次男。

次男は10年余り前、ダンプの新車ができ上がるまでの短期間だが

M社でアルバイトをしたことがあり、娘婿と親しかったのだ。


近年のM社は本業の土木より

チャーターの方に重きを置くようになっていたので

土木は知らないがチャーターに詳しい次男は

ほぼ毎日、社長からかかってくる電話の相談に乗った。

仕事の手順を教えたり、取引相手を紹介したり

我が社の仕事でも、M社のチャーターを優先的に使ったものだ。


そのまま1年ほどが経過して、社長も成長したのか

M社が何とか回るようになったゴールデンウィークのことである。

次男は社長から、九州は博多への社内旅行に誘われた。

M社にある使わない土木機械を

次男の口ききで高く売却できたお礼という話だった。


ところが当日、M社に行ってみたら

社長の乗用車が停めてあり、参加者は社長夫婦だけ。

そりゃまあ社長と、会社の経理をする奥さんだけでも

一応は社内旅行に違いない。

社員旅行でなく社内旅行と言ったのは、そういう意味だった。

そして旅行の運転手は、次男に決定済みだった。


こんな場合、塩の効いた男であれば、利用されたと知って腹を立てるだろう。

しかし次男は、自分の運転が信頼されていると思ってしまうタイプ。

こういう性格なので、人からよく頼まれごとをされたり

時にはあからさまに利用されるが、本人は一生懸命取り組む。

その光景をはたから見て、バカにされているのではないかと感じることもあるが

「声をかけられるうちが華」と、彼自身は何ら気にしていない。


私も、気にしないようにしている。

母親の感情としては、我が子のお人好しをあわれに思い

利用する相手に腹を立てることもあるが

誰かのために東奔西走する過程で、彼は着々と知識を身に付けているからだ。

そういう人生の歩み方が向いている子もいるのだと思い

若くて体力のあるうちは、どんどん利用されればいいと考えている。

人を見る目は、実戦でしか養われない。


ビジネスホテルに泊まり、社長夫婦の運転手兼カバン持ちとして過ごした

一泊二日の安旅行…

帰宅した次男から、その思い出話を聞いた私は

この子らしいと思って笑い転げた。

しかし夫は、社長のケチとコモノぶりに

「バカにしやがって!

あいつらを博多へ投げたまま、一人で新幹線乗って帰りゃえかったんじゃ!」

と、怒りをあらわにしたものだ。

夫なら迷わずそうすると思い、また笑った。


ともあれこの一件でM社の社長が

仁義を欠いた人間であることは証明された。

仕事で付き合うのは警戒した方がいい…

と思っていたら夏が来て、63才の誕生日を迎えた夫は窓際に追いやられた。

M社は配車権を握った藤村に取り入り、小遣いを渡す約束をして専属になった。

見事な寝返りであった。


そのまま年末を迎え、やがて年が明けた。

3月になって、藤村は自身の悪行で失脚。

配車権を取り戻した夫がM社を切ったため、M社は自動的に仕事を失った。

それがM社と我々の、今までの経緯である。



そして先日、仕事が無くなって切羽詰まったM社の社長は

再び仕事を振るよう、藤村にせっついた。

夫と次男を無視して藤村1人にぶら下がっていたため

仕事をせがんだり、文句を言う相手は藤村しかいない。


配車権を失った今、どうすることもできない藤村は困った。

M社からの小遣いが入らないのも困るが

社長を怒らせて裏リベートのことを暴露されたら、もっと困る。

藤村は考えあぐねたあげく、M社の社長と松木氏との面談を提案した。

藤村と社長とで、さんざん足蹴にしてきた夫には怖くて頼めないので

松木氏に頼んで夫を説得してもらい

仕事を回すように頼んでもらうという回りくどい方法である。

夫か次男に直接頼めばよかろうに

後ろめたいことがあると、直球は投げられないものだ。


昨日、その面談があった。

面談に臨むにあたり、M社の社長は彼なりの準備をしていた。

神田さんと組んで何かと我が社を揉ませ

藤村の子分として横柄にふるまい

あからさまに夫を見下げる言動を取っていたM社の運転手

通称“チョンマゲ”を解雇して、彼が乗っていたダンプを売ったという。

チョンマゲを辞めさせれば、夫の怒りがとけるだろうと踏んでの措置だ。

コモノ社長にしたら

「ここまでやったんだから、振り向いてくれてもいいだろう」

という目一杯の誠意らしかった。


が、それは無駄であり、誠意とは言えない。

社長はチョンマゲの悪行を知りながら見て見ぬふりをして

取引先がメチャクチャになるのを待ち

藤村王国の設立に加担していたと白状したも同じである。


また、チョンマゲ一人を辞めさせたからといって

M社が救われるわけではない。

社長が夫や息子たちをバカにして、藤村を崇めたてまつるから

社員もそれに倣うのだ。

むしろ、一人で犠牲になったチョンマゲが気の毒である。


面談は決裂に終わった。

「配車のことは、ようわからん」

松木氏はそう言って、のらりくらりとかわし続けた。

松木氏と夫は面談の前に打ち合わせをして

何が何でも逃げ切ると決めていた。

藤村が邪魔な松木氏と

次男の博多旅行以来、M社を忌み嫌う夫との利害は一致しているのだ。


しかも社長、松木氏との面談に手ぶらで来た。

初対面の相手に仕事を頼むのに、手ぶらは無い。

プライドだけは高い松木氏に、ちょっと高級な菓子折りでも渡せば

結果は多少、違ったかもしれない。


面談が不発に終わった社長は、藤村を激しく叱責して帰って行ったと

目撃した次男が言っていた。

社長はこれであきらめるのか、懲りずに別の手を考えるのかは知らないが

いずれにしてもM社の将来が暗いことは確かである。

《続く》
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現場はいま…それぞれの春・1

2021年04月06日 09時02分07秒 | シリーズ・現場はいま…
夫の会社は今、落ち着いている。

会社が落ち着いているというより、夫が落ち着いているから

会社も落ち着いているのだろう。


昼あんどん改め変態の藤村は、相変わらず会社に来る。

営業所長の肩書きを外されて本社営業部のヒラ社員に降格し

こちらとは無関係になった彼だが、行く所が無いので毎日来て

事務所に座っている。


次長に格上げされて、こちらへ再赴任した松木氏は

もちろん気に入らない。

来年は65才、どうあがいても定年退職が待っている彼は

最後に回ってきた大役職を満喫したいのに

藤村が横で偉そうにしているのは我慢ならない。


「どっか営業に行ったら?」

追い払おうとする松木氏。

「いや、まだやることがある」

つまらぬ理由を並べて居座る藤村。

2人の船頭は、このやり取りでお互いに牽制し合っている。

怠け者同士が泥仕合をしているうちは、夫は安全なのだ。


この3月、夫と次男に突然降って湧いた転職話は保留のまま。

2人の意向としては、話が進んでも立ち消えても

どっちでもよくなったらしく、運命に任せるつもりのようだ。


その話はまた後日させていただくとして

夫たちの余裕は、藤村が握って離さなかった配車権が

3月下旬、正式に戻ってきたことに由来する。

配車に始まり配車に終わる我々の業界では

利益と効率と安全を左右する配車権さえ取り戻せば

おおかたのことは解決するのだ。


配車権を取り戻した夫は即日、藤村と癒着していた地元のチャーター業者

M社を切った。

続いて少し遠い地域にあるチャーター業者、K社も切る。

当然ながら藤村は気に入らず

「地元のM社と、台数の多いK社をキープしていないと

いざという時にダンプが集まらないじゃないか」

などと連日に渡って干渉を続けた。

裏リベートを受け取るためと、裏リベートが発覚しないよう見張るために

藤村は何としても、こちらへ顔を出して監視する必要があるのだった。


しかし夫は、藤村の干渉を完全無視。

藤村の考える“いざ”と、我々の認識する“いざ”は全く違うし

万一、本当の“いざ”来たとしても、他の対処方がいくらでもあるからだ。


しかもこの二社は、こちらへ呼んでもらう以外に

これといった仕事を持たない。

呼んでやっても、呼ばれる可能性は皆無の“芸者商売”だ。

本物の芸者はそれでいいが、他社のお情けにすがるばかりで

お返しのことなど1ミリも考えない会社と付き合うのは無駄である。


…と、藤村の息のかかった業者を切る理由を並べ立てたが

実は最も重大な理由が存在する。

3月末、両社の架空請求が発覚したのだ。


我々を含む本社グループの各社は

毎月、請求書が届いた端から本社へ転送する。

転送と言えば聞こえはいいが、通勤の道すがら

これら転送品を我が社から本社へ届けるのは、藤村の“お仕事”。


請求書をこちらで開封して確認する作業は、数年前に省かれた。

経理部長のダイちゃんに勧められていた新興宗教の入信を拒否したために

風当たりが強くなった頃だ。

私をクビにするつもりで、少しずつ仕事を減らすのだろうと思っていたし

当時、藤村は日本語が苦手で漢字を読めないなんて知らなかったので

「ヤツが確認するんだろうよ」

くらいにしか思わなかった。

しかしヤツは、単に郵便物が届いたらすぐ

本社へ運ばなければならないと思い込んでいただけらしい。


ともあれ、どこの会社も同じだが、請求書は納品伝票と一緒に届くものだ。

本社経理部は、請求書に表示した金額と

納品伝票の合計金額を確認した上で

全社まとめて支払いを行うシステムになっている。


3月は本社の決算月。

本社経理部は請求書と納品伝票を突き合わせる確認作業を

通常よりも熱心に行った。

そこで、チャーターを呼ばなかった日にも

請求が発生していると気がついた。

また、1台分の伝票しか無いにもかかわらず

2台分の請求をしている水増し請求もわかった。

念のために前月分も調べてみると、やはりある。

つまりM社とK工業は複数月に渡って

複数日の架空請求や水増し請求をしていたことになる。


二つの会社の請求書が、複数の同じミスを犯すことは

まずあり得ない。

そして、図らずもこのようなミスが発生した場合は

取締役か営業が謝罪に飛んで来るのが常識だが、二社とも沈黙したまま。

確信犯であることは明白である。


大きな金額ではなかったため、次回の支払いで相殺することになったが

二社の信用は地下まで落ち、切るには持って来いの条件が整った。

そのことを藤村に伝えると何も言えなくなり

夫は心おきなく二社を切り捨てた。

藤村に迎合し、運転手までが夫を見下げる言動を取っていたM社とK工業を

夫が許すわけがない。


二つの会社がなぜ、こんなアホなことをしでかしたかというと

藤村に渡すリベートのためだ。

最初は1台呼んでくれたらナンボ…という約束で

藤村に現金を渡して渡していた二社だが

これに味をしめた藤村は、二社を専属にした。

それはチャーター業者にとって嬉しいことだが、問題は藤村に渡す現金。


まとまった金額になると、社長のポケットマネーでは追いつかないし

裏金は必要経費に計上できない。

これは限りなく真実に近い想像だが

二社の社長はそれぞれ、藤村に現金を貢ぐのを渋り始めたのだと思う。

藤村ごときに尻尾を振るのは、せいぜいその程度のコモノだ。


そこで藤村が思いついたのが、架空及び水増し請求。

月のうち1回か2回、行かないのに行ったことにしたり

2台のところを3台にして請求すれば

本社から二社へ支払われた金額の中から、藤村の裏リベートが確保できる。


事務をかじっていれば、簡単に見つかると理解できるが

事務未経験の藤村にはわからない。

経理や支払いを含む全てを自分が取り仕切っている…

そう豪語する藤村の言葉を社長たちは信じた。

人間、自分に都合のいいことは信じたがるものだ。

そしてバカとバカはすぐに意気投合して

もっとバカなことをやらかすものなのである。


この一件は、金額が20万と多くなかったことから

背任や横領ではなく単純な請求ミスで片付けられ

支払いの終わった前月以前の請求書が調査されることは無かった。

我々は不満だったが、これが本社のやり方。

追求して調べたら忙しくなるばっかりだし

経理部の無能までが明るみに出て叱責され、いいことは何一つ無い。


なまじこの件を糾弾すると、経理部が火の粉を被る恐れがあるだけでなく

取締役たちが焦り始める。

藤村のやったことは、取締役たちが裏でやっていることと同じだからだ。

彼らは藤村ほどバカではないため、もっと巧妙ではあるが

取締役に目をつけられると自分の身が危なくなるので

見て見ぬふりをするのが慣例となっているのだ。


藤村が不問に付されたのは残念だが、我々とて配車権が戻れば文句は無い。

K工業の方は遠いので知らないが、隣町のM社は早くも仕事に困窮し

ダンプを1台、手放すという話。

仕事が無いと、たちまちダンプの維持費が重くのしかかる…

それがこの業界である。

自業自得だ。

《続く》
コメント (2)
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