「本当に長うて面白うない話で、くたびれるんよ。
なかなか終わらんけん、頭も腰も痛うなるし、もう行きとうない」
義母ヨシコは毎回、そうこぼしていたものだ。
その長うて面白うのうて、くたびれる話というのは
年に3回ある寺の行事…春と秋のお彼岸、初夏の永代供養。
行事だけならどうってことないのだが
2年ほど前から、この寺が新しい試みを始めた。
行事の後、よその寺からお坊さんを呼んで講演会を開催するようになったのだ。
講師のお坊さんは、毎回変わる。
寺はそのたびに、“どこそこ寺から、誰それ住職来たる!”
みたいなチラシを檀家に配布し
檀家は皆、「どなた?」と思いながら寺へ集まるのである。
よその寺から講師を呼ぶばかりではない。
こっちの寺の住職も講師として、よその寺へ出向くらしい。
交換留学生ならぬ、交換講師で行事を盛り上げるという作戦が
近年、この宗派で流行しているようだ。
ヨシコは、行事と名のつくものが大好き。
たくさんの人に会え、着ている洋服を見てもらえるからだ。
10年前に夫のアツシが他界してからは、同じ檀家の友だち
骨肉のおトミに誘われるまま、嬉々として寺へ行っていた。
嫁が何より嬉しいのは姑の留守、私も喜んで送り出していたものだ。
しかし講演会が始まった2年前から、ヨシコは寺へ行くのを渋るようになった。
そのうち仮病を使っておトミの誘いを断るようになり
おトミの方も認知症が進んで寺の行事どころではなくなった。
ヨシコは解放され、私は年に3回も減った留守を残念に思ったものである。
そんな記憶も薄れた先日、この“長うて面白うのうて、くたびれる話”を
実家の寺で体験しようとは。
去る20日、実家の母の付き添いで菩提寺の彼岸法要に行った。
実家も夫家と同じ宗派で、春と秋の彼岸と初夏の永代供養…
年に3回の行事がある。
彼岸法要は去年の秋にもあったが、30分程度で終わったので
私も母も軽い気持ちで参加。
30人ほどの檀家にまぎれ、本堂に並べられた椅子に座ってお経を聞く。
しかし今回は、昨年と違っていた。
お経が終わると、70代後半とおぼしき知らないお坊さんが本堂へ入場。
これから講演をするとおっしゃる。
「ヨシコが言っていた、アレか!」
私は瞬時に察知した。
長うて面白うのうて、くたびれる話が、こっちの寺にも感染したみたい。
住職が紹介するには、講師のお坊さんは遠い親戚だそう。
ほら、お寺って大変だから、なかなか結婚しにくいじゃん。
そこでお寺同士で娘を嫁がせたり、婿養子を迎えたりするうちに
両家は親戚になったのだそう。
その親戚のお坊さんが、これから講演をなさるという。
このようなネットワークを使って、講演の出前が行われているらしい。
お坊さんは挨拶の後、おもむろに話を始めた。
これが面白くないのなんの。
お経はプロでも話はアマチュア…
つっかえたり、しばらく沈黙したり、突然話が飛んだり
遠回りをしてまた戻ったり、戻らなかったり
本人はユーモアを混じえているつもりなのか、一人で笑ったり。
おびただしい付箋を貼った分厚い虎の巻を持っていなさるからには
一応、お話の勉強はしておられる様子だし
聴衆の興味を引くため、彼のプライベートなエピソードを織り交ぜた構成だが
このプライベートがしょうもなさ過ぎて、人の心を惹きつけるにはほど遠い。
なるほど、聞きしに勝るシロモノじゃ…
これじゃあヨシコも仮病を使いたくなるわい…
私はそう思いながら、延々と続く下手な話に耐えた。
隣に座る母なんて高齢だから、心の声がそのまま口から漏れ出るわけよ。
「はぁ〜…まだ聞かにゃいけんの?」
「やれやれ…どうなりゃ、これが…」
それらの発言にヒヤヒヤしながら、耐え忍ぶこと1時間。
講師が虎の巻を閉じた時には
「やった!終わる!」
密かに喜び、早くも椅子から腰を浮かした私。
でも違った。
10分間のトイレ休憩。
まだ続くんかい…ガクッ。
休憩と聞いた聴衆からは、「ええ〜?」と、ため息混じりの声が漏れる。
この現象も、ヨシコから聞いていた。
「やれやれ、やっと終わったと思ったら休憩で
トイレに行ったらまた1時間、聞かされるんよ」
ヨシコが言っていた通り、再び講演が始まり
やはりヨシコが言っていた通り、頭や腰が痛くなった。
残り1時間を耐えに耐え、講演が始まって2時間後
我々一同はようやく解放される運びとなった。
終わった喜びなのか、大きなため息と控えめな拍手に送られて
講師は悠々と退場。
我々聴衆も頑張ったが、あの実力で2時間も話し続けた彼も
よく頑張ったと思う。
彼岸の一日、お坊さんはミホトケに代わり
我々凡夫凡婦にありがたいお話という功徳を施したのかもしれないが
我々の方も、下手な話を聞いてあげるという功徳を施したのではなかろうか。
私と母は、二度と参加したくないという意見で一致。
他の人々も同じ気持ちに違いない。
次の行事では、参加者が半減する方に賭けてもいい。
ともあれ近頃、檀家の減少が顕著なのは誰でも知っているはず。
寺の方も、その状況に手をこまねいているばかりではない。
存続をかけて色々なことを発案し、人を集めることに必死だ。
若い後継者のいる寺ではSNSやYouTubeを始めたり
市外にある同じ宗派の寺など、本堂でヨガや手芸の教室を開催している。
この講演会も、そんな人集めの一環らしいけど
これで檀家が喜ぶと思っているとしたら…
行事が盛り上がり、参加者が増えると踏んでいるとしたら…
寺と民衆の意識格差は、はなはだ大きいと言えよう。
いずれにしても、これじゃあお参りの人が増えるどころか減る一方と思われる。
それはそうと、お坊さんの話を聞いている間
私は残念な気持ちにとらわれていた。
モゾモゾしながら、終わる時間を待ち焦がれる自分に失望していたのた。
「私は年を取って、ここまで堪(こら)え性の無い人間に成り下がってしまったのか…」
「これじゃあ、ヨシコや母と同じランクの高齢者じゃないか…」
しかし、家に帰ってヨシコと話していたら分かった。
「あのお坊さんの話は、ヨシコや母の話と同じなんだ!」
つまらぬ思い出話や小自慢
これからいかにもすごいことを言いますぞ…
みたいにもったいをつけておきながら、出てくるのはしょうもない話…
つまり老人の与太話なのだ。
それなら、聞き飽きている。
だから面白くなかったんだ。
ホッとした。
で、転んでもタダでは起きないワタクシ。
徹頭徹尾、面白くない話の中で一つだけ、記憶に残った一節がある。
「上の反対語は下、右の反対語は左
では“ありがとう”の反対語は何でしょう?」
というもの。
ありがとうの反対語は、“当たり前”なんですってよ。
知ってた?
先日、このことを同年代の友だちに話した。
「ありがとうの反対語が当たり前って、わたしゃ考えたこと無かったわ」
すると友だちは「それ、聞いたことがある」と言った。
寺は違うけど、やはり同じ宗派の講演会だそう。
どうやら、同じネタが使い回されているらしい。
「去年だったか、行事の後で長い話があって、その時に聞いたよ。
あんまり長かったんで懲りて、それからは一回も行ってないけど」
友だちは言うのだった。
ここにも参加しなくなった人がいた。
あの講演会を続けるのは、危ないと思う。
なかなか終わらんけん、頭も腰も痛うなるし、もう行きとうない」
義母ヨシコは毎回、そうこぼしていたものだ。
その長うて面白うのうて、くたびれる話というのは
年に3回ある寺の行事…春と秋のお彼岸、初夏の永代供養。
行事だけならどうってことないのだが
2年ほど前から、この寺が新しい試みを始めた。
行事の後、よその寺からお坊さんを呼んで講演会を開催するようになったのだ。
講師のお坊さんは、毎回変わる。
寺はそのたびに、“どこそこ寺から、誰それ住職来たる!”
みたいなチラシを檀家に配布し
檀家は皆、「どなた?」と思いながら寺へ集まるのである。
よその寺から講師を呼ぶばかりではない。
こっちの寺の住職も講師として、よその寺へ出向くらしい。
交換留学生ならぬ、交換講師で行事を盛り上げるという作戦が
近年、この宗派で流行しているようだ。
ヨシコは、行事と名のつくものが大好き。
たくさんの人に会え、着ている洋服を見てもらえるからだ。
10年前に夫のアツシが他界してからは、同じ檀家の友だち
骨肉のおトミに誘われるまま、嬉々として寺へ行っていた。
嫁が何より嬉しいのは姑の留守、私も喜んで送り出していたものだ。
しかし講演会が始まった2年前から、ヨシコは寺へ行くのを渋るようになった。
そのうち仮病を使っておトミの誘いを断るようになり
おトミの方も認知症が進んで寺の行事どころではなくなった。
ヨシコは解放され、私は年に3回も減った留守を残念に思ったものである。
そんな記憶も薄れた先日、この“長うて面白うのうて、くたびれる話”を
実家の寺で体験しようとは。
去る20日、実家の母の付き添いで菩提寺の彼岸法要に行った。
実家も夫家と同じ宗派で、春と秋の彼岸と初夏の永代供養…
年に3回の行事がある。
彼岸法要は去年の秋にもあったが、30分程度で終わったので
私も母も軽い気持ちで参加。
30人ほどの檀家にまぎれ、本堂に並べられた椅子に座ってお経を聞く。
しかし今回は、昨年と違っていた。
お経が終わると、70代後半とおぼしき知らないお坊さんが本堂へ入場。
これから講演をするとおっしゃる。
「ヨシコが言っていた、アレか!」
私は瞬時に察知した。
長うて面白うのうて、くたびれる話が、こっちの寺にも感染したみたい。
住職が紹介するには、講師のお坊さんは遠い親戚だそう。
ほら、お寺って大変だから、なかなか結婚しにくいじゃん。
そこでお寺同士で娘を嫁がせたり、婿養子を迎えたりするうちに
両家は親戚になったのだそう。
その親戚のお坊さんが、これから講演をなさるという。
このようなネットワークを使って、講演の出前が行われているらしい。
お坊さんは挨拶の後、おもむろに話を始めた。
これが面白くないのなんの。
お経はプロでも話はアマチュア…
つっかえたり、しばらく沈黙したり、突然話が飛んだり
遠回りをしてまた戻ったり、戻らなかったり
本人はユーモアを混じえているつもりなのか、一人で笑ったり。
おびただしい付箋を貼った分厚い虎の巻を持っていなさるからには
一応、お話の勉強はしておられる様子だし
聴衆の興味を引くため、彼のプライベートなエピソードを織り交ぜた構成だが
このプライベートがしょうもなさ過ぎて、人の心を惹きつけるにはほど遠い。
なるほど、聞きしに勝るシロモノじゃ…
これじゃあヨシコも仮病を使いたくなるわい…
私はそう思いながら、延々と続く下手な話に耐えた。
隣に座る母なんて高齢だから、心の声がそのまま口から漏れ出るわけよ。
「はぁ〜…まだ聞かにゃいけんの?」
「やれやれ…どうなりゃ、これが…」
それらの発言にヒヤヒヤしながら、耐え忍ぶこと1時間。
講師が虎の巻を閉じた時には
「やった!終わる!」
密かに喜び、早くも椅子から腰を浮かした私。
でも違った。
10分間のトイレ休憩。
まだ続くんかい…ガクッ。
休憩と聞いた聴衆からは、「ええ〜?」と、ため息混じりの声が漏れる。
この現象も、ヨシコから聞いていた。
「やれやれ、やっと終わったと思ったら休憩で
トイレに行ったらまた1時間、聞かされるんよ」
ヨシコが言っていた通り、再び講演が始まり
やはりヨシコが言っていた通り、頭や腰が痛くなった。
残り1時間を耐えに耐え、講演が始まって2時間後
我々一同はようやく解放される運びとなった。
終わった喜びなのか、大きなため息と控えめな拍手に送られて
講師は悠々と退場。
我々聴衆も頑張ったが、あの実力で2時間も話し続けた彼も
よく頑張ったと思う。
彼岸の一日、お坊さんはミホトケに代わり
我々凡夫凡婦にありがたいお話という功徳を施したのかもしれないが
我々の方も、下手な話を聞いてあげるという功徳を施したのではなかろうか。
私と母は、二度と参加したくないという意見で一致。
他の人々も同じ気持ちに違いない。
次の行事では、参加者が半減する方に賭けてもいい。
ともあれ近頃、檀家の減少が顕著なのは誰でも知っているはず。
寺の方も、その状況に手をこまねいているばかりではない。
存続をかけて色々なことを発案し、人を集めることに必死だ。
若い後継者のいる寺ではSNSやYouTubeを始めたり
市外にある同じ宗派の寺など、本堂でヨガや手芸の教室を開催している。
この講演会も、そんな人集めの一環らしいけど
これで檀家が喜ぶと思っているとしたら…
行事が盛り上がり、参加者が増えると踏んでいるとしたら…
寺と民衆の意識格差は、はなはだ大きいと言えよう。
いずれにしても、これじゃあお参りの人が増えるどころか減る一方と思われる。
それはそうと、お坊さんの話を聞いている間
私は残念な気持ちにとらわれていた。
モゾモゾしながら、終わる時間を待ち焦がれる自分に失望していたのた。
「私は年を取って、ここまで堪(こら)え性の無い人間に成り下がってしまったのか…」
「これじゃあ、ヨシコや母と同じランクの高齢者じゃないか…」
しかし、家に帰ってヨシコと話していたら分かった。
「あのお坊さんの話は、ヨシコや母の話と同じなんだ!」
つまらぬ思い出話や小自慢
これからいかにもすごいことを言いますぞ…
みたいにもったいをつけておきながら、出てくるのはしょうもない話…
つまり老人の与太話なのだ。
それなら、聞き飽きている。
だから面白くなかったんだ。
ホッとした。
で、転んでもタダでは起きないワタクシ。
徹頭徹尾、面白くない話の中で一つだけ、記憶に残った一節がある。
「上の反対語は下、右の反対語は左
では“ありがとう”の反対語は何でしょう?」
というもの。
ありがとうの反対語は、“当たり前”なんですってよ。
知ってた?
先日、このことを同年代の友だちに話した。
「ありがとうの反対語が当たり前って、わたしゃ考えたこと無かったわ」
すると友だちは「それ、聞いたことがある」と言った。
寺は違うけど、やはり同じ宗派の講演会だそう。
どうやら、同じネタが使い回されているらしい。
「去年だったか、行事の後で長い話があって、その時に聞いたよ。
あんまり長かったんで懲りて、それからは一回も行ってないけど」
友だちは言うのだった。
ここにも参加しなくなった人がいた。
あの講演会を続けるのは、危ないと思う。