殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

講演会

2024年03月28日 10時14分24秒 | みりこんぐらし
「本当に長うて面白うない話で、くたびれるんよ。

なかなか終わらんけん、頭も腰も痛うなるし、もう行きとうない」

義母ヨシコは毎回、そうこぼしていたものだ。


その長うて面白うのうて、くたびれる話というのは

年に3回ある寺の行事…春と秋のお彼岸、初夏の永代供養。

行事だけならどうってことないのだが

2年ほど前から、この寺が新しい試みを始めた。

行事の後、よその寺からお坊さんを呼んで講演会を開催するようになったのだ。


講師のお坊さんは、毎回変わる。

寺はそのたびに、“どこそこ寺から、誰それ住職来たる!”

みたいなチラシを檀家に配布し

檀家は皆、「どなた?」と思いながら寺へ集まるのである。


よその寺から講師を呼ぶばかりではない。

こっちの寺の住職も講師として、よその寺へ出向くらしい。

交換留学生ならぬ、交換講師で行事を盛り上げるという作戦が

近年、この宗派で流行しているようだ。


ヨシコは、行事と名のつくものが大好き。

たくさんの人に会え、着ている洋服を見てもらえるからだ。

10年前に夫のアツシが他界してからは、同じ檀家の友だち

骨肉のおトミに誘われるまま、嬉々として寺へ行っていた。

嫁が何より嬉しいのは姑の留守、私も喜んで送り出していたものだ。


しかし講演会が始まった2年前から、ヨシコは寺へ行くのを渋るようになった。

そのうち仮病を使っておトミの誘いを断るようになり

おトミの方も認知症が進んで寺の行事どころではなくなった。

ヨシコは解放され、私は年に3回も減った留守を残念に思ったものである。


そんな記憶も薄れた先日、この“長うて面白うのうて、くたびれる話”を

実家の寺で体験しようとは。


去る20日、実家の母の付き添いで菩提寺の彼岸法要に行った。

実家も夫家と同じ宗派で、春と秋の彼岸と初夏の永代供養…

年に3回の行事がある。

彼岸法要は去年の秋にもあったが、30分程度で終わったので

私も母も軽い気持ちで参加。

30人ほどの檀家にまぎれ、本堂に並べられた椅子に座ってお経を聞く。


しかし今回は、昨年と違っていた。

お経が終わると、70代後半とおぼしき知らないお坊さんが本堂へ入場。

これから講演をするとおっしゃる。

「ヨシコが言っていた、アレか!」

私は瞬時に察知した。

長うて面白うのうて、くたびれる話が、こっちの寺にも感染したみたい。


住職が紹介するには、講師のお坊さんは遠い親戚だそう。

ほら、お寺って大変だから、なかなか結婚しにくいじゃん。

そこでお寺同士で娘を嫁がせたり、婿養子を迎えたりするうちに

両家は親戚になったのだそう。

その親戚のお坊さんが、これから講演をなさるという。

このようなネットワークを使って、講演の出前が行われているらしい。


お坊さんは挨拶の後、おもむろに話を始めた。

これが面白くないのなんの。

お経はプロでも話はアマチュア…

つっかえたり、しばらく沈黙したり、突然話が飛んだり

遠回りをしてまた戻ったり、戻らなかったり

本人はユーモアを混じえているつもりなのか、一人で笑ったり。


おびただしい付箋を貼った分厚い虎の巻を持っていなさるからには

一応、お話の勉強はしておられる様子だし

聴衆の興味を引くため、彼のプライベートなエピソードを織り交ぜた構成だが

このプライベートがしょうもなさ過ぎて、人の心を惹きつけるにはほど遠い。

なるほど、聞きしに勝るシロモノじゃ…

これじゃあヨシコも仮病を使いたくなるわい…

私はそう思いながら、延々と続く下手な話に耐えた。


隣に座る母なんて高齢だから、心の声がそのまま口から漏れ出るわけよ。

「はぁ〜…まだ聞かにゃいけんの?」

「やれやれ…どうなりゃ、これが…」

それらの発言にヒヤヒヤしながら、耐え忍ぶこと1時間。

講師が虎の巻を閉じた時には

「やった!終わる!」

密かに喜び、早くも椅子から腰を浮かした私。


でも違った。

10分間のトイレ休憩。

まだ続くんかい…ガクッ。

休憩と聞いた聴衆からは、「ええ〜?」と、ため息混じりの声が漏れる。


この現象も、ヨシコから聞いていた。

「やれやれ、やっと終わったと思ったら休憩で

トイレに行ったらまた1時間、聞かされるんよ」

ヨシコが言っていた通り、再び講演が始まり

やはりヨシコが言っていた通り、頭や腰が痛くなった。


残り1時間を耐えに耐え、講演が始まって2時間後

我々一同はようやく解放される運びとなった。

終わった喜びなのか、大きなため息と控えめな拍手に送られて

講師は悠々と退場。

我々聴衆も頑張ったが、あの実力で2時間も話し続けた彼も

よく頑張ったと思う。

彼岸の一日、お坊さんはミホトケに代わり

我々凡夫凡婦にありがたいお話という功徳を施したのかもしれないが

我々の方も、下手な話を聞いてあげるという功徳を施したのではなかろうか。


私と母は、二度と参加したくないという意見で一致。

他の人々も同じ気持ちに違いない。

次の行事では、参加者が半減する方に賭けてもいい。


ともあれ近頃、檀家の減少が顕著なのは誰でも知っているはず。

寺の方も、その状況に手をこまねいているばかりではない。

存続をかけて色々なことを発案し、人を集めることに必死だ。

若い後継者のいる寺ではSNSやYouTubeを始めたり

市外にある同じ宗派の寺など、本堂でヨガや手芸の教室を開催している。

この講演会も、そんな人集めの一環らしいけど

これで檀家が喜ぶと思っているとしたら…

行事が盛り上がり、参加者が増えると踏んでいるとしたら…

寺と民衆の意識格差は、はなはだ大きいと言えよう。

いずれにしても、これじゃあお参りの人が増えるどころか減る一方と思われる。


それはそうと、お坊さんの話を聞いている間

私は残念な気持ちにとらわれていた。

モゾモゾしながら、終わる時間を待ち焦がれる自分に失望していたのた。

「私は年を取って、ここまで堪(こら)え性の無い人間に成り下がってしまったのか…」

「これじゃあ、ヨシコや母と同じランクの高齢者じゃないか…」


しかし、家に帰ってヨシコと話していたら分かった。

「あのお坊さんの話は、ヨシコや母の話と同じなんだ!」

つまらぬ思い出話や小自慢

これからいかにもすごいことを言いますぞ…

みたいにもったいをつけておきながら、出てくるのはしょうもない話…

つまり老人の与太話なのだ。

それなら、聞き飽きている。

だから面白くなかったんだ。

ホッとした。


で、転んでもタダでは起きないワタクシ。

徹頭徹尾、面白くない話の中で一つだけ、記憶に残った一節がある。

「上の反対語は下、右の反対語は左

では“ありがとう”の反対語は何でしょう?」

というもの。

ありがとうの反対語は、“当たり前”なんですってよ。

知ってた?


先日、このことを同年代の友だちに話した。

「ありがとうの反対語が当たり前って、わたしゃ考えたこと無かったわ」

すると友だちは「それ、聞いたことがある」と言った。

寺は違うけど、やはり同じ宗派の講演会だそう。

どうやら、同じネタが使い回されているらしい。


「去年だったか、行事の後で長い話があって、その時に聞いたよ。

あんまり長かったんで懲りて、それからは一回も行ってないけど」

友だちは言うのだった。

ここにも参加しなくなった人がいた。

あの講演会を続けるのは、危ないと思う。
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近時事2題

2024年03月21日 10時25分57秒 | みりこんばばの時事
大谷選手に興味があるわけじゃないけど

日本の至宝だということは認識しているつもり。

その大谷選手の結婚で、日本中が大いに沸いたのはつい先日のこと。


彼との結婚は宝くじに何十回も当たるようなものだから

どんな人かと思っていたけど、清楚で爽やかな奥様ね。

バスケットの選手だったそうだから身長も釣り合って

大谷選手とお似合い。

変に派手だったり、よくあるB級タレントやモデルだったら

世間の反応は微妙なんだろうけど、これじゃあ誰も文句がつけられないわ。

さすが日本の誇る世界の大谷、妻選びもバッチリ。

天から気に入られた人は、二物も三物も四物も与えられるのね。


…と思っていたら、大谷選手の通訳、水原一平氏の解雇。

しかも大谷選手のお金を流用してのスポーツ賭博疑惑という

すっごいスキャンダル。

私は奥様のこと、宝くじに何十回も当たるぐらいの

大幸運を手に入れた人だと思っていたけども

通訳が宝くじに何十回も当たるぐらい使っちゃってたわけよね。


わたしゃ、このところハードスケジュール(えらそうに)だったので

胃が痛くなってきて、風邪かな?と警戒してたんだけど

今朝、このニュースを聞いたお陰で、どこかへ吹っ飛んだわよ。

ありがとさん。



通訳として、親友として、大谷選手と同じぐらい

仕事ぶりや人間性をもてはやされていた人気者だけに

この残念なニュースは誤報であって欲しいと

今でもそう思ってるのはさておき

あの奥様は「ドンマイ!」と言って大谷選手を励ましそうね。


それにしても、素晴らしい相棒を手に入れた途端

入れ替わりのように今までの相棒が去るって意味深だわ。

切っても切れない大切な友情も、大谷選手のお陰で手に入れた名声も

お金の誘惑には勝てなかったのかねぇ。


しかも水原氏、39才の厄年じゃん。

厄年って、色々とやらかしてることが露見しやすいから

気をつけた方が良かったわね。

彼も結婚して月日の浅い奥様がいらっしゃるけど

これからは後ろ指を指される人生を歩まなくちゃならない。

それを思うと痛々しいわ。


ともあれ大谷選手に、こんな薄汚い事件は似合わない。

「彼がいなければ、今の自分はいないと思っています。

そのことには感謝しています」

とか言って、爽やかに乗り越えてくれると信じています。




自民党の裏金問題?

これもねぇ、あんまり興味無い。

政治資金パーティーのシステムが

ずっと前から存在していたのは衆知の事実なのに

衆院選が近づいてきた今になって急に裏金、裏金と騒いで表に出す…

野党の思惑にまんまと乗せられるのはシャクじゃんか。


総理の秘書やってたバ◯息子の行状を暴露しても持ちこたえ

他にも色々やったけど不発に終わり

記憶に新しいところでは、昨年11月に和歌山市で行われた

自民党青年局近畿ブロックの会議終了後の懇親会。

言うなれば、自民党の若手地方議員の集まりね。


そこへ招かれたセクシー衣装のダンサーに口移しでチップを渡したのが

自民党の世耕議員の秘書だったということになり

裏金問題との抱き合わせ…つまり色と金のセットでようやく炎上。

ご苦労様です。




チップをもらう時も気を抜かない、女性の手つきが美しいわねぇ。

お疲れ様です。


ところで、チャンチャカチャンチャカ、景気のいい音楽が流れる中

裸同然の美女がチチやシリを揺さぶって接近…

キュートなクチビルを尖らせてチップをおねだり…

やらかしたのは秘書だけじゃないような気がする。


綺麗なオネエちゃんに顔を近づけてチップ渡してる現場写真を

誰が写して誰が流したのか。

ミステリー好きとしては気になるところだけど

ああいう場面で、一人だけやるという雰囲気にはならんでしょ。

表彰式じゃないんだから。

大勢がやるから、できるんでしょ。


その大勢の先駆けは、自民党青年局というからには

自民党の未来を担う(と自民党だけが思ってる)若手議員じゃないと。

ナンボ有名国会議員の秘書といっても

他の議員を差し置いて、いち秘書が一人だけいい思いするなんて

あり得ないと思う。


だけど議員秘書って、こういうピンチの時のために存在するのよね。

鼻の下長々族として全国にスケベ認定されちゃって

今後、本人だけでなくご家族までが

外を歩くのも恥ずかしいような思いをされないといいけど。

お気の毒です。
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ブーム

2024年03月19日 10時07分47秒 | みりこんぐらし
私に今来ているブーム。

『大相撲と春の高校野球』

好きなテレビ番組…大相撲と高校野球が、同時に開催中。

こういう時に限って何やかやと忙しく、あんまり見る暇は無いけど

今やってる…それだけで幸せな気持ちになるんだから、安上がりね。

今年の甲子園では、どんなスターが生まれるかしら。

新入幕した、大の里と尊富士の活躍も嬉しい。



『ゆめぴりか』

今、ハマってるお米は、北海道産の“ゆめぴりか”。

粒が大きくてフンワリしていながら、しっかりとした食感。

炊き上がりの輝きが美しく、とにかく美味しい。


「貧乏人は良い米を食え」って言うじゃないの。

おかずがショボくても、ごはんが美味しければ幸せってことよ。

だけど値段も手頃なのよね。

知り合いの農家から買うのも、生協の無洗米もやめて

ここしばらくは、この銘柄。



『3人会』

毎月、第三日曜日の午後2時

同級生のマミちゃん、モンちゃんと3人でお茶。

それがここ数年の習慣で、我々は例会と呼んでいる。


普段、マミちゃんの洋品店に行ったり

仕事帰りのモンちゃんがうちに寄ったりはするけど

3人で会うのは、たまに遊びに出かける以外、この例会だけ。

せっかく集まるんだから、ランチでもいいようなものだけど

市外からやって来るマミちゃん、平日は仕事なので朝寝坊がしたいモンちゃん

日曜でも家事が平常運転の私には、この時間帯がベスト。


解散は4時。

サッと集まって、サッと帰る。

皆、主婦なので、夕方は忙しい。

各自、帰りには夕飯の買い物をして家路につく。


うちらって、最初は確か5人会だった。

やがてメンバーのけいちゃんが横浜へ転居したので4人会になり

同じくメンバーのユリちゃんとは、お寺料理でこき使われるようになって以来

友だちとは思えなくなった。

ちょっと何か口走って、暇があると思われたら最後

寺で働く方へ持って行かれるので、滅多なことは言えないのだ。

油断できない相手、人を利用する相手は友だちではない。

だから2人減って、3人会になった。


月に一度、2時間の3人会は、私にとって一番のストレス解消。

姑仕えをする嫁って、どこへ行って何をして遊んでも

スッキリと気が晴れることは無いのさ。

出る時には家事を先回りしてやるから疲れるし

出たら出たで、帰った時のことが気になって楽しめず

帰ったら帰ったで現実に引き戻され、留守中に溜まった家事と

何げに不機嫌な姑を見てガックリ。


出かけるのは自由だろう、何で姑が不機嫌になるんだって?

その昔、行ってきますと言って出かけるのはいつも彼女で

家に残るのはいつも私だったのさ。


長生きするって、友だちがいなくなることなのよね。

誘ってくれていた人たちが亡くなって、足腰も悪くなって

お出かけが難しくなると、言うに言えぬ淋しさや

出かける者を見送る悔しさがにじむのさ。

出好きの姑が長生きすると、こうなるのさ。


家を空けた時間が長いほど、この現象が強くなるから

長時間の外出は疲れる。

その点、この例会は2時間だもの。

無理が無いから続いている。


私には自慢するものなんて無いけど、この二人の友だちだけは誇らしい。

感じの悪いことを言わず、明るく、素直で

一緒に居ると私まで良い人になったような気がする。

よくぞ二人を与えられたものだと、いつも思う。



『春のチャーム』

岡山名物、廣榮堂のきび団子をいただいた。

岡山県は広島県の隣なので、きび団子はよくいただくため

さほど珍しいお菓子ではない。

特に廣榮堂のものは、広島名物にしき堂のもみじ饅頭と同じく

会社の規模が大きいので、どこへ行っても販売している。


が、今回は違った。

包装紙に“春のチャーム”と書いてある。

「春のチャームとは何ぞや?!」

レトロなキャッチコピーに誘発され

いやしい我ら一家は、ガサガサと包みを開ける。


「おおっ!」


現れたのは、見慣れた薄黄色のきび団子ではなかった。

きび団子の一つ一つに、可愛らしい絵が印刷してあるじゃんか!


「こ、これが春のチャームか!」

まさしくチャームなきび団子に、いたく感動した我らであった。

以来、春のチャームというフレーズが気に入り

時々つぶやいている私である。
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会食

2024年03月12日 15時49分38秒 | みりこんぐらし
先日、夫の友人ヒロ君夫婦と食事に行った。

よその夫婦とご飯を食べに行くって、我々には珍しい。

43年の結婚生活は別行動が多かったため

食事を共にするような夫婦共通の友人が、ほとんどいないのだ。


今回、その珍しいことを成し遂げたのは

うちの夫が還暦を迎えた6年前、彼らがお祝いの食事会に

我々夫婦を招待してくれたから。

誘われた時は思いもよらなかったので、もちろん嬉しかったが

夫婦でお呼ばれなんて初めてで当惑もした。

その時の気持ちは、ここでお話ししたことがある。

ともあれ、その彼が還暦を迎えたので

今度は我々がお返しに招待したのだった。


夫とヒロ君はその昔、同じ野球チームで知り合って意気投合した。

以後、損害保険の代理店業をやっているヒロ君は

うちの車両その他の保険を扱うようになり

それが縁で夫の両親は、彼ら夫婦の仲人をやった。


ヒロ君の奥さん、マサミちゃんは56才。

彼と結婚するまでは、スナックのママをしていた。

こちらに帰って損害保険を始めるまでは関西の社会人野球で名を馳せ

プロ球団からも誘いがあった、“やや郷土の星”であるヒロ君が

よりによって水商売の女性と…

なにしろ田舎のことなので彼の両親は猛反対、周囲も首を傾げたものだ。


その不穏を一掃したのが、義父アツシ。

当時はまだ会社に勢いがあり、田舎でアツシの発言権は強かった。

さかしいヒロ君はアツシ夫婦を媒酌人に盛大な結婚式を挙げることで

両親と周囲、及び保険の取引先を黙らせたのだ。

サイコパス・アツシも、たまには良いことをしたのである。


はたして周囲の心配をよそに、ヒロ君の見立て通り

マサミちゃんは堅実な女性だった。

身体が弱いので子供はできなかったが

それから30年間、ずっと仲良し夫婦を続けている。


夫とヒロ君は年が6才離れているので、普段、一緒に遊ぶことは無い。

夫や息子たちは仕事でよく会っているが

私はヒロ君夫婦と、このような節目にしか会うことは無い。

しかし最近、節目以外でも彼らに会うようになっていた。

その場所は心療内科。

彼らはヒロ君の父親を、私は実家の母親を

それぞれ同じ心療内科に連れて行くようになり

月に一度、待合室で顔を合わせるのだ。


今回の会食では、彼ら夫婦にお父さんの病名をたずねるつもりだった。

だって病院だと本人も目の前にいるから、あれこれ聞きにくいじゃんか。

「夜中に、胸が苦しいと言って騒ぐんですよ」

彼らの答えは、どこかで聞いたような内容。

87才のお父さんは、お母さんと二人暮らしだが

夜になると、近くに住むヒロ君夫婦に助けを求めるのだという。

実家の母と同じである。


「しんどいとか、死にそうとか、救急車呼んでくれとか…」

これも同じ。

苦しいのは胸ということで心臓の精密検査をしたが

悪い所は見当たらず、心療内科を紹介された経緯も

薬を処方されて落ち着いたのも同じで、お互いに少なからず驚いた。


私は母の症状を見るにつけ、一人暮らしが良くないのだと思っていた。

90才の母にいつまでも一人暮らしをさせているのが

何やら申し訳ない気持ちだったが

伴侶と暮らしても同じだと知ってホッとした。

年を取るって、身体にも影響があるけど

心の負担も増していくのかもしれない。


さて、ヒロ君おすすめの店…

我が町の誇る、ちょい高級な居酒屋での食事は楽しかった。

いつもの女子会も、ここでやりたいところだけど

こってりイタリアン推しのユリちゃんと

身内の和食店を使いたいマミちゃんの希望に押されるのと

週末は予約が取りにくいのとで、叶わず。

この日は土曜日だったけど、常連のヒロ君の顔で何とか予約が取れた。


これといった写真は無いけど、まあ賑やかしに見てちょ。

名残りの牡蠣のバター焼き


味噌カツ



山芋ステーキ



他にもピザやらヒレステーキやら、たらふく食べた。

どれも美味しかったけど

話すのと食べるのに夢中で写真を撮り忘れた。



ところで…

「あんた、最近よくお出かけしてるじゃん」

と思っていらっしゃる?

薬が合うようで、母がずいぶん元気になったのと

週に1〜2回、料理を届けるようにしたら落ち着いて

こっちもペースがつかめましてん。


結局、料理を作りたくなかっただけ…なのかもしれん。

それで一人暮らしが辛いのかもしれん。

一人だと、何作って食べても楽しくないもんね。

近頃、“調理定年”という言葉も出回ってきたし

年を取って料理したくないわよ。

料理って、買い物から後片付けまで頭も体力も使うから

高齢になるとしんどいよね。


幸い、私は料理が苦にならないタイプ。

先でどうなるかわからないが、今のところは大丈夫。

これはラッキーだった。

実際に差し入れを受け取るのは母だけど

私が料理を覚えないうちに他界した他の家族にも

食べてもらっているような気がして、励みになっている。

いつもながら、おめでたい私よ。
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移動スーパー

2024年03月07日 09時55分32秒 | みりこんぐらし
私の暮らす後期高齢者だらけの通り…

名付けてデンジャラ・ストリートの集会所では

2年ほど前から毎週金曜日に老人体操教室が開催されている。

10人余りのメンバーは世話役の70代を除いて皆、80代後半から90代。

88才の義母ヨシコも楽しみに通っているが

体操より、150メートルほど先の集会所へたどり着く方がハードみたい。


その体操教室に原さんという、ヨシコと同い年のおばあちゃんがいる。

ずいぶん年を取ってから、このストリートに家を買って引越してきたらしく

体操教室が始まるまで、私もヨシコも彼女の存在を知らなかった。

明るくて気持ちのいい人なので、今ではすっかりヨシコと仲良しだ。


さて、今年の2月から、その体操教室が終わる時間に合わせて

移動スーパーが来るようになった。

ご存知とは思うが、移動スーパーとは

本物のスーパーの品物を軽トラックに積んで

買い物難民の所へ来てくれる屋台みたいなものだ。


デンジャラ・ストリートの近くには大型スーパーがあるので

頑張って歩けば買い物に行ける。

しかし、そこは足腰の弱った高齢者。

スーパーの広い敷地には何とか行けても、食品売り場へ到達するには

さらに時間がかかる。

それよりも、体操教室のついでに買い物できる方が楽なのである。


移動スーパーを呼ぶことは、原さんが提案した。

一昨年、彼女の一人息子が定年退職を機に

広島市内から奥さんと一緒に帰って来たが

退職後の息子さんは、冒頭でお話しした近所のスーパーへ再就職して

移動スーパーの担当になったそうだ。

つまり原さんは、息子が従事する移動スーパーを

集会所へ呼ぶ提案をしたのだった。


もちろんこれは、息子の成績のためではない。

移動スーパーが立ち回りを一つ増やすには

それまでのルートや時間を変えるなどの調整が必要だし

積載量の少ない軽トラックでは、商品が減ったら店に戻って

新しく積み直す手間が増える。

そうまでしたって再就職の嘱託社員では給料が上がるわけでもなし

原さんはボランティア精神で言い出したのだった。


その移動スーパーで働く原さんの息子が

高校の同級生だった野球部の原君と知ったのは

自治会の世話で移動スーパーの話が本格化した昨年の暮れ。

徐々に人の口にのぼり始めた、原さんの息子の年齢や元の勤務先でわかった。


いよいよ今日から移動スーパーが来るという2月のある日

私はヨシコを迎えがてら集会所へ行ってみた。

移動スーパーって、初めてではない。

結婚した40年余り昔は、個人で営業している男性が

うちの前に大きなバスで毎週来ていた。

近くに大型スーパーができて、いつしか来なくなったが

私が病院に勤めるようになったら、その人が夜間のガードマンをしていた。

お互いに驚いたのはさておき、今どきの移動スーパーは初めてなので

ぜひとも見たかったのである。


さて、記念すべき初移動スーパーの当日。

集会所の中で老人体操を終えたおばあちゃんたちと一緒に

まんじりともせず待っていると、音楽を鳴らしながら移動スーパーがやって来た。

この付近の担当は原君ではなく、物腰の柔らかい40代の女性だったが

休日だった原君も私服で集会所に現れ、老人たちの買い物の世話をしていた。


買い物の世話、けっこう必要なのだ。

軽トラに満載された商品は、ずいぶん高い位置まで詰め込まれている。

売れ筋の惣菜や生鮮食品は下の方に置いてあるが

単価が安くてかさばる野菜などの商品は、一番上の高い場所。

牛乳、納豆、豆腐などの冷蔵品も、かなり奥の方。

加齢で腰が曲がり、身長の縮んだ老人は

それらを自力で取ることができないため

所望された商品を一つ一つ取ってやるのも移動スーパーの仕事。


しかし老人は、順番を待つのが嫌いだ。

われ先に買おうとするので手が足りないため

私もせっせと老人たちの所望する商品を取って差し上げる。

背が高いと便利だ。


あれから毎週、移動スーパーへ行っている。

だってフタを開けてみると、老人ってあんまり買わないんだもの。

大半が一人暮らしか、入退院を繰り返す配偶者連れなので

買い物難民としての対策は、すでに打ってある。

生協、ヨシケイ、宅配弁当を取っているか

子供が食事を持って通っているので、必要とする食料品が少ないのだ。

オムツの事情もあって、買わずにさっさと帰る人もいる。

そりゃあね、本物のスーパーより品数は少ないし

割高なのはわかっているけど、せっかく始まった良い習慣を

盛り上げることも大事じゃないの?


見れば、原君のお母さんだけが必死の形相で6千円ぐらい買っている。

自分で言い出した手前もあろうが

可愛い息子が関わっていることなので一生懸命なのだ。

私だって、自分の子だったら同じことをすると思う。

その母心に打たれ、私もできるだけ買う。

このために、生協の宅配で注文する分を減らしたほどである。

目指すは集会所の客王じゃ。

私にお金が貯まらないのは、こういうところだわ。


でも大丈夫、そこは老人相手の移動スーパー。

惣菜、飴、パン、甘酒、お汁粉など

調理不要の商品ばかりが充実していて、料理が作れそうな食品は控えめ。

肉類など一種類につき、ひとパックかふたパックしか無い。

先にお年寄りが買った残りを漁るとなると、本当に買う物が無くて

どんなに頑張っても1万円は超えられないのだ。

この厳しい条件下でいかに楽しく買い物をし

家族の喜ぶ料理を作るかが、現在のテーマ。


その場で、原君とも親しく話すようになった。

イチゴ狩りの情報も、トシ君と同じ野球部だった彼からもたらされたものだ。

彼とは同じクラスになったこともあるけど、あんまり親しくはなかった。

口数が多く、細かいことに気がつき過ぎて面倒くさかったからだ。

髪型がどうのスカート丈がどうのと、自分はヤンキー風味でありながら

人の立ち居振る舞いにうるさく反応し、小姑みたいだった。

その口数の多さや気がつき過ぎるところが、今の仕事には役立っている様子。


か、やはり彼は彼だった。

「誰それは今、どうしている?」

「市内を回っていて誰それを見かけるが、どこに勤めている?」

毎週、私に会うたびに同級生の消息をたずね

それを来週までに調べて、教えてくれると信じている。

言うなれば、私に宿題を出しているのと同じだ。


親切!な私は少ない人脈を駆使して

…たいていは地元の情報センター、マミちゃんでこと足りる…

彼の挙げた人物の近況を翌週の移動スーパーで報告する。

面倒くさいが、彼の口からはいつも

忘却の彼方だった名前が出るので懐かしい。


明日も移動スーパーが来る。

楽しみだ。
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ひな祭りはチーズ祭り

2024年03月03日 15時02分13秒 | みりこんぐらし
先日、いつもの同級生マミちゃん、モンちゃんと共に

年上の友人Nさん宅へ集まった。

70才の彼女は、若い時に医師だったご主人に先立たれ

年を取ってから両親を見送って、今は隣市の実家で一人暮らしをしている。

知り合ったのは数年前だけど、すぐに仲良くなった。

やがて親交が深まるにつれ、双方の祖父が友人だったと判明。

それを知った時は、お互いに驚いたものだ。


そのうちマミちゃんとモンちゃんを彼女に引き合わせると

案の定、彼女らは一瞬で打ち解け、以後は4人で会うようになった。

と言ってもNさんはしょっちゅう日本のあちこちや外国に出かけるので

たまにしか会えない。

“たまに会うと面白い話を聞かせてくれるお姉さん”

というのが、我々にとってのNさんである。



さて、この日はちょっと早いひな祭りを兼ねて

本場のチーズフォンデュを食す会だ。

本場というのは、チーズがスイス産だから。

スイスから帰国したばかりのNさんが

「お土産のチーズをみんなで食べましょう」

と誘ってくれたのだった。


我々は3人とも、本格的なチーズフォンデュは初めて。

家で真似事をしたことはあるけど、ちゃんとしたものを食べたことはない。

Nさんが誘ってくれなければ、本当のチーズフォンデュがどんなものやら

知らないままあの世へ行ったかも。

初めての本格チーズフォンデュに、我らの胸は高鳴るのだった。


N家に入ると、甘いようなエスニックのような不思議な香りが充満している。

海外に造詣の深い彼女だから、インドかどこかのお香でも焚いているのかしらん…

いや、海外に詳しいからこそ、案外お香には興味を持たないかも…

などと思いながら、すでにチーズが土鍋でグツグツいってる座敷に入ると

香りの正体が判明。

リンゴジュースじゃったわ。

通常のチーズフォンデュは白ワインで割るけど

この日は我々が車ということでリンゴジュースにしたそうだ。


Nさんが言うには本場スイスでは

未成年や運転する人にチーズフォンデュを与える時、水で割るそう。

それではあまりに素っ気ないということで

彼女は裏技とも言えるリンゴジュースにしたという。

チーズとリンゴジュースを一緒に煮たら、こんな香りになるらしい。

たまげた。


チーズフォンデュの具はバゲット…フランスパンね…

それから下茹でしたブロッコリーとジャガイモ

軽く炒めたマッシュルームとウインナー。


Nさんは前日忙しいと聞いていたので

ブロッコリーとジャガイモは私が用意すると名乗り出た。

マッシュルームとウインナーはマミちゃんが提案し

タッパーに入れて持って来たのだった。


「もっと何か、作って行った方がいいんじゃない?」

前日の夜、マミちゃんは心配していた。

「Nさんのことじゃけん、あれこれ用意してくれとると思う。

ユリ寺じゃないんよ?」

そう言うと

「そうよね!私、お寺の癖がついてしまってる」

ホッとしたようにマミちゃんは言った。


こうして始まったチーズフォンデュの会。

Nさんは予想通り、前菜や箸休めを何種類も用意していた。

高菜の味噌炒め、昆布の煮物、赤カブの漬物

小さくカットしたカマンベールチーズなどをママゴトのように少しずつ

人数分の皿に盛り付けて美しく飾り

来客が何もしなくていいように配慮してくれている。

「ユリ寺とは全然違うね…」

マミちゃんは小さな声でささやいた。


そしていよいよ、メインのチーズフォンデュ。

最初のひと口…美味い!こんなに美味しいものだったのか!

ふた口…やっぱり美味い!最高!

み口…私、スイスで生きて行けるかも!

よ口…あれ?口は食べたがってるのに胃がノーと言いなさる…

ご口…ちょっとタイム…

そしてギブアップ。

チーズって、急に来るのね。

やっぱりスイスで生きて行けそうもない。


と思っていたらNさん、台所へ引っ込んでしばらくすると

「ラクレットチーズも買って来たの。

召し上がれ」

「……」

チーズの表面を焼いて、こそげ落としたのを

パンやジャガイモの上にかけて食べるやつ。

遠慮しときます…と言いたいところだけど

本場と聞いちゃあ食べずに帰るのが惜しくなり、無理やり食べる。

もはや女子会でなく、闘い。



初めてのチーズフォンデュに舞い上がり、写真を撮るのを忘れたので

代わりにNさんちに飾られたおひな様でも見てちょ。



彼女が生まれた70年前のもので

内裏雛の後ろに宮がしつらえてあり、いかにも高そう。

「初孫だったから、祖父母が張り切っただけよ」

Nさんは微笑むのだった。

年を取ったとはいえ、うちらも元は女の子…

美しいおひな様を眺めるとウキウキしちゃうわ。

皆様にも良い春が訪れますように。
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