殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

手抜き暮らし

2022年04月29日 19時01分36秒 | みりこん流
年を取ると、今まで何ともなかった家事がだんだん苦になってくる。

姑、夫、息子二人の三世代同居…この環境での女中奉公は体力勝負だ。

しかし、その体力がおぼつかなくなると、一気にしんどくなる。


だったら知恵を働かせればいいようなものの、その知恵が浮かばない。

まさか姑が不死身とは思わなかったし

息子たちが二人とも独身のままとは思わなかったので

楽に家事をこなす方法なんて考えたことがなかったのだ。


「そんなにしんどいなら、家族を教育して家事を分担させればいいではないか」

このような生活をしたことの無い人は、そう思うだろう。

私もこうなるまでは思っていた。

しかし実際に生活してみると、そうもいかないことを思い知る。

いったん取りかかったら、体力のセーブなんて考えちゃいられない。

家族に分担させるといったって、適性というものがある。

一人でやるよりマズい結果になることの方が多く、かえってストレスだ。


それに、考えれば手が止まる、足が止まる。

無い頭でヘタに考えなんかしたら、こんな理不尽な暮らしがバカバカしくなる。

その気持ちを封じ込めて働けば、疲労は倍増。

何も考えずに夢中でやるから、何とかこなせるのだ。


それでも日々、無い知恵を絞って小さな前進を試みている。

賢い人なら笑っちゃうであろう、その数々をご披露したいと思う。


《洗濯機》

うちは大人ばかりの5人家族に室内犬が2匹いるので、洗濯物が多い。

しかし料理や掃除と違って、機械がやってくれる洗濯は苦にならなかった。

それが近年、面倒になってきた。


いやいや、うちで一番の働き者は洗濯機…

面倒がっていては、黙って働く洗濯機に申し訳ない…

そう思い直しては取り組むが、やっぱり面倒くさい。

老化…この二文字が頭をよぎる日々であった。


そんな先日、長男から近くの電気店に誘われる。

その店に彼の同級生が赴任したので、会いに行きがてら新しい洗濯機を見ようと言うのだ。

私が洗濯をつらがっているのを知っていたらしい。


4月は家電が安くなる季節だそうで

洗濯機も通常より5万円ほど安くなってたくさん並んでいる。

で、10キロの洗濯機をその場で購入。

正確には、長男が買ってくれた。

それまで使っていた容量8キロのものより、少し大きい。

12キロの物と値段が変わらないので迷ったが

白い物と、色柄物やデリケート素材を分けて洗いたいのでそっちにした。


新しい洗濯機は、やっぱり静かで早くて楽。

早く取り替えればよかった。

店で聞いたところ、洗濯機の寿命は7年、使用回数の限界は4千回だそう。

うちのは寿命も限界も、とうに超過しているではないか。


家電を新調すれば家事が楽になるというのは、私も一応知っている。

いつぞや掃除機をダイソンにしたら、そりゃ早くて楽だった。

が、じきに自分の右肩がイカれてブラブラになり、使えなくなった。

ダイソンのスタンド式は利き手を酷使するので、五十肩の古傷が復活したのだ。

そんな失敗もあるけど、やっぱり新しいのはいいよね。



《米》

うちのライス・ライフは、炊飯器2台で回っている。

数年前、炊飯器を2台にしたのも私にとってはかなり活気的だったが

最近、米を無洗米に変えた。

ものすごく楽。

しかも生協の宅配の無洗米は、美味しいのだ。


この数年、米は夫のバドミントン仲間である農家の人から30キロずつ買っていた。

一袋、7,200円也。

うちは人数が多いので、30キロ入りを買えば割安になる。


しかしこの米、寒い間は美味しいが、暑くなったら味が落ちる。

保存環境の問題らしい。

家族の食欲も心なしか減退気味で、新米の季節がやって来ても

古い米を消費するのに忙しく、なかなか新米に到達しない。


「貧乏人は良い米を食え」

この辺りでは古くから、そう言い伝えられている。

おかずが粗末でも、米さえ美味ければ幸せということだ。

その大事な米が不味いとなると、我ら貧しき民にとって悲劇じゃないか。


私はこの米に別れを告げたかったが、夫の付き合いなので我慢していた。

その夫は30キロずつ取りに行っては自力で精米していたが

彼も寄る年並みには勝てず、米袋を運ぶのがつらくなってきた。

そこで思い切って断り、生協の無洗米に変えた。

5キロ入りが一袋で、2,300円前後。


もちろん30キロの袋より割高になるが、生協の人が玄関まで持って来てくれるし

高価でもないのに粒が大きくて美味しく

保存状態がしっかりしているので味のばらつきが無く

毎日2回はやっていた米研ぎから解放されるとなれば、その恩恵はプライスレス。

非常に満足している。



《シーツ》

5人家族で何が厄介といえば、シーツの交換。

晴れた日はたいてい誰かのシーツを洗っているが、洗うのより掛け換えが苦になる。

科学が発達してもシーツの交換手順は未だ未発達、老化した主婦には重労働である。

多少は便利な物が発売された話も聞くが、眼を見張るほど活気的な新発明ではない。


西川だかニトリだかが開発してくれるのを待っても、いつになるやらわからないので

近年はシーツをはずしたら、その場ですぐに次のシーツをかける方法を取っている。

いったんその場を離れるから、面倒くさくなるのだ。

はずすのとかけるのを同時にやると、人はどうだか知らないが

ものぐさな私には楽に感じられる。



《メイク》

近頃は化粧もかったるくなってきた。

そこで近年話題のクッション・ファンデーションを採用。



何年か前に一度試したが、人に買って来てもらったので色が合わず

色黒になった。

その上、肌にも合わず、痒くなったために印象が良くなかった。

しかし最近、生協のカタログで『エクスボーテ』というメーカーから

クッション・ファンデが発売されたことを知る。

カタログでは中身だけなら3,900円、持ち歩き用のコンパクトを買うとプラス千円ぐらい。

ネットだと、もっと安い。


『エクスボーテ』は、主にファンデーションを扱っているメーカー。

20年以上前から生協のカタログに載っていて、“女優肌”をうたい文句にしている。

女優肌の野望はさらさら無いが

ツラの皮は厚いのに、ツラの皮膚は敏感なみりこん肌に合うので

たまにリキッド状のファンデーションを買っていた。


で、今回、そのクッション・ファンデを買ってみたら、メイクが早くて楽なこと。

クッション・ファンデの長所は、スポンジでポンと肌に置けば

一瞬でボロが隠れるところ。

だから早くて楽なのだ。


今まではスキンケアを済ませたら、メイクアップベースとリキッドファンデーションを塗り

仕上げに固形のパウダーファンデーション、気が乗ればパウダーまで使っていた。

シミ、小じわ、色素沈着に色ムラと、隠したい所がたくさんあるからだ。

もちろん、ただいたずらに塗り重ねるわけではなく

私なりに考えながらやっていたつもりだが

隠したい所は年々増えて、だんだん厚化粧になっていた。

厚化粧になると顔にツヤが無くなるため、かえって老けて見える負のスパイラル。


クッション・ファンデは何がいいって、スキンケアの後、すぐに使えること。

乳液、あるいはクリームまでをつけた肌に、いきなりポンポンと乗せ

パウダーをはたいて終了。

メイク時間は半減、ボロは隠れつつ薄化粧に見え、ツヤもあって肌の調子もいい。

かすかな柑橘系の香りも気に入っていて、すごく得をした気分。


このメーカーに限らず、クッション・ファンデのカバー力は

特殊なスポンジによるところが大きいため、スポンジはたびたび洗った方がいいみたい。

しばらく使っていると、つきが悪くなるからだ。

スポンジ洗い専用の洗剤が資生堂などから出ているが、普通の台所洗剤でも大丈夫。

私は専用の洗剤を持っているけど、台所にあるJOYで気軽に洗って陰干ししている。

いやはや、便利なモンが出たもんだ。
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近時事・知床観光船

2022年04月27日 11時16分33秒 | みりこんばばの時事
知床の遊覧船事故、いたましくてならないわ。

26人と船が行方不明ということだったので、最初は拉致かと思ったの。

ほら、今は何かと物騒でしょ。

そしたら事故だったのね。

拉致なら生存の可能性があるけど、事故だと知ってショックだったわ。


この季節に知床くんだりに出かけて船遊びをするって

そもそも恵まれた人たちなんだと思う。

それが一瞬でかき消されてしまうなんて、あまりにも残酷よ。

幸せな人はずっと幸せに、経済効果に貢献しながら長生きしてほしい。


船上プロポーズの予定だったカップルも、いらっしゃったんですってね。

私、そういうのにはあんまり感情が動かないのよ。

犠牲になった皆さんにはそれぞれ、特筆すべき濃い人生があると思ってるから。


それにしても船会社。

コロナで売り上げが落ちて経営難の中

人数がまとまったから出船したいという願望はわからないでもないけど

事故を起こしちゃ、元も子もないじゃないの。

あんまりだわよ。


うちの稼業は船に関わりのある職種だし

次男はもう手放したけど長男は自分の釣り船を持ってるから

天候や風速、波の高さについての会話はけっこう耳にする機会があるんだけど

皆、神経質なぐらい注意してるわ。

人を乗せる観光客船なら、なおさらよ。


だけど、観光客船ならではの難しいところもあると思う。

積荷が人でなく物だったり、漁船、あるいは個人の船であれば船長の権限は最強。

船長が判断して船を出さないと決めたら、会社や人が出せと言っても絶対に出さないけど

お客一人あたまナンボの利益で運営する観光業は、ちょっと違うかも。

観光バスの事故でも感じたけど、会社の方が強くて

船長が、船長という名の運転手に過ぎない場合も多い。


こう言っちゃ申し訳ないのは重々承知だけど、亡くなった船長さん。

転職を繰り返してきたお顔をしてらしたわ。

転職がいけないわけじゃないの。

土地の生まれでない…つまり北の海の怖さを身にしみて知らないってことが困るのよ。

この事故は、経営者と船長による人災だと思う。

恨まれても罵倒されても、利益を逃しても中止する、この勇気は大事。


今どきは、安く雇えるなら誰だっていいというスタンスで

人を雇う会社が増えてるじゃん。

その「誰だっていい」に肩書きを与えて、ハクをつける会社も増えてるわけよ。

肩書きがそのまま、経験を積んでるとか信用できるわけじゃない。

そういう時代になっちゃったのね。

うちらの会社でよ〜くわかったんだけどさ。


だからお客さんの方も、警戒心を持って臨む時代になってると思う。

観光客船はフェリーと違って、軽くて小さい。

沈没を始めたら早いので、救助が間に合わないことがある。

風があったり、近くで白波が立っていたら

沖は何倍もすごい有様だと想像することも必要だし

乗らない選択も大いに有りだと思う。



というのも私、幼児の頃、連絡船でスリルを味わったことがあるのよ。

3才の時、瀬戸内海のとある島へ、“虫切り”に行ったの。

昔はよく泣くうるさい子供、寝つきの悪い子供、落ち着きの無い子供…

つまり親にとって厄介な子供は、体内に悪い虫がいるとされていたのよ。

その悪い虫を追い出すのが、虫切りと呼ばれる気休めの儀式。


そうなの、私は厄介な子供ということになってた。

厄介も何も、年子を生んでおいて上の子に手がかかるからって

虫がいるだのと疑うのは失礼ってもんよ。

一人っ子の母も、一人っ子しか育てたことの無い祖父母も

年子の養育が大変だとは知らなかったのね。

なにげに腹立つわ。


で、厄介な子供である私は、虫切りを執行されることになった。

当時、そのような困った子供にはモグサと線香でお灸をすえるのが一般的だったけど

うちは子供に傷をつけない主義だったので、無傷で済む虫切りと決まったわけ。

虫切りなんて時代錯誤をやってる人は、60年近く前でもすでに少なかったから

母はあちこちの人に聞いて、とある小さな島に虫切り屋があると知ったわ。


初冬のある晴れた日、私たち母子3人は汽車に乗って虫切り屋の島へ渡る港に向かったの。

妹はおとなしいおりこうさんで通ってたから、虫切りの必要性は無かったけど

家に置いておけないから一緒に連れて行った。


小さな連絡船で島へ渡り、あぜ道をてくてく歩いて古い民家に到着。

中年のおばさんが出てきて、ほの暗い部屋に案内されると

そこにはヨボヨボのお婆さんが座ってたわ。

不気味だったけど、怖いとは思わなかった。


母は部屋の入り口で待つように言われ、私と妹はお婆さんの前に並んで座ったわ。

「目をつむって」

お婆さんが言ったわ。

素直で可愛い私は、言われるままに目を閉じたわよ。


「目を開けたらだめよ」

お婆さんは優しい声で、さらに言ったわ。

開けたらだめと言われたら、開けるじゃんか。

それが私よ。

薄目を開けて一部始終を見てた。


お婆さんは私の手を取ると、私の服の袖をまくったわ。

そしてごく小さなホウキみたいな物で、ヒジから指先までをサッと撫でた。

両手をやって、終わり。

この作業を妹にもやった。


「終わりました」

お婆さんは母に声をかけて、部屋に入ってきた母はお金を払っていたわ。

それからお婆さんは、どこに隠していたんだか

小さな虫かごをチラッと私たちに見せた。

当時の子供が虫捕りで使う、どこにでも売ってる普通の虫かごよ。

中には、何か黒い小さな虫がウジャウジャとうごめいていて

私はもっとちゃんと見たかったけど、じっくり見せてはくれなかった。

あれが私たちの体内で悪さをしていた虫…ということらしいわ。


その帰りのことよ。

来た時と同じように連絡船に乗ったんだけど、帰りは中の客席が満員で入れなかった。

だから私ら母子は、外のデッキに立っていたの。

すると、それまで晴れていた空が急に暗くなって

強い風が吹き、横なぐりの雨が降り出したわ。


船は大きく揺れ始め、デッキには海水が流れ込んで

私ら母子の足は浸水してたわよ。

波は容赦なく襲いかかるし、船内へ移動しようにも

動いたら海へ投げ出されるから動けない。

母は妹を抱いてるから、私は手すりにつかまってるしか無かったわ。

船員のおじさんが、「大丈夫だからね」って努めて明るく声をかけてくれたけど

ちっとも大丈夫じゃないってば。

めっさ怖かったわよ。


でさ、ようよう港に着いたらカラッと晴れてやんの。

あれは何だったのかしらん。

帰宅しても、母はこのことについて一切触れなかったわ。

危ない目に遭ったことを話すと、祖父に大目玉を食らうからだと思う。

あの爺さん、戦争中は船乗りだったからさ。

うるさいのよ、こういうことにはさ。


私も言っちゃいけないような気がして、黙ってた。

というより、このうるさいおしゃべり幼児が話したくもなかったのよ。

それほど怖かったのよ。

効き目があったとすれば、虫切りよりこっちだわよ。


とまあ、そんな軽い体験でも怖かったんだから

船が沈んで海に投げ出される恐怖は、筆舌に尽くしがたいはずよ。

犠牲になられた方々はどんなに冷たく、どんなに怖かったでしょう。

せめてご遺体が早く見つかりますように。

心からご冥福をお祈りいたします。
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デンジャラ・ストリート 過ぎたるは及ばざるがごとし

2022年04月15日 19時23分58秒 | みりこんぐらし
私の住む川沿いの通りは、後期高齢者だらけのシルバーストリート。

老人ならではの事件がよく起こるため

私はここをデンジャラ・ストリートと名付けて久しい。


とはいえ近頃は、その後期高齢者が少しずつ減ってきている。

亡くなる人や老人施設に入る人もいるが

離れて暮らす子供に引き取られる人もポツポツと出始めたからだ。


うちの隣で一人暮らしをしていた90才になるおばさんも

先週、広島市内で暮らす長男の家に行ってしまった。

おばさんは息子夫婦が実家に戻って一緒に生活する日を待ち続けていたが

息子夫婦にその気が無いので、自分が息子さんの家に行くことを決心したのだ。

住民票も移したので、隣は完全な空き家。

おばさんが亡くなるか施設に入ったら、家は売りに出されるだろう。

テレビで過疎の村人がよく言ってるけど

隣の家が真っ暗って、ホンマに寂しいものなのね。



さて、デンジャラ・ストリートでは今、老人の体操教室がブーム。

閉鎖されて久しい塾の建物があり、去年、そこを無料で借りて集会所にしたが

毎週金曜日の午後1時半から3時まで、老人はその集会所に集まって体操をする。

市から福祉関係だか介護関係だかの人たちが来て、指導を受けながら行うのだ。

そうすると、市から自治会に補助金が出るシステム。


うちの義母ヨシコはもとより、近隣のシルバーたちがこぞって参加するので

体操教室は大盛況。

あんまり多いので、最初の頃は2回に分けてやっていた。

コロナで休んだ時期もあったが、3月から再開され

ヨシコも嬉々として通っていた。


そして今月の始めの金曜日。

この日は、年に一度の体力測定をするという。

もちろんヨシコはいつものように近所のおばあちゃんたちと誘い合い

足取りも軽く集会所に出かけて行った。


が、帰ったら寝込んでしまった。

その日は、市から福祉だか介護だかの人が大勢来て

ストップウォッチを片手に、様々な動作が何分で何回できるかを測定し

できた回数によって点数をつけて得点表を作成したという。

最高得点は5点。

皆は燃えた。

ヨシコも5点が欲しくて頑張った。

そして腰をやられたのだ。


私は腹を立てた。

年寄りはライバル心が強い。

ライバル心で生きているようなものだ。

ひとまとめに老人と言っても、年令や既往症によって一人一人の能力は異なる。

それを並べて競わせ、点数までつけたら無理をするのは当たり前だ。

再起不能になったらどうしてくれる。

看病するのはこっちだぞ。

ヨシコの話では、市の福祉だか介護だかの人って優しくていい人みたいだけど

チヤホヤと手厚そうでいて、やってることは残酷じゃないのか。


以後、ヨシコは腰痛で歩くのもままならず、私はサポートに忙しくなったが

それより残念なのは、彼女が体操教室に行けないことだ。

週に一度とはいえ、姑のいない1時間半は、嫁にとって貴重だった。

ヨシコが留守なので、金曜日は夫の姉カンジワ・ルイーゼも来なかった。

それが、元の木阿弥だ。

残念。



あ、そうそう、ルイーゼといえば去年の秋

一人息子のおみっちゃんちゃんに待望の赤ちゃんが誕生。

現物は見てないが、ルイーゼが嬉しそうに見せてくれた画像では丸々と太った女の子だ。

ルイーゼも人の子だっらたらしい。

うちの息子たちは独身、ヨシコにひ孫を見せるのは不可能なので

外孫のおみっちゃんちゃんが頑張ってくれて、心からホッとしている。


おみっちゃんちゃん夫婦は、結婚して5年ぐらいになるだろうか。

なかなか赤ちゃんができないので、不妊治療をしたという。

ものすごくお金がかかったらしく、数百万の実費はルイーゼの旦那が出した。

ルイーゼの家では、お金は全て旦那が握っているのだ。

この4月まで待てば法改正で保険適用になったが、待てなかった。

親が出すのだから、待つ必要は無いか。


おみっちゃんちゃん一家はひと月かふた月に一回程度、広島市内から実家へ孫を見せに来る。

その時はヨシコもルイーゼ宅へ行き、ひ孫を見るのが慣例になった。

ただし、一家が実家に滞在する時間は2時間と厳重に決められている。

スケジュール管理はお嫁さんの方針という話だが

単に旦那の実家で長居をしたくないだけかもしれない。


おみっちゃんちゃんは順調にお嫁さんの実家に取り込まれ

ほとんどそっちで生活している様子だ。

なんでもお嫁さんの兄夫婦が両親と絶縁しているため

お嫁さんの両親は、おみっちゃんちゃん夫婦に跡を取らせるつもりだという。

ルイーゼは、嫁の実家に入り浸る一人息子に心穏やかでないが

自分も同じことをしてきたので文句は言えない。


ともあれルイーゼは初孫の帰省を楽しみにしていて、洋服やおもちゃをせっせと買い込んでいる。

孫へのプレゼントは、お祖母ちゃんの楽しみだ。

しかし前回、それらを渡した時

「こんなモンいらん。

何かくれる気なら、その分の現金くれ」

おみっちゃんちゃんに強い口調で言われたそうだ。

一緒に居たお嫁さんが黙っていたことから、おみっちゃんちゃんの発言には

彼女の意向が含まれているのは明白である。


これにはルイーゼのみならず、ヨシコも衝撃を受けたらしく

ルイーゼに送られて帰宅するなり、それをうちの息子たちの前で話した。

通常、ルイーゼ関係の良くない話は絶対にしないヨシコだが

今回は黙っていられなかったようだ。

「母さんなら、血の雨が降る」

「俺らの命は無いじゃろう」

息子たちはしみじみと言い、私も否定できなかった。
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手抜き料理・お花見編

2022年04月07日 14時06分38秒 | 手抜き料理
先日の4月5日は、同級生ユリちゃんの実家のお寺で久しぶりに料理をした。

この日は月初めのお勤め。

お寺の桜も満開なので、お花見を兼ねようということになったのだ。

コロナのため、お寺料理は去年のクリスマス以降3ヶ月間休眠したので

ちゃんと作るのは3ヶ月ぶり。


今回の作り手は、私一人よ。

いつものメンバー、マミちゃんは用事があるそうで

定年退職後も嘱託で週に3回勤務していたモンちゃんは

4月から勤務日数が増えたということで欠席だ。


3人でワイワイ言いながら料理をするのは楽しいけど

一人でやるのも、やぶさかでない。

献立を自由に決められ、火を自由に使える。

一緒に料理をするマミちゃんに気を使わなくていい…この自由が嬉しい。

いわば、解き放たれた気分。


ユリちゃんは、マミちゃんの作るアジア系カタカナ料理がお気に入りだが

私は田舎料理や男子ご飯しか作れない。

しかし今や、私のターゲットはユリちゃんではなくなった。

ユリちゃんどころか、他の人のことも考えなくなっている。

ホンマに美味しいモンや変わったモン食べたきゃ、専門店へ行きゃあええんじゃ。

その手間とゼニを惜しんで、人に作らせようなんざ甘いんじゃ。

だから、自分の作りたい料理を思いっきり作っちゃるもんね。


当日の参加者は、私を含め8人。

いつもの兄貴と、彼の仕事を手伝うためにはるばる山口から来た男性

いつもお寺の雑用をするお爺ちゃん

それからこの日は久々に、元公務員OGの梶田さんが来た。

あとはユリちゃん夫婦と兄嫁さんだ。



では、解き放たれた私の料理をご紹介させていただこう。

《ちらし寿司》



米を1升と4合炊いて、ぜ〜んぶ寿司にしたったわい。

ちらし寿司は持ち帰りたい人や配りたい所が出てくるものなので

多めに作る方がいい。


盛り付けをユリちゃんに任せたのが悔やまれるのはともかく

このちらし寿司は、義母ヨシコ直伝。

甘辛く煮詰めた小海老、干し椎茸、ゴボウ、人参、高野豆腐が

すし飯の中にしこたま入っている。


具材は前日に家で煮て、トッピングの錦糸卵、さやえんどうも切った物を持って行く。

現地でごはんを炊き、寿司酢を混ぜたすし飯を作って

持ち込んだ具材を混ぜ、錦糸卵、さやえんどう、海苔、紅しょうがを飾る。

こうすれば、ちらし寿司は大袈裟なご馳走ではない。

すぐにできるインスタント料理だ。

具材とすし飯を混ぜる時、具材の煮汁を少し混ぜるのが味の決め手。


海老は本来、瀬戸内産の小海老を使うが、今は無い時期だ。

売っていたとしても、これだけの量となると値段が万単位になるため

激安スーパーで1キロ800円の冷凍小海老を3袋買い、2,400円で済ませた。

生海老と違ってコクは出ないものの、似たような味になった気がする。


寿司酢の酸味が苦手な人や、分量がよくわからない人

具材の準備が億劫な人は、市販されているちらし寿司の素…

“すし太郎”を使うといい。

ますますインスタントに、おいしく作れる。


《海鮮チヂミ》



たまたま生イカをカットした物が安く売られていたので

ちらし寿司に使う小海老を少し取り置いてニラを足し

チヂミの具にした。

イカはもちろん、冷凍でもいい。


粉は、“オタフク・チヂミの素”。

私は生協の宅配で1キロ入りを買うが、こちらでは小さい物がスーパーにも並んでいる。

水と卵でテキトーに溶いたら、解凍した海老、イカ、ニラを混ぜ込み

胡麻油を流し入れたフライパンで両面を焼くだけ。

この粉、どう焼いても、外はカリッと中はもっちり仕上がる。

薄味もついていて、おいしい。


タレは、“オタフク・チヂミのタレ”。

どこまでも手抜きよ。

このタレ、まずいわけではないんだけど

チヂミの素の優秀性と比較したら、ちょっとザンネン。

赤っぽい焼肉のタレみたいな色だが、旨味が薄くて塩辛い。

今回、素と一緒に1リットル入りを買ってしまったけど

無くなる日は遠そう。

とはいえ、チヂミは大人気だった。



《手羽先煮》



二日前から、圧力鍋で何度も煮ては冷ましを繰り返した。

こうすると、形は崩れないのに骨まで軟らかく食べられる。

味付けは酒、醤油、ミリン、少々の砂糖、ショウガ、ニンニク、白ネギの葉っぱ。

これらを手羽先と一緒に圧力鍋に入れたら、あとは煮るだけ。

見た目より、かなり薄味だ。


家事の合間に作れるのと、ハシで簡単に食べられるのとで採用に踏み切った。

男性には人気だったが、それは珍しいからで

手羽先はやっぱり唐揚げか塩焼きの方がおいしいと思う。



《ゴボウと人参のマヨネーズサラダ》



これは以前、ご紹介したことがある。

今回はちらし寿司でゴボウと人参を山ほどささがきにしたので

その一部を取り置いて作った。

同じ材料で違う料理を作って品数を増やすのは

手間と材料費の節約に有効な手段である。


味付けは薄めの麺つゆ味で、まずゴボウが柔らかく煮えたら

人参を加えてさらに煮詰める。

火を止めたら冷凍アスパラを切って緑色を加え

仕上げにスリ胡麻を大量投入し、マヨネーズで仕上げる。



《ちゃんこ汁》



以前、お寺料理で作ったことがある。

汁物を考えるのが面倒くさくなり、家でもよく作る物にした。

豚と鶏のミンチを同量と、白ネギのみじん切り(葉っぱは手羽先煮で使った)

酒、醤油、塩、ショウガ、卵、片栗粉をテキトーに混ぜた団子を丸めて持って行き

現地で沸かした湯に投入。

顆粒の昆布ダシ、顆粒の鶏ガラスープの素、薄口醤油、塩でテキトーに味付けし

白菜、油揚げ、マロニーを入れてひと煮立ちさせたらできあがり。



《モッツァレラチーズその他》



どれかの料理に飾って見栄を張ろうと考え

湯むきしたプチトマト、三つ葉、レモンと共に持って行ったが

時間が無くて無理だったので、代わりに梶田さんが飾り立ててくれた。

やっぱ、この人がやると綺麗だわ。

私じゃ、こうはいかない。



《チヌ(黒鯛)の刺身》



次男が釣ってきていたので、5パック作って持ち込む。

会食のテーブルには3パック出して、残りは兄貴と梶田さんのお土産に。



《ブリの照り焼き》



冷凍庫から、いつ釣ったのか忘れたブリが出てきたので

朝焼いて、持って行った。


《フキの煮物》



春らしいので採用。

去年もお寺料理で作ったが、誰も覚えてないみたいで

去年同様、作り方を聞かれた。

人の料理なんて、そんなもんよ。


フキは、歯ざわりと色を保つため、煮るのは下ゆでの時だけというのがコツ。

下ゆでしてスジを取ったら、適当な長さにカットして

麺つゆ味を付けて冷ましたダシに浸け、かつお節をかけて一晩。

翌日、フキから水分が出て薄いと思ったら、麺つゆの原液を足せばいい。




《デザート》



梶田さんが作ってきた、ピスタチオ味のクリームが入った一口ケーキ。




ユリちゃんの兄嫁さんが作ったバナナ風味のシフォンケーキと、ティラミス。



お菓子の作れる人って、ほんと尊敬するよ。

わたしゃ全然ダメで、お菓子を作る情熱があったら、おかずに注ぐタイプ。

これらを食べるために、自作の料理はほとんど食べなかった私でした。

ごちそうさまでした。
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危険人物

2022年04月01日 17時14分54秒 | みりこんぐらし
面白かった大相撲が終わり、センバツ高校野球も終わっちゃった。

年度末で何かと慌ただしかったから、しっかり見てないけど

下馬評通り大阪桐蔭高校が大差で優勝。

だけど応援のブラスバンドは、決勝で敗れた滋賀の近江高校に軍配を上げたい私よ。

野球の強い学校はブラスバンドも強いものだから

実力的にはどちらも素晴らしかったけど、大阪桐蔭は選曲が古風。

乗りのいいジャズ系や新しめなポップスで勝負した近江、最高だったわ。



さてさて、私が子供の頃、実家の隣はお菓子屋さんだった。

いつぞや記事にした、厄介な隣人とは反対側の隣である。

優しい老夫婦が営む店で、日に何度もお菓子やアイスを買いに行ったものだ。


やがて中学生になった頃、店主の夫婦が相次いで亡くなり店は閉じられた。

店舗を兼ねた家は長い間、無人だったが

私がすっかり中年になった頃、不動産業と建築業を営むCさんという男性が

そこを買って更地にした。

そして彼の事務所が建てられ、町外れの自宅から通うようになった。


やがて45才の時に父が他界。

認知症一歩手前の町内会長に代わり、Cさんがしゃしゃり出て

通夜葬儀の采配をふるった。

昔から地元に住んでいたそうだが、滅多に実家へ帰ることのなかった私は

彼と初対面だった。


当時の彼は還暦前後。

小太りで血色が良く、テキパキと手慣れた振る舞いは、いかにも商売人という印象だ。

数人のご近所と我々親族の打ち合わせは終始、彼の司会と彼の決定で進められ

打ち合わせの終わりに、彼は平然と母に言った。

「では、さしあたって50万円、こちらに預けていただきましょう」

高!…と思ったが、私が出すんじゃないので余計なことは言わなかった。


Cさんのよどみない説明によれば、遺体が自宅に安置されると

宗派を問わず町内のお寺からお坊さんが訪れ

死者の枕元で枕経(まくらきょう)と呼ばれるお経を唱える。

その帰りにお布施を渡すのは町内会の役目で、何人来るかわからないため

一つの寺につき1万円のお布施は、数を多めに用意しておきたいということだ。


他にも市役所へ死亡診断書を提出して火葬の許可をもらったり

接待のお茶っ葉や茶菓子を用意したり

火葬場までの霊柩車やマイクロバスの運転手に心づけを渡すなど

町内会が行う役目は多く、それらの細々とした支払いのため

事前に親族からまとまったお金を預かる必要があるという。

そして余ったお金は葬儀終了後に返すという話だった。


その13年前、祖父が亡くなった時には

菩提寺以外のお寺から続々とお坊さんがやって来たり

町内会に50万も預けるなんてことは無かった。

実家の周辺では、いつからそうなったのか。

私はCさんを密かに怪しむのだった。


葬儀が終わり、返却されたお金は約半分。

Cさんが強く主張した枕経のお坊さんは

菩提寺と、一つ下の妹が勤めていた仏教系幼稚園の園長の二人にとどまる。

大金を要求しておいて大金を返せば

細かいことは気にされないという手口もこの世にはあるので、疑念の払拭には至らなかった。



それから長い年月、Cさんと接触することはなかった。

その間に彼が、多くの人から嫌われていると知った。

というより彼を良く言う人はおらず、その原因はやはりお金に関することだった。


そして今から数年前、彼と夫の間に仕事関係で揉め事が起きた。

二人は電話で激しく言い争ったらしい。

無口な夫が言い争うなんて、よっぽどのことだ。

しかし長年の経験から言うと、おそらく非は夫の方にある。

夫は自分の常識が足りない所を強い口調で指摘されると、異様に腹を立てるのだ。

そして怪しげな人ほど、人の非を見つけると必要以上に激しい言葉で突くものだ。

どっちもどっちというところ。


以後、夫の怒りはおさまらないまま、Cさんを憎み続けていたが

去年、彼の経営する不動産屋が倒産した。

ずいぶん前からうまく行ってなかったのは衆知の事実だった。

この時、彼は75才。

後期高齢者になった途端、銀行が相手にしなくなる慣例は

うちの義父の時から変わってないようだ。


Cさんの事務所は人手に渡り、奥さんとは離婚。

子供たちは奥さんと共に地元から消え

彼は競売を免れた息子名義の家で一人暮らしをしているという。

それを聞いた夫の喜ぶまいことか。

私は軽く同情したものの、父の葬儀の時を思い出し

あれでは時間の問題だったろうと納得した。

金銭的に不明瞭な彼から家を買う物好きは、あんまりいそうにない。



そして先日、実家の母と我々夫婦は隣の市へ買い物に出かけた。

昼ごはんを食べようと飲食店に行ったところ、入り口でCさんとバッタリ遭遇。

この店にはよく来るのだそう。

地元じゃ相手にされないので、市外へ出かけて時間を潰しているのだろう。

あまりの偶然に、夫は苦虫を噛み潰したような表情だ。


倒産を知る身としては気まずかったが、重苦しい気分はすぐに消えた。

彼が作務衣(さむえ)を着込んでいたからである。

私は僧職でないのに作務衣を着る人を信用しない。

信用に値しない相手に少々の失礼があったとて、こちらが気にすることはないのだ。

例外として作務衣のデザインが作業に適している陶芸家や職人は認めるが

そうでない場合はまず怪しむ。

そしてその偏見が見当違いだったことは、今のところ無い。


作務衣にゾウリ姿の彼は、何ら屈託の無い様子で明るく挨拶をしてきた。

そしてなぜか我々にくっついて中に入り、そのまま同じテーブルに着く。

えっ?と思ったが、母と会話がはずんでいるので、そのまま座った。


夫はムッツリしたまま、一言もしゃべらない。

一方、母と並んで座ったCさんは実によくしゃべる。

内容は、新しい事業のこと。

特許を取って売り出すためにSNSを利用しているのだと、私にスマホの画面を見せた。

老眼でよく見えなかったが、どうやら開発中の商品は

高齢の女性を性的に興奮させるサプリみたいな物。

お下品、お下劣な放送禁止用語の羅列で出資を募っている。


いつまでも生々しい男というのは、いるものだ。

作務衣で枯れを装うスケベジジイなんて、クズだ。

その上、経費のかからないSNSで金を集めようなんて、詐欺だ。


上機嫌のCさん、ポーカーフェイスの母、仏頂面の夫

下卑たスマホを見せられて気分を害した私…

4人の気まずい食事が終わった。

Cさんは自分から別会計を申し出て、まだここに居ると言ったため

我々は席を立つ。

別れ際、彼は母に言った。

「今度誘うから、どこかへドライブでも行きましょうや」

社交辞令だと思った。


車に乗ってから、私は母に言う。

「Cさん、お金を集めとるよ。

そのうち詐欺で手が後ろに回るけん、巻き込まれんように気をつけて」

わかっとる…母は答えた。

「金目当てに決まっとるが。

相手になんかせん」

そんなことを話したものの、Cさんの色と金欠の毒気にあてられて

後味の悪い一同。

二度とあそこには行くまいと誓い合い、忘れる努力をすることにした。


が、忘れるも何も次の日、Cさんはさっそく母に電話をしてきて

しつこくドライブに誘ったという。

母は即座に断ったそうだが、怖くなって私に電話をしてきた。

バッタリ会ったばっかりに、困ったことになったものだ。

一人暮らしの老女は、ただでさえ心細い。

若いイケメンならまだしも

あんなひひジジィに何度も誘われたらノイローゼになってしまう。


次に電話があったらCさんに連絡し、やめるように言うつもりで

まんじりともせず数日を過ごしたが、Cさんからの電話はその一回だけで終わった。

もう二度と、母を誘うことはない。

いや、誘えない。

なぜなら、家で亡くなっていたのを発見されたからだ。


再び夫の喜ぶまいことか。

そして私は安堵した。

世間じゃ今日はエープリルフールだそうだが、嘘のような本当の話である。
コメント (2)
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