殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

役員道

2015年10月31日 09時51分27秒 | みりこんぐらし
息子達の通った幼稚園は、私立の仏教系であった。

昔から行事が派手なことで有名だったが

私があえてそこを選んだのは、催しが好きだからではない。

町で唯一、給食とバス送迎があったからだ。


初めて役員になったのは、長男が年中クラスの時。

なり手が無いので、クジ引きで決まった。

が、途中で次男を妊娠。

周りの人がカバーしてくれて、ほとんど働かずに終わった。


3年後、次男が入園。

翌年、やはりクジ引き制度で役員になったが

その他大勢の一人としてチャラチャラしているうちに終わった。


そして次男は年長クラスになった。

またクジ引きで役員が当たってしまう。

ま、いいか、去年もやったし…とタカをくくっていたら大間違い。

年長クラスの役員は、会長以下三役を決めなければならなかった。


緊迫した空気の中

「会長だけは嫌なので、責任の少ない役に立候補します」

という合理的な理由により、副会長と会計が決定。

残った者でジャンケンをすることになり、私は負けた。

会長、決定。


この幼稚園は行事が派手なだけでなく、頻繁だ。

そして行事の大半に、役員の料理が登場する。

幼稚園を運営するお寺には、古くから

「功徳膳」や「おふるまい」の習慣があるからだ。


料理をする機会は毎月あり、行事によって数十人から数百人分を作る。

役員は15人、アタマ数は充分だが

シロウトが大人数の調理と給仕をこなすのは大冒険。

父兄は皆、これを恐れて役員を敬遠するのだった。


毎月のお誕生会は夕食どきに行われ

園児とその家族で合計100人前後が招待される。

役員は午後から集まり、幼稚園の役員専用キッチンで

会食のオードブルとおにぎりを作る。


夏、年長クラスのお泊まり保育にはカレー

翌日は流しソウメン。

秋の敬老会には園児の祖父母を招待して、ちらし寿司や吸い物を出す。

冬にあるバザーでは、うどん、おでん、イカ焼き

ぜんざい、甘酒なんかを午前4時から作る。


必要な物は幼稚園が準備してくれるが、レシピは無い。

味付けは会長の仕事だ。

歴代の会長に、旅館の女将や大家族の嫁が多かったのは

このためだと初めてわかった。


ここは「責任重大!」とおののいて見せたいところだが

私でもどうにかなるような気がした。

夫の家では年に何回か、社員や友人知人を20人ほど招いて

宴会をするのが恒例行事。

食事どきの急な来客もしょっちゅう。

「お客をする」という行為には、多少慣れていたのだ。


お客をする上で肝心なのは、味より段取り。

それが私の主義。

取りかかりから配膳、片付けまでの時間配分がすべてだ。

お客に慌ただしさや大変そうな雰囲気を感じさせないのが

一番のもてなしだと思っている。


味の方はどうにかなる。

よそでいただくごはんは、誰でもおいしく感じるし

大量の食材を強い火力で調理すれば、量と火が味方してくれ

どうやってもそこそこの味に仕上がるので心配はない。


段取り主義は、幼稚園の料理にもうまく適合した。

加えて各自の役割分担を明確にし、集合時間を自由にした。


早い時間から全員集合をかけると、人があふれて動きにくい。

私一人でできることは、先に一人で行って済ませ

来たい者が好きな時間に来る方が、かえって仕事が早い。

副産物として、幼稚園伝統の大奥的ムードが無くなり

乙女の部活みたいになった。


役員が料理を出すという不思議習慣を嘆いたり

改革する気は全く起きなかった。

仲間の結束も楽しかったし、何より園児が喜ぶのが嬉しい。

どの子も行事を楽しみにして、全身で喜びを表わす。

それを見ると

「よしよし、ナンボでも喜ばしちゃるぞ!」

という気持ちになる。


行事は他にもある。

花祭、筆供養などの仏教関係、七夕祭、運動会

クリスマス会にお遊戯会…

それらの準備と後片付けだ。

日本古来のフライパン的調理器具、ホウロクを使って

豆まきの豆も炒る。

プールや遊具のペンキ塗りなど、奉仕活動もある。


クリスマス会では、園児に配るお菓子の袋詰めをした後

お楽しみが待っている。

変装して、園児全員にお菓子をプレゼントするのだ。


「誰かのお母さんだとわからないように、メイクしてください」

幼稚園の要望を聞いた15人の役員は張り切り

全員、白塗りのバカ殿ふうメイクをした。

この頃になると、役員達にも私の芸人魂が感染しており

ニヤつきながら顔を差し出す。


みんなを白塗りにし、そこでやめときゃいいものを

マブタに目玉を描いた。

目を閉じたら、別の目玉が現れる仕掛けだ。

これは非常に怖かったらしく、激しく泣き叫ぶ子供、続出。

先生達の当惑をよそに、大満足した一同であった。


「卒園式が来なければいいのに…」

役員一同は口々にそう言ったが、来るものは来る。

楽しかった一年は終わった。


23年前のその年は、次男の幼稚園の会長をやりながら

長男の小学校の役員もしていた。

さらにどうしたことか、子供会の役員と

ママさんバレーのキャプテンの順番が回ってきていた。

全部ひっくるめても、家事よりずっと楽だった。


幼稚園の台所から見上げた未明の空を

今でも時々思い出す。

家族に役立たずと呼ばれて久しかった。

家ではこのていたらくでも、外ではそうでもないらしいと知った。

「私、生きてていいのよね?」

そう問いかけたら、星々がウィンクで答えてくれた…

ような気がした、あの空である。
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帽子を作ろう・2

2015年10月28日 08時03分41秒 | みりこんぐらし
衣装はできあがっても、帽子の方は手つかず…

私は焦った。

ものすごく考えたし、人にもたずねて回ったが、さっぱり。


やがて私は決心する。

「先生やみんなにできませんと謝って、帽子は無しにしてもらおう!」


交渉が難航した場合に備え、第二案も準備した。

どうしても頭に何か乗っけたいのであれば

カッパの皿状の土台の上に、フェルトでこしらえた葉っぱや木の実を盛って

やんごとなきご身分の方のかぶられる、お帽子状の物をこしらえ

ゴムかヒモでアゴにくくりつける作戦。

ほら、行事の名前も園遊会だしさ。

もう、衣装に合うか合わないか、なんて言ってる段階じゃない。


そのことを言いに幼稚園へ行く直前

同じ踊りをする子のお母さんから電話が…。

「あの、私、さしでがましいとは思ったんですけど

昨日、担任に言ったんです。

帽子は簡単に作れるもんじゃないから、無しで踊らせてくださいと。

でも先生は、大丈夫って言うんです。

みりこん会長が必ず作ってくださいますって。

先生達はみんな期待して、楽しみにしているんですって」

「な…なんですと?」


私は猛烈に腹を立てた。

プレッシャーに震えていられるような、かわいらしい感情は

厳しい結婚生活によってすでに無くなっていた。

この心境は、婚家でいいように使われる嫁でなければ

理解しにくいかもしれない。

やって当たり前、できなければ嘲笑か罵倒…

思いつきの無理難題を口にしては

好奇の視線で降参を待つ、家族という名の他人…

日々こんなのに揉まれていると、曲がる。


敵は家の中だけではなかった…

曲がっている私はそう思い、そして決意した。

「何としても帽子を10個作ってやる!」


しかし先生の期待に、そのまま応えるつもりはなかった。

「え…これ?…そりゃ帽子とは言いましたけど…」

反骨女としては、ぜひともこの反応を引き出したい。

さらに、子供達がかぶって踊っても

笑い者にならない最低ラインは保ちたい。

先に方針だけが決まってしまい

私の帽子作りはさらに困難な作業になるかと思われた。


が、怒りというのは、時にとんでもないことを思い出させるもので

ふと浮かんだのが、知人の奥さんである。

几帳面な彼女は、小学生の娘さんが通学でかぶる黄色い帽子を洗濯する時

風船を使う。

子供の頭ぐらいにふくらませた風船に

洗った帽子をかぶせて型崩れを防ぐのだ。

乾いたら針で風船をパン!と割る。

すると残るのは、買ったばかりのように美しい形の帽子。


「これよ!これ!」

私はスーパーへ走り、風船と障子紙

それに昔ながらの洗濯のりとパンツのゴムを買った。

これで帽子を作ったろうじゃないの!


1・大量の障子紙を5cm四方にカット。

2・それを洗面器の水につけて湿らせ、軽く絞る。

3・洗濯のりを適当に水で薄め、2の障子紙を沈める。

4・風船を子供の頭大にふくらませる。

5・洗濯のりを含んだ障子紙を一枚一枚、ひたすら風船に貼り続ける。

6・貼り重ねる過程でツバを作り、帽子らしい形を成型する。

7・厚みが出て形が整ったら、数日自然乾燥させる。

8・カラカラになったら風船を割る。

9・両脇にキリで穴を開け、あごにかけるゴムひもを通す。

これで張り子ハットの出来上がりだ。


あとは仕上げ。

中身はどうでも外側さえうまくやれば、何とか格好がつく。

今話題の悪質な杭打ち業者と似た私のもくろみでは

ここでオーガンジーが大量に必要となる。

スケスケで光沢のある、ベールみたいな布のことだ。


そこでまた、別の母親が名乗り出てくれた。

「私、実家は東京じゃありませんけど一応都会なので

オーガンジー、買って来ます!」

「頼む!色は…そうねえ、黄緑にしようか」

かくして都会帰りの黄緑オーガンジーは入手された。


このオーガンジーを張り子ハットの表面に、幾重にも巻きつけるのだ。

巻きつけながら、要所要所をホチキスで留める。

その際、意識するのはエレガント。

するとほら、おしゃれな帽子ができたではないか。


リハーサルの朝、やっと間に合った帽子を持って行くと

母親も子供も歓声をあげた。

帽子が素敵だったからではない。

間に合った喜びだ。

私を信じて、待ってくれていたのだ。


先生達の反応も望み通り。

フェルトなんかでできた本当の帽子を想像していたらしく

和紙の張り子と知った時の驚きと、軽い失望の入り混じった表情は

私を存分に楽しませた。

周りの協力で難局を乗り越えた喜びは、大きかった。


ただし作るのに必死で、かぶり心地を考える余裕がなかった。

紙と洗濯のりのゴワゴワに耐え

何も言わずに踊った子供達がフビンであった。

今ならもっとマシなのを作ってやれそうな気がするが

残念ながらそれっきり、帽子を作る機会は無い。

(完)
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帽子を作ろう・1

2015年10月26日 10時57分16秒 | みりこんぐらし
次男が幼稚園の年長クラスだった23年前

帽子を作る必要にかられた。

お遊戯会の衣装である。


お遊戯会は、毎年2月に行われる幼稚園最大の行事。

本来の名称は園遊会という。

PTAの運営する売店で弁当や飲み物、お菓子を販売し

園児とその家族が一日楽しむお祭だ。

本番の一週間前にはリハーサルがあり

プロの写真屋を呼んで前撮りも行われる。


衣装は、担任が子供の演目に合わせて決めたものを

母親が手作りするのが幼稚園の伝統。

うちの子は10人で、森の妖精らしき踊りをすることになった。

ここで担任に言い渡される。

「緑色の上下と、この踊りにはどうしても帽子をかぶせたいんです」


上下なんてサラっとおっしゃるけど、それってスーツのことじゃん!

ましてや帽子なんて、前代未聞じゃん!

高度な要求に息を飲む10人の母親。


しかし10人のうち過半数は、この要求の根拠に心当たりがあった。

PTAの役員だったからである。

役員には少々無理を言ってもいいという

やはり幼稚園の伝統が存在した。


私はその年、PTA会長であった。

はん、ジャンケンに負けただけよ。

それでも雰囲気的に、衣装制作のリーダーということになった。


運良く、同じ踊りをする 子供のお祖母ちゃんに

仕立ての婦人服を縫う人がいて

帽子は経験が無いから無理だけど、布を用意してくれれば

衣装は縫ってやると言う。

心底ありがたかった。


ここでまた、同じ踊りをする子の母親が名乗り出てくれた。

「この辺りじゃ、間に合わせの服地しか無いでしょう。

私、実家が東京で、近くに大きな生地問屋があるんです。

来週、里帰りするので買って来ますから

どんなのがいいか言ってください」

こちらも、ありがたい申し出である。

「誰がどう見ても緑と呼ぶであろう厚手のサテン、買うて来て!」

私は即座に言った。


ゾウキンぐらいしか縫えない私は、担任の思いつきに腹を立てていた。

当時は30過ぎの生意気盛り、今よりずっと反抗心が強かったので

緑と言われたからには断然の緑にしてやりたかったのだ。


かくして、誰がどう見ても緑と呼ぶ東京帰りのサテンは

子供達のサイズ表と共に、洋裁の名手であるお祖母ちゃんの家に届けられた。

できあがるまで、私は待つだけでよかった…

なわけ、ねえだろ。

帽子が残っているではないか。


「こればっかりは…」

誰しも遠巻きにして見放した。

当時はネットも普及しておらず、帽子の作り方を知るスベはなかった。


やがて年が明けて1月半ば

お祖母ちゃん渾身の衣装が縫い上がる。

サテンは滑るので、とても苦心したそうだ。


テカテカのスーツに、圧倒される一同。

もはや森の妖精どころの騒ぎではない。

サタデーナイトフィーバー!


着る物が立派なだけに、帽子がまだという現実は私をさいなんだ。

衣装を人に頼ったのだから、誰もが恐れる帽子は自分で何とかしたかった。

どうにか縫うのが可能であろうチューリップハットや

頭巾(ずきん)なんかも考えはしたが

このスーツにマッチするとは到底思えない。

良い案は浮かばないまま、悶々と日は過ぎていった。

(続く)
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ニンジンジュース

2015年10月18日 10時45分54秒 | みりこんぐらし
「人物はヒロミ・ゴーでお願いします」



我々が暮らす夫の実家周辺は、80才超えのシルバーだらけ。

このシルバー・ストリートの区長は、森山さんという男性だ。

事務系の自営業を営む66才の森山さんは、この界隈では若手。

親切で元気で明るくて、フットワークが軽い。


ただし元気すぎ、明るすぎ、親切すぎ、フットワークの軽すぎで

疲れる人もいるようで

彼を信頼してあがめる住民と、アンチ派とにはっきり分かれている。

「思いつきで突っ走る人だから、サポートが大変なのよ」

彼の奥さんはつぶやく。


うちは今年組長なので、森山さんと接触する機会が多い。

「家にいて暇がある」なんて口走ったもんだから

配布物の仕分けや行事の手伝いなど、何かというと仕事を振られる。


ちょっと前には国勢調査を頼まれた。

「秘密の守れる人がいいそうだから、やってくれない?」

滅相もねえですだ!

自慢じゃないけど私に秘密は守れない。

120軒だか130軒だか、家々を回る根気も無い。

そう言うと、そんなはずはないと言う。

何を根拠に、そんなはずはないと言うのかわからない。


断ったら彼は、市役所に問い合わせをした。

「秘密が守れない性格でも、封をするし、直送もできるし

インターネットでもできるから大丈夫だって!」

あきらめてもらうのに苦労した。


先週は、家の前の川土手に彼岸花の球根を植えようと

回覧板でシルバー・ストリートに呼びかけた。

来年は土手を真っ赤にしましょう!と張り切っている。


当日、夫と私は所用で出かけたので

家に残っていたヨシコが強制労働に参加させられた。

「ひどい目に遭った!」

夕方帰宅した我々に、ヨシコは訴える。

「私ら年寄りは、斜めの土手に立つだけでも大変なのに

クワで耕せって言うのよ!」

留守にしていて良かった、と心から思った。


3日前は、川土手に旗を立てるのを手伝えと言う。

川の自然を守ろう!なんて印刷した旗をたくさん作っている。

クイを打つ彼の助手として、旗を支える。

とほほ。


おとといは「僕と一緒にドライブしませんか?」と電話がかかる。

「いつもは家内に頼むんだけど、今日は都合がつかないので

組長代理のみりこんさんお願いします」


市内各地区の区長さんが交代で市役所の軽バンを運転し

振り込め詐欺防止の録音テープを流しながら、町をパトロールするのだ…ガーン!

「一人で悩まず、周りの人か警察に相談しましょう」

「おかしいと思ったら110番」

こんなのを流しながら走るのは、そりゃ恥ずかしい。

とほほ。


「こうして町の中をくまなく走ることって、経験無いでしょう!」

森山さんは、私を未知の旅に連れ出して得意げだ。

隣に乗っているのが、町をくまなく走る選挙カーのウグイスであることを

彼は知らない。


こういう人のツネとして、2時間のパトロール中はほとんど彼がしゃべっている。

そのうち森山さんは

「身体にいいこと、何かやってる?」

と、デビュー間もない郷ひろみが

サンキストオレンジジュースのCMで言っていたのと同じセリフでたずねた。


しつこいようだが、こういう人のツネとして

投げかけた質問は自分がしゃべるための前置き。

彼が言うには、以前大病をして健康に強い関心を持つようになり

この数年、毎日ニンジンジュースを飲み続けているという。


私は前々から、森山夫妻の異様とも思える若さを不審に思っていた。

とても66才には見えない。

彼らが音頭を取って「生意気」と陰口をたたかれるのは

見た目の若さにも原因があるのではないか。

この夫婦は元々スタイルが良く、整った顔立ちなので若々しいのもあるけど

肌のツヤとか神出鬼没の行動力は尋常ではないと怪しんでいた。

もしやニンジンジュースのせいかもしれない!


「疲れが取れにくくなったけど、健康食品は嫌なので模索していたんですよ。

ニンジンなら気軽にできそうですね!」

そう言うと森山さんは非常に喜んで、パトロールの帰りに彼の家へ寄り

小冊子をくれた。

親切すぎる森山さんらしく、ニンジンジュースを発案した医師の紹介や

作り方、効果効能なんかを印刷してホチキスで留めたものだ。

「興味を持った人に、渡しているんだよ」


家に帰ってさっそく読む。

ニンジンジュースは、大腸癌と宣告された精神科医が

手術後、再発防止のために自分の食事を見直して考えたものだそうだ。


作り方は、レシピをエッ?と見直すほど簡単。

まずジューサーを用意。

そこに洗ったニンジン3本とリンゴ半分か1個を投入。

皮はついたままでもいい。

これで300CCできる。

仕上げにレモン汁を少し入れると、酸味で味がしまる。

作ったらすぐ、1日1回飲む。

以上。


リンゴを入れるのは、飲みやすくするため。

ニンニクやバナナなど、他の材料を入れてもいい。

とにかくニンジンが入っていればいい。

ジューサーが無ければミキサーでも作れないことはない。

その場合、水分が無いとミキサーが回らないため

リンゴジュースか水を入れるので薄口になるのと

できあがったらしぼる作業が増える。


森山さんはニンジンを5本、リンゴを1個にして

奥さんと250CCずつ飲んでいるそうだ。

簡単でアバウトなところが、私のハートをつかんだ。


森山さん手作りの小冊子によると、ニンジンジュースは肝機能を高めるそうだ。

肝機能が高まると、免疫機能が高まる。

よって癌の抑制や成人病にいいらしい。


読んでさっそく買い物に行き、大量のニンジンとリンゴとレモンを調達。

しまい込んだジューサーを引っ張り出して、家族5人分を作る。

飲むとクセがなく、意外にも甘くておいしい。

これなら続けられそう。


「私が長生きしてもいいのぉ?」

ジュースを手渡され、ヨシコがひひひ、と笑いながら言う。

いやです、と言うわけにもいかず、ヨシコだけ飲ませないわけにもいかず

沈黙する私よ。


効果は、その晩に現れた。

若くなったわけでも元気になったわけでもないが、よく眠れた。

眠りが深いので、目覚めがいい。

目覚めがいいから1日体調がいい。

私は睡眠で困ったことが無いと自負していたけど

ここで初めて、自分の睡眠が浅くなっていたと知った。

睡眠の質と肝臓は、関係するのかも。


森山さんとのパトロールで疲れていたのを考慮し

初日は追い風参考記録にとどめたが

翌日もやはり、寝る頃になるとものすごく眠たくなってバタンキュー。

昼寝のしすぎで不眠症を主張するヨシコも「よく眠れる」と言う。

夫は「通じがいい」と言った。

子供達は無反応。

しばらく続けてみようと思っている。
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墓騒動・6

2015年10月16日 11時05分36秒 | みりこんぐらし
私は考えた。

確かに一連のゴタゴタには、嫌気がさしている。

しかしこのまま、村井の主張する10センチ案の返事を引き伸ばしたり

よその墓地に変えたらどうなるか。


こっちは復讐や決別のつもりでも、人から人へ伝わると

違う形になってしまうのはよくあることだ。

この話は、うちが村井の勢いに負けた…という形に歪められ

村井親子によってアキバに伝わるだろう。

アキバに伝われば、業界に伝わる。


建設業界の情報網は、人が考えるよりもすごいのだ。

なぜすごいかというと、建設業界の社長というのは

たいてい現場に出て働かないので、暇がある。

その暇をあちこちの会合や親睦旅行、ゴルフ、喫茶店や酒場で

おしゃべりに使うからだ。


どこそこ建設の奥さんが、旦那の葬式で

白でなく派手な花柄のハンカチを使って涙を拭いていた…

なんてことまで、男から男へすぐに伝わり、何年経っても消えない。

暇な男達が消さないからだ。

暇な男というのは、姑よりもタチが悪い。

噂で人を潰すのは、簡単なのだ。


私は元々、人に何と思われようと知ったこっちゃない主義。

人目も人の口も気にしない。

が、「引いた」「譲った」「逃げた」の項目だけは別扱い。

弱いや優しいは、商売の命取りになるからだ。

たかが墓一基のことでも、ひとたび引いた、譲った、逃げたと印象づけたら

くつがえすのは難しい。

商売の相手はそのつもりで押してくるので、力関係が変化するのだ。

男には…いや、女だけど…絶対に引いてはならない時がある。



私は思い出した。

村井の墓と通路をへだてた真ん前に

岡野石材が所有している空き墓地があったことを。


「村井の目の前に建ててやらんかい!」

私は言った。

村井め…未来永劫、墓参りのたびに、おのれの浅はかを思い知るがいい。

アツシにはこの際、安らかに眠るのはあきらめてもらう。

我々は岡野石材の墓地を買うことに決めた。


週末、見積りを持って来た二代目に

「村井さんの墓の正面にある、お宅の墓地を買いたい」と切り出した。

「仕切りの石を動かせなんて、あちらは無茶をおっしゃるけど

あの石は質も磨きも相当いいもので、深く埋めてあると思うの。

あのままそっとしておいて、うちは別の所にする方がいいんじゃないかしら」

未来永劫思い知れ…などと思っていることは黙り

仕切り石の賞賛を路線変更の理由にする私だった。



しかし、二代目の反応は意外なものだった。

「もめているのは聞いています。

でも、洋子さんの墓地を買っていただきたいんです」

我々は驚いた。

墓地と墓石で二重の利益になるというのに、彼はそれを断ったのだ。


「お察しの通り、あの仕切り石は僕のこだわりです。

タイミングの問題で、たまたまいい石があった時でした。

入り口の斜めになっている所なんかは、細かく計算して作ったので

絶対に動かしたくありません。

それに、うちは洋子さんの所より、幅が30センチ狭いんです」

「そんなに狭いの?」

「はい、ワンサイズ小さいお墓でないと無理です」

「じゃあダメね」

目の前に建てることはできても、墓石を小さくしたんじゃあ

今ひとつ迫力に欠ける。

未来永劫苦しめ計画は、この時点で消滅した。


「うちの墓地に、あの仕切り石は使っていないので

お勧めしたくありません。

いい仕切り石を使っている所には

良さをわかってくれる家がふさわしいです。

僕が村井さんと話して納得してもらいますから」

二代目は、そう言って帰った。


仕切り石をほめたばっかりに、振り出しに戻った。

複雑な心境の私だが、父親の故郷という立地にこだわっていたヨシコは

手放しで喜んでいる。

墓に入るのはあの人達だから、まあ、いいか。


その後、岡野石材の二代目は改めて測量をやり直し

二区画で85万のところを村井が41万、うちが44万と算出した。

測量の結果が出た途端、村井は静かになった。

そう、二つの墓地にたいした差はなかったのである。

うちが買うはずの所が端っこだったので、広く見えただけなのだ。

隣の芝生は青いと言うが、強欲な村井め

よくも幅を10センチも狭くしろと言えたものだ。


ともあれこうして、アツシの墓は手に入った。

夫の祖父母の墓が市内の中心部、私の実家の墓が市内の西のはずれ

ヨシコの実家の墓が南の方角にある離島

そして今回求めたアツシの墓が市内の北のはずれ。

将来、我々が主だって墓守をする予定の墓たちである。

ワーイ!あとは東の方角さえ入手すれば、十字架が完成だ~い!

ちっとも嬉しくないわい。

(完)
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墓騒動・5

2015年10月15日 10時39分07秒 | みりこんぐらし
「譲り墓(ゆずりばか)は良くないのよ」

友人のラン子が、以前言ったことがあった。

浮世のことは疎いのに、こういうことには妙に詳しい人がたまにいる。

ラン子もその一人だ。


彼女によれば墓地を買う時は、先祖もそのつもりになっているそうだ。

それを人に譲ったら、そのつもりになっている先祖が戸惑うので

ゴタゴタが起きやすいという。

マンションを買ったら、別の人が住んでいたような気分なんだろうか。


わたしゃ、あの世の人達の気持ちは知らないけど

現世に生きる者として、シロウト同士の墓地売買を警戒していた。

20年ぶりに突然来たかと思えば、墓地を買えと言える洋子ちゃんが…

昔と変わらず、ちゃっかりとのん気が同居する洋子ちゃんが…

太り過ぎで歩くのもままならない75才の後期高齢者、洋子ちゃんが…

ちゃんと動いて契約を行ってくれるかどうかを疑っていたのだ。

譲り墓が良くないというのは

シロウトが契約を交わす危うさから来ているのかもしれない。



洋子ちゃんから墓地の話があった時、私の抱く懸念をヨシコにやんわりと話し

「だから慎重に」と進言した。

するとヨシコは、ものすごい剣幕で怒ったものだ。

「あの子は昔から、妹のような子よ!

この私に向けて、いい加減なことをするわけないじゃないの!

気に入らないんなら、あんたはお参りしてくれなくてけっこう!

大儲けでも何でもして、好きな所へ立派な墓を建てればいいでしょ!」


その“妹のような子”に、いい加減なことをされたヨシコの悲しみは深かった。

こんな時は恒例の行事…「寝込む」。

心配した夫は、あっちの墓地、こっちの霊園と情報を集めるが

帯に短しタスキに長し。

「ヨシコの父親の故郷」という条件を超えられる所は無かった。


寝たり起きたり泣いたりのヨシコに

再び洋子ちゃんから明るい声で追い打ちがかかる。

「村井の息子さんが、墓地の境界線の仕切り石を一つ分だけ動かしてくれれば

それでいいからって。

仕切り石は、ほんの10センチぐらいでしょ。

お姉さんの墓地の幅を10センチだけ狭くしてくれればいいそうよ」


一瞬、絶句するヨシコ。

それでもようよう、私との打ち合わせ通りに言った。

「息子夫婦はね、すごく怒ってるわよ!」

「本当?あっちの言い分を伝えなきゃよかったわねえ」

「そうよっ!全部言うからよ!本来なら、あんたの所で止まる話よ!」

文句を言っているうちに、元気になってきたヨシコであった。

ウダウダ言っていても仕方がないので

双方がそれぞれ岡野石材に相談することにして、電話は切られた。


この時点で、私は完全にキレた。

「引かん!」

そう決めた。

引かないが、進みもしない。

のらりくらりと、このままずっと引っ張ってやる。

あっちがしびれを切らして、またバカなことを言ってくるのを待って笑ってやる!


が、翌日になって、少し冷静になった。

突き詰めればこの怒りは

村井さんや洋子ちゃんに向けられたものではないような気がする。

我が社と同業である「アキバ産業(仮名)」

この会社が関係しているのであった。



昭和40年代初頭

アツシの会社とアキバ産業は、同じ頃に同じ仕事を開始した。

港が不可欠の業種なので、会社も隣だ。


ライバルの二社は建設ブームに乗り、それぞれに大きくなっていった。

最初の頃はアツシの方が優勢だったが、バブル期にさしかかると

接待が得意なアキバ社長に、次々と大口取引先を奪われた。

以後、ライバルというより潰し合いの関係になった。


アキバの社長は強烈な負けず嫌い。

アツシの会社に仕事があってアキバに無い時

自社の車両をカラで走らせてパフォーマンスをするのは有名な話で

仕事先でも、社員を使って邪魔をすることがよくあった。

当然ながら二社の社長と家族はもちろん

社員同士も仲が悪く、お互いに仇として昭和平成を過ごした。


村井さんのご主人は生前、このアキバ産業に長年勤めた

社長の腹心であった。

その妻が、うちとアキバの関係を知らないわけがない。

洋子ちゃんを車に乗せてうちへ連れて来た時も

最初は家に上がろうとせず、「外の車で待つ」と頑なに辞退した。

「私はアキバ側の人間だから」とも言った。

仇の認識が続いているのだ。


「長くなるから」と説得し、ようやく家に上がった村井夫人。

「主人はもういないんだから、同じ未亡人として仲良くしましょうね」

ヨシコが言うと、ホッとした表情になった。

友達の足になってやるような人だから、気さくで明るい人だった。


それが、後になったらこれだ。

向こうの方が広いから狭くしろだの、石を動かしてくれればいいだの

後から参入しておきながら平等を振りかざし

自分が得をすることしか言わない手口が

アキバ産業とそっくりな所に、私は怒りを感じていたのだった。


墓地は市内にたくさんあるというのに

なんでたまたまアキバ産業の関係者と隣り合わせになり

会社と同じくゴタゴタするのか。

この事実が、私にとっての「いわゆる呪い」という部類であった。

(続く)
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墓騒動・4

2015年10月14日 09時59分14秒 | みりこんぐらし
呆然と岡野さんを見送った後、夫は気を取り直して彼の会社に電話した。

岡野さんが移動中のうちに

会社の人と話して真相を確かめるという夫なりの配慮だ。

「うちの墓のことで、さっき社長に来てもらったんだけど

話にならないまま帰っちゃった」


電話に出た事務員は「やっぱり…」と言った。

「ご迷惑をおかけしました。

このところ、認知症が出始めてるみたいで…」


しかし案ずることはなかった。

家の仕事を手伝いながら、よその石材店で修行していた息子さんが

近いうちに会社を引き継ぐ予定になっているという。

「今後は二代目が対応しますので、連絡は社長の携帯へ直接かけずに

会社の方へお願いします」

そう聞いて安堵する我々であった。



30代後半の二代目は、修行中の石材店をまだ退職していないということで

週末になって家に来てくれた。

外でもまれているからか、穏やかで話しやすい子だ。

お父さんよりずっと感じがいいので、我々一同はさらに安堵する。

彼は次週、見積りを持って来ることになり

我々には墓石チェーンの方を断るのと

洋子ちゃんとの売買契約が宿題として残った。


ヨシコはさっそく墓石チェーンのイケメンセールスに断りの電話をし

その後、洋子ちゃんに電話する。

「墓石が決まったんだけど、墓地の方の契約書はできてる?」

村井さんが一区画買いたいと言った時

すぐに二軒分の契約書を作ると言っていたからだ。


「それがね…お姉さん…」

洋子ちゃんは歯切れが悪い。

「うちの旦那が入院したり、大阪の叔父が死んで葬式に行ったりで

延び延びになっているうちに、村井さんが…」


村井さんは別居している息子や娘と一緒に

改めて墓地を見に行ったという。

おそらく我々と同年代であろう村井さんの息子さんは

「うちが買う墓地の方が狭い」と言い出した。


村井さんは自分の墓地の隣を買いたい。

よって、うちの墓地は必然的にその隣ということになる。

ヨシコが買う予定の墓地は端っこになり

そのためかどうかは知らないが、幅は同じでも奥行きが30センチほど長いのだ。

村井の息子は「これで同額なら、うちが損する」と主張しているらしい。


二区画で85万とは聞いていたものの

一区画ずつ分けた場合の金額は、後回しになっていた。

家族で見に行った時、片方がちょっと広いのはわかっていたので

洋子ちゃんの言うまま、余分に支払うつもりだった。

ヨシコはそれを伝えたが、洋子ちゃんは

「それじゃ解決しないのよ」

と言う。

村井の息子が言うには

「測量し直して、そっちの奥行きが広い分、幅を狭くしてもらって

区切りの石を動かしてもらって、きっちり半分こにして欲しい」

という意見を曲げないそうだ。


「うちの墓を長細くしろってことっ?

うなぎの寝床じゃあるまいし!

思い通りにできるもんですかっ!

その測量や石を動かすお金は誰が出すっていうのっ?」

ヨシコ、いつになく冴えている。


「それはお姉さんが墓を建てる時、ついでにやってもらったら

安く済むんじゃないかって、村井さんの息子が…」

「最初に話が来たのは私よ!

後から言い出して、それは無いんじゃないのっ?」

「でも村井さんの息子が…」

洋子ちゃんの困り果てたソプラノが、電話から漏れ聞こえてくる。


「なによ!息子息子って!

息子は村井さんとこだけにいるんじゃないわよ!

うちにもいるんだからねっ!」

いいぞ!ヨシコ!

やったれ!ヨシコ!


「じゃあお姉さん、別の所にする…?」

洋子ちゃんは最後通告を出した。

彼女にとっては、常識とか、先や後の問題ではない。

田園地帯に住む洋子ちゃんにしてみれば

遠い昔に親しかった人よりも

今現在、車であちこち連れて行ってくれる友達の方が、百倍大切だ。

村井さんの言うことを聞く聞かないは、彼女にとって死活問題なのだ。


「うちだって息子に相談するっ!

あの子も黙っちゃいないわっ!」

そう言って電話を切ったヨシコは、また遺影の前でさめざめと泣くのだった。


肝心のその息子、ヨシコに相談されて困ったご様子。

「面倒臭いから、別の墓地を探そう」

と言い、心当たりの人に問い合わせをする。


私も叫んだ。

「あーだらくされゲドウらとじいちゃん並べちゃらんでええけん!

もうよがんす言うとき!」

訳…あんなひどい人達とお義父様を並ばせなくてよろしくてよ。

もうけっこうですとお伝えくださいませ。


こんなに腹を立てたのは何年ぶりだろうか。

この数年、老人と暮らす“ちょこちょこチクチク”の刺激ばかりだったので

純粋な怒りは清々しいものだと思い出した。

ともあれ、はっきりしているのは

墓石が決まった途端、墓地が消えたことである。


(続く)
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墓騒動・3

2015年10月13日 08時01分28秒 | みりこんぐらし
墓問題に着手することになった私は

手始めに洋子墓地の見学ツアーを発案した。

現地を見もせず、遺影の前で泣いてたって仕方がないではないか。

「でもお墓の場所がわからないし…

洋子ちゃんに案内してもらったら、その場で決めないといけなくなるし…」

ジトジト、ウジウジの者のならわしとして、消極的な態度を見せるヨシコ。


私には、洋子ちゃんの話からおよその見当がついていた。

選挙のウグイスは、市内の津々浦々を知り尽くしている。

我が市のチベットやマチュピチュと呼ばれる未開地にも分け入るし

おおかたの人には一生用事が無い所にも、数年に一度は行っているのだ。

人が滅多に通らない道路沿いにあり、小さいが綺麗に整備された

おそらくあの墓地だ。


晴れた日曜日の午後、ヨシコと我が夫

それに夫の姉カンジワ・ルイーゼを伴ってツアーに出かけた。

車で10分足らず、私は見当をつけた墓地の前で車を降り

一同に「村井」という新しい墓を探させる。

ヨシコは忘れているが、運転をしない洋子ちゃんがうちへ訪れた時

村井さんという友達が車に乗せて来た。

初対面のその人が、一昨年亡くなったご主人を

洋子墓の隣に葬っていると話していた。


村井さんの墓は、すぐに発見された。

隣が二区画空いているので、間違いない。

駐車場から徒歩2秒、小さい門の先に十基ほどの墓が立つ。


アツシはオレ様主義で暴君の反面

目立つことを嫌う、あまのじゃくなところがあった。

車なんかもそうだが、わざと前の車と同じ車種、同じ色に買い換えて

マイナーチェンジを楽しんだ。

ひっそりやこじんまりで意表を突くのは、案外アツシの好みなのだ。

人目につかない静かな山里の趣きは、まんざらでもないのではなかろうか。

家族も同じ意見で、「ここにしよう」と口々に言った。



その夜、ヨシコは洋子ちゃんに連絡した。

「一区画、ぜひ売ってちょうだい!」

ダメ元で言ってみたら、意外にも洋子ちゃんは快諾した。

「お姉さんの家に行った時、村井さんが一緒だったでしょう。

横で話を聞いてて欲しくなったらしいの。

自分の墓の隣に娘一家のを買いたいって、さっき連絡があったのよ!」

こんな都合のいいことがあろうか。

「お父さん、やっぱりあそこがいいんだわ!」

ヨシコは大喜びした。


墓地が決まったら、墓石の準備だ。

洋子墓地の墓石屋さんは、始めから決まっている。

墓石屋がこしらえた墓地だからだ。

岡野さんという75才の人で、仕事の方で我が社と取引があった。

この人も選挙好きで、昔からアツシと仲が良く

「あの人なら間違いない」と夫も喜んだ。

夫は元々、縁もゆかりもない墓石チェーンに任せるのは反対だった。

建てるなら取引先の岡野石材で…ひそかにそう思っていたという。


うちの家族、洋子ちゃん、村井さん、岡野石材…

みんなが笑顔になれる、こんな幸運ってあるのだろうか。

「呪いなんて、思い込みだったんだわ!」

自分の早計を恥じる私だった。



夫はさっそく岡野さんの携帯に電話をし、翌日会社で会うことになった。

家で会わなかったのは、夫の作戦である。

イケメンの墓石セールスと、ハゲた岡野さんのギャップが大き過ぎて

ヨシコが心変わりしたらいけないから…と冗談めかして言っていたが

夫のもくろみはわかる。

口数は多いけど、女性におじょうずの無い岡野さんの性格は

チヤホヤされながら無駄話を聞いてもらいたいヨシコと合わない。

先に契約を決めてしまってから、細かい打ち合わせでヨシコに会わせるつもりなのだ。


墓について少し詳しい私も、夫の強い要請で参加した。

どうして詳しいかというと、中学生の時に実家の墓を建てることになり

凝り性の祖父に連れられて、あちこちの墓地や墓石屋を回りまくったからだ。

聞きかじりではあるが、一年かけて墓地の良し悪しや石の質

磨き、形、配置のバランスなど多くのことを知った。

だからといって何の足しにもなりゃしないが

自分ほど墓に詳しい中学生はいないと自負していたものだ。



岡野さんはいつもと同じように、ニコニコしながら会社にやって来た。

が…何やら様子がおかしい。

携帯電話のことばかり気にしている。

夫の名前が、別の人の名前で登録されていると言うのだ。

こちらが何度話しかけても商売の話にならず

やがて携帯をいじくりながら、スーッと車に乗って帰ってしまった。

墓地は買えても、墓石屋がこれじゃあどうにもならない。

やっぱり呪いは健在なのだろうか。


(続く)
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墓騒動・2

2015年10月12日 08時19分54秒 | みりこんぐらし
アツシの墓購入は、順調に進んでいる様子で

大手墓石チェーンのセールスマンに勧められ

彼の会社と提携している町はずれの墓苑に決まりかけていた。

平地にあって車で乗り付けられ、水道とゴミ捨て場、水洗トイレ完備。

高齢者のニーズにぴったりのナウ!な墓地である。


先月下旬に見積りが届いて、あとはヨシコが首をタテにふるばかり。

しかしここで、母娘は行き詰まる。

ヨシコが引っかかったのは、年間の管理費と無縁仏の関係であった。


この墓苑は一基分の敷地が狭く、墓石の大きさしか無いので

お参りは通路で行う。

狭いけど設備が充実しているため、墓地の料金が80万円から100万円と

田舎にしては少々高めの設定。


年間の管理費も8千円から1万円と、やはり田舎にしては高め。

家が絶えて管理費が引き落とされなくなると

骨壷は墓から出され、同じ敷地にある無縁墓へ埋葬し直される。

そして空いた墓は再び売りに出されるという。

ナウな墓苑にふさわしく、システムがドライである。


うちの息子達は独身だし、この先結婚するかどうか

ましてや子孫に恵まれるかどうかわからない。

ヨシコはこのシステムが摘要される可能性の高さを心配して

躊躇するのであった。



さらに見積りが届いた翌日、洋子ちゃんという女性が家に訪れた。

昔は両親の妹分のような存在で、しょっちゅう家に来ては

ソプラノの大音響で騒いでいたものだ。

しかしアツシの会社が左前になって以来、ぷっつり来なくなった。

悪い人ではないけれど…といった類いである。


その洋子ちゃんが、約20年ぶりに現れたのには理由があった。

アツシの死を知らなかったそうで、まずお悔やみ。

本題は、自分の持っている墓地を買って欲しいというものだった。

数年前に親の分と一緒に二区画買ったものの

前の墓地の墓石を新調して合祀することになり

買った所には建てなかったので、そのまま空いているという。


ヘンピな山奥にあり、水道もトイレも無いが

二区画で85万と格安。

コンパクトなナウ墓地に比べると、6倍の広さだ。

しかも管理費無料。

家が絶えても無縁墓に入れられる恐れは無い。

しかしヨシコが食いついたのは

その墓地が、ヨシコの父親の故郷にあることだった。


10才で母を亡くしたヨシコには、父との別れも待っていた。

戦争から復員して、初めて妻の死を知った父親は婿養子。

姑、つまりヨシコの祖母はきつい人で

婿養子の再婚を許さず、ヨシコを連れて家を出ることも許さなかった。

離島に暮らしていたため、復員したところで仕事が無いのも

現実的な問題として存在した。


父親は泣く泣く離縁して実家へ帰り、再び婿養子になって別の家へ入った。

祖母と二人きりで暮らすヨシコは「捨てられた」と思ったそうだ。

ヨシコの父親への思慕は、察するに余りある。

現世では縁の薄かった父親の、せめて生まれ故郷で眠りたいと思うのは

自然な気持ちだろう。


父親の故郷ということで、すっかり洋子墓地に魅せられたヨシコ。

しかしこっちには、あまりにも広すぎるという問題があった。

墓石を大きくして、灯篭やベンチなどのオプションを色々付けないと

かえってみっともないことになる。

資金に見合った一般的な墓は、建てられそうもない。


ヨシコは一区画だけ売って欲しいと頼んだが

洋子ちゃんは「一緒に売ってしまわないと、あとあと私が困るから」

と首をふる。

この日は押し問答に終始し

「じゃあ、お姉さん、考えといてね!」

洋子ちゃんはソプラノでそう言って帰った。


通いやすいが無縁仏になりそうなナウ墓地…

父親の故郷だが二区画もいらない洋子墓地…

2つの墓地を巡って激しく心が揺れたヨシコは

老人がよくやってしまうように

洋子墓地のことをナウ墓地のセールスマンに全部話してしまった。


こうなったら、ナウ墓地の男も黙っちゃいない。

ほとんど決まりかけていたものを

みすみす奪われるわけにはいかないので日参する。

洋子ちゃんからは、決断をせかす電話がかかってくる。


しばらくは、近年珍しい引っ張りダコの状況を喜んでいたヨシコ。

しかしやがて、決められない苦しさに夜も眠れなくなった。

墓の呪い、やはり開始か?


墓、墓と、うわ言のように繰り返す母親をルイーゼは見放した。

「だって私が入るわけじゃないし!」

ごもっとも…ということで、呪い?の渦中に足を踏み入れた私だった。


(続く)
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墓騒動・1

2015年10月10日 20時56分37秒 | みりこんぐらし
ここ最近、我が家のブームは墓。

2月に他界した、義父アツシの墓である。


次男のアツシに墓は無い。

入院が長かったのだから、せめて骨はしばらくの間

家に置いてやりたいのが家族の総意だったが、そうもいかなくなってきた。

アツシの弟や妹がうるさくて、義母ヨシコがネを上げたのだ。


「この際だから、そっちの金で両親の眠る墓を合同墓に建て替えて

アツシ兄さんをそこに入れたら、安上がりでいいじゃないか」

きょうだい達は、したり顔で何度もアドバイス。

足腰が弱り、きつい坂道の果てにある両親の墓参りが億劫になった彼らは

アツシが入ったら、墓守りを我々一家にバトンタッチできると言う。


きょうだいのガヤガヤに慣れていない一人っ子のヨシコは

彼らの無責任な思いつきをかわすことができず、真剣に悩んだ。

アドバイスに従った場合、ヨシコもいずれそこへ入ることになるからだ。


嫌いな舅や姑と同じ墓に入りたくないヨシコは

取り急ぎ、自腹で別の場所に墓を建てる決心をした。

無い、無いと言って我々に生計を頼っておきながら

墓を買う金を握っていたのはいまいましいが

親戚のおかげで我々の財布は守られた。



自腹で行動する時の常として、ヨシコは自分の娘とコソコソ相談しては

墓石のセールスマンと会ったり、墓地の見学に行ったりしていたので

我々夫婦はしめしめ、とノータッチを決め込んだ。

アツシの家系と墓は、あまり相性が良くないようなので

関わりたくないのが本音である。


昔から、身内の誰かが死ぬたびにゴタゴタが起き

それを締めくくる最終イベントが、墓建立とお骨の墓入れだった。

どうしてもモメてしまう理由は、はっきりしている。

兄妹それぞれの貧富の差が激しく、親がしっかりしていないため

親子、兄妹の間で、いつも互いのフトコロを探り合っているからだ。

6人兄妹のうち5人が同じ町内在住であり

全員が考え無しにしゃべりまくる性格なので、それぞれの言い分が伝わりやすく

小さなことが大きくなりやすい。


仕事にまつわるものもあった。

30年近く前、アツシの兄が持ち山の上半分を削って

大型の墓苑を作る計画を立てた。

その造成工事を担当することになったアツシは

墓苑が完成したら、自分達の墓もそこに買おうと決めていた。

アツシはむしろ、世間の人々より早くから墓のことを考えていたといえよう。


しかし予定地の近隣住民から、激しい反対運動が起きる。

墓苑計画は白紙となり、アツシは墓を買いそびれた。



次に墓地購入のチャンスが訪れたのは5年後。

アツシの親友である元議員が、車で1時間ほどの山奥に

マンモス墓苑の造成を計画し、アツシに共同出資を持ちかけた。

ちょっと遠いけど、アツシもその一角に自分達の墓を買うつもりだった。


申請の都合上、宗教法人が関与する方が何かと便利ということで

うちの近所のお坊さんが理事に就任することに決まった。

親友は落選後に始めた小さな会社に、墓苑事業の看板を上げた。

現地にも大きな看板が立ち、明日にも着工しそうな雰囲気。

アツシは親友に言われるまま、銀行で借金を重ねては千万単位の出資を続けた。


こうして20年の歳月が経過した。

マンモス墓苑は、まだ着工していない。

その間に、理事になる予定のお坊さんは死んでしまった。

無理な出資を続けたあげく、アツシの会社も危なくなった。

そのうちアツシ最後の入院によって、マンモス墓苑の夢は終わった。


親友がアツシの死の床を見舞うことは一度もなかった。

最初は本気で墓苑を作るつもりだったが

早い段階でつまづいたのをアツシに言えなかったのだと推測する。

打ち明けてひどい目に遭うより、大金を受け取り続ける方がよかったのだ。

結局、彼が行った明確な仕事は、看板を2つ上げただけであった。


そしてアツシにはマンモス級の借金と

またもや墓を買いそびれた事実が残るのみ。

担保も借用書も発生しない共同出資の名目は

計画が消えれば取られ損なのである。


このように我が家は、墓についてろくな思い出がない。

ほぼ呪われていると言ってもよかろう。

墓の話には、関わらない方が賢明というものだ。

今回は夫の姉カンジワ・ルイーゼが張り切っている様子なので

我々夫婦はホッと胸をなでおろすのだった。


(続く)
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ウグイスワード・4

2015年10月05日 10時28分23秒 | 選挙うぐいす日記
「敵に塩を送る」というのがあるが

義父アツシから誤送された風評のゲタを履く私は

周囲の誤解によってベテランのイメージをまとった。

なにしろ卑怯者であるから「大嫌いな舅の助けは借りないわっ!」

なんて青臭いことは言わない。

「義父はこう言ってました」「義父によると、こんな時はこうするそうです」

などといい加減なことを言うと、多くはかしこまって従うので

たびたび利用した。

アツシにはさんざんいびられているのだ。

利用できることは、しっかり利用させてもらう。


最も役立ったのは、選挙にわいて出るクレーム爺達の撃退である。

毎日グズグズといちゃもんをつけてくる、自称選挙に詳しい年寄りだ。

ターゲットはちゃんと吟味している。

自分よりうるさい奴がいない所。


今は年金生活の彼らが、現役時代にどうだったかなんて誰も知らないので

言ったモン勝ちである。

奴らの狙いは、お引き取り願うために渡すお小遣い。

大昔、田舎の選挙では、こういうことが行われていたらしい。

だから奴らは選挙が好きなのだ。


が、そんなことをしたらおおごとになる。

選挙違反になるばかりか、彼らは絶対よそでしゃべる。

「あそこは出した」と言いふらすに決まっている。

命取りになるので、魅入られた事務所の人間は耐えるしかないのだ。


アツシの名は、こういうヤカラに効果絶大。

アツシの息子の嫁というプロフィールは、彼らを警戒させるに充分であった。

「選挙に詳しい」「敵に回すと票が減る」「自分の胸先三寸で多くの人が動く」

などと豪語するダニどもの主張が

市、県、国…すべての選挙に関わっているアツシに伝わると

嘘がバレてしまうからである。


アツシと私はほとんど口をきかないんだからバレりゃしないが

他人はそう思っていない。

私はアツシの名を活用しながら

彼は何十年もの間、選挙に付き物の厄介人を撃退するために

ひと役買っていたのだと知った。

長さは怖さ。

昔のことを知られているというのは、心がけの良くない人々にとって

怖いものらしい。


私はウグイスとしてより、選挙事務所の魔除けとして存在価値を発揮した。

なにしろ貴重な魔除けだから、何をしても物言いはつかない。

よくいるのだ…身内にウグイスがいるとか

どこかの選挙を一、二度手伝っただけで、すっかりオーソリティ気取りになり

声高に見当違いのアドバイスや批評をしたがる有象無象が。

そいつらモグリが何も言えない環境は、居心地良好。

野放しのやりたい放題だ。

候補と2人、マイクで掛け合いもやっちゃう。


こうなると、美人ウグイスに憧れている場合じゃない。

野放しなんだから、もう楽は手に入れた。

美人になって誰かの陰で楽をしようなんざ、大間違いだった。


でもでも、いくら魔除けとはいえ

シーサーや鬼瓦と形容されたら一大事。

この時点でようやく、自分に与えられた目鼻でも対応できる

現実的な美について考えるようになった。


加齢の波は容赦ない。

もはやパックやエステじゃ間に合わん。

そこは卑怯者かつ怠け者の私…

実物をどうにかするより、錯覚の路線を選択。

なんとなく、でいいんじゃ。

遠目には、でいいんじゃ。


研究の結果、美に遠い者は、いっそ没個性を目指すと

それなりのラインに到達するのが早いと判明。

「私らしく」なんてのは、この際あきらめて

「よくいる、いる、こんなウグイス」の水準を目指す。

ポイントは、髪と眉と配色。

あれもこれもと欲張ったら、かえって実現が難しくなる。


髪はロングでもショートでも

できるだけ美容室帰りの状態を保ち、さらにツヤをもたせる。

それだけで、アカ抜け方がずいぶん違うものだ。

遠い最終目標は、恐れ多くも航空会社のCA。

彼女達がアカ抜けて美しいのは、姿形ももちろんあるけど

おくれ毛やごまかしの無い髪も重要な役割を担っている。


眉は自分の感覚より数ミリ下げて描く。

眉を目に近づけるのだ。

努力すれば5ミリは下げられる。

アイメイクも、マスカラや控えめなアイラインで眉に近づける。

眉と瞳の位置を近づけると、若く見えて目鼻が際立つ。

遠目には、ひょっとして美しいのか?と錯覚することもある。


配色は大事だ。

ユニクロかデパートへ行き

自分の顔色に合う小ぶりなスカーフかマフラーを探す。

顔に近づけて鏡を見ると、パッと顔が明るく見える色が必ずある。

それが似合う色というやつだ。

陣営お仕着せのジャンパーが似合わない色でも

顔から一番近い首に似合う色を持ってくれば、疲れや年齢が顔に出にくい。


老ウグイスの敵は、疲れると顔に出るドヨンとした“影”だ。

似合う色は、下からスポットライトの役割をするので

影が出にくく、朝から晩までハツラツとした印象を演出してくれる。

喉を冷えから守る点でも、効果的だ。


ただし、いくら顔映りが良くても紫や赤、派手な柄物は

年配層に不評なので避けたい。

この際、好きな色はあきらめてもらう。

迷ったら白。

白でもアイボリーから青みがかったものまで色々あるので

やはり顔映りを見て決める。

白にした場合、包帯に見えてはいけない。


スカーフの色が決まったら、リップとチークの色を決める。

スカーフが茶色や緑色であればオレンジ系

青色や水色ならピンク系など、昔からの常識にのっとって選ぶ。

顔に近いスカーフの色と、肌に乗せる紅味(あかみ)とのマッチングは

肌色をより白く、美しく見せる効果が高い。


若くも美しくもないウグイスだが

それでもギャラの分、何とか役に立ちたい。

華やかで明るい雰囲気を発信できるよう、一応の努力をする私である。


最後に、最終日まで声を持たせる裏技をご披露しておこう。

これに関する検索ワードも、たまにある。

夏の選挙にゃ向かないが

首と背中の境目…風邪を引くとゾクゾクする部分に

貼るカイロをペタリ。

それだけで身体全体が温まり、エヘン虫も声枯れも回避できる。

ただし、低温火傷には注意。


(完)
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ウグイスワード・3

2015年10月02日 07時56分35秒 | 選挙うぐいす日記
私がウグイスの仕事を始めたのは、35才の時。

スタートが遅いため、ウグイス人生は加齢との戦いで

選挙を一回やると体重が5キロは減った。

そのままでいれば、さぞ痩せ細っただろうが

終わったらすぐ元通りに膨らむのは、やはり中年。


一方、美人はどうだ。

こちとらアブラ身を削っているというのに、最終日まで余裕の美貌を保っている。

美人の踏み台になるのが自分の役割だとわかってはいるが

もしや私が美しければ、どういうことになるのだろう…

もうちょっと楽ができるのではなかろうか…

しゃべれる美鳥を目指すことにしたのは、不純な動機からだった。


美鳥をもくろむ私は、まず美人ウグイスを観察。

美人は、口で自己主張しなくても

誰かがどうにかしてくれる半生を送ってきたので

声を張る習慣が無く、語彙が少ない。

気の利く人はあまりおらず、動作がおっとりしている。

これが普通の人であれば「トロい」と表現されるだろうが

美人だと「優雅」ということになる。

疲れないはずである。


しかし苦労もあるようだ。

変なオヤジに馴れ馴れしくされたり

関わりを持ちたくて、ツンデレをもくろむサドオヤジの対処はウザそう。

こういうオヤジ、どこの選挙事務所にも必ずいる。

美人は慣れているらしいが、私から見るとかなり大変そうだ。


そもそも美人は選択肢が多いので

じっくり観察して何かを得る前に、すぐどこかへ就職したり

結婚していなくなる。

結局のところ、私とは遺伝子の段階から違うということぐらいしか

わからなかった。


他にたいした収穫も無いまま、数年が経過。

そのうち、楽がしたいだの、美鳥計画だの

のん気なことを言ってる場合じゃなくなった。

さえずる舞台が無くなったのだ。


きっかけは、今は亡き義父アツシ。

彼は大変な選挙好きだった。

俗に言う参謀屋、つまり選挙ブローカーの友達が何人かいて

その人達と一緒に朝から晩まで選挙事務所に詰めるのが趣味。


アツシは、私がウグイスをやるのを嫌った。

えらそうに人前でチャラチャラするな…

そんな暇があるなら、自分達にもっと尽くせ…

というのが彼の主張である。


私もアツシの関わる選挙を避けたため、活動の場は自然消滅した。

敵味方に分かれるのもイヤだし、同じ候補はもっとイヤ。

何が悲しゅうて、外に出てまで大嫌いな舅と関わりを持たにゃならん。

しかも家事をしいしい選挙に駆けつけるのは

かなりしんどいと身にしみていたので、それでよかった。


ここで初めてわかったことがある。

美人ウグイスが美人のままでいられる最も大きな理由は

父ちゃんや子供のために、せっせとご飯を作らなくていい環境にいるということだ。

独身か、子供がいないか、または元気な母親が全面協力している。

遺伝子も違うけど、環境もはなから違っていたのである。



私のウグイス人生は、これで終わるはずだった。

しかしそこへ、世代交代の波が到来。

アツシの糖尿病が悪化して、選挙事務所に詰めるのが辛くなってきたのだ。


立候補者も変化してきた。

口うるさいご意見番にかしづき、もの入りなブローカーを使う

クラシックな選挙祭でなく

しがらみ抜きのコンパクトな選挙を目指す若手がチラホラ出始めた。


私はコンパクト派の候補から、直接依頼されるようになった。

誰かを介してウグイスを紹介してもらうと

そこからしがらみが生まれるからだ。


向こうは初めてで、何もわかっちゃいないので

私の乏しい経験が頼り。

加えてアツシの息子の嫁というプロフィールが、私にゲタを履かせた。

選挙界では有名な、あのアツシさんの家族だから

何でも知っているに違いない…

嫁というのは誰でも可愛いもので、その嫁を出すんだから

アツシさんも陰で応援してくれているに違いない…

実態を知らない人々からそう思い込まれた私は、事務所で尊重された。


「違う」と言ったら「謙虚」と言われ

「逆だ」と言ったら「謙遜」と言われ、非常に困ったが

うちの嫁舅問題を他人に説明するわけにはいかない。

放置していたら、参謀の一味という身の上になっていた。

楽がしたいどころか、以前よりずっと忙しい。


「知らんぞ!」

私は叫びたかったが、たまたま選挙は他の人々の尽力で当選した。

感謝されて、穴があったら入りたかった。

父親の虎の威を借りる、我が夫やその姉を軽蔑してきたが

私も同じ穴のムジナであった。

活動の場を失う原因になったのもアツシだが

美のゲタが無い私に、風評というゲタを履かせてくれたのも

彼だったというわけ。


ともあれ、自分はまだまだ初心者だと思っていたけど

まったく初めての人の中では、ベテランということになるらしいと知った。

初出馬の候補とその家族は、言われなき中傷やクレームに遭いやすく

傷つきやすい。

わたしゃそんなの、自分の家で慣れている。

しぶとい年増の図々しさ、厚かましさが

心細い人々を安心させることも知った。


私は謙虚や謙遜をやめた。

ここに自信満々のベテランウグイスが、いきなり誕生したのである。


(続く)
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