殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

楽しいファッション

2022年01月27日 14時37分57秒 | みりこん流
コメント欄の常連というか、もはや10年超えのファミリーであるモモさんが

私の今のファッションに対する想いを教えてと言ってくださった。

訪問してくださるかたが、どんなことに興味を持っておられるかがわかるため

ネタを振っていただけるのはありがたい。

お洒落は大好きなテーマなので、次に予定していた辛気臭い記事をさっさとやめた。



田舎の庶民レベルながら、これまで自分はファッションを楽しんできたと思っている。

高級ブランドのご自慢やご披露は裕福な人にお任せするとして

庶民には庶民なりの楽しみ方があるものだ。


「30年後に写真を見ても、おかしくない物を着るように」

オーソドックスを重んじる実家のコンセプトはこれだった。

しかし結婚して束縛が無くなると、やりたい放題。

やがて、来るわけないわい、とタカをくくっていた30年後が訪れ

おかしくて笑っちゃう写真がたくさんある。


そんな私も、はや62才。

勤めていた頃は新年会や忘年会、歓送迎会、旅行に出張、接待その他

気張ってお洒落をするチャンスもあったが

仕事を辞めてからはテキトー方面に一直線。

外出の際はコーデの良し悪しや季節の先取りよりも

まず涼しいか、または暖かいかをクヨクヨと検討する始末だ。


今じゃトップスは、同級生の友人マミちゃんが経営する洋品店

ボトム、つまりパンツだかズボンは生協の宅配で済ませることが多い。

落ちたものよ…我ながら、そう思う。


とはいえマミちゃんの店には、わりと有名なメーカー、“コムサ”を始め

派手じゃないけど何だかお洒落で、着心地の良い物が揃っていて

彼女のセンスが私には好ましい。

問題は、ターゲットが年配女性のため、股下が短くてパンツが買えないことだ。

仕入先に問い合わせてもらっても、製造してないと言われる。

その点、生協の宅配は股下の選べるパンツがある。

合う丈を探して歩くより、手っ取り早い。


これから先もこの方針で行くと思っていたら

昨年の夏、マミちゃんの店のパンツに革命が起きた。

彼女の店はワコールも扱っていて、注文販売をしている。

そのワコールのジーンズ風パンツに、トール(長身用)丈が出たのだ。


このパンツは以前、マミちゃんの店のマネキンがはいていたのを試着したことがある。

パッと見は本物のジーンズみたいなのに

ステッチもボタンもポケットもシワも、ぜ〜んぶ絵。

その面白さもさることながら、優しい肌触りとウエストゴムの楽な着心地

加えて細く見せる秀逸なラインはしっかり印象に残っていた。

もちろん私には短くてステテコみたいだったので、買えはしない。


それがこのたびトール丈が出たというんだから、さっそく2本買う。

今風の土管のような型と、ストレート型。



生地がひんやりと涼しくて、夏は最高だった。

ただし普通丈には冬用の裏起毛があるけど、トール丈に冬物は無い。

だから冬は、相変わらずの生協のパンツだ。



それから私のファッションに欠かせないアイテムは、スカーフやマフラーの類い。

年を取ると喉を守りたくなるのもあるが、差し色の役目をさせたり

さりげない自己主張に便利というのもある。


何をまとえど変わり映えしない年令、姑の扶養、目前に迫る年金生活。

もはや、衣装にうつつを抜かしている場合じゃない。

着道楽は、現役の人やお金持ちがやったらいいのだ。

その点、マフラーやスカーフは比較的安価でありながら効果が大きい。

隅に置けないアイテムなので、真剣に選ぶ。

この年になるとカシミヤもブランド品も人並みに持ってはいるけど

私にとって大事なのは、値段じゃないの。

とにかく色なの。

自分が楽しくなる、綺麗な色彩。



これは何年も前、おば服専門店で買ったマフラー。

2千円しなかったと思う。

素材は化繊なので、家で何十回洗ったか知れない。

古い物をお目にかけて申し訳ないが、一番使いやすい。

これを巻いていたら、どこへ行っても「素敵」、「可愛い」と言われる。

素敵や可愛いが私でなく、マフラーに向けられているとわかっていても嬉しいものだ。



このマフラーに、マミちゃんの店で買った薄手のダウンジャケットを羽織る。

ダウンは、マフラーと同色の紫。

マフラーの色に合わせて、取り寄せてもらった。

アクセントカラーのターコイズブルーが映えると思ったからだ。

服よりマフラー優先の私よ。

この紫セットにインナーは淡いグレー、パンツは白のストレート。

今、気に入っている冬のスタイル。


同じ色合いの紫のマフラーは他にも持っていて、黄緑や白の上着に合わせることもある。

思い切った色のマフラーだと、洋服が何色でもけっこう合う。

スパッとした気持ちのいい色合わせが好きだ。


黒っぽい物が嫌いなわけじゃないけど、暗いじゃん。

黒を極力着ないようにすると、楽しい色彩を選ぶようになり

パステルカラーが似合わないので原色になる。

結果、それを派手と呼ぶが、もはや還暦超えの私に文句をつける者はいない。


で、原色の洋服で履く靴のひとつが、これ。



着る物やマフラーが可愛い時は、足元を可愛くなくするのが私の主義。

どこかで辛口にしないと、乙女趣味に見えるような気がするのだ。

大柄の乙女趣味はイタい。

オバさんだと、もっとイタい。

それを防ぎたい一心である。


この靴は、マミちゃんの店で注文販売しているアジーレというメーカーのもの。

黒や茶色のおとなし系から花柄や豹柄の賑やか系まで

素材や色柄、デザインに様々な種類がある。

一度買ったらすごく楽だったので、一昨年あたりからこれに凝り始め

新作が出たら注文している。

可愛くない服の時に履く花柄なんて、凝っていてすごく可愛い。


しかし値段のほうは、あんまり可愛くない。

一足、2万円から3万円弱。

年を取ったら転倒防止のために足元が大事というけど

まさか自分もハイヒールよりこっちが良くなるとはね。


実はこの靴、嫌われている。

カタログで注文する時、一緒にいたユリちゃんは叫んだ。

「ギャ!これにするの?怖い!」

お寺の人なので、爬虫類に嫌悪感があるのだ。

本物じゃない、プリントだと言っても聞きゃあしない。

だからイタズラ心が芽生えて、注文した。


その後、メーカーからマミちゃんに何度も確認があったという。

「本当にこれでいいんですか?」

年配者が中心のマミちゃんの店で、こんな物を注文するお客はいないからだ。

メーカーから電話があるたびに、マミちゃんは私に確認する。

「本当にこれでいいの?なんか、すごくワイルドよ?大丈夫?」

私はそのたびに、答える。

「これでいい、これがいい」


靴でもバッグでも、爬虫類の柄は原色の洋服に合わせやすいので選んだはずだが

ここまで来ると、もう意地しかない。

で、届いたのを履いたらパンツに隠れて靴先しか見えないため

さほど奇異ではないように思うが、脱いだらやっぱり怪獣っぽい。

ユリちゃんが嫌うので彼女がいる時は履けない、場所を選ぶ不便な靴である。



あ、パンツのことを話したついでに、ひんしゅく覚悟でお話しするけど

もう一方のパンツは、トラタニという国産メーカーと出会って長い。

最初は生協のカタログで見つけ、気まぐれで注文したが

下着にまつわる各種の不満やストレスは全て解消された。

これには長年愛用していたワのつく有名メーカーも、かなわない。

見た目はダサいが、庶民の私が知る限りでは最高。

しかし最近、コロナの影響ということでカタログに載らなくなった。

ストックが無くなる前に再開して欲しいと願っている。


というわけで田舎主婦でありながら、はなはだおこがましいが

洋服でなくマフラーからスタートする逆転の発想や甘辛の調節など

私のファッションに関する想いをお話ししてみた。

あれこれ買わなくてもお洒落は楽しいよ!という気持ちが伝われば、幸いである。
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春はあけぼの…

2022年01月20日 09時02分33秒 | みりこん流
春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて(早朝)…

四季を愛でた清少納言の筆を借り、何をぞ問うかといえば

春はあけぼの、マスカラはコーセーのVisee(ヴィセ)。

はん、私のことだからこんなもんよ。


マスカラの重要性を再認識したのは、昨年12月。

市内のとある場所で、2〜3才年上の女性とたまたま知り合った。

独身の彼女は長年、町の企業でパートの清掃員をしているという。

どちらかといえば地味なプロフィールに違和感をおぼえるほど

明るく美しい人であった。


お顔の造作は一般的でありながら、何が彼女を輝かせているのか。

私は例のごとく観察するつもりだったが、話の内容からすぐにわかった。

彼女は別のことを話す過程で軽く触れたのだが

年老いて入退院を繰り返す両親を、一人で引き受けているらしい。

毎朝の出勤前、実家に立ち寄って仏壇の世話もやっているらしい。

だから肌に透明感と艶があって、綺麗なのだ。


あら、本当よ。

親を含む先祖を大切にすると、高いクリームを塗るよりよっぽど肌が綺麗になる。

精神世界を説くつもりはない。

還暦を過ぎたら、生活リズムや心がけが肌に現れやすいという物理的結果である。


「あ〜、それで美しいのね…」

思わずつぶやくと、彼女は言った。

「本当?嬉しい!

しんどい時もあるけど、自分しかいないから、やるしかないと思ってたの。

これからは喜んでやるわ!」

素直なところも可愛らしい。


そんな彼女をさらに美しく盛り立てているのが、長いまつ毛。

エクステだ。

自前のまつ毛に人工まつ毛を1本ずつ接着して長く見せる施術で

顔を洗ってもしばらくは取れないため、24時間アイメイクしているみたいなもの。

独身だと時間とお金の融通がきくので、エクステに通えるのだろう。


若い娘ならいざ知らず、こんな田舎でまつ毛エクステ…

通称まつエクを施している年配者は滅多にいない。

しかもどっかの国の元防衛大臣と違って

自前だかエクステだか判断しにくいほどナチュラルな形状は

シンプルで上質な白いセーターと共に、お洒落の上級者を物語っている。

車も昔で言うミニクーパー、今はミニと呼ばれるお洒落なやつだ。

彼女は再会を約束し、エプロンや作業着の似合わないミニに乗って帰って行った。


爽やかな風が吹いたような出会いはさておき

他にこれといったアイメイクはしてないのに、あの素晴らしいまつ毛。

まつ毛に存在感を持たせれば、可愛くなれるらしい。

感動をおぼえた私は、さっそくまつエクに…

行かないよ。

だって、年寄りの目元はデリケート。

今後もブログを続けたいから、目は大事だ。

お勤めをしているわけでもないので、人様に見ていただく必要もない。

美のために、見知らぬ施術者を信じて冒険する気は起きないのだ。


そこで、古来より普及しているマスカラに再注目。

少ない労力で目を大きく見せるマスカラは、元々好きなメイクアイテムだったが

速乾性、年相応の自然かつ効果的な仕上がり

そして落としやすさの三点を重視する私は、長いことヴィセを愛用している。

合間でさまざまなメーカーの物を試しもしたが

年寄りの目元に負担が少なく、仰々しくなく、使いやすく

田舎のドラッグストアで買える物となると、やっぱりヴィセに戻る。


これは私の厳しい基準を余裕でクリアしているばかりでなく

価格も1,600円と安い。

20年ほど前は、何げに高級感漂うシルバーの容器だったが

いつの間にか庶民的な黒いプラスチック容器に変わり

プチプライスの化粧品売り場に並ぶようになった。


同級生の友人マミちゃんも、ヴィセのマスカラを使っている。

彼女の経営する洋品店は、某有名化粧品メーカーのチェーン店でもある。

つまりマミちゃんは洋服も販売するけど化粧品も販売していて

お客様にマッサージやメイクを施術する美容のプロでもあるのだ。

その彼女がこっそり使っているのだから、かなりの説得力。


実はマミちゃんのマスカラ、以前から気になっていた。

化粧品を販売しているのだから自分の店の商品を使うのは当たり前だが

午後になると、彼女の目の下は黒くなる。

だから私は、マミちゃんの店でマスカラだけは買わなかった。

ここのメーカーのマスカラはNGと、マミちゃんの目元が証明しているからだ。


それがある時から、マミちゃんは一日中、綺麗で長いまつ毛を保つようになった。

聞けば妹がヴィセを使っていて、貸りたらすごく良かったので

使うようになったという。

私もヴィセだとカミングアウトし、二人で笑ったものだ。


ちなみに私は2種類のヴィセを使っている。

1本は、まつ毛のカールをキープしつつ長く見せるタイプ。

これをまず使ってカールをキープした後

ボリューム、つまり、まつ毛を太く見せるタイプを重ねる。


お洒落心の2本使いではない。

最初はマスカラに書いてある字が小さくて見えないので、当てずっぽう。

で、家に帰って虫眼鏡で見たら

買っていたのは太く見せるボリュームタイプだった。

ボリュームは出るけど長さが欲しいということで、カールキープの方も買い足す。

昔から使っていたのは、このカールキープの方だったようだ。

その頃はよく、「どこのマスカラ使ってるの?」

と、色々な人からたずねられたものである。


カールキープの方は、まぶたが上がって目玉に輝きが出るが、ボリュームは出ない。

加齢でまつ毛が減った現在、本数では勝負できなくなったので

残り少ないまつ毛をせめて太く見せたいではないか。

そこで2本使いに落ち着いた。

それをいちだんと念入りに塗りつける、今日この頃の私である。


あれこれ話したかったのに、マスカラ愛で終わってしまったぞ。

興味の無いかた、ごめんあそばせ〜!
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透明人間

2022年01月14日 15時10分55秒 | 前向き論
前回の記事、『おしまい感』のコメント欄で

しおやさんが、お舅さんが亡くなられた時のことをお話ししてくださった。

しおやさんは言わないが、彼女のことだから

病気のお舅さんに誠心誠意、尽くされたことだろう。

けれども伴侶を見送ったお姑さんの記憶に残るのは、血を分けた娘のたまの見舞い。

嫁の彼女は、自分が透明人間になったような感覚だったという。

透明人間とは、何ともうまい表現だと感心した。


しおやさんの特許である“透明人間”の言葉を借りて話を進めると

自分が透明人間になったような気分は私にも覚えがある。

覚えがあるも何も、結婚してから40年余り、透明人間になりっぱなし。

嫁の立場で何が情けないといって

何かあるたびに、自分が生身の人間として認められてないのを思い知ることだ。


阻害されるだの、認めてもらえないだのといった生易しい騒ぎではない。

そもそも一人の人間としてエントリーされないのは悔しいし、傷つきもする。

そして、何とか承認してもらいたいと頑張る。

賞賛や褒美が欲しいのではない。

ちゃんと心のある一人の人間だと認めてもらおうとする承認欲求は

人類の本能だ。


が、そうはいかない。

認めてしまえば、彼らは嫁を自分たちと同じに扱わなければならなくなる。

よそから来た異分子に、血を分けた娘や息子と同じく気を使い

尊重するのはしんどいし、シャクだ。

よって、この事態を避けようとするのも人類の本能。

そのためには嘘や捏造、記憶のすり替えも平然と行われる。


嘘や捏造によって、事実が事実でなくなるのを目の当たりにする透明人間は

その度に驚き、傷ついて疲弊するが

やる方に悪気は無く、いたって無邪気なものだ。

各自の生い立ち、性格、経済状態によって違いは生じるが

そもそも透明人間が出現する家庭というのは年長者に理性が乏しく

動物的本能が強い傾向にあるため、改善の可能性は無い。

どんな出来事が起きようと、どんな薬を飲ませようと彼らは変わらない。

だから透明人間の方が、「それでも生きて行ける道」というのを探すしかない。

透明人間歴40有余年の私が解明した透明人間化のメカニズムは、こんなものだ。


で、私の透明人間ぶりだが、うちには何しろ嫁ぎ先から毎日帰って来る小姑がいるので

嫁は当然、透明人間でなくては困る。

身体の弱い母親に代わって家事や家業を手伝わせるため、という理由を提示して

婚家を納得させているからだ。


夫も、私の透明人間化に熱心だった。

何しろ愛人がいる。

妻とは別居中、あるいは出て行って離婚待ち、または最初から未入籍など

相手によってさまざまな理由を述べながら私を透明人間に仕立てた。


やがて、義父母は交代で入退院するようになった。

私は確か、子育てと家事をしながら家に残る片方の親の世話をして

洗濯物を持って遠い病院に通い、退院後は家で看病したように思う。

しかし終わってみれば、全て娘がやったことになっていた。

娘は病院の枕元に座り、見舞客を待ち構えていただけと思うが

元気になったのは娘のお陰ということで、娘だけに10万円の謝礼が支払われた。

この扱いの差に、私は憤慨したものだ。

が、金の使い方を間違えた人の末路にたがわず

娘への謝礼はだんだん減ってそのうち無くなり

やがては入院費にことかくようになったので密かに溜飲を下げる。


義父の最後の入院では、病院食が食べられない彼のために

確か数年にわたって弁当を差し入れていたような気がする。

しかし病院では、妻と娘の愛情弁当ということになっていた。


平行して確か、義父の会社の倒産を合併によって回避し

その合併先のサポートで新しい会社を立ち上げた記憶があるが

これもいつしか娘のお手柄ということになっていた。

「娘が全ての後始末とお膳立てをしてから身を引き、弟夫婦に花をもたせた」

義母が折に触れ、親戚や近所の人に話しているのを目の前で聞いて耳を疑う。

娘は不渡りを出す直前で逃げたと思っていたが、あれは白日夢だったらしい。


そういえば義父の葬式も確か、私が取り仕切ったと思っていたが

これもどうやら記憶違いらしい。

しっかり者の娘のアドバイスにより、立派な葬式ができたそうだ。


最近では確か、義母の糖尿病が全快したようだが

これも娘の食事療法の賜物らしい。

「娘がおかずを持って来てくれて、それを食べていたら治った」

医師から食事療法の内容をたずねられた義母は、そう説明したという。

以後、会う人ごとに同じことを言いふらすが

ルイーゼが自分の家の食べ残しを持って来るのは、月に一度か二度。

その頻度でしつこい糖尿病が全快するのであれば

ぜひ学会で発表するべきだ。



そういうわけで、なかなかの透明人間ぶりを地で行く私だが

義父が他界してからはどうでもよくなった。

悟りが開けたのではない。

一人欠けて、透明人間になる回数が半減したからだ。

やっぱりこういうことは、死ななきゃ終わらんらしい。


とはいえ長年にわたって透明人間をやっていると

ある法則が存在することも、うっすらとわかってくる。

透明人間にされるたび、自分は厄落としをしているような気がするのだ。

そして自分に降りかかるはずの災厄は

自分を透明人間にした人物が受け取ってくれる。

そう思って見ていたら、全部ではないが高確率で符号するので

なるほど、とうなづけるはずだ。


となると、透明人間もまんざら悪いばかりではない。

透明人間にされるのは、それが彼らにとって難しい仕事で

思わず横取りしたくなるレベルだからだ。

自分にそれをやり遂げられる実力があることこそ、喜びである。


自分を変える、自分が変わるとは、そういうことなんだと思う。

だけど、好きで変えたんじゃない。

「それでも生きて行ける道」を探しただけである。
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おしまい感

2022年01月08日 08時42分47秒 | みりこんぐらし
この年末年始は、体力的にきつかった。

寄る年波というやつで年々きつくなっているが、今回は過去最高だった。


もちろん大掃除や正月の食料に関する対策は、しっかりやったつもり。

ガラスだらけの我が家におけるクリーン作戦では

伸縮する棒の先にアクリル繊維の雑巾とゴムのワイパーが一体化した物を用意。

脚立を使いたくないからだ。

昔は高い所が平気だったが、近年は恐怖を感じるようになり

脚立を運ぶのも重たくて疲れる。


ガラスクリーナーも今までの液体ではなく

ヘアスプレーのような缶に入った泡状の物を買った。

泡の物は、液体タイプより早く綺麗になるからだ。

液体より割高、詰め替え不可能、燃えないゴミが出るという理由から

なるべく避けていた泡状だが、もう背に腹は変えられない。


そして正月料理、つまりおせちは洋風と和風の二組を買って満を辞する。

元日から食事の支度に追われる悪習慣に抵抗するためだ。

しかしこのような物理的努力も虚しく、たいした成果は上がらなかった。

男どもが7日から出勤したので、私はようやくひと息つけるありさまだ。


敗北の原因は私自身の加齢もあろうが

86才になった義母ヨシコの加齢も関与している。

家事をしないのは昔からなので慣れているが

年を取るにつれて寂しさがつのるらしく

子守りならぬ婆守りに時間を取られるようになったのだ。

彼女の取り留めのないおしゃべりを延々と聞いたり

彼女のやりたいことや行きたい所の希望を叶えなければ解放されない。

あとは勘違い、聞き違い、心変わりに翻弄され、夫も私も疲労困憊した。


そんなに寂しけりゃ、早く旦那の所へお行き…

と言えないのが辛いところよ。

先立たれた伴侶の所へ行くどころか

ヨシコは長年の持病だった糖尿病が昨年秋に全快して

ますます元気バリバリだ。

人にもよるんだろうけど、糖尿病は治るらしいぞ。


ともあれヨシコの老化が、我々の生活に影響を及ぼし始めたとなると

今年からは年末年始の対策を練り直す必要がある。

まだ長生きするつもりなら、我々もそのつもりで対応しなければ

先にこっちがやられてしまう…

そんな忸怩たる思いにさいなまれる私の日々を支えたのは、これだった。




何かわかる?

かっぽう着。

同級生の友人マミちゃんの洋品店で1枚買ったところ

あまりにも暖かくて動きやすいので

色違いをあと2枚、急いで買い足した。

一着2,750円(税抜き)也。


従来、私はエプロンやかっぽう着の類いをあまりしない主義。

家事に従事する時間が、人様より多分多めの私なので

そりゃ、やった方が便利に決まっている。

しかし、こういう物を日常的に着るようになったらおしまいという概念があった。

だって、ただでさえ5人家族の家事に追われてるのよ。

夫婦と子供3人の5人家族じゃないのよ。

姑と社会人の男3人の世話は、時間が揃わないからきついわよ。

そこにエプロンまでしたら、奴隷気分じゃんか。

本当に飼い殺しの女中になってしまう気がして、意地になっていた。


それでもたまにエプロンを使う時は、コットン素材。

化繊は火がついたら怖いじゃんか。

静電気も嫌じゃんか。

でも今どきは、大丈夫なのね。

モコモコなんだけど燃えにくいし、静電気も起きない。


柄は猫。

正直なところ、不本意。

だってこの猫、あんまり可愛くないんだもの。

が、贅沢は言えない。

マミちゃんの店、おしゃれメイト・マミのエプロンコーナーは本来

猫好きなお寺の嫁、ユリちゃん御用達の雰囲気。

毎年、冬が来ればユリちゃんはガバッと大人買いするので

照準は彼女に合わせてあるのだ。

あとは地元のおばあちゃん用に地味な色柄の並ぶ、特別な一角。

今年、ユリちゃんから暖かさと便利さの説明を受け

ここに初めて足を踏み入れた私だった。


お寺って、容赦なく寒い。

彼女がこのかっぽう着を愛用するからには

飛びきりの暖かさが保証されているようなものだ。

しかし私には、やはりいちまつの躊躇があった。

これを着たら、ユリちゃんみたいになるという現実である。


身長が低くて横幅がかなり太めのユリちゃんが

このアクリル毛布みたいなかっぽう着を着たら、全身のシルエットが“四角”。

つまり正方形の箱の上に、丸い頭が乗っている状態だ。

私も細身とは言えないので、ほぼ同じ形状になるだろう。

なんて恐ろしい…。


が、暖かさの誘惑には勝てず、私もかっぽう着の人となった。

心配したシルエットは、茶筒に足が2本って感じ。

四角ではなかったので、まあ良しとする。

昼でも布団に入ってるみたいな、この暖かさを知ってしまったら

もう意地や格好なんかどうでもええわ。

いやはや、便利な物が出たもんだ。
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手抜き料理・新年早々、寺

2022年01月05日 21時26分02秒 | 手抜き料理
明けましておめでとうごさいます。

旧年中は大変お世話になりました。

皆様の温かいコメントや応援ポチを励みに、ブログを続けることができました。

本当にありがとうございました。

本年も皆様のお幸せを祈りながら

できるだけ楽しい記事を書かせていただきたいと思っております。

引き続き、よろしくお願い申し上げます。




さて、遅ればせながら新年のご挨拶をさせていただいたところで

新年一発目はめでたげな内容にしたいと思い

3日に行ったユリ寺の初勤行(はつごんぎょう)のことをお話ししたいと思う。


初勤行は、同級生ユリちゃんの実家のお寺で行われる新年の行事。

檀家でない我々夫婦が、この行事に参加するようになって何年経つだろうか。

初めて参加した時に小3だか小4だかの男の子が、今は中学生なので5年ぐらいか。


好きで行ってるわけではない。

「お正月、うちへお雑煮食べに来ない?」

仲良し同級生のけいちゃん、モンちゃん、マミちゃん、私の4人は最初

ユリちゃんにそう言って誘われ、みんな即答で行くと言った。

しかし、あとの3人はそれぞれ用事ができて、年末には私一人。

仕方がないので人数を増やそうと思い、夫と一緒に行くようになった。


私がお人好しというより、あとの3人が賢かったのだ。

信者でないのに長いお経に付き合うだけならまだしも、手ぶらで行けない…

つまりお供えの現金が必要なことを、3人は野生の勘でキャッチしていたに違いない。

同級生5人会の中で私が一番アホだったことは、ここで証明された。


以後、我々夫婦は初勤行に皆勤を続けているが、近年では私より夫の方が積極的。

ユリちゃんのご主人モクネン君や、去年からユリ寺の総代になった例の芸術家の兄貴と

すっかり親しくなったからだ。

何やら男同士の話が合うらしい。

わかるよ…キャバクラ通いで鳴らしたモクネン君に

結婚の達人…つまり複数回の結婚を繰り返した兄貴

そして先天性浮気症の夫だもの、そりゃ話は合うでしょうよ。

今は彼らも大人しくなったけど、ある意味ディープな人生を体験した男たちの共感は

けっこう強いものがあるんじゃないかしらん。


私はというと、ほぼ惰性。

最初は行っておよばれするだけだったのが、檀家の高齢化によって

準備と後片付けを手伝う労働の一日になってきた。

そして今年は名実共に料理番。

雑煮を煮る鍋物の材料購入と下準備だけは

依然としてユリちゃんの兄嫁さんがしてくれるが

あとは私が早めに行って切ったり並べたりするので、いつものお寺料理と変わらない。


この日は息子たちの釣った魚があったので

家で刺身にしたり焼いたりして持って行った。

ユリちゃんとは何の打ち合わせもしていなかったので

勝手なことをして気が引けたが、正月休みの息子たちはそれぞれ釣り三昧で

家には魚が有り余っている。

お寺の人々に食べてもらわなければ、始末におえない。


朝、それらの品々をユリ寺に持ち込むと、ユリちゃんたちは非常に喜んでくれた。

去年は韓国人の檀家さんが、自称本場のチヂミとやらを焼いてくれたが

今年はその人が来ないので鍋物しか用意しておらず

食卓が寂しいと思っていたという。


そうなのよ〜。

一昨年までは鍋物オンリーで、誰も何とも思わなかった。

だけど一回、別の物を作ってしまうと癖になっちゃうものなのよ。

いっぺんチヂミ作ったんなら、今年も来て作れよってんだ。

でも、わかるよ。

次の年も期待されるようになったら、かったるいよね。

一回賞賛されれば、もういいよね。

だから来ないんだよね、チヂミ夫人は。

みんな、賢いなぁ。


ではバカの私が持って行った、料理とは言い難い品々をご紹介させていただこう。

この日は総勢12人の会食だった。


先に、兄嫁さんが用意してくれた雑煮鍋




昆布とカツオに白醤油とみりんを合わせた吸い物ふうの出汁に

この肉団子をスプーンで入れるのじゃ。

すごく美味い。

ちなみにお餅は、一個ずつパック包装してあるやつを入れる。



長男が山口県の周防灘で釣ってきたブリの刺身


ユリ寺のお雑煮会の前日に帰って来たので、タイミング良く刺身にすることができた。

ユリ寺で刺身をふるまうのは初めて。

今までは暑かったり日にちが合わなかったりで、刺身を出す機会が無かった。

養殖のブリは脂が乗って柔らかいが、天然ものは身が硬めで脂っこくないため

たくさん食べられる。

天然が初めての人が多く、珍しかったみたい。

隅っこにはチヌ(黒鯛)の刺身も潜んでいる。



刺身醤油はお寺にあるのを知っているので、持って行かない。

チューブ入りのワサビを2本持参。

1本きりじゃあ、皆に行き渡るのに時間がかかるから。

刺身を持って行っただけで得意がるのは、ガキじゃ。

ワサビを探させて相手方をわずらわせるのは、大人として恥である。


思えば、刺身ほど簡単な料理は無いかも。

私は最初に皮を剥がさない主義。

皮の方を下にして、まな板に起き、身から包丁を入れて皮まで届いたら

包丁を寝かせて皮から身を分離させる。

先に皮を剥がして素っ裸になった身を切ろうとするから

うまく皮が剥がれなくて失敗するのだ。


このやり方は、魚屋さんに習った。

板前さんにはせせら笑われるかもしれないが

すごく早くて意外と簡単なため、素人には適している。



チヌ(黒鯛)の焼いたの


鯛の方が良かったが、チヌしか釣れなかったので

仕方なく焼いて持って行った。

だって、うちでは誰もチヌを食べないんだもの。

あの人たちに食べてもらうしか、処分方法は無い。

魚が大好きという中学生男子ともう一人、檀家さんの息子さんが大喜びだった。



焼き芋


前にお寺で出した時は鹿児島の“紅はるか”という品種だったが

今は真冬なので熊本の“糖蜜芋”に変わっている。

紅はるかも糖蜜芋も、ものすごく甘くて私はちょっと苦手だが

皆さんには大人気で奪い合いだった。

檀家さんに出すのは今回が初めて。

喜んでくれたので、良かったと思った。


作り方は超簡単なんじゃ。

一個ずつアルミホイルに包んでストーブの上に放置するだけ。

そのうち甘い匂いがしてきて、触って柔らかかったらできあがり。

究極の手抜き料理だ。


けれども実はこれ、仕入れに手間がかかる。

次男の知り合いの食品問屋をやっているお爺ちゃんに分けてもらうのだが

家がちょい遠いのだ。


買いに行くと約束していた大晦日は、雪だった。

お爺ちゃんの家は北部なので、我々の住む沿岸部より

もっと大変なことになっているのは火を見るよりも明らか。

芋なんかどうでもいいから行くな!と止めたが

次男は雪がひどくならないうちにと、まだ暗い朝6時に出発した。

まんじりともせず帰りを待ったが、無事に帰ってきたのでホッとしたものだ。

もちろんそんなこと、ユリ寺の面々は知らない。

知ったところで、選民は何とも思わないだろう。


楽しい会食が終わり、選民モクネンさまは静かにおっしゃるのであった。

「山口のブリは堪能させていただきました。

で、息子さんは東北で釣りをされる予定は無いんですか?」

「は?」

「特に青森の大間とか…」

大間でマグロを釣って来いとおっしゃっているのだ。

おまえが行け…

ヘラヘラ笑いつつ、心の中でつぶやく私だった。
コメント (6)
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