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殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

手抜き料理・大人数編

2021年08月24日 08時01分52秒 | 手抜き料理
今月の16日は同級生ユリちゃんの実家のお寺で、また料理を作った。

この日は、“施餓鬼供養(せがきくよう)”。

お寺にとっては大きな行事で、毎年行われる。

餓鬼に施すと書くからには、地獄でお腹を空かせ

餓鬼と化した亡者を供養するのかと思っていたけど

それだけではなく、全ての人間が多かれ少なかれ持っている

心の飢えや渇きを満たす目的もあるそう。


飢えや渇きより、台所の灼熱地獄をどうにかしてもらいたい私。

お経じゃどうにもならんわねぇ…と思っていたら、お盆はずっと雨じゃんか。

16日も朝から降ったりやんだりで涼しく、私の心は満たされた。


去年もそうだったが、この日は檀家さんが墓参りがてら行事に参加するため

家族連れもいて人数が多い。

だからちょっと気合いを入れて…と言いたいところだが

持ち帰りの折り詰めを減らせばいいだけなので、いつも通りだもんね。

洗い場担当のモンちゃんは仕事で欠席だけど、マミちゃんと2人で余裕よ!


しかし当日、お寺へ行ってみて、自分の見通しが甘かったと思い知る。

いつも通りの10時半に到着すると、台所が地獄絵図。

流しや調理台は洗い物の山、作業台も床も荷物置き場と化して歩くのもままならず

持ち込んだ料理を置くスペースも無い。


行事の時は、煮物や酢の物などの精進料理で構成されたミニチュアのお膳を3セット

仏前に捧げる習わしがある。

それを作るユリちゃんたちが、早朝に台所を使うこと…

檀家さんの供え物が届くので、それら現物や箱の類が台所に散乱していること…

言うなれば、ユリ寺のシステムをうっかり忘れていたのだ。

まず片付けから始めなければ、米を研ぐスペースすら無い。


「行事の準備を手伝ってくださる人が年々減って

私と義姉しか手が無いから片付ける時間が無くて…」

ユリちゃんはしきりに弁明するが

我々に片付けさせようと放置していたのは、今までの経験から明白。

だんだんひどくなってる。

台所はメチャクチャでも、ユリちゃんお得意の生け花は

今朝、生けたらしき新鮮を保ったままに飾ってある矛盾もお決まり。

人のことは言えないけど、片付けや掃除が苦手な人は得意分野に逃げるものさ。


片付けるのはかまわないが、会食は12時開始と決まっている。

間に合うのか?

私の担当分は、ほとんど家で作ってきたが

マミちゃんはお寺でかぼちゃコロッケを揚げるつもりだったので

揚げに専念してもらい、カバーに回る。

あと何分…時間を逆算しながら走り回る、このスリル。

病院の厨房時代を彷彿とさせられて、燃えるわ〜!



どうにか間に合った今回の会食は、総勢21人。

お祭の日を除き、ユリ寺でこの人数はお初じゃないかしらん。

この日は家族でお参りに来て、そのまま残る人が多かったのだ。


テーブルの全貌


思わぬ盛況に、ユリちゃん夫婦も嬉しそう。

座る席が無くなったので私とマミちゃんは別室で隔離状態だけど

このご時世に、知らんぞ、あんたら。

「うちらの功績も、ちょっとはあると思う」

「ほんま、ほんま、あの料理見たら帰られんよ」

我々は、密かに話すのだった。



みりこん作、冷やしソウメン汁


6月のお祭にも作ったが、この日も作ると決めていた。

前回、マミちゃん作のスープカレーを装ったトマトカレーは

ユリちゃんたちには大好評だったが、老人には厳しかったらしい。

その時、檀家最年長の85才のおばあちゃんが

「次はソウメンでいいからね」

と私に耳打ちしたので、ソウメンは外せなかったのである。


ソウメンは大きな鉢に盛ると楽だが、コロナのご時世柄、自粛して個別。

トッピングの錦糸卵、干し椎茸の甘辛煮、ミョウガ、大葉、カマボコは家で切って持参し

現地でソウメンだけ茹でた。

出汁は現地でヤマキ麺つゆ2倍希釈を水で4倍に薄め、アルミ鍋に入れておく。

その中へビニール袋に入れた氷をドボン。

こうして冷やしておいたものを、出す直前にかけた。


上はマミちゃん作、キュウリとトマトの中華風サラダ。

ドレッシングに入れた豆板醤がミソだそう。



みりこん作、鶏むね肉のチーズピカタ。


これは病院のメニュー。

安いし、疲労回復の成分が入っているそうなので鶏むね肉は今、ブーム。

一応、作り方をご紹介しておこう。


①ピカタ液を作る

・溶き卵テキトーに刻みパセリと粉チーズをガバッと入れ

薄口醤油でテキトーに味付け

(多過ぎて参考にならんだろうが、目安として…

この日は鶏むね肉8枚に卵7個、パセリひと束、粉チーズ1本弱、薄口醤油100CC)

②皮を除いたむね肉を1.5センチほどの厚さにスライスして

塩コショウと小麦粉をまぶす

③むね肉を一枚ずつピカタ液にくぐらては

熱して油をひいたフライパンに置き、両面がキツネ色になるまで焼く

以上。


肉をフライパンにあんまりたくさん並べると

隣とくっついて見苦しい仕上がりになるので、ほどほどの距離を保つのと

焼き過ぎないことがコツかしら。

柔らかくてジューシーで、やみつきになるかもよ。



みりこん作、ヤズ(ハマチの小さいの)の南蛮漬


例のごとく、長男の獲物。

甘酢に八角とシナモンを少し入れて、中華風を装う。

偏食で肉が食べられない兄貴の弟子のために用意したが

参加者に魚が大好物の中学生男子がいて、大半がその子のお腹に。



同じく鮎の甘露煮


例のごとく、次男の獲物。

いつもの炭焼きが面倒だったので、圧力鍋で煮た。

天然鮎が初めての参加者が多く、取り合いになっていた。

この日に限って少ししか作らなかったので申し訳なかったが、ま、いいか。



同じく春雨サラダ

もどした春雨に、ハム、キクラゲ、キュウリ、人参、錦糸卵、すりゴマを入れ

酢、砂糖、胡麻油、醤油で味付け。

錦糸卵は、ソウメン汁に使うのを流用した。

それはさておき、ソウメンがあるのに春雨。

去年も鯛ソウメンなのに皿うどんを作ったものだ。

わたしゃアホか。

でもやっちゃう。

作りたい物のひらめきは、止められないのさ。



マミちゃん作、かぼちゃコロッケ


前に作ってくれた時は本当にかぼちゃだけだったが

今回は玉ねぎと合挽き肉が入っている。

丸くて可愛らしくて、しかも美味しいと皆さんに好評。

私は数が足りなかったので、食べられなかった。


撮影しそびれたが、マミちゃんはかぼちゃの冷製スープも作っていて

これも好評だった。

紙コップに入れた、オレンジ色も鮮やかなスープにパセリを散らし

生クリームを数滴たらす、お店仕様。

こういう所に手を抜かないのがマミちゃんだ。



主食は、おむすび




番外…これ、な〜んだ?


ドライデーツ(乾燥させたナツメヤシの実)を使った

飲まない人には箸休め、飲む人にはおつまみ。

アンコのような甘味のドライデーツにクリームチーズの塩味が絶妙で

ワインにピッタリ。

デキる女を装いたいスケベ心にも、ピッタリ。


作り方は、料理というより簡単な工作。

①スーパーで、種抜き乾燥デーツを買う

②種が抜いてあるからには、種を抜き取った切れ目があるわけで

そこを探して実を縦に開く

③固形のクリームチーズを4センチの長さの棒状に切り、開いたところに横たえて埋め込む

④テキトーな大きさに切ったクルミをクリームチーズの上に押し込む

以上。


デーツは広島人にとって、馴染み深い木の実。

広島の県民食であるお好み焼きに多く使われる、オタフクお好みソースの甘味には

デーツが使われているからだ。

今は知らないが、うちの子が小学生の時は

製造元のオタフクソースから全児童に、デーツのプレゼントがあった。

一人に数粒ずつだけど、奪って食べていたものだ。


アカヌケ部門はいつもマミちゃんにお任せなので、私もたまには変わった物を…

と思って作ったが、事前に試食したユリちゃんが気に入ってしまい

みんなに出すなと言うので、出さなかった。

これはユリちゃんと兄嫁さんと、例の芸術家のアニキの3人に分割され

闇へと葬られたのである。


さて、この日は会食が終わると、皆さんサッサとお帰りになった。

いっそ人数が多ければ、デザートだのおやつだのと言っていられないため

引き際がいいのだ。

涼しかったこともあって、非常に楽ちんだった。
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ありのまま

2021年08月21日 21時43分56秒 | 前向き論

うちの犬ではありません…前にどこかで拾った画像。

表情があまりにケナゲで、お気に入りです。



前回の記事『幸せ病』のコメント欄で、いかどんさんからご質問をいただいた。

記事で触れた、“ありのまま”という言葉の意味を

いかどんさんは以前からずっと考えていらして

具体的に掘り下げていただきたいそうだ。

ちゃんと掘り下げられるかどうかわからないが

精一杯、お話しさせていただこうと思う。



本、ドラマ、歌…あちこちで登場する“ありのまま”。

同義語として、“自分らしく”というのもある。

私もこれを模索していた時期があり、その期間はけっこう長かった。


“ありのまま&自分らしく”の探索が開始されたのは、35年前。

夫の両親と同居を始めた26才の時だ。

私も若かったが、両親も50代になったばかりと若かった。

気性の激しい両親と、無知で無力な我々夫婦が狭い家の中で共に暮らし

そこには嫁ぎ先から毎日里帰りする小姑までいる。

平和なはずがなかった。


何でそんな所へ、のこのこ同居?

そう言われそうだが、発端は言わずと知れた夫の浮気。

すったもんだのあげくに女と別れた夫は

その後、私と暮らすのが怖くなって親のそばへ行きたがり

実家の増築と同居がトントン拍子に決まった。


一方、次男を妊娠中で離婚の選択肢が無かった私は

夫を親の監視下に置けば更生するんじゃないかと思ったのと

きつい両親だからこそ、早いうちに慣れておいた方がいいと考えて

夫の発作的な提案に従った。


そして夫婦共通の理由は、我々一家が実家で暮らすようなれば

義姉が少しは遠慮するだろう、というものであった。

父親の会社で働く義姉と夫の間にはイザコザが絶えなかったし

親の手先として、我々の生活に何かと口を出す義姉がうるさかったからだ。


それらの目論見が甘かったことは早晩、明らかになる。

きつい親に慣れるどころか、最初から取りつく島も無い。

同居して3日目に次男が生まれ、1週間後に退院した晩

授乳中に義父から怒鳴られて、母乳が止まるありさま。

食料の供給が突然ストップした新生児は

小さな口を鯉のようにパクパクさせていたものだ。

夫は怖がっていた父親と暮らすことで、強いストレスを抱えるようになり

浮気は止むどころか拍車がかかった。

我々の同居で危機感を強めた義姉は

以前にも増して長居をするようになり、毎週末の連泊が1日余計に増えただけ。

チーン。


ともあれ娘と嫁の身分差をはっきりさせたい義父は

意図的に私を家政婦として扱った。

周りの家族は現代を生きているというのに、私だけ“おしん”の時代を生きる羽目となる。

それを執行してもいい理由として彼らが掲げたのは

私に実家が無いことだった。

帰る所が無い者は、どう扱っても文句が出ない…

親のいない者はしつけがなってないので、厳しく矯正しなければならない…

この二条を公言する義父と、追従する他の家族によって

私の矯正は公然と行われた。


時に罵倒され、時につまらぬ理由で嘲笑され

何か言えば言葉尻をとらえられ、チンピラのように威嚇されれつつ

労働に勤しむ日々が続く。

おかしい…

もちろん、そう思った。

生きてたって怒られるか働くかで、ちっとも楽しくないじゃんか…

私は家畜になるために生まれてきたのか…

だったら死んだ方がいいんじゃないか…。


そのかたわらで、夫は浮気を繰り返す。

私が自ら命を絶たなかったのは

子供を自分と同じ境遇にしたくなかったのもあるが

夫と浮気相手への怒りも多いにある。

私が死ねば、すぐ交代要員が来るのは決定事項。

ほれ、補欠のコジキがスタンバイして待っとるでねぇか。

そうはいくか!

とまあ、怒りが私を延命したと言っても過言ではない。

今、生きているのは浮気のおかげかもしれなくてよ。


ともあれ、ハードな日々を送る私は

この苦しみの原因が何なのかを考えるようになった。

そもそもの根源は、早くからわかっている。

義姉の存在だ。


娘より目立ってはいけない。

娘が霞んではいけない。

何より、娘の里帰りを嫁が外で暴露してはいけない。

だから用事を言いつけて外部との接触を避けようとし

抵抗すれば全力で押さえつける。

娘を守りたい親の本能が、歪んだ形で私への攻撃となるメカニズム。

既婚者の男きょうだいが暮らす実家へ、嫁いだ娘が毎日帰るとは

こういうことなのである。


義姉の問題がどうにもならないとなると

何かしら自衛の策を取らなければならない。

そのために観察と分析を繰り返し、やがてわかった。

私は本来、明るく賑やかで、よく笑い、よく話す社交的な人間。

だが夫の家では、寡黙で従順な労働者になる以外の自分は認められず

反すればさらなる労働と罵倒の処罰が待っている。

ありのままでいてはいけない…

自分らしく生きてはならない…

そりゃつらいはずである。

違う人間になることを強要されるから

濡れたガーゼで鼻と口を覆われたように苦しいのだった。


それがわかったところで

これといった解決策が見当たらないのが残念なところだが

少なくとも、ありのままで生きることができれば

深呼吸ができそうな気がした。


で、私はやがて、ありのまま&自分らしくを探し当てたか。

否。

心の持ちようでは、どうにもならなかった。

10年後、家出という物理的な強行手段を取ることで

ようやく手に入れた。

…深呼吸ができた。


彼らと離れてみて思ったが、アレらは家族ではなく狂人だった。

私にはそれがわからず、家族として生きようとしたのが間違いだった。

狂気は狂気を呼び、ターゲットが死ぬまで攻撃の手を緩めない。

狂人は狂人で片付け、さっさと離れるべきだった。

アレらの“ありのまま”や“自分らしく”を通してやるために

こっちが犠牲になったのでは、たまったもんじゃない。

その中で10年グズグズしていた私もまた、狂気に毒されていたのかもしれない。


で、結論から言うと、“ありのまま”が気になり

自分らしく生きることに憧れるうちは、自分がアウェーにいると認識すべし。

アウェーなんだから、ありのままには生きられない。

そこは敵地だ。

敵地で、自分らしく生きたいなんて言ってる場合じゃない。

敵陣の中で、「ここがホームグランドだったら…」

なんてつぶやいてる場合じゃないのだ。

逆を言えば、ありのままでいられるとは…自分らしく生きられるとは…

幸せな場所にいるということなのである。


では、どうすればいいのか。

「今、アウェー」

ただ、そう思うだけでいい。

そして、それ以上は考えない。

アウェーに居ながらホームを夢見て、あれこれ考えてしまうから

余計に厄介になるのだ。


アウェーであることを認識すると、ホームに対して諦めがつく。

いつかホームが手に入る時が来るのかもしれないけど

今はその時ではないことが、頭の中ではっきりするのだ。

過去の私を含め、ありのままに生きにくい状況の人は

これをはっきりさせるのが嫌で、アウェーとホームの折衷ポイントを探し続け

時間だけが経過する中に立ちつくしている。

探しても待ち続けても、折衷ポイントは無い。


ホームへの未練に諦めがついたら、冷静になるものだ。

すると生半可な道徳心やセンチメンタリズムに影響されることなく

今の状況を正確にとらえることができる。

そうなれば今のアウェーが、ただの通過点に過ぎないことがわかってくる。


一生、このままではない。

アウェーと認識すれば、事態は必ず動く。

事態が動かなければ、自分が動けばいい。

“ありのまま”への第一歩は、ここから始まるんだ…多分。

人生ほぼアウェーの私は、そう思う。
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幸せ病

2021年08月17日 14時46分16秒 | 前向き論
お盆は広範囲で雨が降って、大変でしたね。

皆さまがお住まいの地域は大丈夫でしたか?

引き続き、気をつけてまいりましょう。



さて『現場はいま…』シリーズのコメント欄でモモさんと話していて

ふと昔を思い出したので、お話ししようと思う。

いつものことながら、私のアホぶりをさらけ出す内容になるが

ご辛抱いただきたい。


少女期から娘時代にかけて、私はひたすら幸せに憧れていた。

幸せになって、幸せ者と呼ばれたい…

これが私の望み。

幸せがどのようなものか、興味はなかった。

人から見て幸せそうと評価されれば、それでよかった。


やがて結婚。

私のやることに何でも反対する祖父は、予想通り猛反対した。

優しい父まで、よした方がいいと言う。

どちらの反対理由も共通していた。

「バカと結婚したら不幸になる」


けれども私は馬耳東風。

じゃあ祖父は、父は、自分の妻を幸せにしたのか…

そうは思えなかったからだ。

病身の祖母は、祖父から優しい言葉一つかけられることなく

60才で死んだ。

母にいたっては、父と離婚秒読みの段階で癌になり

別れるよりも死ぬ方が早かっただけ。

バカは人を幸せにできないという彼らの定義に

反抗心を抱いた私は結婚を強行した。


「お幸せに」

披露宴では、皆が言ってくれるではないか。

どうやら幸せになる予定らしい…

結婚こそ、手っ取り早く幸せ者になれる方法だったのかもしれない…

ウシシ…

私は幸せに王手をかけたつもりだった。


だが、幸せはなかなか訪れない。

子供が生まれたのは、確かに幸せなことかもしれないが

その幸せと引き換えに、寝る自由や遊びに行く自由を失ったため

求めていた幸せとは違うような気がした。


そして気がついたら、私が幸せ者になるより先に

伴侶が浮気者になっとるじゃんか。

これはどうしたことじゃ。


恋に狂って常軌を逸した伴侶の素行に加えて、選ぶ相手も悪目立ち。

息子の通う小学校の女教師、ヤクザの情婦を営業中の未亡人…

センセーショナルな噂は界隈を駆け巡る。

私は夫の不実だけでなく

あれが女房だ…と後ろ指を指される恥とも戦う羽目になった。

幸せ者どころか、笑い者よ。


祖父や父の言った“バカ”とは、理性の少ない人間…

同じ過ちを何度繰り返しても懲りない人間のことだったのだ…

ここで初めてわかった。

結婚で自動的に幸せが手に入ると思い込んでいた自分こそ

大バカ者だと知った時、幸せ病は全快した。


長らく罹患していた幸せ病が治ると、すでに中年。

40才を過ぎた私は、自分の未来について考えるようになった。

それは、夢や希望に満ち溢れたものではない。

ささやかな年金で細々と生き延びる、ショボい老後だ。


こうして先のことも考えるが、同じ割合で過去のことも考える。

「先で何とかなるんじゃな〜い?」とタカをくくり

雑に生きてきた私でも、さすがに40代ともなると

人生の半分が終わったことぐらいはわかるし

どうあがいてもあと半分ぐらいしか生きられないのもわかる。

だから、自分の“これから”と“今まで”を意識するようになる。

40代って、そういうお年頃なのかもしれない。


で、自分の人生について、つらつら考えるんだけど

これが成績表みたいになってしまう。

そしてその成績表は、赤点、及第点、要追試ばっかり。

40代はまだ青いといおうか謙虚といおうか、自分に付ける点がからいのだ。


中でも成績が悪いのは、継続科目。

せっかく生まれてきたというのに、私は一体何を成し遂げたのか…

周りに振り回されては、仕事も趣味も出直しや方向転換ばっかりで

長続きしたことが何も無いじゃないか…

何があろうと、歯を食いしばってでも続ける根性が無かった…

これから何をどう頑張ったって、残り時間が少ないんだから手遅れ…

色々なことを後悔しながら、つまらぬ老後を過ごして人生を終えるのだ…

ああ、なんと惨めで恐ろしいことよ…。

私の未来予想図は、揺るぎない決定事項と思われた。


ここで罹患したのが、“ひとすじ病”。

働く同年代の女性を見回すと、みんな頑張っているように見える。

40代ともなれば、仕事でそこそこの給料をもらい

責任ある立場になったりしている。

この道一筋というのは、なんと輝かしく気高いものよ…

ああ、素晴らしい…最敬礼。

何かをやり遂げた実感が無いのは、当時の私にとってザンネンなことであり

全ては自分の根性無しが原因だと思った。

そしてこのザンネンと、死ぬまで付き合うのだとも思った。


この病いが一番重症だったのは、40代後半。

50代に入ると自分に残された時間がますます減るので

焦りが強くなるかと思いきや、夫の両親は寝付くわ義父の会社は倒産寸前だわで

自分の過去や未来なんて悠長なことを考えるどころではなくなった。


義理親と会社の問題が落ち着くと、ひとすじ病はいつの間にか治っていた。

一つの仕事を続けるのは多くの人にできようが

親の介護をしながら山師のような大博打で倒産を回避する人は

そんなにたくさんいないと思えたからだ。

合併相手の会社選びから細かい交渉ごとまで、私は完全に山師だった。

自分の中にはそのような血が確かに流れている…

仕事でも何でも、一つの事柄をコツコツと続けるようにはできていないのに

コツコツに憧れるのは無い物ねだりだったわい…

そう納得したのである。


すると、ひとすじ病の頃には輝いて見えた人々のカラクリも見えてきた。

仕事を続けた人々には、子守りがいただけ。

子供の夏休みも冬休みも病気の時も

娘が仕事を続けられるように、親が子供の面倒を見てくれていたのだ。

私に無かったのは根性ではなく、親。

例外もあろうが、大半はこんなものだ。


やがて、あれよあれよという間に還暦を過ぎ

中年以降から考え続けた恐怖の未来予想図が、もうそこまで来ている。

ギャ〜!


で、実際に年寄りになってみると、恐れていたほどでもなかった。

人生舞台のメインは若い時で、若いうちに大方の決着をつけておき

年を取ったら、そのオマケで食いつなぐ…

そう思っていたが、どうも違うようで大変暮らしやすい。


その理由として、まず周りが気にならなくなる。

年を取ったら自動的に、周りにいた年上の人間がいなくなったり

弱ってくる。

それは自分を押さえつける者が減るということであり

発言権と決定権が自分に回ってくることだ。

おうかがいを立てたり遠慮をしなくていいのだから

自由自在のやりたい放題。

周りを気にしなくなると、気を遣うことに費やしていた時間が

いかに膨大なものだったか、初めてわかるというものだ。


そうは言っても、発言や決定の責任は付いてまわるだろうって?

年寄りは無責任と決まっておろう。

「年だから忘れた」と言えばいい。

特権は有効に活用するべきだ。


次に、年を取ると人の親切、思いやり、優しさを始め

食べる物の旨さ、楽しいひと時を過ごした喜びが身にしみる。

そりゃもう、若い頃とは全く違うしみようだ。


すると同じ24時間でも、昔より濃厚な時間を過ごしている気がする。

若い頃は早回しのメリーゴーランドに乗っているみたいで余裕が無かったのが

年寄りになるとゆっくり回るようになって

馬の一頭ずつや周りの景色がよく見えるようになり

それらを眺める楽しみが増えた感覚。


1日が濃くなるということは

例えば若い時の1年と今の1日が同じ比重になるということだ。

物理的には残り時間が少なくても、時間の流れ方が変わったわけだから

精神的にはたっぷり楽しんで面白がることができ、何ら遜色は無いということになる。

もっと年を取ると病気や痛い所が出てきて、また変わるかもしれないけど

とりあえず今のところ、心配はいらなかったようだ。



で、唐突なようだが、以前の私のように様々な焦りや後悔を持つ人がいれば

伝えたいのはこれ。



『凡(およ)そ 榮譽のあるところ 必ず苦禍の因ありと知れ』

“名誉や栄華は、必ず苦しみや災いの原因になると知りなさい”みたいな意味かしら。

誰が書いたものか、おわかりだろうか。

かの有名な宮澤賢治。

直筆だけど、もちろんコピーよ。

去年、彼の研究をしている人と知り合いになり、もらった。


宮澤賢治といえば『銀河鉄道の夜』や『注文の多い料理店』など

有名な小説を執筆し、37歳で病没した偉人。

彼の作品で、特に有名なのが以下の一文であろう。




この『雨ニモ負ケズ』が、どのような状況で書かれたかを知る人は少ないと思う。

これは死の床についた賢治が小さなメモ帳に書きなぐり

死後、彼が寝ていたベッドの下から発見されたものである。

『雨ニモ負ケズ』は机上で思いついた美句ではなく

死を目前にした彼の魂の叫びだったことに、私はシビれた。


冒頭の、『凡(およ)そ 榮譽のあるところ 必ず苦禍の因ありと知れ』は

この『雨ニモ負ケズ』のラスト、“サウイウモノニ ワタシハナリタイ”までを書きなぐった後

“南無妙法蓮華経”の文字を1ページに7行書きつらねた次のページにある。

その後のページは病状がさらに悪化したのか

字が乱れてほとんど読めない短文と、少し長めの詩のようなものが続き

最後はやはりお経。


『雨ニモ負ケズ』が有名になり過ぎて

『凡(およ)そ 榮譽のあるところ 必ず苦禍の因ありと知れ』の一文は

かすんでしまったが、宮澤賢治が一番言いたかったのはこれかもしれない。

「だから、ありのままでいいんだよ」

そう言われているような気がするんだよ。
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手抜き料理・地獄編・2

2021年08月10日 09時51分10秒 | 手抜き料理
8月のお寺料理は、3日と16日の2回ある。

マミちゃんは日が経つにつれて気持ちが落ち着いたのか

とりあえず3日は行くと約束してくれた。

それでも色々言われるのが怖くなり、何を作っていいかわからないと言う。


献立のテコ入れを考えていた私は、そこですかさず提案。

「カレーにしよう。

マミちゃんはカレーだけ作って、持って来て。

あとは私が何か作って行くけん」

「え?カレーなら簡単だけど…カレーはだめなんじゃないの?」

怪訝そうなマミちゃん。


そうよ、お寺料理にカレーはNG。

シチュー、ハヤシライス、おでん、鍋物と共に

我々料理番が絶対に作ってはいけない五大禁止料理だ。

なぜなら料理番を呼ぶまでもない中途半端な会食の時

ユリちゃんか兄嫁さんが作るから。

これらは安くて簡単で副菜があまりいらず、かつ洗い物が少ない救済料理なのだ。


中でもカレーは、夏の登板回数が最多。

そのカレーを料理番が作ってしまったら

お寺はしばらくカレーを出せなくなるので困ると言われ

我々はバカ正直に、この禁止令を守っていた。


マミちゃんの疑問を気にせず、私は続ける。

「スープカレーじゃ言うて誤魔化すけん、適当に作ってよ」

「スープカレーなんか、作ったことないよ」

「サラサラしとりゃ、ええよ。

カレーはだめって言いながら、梶田さんのグリーンカレーはOKだったじゃん。

名前さえ違やあ許されるよ」

「サラサラのなら、作れる!」

イタズラを企てる子供のように、嬉しそうなマミちゃん。


そうよ、これはイタズラだもんね。

手の込んだ料理を作らせたいがために、簡単な料理を禁止された我々。

しかし6月のお祭で、昼に兄嫁さんが作ったカレーを初めて食べたところ

甘くてあんまり美味しくないことに驚いたものだ。

この水準であれば、マミちゃんの方が断然うまく作るに違いない。


しかもカレーは、家で煮込んで持ち込める。

副菜はサラダ程度でいいため、台所の気温上昇は避けられるではないか。

以上の理由から、私はユリちゃんから言い渡されていたカレー禁止令を

あえて破ることにしたのだった。


だからマミちゃんにも念を押す。

「家で作って、ジプロックで持って来るんよ。

寺で火ィ使うんは、温め直す時だけよ」

「寺で火ィ使うたら、暑いけんじゃろ?」

「ほうよ、冴えとるが。

まともに煮炊きしたら、死ぬよ」

「わかった!」


マミちゃんが元気になったので、次はユリちゃんとの交渉。

「8月3日にカレー、作ってもいいかね?」

「…カレー?」

電話の向こうのユリちゃんは案の定、怪訝な声色だ。


それを無視して続ける。

「マミちゃんが、スープカレーとか何とか言うとったわ」

作るとは言ってないもんね。

「スープカレー?!」

ユリちゃん、今度は明るい声に変わった。

「うん、うん、スープカレーならいいよ!楽しみ!」

「じゃろ?じゃあ3日にね」

交渉成立。



こうして8月3日がやってきた。

この日は、我々料理番を入れて11人だ。

マミちゃんが作って来たカレーは、潰したトマトをしこたま入れた

トマトカレーだった。


味は…トマト。

とにかくトマト。

卵、カボチャ、ナス、ピーマンのトッピングと

上にあしらった糸唐辛子がスープカレーそっくりだ。

カレーの中にはじゃがいもや人参がゴロゴロ入っているが

ユリちゃんたちは完全にトマト味のスープカレーだと思い込んで大喜びだ。

愉快、愉快。


兄嫁さんは、「これならトマトでも食べられる」と言った。

トマト嫌いを名乗るなら、潔くトマトの全てを否定してもらいたいものだ。


カレーには、バジルなど香草の類いもたっぷり入っているらしいが

兄嫁さんの娘ミクちゃんは大の香草嫌いというじゃないか。

が、ミクちゃんはカレーなら大丈夫だそうで

ユリちゃんは彼女の分を別に取り分けて、晩に食べさせたいと言う。

香草嫌いを名乗るなら、潔くカレーも嫌ってもらいたいものだ。


カレーの上にあるのは、やはりマミちゃん作のソウメン瓜のマヨネーズサラダ。

さっぱりして、美味しかった。



これもマミちゃん作、トマトとアボカドのサラダ。

右は兄嫁さん作、キュウリのキュウちゃん。

カレーといい、このサラダといい

マミちゃん、トマトの恨みはトマトで返すつもりらしい。

なんと頼もしい。



私が作って持ち込んだ肉じゃがと、イカの煮物。


近所で新じゃがをたくさんもらったのと

長男が山陰へ、イカ釣りに行ったので作ったまで。

枯れ木も山の賑わいというところだ。



それから例のごとく、次男の釣った鮎を庭で炭火焼きに。

これも台所の室温を上げないための苦肉の策。


写真を撮り忘れたが、せっかく炭を使うんだからと

鮎を焼いた後で、安い冷凍のアメリカ牛も焼いた。

炭火で焼くと、ボロい肉でも美味しくなるのね。


そしてこの日、画期的なことが起こる。

鮎も肉も、例の芸術家の兄貴が全部焼いてくれたのだ。

火をおこす私の手際が悪いのを見かねて交代してくれたため

そのまま焼かせ…いや、焼いていただいた。

その間、私は木陰で涼む。

この手があったわい…うしし。



マミちゃんの方も打ち合わせ通り、カレーを温めるだけで

他は一切火を使わなかったので、台所は嘘のように涼しかった。

しかもマミちゃん、洗い物を減らすために紙の皿を用意している。

上出来、上出来…私は満足感に浸るのだった。


それでも洗い物は出る。

私がテイクアウトの弁当を詰めている間

食器を洗っていたマミちゃんを悲劇が襲った。

水道から、水と一緒にムカデがコンニチハ。

マミちゃんは、親指の付け根を刺されたのだ。

いつになく涼しい台所が気に入ったのか

ムカデのやつ、蛇口に入り込んで休憩していたらしい。


ムカデに刺されたら患部をすぐ

風呂よりちょっと熱い45〜6℃ぐらいの湯に浸けると

毒が中和されるそうなので、マミちゃんの手を引っ張って湯に浸ける。

「キャ〜!熱い!」

泣き叫ぶマミちゃん。

そうね、ちょっと熱過ぎたかも。


全身を蒸し焼きにされるような灼熱地獄を回避するために献立をカレーにし

洗っても洗っても終わらない洗い物地獄を回避するために紙皿を用い

これで地獄は回避できたと思っていたら、今度はムカデ。

く〜!


敵はムカデだけではなかった。

台所の隣は草むら、その先は墓地…ヤブ蚊のパラダイスだ。

ヤツらは出入りのたびに侵入する。

そして、あんまり暑い時はどこかに潜んで活動を控え

過ごしやすい気温になると血を求めて飛び回る。

涼しさを維持する台所で、ヤツらは活発そのものだ。

熱中症にならないための工夫を重ねたというのに

今度は虫に苦しめられるとは。

地獄には、二番底があるらしい。

《完》
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手抜き料理・地獄編・1

2021年08月10日 09時48分17秒 | 手抜き料理
今月3日は同級生ユリちゃんの実家のお寺で、また料理を作った。

去年の同じ日にもやった。

その時は一人だったので忙しかったこともあり

暑さで熱中症になりかけて、脳裏に死という文字が浮かんだものだ。


先月の始めにもマミちゃんと2人でやったが、暑くてやっぱり死ぬかと思った。

夏にエアコンと換気扇の無いお寺の台所で料理をするのは

まこと骨の折れるお役目である。

そんなに辛いなら、やめればいいようなものだが

そこに山があるから登るという登山と同じ。

そこに寺があるから作るのさ。


ともあれ先月のお寺料理以来、体調が優れず食欲が落ちた。

今は亡き義父アツシから「横着モンの大飯食らい」

とののしられていた、あの栄光はいずこ。

まだまだ暑くなるというのに

そして8月には2回もお寺料理があるというのに

これでは体力が低下するばかりじゃないの。

同じ失敗を繰り返さないよう、私は準備を整えることに決めた。


そうは言ってもグータラな私のことだ。

運動なんかで体力作りに励むことなど考えもせず

まず着手するのは食欲不振問題。


そこで食の進む食べ物を思案していたところ

テレビでたまたま奈良漬の製作過程を見た。

ものすごく手間がかかるみたい。

あんなに手間がかかっているのなら、久しぶりに食べてみようと思い

スーパーで奈良漬を買った。

で、食べたら美味しくて、食欲が出たではないか。

途端にハマり、毎日ふた切れか三切れ食べ続けている。


私の準備は奈良漬だけでなく、着る物にも及ぶ。

料理番とはいえ、一応は人前に出るし会食もするんだから…

今まではそう思い、少しばかりのおしゃれをしていた。

しかし生命の危機を前にして、そんなことはもうやっとられん。


私は隣の市にあるスポーツ店へと走り

“冷感マイナス3℃”と銘打った、スポーツ用のTシャツを購入。

試しに家で着てみたら、確かにひんやりと涼しい。

クーラーの効いた部屋でじっとしてると、寒いくらいだ。

3日はこれを着ようと決める。


奈良漬で食欲を取り戻し、服の準備ができたら

次はマミちゃんに着手。

彼女の料理上手は、共にお寺料理をするようになって初めて知った。

ユリちゃんや兄嫁さんの好む洋風料理を得意とするが、和食もかなりの腕前。

食べ歩きが趣味というだけあって

献立の組み合わせや季節感、彩りや華やぎの面において

ちゃんとツボを押さえている。

マミちゃんさえいれば私は楽ができるという、頼れる存在なのだ。


ただし彼女は大人数の料理に慣れていないため、やたら火を使う。

誰でもそうだが、「おいしい!」と言われたら張り切るものよ。

あれもこれもと献立を欲張り、コンロをフルに使うので

室温は順調に上がり続ける。


私が憂慮するのは、体感する暑さだけではない。

近年、夏の気温は上昇の一途。

調理環境の整わない台所で料理を作るというだけでなく

時間を経て残り物を持ち帰る、お寺全体の悪癖を崩せないとなると

食中毒の危険性が高まる。

そのためお寺では、食品の温度管理にかなりの神経を使う。


環境が整ってない台所というのは

持ち込んだ食材や仕上がった料理を保管する冷蔵庫のことも指す。

お寺の台所にある家庭用の冷蔵庫は

麦茶と氷と貰い物のジュースなどで常に満タン。

さらにそこへ、兄嫁さんが会食のデザート用に作ったケーキやゼリーが鎮座。

それらを脇によけたり、差し支えない物を外に出したりしても

料理を置けるスペースは先着一品か二品だ。

あてにならない冷蔵庫を見限り、まず室温を上げないために

マミちゃんのコントロールは最も重要な準備である。


しかし前回、このシリーズでお話ししたように

あまりの暑さと、作り手への配慮の無さにゲンナリした彼女は

それ以来、すっかりやる気を無くしていた。

コントロールなんて、えらそうなことを言っている場合ではないのだ。

マミちゃんは、やめ時を模索する一方

自分が抜けることでユリちゃんが受けるであろうショックを案じて

揺れていた。


私にはその気持ち、よくわかる。

というのも、うちの子供たちが通った幼稚園は

ユリ寺と同じ宗派のお寺が経営する所だったからだ。


私がPTAの会長をしたことは、以前お話しした。

幼稚園で大きな行事があり、役員が後片付けを終えた夕方は

園長先生を始めとする全職員と全役員が広間に集まって

お茶会をするのが恒例。

そのお茶会が始まる前に、会長は必ず言われるのだ。

「あの、お茶会に甘いものが無いんですが…」

それを伝えるのは新卒の先生と決まっていて、セリフも毎回同じ。


初めて言われた時は、意味がわからなかった。

「は?甘いもの?」

私は思わず聞き返したものだ。

けれども新米先生は、同じ言葉を繰り返すばかり。

甘いものというのはショートケーキのことで

幼稚園は町のケーキ屋でケーキを買って来いと要求しているらしい…

それが幼稚園の習わしらしい…

それを理解するまで、少々時間がかかった。


田舎であり、夕方のことなので

40個近いケーキが集まるかどうかを心配しながらケーキ屋へ走る。

二軒のハシゴで間に合い、ホッとした。


「皆さん、今日はお疲れ様でした。

ささやかですが、どうぞお召し上がりください」

ケーキは、さも幼稚園から振る舞われた物のように配られた。

しかしそんなことより、どうして前日までに言ってくれないのだ…

日が暮れる頃になって言われても、数が揃わなかったらどうするつもりだ…

若かった私は密かに腹を立てたものだ。


が、今ならわかる。

早めに伝えた場合、「なぜ会長がケーキを買わなければならないのだ」

という疑問が生まれ、ケーキの必要性を問われて厄介なことになるからである。

考える暇を与えないため、ギリギリになって突然言うのだ。


言いにくいことを新米先生に言わせるのは、先生の修行。

ケーキ代を払うのは、会長の修行。

どちらも、ああ…ありがたやと思えなければ

修行が足りないという自己責任になる。

そして、この試練を乗り越えたあかつきには

さらなる修行のチャンスをいただけるのである。


一事が万事こんな調子だったが、思えばこれがお寺の技術なのだ。

特にこの宗派は、この技術を駆使する傾向が強い。

私は幼稚園で何度も砂を噛んだため

ユリ寺でのあれこれは、まだ可愛いものに思えるが

初めてのマミちゃんには刺激が強すぎたかもしれない。

無償の一生懸命が否定されたような気持ちにさいなまれ

脱力するのは無理もなかった。


しかし、そもそも暑さや他人の偏食なんかに振り回され

仲良しだったマミちゃんとユリちゃんが気まずくなるなんて

口惜しいではないか。

この状況を打破しつつ、暑さから身を守るためには

今までと同じようにしていたのではダメだ。

献立もマミちゃんの自主性に任せていたが、それが失敗したとなると

お寺料理を根本から見直す必要があると感じた。

《続く》
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現場はいま…夏祭編・3

2021年08月05日 13時22分28秒 | シリーズ・現場はいま…
ところで先月の話になるが、松木氏が入院することになった。

肺に腫瘍が発見され、内視鏡手術を受けるのだ。

7月半ばに10日間、休むという。

癌に違いない…

本社はその噂で持ちきりだった。

数年前にも胃癌が見つかり、やはり内視鏡手術で除去したからだ。


本社上層部は、進退をはっきりさせて欲しい様子だった。

松木氏は満65才。

年金の満額支給が始まった、“辞めどきエイジ”である。

そして元々、立ち回りがうまいだけで実績は無く

いなければ困るような存在ではない。

次長の肩書きも、最後に花を持たせてやるつもりで河野常務が与えたものだ。

常務は夫に話していた。

「手術が必要となれば、その“最後”が来たと悟るのが普通だろうう」


しかし松木氏は、やはり普通ではなかった。

詳しいことを言わないので、本当の病名は誰も知らないままである。

癌なのか、そうでないのかを誰にも言わないのは

人に心配されたり同情されるのが嫌だからではない。

本当のことを言いさえしなければ、本社の方針はいつまでも決まらないため

肩叩きをされることもなければ

「良性なら、退院したらしっかり働け」

と言われることもなく、大っぴらに怠けられる日々が長続きするからだ。

口先ばっかりの怠け者は、病気すら活用するものである。


我々は、そんな松木氏の習性を知っている。

何の病気であろうと、彼が絶対に辞めないのは確かだ。

日頃から、車に乗って出勤さえすれば、そのまま座るか寝るかが彼の仕事。

元気な時でも静養しているようなものだ。

病後もそれを続ければいいのだから、辞めるわけがない。


そんなわかりきったことなんかより、我々にとっての問題は松木氏の留守。

本社が再び藤村をさし向けるのではないか…

その心配である。


松木氏が何日休もうと我が社には何の支障も無いが

会社には本社直轄の営業所という、もう一つの顔があり

松木氏はその責任者だ。

責任者が不在となると、中身はどうあれ体面にはこだわる本社が

代理をさし向ける可能性が無いとは言い切れない。

とりあえず暇そうなヤツといったら、藤村しかいないではないか。

我々が案じたのは、また藤村に引っ搔き回されることではない。

「あいつが来たら、◯す」

という長男の決意表明があったからだ。


昨年起きたパワハラ、セクハラ問題で、藤村は自分が助かるために

長男を首謀者に仕立てた。

それが嘘だったと発覚して以来、藤村は長男を避けて逃げ回り

一方の長男は、彼に報復する機会を狙い続けていた。

さすがに生命まで奪わないとは思うが、ただでは済まない予感はある。

「藤村が来ることになったら、一家で退職を前提に本社とモメよう。

事件になるよりマシだろう」

我々夫婦はそう決めて、成り行きを見守った。


松木氏の入院が近づくと、藤村は予想通り

何かと用を作って、ちょくちょく会社に来始めた。

が、松木氏の代わりを狙っていたのは彼だけではなかった。

元経理部長で今は閑職に回されたダイちゃんも、やる気満々。

新人の道案内をするためだの、書類に印鑑が欲しいだの

やはり何かと用を作っては、頻繁に訪れるようになった。

単純な藤村は、粘着質のダイちゃんが苦手だ。

一度、鉢合わせしたダイちゃんから嫌味を言われて来なくなった。


そしてダイちゃんもまた、ふらりと訪れた河野常務と鉢合わせをしてしまう。

常務はダイちゃんを見て驚いた様子だったというが

後で何か言われたのか、来なくなった。

結果、松木氏が休んだ10日の間、彼の交代要員は誰も来ず

一同はのどかな日々を過ごしたのだった。


こうして平和な7月は終わった。

松木氏も復帰して、仕事という名の静養を続けている。

その病みあがりの彼に、長男がいつになくねぎらいの言葉をかけた。

「暑いけん、気をつけてね」

松木氏はそっぽを向いて答えた。

「夏じゃけん、暑いのは当たり前よ」

これが松木氏なのである。


「ありがと…マコトも気をつけろよ」

とでも言えればよかろうが、彼にそれを望むのは無理。

「情けをかけて、バカを見た…」

長男はプリプリ怒っていたが、私は良い学びになっていると思う。


自分の期待する“定番”を全ての人に求めるのは、不幸の始まりである。

10年前までは、彼に接する全ての人が常識的に“定番”をこなしてくれていた。

それは彼が、経営者の孫だったからだ。

粗末に扱うと、きっついお祖父ちゃんが飛んでくるからだ。


身の上が変わった現在、相手に定番を求めるのは高望みである。

むしろゲスほど、何とかして落としてやろうと仕掛けてくるし

世間には、常識や人の気持ちどころではない環境で育った野生人もたくさんいる。

庶民に生まれたからには、どこへ行こうと

このような人々から完全に逃れることはできない。


私は、その現象を結婚や仕事で痛感してきた。

アウェーに身を置いたからには、何を言われても笑って忘れてやる慈悲や

最初から相手にしない毅然を、長男にも身につけてもらいたいと思っている。

男四十、遅ればせながら、彼にもそれが必要な年頃だ。



さて、松木氏の留守に返り咲きを狙ったものの、不発に終わった藤村。

春の一時金が出たら辞める、夏のボーナスが出たら辞める…

季節ごとに吹聴していたが、やっぱり辞める気はさらさら無いらしい。


辞めないとなると、藤村は本社営業部所属のヒラ社員として

いよいよ仕事をしなければならなくなった。

とある大企業が発注する予定の工事を何としてでも獲得しろ…

そんな命令が彼に下ったのだ。

彼が太刀打ちできる企業ではない。

ほとんどイジメのようなものである。


しかし自己採点の高い藤村は、やる気になったらしい。

そこでまず、何をしたか。

同業の別会社で営業をしている田辺君に、電話をかけた。

夫の親友の、田辺君である。

そして言った。

「攻略法を教えてください」


藤村は、田辺君を天敵と定めていたはずだ。

田辺君のスラリとしたイケメンぶりも

さりげなく藤村を見下げる態度も、彼を苛立たせた。

そこで藤村は、ハングル文字の禁煙プレートを事務所の壁に貼った。

あの禁煙プレートが、ヘビースモーカーの田辺君を来させないために

渾身で考えた嫌がらせだったのは、藤村本人が夫に言ったので間違いない。


その田辺君に、教えを乞いたいと言うのだ。

問題の企業へのルートを持っているのは、この近辺では田辺君だけらしい。

持ち前の厚顔無恥もあろうが、事態はよっぽど切羽詰まっているのだろう。

藤村は田辺君の携帯番号を知らないが

数年前、藤村の上司である永井営業部長が

田辺君を引き抜こうとした際に交換した番号を教えたと思われる。


いきなり電話がかかった田辺君は驚いたそうだが

「気を持たせて、適当にあしらった」

と夫に報告した。

「儲からない仕事だから、うちは手を出さないよ。

本社も藤村さんも、なりふりかまわないね」

とも言った。


その場ではっきり断らないのは、田辺君の優しさではない。

期待させつつ、のらりくらりとかわしているうちに時間はどんどん経過する。

仕事の進め方を知らない藤村にとっては

田辺君に頼るのが一番楽で確実な方法なので、ジリジリと待ち続ける。

そして気がついたら、他社に奪われている。

全ては後の祭というわけだ。

夏祭ならぬ後の祭。

おあとがよろしいようで。

《完》
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現場はいま…夏祭編・2

2021年08月03日 19時20分09秒 | シリーズ・現場はいま…
入社してみると、意外に使えた女性運転手のヒロミ。

会社の雰囲気が明るくなり、夫は満足そうだ。

とはいえ、油断は禁物。

ヒロミは底抜けに明るくて素直な分、物事の善悪をあまり考えず

損得に左右されるところがあるのを私は知っている。

手放しで喜ぶわけにはいかなかった。


ヒロミと私が親しくしていた昔、彼女の子供が通う幼稚園に

町のチンピラの子供も通っていた。

妻子にはボロを着せ、自分は幼稚園の行事に

黒ミンクの毛皮を着込んで登場するような男である。

何度目かの結婚なので、本人は初老でも子供は小さかったのだ。


ヒロミはそのチンピラを「親分さん」と呼んで持ち上げ

親しくまとわりついていた。

ヒロミの友だちであり、私の妹のような存在だったミーヤは

その様子を心配していたものだ。

やがてその男は殺人事件に巻き込まれて死亡したため

交流は終了したが、あのままであれば

ヒロミはいけないお薬の1本や2本、打たれていたかもしれない。


あの頃から20年近く経っているが、人の性根というのは

年さえ取れば変わるようなものではない。

そんな子なので、油断はできないのだ。


現に会社では、例の佐藤君がヒロミを取り込もうと狙っていた。

持病の頭痛を理由に休むため、別の支社に飛ばされたが

女性運転手の神田さんがパワハラとセクハラ事件で辞めた後

空いたダンプに乗せるために藤村が呼び戻した、我が社のガンである。

人と人を操っては揉めさせ

自分は素知らぬ顔で眺めるのがライフワーク。

うちの息子たちが距離を取るようになったため、彼は仲間を欲していた。


その佐藤君、最近、ヒロミの引越しを手伝う約束をしたらしい。

彼氏との同棲を決めたヒロミは、この盆休みに彼氏の家へ移るのだ。

業者を雇わずに済むので、ヒロミは大喜び。


が、引越しをタダで済ませるには、トラックが必要になる。

そこで佐藤君が提案。

「会社の3トンダンプを黙って借りよう」


会社には大型の11トンダンプの他に、小回りのきく3トンダンプがあった。

貸してと頼んだら、夫が断るのを佐藤君は知っている。

彼が先月頼んだ際、バッサリ断られたのだ。

私用で使って事故が起きた場合、保険が下りないばかりか

会社が管理責任を問われるからである。


だから黙って借りようと、うちの長男の前で言う佐藤君。

それを聞いて、単純に喜ぶヒロミ。

夫も長男も、完全にナメられている。

長男から聞いた私が夫にチクったら

「あいつの会社か!」

と、ものすごく怒っていた。

夫がどんな対処をするかは、まだ未定である。



ところで、あの藤村はどうなっているのか。

昨年末、パワハラとセクハラで女性運転手から訴えられ

ついでに出入り業者との癒着や経費の無駄遣いが発覚し

この春、ついに営業所長の肩書きを剥奪された藤村である。


彼はヒラの営業マンになったので

今後は本社営業部の指示で動くため、こちらに用は無いはずだ。

それでも藤村は未練タラタラで、しばらくは毎日来ていた。

もう関係無いはずなのに、どうして来るのだ…

一同は怪訝に思ったが、藤村の気持ちはわかるような気がする。

本社から営業に行って来いと言われても

今まで営業なんかしたことが無いんだから、行く所が無い。

時間を潰すために、こちらへ来てしまうのだ。


さらに、なまじ今までいい思いをしたばっかりに

それが忘れられず、何としても返り咲きたい気持ちがあるだろう。

しかし、返り咲くにはチャンスが必要。

毎日顔を出して状況を把握しておかなければ、そのチャンスを逃してしまう。

いずれにしても、彼は毎日来なければならないのである。


藤村は毎日来ては、引き継ぎと称して

営業所や会社の運営に口を出していたが

藤村の代わりとして、こちらに再赴任した松木氏はことごとくブロック。

松木氏も藤村と同じく仕事ができない分

転がり込んで来た現在の地位を守ろうと必死だった。


藤村の訪れは永遠に続くかと思われたが、1ヶ月余りで終わった。

ひょっこり来た河野常務との鉢合わせが、2回続いたからだ。

「おまえ、何でここにおるんじゃ?」

1回目、常務は彼にたずねた。

「あの…引き継ぎが…」

「……」

常務は黙って藤村を睨みつけたという。


2回目は、おはようございますと挨拶した藤村を完全無視。

実は3回目もあるところだった。

「近くを通るけん、寄るわ」

常務から夫に電話があった。

夫は松木氏にそれを伝え、そばにいた藤村もこれを聞いた。

藤村は「スマホを家に忘れた」と言いだし、急いで会社を出たため

鉢合わせは免れる。

その日以来、藤村は来なくなった。


藤村が来なくなると、面白い現象が起こった。

会社宛に取引業者からの宅配便が、来るわ来るわ。

お菓子、果物、漬物、肉、ジュースその他…

こんなに物をもらっていたのだと、皆が驚いた。

仕事をやると吹聴しては、贈り物をねだっていたらしい。


納采の儀か横綱昇進で使うような大きな鯛が5匹

クール便で届いた時は、一同、驚くよりも呆れた。

もちろん、どの品も皆で山分けする。

藤村はこれらを受け取るため、這ってでも会社に来る必要があった。

送り主は、藤村が所長でなくなったのをまだ知らないのだ。


驚いたのは、贈り物だけではない。

6月には、本社から支給される作業服が夫に届いた。

数年ぶり、正確には藤村が着任して以来5年ぶりのことである。

息子たちを含む社員には毎年支給されていたが、夫のだけ、なぜか無かった。


着るものに不自由しているわけではないので夫は無関心だったが

こうなってみると、夫のは藤村が着服していたとわかる。

他の社員のものはサイズが違うが、夫と藤村は同サイズなので

奪われていたのだろう。


先月の27日、土用の丑の日はもっと驚いた。

本社からパートを含む全社員に一尾ずつ、ウナギの蒲焼きのプレゼントがあった。

初めてのことに、喜ぶ一同。


が、実はこれ、初めてではなかったらしい。

毎年1月5日に行われる全社挙げての新年会が、コロナのために

去年から中止になっている。

その代わりということで、土用のウナギは去年も配られたという。


今年入ったスガっちとヒロミを除く、皆が思った。

「藤村がガメた…」

本社から送られたウナギをヤツが着服したのは、間違いなかった。

というのも去年の同じ頃、本社からクール便が届いたのを

長男が目撃していたからである。


長男はウナギとは知らなかったが、藤村はなぜか慌てて

「俺たち本社付きの上役だけ、ウナギがもらえるんだ」

そう口走ると、クール便を車に運んでどこかへ行き

その日は戻ってこなかったという。

本当にセコい男だ。

野心のみならず、このような得をするためにも

そして、それらの悪事を隠すためにも

藤村はこちらに詰めて番をしたかったと思われる。

《続く》
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現場はいま…夏祭編・1

2021年08月01日 08時40分51秒 | シリーズ・現場はいま…
次回、このシリーズに取り組む時には

サブタイトルを“夏祭”にすると決めていた。

これは、田舎爺Sさんがコメントで提案してくださったもの。

楽しそうで、すごくいいと思った。


とはいえ、はたして夏になった頃

夏祭にふさわしい楽しそうな状況になっているかどうかは不明。

そうなっているといいな…という願望を胸に、状況を見守る私だった。


で、現場は今、どうなっているかというと

そこそこ楽しそうなラインまで来ているように思う。

昨年、取引先の大企業を定年退職し

この3月にパートで入社したスガっちは現在も働いている。

ペーパー免許だった重機の実技を習得して

夫のアシスタントを務める予定が、未だ習得ならず。

どうも、向いてないらしい。

何十年もやってきた夫のようになって欲しいとは思わないが

暑い夏までに少しは上達して、夫の負担がわずかでも軽くなれば…

そう考えた本社や私の目論見は、見事に外れた。


では彼が何をしているかというと、雑用。

雑用と一口に言うが、やる気で取り組めば

機器のメンテナンスから敷地の整備清掃に至るまで、いくらでもある。

けれどもスガっちは違う。

多忙な夫に代わって、たまに近場へ配達に出る以外は

“待機”という名の休憩時間だ。

その待機中には、フィリピン人妻の愚痴を言い続けるのが仕事。


夫も最初のうちは、時々用事を頼んでいた。

しかしスガっちの口癖に嫌気がさし、放っておくようになった。

用事を頼まれると、彼はすぐに言う。

「何で俺が?」

大企業に勤めていたプライドが、捨てきれないのだ。


5月に一度、“”という雑用を頼んだことがある。

ぬかるんだ現場に出入りする際、現地でダンプのタイヤにホースで水をかける仕事だ。

タイヤに泥を付けたまま走ると、道路がタイヤ痕で汚れるからである。

がいない場合は、運転手が一回一回ダンプから降りてこの作業を行うが

当然ながら時間のロスは増える。

その日は忙しかったため、夫はスガっちを現場に行かせた。


渋々向かったスガっちだが、一回で根を上げ、勝手に会社へ戻ってくると

「何で俺が?」

「こんなことをさせられるために入ったんじゃない」

などの勘違い発言を連発。

現場から公道に出るダンプを外に立って待つのも不本意だが

何より、今まで見下していた運転手のタイヤ…

つまり足を洗う行為に、彼のプライドは傷ついたらしい。


甘い夫も、その時は厳しく言った。

「あんたが積込みをしてくれるんなら、ワシが行っとる。

去年まではうちの取引先におったかもしれんが、今は立場が変わったんじゃ。

いつまでもチヤホヤできん」


もちろん、これで心を入れ替えるようなスガっちではない。

相変わらず、のんべんだらりと一日を過ごしながら

本社から人が来た時だけ、急に水撒きや草むしりを始める日々が続く。

働かない人とは、そういうものだ。

皆にできることを「できない」と、臆面なく言える。

それを恥と思わないからだ。

できないと言えばやるべきことが減って、もっと楽ができるのを

経験で熟知しているのである。


夫はこの一件で、スガっちにはサジを投げた。

それでも、藤村よりマシだと言う。

勘違いも怠け者も同じだが、スガっちには

夫に成り代わってやろうという野心が無い。

いっそ彼のように真性の昼あんどんの方が

嘘や芝居で陥れられる心配がいらないので気楽なんだそう。


アシストしないアシスタントを雇い続けるのはバカバカしいと思われるだろうが

パートといえど、一旦、入社を認めたからには

「働かないから辞めてちょうだい」というわけにはいかない。

その代わり、パートには配置転換、契約期間という名の抜け道がある。

スガっちは1年契約なので、このままの状態であれば

来年3月、契約を更新しなければいいことだ。


一方、4月から入社した50代の女性運転手、ヒロミは絶好調。

すぐにクラッチを焼く、クラッチ名人という触れ込みだったが

今のところ、まだ焼けていない。

これまで転々とした職場とは、仕事の内容が違うからだと思われる。

また、息子たちを始め社員と気が合ったようで

操作を基本から教えられたことも、大いに関係しているように思う。

息子たちは彼女のことを「ネエ」と呼び、男友達の扱いになっている。


ヒロミと私が旧知の仲だったこともあり、息子たちは最初から彼女に友好的だったが

仕事仲間として認めたのは、入社して日の浅い頃にあった出来事からだ。

取引先の事務所へ納品伝票のサインをもらいに行く時

ヒロミは顔の下半分をタオルで覆い、両端を後頭部で縛って

覆面のようにしてダンプから降りてきたという。

「どしたん?」

とたずねると

「マスクが壊れた」

大爆笑は言うまでもない。


取引先の事務所への出入りは当然、マスク着用が義務づけられている。

それなのに、予備のマスクを用意してない短絡…

誰かにマスクをもらおうと考えない不器用…

誰かに頼んで、自分の代わりにサインをもらって来させることを考えない独立心…

迷わずギャングのようにタオルで縛り、大真面目でいられる愚直…

これによって息子たちは、ヒロミが自分たちと同じ人種だと理解した。

そして彼女を仲間として受け入れたのだった。


息子たちの兄弟仲は、2年4ヶ月に渡って決裂していた。

ヒロミが入社した月の末に仲直りしたが

彼女が日々もたらしてくれる笑いも、息子たちの心をほぐしたと思っている。


ともあれ、一人が良かったら一人はダメだった…

しかも期待していた方がダメで、全然期待してなかった方がイケた…

これは人を雇う上で、よくあること。

確率が2分の1であれば、会社としては儲けものである。

《続く》
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