殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

始まりは4年前・13

2024年08月11日 21時35分07秒 | みりこん流

マーヤが帰省した時の記憶が薄れて来たからか

私の差し入れがあるので料理を作らなくなって楽になったのか

2月に入ると、母はだんだん元気を取り戻していった。

元気になったら、うごめき始めるのはコーラスの虫。

性懲りもなく、また再開しおった。

 

しかし今度は発表会やコンサートに出ず、練習だけの参加だそう。

舞台に立つと、緊張で胸が苦しくなるという理由からだ。

先生にも病名は伝えてあるため、特例を認めてくれた。

 

けれども母の本意は別のところにある。

舞台でライトを浴びると

その高揚感を生涯忘れられない人がよくいるけど、彼女もそのクチ。

舞台への思いを捨て切れなくて

実はやる気になった時だけ、舞台に出たいのだ。

 

母は老人性の体温低下で、この数年はひどく寒がりになった。

肌を出したドレスが苦になってきたので、寒い時期は避けたい。

けれども初夏以降のコンサートには、出る気満々。

そこで冬の間は病気を理由に練習だけ顔を出し

暖かくなるのを待つ…それが母の密かな予定である。

 

そのことでまたゴタゴタするかもしれないが

もはやどうでもいい。

母はもう、舞台には立てないと思う。

病気でなく、もっと現実的な問題。

身長がますます縮んだので

ドレスのスソはどれも長くなってしまい、床を引きずるはずだ。

銀のハイヒールも足が弱ったので、もう履いて歩けはしない。

 

とはいえこのハイヒールには、秘密がある。

母は数年前、急に「カカトが高い」と言い出し

新しいのを買えばいいのに、なぜか靴の修理屋へ持ち込んで

カカトを切ってもらった。

その時、修理屋さんは止めたそうだ。

「カカトを切ると、バランスが取れなくなってグラグラするから

やめた方がいいですよ」

しかし母は耳を貸さず、どうしても切ってと言い張ったら

シブシブ切ってくれたそうだ。

 

母からそれを聞いた当時、私は隣のおじさんを思い出したものだ。

彼は急に「ベッドが長過ぎるから切れ」と言い出し

おばさんが困って、うちへ来たことがある。

おじさんはやがて認知症とわかったが

最後には包丁を振り回して警察沙汰になり、精神病院へ入院した。

この包丁事件は、記事にした覚えがある。

 

認知症になると、何かとんでもない物を切りたくなるのか。

それとも既存の品物の形を変えたくなるのか。

隣のおじさんと同じ雰囲気を感じた私だったが

本当はあの頃から、おかしかったのかもしれないのはさておき

「舞台に立つと足がグラグラして、立っているのがやっとなんよ」

母はコンサートのたびに言うようになった。

 

だけど本人、カカトを切ったのは忘却の彼方。

グラグラを身体の衰えだと思い込み、徐々に自信を無くしていったが

本当はハイヒールのカカトを切ったからだと思う。

しかし、それを母に言ったところで手遅れだから、言わない。

ともあれ、しばらくは練習のある毎週月曜日の午後は電話がかからないし

呼ばれることも無いのが保証されたのだから、それを喜ぼうではないか。

 

母は小康状態を保ったまま、5月いっぱいまでを過ごした。

毎日の電話と、差し入れ付きの訪問は依然として変わらず。

しかし我々夫婦と行く買い物ツアーの回数は

ジワジワと増加しつつあった。

買い物ツアーとは、午前中から市外に出て

ホームセンターやスーパーをハシゴし

合間で外食をする、なかなかの強行軍である。

 

気がつけば母からの電話は、不安の訴えが目的ではなくなっていた。

人混みと買い物と外食の好きな彼女は、毎日でも出かけたい。

先週や数日前に行ったことなど忘れているのか

忘れたフリなのかは知らないが

こちらが「行く」と言うまで電話をかけて、お出かけをねだる。

母は楽しいかも知れないが、我々は運転と介護で

ちっとも楽しくないのが実情。

自分主導でやって行こうと決めたはずなのに

いつの間にか、また母の主導に変わっていた。

 

一つ許したら最後、当然のように二つも三つも要求し

叶うまで電話をかけてくる彼女の性質は熟知しているので

いずれそうなるとは思っていた。

一人暮らしが嫌になり、人を求める気持ちが強まればなおさらだ。

 

そうなったらもう、我々に休日は無くなる。

母にかまけることが多くなり、同居する義母ヨシコも機嫌が悪い。

そのため、この状況になる時期をできるだけ引き伸ばしたつもりだが

それも限界に来たようだ。

 

そんな5月の末、例のごとく買い物に行った。

先週も行ったばかりだし、運転させる夫に申し訳ないので

「一人で大丈夫」と言ったが、やはり夫は一緒に来る。

家に残っても年寄りに振り回されるので

同じ地獄なら外に出た方がマシという、いつもの夫の弁である。

 

その日の買い物ツアーは、ハシゴする店を一軒飛ばしたため

いつもより早い午後1時半に終了。

早く終わって良かった、と思う我ら夫婦。

しかし母は、「まだ帰るには早いね」と言い出した。

 

ドキッ!

母はひとたび出かけたら、時間いっぱい人を使い倒すので

いつもは帰る時間を早からず遅からずに調節している。

しかし、この日は私に油断があった。

深く反省。

 

「お父さんの実家へ行ってみようか」

それは運転する人間が言うセリフと思うが、それが母である。

夫は変わらず無表情、しかしいつも以上の強引に

かなり驚いているのがわかった。

 

父の実家は、県内の山間部にある。

現在地から、1時間弱というところか。

日頃は人が住んでいないので、ただ見に行くだけだ。

子供の頃は毎年、夏休みや秋祭りに泊まらせてもらったが

1年で一番楽しい時間だった。

優しい伯父一家、広がる田畑、輝く稲穂、吹き渡る風…

私の原点とも言える。

母もまた、父や娘と泊まりに行っていた頃が

良い思い出として残っているようで、道中はツラツラとその話をしていた。

 

やがて目的地に到着。

やっぱりいつ来ても美しく気持ちのいい場所だ。

「ここに来るのも、これが最後になるわね」

母は家の前に立ち、映画のヒロインのように言う。

そのセリフが現実になるとは、その時は思わなかった私である。

《続く》

コメント
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