殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

カーネーション

2012年02月24日 11時48分21秒 | みりこんぐらし
NHK朝の連続ドラマ『カーネーション』を毎日見ている。

中1の頃から、アンアンやノンノといった

ファッション雑誌を愛読していた私にとって

デザイナー、コシノジュンコは憧れの存在であった。


彼女のデザインした洋服に憧れていたのではない。

それは、田舎の中学生には突飛すぎた。

まことに申し訳ない言い方だが

「顔は関係無い」と知らしめてくれた、最初の存在としてである。


中学といえば自意識が芽生え、自分の容姿にコンプレックスを抱く年ごろ。

私もまた、例外ではなかった。

一才下に美人と呼ばれる妹を持つ身にとって、顔は大問題じゃ。

「妹と違うね」「本当に姉妹?」

口さがない人々の発言に、黙ってうなづき続けるのは苦行であった。


そんな私にとって、ジュンコ様のご活躍は希望の光だった。

「個性的」というのは、なんと便利な言葉よ…

大人になってもこのままならば、あの鋭角なおかっぱ頭や

これでもかのアイラインを実行するわ…

とんでもない洋服とアクセサリーなんかで、人の視線をかく乱するのよ…

そう思うと、ホッとしたものだ。


やがて思春期特有の強い自意識から解放されると

顔のコンプレックスはいつの間にか消えた。

結婚後に知る亭主の浮気に比べれば、実に他愛ない悩みであった。


解放されてみると、不二家のペコちゃんとダルビッシュがきょうだいだと言われて

「あらそうだったの、ふーん」では流せない、人の気持ちもわかるというものだ。

同じ条件のもとで生産されながら、形状が大きく異なる二つの個体を目にした時

つい比較をしてしまうのは、自然な反応であろう。


動機が不純とはいえ、なにしろ私に希望を与えてくれたおかたと

その家族を描いたドラマであるから、とりあえず見る。

注目は、やはりジュンコ様。

“赤ん坊”と言うより“暴れん坊”だった、幼少のジュンコ様の悪行三昧は

人様から「ダミアン(ホラー映画“オーメン”の主人公)」

と呼ばれて嫌われていた、我が長男の乳幼児時代と似ている。

私は我が子の故障やタタリを疑ったが、周囲に人手の多かったジュンコ様は

日々の喧騒にまぎれて、すくすくと才能をお伸ばしあそばされたご様子である。


主な登場人物の外見は、現物とあまりにも違うが

これはこれで、楽しめるホームドラマだ。

大人におなりあそばしたジュンコ様だけは、本物とよく似ている。

奇異や特異に思える外観も、有名になれば「かっこいい」に転じる。

人間界と神界をつなぐ巫女のごとく

女性とファッションをつなぐシャーマンのいでたちとして

人々を納得させてしまうパワーを持つのだろう。


劇中、これでもかと起こるユーモラスなエピソードは

家系的に美的水準が高めでないのと

自立した女系家族特有の中性化があってこそ、生まれる内容も多いと感じる。


主人公一家が、画面通りに美しくて女らしければ

いくら腕やセンスが一流でも、あんなに有名になっただろうか。

自分が美しくないからわかるのだが

美人は美しさに甘えてしまい、どこかで手を抜く。

そうでない者は、自分をどうにかして美しくカッコ良く見せる技を

どこまでも探求する。

その精神を顧客にも、真摯に摘要したからではないのか。


近所のおじちゃん達だって、女ばかりの所帯へあんなに入り浸れるだろうか。

奧さんが妬けず、他人にも邪推されない“外見安全地帯”だからではないのか。

関西人の優しさ、温かさ、気っぷの良さ、だんじり祭の絆などを差し引いても

特別安全区域という印象は残留する。

それら特区ならではのエピソードを美しい女優が演じることで

おなべバーのような一種独特の楽しさをかもし出している。


安全地帯とはいえ、主人公“お母ちゃん”は

戦争未亡人になった後、妻子ある人と恋をする。

これは別名不倫というのだろうけど

戦争によって日本中が食い詰めた時代と、現在とでは

生々しさの度合いが異なるようだ。


“お母ちゃん”の恋は、寡婦の寂しさとか、人の旦那を奪ったなんていう

浮ついたものではなく、自分の家のついでにもう一軒

彼氏一家の生活も支えたと言うほうが似つかわしい。

彼氏にとっては、困っている時に仕事をくれて

生活のメドを立たせてくれた救世主だったのだ。

男がかわいければ、その家族もまたかわいい…

裕福から生まれる余裕と、後でグズグズ言わない潔さが

“お母ちゃん”の魅力である。


さて、ドラマは終盤に入った。

いつもキーキー騒ぐ、助手の昌ちゃんの人気も出てきた。

ここでNHKは、現物とかけ離れた配役の集大成として

夏木マリを起用する予定らしい。

主人公である“お母ちゃん”は、そのうち夏木マリに変身するわけだ。

もはや、あっぱれとしか言いようがない。


これまでお母ちゃん役だった子も、チャキチャキして好きだが

大物女優夏木マリは、もっと好きだ。

おなべバー、いよいよ銀座並木通りに出店…というところか。

楽しみである。
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会計係

2012年02月17日 13時42分48秒 | みりこんぐらし
              『五十肩・アゲイン』

今度は右肩。

一昨年やった左肩の無理がきたみたいね。

長さ1メートルくらいあるこのポールで、トレーニング中ざます。




同窓会の会計係になったのは、以前お話しした。

任期は3年。

なぜこういうことになったのか、経緯は知らないが

無職で暇そうなのは、誰が見てもわかろう。

気がついたら、そうなっていた。

来たものは、拒まない。

今まで免れていた幸運に、チラリと思いを馳せるのみ。


その役目を通して同級生を眺め、しみじみ思う。

人間、50を過ぎると、これまでの生き方が表面に現れやすくなるようだ。

口うるさい者は、よりうるさく、セコい者は、よりセコさを増す。

反面、好ましい者や尊敬している者は、さらに好ましく貴重に思え

この友人を与えられた感謝感動が、わき上がる。


しかしそれらの印象は、私の身勝手な感覚でもある。

これまでは、気の合う者とだけつるんでいればよかったのが

役員になって会に深く関われば、あまり接触の無かった者とも

交流せざるを得なくなる。

接触しなかったのは、気が合わなかったからであり

接触を好んだのは、ひとえに気が合ったからに過ぎない。

それを気ままなオバサンの視線で、暇にあかせて眺めれば

ボロも宝も出てくるというものだ。



会計の前任者は、ヨシエ。

保育士の彼女は、ずっと「先生とは」をテーマに生きてきたような

真面目人間である。

会計を9年もやってくれていたが、今回私と交代することになった。


この引き継ぎで、まずつまづいた。

何回聞いても、よくわからない。

ただの同窓会の会計が、途方もなく難しい仕事に思えてくる。

自分の頭は、もう社会に適合しないのではないかとすら考えた。


「こんなに理解力が無いとは思わなかった…」

ヨシエにサジを投げられ、通帳や帳簿、事務用品一式の入った

大きな袋を二つ抱えて、力なく帰宅。

家でじっくり見て、やっと判明した。

わかってないのはヨシエだったと。


幼児教育ではベテランを誇るヨシエだが

数字に関しては、まったくのしろうとであった。

わからないまま編み出した我流を

仕事で少々かじった私に教えていたわけだ。

簿記の基礎を無視した手作りの帳簿を何冊も作って

いたずらに仕事を増やし、複雑にしていただけであった。


ヨシエは私のために、手作りノートを何冊も用意してくれていた。

1ページずつ、何本も縦線を引いて項目を記入し

後ろから前に進む、使いにくさを極めたオリジナルである。

これでよく収支が合っていたものだと、別の意味で感心してしまう。


「頑張れば、きっとできるわ」

先生っぽく私を励ましたヨシエ。

できるもんかい…私は迷わず新しい出納帳を買った。


既製品の出納帳は、次にヨシエが会計になるまでは、ばれない。

その頃には、お互い頭もボケているだろうから大丈夫。

しかし、会の通信を送った時、糊付きの封筒にクレームがついた。

「糊付きは高いのよ!

 会費は大切に使わないとだめじゃない!」

使いものにならないノートを何冊も買うのは、いいらしい。

来年も、糊付きの封筒にしようと誓う。


今年度初の会合では「笑顔が足りない」と、皆の前で注意を受ける。

なにしろ先生様なので、何かアドバイスしないと気が済まないのだ。

いつも仏頂面で「ほら、早く、金、金」と

感じ悪く会費を取り立てていた者に言われたくないが

どうやら会計には、笑顔が必要らしい。

別の日、同級生の親の葬式で「今日の笑顔はどう?」と聞いたら

「バカ!時と場合を考えなさい!」

と、また怒られた。


それを聞いていた者達は

「引退しても、相変わらずね」

「みりこんは打たれ強いから、大丈夫」

「私の時は、泣いちゃった」

などと言うではないか。

ヨシエの横暴は、皆知っていたようだ。


無職で暇な上に、鈍感。

もしかして、これが私を会計にした本当の理由かもしれない。

ヨシエの引き継ぎやご指南が怖くて、他になり手がなかったのだ。

日頃、同級生、同級生と言っているわりに、私は何も知っちゃいなかった。

働いていた頃は、他の者が犠牲になってくれていたのだと

改めて申し訳なく思う。



さて、年に5回ほど、10数人が集まる地元の会合がある。

その幹事も、私の仕事だ。


これまでは、同級生のルリコが経営する小さな食堂で行うのが慣例であった。

狭いのもあって、貸し切りにしてくれるのはありがたいんだけど

お会計が、どうも明朗じゃないみたい。

経営が厳しいのはわかるが、この数年、割り勘の額が高まる一方だ。

一人5千円以上払うのなら、おいしくもなく、清潔でもない

ルリコの店でなくていいじゃないかと、数々のブーイングもあった。

だんだん集まりが悪くなってきたのは、それが原因ではないのか。


会がお開きとなり、勘定をたずねたら、7万ちょうどだった。

その日はルリコも入れて、15人の集まり。

早めに行って配膳を手伝ったので、席も料理も

15人分用意してあったのは知っている。

が、ルリコは慣れた様子で、総額を14で割った。

高いはずである。


私でも、暗算くらいはできる。

一人当たり、ぽっきり5千円。

ルリコは「ハシタをもいであげた」と強調するものの

これはひょっとして、どんぶり勘定と呼ぶのではないのか。

もちろん、いい加減な自分のことは、棚に上げている私である。


14じゃなくて、15で割ってくれと言うと

「私は忙しくて、そんなに食べてないのに」

と、ふくれるルリコ。

見苦しい。


前任者であるヨシエの任期が長かったため

いつしか二人の間で、なあなあになっていたらしい。

これはひょっとして、癒着と呼ぶのではないのか。

もちろん、だらしない自分のことは、棚に上げている私である。


次からは独断で、店を変えることにした。

会計はやはり、正規の任期で交代するのが正しいと思った。
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たのしん

2012年02月08日 10時48分30秒 | みりこんぐらし
先月の話になるが“たのしん(楽しい新年会)”をした。

昨年末、たのぼう(楽しい忘年会)をしたメンバーだ。

選挙で親しくなった中高年女子4人と、そのご主人2人の計6人である。


“たのしん”だから、もちろん楽しかった。

しかし“たのぼう”ほどの興奮は無い。

たのぼうで敗戦のうっぷんを晴らした我々は、すっかり毒気を抜かれていた。

年が明けてまで、グズグズ言う気になれなかった。


終わり頃、こんな会話をしただけである。

「次の市長選に出るって、噂があるけど」

「もう勘弁してくれ」

「また立候補したって、知るものか」

「取り巻きがいかん、取り巻きが」

「特に、あの女性経営者の会の人達」

「中でも、AさんにBさんにCさんにDさん」

「あの、上から目線はすごかった」

「うさん臭いんじゃ!」

「そうじゃそうじゃ!ワハハ!」

♪うさんくさ、それ、うさんくさ…♪

手拍子を打ち、小声で合唱しながら二階の個室を出た。


ロビーにつながる階段まで来た時、階下がひどく賑やかなことに気づく。

「なにごと?」

「さあ?」

一階の宴会場で、何か大きなイベントがあるようだ。

我々爺と婆のかたまりは、しずしずと大階段を降りる花嫁のように

ロビーの人々の注目を一斉に浴びる羽目となる。


その日は、先の総選挙で落選した

元国会議員の新年御例会であった。

すっかり忘れていた。


ここで、我々は目を見張る。

女性経営者の会のAさんBさんCさんDさんが

すましてたたずんでいるではないか。

さっき、♪うさんくさ♪と歌ったばかりのスペシャルメンバーが

御例会の受付け係として、横並びに整列していたのある。


噂をすれば影とは言うけど、全員が順番通りに並んで出現したら

どう言えばいいのだろう。

「ここ、困るとこ?喜ぶとこ?」

「喜ぶとこでしょう」


他の者は、そのまま出口に向かった。

しかし幹事の私は支払いのために、彼らの前を横切って

フロントへ行かなければならない。


「みりこんさん!」

まずAさんに声をかけられる。

「何で?何でここにいるの?」

「どうしてあなたとあの人達が一緒なの?」

他のスペシャルメンバーも、口々に問う。


彼らの口ぶりは、意外な場所でバッタリ会った知り合いに

無邪気な疑問を投げかけるといった様子ではない。

フレンドリーを装いつつも、目が真剣である。

その真剣には、軽い非難とかすかな恐怖が含まれていた。

つまり我々は、とても怪しまれているのだった。


不遜、傲慢、選民意識が服を着て歩いているような人々にとって

我々のしていることは、勝手な振る舞いであるらしかった。

とがめる権利は無いが、いい気分ではないといったところ。

配置場所の異なる実働者が交わって、詳しい情報交換をされたら困るのだ。

悪口を言われているのではないかと、心配になるらしい。

言ったけど。


なんとなく後ろ暗いところがあるから、そういう気持ちになる。

取り巻きという親しさに甘えて口だけだった者と、実働した者の間に起きる

選挙の後産(あとざん)みたいなもの。

その気分は、同時に退職した社員が6人で

同じ業種の会社を立ち上げたのを知って怯える

気の小さい社長のようなものだと想像する。


この現象は「やってるつもり」の人口割合が多いために

最後までまとまらなかった過去の陣営において、何度か経験がある。

負けたら、その感情はもっと強いものになるようだ。

「やってるつもり」が多すぎたからこそ、負けたとも言える。

敗戦してみて、初めてわかった。


「ね…どういった集まり?」

一同は、私を凝視する。

答えなければ、こいつらは今夜眠れないだろう。


だから、優しい!私は、教えてさしあげる。

   「選挙以来すっかり仲良くなって、時々遊んでるのよ」

「そ…そう…」

「あの…いつもこうして集まってるの?」

   「時々ね。

    きれいどころがお揃いで、今日は御例会のお世話?」

「そうよ…頼まれてね」

「町のためになることだからね」

   「それはそれは。

    町のために、頑張ってね」


女学生のごとく笑い転げながら、二次会へと向かった爺と婆6人。

喫茶店で、さっきのサプライズをひとしきり笑い終えた頃

ラン子が言う。

「Aさんたら、あの席でカスリの着物は無いと思うわ。

 帯も全然合ってない」

あんたが言うか。
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エキストラ

2012年02月02日 11時14分16秒 | みりこんぐらし
          “記念品”


先日、ドラマのエキストラをした。

離れた町に住む友人が、ロケの世話役をすることになり

そこから要請があった。

友人は、俗に言う地元の名士の夫人。

観光協会から依頼があれば、自宅や庭を撮影に貸したりもするので

たまにこういうことがある。


去年声がかかったのは韓流ドラマで、興味が無いため行かなかった。

その前は夏で、暑いのが嫌で行かなかった。

エキストラなんて、近所でいくらでも調達できるのに

わざわざ遠くの私に声をかけてくれた善意を無にしていた。

しかし今回は、サスペンスドラマ…そして冬。

二つ返事で引き受けた。


あと何人か欲しいと言われ、4人の友人に声を掛けたら

狂喜乱舞、何としてでも行くと言う。

ミーハーは、私だけではなかったようだ。




当日の夕方、我々5人のオバサンは、女優気取りでロケ地へ乗り込んだ。

集合場所の公共施設には、同じくエキストラをする地元の人々が

30人ほど集まっていた。


撮影するのは、殺された人の通夜のシーン。

葬儀屋さんを呼んで、本格的に組まれたセットであった。

喪服を着込んで数珠を持ち、スタンバイOK。


皆の意気込みは、かなりのものであった。

友人と久々の再会を喜び合う私を尻目に

モンちゃんは、いつもかけている眼鏡をはずし

ナツミは、念入りにメイク直しを続け

極度の寒がりのサチコは、毛糸の靴下を脱いでいた。

年配のヤエさん、ツヤツヤと栗色に輝くキノコ状の

カツラをかぶって来たのにも驚いたが、今度は二つ持って来た真珠の指輪を

玉の大きいほうに換えているではないか。


最初にADと呼ばれる若者が

エキストラの中でも重要な役割をする10人を選ぶ。

選考の基準は、殺された人と同年代の中年女性。

一同、固唾を飲んで審判を待つ。

我々5人も、まんじりともせずにADを見つめたが、全員漏れた。


選ばれた人は、ナチュラルカラーのロングヘア率と、小柄率高し。

高年にさしかかった我々は、すでに中年という最低条件すら

満たしていないのも忘れ、揃ってショートヘアを残念がった。

なぜならこの10人は、出番が多いばかりではなく

ロケ弁という名の未知なる食品をいただけると言うではないか。


「フン…いかにも田舎のお通夜にいそうなオバサンが必要だからよ」

サチコが負け惜しみを言う。

さすが我が友人である。


しかしほどなく、その人達の出番は夜中で

しかも屋外の撮影と聞き、ホッとする。

この寒さの中、ロケ弁と引き換えに

健やかな老後を無にするわけにはいかない。

体が元手だ。


次の選考は、通夜の席で親族として座る役が10人。

殺された人の奧さん役をする女優(名前は知らない)と一緒の席に着くので

映る確率高し。

まず白髪頭の老人男女、学生服を着た少年がピックアップされた。

ヤエさん、ヅラをかぶって来たのを悔しがる。


あとは女性2人が選ばれることになったが

5人は、ここでも徹底的に無視される。

我々は半ばヤケで、その他大勢の参列者としてパイプ椅子に座った。


女優や俳優が到着し、打ち合わせと短い撮影がいくつか終了したら

私がまず室外へ誘導される。

「ご苦労様でした」と言われたので、もういらんということだろう。

残念…チーン。

振り返り振り返り、退場。


部屋を出て撮影を見学していると、私のようにお役ご免となった者が

一人、また一人と部屋を出てくる。

5人のうち、最後まで参列者としてパイプ椅子に残ったのは

眼鏡をはずしたモンちゃんと、メイクが念入りなナツミ。

どっちも背中しか映らない。


ドラマの撮影隊というのは、もっとピリピリしているのかと思ったら

監督以下、皆和気あいあいと和やかそのものである。

でも役者って、大変な仕事みたい。

ここで何歩とか、ふりむき方とか、顔つきとか

ほんの数秒のシーンでも、一挙手一投足、細かい打ち合わせがあり

指示、テスト、本番、チェックの繰り返し。

知らない所へ来て、暑かろうが寒かろうが

昼だろうが夜だろうが、ああせぇこうせぇ…

私には耐えられないわ。

大丈夫か、主婦だから。


すっかりだらけていたら、ADから声がかかった。

「ここに立って、女優さんが前に進んだら、4つ数えて進んでください」

脚本では、その女優(けっこう有名)と、もう一人の俳優(かなり有名)は

何やら確執がある設定になっている。

この二人がからむシーンで、私はその横を通り過ぎる役だ。

早い話が通行人。


「あなた、やっぱりオーラが出てるのよ」

などと周囲の人々に言われ、背中を叩かれたりして、すっかりいい気になる。

サチコも、私の後ろを横切る役を与えられて嬉しそう。

この頃には日もとっぷり暮れ、底冷えがしんしんと身に沁みる。

でも、今の私は女優よ…寒さなんかに負けないわ!


あの、テレビでよく見る女優の後ろを歩き

あの、誰でも知っている俳優とすれ違う。

女優という生き物は、とても小さくて、身の厚みが薄く、色白で顔の半分が目。

俳優という生き物は、とても肌がきれいで、身のこなしがスマート。

今をときめく主役級は、夜中の撮影に登場するらしいけど

これでも充分幸せだわ!


しかし撮影はされたいが、テレビで流れるのは嫌という

この矛盾した気持ちをどうすればいいのか。

そんなことを考えているうちに、出番は終了した。


控え室で、ADが問う。

「最初に選ばれた10名の皆さん以外は、これでお帰りいただきます。

 これといった撮影が無かった人は、いらっしゃいますか?」

エキストラの中で一人、ヤエさんが悲しそうに手を挙げる。

やはり不自然なヅラが響いたのだろうか。


「すみません、皆さんに役が当たるように

 気をつけていたつもりだったんですが。

 せっかく来ていただいたのに、申し訳ないです。

 記念品を二つ持って帰ってください」

若いイケメンのADは、歯切れ良く言うた…言いおった。


オーラも何も、まったく関係ないのであった。

無料で使う田舎のしろうとに、お情けで軽い役を振り分け

サービスしてくれただけであった。

めくるめくエキストラの一夜は、こうして終わった。
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