殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

近時事・演説編

2019年09月29日 10時23分36秒 | みりこんばばの時事
『グレタちゃん』




〝私から皆さんへのメッセージ


それは「私たちはあなたたちを見ている」ということです。


私は今、この壇上にいるべきではありません。


私は海の向こうで学校に行っているべきです。


それなのに、あなたたちは私に希望を求めてここにきたのですか?


よくそんなことができますね!〟



国連で各国の政治家に向け、きつ〜い発言をなされた


16才の環境活動家、グレタ・トゥーンベリ氏。


おっしゃりたいことはわかるつもり。


吠えて大人たちに水を浴びせることで


地球温暖化の問題を真剣に考えるきっかけにはなると思うわ。


年端もいかない女の子が出てきて


まさかこんなこと言うとは思わなかったでしょうね。


インパクトの面では成功だったんじゃないかしら。



でもそれを見た私は


なにやら寒々とした気持ちになったものよ。


私、滅多にやらないウグイスという職業柄に加え


たま〜に人前で話す機会があるもんで


演説にはちょいとうるさいのよ。



環境問題の改善を訴えて学校へ行かないのは


彼女自身が選択したストライキの方法だし


誰が推薦したんだか、国連を訪れて演説をすることも


無理矢理ではなく彼女の意志。


その責任まで演説の聴衆におっかぶせるという


他罰的な話の流れはおかしいし


激昂して叫べば情熱ということになるって


どこかの国とそっくりなんだもの。


バックの組織に養成された子役という印象も


ぬぐえないまま。


これでノーベル平和賞なんてことになったら嫌だわ‥


そんなことを考えちゃった。




『小泉ちゃん』




〝気候変動のような大きな問題は


楽しくカッコよくセクシーであるべきだ〟


ニューヨークの環境関連会議で国際デビューした


小泉環境大臣の発言。


セクシー発言が国内外で物議をかもして


日本国民としては恥ずかしかったわ。



演説にうるさい私に言わせると


彼、演説はうまいのよ。


まず見た目がいいし、声が大きくてハッキリしてて


言葉の選び方もインパクト重視で、いい。


内容も起承転結も無いけど


人寄せパンダの名は欲しいままよ。


いいのよ、演説はそれで。


人心をつかめば成功なんだもの。



が、演説はできても討論はできない。


一方的なしゃべりは得意でも、会話のキャッチボールは無理。


これはお父さん譲り。



セクシー発言が物議をかもしたのは


その後の言葉を用意してなかったからよ。


楽しくカッコよくセクシーであるべきだ‥


最初に突飛なこと言って注目させておきながら


楽しくカッコよくセクシーな具体策を考えていなかった。


そこを質問されたら


「大臣になって日が浅いので、考え中」


そりゃ失望されるでしょ。


次期総理大臣の芽は、ここで一旦摘まれてホッとしたわ。


口だけ大臣、顔だけ大臣に


今度はインパクト大臣も加わったわね。
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弱り目に祟り目

2019年09月27日 11時11分07秒 | みりこんぐらし
自慢じゃないけど、熱を出して10日ほど寝ていた。


年末で還暦、還暦といえば大厄。


本人や身内の病気、あるいは死


思わぬ怪我や仕事のアクシデントなど、去年から今年にかけて


同級生たちに次々と襲いかかる大小の不幸を目の当たりにするたびに


それなりの覚悟はしてきたが


いよいよ私にもその前兆が現れたような気がする。


元気だけが取り柄、元気しかない私から


元気を取ったらただのババア。


年を取るってこういうことなのね。



強いて言うなら、こうなるきっかけに心当たりはあった。


決算期で仕事が多少忙しく、家事は相変わらずオーバーワーク気味。


ちょっとしんどいかな?と思っていたある日


懐かしい人物に会ったのだ。


10才年下のクミちゃん。


我々夫婦が新婚時代に住んでいたアパートの住人である。



当時中学生だった彼女は、2人の妹と入れ替わり立ち替わり


よく遊びに来て、小さかったうちの長男の世話をしてくれたものだ。


しつけの行き届いた三姉妹は、ともすれば私よりしっかりして見えた。



数年後、我々が夫の両親と同居するためにアパートを出てからも


姉妹は時々遊びに来た。


姉妹の人懐こさと、はちきれんばかりの明るさには


きつい義父もタジタジで、私は密かに溜飲を下げたものだ。



以来、付き合いはずっと続いている。


クミちゃんとは、この何年か会わなかったが


今回、スーパーの駐車場でバッタリ、というわけだ。



久しぶりに見たクミちゃんの顔は、心なしかやつれて見えた。


この子も50才‥仕方ないわよね‥


と思っていたら、何だか訳がありそう。


私に駆け寄るなり、「うぇ〜ん」と泣き真似をする。



「どしたん?」


「旦那の母親と暮らしょうるんよ‥」


「ええっ?」


「3年前に旦那の父親が死んで、お義母さんが心細がるけん


一家で帰ったんよ。


今、2年目じゃけど、つらい‥」


「姑さん、70代じゃろ?先は長いで?


寂しい、なんて泣きつかれて、任しとき!って言うたんじゃろ」


「当たり‥」


「で、助けてあげたつもりが、いつの間にか女中にされて


タカラれ放題のむしられ三昧。


心細いのはハートじゃなくて、一人分になった年金じゃった、と。


今となっては自分が先走っただけで


向こうが本当に同居を望んでいたかどうかは不明、と」


「何でわかるん!」


「経験者は語る」



自分だけでなく、ここにも火中の栗をうっかり拾った者がいた‥


しかも長い付き合いのクミちゃんが‥


私は無念だった。


が、今さら嘆いても仕方がない。


「あんまりつらかったら、同居を解消しなさい。


相手がマジで欲しいのは家族じゃなくて


あと数万円の生活費だったりする。


実際、多くのおばあちゃんが本当に欲しがっているのは


血を分けた我が子限定の温もりと、生活の余裕。


月々の経済援助を条件に話し合って


同居を解消した後は、ご主人がお母さんの所へ通えばいい」


そのような趣旨のことを言い聞かせた。


両親とも他界して久しい彼女に


こういう話をする者はいないからだ。



クミちゃんはパッと顔が明るくなった。


「どうにもならんかったら、別居してもええんじゃね?」


「そうで。


無理して向かんことして、寿命縮めること、ないで」


「ありがとう!おばちゃん!」


「大丈夫よ、いつでも相談に乗るけん」


そう言って別れた。



さっきクミちゃんに言った言葉を


8年前の自分に言いたかったぞ。


姑と暮らす8年は長い。


小姑が毎日来る8年は、もっと長い。


そうよ‥いつぞや職場のシフトが変わって


義姉が何週間か来なかったのは、すでに過去の話。


ペースをつかんでからは、相変わらずの連続里帰りだ。



一緒に暮らすことを決めた時、こやつら母娘を相手にするのは


生易しいものではないと覚悟した。


娘の言うことしか聞かない母親と


いまだに我が物顔で実家を牛耳りたい娘‥


一卵性母子のねっとりした鬱陶しさは


経験した者でなければ理解できないだろう。


が、それも年寄りが亡くなるまで‥


せいぜい5〜6年のことだろうとタカをくくっていた。



それがどうだ。


確かに義父の方は5〜6年でケリがついたものの


もう片方は、口うるさくて手のかかる伴侶がいなくなって


ますます元気バリバリ。



完全に目測を誤った‥そんなことを思いながら家に帰り


晩ごはんの支度をしていると


義母ヨシコがフラフラと台所へ来る。


「目が‥目が‥」



白目が真っ赤だ。


珍しいことではない。


ヨシコの血管年齢はとうに終わっているので


手足や結膜の毛細血管が破れて、時々出血するのだ。



手足の場合は破れた箇所の周辺が紫色になり


目の時は白目が真っ赤になって黒目の色が明るく変化する。


痛みは無いらしい。


血管年齢が寿命を決めるなんて、あてにならんね。



しかしその日は出血の範囲が広く、ヨシコも気分が悪そうなので


急いで眼科に電話をし、連れて行く。


診察時間が終わっていたので、先生やスタッフが総出で迎えてくれ


上機嫌のヨシコ。


さっきまで死にそうだったのは、何なんじゃ。


気がつきゃ、眼科へ行くにあたって


わざわざよそ行きのネックレスまでぶら下げとるじゃないか。



‥脱力。


これがいけなかった。


これでガックリきてしまった。


8年間の疲れがドッと出たのだ。


その夜から発熱して私は寝込み、前後不覚の日々を過ごした。



こんな時のために日頃から夫と息子たちを鍛え


買い物や洗い物の役割分担を明確にしてある。


ヨシコも頑張った。


洗濯を引き受け、味噌汁を作り、庭の掃除をした。


やればできるらしい。



こうして私は9月の中旬を寝て過ごし


やっと回復しかけた3日前の夜‥


寝ていたら、ムカデに刺された。


しかも下唇。


ガーン!



「泣きっ面にムカデ」「弱り目に下唇」


私の叫びを聞いて駆けつけた男どもは


薄ら笑いを浮かべて言い合う。


だが、不思議なことに痛くない。


刺された時は痛かったし、犯人のムカデは長男が退治した。


アゴの辺りを這う、ヤツの感触もありありと残っている。


でも痛くない。


こういうこともあるのね。



翌朝も痛みや痺れは無い。


しかし多少腫れた。


下唇だけ、叶姉妹。


ちょっと、ええ感じ。


私の冷酷そうな、そしていかにもおしゃべりそうな薄い下唇が


ぽってりと色っぽいじゃないの。


整形で唇を膨らませる人の気持ちがわかるわ〜。



しばらく、このままでいたい‥


できれば来月の女子会まで維持して


みんなに見せびらかしたい‥


そう願っていたけど、2日で元通りになってしまった。


残念だ。
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はだけ婆

2019年09月22日 21時13分58秒 | みりこんばばの時事
他人のことを婆なんて呼べない年齢の私だけど


この人には言ってもいい気がする。



佳子様の隣のおばさん。

前がはだけとる




また、はだけとる




はだけっぱなしやないかい




初の海外公務でオーストリアとハンガリーを訪問中の


佳子様の周りをうろつく普段着のおばさん。


佐藤 地(さとう くに)ハンガリー駐在大使だって。



ちゃんとした写真も、はだけとるが。



外務省出身のこの人、2年前までユネスコ大使だったんだけど


2015年に韓国の言いなりになって


日本が半島人に強制労働をさせたということを


ユネスコ世界遺産として登録させた立役者の一人。


日本の代表を名乗りながら日本を貶め、日本の国益を損ねた人よ。



どこかで見たことあるとは思ってたのよ。


人相風体に微塵の理知も感じられず


見事なまでの華の無さは、なかなか珍しいもの。


見なくなったと思ったら、はるかハンガリーで大使になってたなんてね。


驚いたわ。


反日売国の功労者としての、ごほうびかしら。



それにしても、皇族を軽視しているかのような服装と態度。


写真は一瞬を切り取るから、たまたまそう見えることもある‥


なんてランクじゃないわよ。






この写真だけ、胸がすいたわ。


隣のおじさんと乾杯しようとしてるけど


おじさんは可愛い佳子様を見てて無視。



日本の恥だから早く引退してもらいたいけど


こういうヤカラって、やたらと長生きで


いつまでも現役を続けたがるんだわ。


困ったものね。

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みりこん流・メイク道

2019年09月13日 08時08分19秒 | みりこん流
前々回の記事『みりこん流・ファッション道』が


こ‥好評(つけもりさん、poroさんの2名)だったので


調子に乗ってメイクの話をすることにした。



《基礎化粧品》


最近は資生堂ベネフィーク。


同級生のマミちゃんが経営する化粧品店で買っている。



それまでの数年間は、第一三共ヘルスケアが販売する


『トランシーノ』を使っていた。


ドラッグストアの店員さんから勧められた


美白に重点を置くシリーズだ。



3千円前後が中心で、美容液だけ6千円台という


比較的安価な価格帯にしては美白効果が高いという話だったが


使ってみて確かにそう思った。


よく潤うのに、使い心地が軽いところも気に入っていた。


やがて訪れる年金生活も


これなら何とかやりくりできそうじゃないか。


私はトランシーノを使い続けるつもりだった。



ところがこの冬、私の肌に異変が訪れる。


乾燥だ。


まぶたや鼻の付け根が突っ張って、不快きわまりない。


私は元々乾燥肌なのだが


トランシーノは実によくカバーしてくれていた。


しかし今回の乾燥は、どうにもならなかった。



今までにも増してスキンケアに気を配るが


いっこうに改善しない。


還暦が近づいて、肌までおばあちゃんになってきたようだ。



私はマミちゃんに相談した。


「乾燥が止まらんのよ‥」


そこで彼女が勧めたのは、ベネフィークの栄養クリーム。


1万1千ナンボ也。



外で働いていた頃には何とも思わなかった値段だが


トランシーノの安値に慣れ、来たるべき年金生活に向けて


細々とした暮らしというやつを意識し始めた身には


いささか高価に感じる。


しかし背に腹はかえられないので、買った。



で、使ったら、乾燥はたちどころに解消。


少量でよく伸びるため、ずいぶん長持ちする。


半年使って、先月2個目の詰め替えを買った。


お財布的には、乾燥を恐れるあまり


安いのをガンガン使うのとあんまり変わらない。


以後、他の基礎化粧品も徐々にベネフィークへと移行した。


今のところ、肌は好調だ。




《メイク編》


年を取って何が変わったかというと、肌質もそうだけど


メイクが楽しくなくなった。


加齢によって出現した欠点が隠しきれなくなったため


頑張っただけの効果が得られないのだ。


加齢によって出現した欠点とは‥


シミ、シワも多少は増えたが、私が許せないのは顔に走る線。



インディアンライン、マリオネットラインというのを


聞いたことがあるだろうか。


インディアンラインとは、目頭の下から耳の下にかけて


頬を斜めに突っ切る線のこと。


頬肉が豊かでない‥つまり私のようにペチャッとした顔に出やすい。


加齢で頬が下がると現れる、忌まわしき線だ。



この語源は、インディアンが頬に赤や白でペイントする斜めのライン。


西部劇なんて知らない世代に向けては


漫画の『ゴルゴ13』に出てくる主人公の顔になぞらえ


ゴルゴラインとも呼ばれている。


どっちにしても、いい気はしない。



マリオネットラインは、小鼻の横からあごにかけて


口の両側に入る縦の線のこと。


こっちは頬肉が盛り上がったタイプの顔に出やすい。


加齢で下垂した豊かな頬肉を、口角が支えきれなくなると出現する。



語源は腹話術の人形。


腹話術の人形は、しゃべっているように見せるため


口の部分だけパクパクと動かせるようになっている。


つまり頬と口の間に切り替えがあるのだ。


それと同じ形状なので、マリオネットラインと呼ばれる。



私の顔には、インディアンラインがすでに出現。


化粧をする時は鏡が近いのでわからないが


夜の蛍光灯や昼間の太陽光の下で


鏡やガラスに映る自分の顔を遠目で見たら、あるやんけ。


ガーン!


年に不足は無いものの、やつれた老婆感が物悲しい。


若い頃からマッサージを続けてきたというのに、徒労であった。



悲観してもしょうがないので、メイクでごまかすことを企てる。


以前から知っていた、簡単な方法を試すのだ。


頬紅をさす位置を変えるのである。



頬紅は通常、筆に取ったチークカラーを


まずにっこり笑うと盛り上がる部分に付け、外側に向かってぼかす。


しかしインディアンラインが出てしまった年寄りは


チークカラーの筆を耳たぶの横からスタートさせる。


そして頬の中心に向けて、下から上へ斜めに付けるという


従来のやり方とは真逆の方法。


つまり頬紅で、忌まわしきインディアンラインをなぞるのだ。



この手段は、まだインディアンラインなんて他人事だった若かりし頃


血流マッサージで有名な『かづきれいこ』さんが


テレビで推奨していた。


下から上に向かって斜めに頬紅を付けると


顔が立体的に見えるという説明だったが


その角度と軌跡からして


インディアンラインの対策であろうことは何となくわかった。


それをいよいよ実行する時が来たのだ。



で、やってみたら、忌まわしきラインがあんまり目立たない。


こりゃええわ‥ということで、すっかり定着。


考えてみりゃ、ババアの頬紅がどこから始まっていようと


気にする者は誰もいない。


早くやればよかった。



今の私にとって頬紅は、ほんのりとした血色を表現する


メイクの脇役ではない。


欠点をカバーし、崩れた顔の輪郭を修正する


重要アイテムへと昇格した。




頬紅に触れたついでに、アイメイクにも触れておこう。


もはや、まぶたに何をつけたって代わり映えはせず


あんまり凝ると田舎じゃ悪目立ちする年頃になった。


目の潤いが減り、アイカラーを付けると目がゴロゴロして涙が出るし


マスカラを付けたら、リムーバーで落とすのが面倒くさい。


だからアイメイクは、たまのおしゃれになってしまった。


私にこんな日が来ようとは、夢にも思わなかった。



このていたらくでも、同じやるなら若見えを目指したいのが人情よ。


以前ウグイスのメイクで触れたが


若見えメイクは眉と目を近づけるのがコツ。


眉と目の位置が近い‥それはすなわち若さの証明なのだ。


アイカラー、マスカラ、付けまつ毛、まつ毛エクステで


目をパッチリさせるのも


結局は目を眉に近づけるための手段である。



アイメイクをしなくなった年寄りでも


眉を下に描くことを心がけるだけで、ずいぶん変わる。


眉の構造上、あるいは実力上どうしても無理な場合は


せめて眉頭だけでも、目に近い位置から描き始めるといい。



余談になるが、右利きの場合


左の眉がうまく描けないという悩みをよく聞く。


これは実力の問題ではなく、ヒジの位置の問題。



右利きの習性として、まず得意な右側の眉を描き


それから左側に取り組む。


しかしこの時のヒジは


右側を描いた時と同じ位置のままであることが多い。



左側の眉は右手から遠いのに、ヒジの位置が同じだと


当たり前だが届きにくい。


そこで人間の習性としては


ペンシルを持つ手に顔の方を近づけようとする。


近づけるためにどうするかというと、無意識に首をかしげるのだ。



首をかしげて眉を描いたら、どうしても曲がってしまい


左右対象にならないという結果が訪れる。


左の眉を描く時は、ペンシルを持つ右手を


肩から意識して上げ、首をまっすぐに保てば上手に描ける。



眉毛イノチの私に眉のことを語らせたらキリが無くなるので


今日はこの辺で。


ごきげんよう。
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夏の発見

2019年09月02日 11時03分32秒 | みりこんぐらし
夏の昼間は仕事以外、できるだけ外出しない。


暑いのが嫌いなのもあるが、姑と暮らしていると


出る機会を失いがちなのもある。


「今日は疲れたので、家事はテキトー」


これでは済まないからだ。


体力の消耗が激しい夏は、出かける回数を減らすのが唯一の安全策。



それに私には、健康不安があった。


この数年、夏はしょっちゅう気分が悪くなる。


夕方から夜にかけて急な吐き気に襲われ


頭がクラクラしたり、冷や汗が出たりするのだ。




私はこの症状を加齢による精神の衰えと考えた。


「姑仕えもはや7年、平気なようでも心は正直なものね‥」


自分はハガネの精神力だと信じていたが


そうでもなかったことを残念に思いつつ


「夏はやっぱり、お家でいい子にしていましょう」


と決意するのだった。




そんな私が、今年の夏は実によく出かけた。


同級生が集まった7月末の花火見物を皮切りに


なんやかんやと出かける機会がやってくる。


一回弾みがつくと、なぜか次から次に予定が入り


しまいには考えるのが面倒になって、「ええい!行ってまえ!」となる。


例年では考えられない行動をとったわけよ。



その最たるものは演歌歌手、三山ひろしのコンサート。


コンサートは、私が最も苦手とする分野だ。


なぜって人が多い。


しかも三山ひろし‥‥ ビミョ〜。



実家の母が三山ひろしのファンだと知ったのは、この4月。


「歌がうまくて苦労人で性格がいい」


彼女は言うが、私は興味がなかった。



けれどもちょうど同じ頃、私に少額の金が入った。


今年の3月に解散した同窓会の分配金だ。


毎年積み立ててきた会費で還暦旅行に行った後


残ったお金を会員で分けて口座を閉じた。



この分配方法には規定があった。


ふた親とも亡くなっている者‥つまり同窓会からの香典を


すでに2回受け取っている者は分配金は無し。


片方だけ亡くなっている者‥つまり同窓会からの香典を


1回受け取っている者は1万7千円。


ふた親とも存命の者は3万4千円を受け取る。


香典の金額よりずいぶん少ないが、還暦旅行で使い過ぎて


それだけしか残らなかったのだ。



そういうわけで、香典の前渡しのような1万7千円を受け取った私は


これをぜひ、母のために使いたいと思った。


そしたら生協の宅配のカタログに、三山ひろしのコンサートチケットが


載っているではないか。


生協の宅配には、こういうのもあるのだ。


私は母に、三山ひろしの実物を見せたくなった。



コンサートは8月、チケット購入は抽選だそう。


暑そうなので一応は躊躇はしたが、元気な母も85才。


いつどうなるかわからないので、思い立ったが吉日と


ダメ元で申し込んだら当たってしまった。


これはもう行くしかないということで


8月の猛暑の中、母を伴って出かける。



はたして三山ひろしは、キャッチフレーズがビタミンボイスというだけあって


確かに歌がうまい。


頭がいいらしく、トークもうまい。


バンドも迫力があって良かった。


ターゲットを高齢者に絞っているらしいのも知った。


うちの長男と同い年なのを知り、多少の親近感も湧く。



ただ、苦労人と呼ばれる人は、誠実で常識があるものだ。


誠実で常識があるため、歌の師匠や作曲の師匠といった恩人を大切にする。


せっかく歌がうまいのに、恩人とやらが作曲した持ち歌は


ありきたりな「ファシ無し」で、インパクトに欠ける。


ファシ無しとは、ドレミファソラシの音階の中でファとシを抜き


ドレミソラの5つで構成した、演歌特有のメロディラインだ。



世の中にあまた存在する、演歌というものを思い浮かべてもらいたい。


曲中にファとシは、たまにしか出てこない。


音階が少ないため、似たり寄ったりの曲になりがちなのが演歌なのである。



この少ない音階で、大ヒットを作るのが大作曲家。


この少ない音階に、一度耳にしたら忘れられない歌詞を乗せるのが大作詞家。


多くの人々が気軽に口ずさめ、また聴きたくなる、歌ってみたくなる‥


三山ひろしさんには、そんな歌を歌ってもらいたいような気持ちになった。


「恩人を裏切って、大御所に曲を書き下ろしてもらえばいいのに‥」


などと思いながら見ていた無責任女だが


母はとても喜んだし、私は分配金を有効に使えて満足だった。



それ以降も同級生ユリちゃんの実家のお寺へ


盆勤めの食事を作りに行ったり


滅多に会わない友達と遊んだりと、たびたび出歩いた。


8月の後半は、実家の母が白内障の手術をしたので通院の送迎。


送迎とは名ばかりで、帰りの買い物や外食がメイン。



そうこうしているうちに、私は自分がずいぶん元気になっていることに気がついた。


だって、例の症状が出ないのだ。


「やっぱり外出してリフレッシュするのは、精神的にいいんだわ!」


私はそう思い、これからはもっと出かけようと心に誓う。



ところが先日、久しぶりに吐き気と目まいが。


この時、義母ヨシコは台所で「あること」を行っていた。


その「あること」とは、彼女の趣味。


その趣味とは、漂白。



ヨシコは昔から、塩素系の漂白剤にフキンや食器類を浸けるのが好き。


何でも真っ白にしてくれる魔法の液体として


花王のキッチンハイターを信奉している。



どれほどの信奉者かというと


私の趣味で買ったフキンを並べていると


片っ端から原液に浸けてボロボロの繊維にしてしまう。


「気に入らない」の意思表示だ。


このように無言の抗議や圧力を示すアイテムとしても


キッチンハイターは一役買っていた。




家事をしなくなった今も、この漂白だけは楽しいらしく


ずっと続けている。


神妙な面持ちで、洗い桶の中へ漂白剤をドバドバ入れる光景は


さながら儀式のようだ。


そこへ熱湯を注ぎ、フキンや食器を浸けられるだけ浸けたら


儀式は終了。


あとのことは忘れるので、残されたそれらを洗うのはもちろん私の仕事である。




よくよく思い出せば、気分が悪くなる日は


必ず漂白の儀式が行われていた。


夏はエアコンをつけるので、換気が十分ではない。


台所に居る時間の長い私は、熱湯で蒸発するキッチンハイターを


しっかり吸い込んでいたらしい。


だから夏になると気分が悪くなっていたのだ。



この夏が大丈夫だったのは


出かけることが多くて台所に居る時間が短かったからだ。


私は健康になったのではなく、ヨシコの趣味で健康を害されていただけであった。


な〜んだ。


ヨシコには、室内で漂白をしないよう厳重に言い渡した。
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