結婚以来39年、毎日実家に来ていた夫の姉カンジワ・ルイーゼ。
よく来るとか、時々来るといった生易しいものではない。
厳密に言えば毎年の元日と
年に一度か二度、よっぽどの用事がある時は休む日もある。
それ以外は、本当に毎日だ。
雨の日も風の日も、病める時も健やかなる時も
ルイーゼは実家に通い続け、ねっとりと親のかたわらにはべる。
義父母は、娘が来ると一層強気になる。
その強気は、最初から高下駄を履かせた娘との比較や心ない暴言
無体な命令となって、家族で唯一の他人である私に向けられた。
それが血の作用というもので、どうしようもないのはわかっていても
嫌なものは嫌だった。
♩しゅうと小姑 賢くこなせ
たやすいことだ 愛すればいい♩
『関白宣言』で、さだまさしは歌った。
男の身勝手もはなはだしい。
私と同じ立場になったとしたら、彼はこう歌うだろう。
♩しゅうと小姑 近くに寄るな
たやすいことだ 逃げ切ればいい♩
「艱難、汝を珠にす」
そんな言葉もあるけれど、この艱難だけは
煮ても焼いても食いようがない。
納得も理解も、無理なのだ。
どうあがいても、そこに愛が生まれることは無いからである。
私の結婚生活が厳しいものだったとしたら
それはルイーゼの影響無しには語れない。
そのルイーゼが、今月からあまり来なくなった。
理由は、仕事である。
彼女は7年前まで義父の会社で経理を担当していたので
「家のため」という理由のもとに、実家通いを続けた。
しかし会社が倒産の危機に陥ると、素早く老人ホームの給食係に転職した。
社長である父親が重病だったため
グズグズしていたら、責任は経理担当者に及ぶからだ。
ことは急を要していたので、転職先を選り好みする余裕は無く
彼女は万年募集中の老人ホームへ駆け込んだのだった。
何もかも放って逃亡したルイーゼの代わりに
どえらい目に遭ったのが我々夫婦なのはともかく
ルイーゼは転職後も相変わらず実家を訪れた。
老人ホームの水はルイーゼに合っていたらしく
彼女は早朝から昼までのシフト専門で働き続けた。
昼に仕事を終えると、その足で実家を訪れるのがルーティーン。
けれどもここにきて、職場の人手不足が深刻化。
募集しても誰も来ないので、シフトを変更するしかなくなり
ルイーゼは昼間の勤務に変わった。
日中は仕事なので、実家へ来るのは週2日の休日だけ。
39年に渡る連日の里帰りは、ついに途絶えたのである。
これは私にとって、驚くべき出来事。
ノー・ルイーゼが、こんなに快適とは知らなかった。
毎度のことながら、忍者のごとく黙って家に侵入される不快や
彼女の訪れによって発生する接待の手間が無くなったのもあるが
何より義母が違う。
「娘前、娘中、娘後」
私は密かにそう呼んでいるが、娘が訪れる時間が近づくにつれて興奮し
娘が来るとさらに興奮し、娘が帰ると不安になってますます興奮‥
この三段階興奮が無いので、静か。
けれどもそれは、私が原因とも言える。
結婚した時期は、ルイーゼより我々の方が10ヶ月早かった。
ルイーゼは自分の挙式が近づいた頃
突然「結婚をやめる」と言い出した。
相手の家が兼業農家だったのが、主な理由である。
嫁と一緒に農作業ができるのを楽しみにしている‥
相手の親にそう言われ、ルイーゼは破談を望んだのだった。
慌てた義父母は、結婚を機に父親の会社へ就職することを提案した。
日中こっちで働けば、農作業をさせられる恐れは無く
給料を持って帰れば文句は出まいという意図であった。
義父母からこの経緯を伝えられ
「娘を就職させようと思うけど、かまわないだろうか?」
そうたずねられた。
ハタチの新妻に、異議が唱えられようか。
その問いかけがどんな意味を持つのかもわからなかった私は
二つ返事で承諾した。
ルイーゼは新婚旅行の終わった翌日から、出勤を開始した。
就職と言うから、会社に通うと思い込んでいたら
朝から晩まで実家で過ごし、金曜と土曜の夜は泊まった。
「かまわないかと聞いたら、あんたはかまわないと言った。
こっちはスジを通したんじゃ」
義父母はうそぶいた。
言質を取られたのだ。
私はだまされたことを知った。
私の心中には、このだまされ感がずっとあった。
これは詐欺だと思い続けた。
だから両親やルイーゼに対して、素直になれなかった。
義母はその気持ちを敏感に感じ取り
ソワソワと落ち着かないのかもしれなかった。
ルイーゼが来ないことで義母が変わったとしたら
それは私が変わったとも言えるのではなかろうか。
人間、いくつになっても新しい発見があるものだ。
ルイーゼのシフトは再び変更されるかもしれないし
彼女もこの夏で65才、年金を満額受け取るようになったら
退職するかもしれないので油断はできない。
しかし、ノー・ルイーゼの快適を知ってしまった。
再び連続ルイーゼになったら、文句を言いそうな自分が怖い。