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殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

恐怖の一夜

2008年10月20日 09時02分45秒 | 不倫…戦いの記録
妻にバレてもめても

キラ子のためにツケやカードを使うのをやめない…。


義父はキラ子にぞっこんだから…だけではありません。

それは、自由になる現金が不足してきたことを意味していました。


ハッタリや侠気(おとこぎ)を装い、勢いで取れていた仕事が

取引先の世代交代、株式化などで商談の相手がサラリーマンに変わり

緻密な書類や、細やかな接待などが必要になっていました。

完全に乗り遅れたわけです。

父子二代で恋にうつつをぬかしている間に

ガテンに優しかった昭和の時代は終わっていました。



そんなある夜、トイレに起きた義母は

夫が家を抜け出すところを目撃してしまいました。

義母に起こされ、行き先をつきとめるよう言われた私は

「寒いから行かない」

と断りました。


しかし、言い出したらきかないのでノロノロと出かけました。

義母ももちろん行くと思っていたら

「寒いから行かない…」



                おい…



どうせ追いつけやしない。

見失ったとか言って、適当なところで引き返そうと思いました。


M子の転居先は、およそわかっていました。

あのY先生が、こっそり教えてくれていたのです。

教頭しか知らないことになっていましたが

万一を考えて交通費の申請書類をチラ見したそうです。


      「こんなことして、もし迷惑がかかったら…」

「いいよ。私、海外で暮らしたいから。

 こんな人間、野放しにするほうが危ない」

どこまでもサバサバしたY先生なのでした。



そこでつい、その市の方角に向かいました。

絶対無理と思っていたのに、国道まで出たら

果たして夫の車は私の三台前を走っていました。

夜間工事で待たされたようです。



夫の車は、問題の市内に入ってから山道のほうへ曲がりました。

気付かれた…とわかりましたが、今さら帰るのもシャクです。

寂しい道を猛スピードでどんどん登って行くので

運転が得意でない私は必死でしたが、やがて引き離されました。


Uターンしようと車を止めると

横に夫が立っているので、ぶったまげました。


「気はすんだか?ええ?」

皮肉な笑みを浮かべています。


「おまえは親父にもお袋にも嫌われてるんだ!

 もめ事ばっかり起こす嫁はもういらないんだとさ!

 同じ嫁なら、学校の先生のほうが聞こえがいいってさ~」


言うことも憎たらしいですが

顔もほんとに憎ったらしい表情です。

  
「親父に嫌われたら、あの家には居られないんだぞ!

 さっさと消えやがれ!」


     
       「親父が怖いのはキサマら姉弟だけだ!」

そう言って帰ろうとすると

夫は突然ピョーンと飛び上がり


              バコッ!

ボンネットの上に着地しました。
 


      夫よ…キミは、かざ車の弥七か…。


そのままヤンキー座りをして

私を正面からにらみ、口は笑っています。


ここで急発進してやったら

さぞ気持ちがいいだろう…と思いましたが
          
我慢してクラクションを鳴らしました。


夫はまたピョーンと飛び降りると、悠々と歩いて去って行きました。

野生動物は、自分の巣穴を発見されるのを嫌がるといいます。

巣穴の場所を知られたくない一心で、飛び上がって見せたのでしょうか?

それにしても人間わざとは思えない不可解な出来事でした。



少し先でライトが点き

夫の車が出て来てどこかへ走り去ったので

待ち伏せしていたとわかり、ほっとしました。

一応人間だったわけですから。


翌朝、ボンネットが凹んでないか調べました。

大男が飛び乗ったのに

何の形跡も見あたりませんでした。



          くわばら、くわばら。

           
            
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路線

2008年10月20日 09時02分43秒 | 不倫…戦いの記録
なにかと気鬱な日々が過ぎて行き

冬が来ようとしていました。


義父とキラ子の関係はまだ続いていました。

義母も若い頃から夫の浮気に悩んできましたが

今回が一番つらいそうです。


キラ子の持つ、若さという最も単純な武器は

その単純さゆえに鋭く尖って、義母の胸を深くえぐるようでした。


長年の経験による義母の持論は…

「女を責めるのが一番!」

さらには…

「家を出たほうが負け!」

結局…

「私は耐えた!」


経験の浅い私は

従っていればとりあえず庇ってもらえて安全という気持ちから

師匠の教えを忠実に守ろうとした時期もありましたが

ここにきて、違和感をおぼえるようになりました。


昔の女性なら、世間に知られて今後の人生に支障が出ることを

恐れるふしもあったでしょうが、今は違います。


家庭に波風立たせてまで自分に会いに来るのは、むしろステイタス。

しかもキラ子の「じいさんと遊んでやってる」的なものと

捨て身のM子とは、同じ不倫でも路線が真逆です。


このまま言うことを聞いていては解決はできない…

自分で自分にダメージを与えるばかりではないか…と思い始めました。

その証拠に、義母のような年になっても何も解決せず

いまだに亭主の浮気に七転八倒しているではないか。


「そんなに若いのがいいんなら、美容整形する!」

と泣きながら言うのも、見苦しいと思いました。


義母が若かった頃には景気の良かった会社も

私が嫁いだ頃には盛りを過ぎていました。

それを私のせいのように言われ

「サゲマン」というありがたい称号もいただきました。



義母のように、プロペラ機の時代から夫婦で海外旅行をしたり

欲しいものを我慢しない暮らしなど、したことはありません。

相手を責め立てて排除してまで

今の暮らしにしがみつく必要は、どこにも見出せませんでした。



義母は時々キラ子に電話をかけるようになりました。

会社宛に送られてくる請求書の中に

明らかにキラ子関連と思われるものが増えてきたからです。


22センチのゴルフシューズ

海外ブランドの化粧品

二人分の食事代…   


義母は請求書を握りしめて

キラ子の勤務先であるクリーニング店に電話をします。


「自分が食べた分、払いなさいよっ!」


           そこかい…。
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それはほんのプロローグだった

2008年10月19日 09時33分08秒 | 不倫…戦いの記録
手ぶらで帰った嫁に、両親は落胆し

翌日、私は体調を崩しました。

夜風に当たったせいか、毒気に当たったのか

熱と頭痛で動けなくなってしまったのです。


そこで義母は、思わぬ行動に出ました。

小学校へ乗り込んだのでした。

なぜか義姉も同行しました。

「お母様を一人で行かせられないわ」

と言いながら、面白いものを見物したいのでした。


義母は校長と教頭に、M子の処分を要求しました。

私は後になってそれを知りました。

知らんぞ…先に自分の息子を何とかしろよ…。


定年の近い校長は、この一件を教頭に任せたので

教頭はその場で教室にいたM子を呼び、義母たちの前で問いただしました。

M子は、ただ泣くばかりで、たいした話になりませんでしたが

これだけは繰り返し主張していたそうです。

「奥さんに原因があると思います。

 奥さんが悪いから、彼は私のところへ来るんです!」

そうかもしれない…と言い合い帰って来たと、私にのたまう義母と義姉。  

ありがとうよ…。


その夜、教頭はM子のアパートをたずね

別れるよう夫とM子を説得しましたが、うまくいきませんでした。

簡単に終わると思っていた教頭は途方に暮れ、M子の親に連絡しました。

寝耳に水のM子の両親は、遠方から飛んで来ました。


難関を突破して、念願の教師になったばかりの娘を

妻子ある男の自由にはさせられません。

母親は半狂乱だったそうです。


取り急ぎアパートを引き払い、男と別れさせるという方針が決まりました。

二度と会わない…

遠い市外に借り直した新しいアパートの住所は絶対に教えない…

心を入れ替えて教師の仕事に専念する…

両親を目の前にして、M子はこれらのありきたりな約束を

すんなりと受け入たそうです。


教頭も、M子の両親も

その時点では、まだこの2人が普通だと思っていました。

妻子持ちの男より、せっかく手に入れた仕事を取るだろう…

男というものは、ばれたら妻子の元へ戻るだろう…

そこに大きな間違いがありました。


夫は、帰って来ました。

アパートを引き払って、行き場が無くなっただけです。

廃人のごとくぼーっとしているので

怒鳴りつけたくて手ぐすね引いて待っていた義父は拍子抜けです。

その様子をいぶかしがることもなく

義母は、これでラ○オン○に安心して行けることを、喜んでいました。


夫の希望により、夫は階下の両親のところで

私は子供たちと二階で、別々に生活することになりました。

私も依存はありませんでした。


数日後、仕事にも復帰した夫は

急に、また私たちと寝起きしたいと言い出しました。

断ると、両親が怒りました。

「勝手なことをいうな!

 やり直そうとする気持ちを踏みにじるのか!

 おまえに問題があるというのは本当だな!」


やり直すのではないのです。

親と一緒だと、自由に動けないからです。

目的達成のため、今親を敵にまわすわけにはいかないだけでした。

私なら強く止めないとわかっているのです。

そういう意味では、もっともお互いを知っている夫婦かもしれません。


その夜から、さっそく夜這いが始まりました。

毎晩午前2時を回ると

隣の部屋をそっと抜け出す気配がします。        

車はあらかじめ、家から少し離れた場所に置いてありました。

朝には何ごともなかったように帰っています。


四日ほど続けて行かない日がありましたが、理由はわかっています。

生理です。

これは前回の件で学習しました。

どちらの意志かはわかりませんが

お互い体調を整えるには、良い休養期間のなるようです。

その間は、悪寒で目覚めることもなく、私にとっても休養になりました。
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愛は勝つ…らしい

2008年10月18日 17時10分10秒 | 不倫…戦いの記録
なにさ!その態度!

何か言ってやらないと気が済まなくなりました。

      「家裁であんたに勝ち目はないわよ!

       なにを勘違いしてるか知らないけど

       家出する暇があったら、二人で慰謝料の算段でもしなっ!」


まあまあ…とKさんが止めようとするのと

M子が叫ぶのは同時でした。

「奥さんがそんなだから、彼は私を愛したんですっ!」

        あ~らびっくり。私のせいかい…

「私たちの愛は、誰にも邪魔できませんっ!」

        う…なんだ…こいつ…

煮えくりかえっていた私の胸は、一気に氷点下。


      「M子さんねえ…人の旦那とこういうことになったら

       後始末というものがあるのよ。

       子供のこととか、慰謝料とか…」


「そういう問題は…彼に任せてありますから」

      「ほぅ…彼に…。

       面倒なことは、全部この人がしてくれると…」

「はい。信じてますから!」

M子は、得意げにアゴをつんと上げました。


      「信じる!こりゃまた…」

「私を守るって約束してくれました!」 

      「守る!いやはや…

       すでにこういう状況になってること自体

       守られてないんじゃ…?」

「守られてますっ!」


…なんでそんなこと言うんですか…

…なんでそんなこと言うんですか…

…なんでそんなこと言うんですか…

ぶつぶつと繰り返しながら、M子は足を踏み鳴らすのでした。


「帰りましょうや…この女、変だ…」

Kさんは小声で言いました。

「若、それじゃあ…みんな待ってますから」

私たちは、その場を去りました。

背中で「愛は…勝ちます!!」というM子の叫び声を聞きながら。

そんな歌が流行ったこともあったけ…。


友達の家でうっかりおもちゃを壊して、止まらなくなったのを

そのままにして逃げ帰る子供の気分…。

ひどく脱力した私たちは、言葉少なに帰宅したのでした。
 
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お迎え

2008年10月17日 22時51分43秒 | 不倫…戦いの記録
アパートの住所は、市内のはずれでした。

行ったことのない地域だったので

明るいうちにすませたかったのですが、両親に止められました。

人目の少ない夜にしろ…ということです。

お前が行け…と言いたいのをぐっと我慢。


そこへ電話がありました。

初老の古株社員、Kさんです。

「若の所へ行くんでしょう」

昼間、義姉が会社で楽しそうに話していたそうです。


若…というと立派そうに聞こえますが、          

みんな「ワ」のところを限りなく「バ」に近づけて呼んでいる

単なるニックネームです。


「わしも行きます」

       「え…なんで…」

「なんででもです」

       「でも、ご迷惑が…」

「これでクビになったら、そこまでの会社です」

とにかく夜になったら集合することになりました。


「男ってのは、女房に迎えに来られて、ほいほい帰れるもんじゃないんですよ。

 社員が迎えに来たとなれば、女の前で格好がつきます。

 今日がダメでも、一回建て前を作っといてやれば

 目が覚めた時に会社のためと理由がつけやすい。

 女にも、自分にもね。

 花道を用意して、それとわからせずに歩かせるのが

 うまいやりかたってもんでさ」


           なるほど…


「誰だって無茶がしたくなる時期があります。 

 親父と姉貴にダブルでギュウギュウやられたんじゃあ

 逃げ出したくもなりますよ」


       家では私がギュウギュウやってました…


「親父に人前で、犬ころみたいに怒鳴られて、恥かかされて

 あれじゃ他人も馬鹿にするし、本人だっておかしくもなりますよ」   


            おかしいのか…   


「しかし、生活力がない

 あの根性無しじゃあ、ヒモも無理

 結局帰ってくるしかないんだから、傷の浅いうちに連れ戻さないと」

      「私がいなくなれば、すぐ帰ると思います…」   

「なに言ってるんですか。

 子供さんたちをどうします。

 玉突きじゃあるまいし

 新しいのを見つけるたんびに取り替えたいんなら  

 ちょんまげの時代まで戻れってんだ。

 わしも腹くくっとるんだから、若奥さんも腹くくってもらわにゃ」


M子のカローラが見えました。

Kさんは、その前をふさぐように車を停めました。

ひとつでも逃走手段を減らすためだそうです。

「興奮して事故になったらおおごとだから」

どこまでも用意周到です。


ぬかるんだ真っ暗な路地を懐中電灯の光をたよりに進むと

窓から灯りがもれる小さな平屋が見えてきました。

アパートというより、小屋のたたずまい…

画鋲で貼った紙の表札が、ひらひらと風に揺れています。


Kさんがベニヤのドアをノックしました。

誰もいません。

「若の車もなかったし、どこかに出ているんだろう」

今来た道を戻ると、大きい道路に出たところで

夫の車が入ってきました。


しばらく中から出て来ませんでしたが

あきらめたのでしょう、ゆっくりとドアが開きました。

「何か用か!」

精一杯の虚勢を張る夫。


「若、迎えに来ました。帰りましょう」

Kさんがあやすように言いました。

「今は…帰れん」

「…帰りましょうや」

「いやだ」


「帰らないと言ってるでしょ!」

キンキンした声と共に、M子らしき人物が出て来ました。

「う…ひでぇ…」

小さくうめくKさん。

街頭に照らされた小柄な女性は、夫の腕にしがみつきました。


「おまえの顔なんか、見たくもない!

 この次は家庭裁判所で会おうぜ!」

不敵な笑みを浮かべた夫は、ぎゅっとM子の肩を抱き寄せました。

うっとりと見つめ合う二人…。

夫の愛人ということで、ことさら憎々しい思いが

私の視覚を歪ませたのかもしれませんが

その姿は、動物園の飼育係と霊長類のようでした。


見た目はともかく、相手は頭のいい女性です。

家庭裁判所…普通、何度か口にすると、家裁と省略します。

教えてもらい、初めて使用した雰囲気満々。

要するに、知恵をつけられたわけです。

さすが教師です。
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噂のカップル

2008年10月17日 16時06分09秒 | 不倫…戦いの記録
庭木の後始末をしたり

倉庫に閉じ込められたりしているうちに

事態は私の知らないところで、どんどん深刻になりました。


夫とM先生の仲は、学校を始めさまざまな場所で

周知の事実となっていました。

2学期が始まる直前に、私は長男の担任に会いました。

「こういうことになっているので、ほかのことはいいから

 子供が安心して過ごせるように配慮してほしい」


担任のY先生は、私より少し年下の独身女性で

とてもサバサバした人でした。

「ごめん!

 この場面では、信じられない…と言うのが正しいんだろうけど

 噂…あくまでも噂だけど、ちらっと聞いたことがあったのよね~」

      「転校も考えたんだけど…」

「なに言ってんの!悪いのは向こうじゃん。

 こっちが遠慮することないよ。

 あたし、あいつ大嫌いなの。ははは」

Y先生は、笑い飛ばしました。

 「とにかく私はマーくんを守るよ。母ちゃんも頑張って!」


後になって、二人は4月の早い段階から噂になっていたと

いろいろな人から聞くことになります。

最初はPTAの会議で、わざわざ一つの椅子に

二人で抱き合うように座っていたことから

どんどん広まったそうです。


隠す間柄ほど人目につきたがるといいますが、本当にそうです。

この習性がなかったら、写真週刊誌はやっていけません。

PTAの会合が楽しみになった人も、たくさんいたようです。

ある意味、社会貢献。


こういう時、人はとても親切になります。

「だまっておこうと思ったんだけどね…」

「こういうこと、言っていいのかどうかわからないんだけど…」

と一応は躊躇するふりを見せてから

「じゃあ言わなくていいよ」

と言われたらいけないので、内容だけは急いで話すのです。

こちらの表情の変化を期待しながら。

迷うふりまでして結局はしゃべるのなら

あんたの口座の暗証番号でも教えてもらいたいもんです。


夫が帰って来なくなったのは、そんな時でした。

すでに外泊がひんぱんになっていたので

いないことに気がつかないまま、二日経過。


義父が「会社に出てない」と言い出して、発覚しました。

「わかりませんよ。どこに行ったかなんて」

「嫁のお前がそんなだから、あいつは家に居着かないんだ!

 探せ!迎えに行け!」


義母はおろおろして言いました。

「このまま帰って来なかったら…ライ○ンズが…ライ○ンズが…」

毛深い動物がシンボルの事業主の集まりです。

夫婦単位で行動するのが基本なので

本人はもとより、家庭の平和が大事なのです。

家族すらまとめられない者は、本来参加資格は無いのです。

義父は今、支部会長でした。

任期中に息子が消えたりしたら、非常に都合が悪いそうです。


私もさすがにそろそろはっきりしたかったので

夫の所へ会いに行くことにしました。

アパートの住所は、とうに知っていました。

個人情報なんて気にしていなかった昔は

毎年、教員の住所が配布されていました。
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ミッション

2008年10月17日 11時19分07秒 | 不倫…戦いの記録
夏休みが始まりました。

夫は相変わらずの完全無視。

そして、不必要に大きな音を立てた歩き方やドアの開け閉めで

精一杯の怒りをアピールしていました。


始めのうちこそ、感じが悪いと思っていましたが

よく考えたら、夫婦の間でどうしても伝えなければ

命に関わるような事柄はひとつもありませんでした。


「こうあるべき」

「こうでないと困る」

などの既成概念を頭から外してしまえば

つまらぬ苦しみから解放されるのだと知りました。

死んだと思えば、なおさら気になりませんでした。


夫はその頃、義父と急に仲良くなっていました。

ヒステリックで言葉の暴力がひどい義父を、夫は心底恐れていたはずでした。

義姉も同様で、小さなことで怒鳴られては腰を抜かし

その場にへたり込んで動けなくなるさまを、何度も見ていました。


そんなに恐ろしいなら近寄らなきゃいいのに。

なんでわざわざ同じ仕事をして、そばにいるんだろう。

変な姉弟だ…と疑問でしたが、これが血というものであり

家族の形のひとつだとわかるまでには、まだ年期が必要でした。


義父と夫が、それぞれの恋のために共同戦線を張ったことを知ったのは

それから間もなくでした。

墓参りに、観光に、夫は母親をよく連れ出すようになりました。

義母は単純に喜んでいましたし、私も良いことだと歓迎しました。


義父はその隙に、若作りをして出かけるのです。

赤や紫のシャツに金のネックレス…

まるでチンピラですが、キラ子の好みでありましょう。


男というのは、帰った時にどこへ行ったのか聞かれるのが

ほんに嫌な生き物らしいです。

後ろめたい場所ならなおさらです。

指定した日に連れ出し、自分が帰る時に妻は留守の状態にしておけ…

というのが父から息子へのミッションでした。

かわりに息子と約束したのは、これまで以上の嫁いびり。

どうやら私が、自分から逃げ出すのを促すつもりのようでした。


毎年、盆前と正月前は、庭に植木の剪定が入ります。

午前と昼と午後、二人の庭師さんにお茶やお菓子を出すのも

けっこう慌ただしいものですが

最終日の午後、帰り支度を始めた庭師さんが、申し訳なさそうに言いました。


「あの…今朝…旦那が…

 今回から落とした枝葉はそのまま置いて帰れと言われたもんで…

 置いて帰ります」


3日間で出たおびただしい量の枝葉は、庭を被い尽くしています。

「片付けて帰っても、日当は同じですよ、と言うたんですが…」

    「まぁ。どうしたんでしょうかねぇ」


庭師さんは手ぬぐいをもみながら、苦渋の表情を浮かべていました。

「あの…嫁さんにやらすと…。

 長いことお世話になったけど…

 私ら、もう次から来ません。恐ろしいわ」
    

「帰りに、できるだけ持って帰っておきます、

 捨てる所に困るだろうから、うちへ持っておいでなさい」

庭師さんたちは、そう言って帰って行きました。


やってやろうじゃないの…

炎天下、セミの声をBGMにつぶやいた私でした。



それ以後も、義父の攻撃は続きました。

手紙を開ける、留守中部屋に入るなどは以前からの習慣でしたが

新たな作戦として、倉庫に入ったら鍵をかけて閉じ込める

干してある私の洗濯物を犬に与えるなどを頑張りました。


義母はいつもこっそり私を助けてくれましたが

「病気がさせているんだからね」

と、糖尿病の義父を恨まないように言うのでした。

たとえ病気でも、本来心に存在しないものは、表に出てこないと思いますが

反論するのも面倒なので、そういうことにしました。


義父は本当に私が嫌いなんだなぁ…と思いました。

かまいません。

私も義父が嫌いですから。


夏も終わり、2学期になりました。

父子の連合軍も、そろそろマンネリです。

元々飽きっぽくて、仲も良くない二人ですから

いつまでも続くわけがないと思っていました。

浮気連合軍は、夫の失踪という形で、突然の解散と相成ったのでした。

           
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ごめんね

2008年10月16日 12時09分10秒 | 不倫…戦いの記録
       「なんだって?」

「M先生が、こうやって…」

お~の~れ~!Mめ~~!


私は一瞬カッとしましたが

自分の首で再現してみせる長男の両手は

あまり力が入ってないようでした。

ていうか、あごの下に置いてるだけ?


「お母さんになってあげようかってー」

        「誰が…」

「M先生がー」

        「…」

「だから僕、いやって言ったー」

        「それで、やられたんかい」

「ううん。バーカって言ったー」

        「…」

「私はバカって言われたことはないよって、怒った顔したー」


長男は、子供特有のしつこさで、バーカ、バーカと言い続け

そこへ同級生がやって来て、一緒にバカコールが始まったらしいです。

M先生はおそらく、その口をふさごうとしたのではないかと思いました。

手を伸ばされた長男は、驚いて帰って来た…。

子供ながらに、何か妙な空気は感じとっていたのかもしれませんが

悲観的にとらえると、学校へ怒鳴り込まずにはいられなくなるので

そういうことにしました。


与えられた母親という立場をことさらに美化し

その名を振りかざして何をやっても正当化…というのは、好かんのです。

後で靴やカバンを取りに行かにゃならんし。

母ちゃんの「妻」と「女」部門が業績不振なばっかりに
 
我が子よ…すまんのぅ…。

    
しかーし!

それとこれとは別です。

向こうから、そういうアクセスがあったのは事実です。

母としてでなく、妻として、受けて立たねばなりません。

妻なら、何をやってもいいのです…私の方針としては。へへへ。


ここ何日か、無言電話はかかっていませんでした。

それは、二人の関係に何らかの変化があり

わざわざ嫌がらせをする必要が無くなったことを意味していました。

別れてないのですから、さらに進展したということです。

そろそろやろうか…我慢も限界だし。


その夜、遅く帰って来た夫をつかまえて、罵詈雑言の嵐。

冷静に話し合いたいと思っていたはずでしたが

        ♪もう、どうにも止まらないー♪


口からありったけの毒を吐き出すのを

離れたところで冷ややかに眺めている自分がいて

「あー、そこまで言っちゃってるよー」

「こんなこと言われたら、誰だって嫌になるよなー」

とつぶやいているわけです。

心と体は裏腹…めくるめく官能の世界…ならいいでしょうが

これではただの幽体離脱。


翌日から、夫の態度は硬化しました。

それまでは、後ろめたさから機嫌をとる素振りも見せていましたが

もはや完全無視。

ばれたとわかったら、開き直る…親子揃って悪い癖だわ…。


両親のほうも「じいさまキラー」のことで、ますますヒートアップしていました。

義父がキラ子にカードで買ってやったプレゼントの

明細が届いたところでした。


明細をみた義母は、叫びました。

「な、7号?」

フジンブランドニット…7ゴウ

「生意気なっ!」

13号の義母は、いまいましそうに言い捨てました。

そこに反応かよ…。
  
義母のこういうとこ、わりと好きです。

二世帯住宅の上と下で、ある意味賑やかな数日が、過ぎていきました。


義姉はこんな時、まことに賢明です。

「私は家を出た人間だから」と、両親の騒ぎには介入しません。

扱いやすい母親はどうにでもなるけど、

怖い父親の機嫌をそこねたら損だと、ちゃんとわかっているのです。

そのかわりに、私たちの問題には興味しんしんで、

何か展開があると、手を叩いて、たいそう喜んでいました。


慰めの言葉も忘れません。

「バチよ!」

本当に優しいお姉様です。
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時限爆弾

2008年10月16日 01時19分26秒 | 不倫…戦いの記録
悪い予感がしました。

今度はやっかいな事態になりそうな感触です。

誓いは早くも挫折しました。


小さな学校です。

知らない先生はいません。

夫とそういうことになりそうな感じの人は、思い浮かびませんでした。


だとしたら、この春赴任して来た人です。

転任の男性が二人、新卒の女性が一人。

配布されたPTAの会報を見たばかりでした。

私のささやかな脳みそが

記憶の遮断をマックスで行っていました。


つきとめてしまうと、感情を抑え込むのに

大変な忍耐が必要になります。

昼間は、長男を人質に取られているようなものですから

うかつに行動するわけにはいかないのです。

でも、その名前は、頭の中でゆらゆらと浮かび上がってきます。

その人は、長男のクラスの副担任でした。                               

PTAの活動で知り合ったのは明らかでした。

会議だなんだと、もっともらしい嘘八百並べて

○○小のPTA会議は、ベッドでやるのかーー!

と毒づいてやりたいのはやまやまですが、とりあえず我慢、我慢。

長男が通う学校ですから。


熱が冷めるまで、放置するのが一番とわかっているけど

それまで耐えられるだろうか?

うう…苦しいのぅ…。


夫はばれてないと思い込み、相変わらず夜な夜な出かけて行きます。

このハイペース、妊娠でもしたらどうするんじゃ!

どっかの将軍様じゃあるまいし、よそで種をまき散らすなよ~!

と叫びたい気分。


誰それに毒をもるだとか、井戸に身投げするとか

座敷牢につなぐとか、大奥の女性たちの鬱屈した気持ちが

しみじみ理解できました。

少々下品で小汚い御台様だけど。

あ、奪い合うような

たいした「座」もなかったわん。
  

一学期最後の日、長男が上履きのまま、血相を変えて帰宅しました。

「M先生が、僕の首しめた…僕の首しめた…」

M先生…それは、夫の相手でした。

        「ぬあにぃぃぃいーーー!」
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まさかの坂

2008年10月15日 18時41分38秒 | 不倫…戦いの記録
長男は3年生に、次男は3歳になりました。

この頃、義父が新しい愛人に夢中になり、義母と毎日もめていました。


相手は、22歳の女性です。

じいさまキラーとして有名な方だったので、見た時にすぐわかりました。

つい去年までは金髪の頭で駅前にたむろしていたクチでしたが

どうやら自分が美しいことに気付いたらしく

このところ、老人受けの良い黒髪のロングヘアで

あちこちのじいさまに「営業」して成果を上げている子です。


私は義母に泣いて頼まれ、義父の尾行をしたことがばれて

数ヶ月前から目の仇にされていました。

さらに間の悪いことに

早朝、両親がまだ寝ている時に来客があり

知らないおじさんが「昨夜はすみませんでした」と、菓子折りを渡すのです。

わけを聞くと、ラブホテルを出ようとした義父の車と

入ろうとしたおじさんの息子の車が接触したのだそうです。


ちょっと喧嘩のようになったので

おじさんは律儀にも謝りに来たのでした。

ガレージの義父の車は、確かに右前が凹んでいました。


その時、義父がパジャマのまま走り出て来て

「人違いだ!帰ってくれ!」と叫んだので

おじさんはびっくりして、帰ってしまいました。

その後、義父の私に対する態度は、ますます厳しいものになりました。


そんな時、夫が長男の小学校のPTA役員になりました。

こういうことは初めてなので、夫は張り切っているようでした。

この人にも名誉欲みたいなものがあるのだ…と、ちょっと驚きでした。


やれ会議だ、それ親睦会だ…

夫は仕事もそこそこに、毎晩のように出かけます。

小学校のPTAって、こんなに忙しいもんだったかしらん?

と思っていた矢先、家に無言電話がかかるようになりました。

電話は、両親とは別に引いていましたから

ターゲットが私たちであることは明らかでした。


携帯電話の無い頃は、こんなにのどかなことが行われていたのです。

今は全部携帯で済ませるので、静かで良い時代になりました。


いよいよ始まったな…私は女戦士の心境でした。

前のように、むやみに苦しむまい。

どんな結果になっても

怒りを後々まで引きずるような不完全燃焼はすまい。

それだけを心に誓いました。


電話は、主に平日の昼間にかかってきます。

ある日、その電話をとりながら

何気なくそばに張ってある長男の時間割表に目をやりました。

「今、大休憩かぁ…」

学校の長男に思いをはせながら、いたずら電話をとるむなしさ…。


次にかかったのは、昼休憩の時でした。

その次は、学校が終わる時間でした。

2日もすると、もうおよそのことは想像がつきました。

さらに、夫が夜外出している時は絶対にかからず

たまに家に居るとかかります。


ビンゴ!!といきたいところですが、一応、私にも

社会通念ってもんがあります。

「いや…待て待て。まさか、教育者が…」

とも思うし、思いたいわけです。
   

そんなある土曜日、釣りをおぼえた長男を

海辺にある夫の会社に連れて行きました。

子供が釣りをする間、見ていてやるというので、美容室に予約を入れてありました。

そこへ、一本の電話。

「えっ?うん、うん、大丈夫だよ。心配ない。すぐ行くから」

んまぁ、今まで聞いたこともない優しい声だこと。


「ちょっと…用が出来たから、子守りは無理」

と言われ、しぶしぶその場で、美容室に予約取り消しの電話を入れました。

それを待ちかねたように、夫はどこかへ電話をしていました。


帰るふりをして、こっそり聞き耳ずきん。

「ちょっと知り合いが事故っちゃって。すぐ頼める?

 場所は…○○…

 うん、白のカローラ。そそ。卵型のやつ。」

懇意の修理工場に、レッカーを頼んだようでした。


翌日は日曜参観でした。

学校へ行くと、入り口にまず教員駐車場があります。

そこで、見てはいけないものを見てしまいました。

フロントが大きく凹んだ、白い卵型のカローラです。


        ちゃらりー!
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新たな生活

2008年10月15日 15時08分13秒 | 不倫…戦いの記録
同じ市内の両親の家に移り、同居生活が始まりました。

50代になったばかりの両親と、20代後半の私たち。

もうすぐ小学生になる長男と、生まれたばかりの次男。


妊娠、浮気、増築、出産、引っ越し…

数ヶ月間のめまぐるしさにかまけ、

そこにもう一人、重要人物がいたことを、私はうっかり忘れていました。

夫の2歳上の姉です。


私たちが結婚した1年後に隣市へ嫁ぎましたが

お小遣い稼ぎに実家の経理をしていました。

忙しい会社ではないので、給料日と支払日以外は

ほとんど仕事がありませんが

1年365日、義母とべったりの、今で言う一卵性母子というやつです。

実家に帰れなくなると、絶対死にます。


この義姉、ちょっと変わったお方です。

弟である夫とは、仇同士でもここまでじゃないだろうというほど仲が悪く

毎日いがみ合いです。

しかし年が上で、しかも女である義姉のほうが、やはり頭が良く

いつも最後は尾ひれ付きで父親に言いつけ、夫が叱られるパターンでした。


この二人が、会社の現場と経理をそれぞれに受け持って

両親の愛情を取り合いながら働き

両親もまた、この姉弟の忠誠心を天秤にかけながら経営しているのですから

家業の命運もおして知るべし…です。


私も、陰で立ち回っては、夫婦や家庭を引っかき回す彼女に辟易していました。

夫の愚痴を本気で受け止め、そんなにつらいのなら

本人と両親を交えて話し合ったらどうか、とか

義姉の夫ともう少し懇意になる努力をして

そちらから言ってもらったらどうか、とか

稚拙な案を出しては、悦に入っていました。

私の実家も、ごく小さな会社を経営しており

規模や、生じる処々の問題など似通った点があったので

すっかりアドバイザー気取りでした。


夫は「それが出来たら苦労はしない」と言うばかりで

実行に移す気は、まったくありませんでした。

私はそれを意気地が無いととらえ、歯がゆく感じていました。


夫は、この問題が解決不可能であることを骨身にしみてわかっており

無駄な解決策を論じるよりも

ただ、うん、うん、と、優しく聞いてほしかっただけなのだと思います。

両親との同居を望んだのも、そうすることで義姉に少しでも遠慮が生まれ

自分や家族に害を及ぼす機会が減れば…という

かすかな望みを持っていたからでした。

そんな夫の気持ちが、当時はわかりませんでした。


結局、義姉は私たちの同居に危機感をおぼえ

以前にも増してますます戦闘的に進化したので、逆効果でした。

それでも、新しい住まいに移って、私はある感慨にふけりました。


中学生の時です。

隣町の中学と部活の合同練習をすることになり

夏休みの間、電車で15分のその中学に通いました。


駅からテクテク歩いてもう少しで着くという場所に、一軒の家がありました。

広い芝生の庭、そこで遊ぶ大きなコリー犬、モダンな洋館…          

当時の私の三大あこがれ。                                     
にぎやかな駅前育ちの私にとって

郊外のその家はまさに理想そのもので、通るたびにうっとりしました。

何年か後に、まさかその家の息子と結婚することになろうとは

そしてその家に住むことになろうとは、思いもしませんでした。


夫と私は、両親や子供たちの前では

雨降って地固まった夫婦のふりをしていました。

過去を忘れ、笑顔で接するのが賢いやり方だとわかっていても

あの悔しさや怒りがよみがえり

またやるんじゃないか…

また煮え湯を飲まされるんじゃないか…と思ってしまって

私のほうが、どうしてもぎくしゃくしてしまいます。


はりつけにされてあんよが燃えているのに

信じてニコニコなんてできんわい。

隠れキリシタンじゃあるまいし…。

そんな開き直りが、もっと悲惨な現実を招くことになりました。


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使用前・使用後

2008年10月15日 00時19分32秒 | 不倫…戦いの記録
思いがけない展開により、夫の恋はあっけなく終焉を迎えました。

胎児も5ヶ月に入り、ひとまずほっとしたいところですが

燃え盛る最中に、愛する女性に去られた夫にしてみれば

これはかなり面白くない状況なわけです。


私もまた、似たような心境でした。

胎児も上の子もセットで

在庫一掃セールされそうになった情けなさ、惨めさ。

夫の知らなかった一面を見た衝撃。

病院での出来事は、彼女の一存ではなく

夫と共謀したのではないかという疑惑…。

私はすっかりいじけて、ひねくれまくっていました。


いつもそうなのです。

その時、その瞬間は、ぼんやりしてしまって何も言えない癖に

後からマグマのように怒りがわき上がって、押さえられないのです。


この時もそうでした。

つらいならさっさと離婚すればいいのに

違う道を選べばまた別の未来が拓けるかもしれないのに…

意地やあまのじゃくで

損なほうへ、苦しいほうへ、つい行ってしまうのです。

やつが望まないほうを選ぶ。

結論は、絶対に離婚しない…でした。


私たちは、表面は何事もないふりをしていました。

しかし、常に一触即発の危うさを抱え

重苦しい日々を過ごしていました。


そんな状態を見かねた夫の両親が、孫のために同居を勧めました。

夫が乗り気になり、出産に間に合うようにと

実家の増築工事が始まりました。

どうにでもしてくれ…私は投げやりな気持ちでした。

この一件で、両親が自分の味方についてくれることを知った夫は

妻の取り替えが、充分可能だと知ったのです。

次を試みるのは時間の問題でした。


さらに夫は、会社を抜けてデートをしても、誰も困らないし怒らない…

立場も収入も変わらない…

経費も使える…

もう少し上手に立ち回ったら、本当にうまくいくところだった…

などということも学習していました。

見てはいけないものをたくさん見てしまったような気がして

私はいじけ、そして疲れ果てていました。

よそのお嫁さんのように、同居はいやだとゴネるのも面倒くさく

売られて行く牛のように従いました。


            ♪ドナドナドーナー♪



工事が終わり、ほどなく子供が生まれました。

二度目のお産というのもありますが

浮気の苦しみに比べたら、へのカッパでした。

とうとうこの子を守りきったという達成感から、ちょいと泣きました。
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急展開

2008年10月14日 18時43分04秒 | 不倫…戦いの記録
夫の「堕ろせコール」は、日増しに執拗になってきました。

時には涙を流して哀願してみたり、声を荒げて威嚇してみたり

何か怪しげなものが取り憑いたように思えて、そりゃもう恐ろしかったです。


気味が悪いので、無視を決め込んでいましたが

心では、夫をここまで変えてしまった見知らぬ女性を激しく憎みました。

しかし、相手が知りたくてもその方法がわからない。

知ったところで、それからどうするのかもわかりませんでした。


そんな時、私は風邪をひきました。

通院している産婦人科に行きましたが、月曜日だったのでひどく混んでおり

おびただしい数の靴が、道路まではみ出していました。


普通、それでも妊婦としては、産婦人科に入るでしょう。

ここに、運命の分かれ道がありました。

怠け者で面倒くさがり屋の私は、靴を見てすっかりいやになり

夫の家のホームドクター、K病院に行ったのでした。


昔の個人病院は、のどかなものでした。

たいていの症状は引き受けてくれ、妊婦の私も診察してくれました。

診察の後、支払いの順番を待っていると

一人の若い看護師が近づいて来ました。

「こちらへどうぞ」


古くからの看護師が、私に対して姑みたいに振る舞う少々ケムたい病院で

その人は初めて見る人でした。

案内されるままについて行ったのは、奥まった場所にあるレントゲン室でした。


何度か入ったことのある部屋でしたが

まさか妊婦にレントゲンはナイだろう、と思っていたら…

「上着を脱いで」

     「あのう…妊娠してるんですけど」

「大丈夫ですよ」

     「え…でも…」

「ちゃんと調べておいたほうがいいですから」


昔は技師など置かずに、レントゲンや注射

簡単な切開や縫合までも看護師がやるところは、珍しくありませんでしたから

とりわけ奇異な行為ではなかったのですが

診察後のレントゲンは、やはり不自然です。


にぶい私にも、やっと気がつく瞬間が訪れました。

洗濯していたら、夫のポケットからプラスチックの注射器が出てきたこと。

病院でしか扱わない薬品が、箱ごと車に置いてあったこと。

夫は腰痛でこの病院に通っていたこと。

一度私に「マユ…」と呼びかけ慌ててごまかしたこと。

その人の名札には、「○○まゆみ」と書いてありました。


それでもまだ、偶然かもしれない

人違いかもしれない、と迷いましたが

思い切って言ってみました。

     「あの…レントゲンはしません。離婚もしません。」

まゆみさんは、黙って部屋を出て行きました。

このことは、誰にも言わずに帰りました。

武士の情け…いや、妊婦の情けです。


一週間ほどして、K病院の姑看護師から電話がありました。

「あの子、辞めちゃったじゃないの!

 あんたのせいよ!

 どうしてくれるのよっ!」

 
聞けば彼女は、病院がお金を出して学校へ通わせ

やっと資格を取ったばかりで

これから学費を返済しながら働く

「お礼奉公」という習慣が、始まったところだそうです。


お礼奉公の途中で辞める場合には

立て替えてもらった学費は一括返済するのですが

ゼニカネ以上に、病院にとっては大変不名誉なことらしく

そのベテラン看護師は、管理責任を問われて不愉快な思いをしたようです。


まゆみさんの退職理由は

「うちの夫にだまされ、傷ついたから」

だそうです。

姑看護師は、当たるところが無かったのでしょう。

どうやら、夫を浮気に走らせた私に

重大な責任があると言いたいらしいです。


あまりの剣幕に何も言えませんでしたが

今考えても、病院の備品を外部に持ち出したり

どんな理由があったにせよ、妊婦をレントゲンにかけたがるような人は

看護師には向いてないと思います。

広い意味で、不特定多数の人を救ったつもりなんだけどなぁ…てへ。
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とほほ②

2008年10月14日 14時33分32秒 | 不倫…戦いの記録
おそれながら…と、申し開きをしたいのはやまやまでしたが

第二次世界大戦中に少年期を過ごした彼らにとって

食べさせないというキーワードはあまりにも強烈でした。


すっかり燃え上がった彼らは

「かわいそうに」

「おなかがすいたら、いつでも来るんだよ」

「お母さんは鬼だ」

と、まるまる太った子供を抱きしめて、口々に泣き叫ぶのでした。


「鬼母」という称号をいただき

その日は妊娠中ということで、執行猶予の上釈放となりました。

一族が皆、非常にエキサイトしやすい性質…

密接な血族関係…

それらは結婚当初から、ユーモラスな印象はありましたが

よもやこのような形で、我が身に降りかかろうとは思いませんでした。


後からおいおいに理解したのは

やはりガテン系極小自営業である家業に由来するところが

大きいということでしょうか。

戦後の混乱期を経て、義父がまだ若いうちに起業した会社は

高度成長の波に乗って、それなりの飛躍を遂げました。


一代で身を興した義父や家族はもちろん

近くに住み、身内ということで、その恩恵にあずかっている親族も

これを必要以上に誇りに思っている様子でした。

この手の職種の人に多く見られる現象にたがわず

彼らもまた、熱く激しいものを持っていました。

その熱は、時として一般常識や既成概念を

はるか彼方に吹き飛ばす力を秘めていました。

そうでなければやっていけない業界でもありました。


そんな彼らがもっとも忌み嫌う状況…それは「なめられること」です。

なめられたらおしまい。

なめられる前に攻撃する。

その家訓が、私にも適用されたわけです。

光栄です。

イヤミですが…。


それからの私は、奮起した…と言いたいところですが

相変わらずたらたら暮らしていました。

すべてが明るみに出て、コソコソする必要のなくなった夫は

堂々とデートに出かけるようになりました。


あの親族裁判で、浮気が父親の公認となったことも拍車をかけました。

義父も、その兄弟たちも、祖父も、女性関係が派手でした。

この時も、義父の愛人のことで義母ともめている最中でした。

痛いところを突かれたくない義父は、息子の恋を男の甲斐性とし

みんなの前で、当面の軍資金を渡しました。


ぼんやりたらたらの私でも、これは腹が立つわけです。

何とかしたくても

どうしたらいいか皆目わからない。

仕方がないので、とりあえず本でも買って読んでみることにしました。


浮気された妻の心構えや、その傾向と対策みたいなものを探しましたが

田舎の本屋さんには、離婚関係のものしかありませんでした。

離婚した人の声を集めた体験本を何冊か買いました。

浮気、暴力、借金…理由はさまざまですが

みなさん離婚して良かったとおっしゃっています。


…大半の人はまず実家へ帰ります。

中でも恵まれた環境の人は、なんやかんや言いながら

すぐパリやニューヨークへ旅立つのです。

留学して、自立のためのスキルを身につけるためだそうです。


「おまえもパリかよ…」

とつぶやいたところで気付きました。

そもそも本を出版できるような人は

コネも才能もあり、生活に困ってないと。

体験談を話す人も、本を書く人の人脈の中に存在するのだから

ある程度以上のランクの人だと。


貧しい妊婦の私は、どうすりゃいいのさ。
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とほほ

2008年10月14日 00時24分49秒 | 不倫…戦いの記録
「頼む!離婚してくれ!」

夫にいきなりそう言われた時のことは

今でもはっきり覚えています。


土下座した夫の後頭部をながめながら

晴天のへきれきとは、こういう時のことなんだな~

と、ぼんやり考えていました。

今から約20年前のことです。


浮気という招かれざる客が、はからずも我が家に入り込み

やがて日常の風景となってから、長い年月が経ちました。


機会は何度もあったのに、なぜ離婚しなかったのか

今でもよくわかりません。

たぶん、極度の意地っ張りと、重度の怠け者である

私の性格に起因するところが、大きいのではないかと思います。


相手の望まないほうへ…喜ばないほうへ…

単純な選択を重ねるうちに歳月が流れた…

そんなところでしょうか?



さて、ある日突然離婚を頼まれたわけですが

私には「はい、そうですか」

と言うわけにいかない事情がありました。

二人目の子供を妊娠していたからです。

結婚7年目、6年ぶりにできた、待望の子供でした。



       「赤ちゃんが生まれるのに…」

「堕ろしてくれ」  

と、あっさり。

       「はぁ?…」

「好きな女ができた。そっちと結婚するから」  

なおもあっさり。

       「そんな…」

「子供のいない家庭が作りたい」  

さらにあっさり。



     「そんなこと、できないよ…」

「どうしてもダメ?」

     「あたりまえじゃん」

「ケチ!バカ!ボケ!」

おっとりとした優しい人だと思っていた夫ですが

その日を境に変身です。


落ち込んだり嘆いたりする暇もなく、今度は夫の両親が参戦しました。


家事が出来ない。

上の子を虐待している。

だから離婚したい。

夫は、両親にそう言いつけていました。

「やられた…」

と思いましたが、あとのまつりです。


夫の一方的な訴えを鵜呑みにした両親は怒り狂い

親戚を何人か呼んで、私の裁判が始まりました。

もちろん、事実無根であること

浮気が原因であることを話しましたが

弁護人なし、検察多数の裁判は、圧倒的に不利です。


「帰る家が無いなら、旦那に気に入られるようにしろ」

「そんな嫁とは思わなかった」

形勢最悪。


その時、伯父の一人が気を使って

上の子供を部屋から連れ出そうとしました。

「おじちゃんの家に来て、ごはん食べるか。何が好き?」

我が子はそこで元気に言いました。

「ふりかけごはんー!」


子供という生き物は、時として突飛な発言をするものです。

幼稚園の給食を答えてしまったわけです

しかし一同、鬼の首でも取ったように色めき立ちました。


「それ見ろ!これが何よりの証拠じゃ」

「やっぱり、残酷なことをしていたのね!」

おお…我が子よ…それはあんまりだぞ…

下手人確定。


とほほ。
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