殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

新たな生活

2008年10月15日 15時08分13秒 | 不倫…戦いの記録
同じ市内の両親の家に移り、同居生活が始まりました。

50代になったばかりの両親と、20代後半の私たち。

もうすぐ小学生になる長男と、生まれたばかりの次男。


妊娠、浮気、増築、出産、引っ越し…

数ヶ月間のめまぐるしさにかまけ、

そこにもう一人、重要人物がいたことを、私はうっかり忘れていました。

夫の2歳上の姉です。


私たちが結婚した1年後に隣市へ嫁ぎましたが

お小遣い稼ぎに実家の経理をしていました。

忙しい会社ではないので、給料日と支払日以外は

ほとんど仕事がありませんが

1年365日、義母とべったりの、今で言う一卵性母子というやつです。

実家に帰れなくなると、絶対死にます。


この義姉、ちょっと変わったお方です。

弟である夫とは、仇同士でもここまでじゃないだろうというほど仲が悪く

毎日いがみ合いです。

しかし年が上で、しかも女である義姉のほうが、やはり頭が良く

いつも最後は尾ひれ付きで父親に言いつけ、夫が叱られるパターンでした。


この二人が、会社の現場と経理をそれぞれに受け持って

両親の愛情を取り合いながら働き

両親もまた、この姉弟の忠誠心を天秤にかけながら経営しているのですから

家業の命運もおして知るべし…です。


私も、陰で立ち回っては、夫婦や家庭を引っかき回す彼女に辟易していました。

夫の愚痴を本気で受け止め、そんなにつらいのなら

本人と両親を交えて話し合ったらどうか、とか

義姉の夫ともう少し懇意になる努力をして

そちらから言ってもらったらどうか、とか

稚拙な案を出しては、悦に入っていました。

私の実家も、ごく小さな会社を経営しており

規模や、生じる処々の問題など似通った点があったので

すっかりアドバイザー気取りでした。


夫は「それが出来たら苦労はしない」と言うばかりで

実行に移す気は、まったくありませんでした。

私はそれを意気地が無いととらえ、歯がゆく感じていました。


夫は、この問題が解決不可能であることを骨身にしみてわかっており

無駄な解決策を論じるよりも

ただ、うん、うん、と、優しく聞いてほしかっただけなのだと思います。

両親との同居を望んだのも、そうすることで義姉に少しでも遠慮が生まれ

自分や家族に害を及ぼす機会が減れば…という

かすかな望みを持っていたからでした。

そんな夫の気持ちが、当時はわかりませんでした。


結局、義姉は私たちの同居に危機感をおぼえ

以前にも増してますます戦闘的に進化したので、逆効果でした。

それでも、新しい住まいに移って、私はある感慨にふけりました。


中学生の時です。

隣町の中学と部活の合同練習をすることになり

夏休みの間、電車で15分のその中学に通いました。


駅からテクテク歩いてもう少しで着くという場所に、一軒の家がありました。

広い芝生の庭、そこで遊ぶ大きなコリー犬、モダンな洋館…          

当時の私の三大あこがれ。                                     
にぎやかな駅前育ちの私にとって

郊外のその家はまさに理想そのもので、通るたびにうっとりしました。

何年か後に、まさかその家の息子と結婚することになろうとは

そしてその家に住むことになろうとは、思いもしませんでした。


夫と私は、両親や子供たちの前では

雨降って地固まった夫婦のふりをしていました。

過去を忘れ、笑顔で接するのが賢いやり方だとわかっていても

あの悔しさや怒りがよみがえり

またやるんじゃないか…

また煮え湯を飲まされるんじゃないか…と思ってしまって

私のほうが、どうしてもぎくしゃくしてしまいます。


はりつけにされてあんよが燃えているのに

信じてニコニコなんてできんわい。

隠れキリシタンじゃあるまいし…。

そんな開き直りが、もっと悲惨な現実を招くことになりました。



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