殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

まさかの坂

2008年10月15日 18時41分38秒 | 不倫…戦いの記録
長男は3年生に、次男は3歳になりました。

この頃、義父が新しい愛人に夢中になり、義母と毎日もめていました。


相手は、22歳の女性です。

じいさまキラーとして有名な方だったので、見た時にすぐわかりました。

つい去年までは金髪の頭で駅前にたむろしていたクチでしたが

どうやら自分が美しいことに気付いたらしく

このところ、老人受けの良い黒髪のロングヘアで

あちこちのじいさまに「営業」して成果を上げている子です。


私は義母に泣いて頼まれ、義父の尾行をしたことがばれて

数ヶ月前から目の仇にされていました。

さらに間の悪いことに

早朝、両親がまだ寝ている時に来客があり

知らないおじさんが「昨夜はすみませんでした」と、菓子折りを渡すのです。

わけを聞くと、ラブホテルを出ようとした義父の車と

入ろうとしたおじさんの息子の車が接触したのだそうです。


ちょっと喧嘩のようになったので

おじさんは律儀にも謝りに来たのでした。

ガレージの義父の車は、確かに右前が凹んでいました。


その時、義父がパジャマのまま走り出て来て

「人違いだ!帰ってくれ!」と叫んだので

おじさんはびっくりして、帰ってしまいました。

その後、義父の私に対する態度は、ますます厳しいものになりました。


そんな時、夫が長男の小学校のPTA役員になりました。

こういうことは初めてなので、夫は張り切っているようでした。

この人にも名誉欲みたいなものがあるのだ…と、ちょっと驚きでした。


やれ会議だ、それ親睦会だ…

夫は仕事もそこそこに、毎晩のように出かけます。

小学校のPTAって、こんなに忙しいもんだったかしらん?

と思っていた矢先、家に無言電話がかかるようになりました。

電話は、両親とは別に引いていましたから

ターゲットが私たちであることは明らかでした。


携帯電話の無い頃は、こんなにのどかなことが行われていたのです。

今は全部携帯で済ませるので、静かで良い時代になりました。


いよいよ始まったな…私は女戦士の心境でした。

前のように、むやみに苦しむまい。

どんな結果になっても

怒りを後々まで引きずるような不完全燃焼はすまい。

それだけを心に誓いました。


電話は、主に平日の昼間にかかってきます。

ある日、その電話をとりながら

何気なくそばに張ってある長男の時間割表に目をやりました。

「今、大休憩かぁ…」

学校の長男に思いをはせながら、いたずら電話をとるむなしさ…。


次にかかったのは、昼休憩の時でした。

その次は、学校が終わる時間でした。

2日もすると、もうおよそのことは想像がつきました。

さらに、夫が夜外出している時は絶対にかからず

たまに家に居るとかかります。


ビンゴ!!といきたいところですが、一応、私にも

社会通念ってもんがあります。

「いや…待て待て。まさか、教育者が…」

とも思うし、思いたいわけです。
   

そんなある土曜日、釣りをおぼえた長男を

海辺にある夫の会社に連れて行きました。

子供が釣りをする間、見ていてやるというので、美容室に予約を入れてありました。

そこへ、一本の電話。

「えっ?うん、うん、大丈夫だよ。心配ない。すぐ行くから」

んまぁ、今まで聞いたこともない優しい声だこと。


「ちょっと…用が出来たから、子守りは無理」

と言われ、しぶしぶその場で、美容室に予約取り消しの電話を入れました。

それを待ちかねたように、夫はどこかへ電話をしていました。


帰るふりをして、こっそり聞き耳ずきん。

「ちょっと知り合いが事故っちゃって。すぐ頼める?

 場所は…○○…

 うん、白のカローラ。そそ。卵型のやつ。」

懇意の修理工場に、レッカーを頼んだようでした。


翌日は日曜参観でした。

学校へ行くと、入り口にまず教員駐車場があります。

そこで、見てはいけないものを見てしまいました。

フロントが大きく凹んだ、白い卵型のカローラです。


        ちゃらりー!
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新たな生活

2008年10月15日 15時08分13秒 | 不倫…戦いの記録
同じ市内の両親の家に移り、同居生活が始まりました。

50代になったばかりの両親と、20代後半の私たち。

もうすぐ小学生になる長男と、生まれたばかりの次男。


妊娠、浮気、増築、出産、引っ越し…

数ヶ月間のめまぐるしさにかまけ、

そこにもう一人、重要人物がいたことを、私はうっかり忘れていました。

夫の2歳上の姉です。


私たちが結婚した1年後に隣市へ嫁ぎましたが

お小遣い稼ぎに実家の経理をしていました。

忙しい会社ではないので、給料日と支払日以外は

ほとんど仕事がありませんが

1年365日、義母とべったりの、今で言う一卵性母子というやつです。

実家に帰れなくなると、絶対死にます。


この義姉、ちょっと変わったお方です。

弟である夫とは、仇同士でもここまでじゃないだろうというほど仲が悪く

毎日いがみ合いです。

しかし年が上で、しかも女である義姉のほうが、やはり頭が良く

いつも最後は尾ひれ付きで父親に言いつけ、夫が叱られるパターンでした。


この二人が、会社の現場と経理をそれぞれに受け持って

両親の愛情を取り合いながら働き

両親もまた、この姉弟の忠誠心を天秤にかけながら経営しているのですから

家業の命運もおして知るべし…です。


私も、陰で立ち回っては、夫婦や家庭を引っかき回す彼女に辟易していました。

夫の愚痴を本気で受け止め、そんなにつらいのなら

本人と両親を交えて話し合ったらどうか、とか

義姉の夫ともう少し懇意になる努力をして

そちらから言ってもらったらどうか、とか

稚拙な案を出しては、悦に入っていました。

私の実家も、ごく小さな会社を経営しており

規模や、生じる処々の問題など似通った点があったので

すっかりアドバイザー気取りでした。


夫は「それが出来たら苦労はしない」と言うばかりで

実行に移す気は、まったくありませんでした。

私はそれを意気地が無いととらえ、歯がゆく感じていました。


夫は、この問題が解決不可能であることを骨身にしみてわかっており

無駄な解決策を論じるよりも

ただ、うん、うん、と、優しく聞いてほしかっただけなのだと思います。

両親との同居を望んだのも、そうすることで義姉に少しでも遠慮が生まれ

自分や家族に害を及ぼす機会が減れば…という

かすかな望みを持っていたからでした。

そんな夫の気持ちが、当時はわかりませんでした。


結局、義姉は私たちの同居に危機感をおぼえ

以前にも増してますます戦闘的に進化したので、逆効果でした。

それでも、新しい住まいに移って、私はある感慨にふけりました。


中学生の時です。

隣町の中学と部活の合同練習をすることになり

夏休みの間、電車で15分のその中学に通いました。


駅からテクテク歩いてもう少しで着くという場所に、一軒の家がありました。

広い芝生の庭、そこで遊ぶ大きなコリー犬、モダンな洋館…          

当時の私の三大あこがれ。                                     
にぎやかな駅前育ちの私にとって

郊外のその家はまさに理想そのもので、通るたびにうっとりしました。

何年か後に、まさかその家の息子と結婚することになろうとは

そしてその家に住むことになろうとは、思いもしませんでした。


夫と私は、両親や子供たちの前では

雨降って地固まった夫婦のふりをしていました。

過去を忘れ、笑顔で接するのが賢いやり方だとわかっていても

あの悔しさや怒りがよみがえり

またやるんじゃないか…

また煮え湯を飲まされるんじゃないか…と思ってしまって

私のほうが、どうしてもぎくしゃくしてしまいます。


はりつけにされてあんよが燃えているのに

信じてニコニコなんてできんわい。

隠れキリシタンじゃあるまいし…。

そんな開き直りが、もっと悲惨な現実を招くことになりました。


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使用前・使用後

2008年10月15日 00時19分32秒 | 不倫…戦いの記録
思いがけない展開により、夫の恋はあっけなく終焉を迎えました。

胎児も5ヶ月に入り、ひとまずほっとしたいところですが

燃え盛る最中に、愛する女性に去られた夫にしてみれば

これはかなり面白くない状況なわけです。


私もまた、似たような心境でした。

胎児も上の子もセットで

在庫一掃セールされそうになった情けなさ、惨めさ。

夫の知らなかった一面を見た衝撃。

病院での出来事は、彼女の一存ではなく

夫と共謀したのではないかという疑惑…。

私はすっかりいじけて、ひねくれまくっていました。


いつもそうなのです。

その時、その瞬間は、ぼんやりしてしまって何も言えない癖に

後からマグマのように怒りがわき上がって、押さえられないのです。


この時もそうでした。

つらいならさっさと離婚すればいいのに

違う道を選べばまた別の未来が拓けるかもしれないのに…

意地やあまのじゃくで

損なほうへ、苦しいほうへ、つい行ってしまうのです。

やつが望まないほうを選ぶ。

結論は、絶対に離婚しない…でした。


私たちは、表面は何事もないふりをしていました。

しかし、常に一触即発の危うさを抱え

重苦しい日々を過ごしていました。


そんな状態を見かねた夫の両親が、孫のために同居を勧めました。

夫が乗り気になり、出産に間に合うようにと

実家の増築工事が始まりました。

どうにでもしてくれ…私は投げやりな気持ちでした。

この一件で、両親が自分の味方についてくれることを知った夫は

妻の取り替えが、充分可能だと知ったのです。

次を試みるのは時間の問題でした。


さらに夫は、会社を抜けてデートをしても、誰も困らないし怒らない…

立場も収入も変わらない…

経費も使える…

もう少し上手に立ち回ったら、本当にうまくいくところだった…

などということも学習していました。

見てはいけないものをたくさん見てしまったような気がして

私はいじけ、そして疲れ果てていました。

よそのお嫁さんのように、同居はいやだとゴネるのも面倒くさく

売られて行く牛のように従いました。


            ♪ドナドナドーナー♪



工事が終わり、ほどなく子供が生まれました。

二度目のお産というのもありますが

浮気の苦しみに比べたら、へのカッパでした。

とうとうこの子を守りきったという達成感から、ちょいと泣きました。
コメント (3)
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