殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

ミッション

2008年10月17日 11時19分07秒 | 不倫…戦いの記録
夏休みが始まりました。

夫は相変わらずの完全無視。

そして、不必要に大きな音を立てた歩き方やドアの開け閉めで

精一杯の怒りをアピールしていました。


始めのうちこそ、感じが悪いと思っていましたが

よく考えたら、夫婦の間でどうしても伝えなければ

命に関わるような事柄はひとつもありませんでした。


「こうあるべき」

「こうでないと困る」

などの既成概念を頭から外してしまえば

つまらぬ苦しみから解放されるのだと知りました。

死んだと思えば、なおさら気になりませんでした。


夫はその頃、義父と急に仲良くなっていました。

ヒステリックで言葉の暴力がひどい義父を、夫は心底恐れていたはずでした。

義姉も同様で、小さなことで怒鳴られては腰を抜かし

その場にへたり込んで動けなくなるさまを、何度も見ていました。


そんなに恐ろしいなら近寄らなきゃいいのに。

なんでわざわざ同じ仕事をして、そばにいるんだろう。

変な姉弟だ…と疑問でしたが、これが血というものであり

家族の形のひとつだとわかるまでには、まだ年期が必要でした。


義父と夫が、それぞれの恋のために共同戦線を張ったことを知ったのは

それから間もなくでした。

墓参りに、観光に、夫は母親をよく連れ出すようになりました。

義母は単純に喜んでいましたし、私も良いことだと歓迎しました。


義父はその隙に、若作りをして出かけるのです。

赤や紫のシャツに金のネックレス…

まるでチンピラですが、キラ子の好みでありましょう。


男というのは、帰った時にどこへ行ったのか聞かれるのが

ほんに嫌な生き物らしいです。

後ろめたい場所ならなおさらです。

指定した日に連れ出し、自分が帰る時に妻は留守の状態にしておけ…

というのが父から息子へのミッションでした。

かわりに息子と約束したのは、これまで以上の嫁いびり。

どうやら私が、自分から逃げ出すのを促すつもりのようでした。


毎年、盆前と正月前は、庭に植木の剪定が入ります。

午前と昼と午後、二人の庭師さんにお茶やお菓子を出すのも

けっこう慌ただしいものですが

最終日の午後、帰り支度を始めた庭師さんが、申し訳なさそうに言いました。


「あの…今朝…旦那が…

 今回から落とした枝葉はそのまま置いて帰れと言われたもんで…

 置いて帰ります」


3日間で出たおびただしい量の枝葉は、庭を被い尽くしています。

「片付けて帰っても、日当は同じですよ、と言うたんですが…」

    「まぁ。どうしたんでしょうかねぇ」


庭師さんは手ぬぐいをもみながら、苦渋の表情を浮かべていました。

「あの…嫁さんにやらすと…。

 長いことお世話になったけど…

 私ら、もう次から来ません。恐ろしいわ」
    

「帰りに、できるだけ持って帰っておきます、

 捨てる所に困るだろうから、うちへ持っておいでなさい」

庭師さんたちは、そう言って帰って行きました。


やってやろうじゃないの…

炎天下、セミの声をBGMにつぶやいた私でした。



それ以後も、義父の攻撃は続きました。

手紙を開ける、留守中部屋に入るなどは以前からの習慣でしたが

新たな作戦として、倉庫に入ったら鍵をかけて閉じ込める

干してある私の洗濯物を犬に与えるなどを頑張りました。


義母はいつもこっそり私を助けてくれましたが

「病気がさせているんだからね」

と、糖尿病の義父を恨まないように言うのでした。

たとえ病気でも、本来心に存在しないものは、表に出てこないと思いますが

反論するのも面倒なので、そういうことにしました。


義父は本当に私が嫌いなんだなぁ…と思いました。

かまいません。

私も義父が嫌いですから。


夏も終わり、2学期になりました。

父子の連合軍も、そろそろマンネリです。

元々飽きっぽくて、仲も良くない二人ですから

いつまでも続くわけがないと思っていました。

浮気連合軍は、夫の失踪という形で、突然の解散と相成ったのでした。

           

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