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チンダ・レンゲさん(84、インドネシア)、イネス・マガリャンイス・ゴンサルベスさん(92、東ティモール)

2016-11-10 | 日本政府の常識は国民の非常識

アジアの被害者らが来日集会

「謝罪と賠償、勝ち取ってみせる」「南・日政府は『合意』の破棄を」

南朝鮮をはじめとするアジアの被害国の日本軍性奴隷制被害者らが来日し、外国人記者クラブでの記者会見(4日)、東京と大阪(2日)で証言集会、外務省への要請行動(7日)など、日本軍性奴隷制問題解決を求めて精力的な活動を展開した。5日、東京・水道橋の韓国YMCAで行われた集会では、被害女性らが証言したほか、各国の運動団体による問題解決に向けた取り組みが紹介された。高齢を押して来日した4人の被害女性らは壇上で、涙を拭い、怒りで声を震わせながら、しかし毅然とした佇まいで日本政府に対する謝罪と賠償を訴えた。被害女性らの声を紹介する。

韓国YMCAで開かれた集会の様子

韓国YMCAで開かれた集会の様子

 

「何もない、これ以上働けない」/チンダ・レンゲさん(84、インドネシア)

チンダさん

チンダさん

チンダさんは来日も、公で証言するのも、今回が初めて。

インドネシアへの日本軍上陸後、家族でパレパレという町の綿繰工場で糸を紡ぐ仕事をしていたチンダさんは、14歳のとき、一人だけ同じ敷地内にあった別棟に呼ばれ、日本兵にレイプされた。それから毎日のように何人もの日本兵に強姦され続けた。

6カ月後、日本の敗戦を受けて自宅に戻ったときには父も母も亡くなっていた。周囲からは「日本軍の残りかす」だと蔑まれ、村から追い出された。

家族も、住む場所も失ったチンダさんは、それから70年間、さまざまな仕事をして生きてきた。市場で出会った女性と住むようになり、市場で野菜などを売りながら、少しずつ貯めたお金を元手にして、パンやお菓子を売りながら生活してきた。

「日本軍に強姦された私と一緒になろうとする男性はいなかった」。夫や家族もおらず、両親も亡くしたチンダさんは現在、インドネシアの南スラウェシ州でたった一人、他人の家を間借りして暮らしている。チンダさんは「私はすでに歳をとっている。仕事をするためにあちこち動くことができなくなってきた。何も持っていない私に、歳をとっている私にこれ以上どうしろというのですか。何もない。これ以上働けない。日本政府には賠償してほしいし、私たちの生活にも関心を払ってきちんと対応してほしい」と訴えた。

日本軍に奪われた娘/イネス・マガリャンイス・ゴンサルベスさん(92、東ティモール)

イネスさん

イネスさん

初来日のイネスさんは、「私が日本に来たのは、飛行機に乗りたいわけでも、街を見学したいわけでもない。被害者として訴えるためにきた」と、口を開いた。

イネスさんは日本軍の占領時代、オアト村で日本軍のための家を作る仕事をさせられた。女たちはある家に住まわされ、昼間は労働を強いられ、夜は家の中に閉じ込められて、一晩に4、5人から性的暴行を受けた。それが終わると立つことはおろか、動くこともできず、死んだように眠るだけだった。性器が痛くて歩くことさえできないときも拒むことはできなかった。「逃げればよかったと言う人がいるが、逃げたら殺されると思ってできなかった。私が住んでるところには、もう一人被害者がいる。被害者は他にもたくさんいるが、私たち以外はほとんどが亡くなってしまった」。

6カ月間にわたる慰安所生活で、イネスさんは妊娠し女児を出産。カイブティと名付けた。しかしその子が3カ月になった頃、日本軍に取り上げられ、現在も行方がわかっていない。

「娘がどうなったのか、日本政府には責任を持って教えてほしい。私は歳をとっていて何度も日本に来ることはできない。私の話を聞いてほしい。日本政府には正式に謝ってほしいし、賠償してほしい」

尊厳を回復するため告白/エステリータ・バスバーニョ・ディさん(86、フィリピン)

エステリータさん

エステリータさん

「連行された駐屯地では建物の一室に入れられ、しばらくすると一人の日本兵がやってきた。私は嫌がったが、日本兵はそのまま私をレイプした。彼が立ち去るとまた別の日本兵が来て同じように強姦された。その次の日本兵に対してはひどく抵抗した。すると日本兵は怒って私の両耳を手で掴んで、テーブルに思いっきり私の頭を打ち付けた。そのとき一体何人の日本兵に強姦されたのかは、覚えていない」。

慰安所での生活は3週間続き、戦争が激化するにつれて日本兵の残虐性は増していったが、日本の敗戦が決定的になると多くの日本兵が荷物を抱えてだんだんと姿を消していった。エステリータさんは、タイミングを見計らって駐屯地から逃げ出した。

92年、フィリピンで最初に性奴隷制被害者として名乗り出たロサ・ヘンソンさんが出演するテレビ番組を見て、衝撃を受けるとともに、被害を明かすなんて恥ずかしくて自分には到底できないと思った。しかし1年後に思い直し、「日本軍によって奴隷のように扱われた私たちの尊厳を回復するために、日本に責任を果たしてもらわないといけないと思った。それで現在のリラ・フィリピーナの前身であるフィリピン人従軍慰安婦問題協議会の扉を叩いた」。

「日本の政府に訴えたいことがある」とエステリータさん。日本軍性奴隷制に関する南・日の「合意」は認めることはできないとし、「日本軍性奴隷制の被害国は11カ国にのぼる。日本はすべて国の被害者に対して責任を果たすべきだ。『合意』は破棄してほしい」と話した。

平和を願う女性人権運動家/李容洙(88、南朝鮮)

李容洙さん

李容洙さん

「歴史の生き証人、李容洙です。25年間、ソウルにある日本大使館の前で雨の日も雪の日もハルモニたちが求めてきたことがある。日本は公式に謝罪し、法的に賠償せよ、ということだ。これは千年経っても、万年経っても変わることはない」

「合意」について李さんは、「悔しくてやりきれない。合意というものは本人としなければならない。しかし本人である私は合意した覚えも、判子を押した覚えも、聞いた覚えすらない」と憤りを露にした。

南政府は去る7月末、「合意」に基づき「和解・癒し財団」を設立。来日直前の11月1日、ナヌムの家で記者会見に臨んだ李さんは、日本政府が拠出するとしている10億円の拒否と財団の中断を明確に主張した。「私たちが求めてきたのは、お金ではなく、公式謝罪と法的賠償だ。今、国はまるで逆さまに行っている。そんな状態に作ったのは日本だ」。

「これまで日本に騙されてきたが、私たちはもう騙されない。国も日本と仲間になって私たちを騙した。事実ではない嘘はばれるに決まっている。今、その嘘が白日の下にさらされている」と、李さん。日本の平和の碑(少女像)撤去要求について、「私たちは国中に少女像を建てるつもりだ。米国にも、最後には東京のど真ん中にも建てる。その前を行き交う人々が申し訳なかったと頭を下げるように。私は今、平和を願う女性人権運動家として飛び回っている。今88歳だが、88歳でも活動するのにぴったりな年だと思っている。必ず日本から謝罪と賠償を勝ち取ってみせる」と高らかに訴えた。

(金淑美)



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