羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

人が生きた証

2007年04月29日 19時50分37秒 | Weblog
 昨日、朝日カルチャー土曜日クラスに、ポータブルDVD・CDプレイヤーを持っていった。
 おそらく連休初日で、出席者は少ないと読んだ。案の定、15・6人で、ゆったりとのんびりとした雰囲気が漂っていた。
 
 4月22日に催した「石と親しみ 石に貞く」を振りかえって話をすることにしてレジュメを考えていた。
 サジさんがつくってくださったDVDに「地に貞くー2-」があることを思い出して、その中から野口三千三先生の話しておられた一部をご覧にいれた。

 画面は小さいが石について語る野口先生のイキイキした姿が映し出された。
 先生の話はなかなか切れない。センテンスが長いのだ。切れ目なく話が続いていく。
 極小の自然金の結晶について、琥珀の中の虫について、実際に石を手にとって熱心に語る姿に、懐かしさを覚えた。地球時間のなかで、結晶が成長する。地球時間の中で生きものの細胞膜を通して熱水に溶け込んだ鉱物の成分が置き換わっていく。たとえば恐竜の骨の化石など、時間差で化石化する。置き換わっていく鉱物が異なっていることなど、見ていたかのようにリアルな話しっぷりに、居並ぶ人々が感動する様子をカメラは捉えている。

 没後、私は意識的に「もの」に語らせることをできるだけ避けてレッスンや授業を行ってきた。「もの」を否定するのではないが、どこまで「ことば」と「からだ」で伝えられるのか、試したみたかった。いや、正直、先生の真似をしても到底かなわないという思いだったかもしれない。ミニ野口、クローン野口では、「もの」に申し訳ないと思えた。
 10年近い歳月が流れた。

 そして久しぶりに「石の会」を開いて、参加された方々の喜びの表情と、石にあたってヘトヘトになられた様子に、「もののけ」のエネルギーを再認識した。
 いやはや野口三千三は野口体操と呼ばれるとんでもない類稀な世界を築いた。

 カルチャーの教室で、野口三千三先生が嬉々として話される姿を映像として見ながら、人が地球に生まれ地球に生き、そして死がその人を連れ去っていく不思議さに心が揺れていた。
 その現実を改めて突きつけられた。
 どうしようもなく寂しい。
 
 映像の中の先生は77歳の夏ともうすぐ78歳を迎える秋。
 夏と秋に我が家で催した2回分の「石の会」をおさめたものを1本にまとめた1992年の記録だ。
 それから6年後に、お別れの時を迎えた。
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1 コメント

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Unknown (サジ)
2007-04-29 22:55:07
スイッチを押せば、何度でもモニター上に現れ、喋り続ける先生が見られます。でもそこではそれ以上お話しが脱線することはありません。
教室ではいつも、他人の言葉ではなく、ご自身のからだを通した熱い言葉が森羅万象に散らばり、でも最後にはちゃんと「からだ」に帰ってくる。落語のオチのような見事な話術でしたね。
ビデオ編集で一番苦労したのはこのことでした。次から次へお話しが続き、なかなかハサミが入れられない。結局は長廻しのショットをそのまま切らずに生かす編集方針をとることになりました。それは撮影時に於いても、バッテリー交換以外は気を抜くことのできない長丁場の真剣勝負でした。
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