羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

昭和35年・1960年という年

2007年04月02日 16時09分36秒 | Weblog
 野口三千三先生が、沖正弘氏が日本にもたらした「ヨガ」の講習会を受けられたのは、昭和35年(1960年)のことだった。
 当時は、「ヨガ」への認識は、ごく限られた人々の間で共有されていたのに過ぎなかったかもしれない。
 現在のヨガブームを思うと、隔世の感がある。

 当時、野口三千三先生は45歳、東京藝大に移って10年過ぎたころだった。
 沖氏はだいたい41歳くらいだろうか。
 ざっと計算して、47年くらい前のことだった。

 東京藝大の助教授が「ヨガ講習会」に通うことは、顰蹙をかったらしい。
「権威は自分の中にあるもので、他人が決めた権威に従うのではない。自分が素晴らしい・ほんものだと思えることに権威を認めて、習いに行くことは決して恥ずかしいことではない。隠すべきことでもない」
 断固、沖ヨガを認める姿勢を崩さなかった。

 さて、この昭和35年・1960年という年は、戦後日本にとって、一つのターニングポイントになった年である。私は小学校5年生だった。学生運動の嵐が吹き荒れたときで、学校が休みなった。目白にある小学校に電車通学していたので、そのときの印象は、鮮明に残っている。
 
 1960年の年表から、主な出来事を抜き出したものをここに書いておきたい。

 1月:藤山外相と岸首相は、安保改定交渉妥結のために渡米。
   全学連主流派700人が羽田空港で警察隊と衝突。
 4~5月にかけて安保阻止国民会議統一行動。
 5月19日 衆議院安保特別委員会で自民党が強行採決。
 6月15日 東大生樺美智子さんの死。10万人デモ。“東京暴動”と外国特派員が打電。
 7月15日 岸内閣総辞職。池田隼人内閣成立。
 9月    自民党高度成長・所得倍増計画発表

そのほかの出来事:
 
 4月 世界最初のトランジスタテレビをソニーが発売・18インチ6万9000円。
 9月 NHK・日本テレビ・ラジオ東京・朝日放送・読売テレビがカラー放送を開始。
10月 国勢調査:総人口9341万余人。東京都昼間人口1000万人突破。

12月 南ベトナム民族解放戦線ベトコン結成→ベトナム戦争へ


 ごく荒っぽく出来事をならべてみると激動の日本が見えてくる。
 その時代に「沖ヨガ」に関心を持った野口先生のある事情が、かなり深刻な問題としてあっただろうと想像がつく。
コメント
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