羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

持つべきものは身内のような知人こそ……

2007年04月09日 20時12分00秒 | Weblog
 夕方、身内のような知人が見舞いに来てくださった。
 出来立ての「手作りうどん」に、ご実家から送られた「黒豆」を煮てご持参くださった。
 おかげさまで、夕飯はそれに少し冷蔵庫にあるものを足して終わった。手間がはぶけてとても助かった。
 
 今日は、昨日出来なかった原稿書きやレジュメつくりや本の手配など仕事の方もはかどって万々歳の一日だった。

 そんなこんなで勢いづいて、夜になって母のからだを拭くことができた。
 父が術後や風呂に入れなかったときに使っていた沐浴剤を思い出して、それを使ってみた。赤ちゃん用なのだが、熱めのお湯にその液体を溶かし込んで、足を湯に浸して洗う。
 五木寛之さんのエッセーに「足を洗うすすめ」が書かれていたのを思い出した。
 手や顔はよく洗うけれど、足もできるだけ頻繁に洗うことをすすめておられたのだ。
 その文章を読んでから、私自身実行してみているのだが、これは非常に気持ちがいい。
 自分で行ってもかなりいいので、他の人が手伝ってやってもらえたら、病人にとっては癒されること請け合いである。

 ついでにからだも沐浴剤で拭き、乾いたタオルで水気をとる。そして洗濯したきれいな肌着に取替える。
 父が入院していた病院のやり方は、ずいぶんと役立つよう思える。全身性エリテマトーデスという膠原病に加えて、最後は癌で亡くなった。
 父の病院との付き合いは十数年に及んだ。
 その間通院や入院など、患者の家族としてさまざま経験を積み重ねてきた。

 病気にならないで暮らせれば幸せだ。しかし、なかなか思ったようにはならない。昨日ブログに書いたノンフィクションのナレーションではなけれど「人生まさかの連続」なのである。

「先の予想はつかないのだからクヨクヨしないこと」という人生哲学を父の病で学んだ。

 そして思いもがけず「手打ちうどん」に「黒豆」だって届けられるのだから、捨てたものではない。
コメント
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