羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

二本の足で立ち、そして歩く地球の子ども

2007年04月18日 20時20分25秒 | Weblog
 母が、直立二足歩行、いや野口三千三説によると「一足直立二足歩行」して一人でトイレにいかれるようになった。
 片方の足に乗らないと、歩行はできないから「一足」という表現を先生はなさった。完全に片足に乗って、もう一方の足は振り出されることになる。

 そしてもう一つ、からだはまっすぐが楽だということを身をもって体験したようだ。むしろひねりながら姿勢を変えるときに痛みがあるようだ。
 しかし、日常の暮らしに戻るには、まだまだ時間がかかりそうだ。

 そんななか日曜日に予定している「石を楽しむ会」の準備を今日はする予定になっていた。その予定通り、朝から増渕さんが手伝いにきて、夕方まで思いケースを運び出したり、双眼実体顕微鏡を用意したり、こまごまとしたことも含めて当日に備えてくれた。
 
 思い返せば、野口三千三先生が亡くなる一年前、1997年5月に集まったのが先生と過ごした最後の「石の会」だった。あれから10年。はやいものである。
 野口体操に行かなかったら、野口三千三先生に出会わなかったら、隕石・鉱物・化石・砂といった「石の世界」の楽しみを一生知らずに過ごしただろう。
 それがどうした、といわれれば明確な答えに窮する。
 しかし、人間の歴史時間、せいぜい5000年の時間から解き放たれたことだけは確かだ。
 少なくとも地球誕生の46億年という時間を考えることで、歴史観などというとオーバーだが、命の時間感覚は、はっきりと変わったと思う。

「この地球に最後に現れたヒトという種よ、おごることなかれ」ということが実感となった。
 同時に『原初生命体としての人間』の「はしがき」の言葉の意味が深まった。

『人間の創造は、もともと自然の範囲内で行われるべき、ささやかなつつましやかなものではないだろうか。たとえそれが、ささやかなつつましやかなものであったとしても、そのものやことに対して、大事に大事に触れ合い溶け合うことによって、無限の豊かさと新鮮さとを、生み出す能力をあたえられているのではないだろうか』

 二本の足で地球に立つことができるということは、ヒトに与えられたものすごい能力だということを、再び歩き始めた母の「歩行状態」とそのことを喜ぶ様子を見て感慨深いものがある。

 人間は、水惑星地球の子どもなのだ。
『からだは地球物質のまとまりかたのひとつであり、心はその働きかたのひとつである』野口三千三
コメント (2)
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