羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

日経新聞・本日4月19日の朝刊から……特集と広告

2007年04月19日 09時01分00秒 | Weblog
 今日の朝刊から、紹介したい記事と広告がある。

 一つは、特集記事に関連して。
 実は、1998年、野口三千三先生が亡くなって、四十九日を過ぎたところで、追悼としてのホームページを開設したことは、以前、このブログに書いた記憶がある。
 当時は、まだまだインターネットを使う人は少数派に過ぎなかった。
 その当時、野口体操の先輩方から「野口体操のホームページなどけしからん。野口体操をハウツーものにする気か。もってのほかだ!」と、お叱りを受けたことを、今となっては懐かしく思い出す。
 時代は変わった。
 
 そこで今日(4月19日)の日経新聞朝刊「ネットと文明 第10部 主従逆転 4-目覚めた身体ー疑似体験より生身の感動」について。

 ネット検索で事前に調べを終えて、生身の体験をしてみると、ただ単に『「確認」するだけで「感動」に浸れない自分がいることに気づく』という記述があった。疑似体験をしておけば大外れもない反面、大当たりもないという。
「そりゃそうだろう」
 人生は無駄もあれば肩透かしもあり、まさかの連続だから面白いということによって、新しい発想も創造力も沸くというもの。
 
 記事は、金沢市のある碁会所では碁盤とパソコンが並んでいて会員はわざわざそこまでやってきてネットの向こう側の相手と碁を打つと、書き出されている。無言で一人パソコンに向かうより、画面を覗き込んだ人々との会話を楽しむのだそうだ。
 また任天堂の「Wii」が当たったのは、ゲーム機で汗を書くことが出来るから。孫を誘蛾灯のように招きよせるために買うお年よりもおられるとか。

『ネット上の体験が現実世界の感動を目減りさせ、将来の行動を縛る主従逆転が広がる。本来のバランスを取り戻そうと、ヒトの身体は部屋に閉じこもるのをやめ、再び生身の感動を求め始めたように見える』と記者は書く。

 1998年に、野口体操公式ホームページを開設したのは、来るべきIT化にいち早く乗るためではなかった。
 野口体操・野口三千三の身体論を、伝えたいがための思いからだった。
 すくなくとも「目覚めた身体」の価値を失うことはない。

 もう一つ、今日の日経新聞広告に目が止まった。
 ブルーの大きな文字で
「失敗。」
とある。
 で、書き出しがふるっている。
『どこのどなたかわかりませんが、この広告の長い文章を読んでみようと思われた方に、まず初めにお礼を申し上げます。ありがとうございます』
 クラリーノの宣伝なのだ。-大原孫三郎DNA。クラレ-
 経営者・大原孫三郎の話とクラリーノ(合成皮革)が商品化されるまでの話が全面広告として載っていた。
 「失敗」というキーワードを持ってくるところに、「ネットと文明」の話を重ねて読むと、今朝はちょっと気分がよかった。

 極端な物言いをお許しいただけば、リスクを回避するだけの人生は、社会を灰色一色に染めあげるだけだ。
 薔薇色の人生のなかには、黒もこげ茶も灰色も、えもいわれぬ色合いが混ざって「薔薇」の美しさが際立つのだ。
 
 さて、さて、振り返ると、できるだけリスクは回避したいし、書も捨てずインターネットも携えながら、生身の感動を失わない暮らしを維持するのは、生半ではないのかもしれないね~、と呟く人が確かに自分の中にもいる。
 でもね、安住しちゃいかんのよ。
 わかったつもりになっちゃいかんのよ。
 
 結論。
「若者に言いたい、新聞を読もうよ!」
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