羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

半透明の美

2007年04月15日 09時04分01秒 | Weblog
 すがすがしい季節になった。
 昨日は、初夏を予感させる気温と空気だった。
 朝日カルチャー土曜クラスを終えて、いつものメンバー数人と住友ビルを出た。
 レッスンが終わって、こうして新宿駅まで向かう道々の会話がまた楽しい。
 話しながら何気なく風景に目を向ける。
 するとビルの形状が夕暮れの光をうけて陰影をくっきりと見せていた。
 
 それから新宿駅でそれぞれの乗り物に分かれて乗る。
 6時過ぎて、自宅のある駅を降り立った。帰りの道々、西の空が夕焼けに染まりつつある感じを受けていた。というのも建物が密集していて、空全体を眺めることが出来ない町に住んでいる。

 家につくと鉢の土が乾いていて、そこでも気温の高さを感じた。
 今朝は時間をかけて一鉢ずつ丁寧に水遣りをした。久しぶりに心を込めていたように思う。
 水を吸った木がみるみる元気になっていくのがわかる。
 土が水を吸い込む音がする。

 朝の仕事を一しきり終えて、マガジンを手に取る。
 日曜日隔週に配られる『HTE NIKKEI MAGAZINE』である。
 白地の表紙に載っている和菓子に目が吸い寄せられた。 
 吉野葛をつかった涼やかな風情。あわい若草色の餡が透けてみえる。

「もう、そんな季節になったのだ」
 心得のある方なら、ここで一句。無調法な自分がちょっと寂しい。
 
 このブログを打ち込んでいるパソコンを背負っている北窓が開いている。
 ふぅーっと、風が忍び込んで、やさしく包んでくれるようだ。
 ちょっとひんやりしているかな。

「葛粉に水と少量の砂糖を加えて、熱すること十分。葛はすぐに作業をしなければ固まってしまう。一瞬、水につけるものの、七十度もの熱さに耐えながら、手早く餡を葛で包んでいく。最後に数分蒸せば、葛饅頭の出来上がりだ。蒸すことで葛本来の野性味が和らぎ、温かみが伝わってくる」ーー特集「葛の力」から

 表紙には小さな文字でそう記されている。

 翡翠に代表されるような半透明の美しさを日本人は好んできた。
 『原初生命体としての人間』のなかにも、半透明の美について書かれたフレーズがある。こちらは野性味たっぷりの美しさではあるが。

 日本の初夏は半透明の美しさが際立つ季節かもしれない。
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ちぢむ筋肉・のびる筋肉・ゆるむ筋肉……丁度いいのが丁度いい

2007年04月14日 10時09分36秒 | Weblog
 春休み明けは、夏休みに明けに比べて、辛いものがある
 冬にじっと堪えて過ごし、啓蟄とともに目覚めはじめるが、本格的な春の桜花に心を奪われて天国にいる気分になるからではないかと思っている。
 
 しかし、今年は様相が少し違った。
 3月末に「ヨガと野口体操」で龍村修さんと対談+実技の合同講座があったり、母の坐骨神経痛発症で緊張を強いられたりで、のんびり花見が出来なかったことが少なからず影響していると思う。

 しかし、授業が始まったときにはエンジンがかかっていた。
 一つのエンジンは、いろいろな問題をからだの問題に連動させるエンジンだ。
 野口三千三先生は、「野口体操」が作動するエンジンだけをいくつもお持ちだった。その影響を少なからず受けている自分に気づいて苦笑している。

 さて、今期は改めて野口体操を見つめる機会を「ヨガと野口体操」でいただいたので、そのことからはじめてみようと、今日の朝日カルチャー土曜教室のテーマを選んだ。

 野口体操独特の「緊張」「弛緩」に「伸展」を、テーマにしてみたい。
 さて、どんなレッスンになるのか、楽しみである。

 伸びっきりも縮みっきりも緩みっぱなしもいけない。
「丁度いいのが丁度いい」とは野口三千三先生の名言である。 
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正座と太陽礼拝

2007年04月13日 20時01分28秒 | Weblog
 昨日から今日にかけて、いいことがあった。
 まず、新学期が始まって新しい学生と対面し、ガイダンス+授業をすでに行った。
「東洋的フィットネス」ということで集まった学生たちだ。
 野口体操の「上体のぶら下げ」は、いつものことながら、相当なインパクトを与えるらしい。
「何だ! 新しい生きもの?」
 奇異な目と驚きの目が光る。

「はじまりと終わりは、正座で挨拶をしましょう」
 ということで、正座の仕方お辞儀の仕方を伝授。
 今の学生は和の常識や身のこなしを知りたいらしく、まじめに練習するのである。
 授業が終わったときには、数名の学生が話しに来た。
「私、今まで、かかとの上にお尻を乗せていたので、正座でのお辞儀が上手く出来ませんでした。今日、はじめてとっても楽にお辞儀できたんです」

 そういった実利的な感動もあり、これまでの体育とまったく異なった「野口体操」の価値観に、驚きとともにある種の共感をすでに得てしまったようだ。

 そんなこんなで順調にすべてのクラスで新学期がひらいた。

 そして、母のこと。
 昨日からトイレから戻るときに、介助して歩く練習をはじめた。歩くといっても5・6歩に過ぎないが。
 まっすぐにからだを立てると、歩くときに痛みはないらしい。
 むしろ姿勢を変えるときに斜めの力が加わる、つまり「ひねり」があるときに痛みがあるらしい。
 しかし、今日は痛み止めの座薬を入れずに、一日過ごした。
 朝は、トイレから戻るときに歩いて、床につく前に私が後ろ側で支え、それを頼りに、直立したまま両手を挙げて、からだを反らせていた。
「太陽礼拝のポーズ」
 おどけながら、2・3回反り返っていた。なかなか気持ちがよさそうな表情を見せてくれた。

 痛みはこらえながらも、ぼちぼちだが動きが出てきた母の状態である。
 実際には、まだまだこれから時間はかかりそうだ。

 それにしてもなんとなく心が軽くなった。
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オートマティック・トイレ

2007年04月12日 08時16分48秒 | Weblog
 2年前に家を新しくしたときに、タンクレスで省エネでお掃除が楽でリモコン操作のいちばん新しいトイレを入れた。

 連日、母の話しで恐縮だが、食べることと排泄は、生きる根幹にかかわる重要なこと。
 今日は、まさかのオートマティック・トイレのお話
 
 坐骨神経痛発作が出て以来、母は、小さな座布団に正座して、手と頭を支えにして座布団を滑らせながら、トイレまで移動してくれる。
 介助する者にはとても楽だ。
 
 で、便器の前で方向を変えて、つかまりながら便座に腰をかけるときが、ちょっと厄介だ。しかし、無事に便座に腰がかかると一安心。
 この便器は、便座に人が座ると、ウォッシュレット器具を使う前に洗うために水が流れる。
 母は、その音を頼りに腰をずらして、音を聞き取ってから用を足す。
 次に、腰を浮かしただけで脱臭機能が働き、その音が聞こえる。
 水はリモコンのスイッチに軽くふれると流れる。
 下着をあげる作業が、また一苦労。彼女は、出来ることは自分でやる努力をしている。片手でからだ支えながらだから見守っているほうが、手を出したくてウズウズするくらいだ。でもそれを拒否する。
 身支度が終わると、もう一度、便座に腰掛けて一休みすることになる。
 
 数日前、普段は切っているが、オートで水が流れる機能がついていたことを思い出し、使えるようにした。
 便利なのだ。からだの自由がきかないときは、流すすためにスイッチをいれることも忘れがちだった。
 腰を浮かせれば、座っていた時間で「大」か「小」かを判断して、水の分量を調節しながら自動的に流す。

 ところが、一度座って立ち上がって、また座って立ち上がって、時には2・3回そうしたことを繰り返すたびに、最初からの段取りがはじまって水が流れる。何度でも繰り返されるのだ。
 
 機械は、どこまでも機械というわけ。
 人間の行動を見て、判断しているわけではない。

「もったいないから、自動は止めて。何とか自分で流すから」
 一日もたたないうちに、オート機能は切る羽目に陥った。

 いやはや、まさかの出来事は、日常茶飯事である。
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ポータブルDVD来る!

2007年04月11日 10時01分48秒 | Weblog
 母の病状は、薄紙をはがす程度には回復している。
 最初のころはひたすら眠り続けていた。
 先週末から、退屈だと言い出して、新聞を読みはじめた。
 それでも24時間は長い。

 どうしたものかと思案していた矢先のこと。
 4月8日のブログにも書いたが、「人生まさかの神楽坂」などというノンフィクションを見て心が熱くなっ私は、「そうだテレビを枕元においてあげよう」と思い立った。
 早速いつもこまごましたことでお世話になっている、近所のパナソニックの店に行った。
 そこで注文したものは「ポータブルDVD/CDプレーヤー」。4月発売になったばかりの新製品。
 翌日の昼に届くことになっている。
 子供のように、そのときを母は待ちわびていた。
 これで地上デジタル放送(ワンセグ)が見られるのだから。
 
 月曜日の昼に手にはいった。
 ワンセグ映像には問題がある。
 しかし、母は大満足。老眼鏡をかけながら、リモコンの操作を覚えていた。

 取り扱い説明書を見ると、この機種は結構優れもので、使いこなしたらいろいろなことが出来るそうだ
 たとえば、重低音を楽しみ・映画向け画質にする(シネマ1は映画館で見ているようなしっとり感、シネマ2は昔の映画などをくっきり)。
 SDカードとやらも使えるらしい。
 画面上のノイズを取り除く機能までついているようだ。
 私の手元にないので、まだ、確かめられないのが残念。
 
 というわけで我が家に新しいコンピューターが入ったような感じだ。
 バッテリーで最長12時間は見られるらしい。
 ドライブにはもってこいの製品ではないか!

 というわけで床の中でテレビを見たり聞いたりする母はご機嫌だった。
 ところが事件が起こった。
 その晩というか、夜中というか、突然、静けさを破って、猛烈に大きな音が響いてきたのだ。
 テレビの音らしい。
 びっくりして起き上がって、襖を開けた。
「スイッチが切れないの、イヤホーンもはずれちゃったの……どうしよう」
 オロオロする母は、腰の痛いのも忘れたように正座に近い姿勢をとっている。

 時計の針は、午前2時30分をまわっている。
 こんなときグッと抑えて、丁寧に対応するほどのゆとりはなかった。
 しかし、ひとしきり相手をして、3時近くなった。
「さぁ、寝ましょうね」

 人生は、まさかの連続である。トホホホ……。
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「ヨガと野口体操」の記録を再生して……なんとかなりません?

2007年04月10日 21時04分32秒 | Weblog
 なんだかとても面白い。
 自分で褒めるのも憚られるのだが、3月31日に行った「ヨガと野口体操」、龍村修さんとのセッションを記録したDVDを見て思ったことだ。
 ついつい惹きこまれてしまう。

 朝日カルチャーセンターの緑川奈々子さんがセッティングして、途中で佐治嘉隆さんが撮影に加わってくださったビデオをDVDに焼いていただいた。
 今日になって、母の状態も少し楽になったこともあって、半分ほど見る時間がもてた。

 これは、皆さんにご覧にいれたい記録だと思った。
 実際には、司会者的なことも行っていたので、瞬間瞬間に集中していて、終わったときには、記憶がすっぽり抜け落ちているような状態だった。
 今しがた外側に出した形で見たり聞たりしてみると、確かにこのような対話をしていたと記憶がよみがえってくる。

 実は、なかなかいい対話になっているのだ。
 どうしたものか。何かいい方法はないだろうか。
 ユーチューブとかいうところで公開してしまうには、抵抗があるのは私だけではないはず。
 なんとかならない?! かしらねぇ。

 お知恵をください。
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持つべきものは身内のような知人こそ……

2007年04月09日 20時12分00秒 | Weblog
 夕方、身内のような知人が見舞いに来てくださった。
 出来立ての「手作りうどん」に、ご実家から送られた「黒豆」を煮てご持参くださった。
 おかげさまで、夕飯はそれに少し冷蔵庫にあるものを足して終わった。手間がはぶけてとても助かった。
 
 今日は、昨日出来なかった原稿書きやレジュメつくりや本の手配など仕事の方もはかどって万々歳の一日だった。

 そんなこんなで勢いづいて、夜になって母のからだを拭くことができた。
 父が術後や風呂に入れなかったときに使っていた沐浴剤を思い出して、それを使ってみた。赤ちゃん用なのだが、熱めのお湯にその液体を溶かし込んで、足を湯に浸して洗う。
 五木寛之さんのエッセーに「足を洗うすすめ」が書かれていたのを思い出した。
 手や顔はよく洗うけれど、足もできるだけ頻繁に洗うことをすすめておられたのだ。
 その文章を読んでから、私自身実行してみているのだが、これは非常に気持ちがいい。
 自分で行ってもかなりいいので、他の人が手伝ってやってもらえたら、病人にとっては癒されること請け合いである。

 ついでにからだも沐浴剤で拭き、乾いたタオルで水気をとる。そして洗濯したきれいな肌着に取替える。
 父が入院していた病院のやり方は、ずいぶんと役立つよう思える。全身性エリテマトーデスという膠原病に加えて、最後は癌で亡くなった。
 父の病院との付き合いは十数年に及んだ。
 その間通院や入院など、患者の家族としてさまざま経験を積み重ねてきた。

 病気にならないで暮らせれば幸せだ。しかし、なかなか思ったようにはならない。昨日ブログに書いたノンフィクションのナレーションではなけれど「人生まさかの連続」なのである。

「先の予想はつかないのだからクヨクヨしないこと」という人生哲学を父の病で学んだ。

 そして思いもがけず「手打ちうどん」に「黒豆」だって届けられるのだから、捨てたものではない。
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潅仏会の午後

2007年04月08日 15時46分28秒 | Weblog
 今朝、選挙に行って、原稿を一つ書いて、新学期授業のレジュメを考えて、本の手配をして……と、欲張った計画を立てた。

 まずは投票に出かけようとしたとき、祝いの花が届いた。
 黄色がメインのアレンジメントを母が寝ている部屋の欅の台に飾った。
 大正15年につくられたカウンターである。江戸指物でちょっと狂いがきてはいるがまだまだ現役として使える。台は一間の幅がある。80年からの時間が、落着いた雰囲気をかもしだしている。

 外に出ると日差しがあたたかく、街角のそこここに植わっている桜の花びらが散りかかってくる。
 目的の小学校へと向かう人、戻ってくる人が三々五々連れ立って歩いている。
 いつもよりものんびりと歩く人々がそこにはいる。

 帰宅して、仕事に取り掛かろうとしたもののやる気が失せている。
 居間のテレビを何気なくつけた。2時をまわっていた。
 男性のナレーションに、すぐにも惹き込まれてしまった。
 どうも二組の家族を追っている番組らしい。
 未婚の母と一人娘、女二人が切り盛りする酒処。
 もう一つの家族は、再開発問題と癌の病に悩む夫と妻が開いている洋風の定食屋。

 その町に定着して50年。
 何気ない市井の人々の暮らしに隠された秘密が明かされていく。
「人の一生まさかの連続。ここは人生神楽坂」
 味わいのある言葉を、変に甘すぎないが、情緒ある声色のナレーションが静かに盛り上げていく。

 ふと、思い出す。
 数年前のこと。
 病室ではなく、食堂で昼食を食べていたときのこと。
 60代後半の男女の会話が後ろから聞こえてきた。
 綺麗な日本語だった。東京弁だった。とりわけ女性の話し言葉はしゃきっとしながらも柔らかなイントネーションが心地よかった。

 同じ病棟に入院してる二人のうち、男性の方が以前この近くに住んでいたらしい。女性は家付き娘で、近くの老舗の女将さんらしい。懐かしそうに子供のころの町の様子を語り合っていたのだ。
 
 突発性難聴をわずらった私が入院した東京女子医大は、神楽坂の目と鼻の先にある。
 懐かしい思いを抱きながら番組を見て、あの町に暮らす人々の何気ない日常も、一歩踏み込んでみると、そこにはさまざまな人生があるんだなぁ~と、ため息がこぼれた。
 
 ナレーションは更に続く。
「神楽坂は上り下りの人生そのもの」
 変わりゆく町に、人の思いが交錯する。
 フジテレビ「ザ・ノンフィクション」、1時間の番組だった。

「人生まさかの神楽坂」
 途中から見ていたものの目頭があつくなった。
 いい番組を見せてもらった。
 
 そして58回目の潅仏会の日は穏やかだ。
「おめでとうさん」
 隣の部屋から、花束の贈り主の言葉が聞こえるようだ。
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松の実?

2007年04月07日 08時32分21秒 | Weblog
 春の彼岸に松は植え替えろ、という慣わしにしたがって植え替えをした。
 21日・春分の日だったので、今日で17日目を迎えた。
 春雷あり、風の強い日あり、黄砂が降った日もあり。
 思えば気温は一気に真冬なみに下がって、霰が舞った日もあった。

 植え替えをした翌日、気がついていたのだが、いちばんの古木の松の葉の真ん中に、緑色の小さな粒が見えていた。
 それが日に日に膨らんで、今では松の実位の大きさまで成長した。
 はじめはそこから葉が出てくるのかと思っていたが、そうではなさそうなのだ。
 初めての経験で、どうしたものかと思案している。

 根はそこそこに張っていたが、やっと生きているような木なのだ。
 若々しい生気に満ちていると言う印象はない。
 素人考えでは、見事に花が咲いたり、たわわに実がなったりするときは、その木が最後の命を燃焼している場合ではないのか?
 そこで木が疲れないためには、実をむしってしまう方がいいのだろうか。
 などと、このごろ迷いはじめた。

 もう一本の松の木には、まつぼっくりになるような感じのもの、葉とは異なる風体のものが成長してきている。昨年まではなかったことなのだ。
 父が丹精しているときには、よく見ていなかったことをしきりと反省する。

 こうしたことは、何事においても起こること。
 あのことも、このことも、野口三千三先生に伺っておけばよかった、と思うことが最近になって出てきている。

「誰でもからだを持っているんですから、レッスンにこなくても、自分のからだで見つけることは出来ますよ」
 そう野口先生はおっしゃることがあった。
 それはそれ! なのだ。

 やっぱり、聞いておけばよかったってことはいくらでも出てくるもののようだ。
 鬼籍に入ると言うことは、二度と戻らぬ命の事実。
 さて、これから私にできることは何か。
 還暦を前に考えたい。「還暦」と打ち込んで、ドキッ。
 花祭りの日の誕生日なんて、いい季節だ。
 雨や日差しや風が、枝先にポツンと見えていて蕾を、日一日と新芽に成長させていくのだから。
 季節は確実に春。
 これから葉桜もまた楽し。
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アーカイブス

2007年04月06日 16時11分07秒 | Weblog
 先日、野口三千三先生と昭和35・6年ごろ、演劇の場で親しくされておられた方と、電話で話をする機会があった。
 長年にわたって地方のアマチュア劇団で演出をされていて、一昨年引退された。実質、その劇団のリーダーで、その地方の文化人代表でもある方だ。

 野口先生が亡くなる前に、何か困ったことがあったら、相談するといいと言われていた唯一の方だった。まさに言葉とおり、親身になって話を聞いてくださる。そしていつも厳しいご意見もいただく。

 劇団を引かれてから、ご自身の最後の締めくくりの仕事にとりかかった矢先に、心臓の病を得て、最近になって手術をなさった。10月に再度入院して、術後の経過をみて、問題があれば再手術をなさると言う。
「今、執行猶予みたいな状態なのよ」
 お元気な声が受話器から聞こえてくる。

「野口先生の春秋社から出た『野口体操 からだに貞く』と『野口体操 おもさに貞く』の表紙を送っていただけるかな」
 野口先生と出会ったころのことから、親しく交流があった話、野口体操について文章にまとめておくことも最後の仕事一つだとおっしゃる。
 そこで、2冊お贈りした。

 そのお礼の電話だったのだ。
「びっくりしたよ。柏樹社の本とは印象が違ってね。で、『からだに貞く』の口絵の写真は、初版当時のものではないのに、なぜ、載せたんだろう。時期が異なるものを載せるのは間違っているんだ。記録性という大事なことをないがしろにすることだね」
「春秋社から出版されたとき、この写真を使うということは、一切聞いていませんでした。だから私もびっくりしたんです」

『おもさに貞く』の写真は、柏樹社の編集者が退社するときに整理をしていたら出てきたいうことで、私がいただいた写真があって、それを佐治嘉隆さんが見やすい状態に手をいれて元の形のまま掲載したという事情を話した。

「本からの転写では、ざらつきがひどくてどうしようもなかったんです」
「それはいいことですよ。『おもさに貞く』を書かれた当時の写真なんだから」
 
 つまりおっしゃりたいことは、本はアーカイブスとしての重要な意味を持つもので、そこに時代がまったく違った写真入れることは、読者にとって間違った情報を与えることになると言うことだった。

 欧米や韓国に比べて、日本ではアーカイブスに対する考えが甘く、学会が数年前に発足したにもかかわらず、あまり有意義な活動ができる地盤がわが国にはないというようなことを新聞記事で読んだことがある。

 2・30分の話のなかで、結局、野口先生の雑誌掲載文や、その他の語録や、著作物をまとめて編集し、写真資料は年代順を追って一冊にまとめて、全体として歴史的な意味を持たせたものに作り上げる必要があると二人の意見が一致した。

「そういった認識が日本ではあまりに欠けている。演出家の岡倉さんのことにしても、まとめをしなければいけない人がやらないんだから腹立たしいんですよ」

 82歳の母の世話をしながら、昨晩は眠られぬ夜を過ごした。
「いっそ、外に出る仕事は止めにして、資料の整理を本格的にする暮らしもいいかもしれない。でもすぐにはそうはいかないわね~」
 
 電話の主も母と同い年の82歳・丑年である。
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都知事選まであと3日

2007年04月05日 13時11分53秒 | Weblog
 選挙日の4月8日まで残り3日となった。

 先日は、30年来の付き合いがある知人から「私は○○さんを応援します」だったか、選挙用の事実上の推薦手紙をもらった。
 今朝は、別の知人から「東国原知事が当選したのは、選挙日3日前に若者たちがメールで知らせあった結果が、旋風となって追い上げたそうだ」という内容のメールが入っていた。

 3日の追い上げが可能になるのは、やっぱりインターネットの力なのか、と認識を新たにした。同じ内容のメールを、全員に送れる機能というのは、新しい風を起こすものなのだ。手紙よりも楽に違いない。

 8日は、誕生日だ。花祭りの日に生まれた私としては、初めて誕生日が投票日になった記念すべき年だ。
 きっと一生忘れることのない東京都知事選になるだろう。

 実は、母が坐骨神経痛で、臥せってしまった。
 いよいよ来るものが来たのかと、今週の火曜日午後には覚悟をした。
 発病する前の状態に戻ることはないとしても、本人はできるだけ回復したいという気力を失っていない。それだけでも助かっている。
 トイレまで小さな座布団に正座して、丸くなった状態で頭と二本手で支えながら、からだを滑らせて行っている。相当痛そうだ。医者から出た薬は「座薬の鎮痛剤」で、父が癌で亡くなる前にも使っていたのと同じものだった。
「手馴れたものよ」
 一度、経験していると介護も気が抜ける。とは言うものの、これから大学の授業も始まると、どうなるのだとう。
 母は、苦しくても、みっともなくても、這いながらトイレにいくという工夫をしてくれている。どこまで回復するのか、今のところは見守るしかないのだろうか。
 
 こうした状況におかれると、いろいろなことが一気に頭に浮かぶ。
 はじめはあれこれ考えて、ドキドキしたが、昨日からは落着いてきた。
 焦りは禁物だから。

 まだちょっとやりたいことやらなければならないことが、はっきりしているので、なんとか切り抜けたいとおもっている。でも、実際はどうするのかなぁ~。
 いやいや、深刻に考えるのはよそう。お先真っ暗になるので。
 
 さぁ、3日後、8日の投票は、これで決まりだ。

 
 
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「ヨガと野口体操」その後ー2-

2007年04月04日 19時48分56秒 | Weblog
 昨日、火曜日の朝日カルチャーでのレッスンが終わってから、写真をいただいた。
 担当の二階のぶ子さんが、31日当日に撮ってくださったものだった。
 ものすごい人数だった。そのことが写真を見て、改めて「そうだった」と納得し、よくあの人数で動いたり・密度の濃い(ある方の言葉)講座になったと、自分で驚き感心している。
 1+1が2ではなく、それ以上のセッションのようだったことが、いただくコメントと写真で伝わってくる。

 とりわけ面白かったことがある。それは「沖ヨガ」のなかにある生物の進化を遡って動くいろいろを龍村さんが示してくださったことだった。
 その動きを全員が確かめてみたのだった。
 
 こういったあり方は野口先生もなさっておられた。野口先生の場合は、そのままを右から左に流すようなことはなさらなかった。ご自身のなかで、咀嚼し消化し何度も繰り返しながら、独特の新しいあり方を見つけられたように思う。
 野口体操を深めるために、野口先生自身が漢字の字源・大和言葉の語源を遡ることもされておられた。
 それは動きのイメージや身体へのまなざしを豊かにする作業でもあった。

 ある方がこんな感想を漏らされた。
「初代ではセッションは難しかった。しかし、二代目になって共通項・相違点等々がはっきりしてたのだけれど、それは自然に寄り添いながら融合しながら可能になったたのだと思うの。普通は反発しあうのだけれど、そこが双方がお利口さんなのよね」
 ですって!

 本当にいい出会いが生まれて、いい刺激がいただけて、野口体操の方向性が明確になった。新しい可能性も見えてきた。

 当日、教室の隅に真四角のマットが2メートル位に積み上げられたいたその上で、二階さんが牢名主のように乗ったまま、写しておられた姿を思い出した。
 ここにその写真を貼り付けることが出来ないのが残念。
 
 皆さん、お疲れ様でした。
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「ヨガと野口体操」感想をいただくー1-

2007年04月03日 21時28分59秒 | Weblog
 4月1日(日)は、4月期から2時間に延長になった初日だった。
 4月3日(火)は、今まで1時間30分だったものが、2時間になった。
 新しいメンバーも得て、いよいよ新学期がはじまった。
 
 
 さて、3月31日の「ヨガと野口体操」に参加してくださった方の感想がぼちぼち届くようになった。
「さすがに20年来のお知り合いだけあって、お二人、意気投合された関係がとてもよかった」
 エッ、20年来は、龍村仁監督の方で、弟さんの修さんは、今回が始めての出会いだった。確かにご兄弟というだけで、初対面のときから、ある種の親しみを感じていたことはある。

「ヨガのイメージが変わりました。
 そうなのです。ヨガというとポーズばかりを追うものという印象がある。しかし、龍村ヨガによって、そうではないあり方を示してもらった。

「野口体操のつ一つの流れに沖ヨガの影響をみましたね」
 まったく同じ形ではないが、野口三千三先生は、沖さんから大事なものを受け取り、「野口体操」という新しい世界を築いたことは間違いない。

 これから新しい視点で野口体操を見直す、機軸をいただいた。
 二代目という関係は、初代とはまったく異なる。
 双方に流れる共通項が、龍村+羽鳥の出会いによって、より鮮明になった。
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昭和35年・1960年という年

2007年04月02日 16時09分36秒 | Weblog
 野口三千三先生が、沖正弘氏が日本にもたらした「ヨガ」の講習会を受けられたのは、昭和35年(1960年)のことだった。
 当時は、「ヨガ」への認識は、ごく限られた人々の間で共有されていたのに過ぎなかったかもしれない。
 現在のヨガブームを思うと、隔世の感がある。

 当時、野口三千三先生は45歳、東京藝大に移って10年過ぎたころだった。
 沖氏はだいたい41歳くらいだろうか。
 ざっと計算して、47年くらい前のことだった。

 東京藝大の助教授が「ヨガ講習会」に通うことは、顰蹙をかったらしい。
「権威は自分の中にあるもので、他人が決めた権威に従うのではない。自分が素晴らしい・ほんものだと思えることに権威を認めて、習いに行くことは決して恥ずかしいことではない。隠すべきことでもない」
 断固、沖ヨガを認める姿勢を崩さなかった。

 さて、この昭和35年・1960年という年は、戦後日本にとって、一つのターニングポイントになった年である。私は小学校5年生だった。学生運動の嵐が吹き荒れたときで、学校が休みなった。目白にある小学校に電車通学していたので、そのときの印象は、鮮明に残っている。
 
 1960年の年表から、主な出来事を抜き出したものをここに書いておきたい。

 1月:藤山外相と岸首相は、安保改定交渉妥結のために渡米。
   全学連主流派700人が羽田空港で警察隊と衝突。
 4~5月にかけて安保阻止国民会議統一行動。
 5月19日 衆議院安保特別委員会で自民党が強行採決。
 6月15日 東大生樺美智子さんの死。10万人デモ。“東京暴動”と外国特派員が打電。
 7月15日 岸内閣総辞職。池田隼人内閣成立。
 9月    自民党高度成長・所得倍増計画発表

そのほかの出来事:
 
 4月 世界最初のトランジスタテレビをソニーが発売・18インチ6万9000円。
 9月 NHK・日本テレビ・ラジオ東京・朝日放送・読売テレビがカラー放送を開始。
10月 国勢調査:総人口9341万余人。東京都昼間人口1000万人突破。

12月 南ベトナム民族解放戦線ベトコン結成→ベトナム戦争へ


 ごく荒っぽく出来事をならべてみると激動の日本が見えてくる。
 その時代に「沖ヨガ」に関心を持った野口先生のある事情が、かなり深刻な問題としてあっただろうと想像がつく。
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ヨガと野口体操

2007年04月01日 18時57分26秒 | Weblog
 昨日、龍村ヨガの龍村修さんと、素敵な出会いがうまれた。
 朝日カルチャーセンタ0の公開講座で「ヨガと野口体操~よりよいサスティナビリティ」と題して、対談を企画したのは、半年前のことだった。
 野口三千三先生は、昭和35年(1960年)ごろ、沖ヨガの沖正弘氏の講習会に参加された記録があった。一週間から10日くらいの講習会らしい。

 そこで、沖氏の高弟・龍村修さんとセッションを行うことになった。
 「龍村」というお名前からは、龍村仁監督がいらっしゃる。お二人は兄弟の関係。お兄様の仁監督とは、20年来のお付き合いをいただいている。
 セゾン・3分CM「人物映像ドキュメンタリー 野口三千三」をつくってくださったご縁だ。それから「ガイアシンフォニー第一番」が映画として誕生したときから拝見している。

 最近では、私がかかわっている花王・antuという中高年女性のQOLを考えるプロジェクトにご一緒していただいている。
 昨日は、仁監督自らDVDに焼いた「3分CM」をカルチャーまでお持ちくださって、そのまま講座をうけていらっしゃった。

 9年前の3月31日は、野口三千三先生のお通夜の日だった。
 その日に、こうしたセッションが実現したことに、我ながら感動を覚えている。
 龍村修さんをお呼びして、野口体操にいままでにない光を当てることが出来た。
 司会進行も行っていたためか、終わったときには皆さんの満足げな表情や、かけていただいたあたたかい言葉に、とても素敵で貴重なセッションになったのだと思えた。

 自分では夢中で行っていたので、記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっている。
 その瞬間・瞬間に集中していたからだろうか。

 きっと、もう1・2日たつと、いろいろなことが言葉となってまとまってくるかもしれない。
 ということで、昨日の記録は、ここにあまり明確に報告が出来ない状態。
 いい関係の糸を結ばせていただきました。
 皆さんに感謝! 
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