羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

垂乳根~たらちね

2006年10月16日 07時49分11秒 | Weblog
俳諧の宗匠として江戸で成功をおさめた芭蕉は、亡父の三十三回忌法要のために帰郷した。貞享四年(1687年)のことである。
そこで、兄から臍の緒を見せられた芭蕉は、父母や縁者への懐かしさ、更にはふるさとにつながる命の深みにただ涙する。

風雅にいきるものは、天地自然の営みに随って、「四時(四季)を友」として、常に新たなるおもいで万物に接する。
「造化にしたがひ造化にかへる」ことが、人として人になる唯一の道だという。

「百骸」つまり多くの骨からなり、「九竅」つまり九つの穴を持つ身は、母のからだから出で、その母の乳は大地の恵みである。その感慨は、深く芭蕉を捉えたのに違いない。
若き日に、身体に宿る得たいの知れぬ物に対峙し、その物の怪が俳諧へと向かわせるエネルギーになったことを、「臍の緒」を手にすることによって、四十五歳になろうとする芭蕉をして、悟らせたのかもしれない。
あくまでも「物」に即し、風雅を極めた芭蕉の姿勢は、どこか野口体操の根本に通じるものがあるように思えてならない。

今日の写真は、昨日の句にちなんで「蔵の乳房」。
誰が考えたのか、これも風雅……。
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