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<お寺の境内の桜も見事に見頃>
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<鐘を撞き、穢れを祓ってお墓へと向かう>
昨日は朝から、親戚の叔父、叔母たちを迎えて、母の四十九日の法要と納骨式を執り行った。9時半に家を出て、お寺に行く。寺の境内に見事な桜があった。この季節以外は何の木か気にもしないが、この時とばかりの存在感である。まさに、本日が見頃であり、花もたわわで見ごたえ十分であった。風流と俳句を愛した母が、この日を選んだ如くである。この場にいれば即座に数句手帳に書き込んだことだろう。
四十九日の法要、位牌開眼をすませた後、お墓に移動する前に境内の鐘楼に上がって鐘を撞かせてもらう。身についている穢れを鐘の音が祓ってくれるとのこと。小生一番乗りで鐘を撞く。ごぉ~~~んと思っていたよりも重く低く鐘は鳴る。ぉ~~~んと響いている内に合掌しないとご利益がないような気がして慌てて手を合わせた。
下に降りて、皆の鐘を撞くのを眺めていて一句浮かぶ。
昼日中 桜ふるわす 鐘の音
歌もひとつ、
桜花 短き命と 惜しめども
鐘の響きは さらに短し
お墓での納骨の儀も無事すまし、忌明けの宴に入ったのが12時半。この時点で、法事はすべて完了。クルマの運転もしなくていいし、いよいよ飲酒解禁である。思えば37日間。アルコールを一滴も口にしなかった。注がれたビールが喉を通った瞬間、身体のどこかにスーッと吸収されたように無くなってしまった。胃まで届いていない、感じだ。味もさぞ濃厚だろうと思っていたのだが、まるで、水を飲むよう。コップに3杯までは砂漠に水を撒くが如くどこかへ消えた、そんな感じであった。
叔父さん、叔母さんにビールやお茶を注ぎながら、断酒の話をして周るが、人によって反応が違う。呑ん兵衛さんに話すと「それは凄い!」「よく我慢したな」「エラい!」などと、こっちの期待通りの回答が返ってくるが、呑まない人に「37日間アルコールを断ってました」といっても、感動は薄いようだ。
大体、一番の身内の兄がそうだった。同じ兄弟でも酒に関しては全然違う。兄は呑まない。呑んでもビールコップ一杯で赤面して、もういらんというタイプだ。その兄に、実は葬儀の時から今日まで37日間呑まなかった、と言っても、「そうか。俺も飲んだのは部下の送別会の時だけだったなぁ。」で終わってしまう。兄にとっては日常なのだ。毎日呑む奴の方がおかしいと思っている。じつにあっさりとしたもんだった。ま、人は人だ。
一旦家に帰って、残務処理等を終えたのが5時半。もう、花見に行く時間はなくなってしまったが、花より団子、団子より酒だ。呑むだけは呑もうと思って、こういう誘いを余程のことが無い限り断らない友人と待ち合わせをして、大分陽が傾いた夕暮れ時。そそくさと、大宮の繁華街へと足を運んだのだった。