ライヴハウス考。

2023-07-06 20:29:40 | Weblog

昨日の続きで、どーでもいいようなことを延々考えていた。

 

ライヴハウス側としてはそりゃ、

「売れる」ことを目指してハングリーに活動して、

もちろん平日だろうが何だろうが二つ返事で出演し、

お客さんも毎回山ほど動員し、

しまいには鳴り物入りでメジャーデビューして、

そのライヴハウスの名前も有名になってしまう・・・・・

っていうようなバンドに出演して欲しいのだろう。

 

気持ちはわかる。

 

 

しかし、平日でもいつでも、

しかもハードスケジュールでライヴやってる(非・メジャーの)バンドの人って、

どうやって生活してるのだろう・??謎だ。

推測その1・・・大富豪、社長、もしくはそのご子息。

その2・・・・単に、ヒモ。

その3・・・・もう思いつかない。

 

まぁ、他人のことだから、どーでもいいけど。

 

それを羨ましいか?と聞かれれば、羨ましくない、と答える。

俺は、働けることに感謝しているし、

働くことも音楽やることも、ぎりぎりではあるが・・・出来てることは誇りだ。

俺は・・・っていうか俺達は「自立」してるのだ。

そういう、バンドの動き方を「オヤジバンド」と呼ぶなら呼べ。

 

 

 

 

それはそうと夢のある話を。

 

僕の覚えてる限りで「伝説」と化した、我が国での、

ロックバンドのライヴハウスでの、

大成功譚が二つある。

 

ひとつは1970年代後半の、チャボさんが加入した直後の、

復活RCサクセションで、

毎回、狂乱の盛り上がりで、もうこれ以上人が入りきれない・・・・ということになったらしい。

あれで渋谷・屋根裏の名前が全国で垂涎の的になった。

俺も一度、出たかったな。渋谷・屋根裏。

(後年になって移転・復活した渋谷・屋根裏には「ばるぼら」で、出た。)

 

もうひとつのライヴハウス伝説は、1980年代後半のブルーハーツだろう。

あれは・・・・もう移転してしまった西新宿のロフトだったのかな。

よく知らんのだけれども多分そうだろう。

話によれば、彼らが出演するたびに暴動のような騒ぎで、

そして倍々ゲームのように動員が増えて行ったそうな。

当然のように大手レコード会社の、バンド獲得争奪戦。

「歌詞に一切文句をつけない」という条件でメジャーデビューしたらしい。

むむむ。かっこいい。

 

今や国民的人気バンドみたいになってるスピッツは、

新宿JAMに出演していたバンドであったらしい(よく知らんのだが)。

JAMも、出たことがないなぁ。

むむむ。

イエローモンキーは、渋谷ラ・ママに出演していたはず(こちらもよく知らん)。

1980年代後半、ランブルフィッシュでラ・ママに出演した時、

イエローモンキーの宣伝チラシが貼ってあるのを見て、

「何じゃこのバンド名」と笑っていたのを覚えている。

あの頃から大した人気バンドだったんだろうな。

 

 

 

 

しかしまあ、「人が入りきれない」くらい動員出来たら

オヤジバンドであろうがなかろうが全然そんなの、

誰も気にしやしないのだろう。

 

 

 

 

 

ライヴハウスの数も、昔から考えたら信じられないくらい増えたよね。

それはそれで、すごくいいことなのだけれど。

 

コメント
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