ここんとこ何ヶ月もずっと、気になって持ち歩いてた文庫本、
太宰の「津軽」を
福山から帰りの電車の中でやっと読了した。
この本は正垣祐樹から借りてるもので、
ショウさん、持ち歩きすぎて本がボロボロになっちまった、ごめんよ。
しかし「津軽」ラストの暖かさ、前向きさ加減は衝撃的で、
電車の中なのに俺はナミダ一粒、こぼしてしまった。
太宰の、幼少期の乳母である「たけ」さんとの再会、そのための東北旅行。
全然違うんだが大昔(二十代の頃)に「ライ麦畑でつかまえて(野崎訳)」を初めて読んだときに、
後半の、「フィービー」との関わり(特にメリー・ゴーラウンドのあたり)しか
印象に残らなかったことを思い出した。
俺にとっての「ライ麦畑」は「フィービー」のための小説だった。
太宰の「津軽」は、「たけ」さんのための小説・・・というか紀行文であろう。
去年、LOVERSのNASさんから
「人間太宰治」というとても強烈な本(友人の目から見た太宰の生涯・・・みたいな重い内容)を頂いて、
その中で、作者の山岸外史が(太宰の死後)、
「津軽」を読んで泣きながら大絶賛する箇所が妙に心に残って、
どうしても読みたくなった。
それで実際、「津軽」を読んでみて・・・・・(山岸氏の)気持ちが少しは、わかったような気がする。
今回の福山への旅(「盆の帰郷」とも言う)は・・・また妙に、
軽かったが、重かった。
いつもいつも旅は「生」と「死」と向き合わざるを得ない。
そんな旅の終わりに
今回は太宰の「津軽」があった。
何となく感慨深い。
単純かもしれないが・・・・・・・・・・・・・
絶望せず、
前向きに生きようではないか、と思うのだ。