本日の、私の、言いたいこと。

2024-09-02 21:11:30 | Weblog

私はただの、ギタリスト上がりのシンガー・ソングライター(・兼ギタリスト)である。

 

時々間違われるが、ロックンローラー・・・とか、ではない。

そんなイキがったものではない。

喰えないバンドマン、と言われるのは心外だが、あながち外れてもいない。

煮ても焼いても喰えないオッサン、とは言ってほしくない。

よく焼けば、食べられないでもないからだ。

 

バンドマンは不良、という時代が昔、あった。

それはそれで、悪くもなかった。

だから(というか何と言うか)、

僕の友達には不良すれすれ・・・・というような人が結構、いる。

どっぷり、本物の不良!みたいな人はいないかもしれない。

そういうタイプの人とは、一緒に音楽やれない気もする。

不良ぶってる、くらいがいいのだ。

 

私は?といえば真面目なふりをした「隠れ反社会勢力」である。

革命を日々、夢見ている。

出来るなら無血革命を。

出来ないなら・・・・・・・・・・・・・・・・・???????

 

音楽で社会革命は起こせないかもしれないが、

人の心に訴えかけることは出来る。

・・・とか言って、実はなかなか、共感してもらえることさえ難しいのだが、

闇雲に、とにかく

演れなくなるまで、演ってみよう、と思っている。

 

それにつけても、音楽は素敵だ。

音楽を軸に生きていると、

日常のすべてが吸収の場であるし、学習の場であるし、

それどころか、一瞬一瞬が ロード・ムーヴィーの一場面である。

君と僕が出会ったとたんに、カチッと、「とあるスイッチ」が入り、

世界は別次元に突入する。

それはパラレルワールド、と言っても間違いではない。

世界には、無限の選択肢と可能性があるのだ。

僕には僕の修羅場があったし、君には君の修羅場があったのだ。

今でもある。

 

こんなこと言いながら僕は決して、達観しているわけではない。

まだまだ迷っているし、

何が正しいのかわからないし、

人生の意味さえ、いまだに わからないのだ。

 

ジョンレノンも生前最後のインタヴューでそんな風なことを言っていた。

人生の意味が僕にはいまだにわからない、と。

その記事を、僕は1998年にNYに向かう飛行機の中で読んだ。

NYでは、ダコタ・ハウスには行かなかった。思いつかなかったのだその時。

行ったのはエンパイア・ステートビルだった(センスが古い)。

 

・・・・・・・・・・・・・・・人生の意味。

そういうのは、今では「中二病」と呼ばれてしまう。

僕は中二・・・いや、中一のころからずっと「中二病」で、

そこから回復する気配すら、ない。

日がな一日、「人生の意味」について考えているのだ五十面下げて。

でもそういうのは僕の勝手だ。

笑いたきゃ、笑えばいいけど。

でもどうせ陰口いうんならさ、目の前に来ていえばいいじゃん。

キレやしないからさ。批判は、ありがたいし。

だから来なさいね、そういう人も。

9月14日のさ、大阪・難波のライヴハウス「mele」に。

あ、「メレ」と読むのだ。

意味?・・・意味は、知らない。

 

 

人生の意味?も、まだ、模索中。

 

 

 

 

画像は、今日の向日葵だ。

今日の日記は、本当は

向日葵について何か書こうとしたのだが、何か全然違うことを書いている。

まあいいだろう。

 

 

 

 

花は、

小さくてショボいけど、幾つも咲いてるのがわかるだろうか?????

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする