「街とその不確かな壁」を読み始める前に。

2023-04-15 11:47:09 | Weblog

さっき、雨合羽を着てバイクに乗り、本屋まで行って買ってきたところ。

歩いていける距離にも以前は、大きな新刊本屋があったのだが、

閉店してしまって、今はもうない。

何軒かあった小さな古本屋もみんな潰れてしまった。

本という文化は、本当に危ういのかもしれない。

僕は古本屋の店員であったことすらあるのだ。それはまあいい。

 

道中、思ったのだが、

もしかしたらこれが、春樹さんの新刊を買いに行く、という行為の

最後になるのかもしれない。

だってあの人ももう74歳だし、

この本はあの人の究極の原点回帰のような気がするから。

僕がいちばん初めに春樹さんの本を買ったのは高2の頃だった。

それは多分1983年くらいで、

「羊をめぐる冒険」が出版された直後だった。

友達の実姉が「ミチくんが本好きならこれ読んだらいいよ」と勧めてくれたらしい。

同時期に、まだまだコアなサブカル雑誌だった「宝島」に

村上春樹ロングインタヴューが載って、それが面白すぎて、

僕は一作目の「風の歌を聴け」から読んで行こう、と決めて、

近所の商店街のなかにある中くらいの規模の新刊本屋に行った。

こんな田舎にあんな本あるのかな?と半信半疑だったのだが、

ちゃんと、「風の歌を聴け」が、あった。「羊」もあった。

あの頃から春樹さんは人気作家だったのだ。

といっても、新刊が出たら20万部売れる、という

「本好き」ならみんな知っている、という程度の人気だった。

普通の人は誰も知らなかった。

今みたいなことになってしまったのは「ノルウェイの森」からだ。

僕はその頃は梅田に住むデザイン学校生徒だったので、

紀伊国屋とかの店頭をうっすら覚えている。赤と緑。

で、高校生の頃に話は戻って、僕は「風の歌を聴け」に深く感動してしまい、

続けて「ピンボール」も、「羊」も買い、

それからの人生は、エッセイとかも含めて春樹さんの本が出たら買う、

ということに自分で決めてしまい、着実にそうして来た。

オカネがない時でも、春樹さんの本は無理して買った。

そうするだけの価値はあった。

だから、誰かに貸して帰ってこなかったもの以外は

僕の持っている春樹さんの本は1,2,3作目をのぞいてほとんど初版である。

そんなの自慢にもならないのだが、

マリリン・モンローの遺品の中に、スコット・フィッツジェラルドの

「偉大なるギャツビー」の初版があった、という話を知ってから、

そうだな、50年か100年経てば初版を買った、ということにも

意味が出てくるかもしれないな、と思ったのだ。

その本と同時代を生きた証、みたいな。

今回手に入れた「街とその不確かな壁」も、奥付を見たら初版だった。

これでいいのだ。

とか偉そうに言っても、ある時期からその

「春樹さんの本が出たら買う」行為も、なし崩し的にグダグダになった。

翻訳ものとか、とにかくあの人の出版物は多い。

だから僕が、春樹さんの本を全部持っているわけではない。

でも長編小説と短編集とエッセイ集は、間違いなく買った。

春樹さんは研究本も多くて、その多くも買ったり借りたりして読んだ。

すごくいい研究本も稀にあったが、ほとんどは下らないものだった。

 

しかし、さっき「街とその不確かな壁」の第一ページ目を

ちらりと見てしまったのだが書き出しが

「きみがぼくにその街を教えてくれた」で、

これはやっぱりあれなのだ。

「群像」に載った幻の「街と、その不確かな壁」なのだ。

(以前の作品とはタイトルの句読点が違う。)

研究本の中に、中身を抜粋してくれたものもあって、

僕はその書き出しを知っていた。

やっぱり同じなんだ、これはつまりアレなんだ、

と知った時、ぞくっと寒気が走った。

 

 

 

 

写真は、本屋の店頭にあったポスター・・・・・に私が映る、の図。

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