まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

木次線「あめつち」復路と旧国鉄特急色「やくも」に乗車

2024年05月07日 | 旅行記F・中国

木次線の出雲横田まで乗り入れた観光列車「あめつち」。しばらく滞在して、後続の列車で出雲坂根や備後落合を経由すれば広島に戻ることができるが、今回は復路の列車にも乗ることにする。復路の乗客が減って空席が目立つが、木次線を乗り通す客のほか、出雲横田を起点にして周囲の観光スポットをタクシーで回るオプションコースの利用客もいるようだ

帰りは先ほどとは逆サイドの2人向かい合わせの座席。またも速度を落として走る。往路に続いてガイドからは「キハ47は力が弱いので、出雲横田から先の険しい区間を走ることができない」という案内がある。あの三段式スイッチバックの区間に観光列車を走らせることはもうないのだろうか。ならば「奥出雲おろち号」を牽引していた機関車を接続すればよいではないか・・・昨年、芸備線の「呑み鉄」列車に乗った時にそうした会話もあったし、往路の車内でもそうした声を聞いた。当然、JR西日本内部でもそうした声があったと思いたいが、プロの目からみて技術的に難しいのか、それとも、それはコストに見合わないことなのか。「木次線部分廃止への布石だ!」という一部の声が実は当たっていた・・ということも考えられなくもない。

復路でも乗車記念の斐伊川和紙のコースターをいただく。

さて、ここで昼食である。「奥出雲おろち号」の時は、亀嵩駅のそばをはじめとした地元商店のそばや仁多牛の弁当などを事前に各自で予約し、停車中に受け取っていたのだが、「あめつち」になってからは、山陰線走行時と同様に事前にネット予約した限定の弁当を客室乗務員が配膳することとなった。

その一品が幕の内「たたら」。島根牛の奥出雲天然醸造味噌煮、奥出雲産椎茸のアヒージョ、奥出雲産の野菜の炊き合わせなどが並ぶ中、ごはんは「奥出雲葡萄園のワイン寿司」。ワインで炊いた寿司というのも妙なもので、自家製焼き鯖やしじみ、紅ズワイ蟹などが載るが、うーん・・。郷土の食材で高級感を出そうというのはわかるが、個人的にはシンプルな出雲そばや牛めしという選択肢があったもよいように思う。

ここで一献は奥出雲の「七冠馬」。20世紀最強の競走馬とされるシンボリルドルフからつけられた名前で、ルドルフのオーナーが島根県出身であることがご縁で、牧場の次期当主と蔵元(樋上酒造)との間で縁談がまとまった。そうした意味でおめでたい一品である。

往路は通過した出雲三成に停車。備後落合行きとも行き違う。この間は駅舎内の産直コーナーでの買い物タイムである。せっかくなので亀嵩のそばと、仁多米の2キロ袋を購入。わざわざ2キロ以上荷物を増やした形だが、後は列車を乗り継ぐだけなので・・。

「次へつなごう、木次線」「き」プラスハートマーク・・。木次線も生き残りがかかる局面である。このキハ120は出雲坂根の難所を走る現役車両だが、例えば他の第三セクター鉄道がやっているように、車両の真ん中にテーブルを設けるなどして、臨時の「呑み鉄」列車や「郷土料理」列車などを運転するのはいかがだろうか。トイレ付車両というのも安心である。ただ、これも当然、JR西日本内部でもそうした声があったと思いたいが、プロの目からみて技術的に難しいのか、それとも、それはコストに見合わないことなのか(以下略・・)。

のんびりした車窓を抜け、木次に到着。ここで下車する客もいて、車内ガイドも名残惜しそうに手を振る。「奥出雲おろち号」は車掌のみの乗車だったが、「あめつち」でこうしたガイドや客室乗務員が加わったのはプラス面である。なかなか、評価が難しい・・。

宍道に到着。このまま米子まで乗ってもいいのだが、旧国鉄特急色車両の「やくも24号」に始発の出雲市から乗るべく、ここで下車する。1.5往復乗った形だが、木次線沿線の人たちが新たな「あめつち」を歓迎しようという気持ちを感じることができた。現在できる最大限の形というのかな・・。

「あめつち」については、新たに鳥取~城崎温泉という新たな区間での運行も始まっている。餘部鉄橋を渡るというのが最大の売りのようだが、こちらもぜひ乗ってみたいものだ。

後続の列車で出雲市に移動。15時35分発の「やくも24号」に乗る。

4月にデビューした273系の新型「やくも」への置き換えが順次進み、この6月中には完了するという。私のスケジュールを見ても、おそらく今回が381系「やくも」の乗り納めだろう。そして乗るなら旧国鉄特急色、宍道~出雲市の往復運賃が発生するが、そこはやはり始発~終点まで乗り通したい。

新型「やくも」の車内メロディには「ヒゲダン」の曲が使われているが、旧国鉄特急色は「鉄道唱歌」のオルゴールである。引退までまだ1ヶ月あまりあるためか、今は新型車両のほうに乗客の目が行っているようで「やくも24号」には十分空席があった。もっとも、最終運行となると乗り鉄、撮り鉄どもにごった返すのだろうが・・。

米子から伯耆大山を過ぎ、伯備線に入る。大山の稜線も捉えることができた。

・・・ただその後は、気づけば岡山だった。あれ? この前に新型「やくも」に乗り、やはり乗り心地がよかったと感じたが、かつて乗り物酔いが相次ぎ、「ぐったりはくも」とも揶揄された381系と比べてどうか・・ということを体感しようと思ったが、結局伯備線の多くの区間を寝て過ごしたようだ、いや、途中起きていたところもあったが、車窓にカメラを向けるわけではなくぼんやりしていたというのが正確なところか。ただいずれにしても、381系が極端に乗り心地悪いわけでなかったということかな・・・(個人の感想です)。

「あめつち」と「やくも」。山陰の鉄道旅は新たな1ページである・・・。

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