まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

バファローズ好調!!・・・しかし残念無念

2021年06月11日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

6月11日の試合を終えて、バファローズが交流戦首位、そしてシーズン成績でも3年ぶりとなる「貯金1」となった。

11日のカープ戦では、山本が圧巻の投球を見せた。初回から三振の山を築き、7回終了まで一人のランナーも出さない完全試合ペース。カープもプロ初先発の大道らの好投でノーヒットを続けていたが、7回に杉本の執念のタイムリーで先制。結果、山本は8回まで無失点、15奪三振の力投を見せ、4対0で勝利。仕事から帰宅してCS中継をつけたのがちょうど7回の攻防だったこともあり、実に気持ちよかった。

広島の皆さん(というよりはご近所の皆さん)には申し訳ないが、先制点のところでは部屋で大声を挙げて手を叩いて・・・。

でも悲しいかな、山本がこれだけ好投し、チームも上昇気流に乗っていても、翌日の関西マスゴミは阪神のことしか報道しない。「我がタイガースが、格下のパ・リーグ楽天に快勝しました!!」とか言って、朝から公共の電波で六甲おろしをがなりたてるのだろう。

まあ、広島のマスゴミも大概で、「山本の完全試合を我らが誠也が打ち砕きました!!」「大道ナイスピッチング(まあ、これは認める)!!!」と中国新聞あたりが大本営発表。

別にええわ。好きにせえや。

・・さて、タイトルで「残念無念」と書いたのは、全くもって私の個人的な事情。

この6月12日、6月13日はバファローズ対カープの交流戦を大阪で観戦する予定で、チケットを確保していた。何やかんやで交流戦発足以降、ほぼ毎年このカードを大阪、神戸、広島で観戦して、さまざまな思い入れがあるカード。

しかし、この3連戦、11日は有観客試合だったが、12日、13日は無観客試合に逆戻り。コロナの影響、吉村知事の施策にバカ正直に従わざるを得なかったためのことで残念無念だが、これは球団を責めることもできない。

むしろ、相手が「チケット売ったもん勝ち」でコロナ禍でも16000人入れてウハウハの球団だけに、もう2戦とも完膚なきまでに殺ってもらいたいものだ・・・。

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第20回中国観音霊場めぐり~第33番「大雲院」(とうとう結願)

2021年06月11日 | 中国観音霊場

第32番の観音院からクルマで5分ほど、いよいよ第33番の大雲院に着く。何度も書くが、これで中国観音霊場めぐりもおよそ2年かけて結願となる。

結願の札所というと、山奥で堂々とした伽藍があるとか、結願(満願)をアピールするというイメージがあるのだが、ここ大雲院は開放的である。道路に面して山門があるわけでもない。

大雲院が開かれたのは江戸時代。鳥取藩池田氏の初代・池田光仲は、曾祖父である徳川家康の分霊を日光東照宮から勧請して、鳥取東照宮を建てた。その別当寺として開かれたのがこの寺である。東照宮の祭礼を受け持つとともに、歴代徳川将軍の位牌も祀り、鳥取藩の祈願所の一つとして大いに栄えたという。

しかし、明治の神仏分離で東照宮の別当寺を解かれ、鳥取藩も廃藩となったことから、当時の末寺だったところに移転した。そして、戦前の鳥取大震災で堂宇が崩壊、さらに、戦後の農地解放で寺院収入の道が断たれ、震災復興のために境内の縮小も余儀なくされたとある。

今の本堂は、末寺の霊光院の本堂として江戸時代中期に建てられたもの。

本堂の扉が開いていて、自由に中に入れるようになっている。この後法要があるようで、それに参列するらしい姿も見える。正面には阿弥陀三尊像が並ぶ。阿弥陀如来を中央に祀り、その脇に中国観音霊場の本尊である千手観音を祀る。まずはお勤めとする。

本堂の中央にある阿弥陀三尊を囲むように仏像が並ぶ。西国三十三所の各本尊、33体の観音像である。その前には札所の砂が入った袋が埋め込まれていて、西国三十三所の文字通りのお砂踏みができる。阿弥陀三尊、そして三十三の観音像たちが並ぶのは極楽浄土の中心を表現しているそうで、また結願を歓迎するかのようである。これがあるから、中国観音霊場めぐりの結願札所となったのかな。

本堂の一角に納経所があり、まずは大雲院の朱印をいただく。

また、中国観音霊場めぐりの結願ということで、納経帳の余白のページに結願の文字を入れていただく。

そして、「結願之証」をいただく。名前、住所を書く紙を渡され、それを見て賞状に名前を入れていただく。B4サイズだ。封筒に入れて渡される。

今回、鳥取までクルマで来ることにしたのはこの「結願之証」のためである。他の人のブログ画像など見ると、このサイズはB4またはA3のようで、普段持ち歩くリュックには入らない。卒業証書を入れるような筒でも用意すればいいのだが、丸めたりせず、後部座席に置けばそのまま持ち帰ることができる。

ここには中国観音霊場の「33」をあしらったバッジ、そして祈願済の「満願之札」がつく。お札には「巡拝者がお亡くなりになるまで大切に保管してください」とあり、これは大事にしておかなければ。

寺の方から特に結願を祝っていただいたわけではないが、これでようやく一つの区切りがついたかなと思う。何だかほっとした。

2年にわかった中国観音霊場めぐりのまとめはまた後ほど行うとして、これから広島に向けて少しずつ戻る。無事に帰宅するまでが札所めぐり・・というわけではないが。当初は、鳥取か岡山まで出て、岡山駅前のミシュラン居酒屋で一人打ち上げを・・と思っていたが、この状況のためそれは断念。ただ、国道~高速道路を走りながらもう少し寄り道として、ある意味の中国地方一周の完結としたい・・・。

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第20回中国観音霊場めぐり~第32番「観音院」

2021年06月10日 | 中国観音霊場

明けて5月30日、この日の鳥取も晴天である。2年がかりとなった中国観音霊場めぐりの残り2つの札所も午前中で回ることにする。

コロナ対策としてチェックイン時に朝食の時間を選択することになっており、第1陣の6時半からを予約していた。この日はゆっくり出ればいいのだが、このところは休日でもそのくらいの時間には食事をとっている。部屋から朝日を眺め、大浴場に浸かった後に食事会場に向かう。

早々に食事とした後も部屋でゆっくりとして、チェックアウトは8時半すぎ。まず向かうのは第32番の観音院。鳥取駅から公共交通機関利用なら、市内循環バス「くる梨」の赤コースで、山の手会館前、または上町下車が最寄りのようだ。駅から徒歩で行けないこともない。ただ今回は、広島からクルマで来ることを選択したこともあり、この2ヶ所もクルマで回ってしまうことにする。

古くからの住宅が並ぶ一角に観音院がある。他に参詣の人もおらず、静かなたたずまいである。まずは本堂の前で手を合わせ、お勤めである。

観音院は江戸時代初期、岡山から鳥取に国替えとなった池田氏に伴って移った宣伝という僧の手で開かれた。当初は別の地に開かれたが、そこが御用地になったために現在地に移った。池田氏の祈願所の一つとして保護され、合わせて傾斜地形を活かした庭園が造られた。現在の観光情報では「観音院庭園」という名前で紹介されることが多い。

せっかく来たのだからと、納経所で庭の拝観をお願いする。靴を脱いで上がると、「中でお参りされますか?」と言われる。先ほどは本堂の外からだったが、これはありがたい。

本尊は聖観音で、そのお前立ちがお出迎えである。ここでもう一度お勤めとする。

庭園を見る書院に向かうと、ちょうど縁側の戸を全開にしているところ。緑豊かな庭園が目の前に広がる。

縁側のテーブルに抹茶が置かれている。一服しながらの庭園鑑賞。ちょうど案内の放送も流れてくる。寺の人が横についてガイドしていただくより気楽だ。朱印・墨書が入った納経帳も受け取る。

正面に広い池があり、対岸に築山、また後ろの山も借景としている。寺院の庭というと石の配置などで仏像や仏の教えを象徴することがあるが、ここ観音院ではそうしたことなく、明朗でわだかまりがない書院の池庭であることを強調している。

サンダルがあり、庭園の中も散策できる。池には鴨、鯉、亀が悠々と泳いでいる。池の水に周囲の緑がよく映えている。

片隅に何やら石が置かれている。門前に案内板があった「キリシタン灯籠」である。上部のふくらみは十字架を表したもので、中央には人の形が彫られている。鳥取市内に5基現存する灯籠の一つというが、藩の祈願所の境内にあるとは妙なものだ。鳥取藩がかくれキリシタンを容認していたのか。仮にキリスト教の禁令が解けた後にどこかから移したとしても、なぜここにあるのかなと思う。

静かな一時である。鳥取市内では知る人ぞ知るスポットなのだろうが、私としては中国観音霊場の一つだったから初めて知り、こうして訪ねることができた。これも観音さんのご縁かな。

庭園を辞去する。次はいよいよ結願の大雲院。カーナビではものの数分で着く・・・。

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第20回中国観音霊場めぐり~鳥取にて結願の前祝

2021年06月09日 | 中国観音霊場

緊急事態宣言の発令、延長の影響を受けて、連日のように飲食店がどうのこうのということが報じられている。現に私の近所でも6月1日までの休業が6月20日まで延長されたり、テイクアウトのみやっているとか、お好み焼屋はアルコールの提供を中止して時短営業とか、いろいろある。

そんな状況で、鳥取にて中国観音霊場めぐり結願の勝手に前祝である。

向かったのは、鳥取駅高架下にある「三代目網元 魚鮮水産」。何やチェーン店かいなと思う方もいるだろうが、この状況下、感染対策をきちんと行っているチェーン店のほうが安心ではないかと思う。事前に座席、そして単品飲み放題も予約していた。飛び込みで行ったら万が一断られるかもしれないが、事前に名前と連絡先を伝えておけば先方も安心だろう・・・(どこまでも自己弁護)。

4人掛けの座席に通されて、ともかく、ビールにて一人乾杯。一日お疲れさん。この後は飲み放題ということで手を変え品を変え堪能する。別に飲んだからといって大声を出すわけでもなく、誰かと会話するわけでもなく、その辺りは一人旅の利点である。感染防止には、「男は黙ってサッポロビール」でええのでは?(飲んでいるのはアサヒだが)

アテを頼むと、こうしたロボットが運んできた。「鮮ちゃん1号」というもので、こちらが皿を受け取って、頭をなでてやると元に戻る。これもコロナ対策、あるいは店員の負担軽減なのかなと思ったが、ロボットの登場はこの1回のみ。後は店員が自分で運んできた。グループの予約も入っていたようだが、店員の手が回らない・・というほどではなさそうである。

メインは刺身の盛り合わせ。山陰の幸として白イカがメインで、後はマグロ、イサキ、チカメ、サワラ、イカケ。聞き慣れない名前もあるが、このうち「チカメ」は「チカメキントキダイ」の略称、「イカケ」は「アラ」・「クエ」の別名という。いずれも似たような色合いだが、食べごたえあった。

山陰に来たからにはハタハタも欠かせない。塩焼きで美味しくいただく。他にも2~3品ほど注文。

ご飯ものは後で部屋で食するとして、しじみの酒蒸しである。これだけあれば効きそうだ。

さて、この店では「出世サワーチャレンジ」なるものがあった。私は通常の飲み放題(ネット予約で1100円)を頼んでいたから注文することはなかったが、これが正にチャレンジである。1杯目は小ジョッキ、2杯目は中ジョッキ、そして3杯目は大ジョッキとなる。いずれも値段は499円(税込548円)。ここまではいいとして、4杯目は1リットル入りの特大ジョッキ。さらに最後は、2リットルの「出世ジョッキ」が登場する。これも499円(税込548円)である。全部飲むと4リットル超えである。緊急事態宣言下での酒類提供禁止などどこ吹く風、さすがは鳥取県である。

よく見ると、仕切りの向こうの男女客のうち一人がこれに挑戦中のようである。聞こえてくる会話の様子だとカップルというよりは仕事仲間かと思われたが、その男性のほうが最後の「出世ジョッキ」に手を出した。店員が運んだ巨大なグラスは、(このところコロナのため見られないが)大相撲の優勝力士が記念撮影の時に注がれる杯のようなものである。一応シェアOKとのことだが、さすがにこの2リットルまでは手が出なかったようで、結局ほとんど残したまま席を後にしていた。SNS映えはするのだろうが、飲まないとはもったいない。

それはさておき、90分経過で飲み放題のラストオーダーとなった。比較的早い時間に入ったので、外もまだ若干の明るさが残る。ただ、駅構内はコンビニを除いて早々と閉店。

一人二次会は部屋で済ませるとして、ホテルに戻りもう一度入浴とする。漫画コーナーもあり、ここでゆっくりくつろぐこともできる。

さて、この前泊を経て、翌日5月30日はいよいよ結願となる。目指すのは鳥取市街地にある2つの札所。朝もゆっくりスタートすることができる・・・。

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第20回中国観音霊場めぐり~因幡の海岸、白兎神社

2021年06月08日 | 中国観音霊場

鳥取へのドライブを続ける。ようやく海に近いところを走る。ところどころに駐車スペースが設けられていて、そうしたところでちょっと景色を楽しむこともできる。この辺り、山陰線は海から離れたところを走るので、クルマならではの楽しみである。

井手ヶ浜という海岸に出る。「鳴り砂」のスポットであり、またサーフィンのスポットだという。海辺にも何人かが浮かんでいる。

こうした砂浜があるかと思えば、魚見台という高台も通る。昔、イワシの大群が押し寄せた時にここから大声で知らせたことからその名前がついたという。案内図には鳥取砂丘も描かれていて、遥か遠くに砂浜らしきものが見えるが、果たして。

また、貝殻節の歌碑もある。眼下の浜村海岸には30~50年周期でホタテが大発生し、ホタテをとるために「じょれん」という重い道具を使っていた。その労働歌だったのが貝殻節とある。

浜村海岸を抜け、東側にある龍見台に向かう。昔、この高台から日本海沖に竜巻が何本も見えたことからその名がついたという。

日本海の景色を満喫した後で着いたのが白兎神社。「因幡の白うさぎ」の舞台である。門前には道の駅「神話の里 白うさぎ」も併設されている。

白兎神社はその白兎神が主神とされ、大国主神の教えで蒲の穂にくるまって回復したことから、古くから皮膚病、傷病、動物医療にご利益があるとして信仰されてきた。

また、大国主神と八上姫の縁を白兎が取り持ったということで、縁結びの神としても信仰されている。白兎神社はそうした目的で訪ねる人が多いようで、カップルの姿も目立つ。

「因幡の白うさぎ」の話には、子ども向けには因果応報の教えが込められているという。うさぎがワニ(サメ、アリゲーターどちらでもいい)をだまして海を渡ったから噛まれて毛をむしられたとか、大国主神がうさぎを助けたことで八上姫と結婚できたとか。その一方では、私も前の中国観音霊場めぐりで触れたが、山陰の現地の人たち(ワニ)と外来の勢力(ウサギ)との争いがあったことが暗に含まれているとも言われている。

石段にはさまざまなポーズの白兎の像が並ぶ。そこに白い石がいくつも置かれている。これは「結び石」として、縁をつなぐ石だという。

白兎海岸に出る。ちょうど海上にはワニ・・・失礼、サーファーたちが浮かんでいる。天気が良すぎるのか、それほど波が立つようには見えず、たまに少し高いところでちょっと乗ってすぐに落ちるという程度。

この辺りは鳥取~広島の高速バスでも走ったところで、鳥取市街に向かう。朝の6時半に出発して、あちこち立ち寄ったこともあり、時刻は16時近くとなった。

この日の宿泊は駅前の鳥取グリーンホテルモーリス。10年あまり前に一度利用したことがある。その時は、引退間近のキハ181系使用の特急「はまかぜ」に乗りに来た。今回はクルマ利用ということで。ホテルが提携する近隣の立体駐車場に停める。

大浴場がついていて、早速一浴びする。この後は、中国観音霊場めぐりの結願の「前祝」として、鳥取駅前での一献である・・・。

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第20回中国観音霊場めぐり~日本海の恵み、彼の国からの風

2021年06月07日 | 中国観音霊場

5月29日、鳥取県西部から中部に差し掛かるところ、昼食ということで「道の駅ポート赤碕」に立ち寄る。駐車場には結構な数のクルマが停まっている。多くは地元鳥取ナンバーだが、その中には(私を含めて)いくらかの県外ナンバーも含まれる。関西方面のナンバーも見える。

さて食事だが、道の駅に隣接してその名も「海」という食堂がある。ここまでの沿道に「日本海を食べに来てごしなれ」という看板がいくつかあったが、その店である。

連日賑わう店とのことだが、この時は昼食のピークの時間をやや過ぎていたこともあり、待つこともなく入る。ドライブのグループ、家族連れで賑わっている。何を注文するかしばし迷う。壁にいろいろお品書きが出ており、定食もあるし、丼もある。また魚料理の単品もある。

結局、一番スタンダードで日替わりの「あみ定食」を注文。そしてせっかくなのでもう一品ということで、岩ガキを注文。岩ガキもサイズによって値段にバラつきがあるが、この時にあったのは「中サイズ」のみとのこと。

「あみ定食」(950円)はその日の刺身、フライ、煮付け、小鉢がセット。画像では何もないように見えるが、実は味噌汁の中にはエビが入っている。いろいろなものが少しずつ味わえるし、これ、クルマでの旅でなければ間違いなくビールでも注文したところだ。

一方の岩ガキ中サイズは850円。夏ということで条件反射的に手を出したが、うーん、定食と値段がほとんど変わらないというのは、コスパ的にどうだったかな。質より量ではないが、他の単品でもよかったように思う。岩ガキの値踏みは難しい。

道の駅に戻る。地元で上がった鮮魚の直売もある。こういうところで魚をまるまる1匹買って自分で捌くことができればいいのだが、あいにくそれだけの腕がないのが残念だ。

その奥に、韓国の歴史を感じさせる建物がある。「日韓友好資料館・韓国物産館」とある。なぜここで韓国なのかなと思いつつ、面白そうなので入ってみる。

まずは韓国の民族衣装が出迎え、展示スペースでは韓国のあれこれが並ぶ。

時は今から200年ほど前、1819年のこと。韓国(当時は李氏朝鮮)の商船が嵐で難破し、この赤碕に漂着した。この時、鳥取藩や地元の人たちが12名の乗組員を手厚く保護し、長崎まで送り届けて無事に帰国させたという話がある。国としては鎖国政策中だったが、清国や朝鮮とは交易があったし、土地の人たちも自然にふるまったのだろう。その時の乗組員の絵や、船長からのお礼の手紙などの史料も展示されている。

時代が下った1963年、韓国の漁船が船の故障で漂流し、赤碕に漂着した。この時も町の人たちの援助を受け、船も無事修理されて帰還することができた。それだけなら別にどうということもないが、漂流した1963年とはまだ日韓国交が正常化されていない時期である。それを踏まえると、当時の地元の人たちの対応はすばらしかったというのもうなずける。

こうした歴史もあり、日韓友好を願ってこの資料館を含めた公園「風の丘」が整備された。2003年のこと。

赤碕沖に漂着したのは風の流れ、潮の流れの影響だろうが、日本海を介した古くからの交流の歴史を感じさせる。かつての李承晩ライン、竹島問題、日本海の呼称(韓国が「東海」と呼ぶように国際的に訴えている問題)、さらには北朝鮮による日本人拉致など、現在も日本海を挟んだ問題もさまざまあるのだが、ここでは過去の温かい話を材料として、前向きな交流、友好をPRしている。公園が開かれた2003年とは、ちょうど「韓流ブーム」が湧き出した頃ではないだろうか。日韓友好はいいとして、ブームに乗ってこの町を盛り上げようということもあったのかな。

その友好の記念碑をはじめ、さまざまな建物、オブジェも並ぶ。新羅や高麗時代をイメージした灯籠もある。

記念碑にはハングルでの祝辞も刻まれているが、よく読めば「日本海」は「東海」と書かれているのかな。

最後に物産館をのぞく。韓国直輸入の食材、香辛料、グッズなども並ぶ。鳥取土産が変なことになったが、韓国海苔、パックの参鶏湯を購入する。実は参鶏湯は食べたことがないのだが、これから夏に向けての滋養食だという。いずれ食してみよう。

ちなみにこの「道の駅ポート赤碕」だが、すぐ横を山陰線の線路が走っていて、赤碕の一つ鳥取寄りの八橋から1キロほどのところにある。鉄道旅でも行けそうだ。

さて、国道9号線は山陰自動車道の大栄東伯インターで合流し、北条バイパスを走る。

山陰自動車道の整備も進んでいるが、その奥にはまたも風力発電の風車が林立する。地元の北栄町直営で、2005年に稼働を開始した北条砂丘風力発電所である。北栄町は「名探偵コナン」の町というイメージだったが、こうした設備があるとは初めて知った。

再生可能エネルギーの活用が言われている中で、町としてこれだけの設備を構えるのは立派だなあと思った。ただ、実態はめでたい話ばかりではないそうだ。発電設備の耐用年数は17年とされており、計算では2022年がその年となる。設備更新をどうするか、長い間町では議論されているそうだ。更新するにしても費用はどうするのか、また周辺住民への健康被害をどうするかというのが争点のようだが、まだ最終結論は出ていないようだ。

北条バイパスでそのままはわいインターまで進み、伯耆の国から因幡の国に入る。鳥取まではもう少しで、それまでの海岸風景を楽しむことに・・・。

 

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第20回中国観音霊場めぐり~鳥取西部を走る 川と山と風と

2021年06月06日 | 中国観音霊場

広島から県を跨いで鳥取に入る。国道183号線でそのまま日南町を下って行く。

やって来たのは道の駅「にちなん日野川の郷」。日南町は鳥取県の南の玄関口にあたり、広島・岡山の両県と接している。木のまちであり、農業も盛んなところだ。

売店コーナーにて地元産のコシヒカリ、そしてトマトジュースを購入する。トマトジュースで思い出すのは昨年の秋。「WEST EXPRESS銀河」の乗車抽選に繰り上げ当選し、朝を迎えたのが日南町にある生山駅。列車行き違いのために長時間停車となったホームでは地元の人たちのお出迎えがあり、そこで飲んだのがこのトマトジュースだった。ちょうど、朝のおめざにぴったり。

「WEST EXPRESS銀河」はこの夏紀勢線を走る。京都~新大阪~天王寺から夜の紀勢線を行くのはかつての「新宮夜行」をイメージさせる。これまでと同様、日本旅行主催のツアー列車で抽選方式だが、夏の旅としてダメ元でエントリーしている。

道の駅から少し走ると、伯備線の生山駅に出る。この辺りから国道180号線、181号線と重複、入り混じる。伯備線の線路とも並走するところで、ちょうど米子方面への列車も追い越して行く。

伯耆町に入り、伯耆溝口や岸本あたりでは大山の景色が望め、道端に展望駐車場もあるのだが、この日は雲が出ており残念ながらその雄姿を見ることはできなかった。

国道9号線のバイパスでもある山陰自動車道に出るが、あえて旧道を行くことにする。こちらのほうが日本海にも近いし、ちょっとどこかに立ち寄ることもできる。

早速というか、国道の両側に風力発電の風車が立ち並ぶ。山陰線の車窓から見たことがあるのだが、間近に来るのは初めてである。ちょうどトイレつきのパーキングエリアがあり、そこから眺めるのがちょうどよい。かつての大山ウインドファーム、現在は各地のローカルの風力発電所が統合した日本風力開発が運営している。

この中国観音霊場めぐりでも、江津や出雲で風力発電設備を目にすることがあった。山陰はそうした意味で恵まれた立地条件なのかな。

この先も順調に走るが、時刻は昼を回り、そろそろどこかで昼食とする。日本海の魚をPRする看板も見え、琴浦町に入った道の駅「ポート赤碕」に立ち寄ることにする。風力発電つながりか、「風の丘」という施設もあるようで・・・。

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第20回中国観音霊場めぐり~芸備線のローカル駅を訪ねて県境へ

2021年06月05日 | 中国観音霊場

中国観音霊場めぐりの結願を目指して、5月29日、鳥取に向けて出発。そのルートは中国山地を広島県から直接鳥取県に抜けるものである。

朝6時半に出発。国道183号線~国道54号線を走る。安佐南区、安佐北区は前回の勤務時でも営業で回っていたところだが、現在はバイパスも開通して可部の町を避けて順調に走って行く。

安芸高田市に入る。川の流れが太田川から可愛川(~江の川)に変わる。毛利元就が拠点とした吉田郡山城跡の麓も通る。

順調に走り、国道54号線から国道183号線に入り、出発から1時間半ほどで三次駅に到着。トイレ休憩を兼ねて駅の駐車場にクルマを入れる。ちょうど、キハ120の2両編成の広島行きが発車するところだった。

三次市から庄原市に向かう。三次から先は芸備線の線路と並走する区間も多い。しかし備後庄原までは1日7往復(うち2往復は土日祝日は運休)、その先の備後落合までは1日5往復しか走っていない。よほどタイミングが合わなければ列車の姿を見ることはない。

50年ほど前に騒動となった「ヒバゴン」の里を現在もアピールする西城を過ぎる。

国道沿いにある比婆山駅でいったん停車。列車に乗ったのではなかなか見られない駅舎を見ることにする。

「ヒバゴン」の名前の由来となった比婆山への玄関駅だが、ここ10年ほどの1日平均の乗車人員は1~3人、もちろん無人駅だ。神社の社殿を模した駅舎だが、建屋内はがらんとしている。

比婆山の次が備後落合。より一層山深くなり、西城川沿いにカーブが増える。芸備線は川の反対側を走るが、比婆山~備後落合間は営業キロが5.6キロのところ15分前後かかる。おそらく、JR西日本の「必殺徐行」の区間であろう。

その中で、ちらっと銀色の車体が見えた。備後落合を出たばかりの列車である。後で時刻表を確認すると、9時09分発の三次行きだった。木次線の木次6時45分発の列車と接続しており、一応「陰陽連絡」となっている。

その備後落合にも立ち寄る。今はこの駅も観光名所となるのか、駅前のスペースには何台かのクルマが停まっている。ちょうどドライブの途中で立ち寄ってみたという人がちらほらいる。

ホームに出てみると、ちょうど木次線の列車が発車を待っているところだった。9時20分発の木次行き。なんと、備後落合から木次方面への「始発列車」である。ちょっと乗ってみたい気もするが、本当に乗ってしまうと、備後落合に戻るのは14時33分のこととなる。

その木次線の観光列車に「奥出雲おろち号」という、ディーゼル機関車が牽引するトロッコ風の客車列車がある。この「奥出雲おろち号」だが、このたび、2023年度での運行終了が発表された。現在使用している12系客車の老朽化がその理由という。それに代わる列車が運転されるかどうかはまだ何も決まっていないようだが、他の路線のようにキハ47を改造した列車が出る・・・ことはないだろうな。

木次行きの発車時刻が近づくと、どこからともなく腕カバーとエプロンをつけた男性が現れる。何やら運転手と親しげに話をした後、列車が動き出すと両手を振ってのお見送りである。その姿で気づいたが、備後落合でガイドを務める国鉄OBの永橋則夫さんだった。ボランティアで駅の清掃などもされているそうだから、午前中はそうした作業、そして午後は「奥出雲おろち号」や普通列車でやって来る乗り鉄、観光客相手のガイドといったところ。

線路はこの先、木次線は奥出雲へ、そして芸備線は東城から新見へと続くが、国道183号線は一気に鳥取県を目指す。芸備線の橋梁にも出会う。県境が近づくと途中、狭い車線、S字カーブが連続する。

やって来たのは鍵掛峠(かっかけとうげ)。標高750メートルの表示もある。

そして県境を越える。県をまたいだ移動の自粛をというのを笑うかのように・・・。

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第20回中国観音霊場めぐり~結願に向けてあえて出かけます

2021年06月03日 | 中国観音霊場

話は先月、5月28日、全国10の都道府県に出されている緊急事態宣言の延長が発表された。当初5月31日までのところ、直近で追加された沖縄県の期間に合わせる形で6月20日までとされた。まあ、「どうせ延長だろう」という声も多かったと思う。

延長して6月20日までというのは東京五輪を無理やり開催させるためのものだし、ここまで来れば「緊急」でも何でもない。医療機関が大変というのもわかるし、気の毒だから飲食店を応援しなければということはないが、密にならず感染対策ができていれば、個人レベルでの県をまたいだ外出を自粛するというのはもういいのではないか。もう前倒しで、5月29日~30日には出かけることにする。

さかのぼって5月22日~23日、この日は第2回の九州西国霊場めぐりを予定していたが、6月中旬に延期した(代わりにJRでの広島県一周、広島新四国八十八ヶ所めぐりということで「県内」で過ごした)。当初は前倒しで九州に行こうかとも考えたが、さすがにそれはそのままにした。

代わりに、同じ中国地方である中国観音霊場めぐりの最終・鳥取シリーズを前倒しで行うことにした。関西、中国、広島、九州と、札所めぐりが多重になっているので、どれかを勧めることにする。もう、宣言期間中でもそうでなくとも、どちらでもいいでしょう・・。

目的地は鳥取。前回5月の大型連休の時に鳥取までコマは進めており、残すのは鳥取市街地に近い第32番の観音院、そして第33番の大雲院だけである。つまり今回で無事「結願」となる。第1番の岡山・西大寺を訪ねてから2年近く、ここで結んでおくのもいいだろう。

鳥取までどうやって行くか。これまでの札所めぐりで山陰線、そして因美線でも訪ねていることもあるし、一応接触機会を減らす意味で、広島からクルマで向かうことにした。この先、コロナとかは関係なくクルマにして正解だったと振り返る場面が出るのだが、それはまたいずれ・・・。

そのコースにしても、往路は有料の高速道路には乗らず、なるべく地道を伝っていくことにする。道中の景色もいろいろ見たい。「なるべく」と書いたのは、中国山地、山陰には無料の高速道路(自動車専用道)もあるので、場合によってはそうした道も利用することがあるからだ。

前夜に地図を見て、まずは国道183号線&国道54号線で県北の三次、庄原を抜け、そのまま鳥取県に入ることにした。鉄道では芸備線~伯備線~山陰線を斜めに結ぶ形だ。そして鳥取県では大山、日本海の景色も見つつ、夕方に鳥取に入ることを目指す。29日の夜は鳥取に宿泊して、翌30日に2ヶ所を回り結願。復路は国道53号線で津山まで出て、そのまま中国自動車道で広島に戻ることにする。ちょっとした東中国循環である。

そのつもりで、29日の朝6時半に自宅を出発。まずは広島の市街地を抜けて三次を目指す・・・。

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第10番「真光院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(ご近所に宮島ゆかりの札所)

2021年06月02日 | 広島新四国八十八ヶ所

5月23日、まずは第9番の金剛院を回り終え、自宅にて昼食。その後、夕食の買い出しを兼ねて、歩いて次の第10番に向かう。

第10番の真光院だが、実は自宅からものの400メートルほどのところにある。この辺りは宮島街道沿いにさまざまな商店やマンションが並ぶが、道を一本中に入ると静かな住宅地である。元々の地主だろうか、ゆったりとした敷地の一軒家も比較的多く建ち並ぶ。

その中にちょっと古い家屋があると見えるのだが、目指す真光院。寺というよりは昔からの民家のようにも見える。門も、普通の家屋の門である。道に面して看板、そして年中行事、月例祭の案内が出ているのでどうにか寺とわかる。

玄関には広島新四国の札所番号の表示があるが、扉は閉められたまま。こちらも「無人寺」のようである。

こういう場合、どこに向かって手を合わせるかだが、幸い玄関脇に観音像、そして向かいには地蔵を祀った祠がある。こちらに向けてお勤めとするか。

さて、道路に面した看板には「宮島弥山 三鬼大権現西広島別院」と書かれている。本尊もこの三鬼大権現である。三鬼大権現とは真言宗や山岳信仰に登場するもので、宮島の弥山や、麓の大聖院などに祀られている。追帳鬼神、時眉鬼神、魔羅鬼神の三鬼神で、弘法大師空海が勧請したとされ、神仏習合の時代にはそれぞれ大日如来、虚空蔵菩薩、不動明王を本地仏としていた。

真光院が開かれたのは大正時代。大聖院の僧である田川栄真という人が弥山で修行していた際、三鬼大権現の霊感を体し、広島城付近の聖地に道場を開き衆生を救済せよとのお告げを得た。そこで市内の中広に礼拝所を設けたのが始まりという。その後も弥山での修行が続いたが、戦時中の登山禁止で中断され、原爆の被災で中広から可部に移り、現在地に三鬼大権現田川支部が設立されたのは1952(昭和27)年のこと。今は西広島別院ということで、大聖院が実質管理しているのかな。

広島新四国では第87番が大聖院、結願の第88番が弥山本堂となっている。真光院が札所の一つなのもその関係だろう。その弥山までたどり着くのはいつのことになるだろうか・・。

地蔵の祠には例によって朱印の紙が収められた箱がある。文字は三鬼大権現。これが朱印というのは珍しいのではないだろうか。

ご近所でこういう札所があるのも意外なこと。そして、この次はまた別の意外なところへ・・・。

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第9番「金剛院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(己斐峠と高速4号線)

2021年06月01日 | 広島新四国八十八ヶ所

2021年の元日に始めた広島新四国八十八ヶ所めぐり、次は第9番の金剛院である。

広島新四国は宮島から始まって広島近郊をぐるりと回って宮島に戻る札所順だが、今回は佐伯区の石内に向かう。前回、同じ佐伯区の三宅の圓明寺に続いて佐伯区の山側、かつての「影面(かげとも)の道」沿いのエリアである。もっとも、広島新四国の札所順というのも何か歴史的な裏付けがあるものでもないし、四国遍路のように札所間を歩いて結ぶ・・という人もほぼいないだろう。

金剛院は佐伯区の南北を結ぶ石内バイパス沿い、五月が丘の住宅地の入口の交差点の近くにある。クルマで行くにはわかりやすいところだが、そこはあえて交通機関と徒歩で行ってみることにする。広島バスセンターから五月が丘団地、ジ・アウトレット広島方面へのバスに乗るのが一般的な行き方のようだが、変わったルートで行ってみる。

5月23日、この日もよく晴れて暑さすら感じる。前日のJR路線での広島県一周に続いてのお出かけである。やって来たのは西広島駅で、こちらからまずはジ・アウトレット広島を目指すことにする。

ジ・アウトレット広島はイオンが手掛けるアウトレットモールで、2018年にオープンした。当然、前の広島勤務時にはなかった施設で、昨年こちらに来て五日市インターからの帰宅時に横を通っただけで訪ねたことはない。現在緊急事態宣言の影響でほとんどの店舗が臨時休業とのことだが、建物だけ見ておくことにする。

西広島駅から乗るのは広電の子会社であるボン・バス。西広島駅をベースに、主に西側の住宅地を走る路線バスである。この一帯、昔ながらの集落と山を切り開いた住宅地が続いており、道幅が狭く、カーブも多い。そのために車両も通常の路線バスより一回り小さいが、地元の人には欠かせない交通手段である。

このルートは、現在は高速4号線の開通でだいぶ緩和されたとはいえ、五日市インターから広島市中心部を結ぶ抜け道の一つとして、交通量も多いところだ。

住宅地を抜けると己斐峠に差しかかる。広島市内の心霊スポットとしてご存知の方も多いところ。カーブが多く見通しが悪いために事故が多発、またかつてこの辺りで殺人事件があり、それらの犠牲者の霊が見えるとか見えないとか。私は夜走ったことはないが、心霊スポットとかは関係なく、できれば走りたくないと思っている。

まあ、日中路線バスで通過する分には何も問題ないのだが、この広島新四国めぐりではそう遠くない時期に、ここ己斐峠に降り立つ場面が来る。その日を楽しみ?にするとしよう。

その己斐峠を上りきったところで大きく切り開かれた住宅地が現れる。その奥がジ・アウトレット広島。広々とした駐車場の中を抜け、一角にあるバス乗り場に到着。

現在新たなショッピングゾーンの増設工事中だが、現在のエリアはほとんどが臨時休業中。正確にいえば、一部を除き平日は時短営業、土日祝日は休業である。さまざまなブランドの店舗が構えるところだが、人通りもほとんどなく半ばゴーストタウンのようである。

ただそれでもクルマが停まっているし、人の行き来はある。数少ないながら営業を続けているのが、イオンシネマ、そしてイオンの食料品売り場である。まあ、この辺りの新興住宅地の人たちにとっては、イオンは重要なライフラインの一つだろう。映画館はさておくとして、せっかく来たのだから食料品売り場で何か買おう。時間的にちょうど店の人が惣菜売り場に弁当やおかずを並べだすタイミングだったが、これから寺参り、昼食はその後のこととして、保存できる食品をいくつか購入。

そして金剛院を目指すが、バスの時間が合わなかったこともあり、結局歩いて行く。歩くといっても1キロくらいかな。ちょうど石内バイパスも五月が丘の交差点までは下り坂だ。遠くにはエディオンスタジアムの屋根も見える。

交差点を挟み、前方に「真言宗金剛院」の文字が見える。以前からあったであろう看板で、私もこれまで間違いなく目にしているはずだが、見るのは初めてである。

小川を渡り、石段の下に出る。ここから上ったところの小さな門をくぐる。山の斜面の途中で、境内もさほど広くない。

本堂の前で、まるでお出迎えのように僧侶(住職?)が立っていた。「ようこそお参り」。偶然ではなく、私が来るのがわかっていたかのようだ。・・もっとも、別にこれは偶然とか、運命の出会いとかいうものではないだろう。どこかにカメラがあって、そこを上がる(怪しい)おっさんがいたのを見ていたというところかな(別に訊くことでもない)。

「どうぞ中にお上がり」と、外陣に通される。広島新四国ということで、正面から少しずれたところでお勤めをしようとすると、「どうぞ、正面にお座りください」と勧められる。そしてお勤めをしたのだが、その間、僧侶は外陣の隅でじっと見ている。いや、プロのお坊さんの前でお勤めをじっと見られていると思うと、むちゃくちゃ緊張する・・・。

「広島新四国のお参りで・・?」「そうです」「歩いて??」「・・いやいや、今日はバスで来ました」というやりとり。暑さと服装が合わないためにここまで汗をかくこともあったが、相手にはずっと歩いて来たかのように見えたのかな。確かに、ジ・アウトレット広島から金剛院まで歩いたが、それだけのこと。

金剛院はもともと平安時代に宮島に建立された寺だが、江戸時代に現在地に開かれた寺が宮島に懇請し、明治になって現在の本尊である大日如来を祀るようになったという。もっとも、現在は他の仏像も懇請されたようで、お勤めの最後にはさまざまな真言を唱えることになっている。果たしてこれで大丈夫なのかな・・・?

「当寺は高野山真言宗でして」と言われ、最後にはお茶葉の「お接待」をいただく。ただ、こうして寺の方はいたが、朱印は本堂の外に置かれた朱印箱の中。

現在の石内バイパスは山を切り開いて通された道路・・というイメージだが、前回の圓明寺の記事でも触れたように、奈良時代から平安時代初期の頃の海岸線はこのバイパス沿線にあったとされている。弘法大師信仰が宮島とその海岸に多く見られるのも、そうした位置関係にあったことの裏付けといえると思う。

寺を後にして、五月が丘の交差点に戻る。少し坂を上った五月が丘公園のバス停に向かい、広島バスセンター行きに乗車する。

五日市インターの前を過ぎ、アストラムラインの終点・広域運動公園駅を過ぎる。

この先、広島修道大学のキャンパスに立ち寄り、大塚駅へ。ここからは、高速バスで何度も通った高速4号線に入る。路線バスも行き来することでこの辺りの人たちも利便性も大いに向上した。

西風新都トンネルを順調に抜け、太田川放水路を渡る。

バスはこの先横川駅を経由するため、せっかくなので横川駅で下車。この先はいったん帰宅した後、次の札所に向かうことにする。

広島新四国はこの先広島の中心部に入るが、先ほど高架下を通ったアストラムライン沿いにもいくつかの札所がある。こうしたところも今後の楽しみとなる・・・。

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